限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

軟財就計:(第13回目)『私のソフトウェア道具箱(その13)』

2022-08-28 14:13:28 | 日記
前回

前回、フランス語の百科事典 "La Grande Encyclopédie" をキーワードで検索して巻とページを特定するところまで説明した。「これで、ようやく本文にアクセスできる!」と喜んで使っていたが、その内、妙な不具合に遭遇することになった。それは、PDFでページ数を指定してアクセスした個所のページ数が合わないのだ。差が1,2ページなら気にしなかったのだが、そのうち 10ページ近くも差がある場合があった。今まで数多くの辞典や事典類の PDFファイルをダウンロード使っていたが、こういう事態に今まで出会ったことがなかった。これは根本的におかしい、と感じて調査した。

結果、分かったのは、この辞書には図や地図がはさみこまれているがそういった図版にはページが振られておらず、テキストページのページ番号は図版ページの前後でつながっているため、PDFのページをアクセスするには、図版のために飛んだページ数を加えてやらないといけないのだ。図版にページを付けずに飛ばすことは、ヨーロッパの古い書物にはしばしばみられる。Britannica 9th Versionもそのように製本されているが、これをPDF化するときは、図版だけのページは除外されている。それで、本文に付けられているページ数と PDFファイルのページ数は合致するのである。(厳密にいうと、PDF化の時に表紙などがあるのでこのオフセット分だけの差が、本文とPDFファイルの間に生じるが、その値は一定である。)

さて、原因が分かったので、解決の糸口は見えたが、実際に解決するまでには幾山も困難が待ち構えていた。

ざっくりというと解決の道筋は次のようになる。

PDFファイルの各ページの上部には、ページ数と検索語がある。画像のその部分だけをカットして、画像ファイルとして格納する。これをOCRにかければ、正しいページ数がでるはずだが、現在のOCRでは、特に粒度の荒い画像データでは誤認識が多発する。それで、これらの画像ファイルの間に、実際のページ数を示す画像ファイルをスペーサーとしてはめ込む。

この時、インターネットから各種の exe プログラムをダウンロードして使った。その機能は:
1. pdftoppm.exe -- PDF から指定する領域を画像データとして取り出す。
2.magick.exe -- テキスト情報(この場合はページ番号)を画像に変換する。
3.convert.exe (magick.exe の一機能) -- 1.と2.で作られた画像データを結合(append)する。
4.jpeg2pdf.exe -- 3.までで作られた画像データを全てまとめて一つのPDFファイルにする。
5.pdftk.exe -- 4.までで作られた複数のPDFファイルを1本のPDFファイルに統合する。
6.FreeOcr.exe -- 最終的には、5.で得られたPDFファイルを OCRで文字解析して、本文のページとPDFのページがどのページでどの程度の差があるかを調べる。

私が、この『軟財就計』のブログで言いたいのは、プログラムが組めるメリットは、このようなインターネット上で無数にあるデータ処理プログラムをダウンロードして、プログラムから呼び出すことで大量のデータ処理を間違いなく、かつ短時間にすることができることにある、ということだ。確かに、一枚のデータを処理するのなら、眼でチェックすればすむ話だが、今回のように1巻が1200ページあり、それが31巻もある、つまり 3万ページを超えるページ数を眼でチェックすることは手にあまる。プログラムが組めるとこれが、いくら時間がかかっても数日内に処理することが可能となる。

OCRにかける前の画像PDFファイルは次のような内容である。



これをOCRで文字変換すると次のようなファイルとなる。見て分かるように、本文のページ数の部分は数字が崩れている部分もありときたま誤認識がある。一方、スペーサーとして入れた PDFファイルのページ番号はかなり正しい。
*******************
- 819 - - AGEN
?m?1`fa§°?; "#00BF;iLf:%.;f§"i$.i'§:*:'s§f#00BF;*aiilzzlffiifiii I §*;°i§#FB02;e_.*9i*_*=f °f>_*#.S5*ifi5*z**Iz*.1#FB02;#00AB;* f*zdwffie.S. =1°_#00AB;#00BB;e~:*.fifi=#203A;#00AB;#203A;.w#FB02;f#00AB;-
== XXXXX 851 XXXXX==

AGEN -- AGENAIS ' - 890 - ` .
#203A; ¢:1mm.#203A;§1[. J01§r1664§; JulesMas¢amn#FB02;679) ; l*`ram:<#203A;is I .tion en f#FB02;P,_H<=h¢ve*#203A; en 488#00AB;fi#00AB;.Zeleve@ S111" _l_`emP1=!9¢m°11¢
== XXXXX 852 XXXXX==

' - 821 _ * AGENAIS
\..:.M:¢:.... ...M ...*...,... .... e .1.. Mu.. ..:..:#203A;..,. n,... | "sm :1 _ L ¢ ._ ...1__¢ ._ _ \ 1 _ 1 -_1 _  , 1' .- -
-- XXXXX 853 XXXXX--

AGENAIS - AGENCE HAVAS - 822 --
.. ,. 1.- _1__fi..__ :_ 1_____ ___:.__ .,-__.:M.. .. ..x,x..:.: 1 ¢¢.-#203A;-1'”-ph-#203A;#203A;#00BB;m#203A;m mlinimnza fin! Ammnin du X* nu XVIQ

-- XXXXX 854 XXXXX--

A ' -#203A; 893 - AGENCE HAVAS
== XXXXX 855 XXXXX==

AGENCE HAVAS - 394 -
== xxxxx 856 xxxxx==
***********

このファイルから必要なページ数部分だけを抽出すると次のようなファイルを得る。
PDF ページ : 差分 :  本文ページ
pg[  851 ] :   32 :   819  : - 819 - - AGEN
pg[  852 ] :  -38 :   890  : AGEN -- AGENAIS ' - 890 - ` .
pg[  853 ] :   32 :   821  : ' - 821 _ * AGENAIS
pg[  854 ] :   32 :   822  : AGENAIS - AGENCE HAVAS - 822 --
pg[  855 ] :  -38 :   893  : A ' -#203A; 893 - AGENCE HAVAS
pg[  856 ] :  462 :   394  : AGENCE HAVAS - 394 -

PDFデータと本文ページのスタートの1ページ目を合わせて、PDFページを修正すると次の表になる。これから分かるように、825ページの段階で、すでに6ページもの差が生じている。つまり、それまでに図版が6枚はさまっていたことになる。

PDF ページ : 差分 :  本文ページ
pg[  825 ] :    6 :   819  : - 819 - - AGEN
pg[  826 ] :  -64 :   890  : AGEN -- AGENAIS ' - 890 - ` .
pg[  827 ] :    6 :   821  : ' - 821 _ * AGENAIS
pg[  828 ] :    6 :   822  : AGENAIS - AGENCE HAVAS - 822 --
pg[  829 ] :  -64 :   893  : A ' -#203A; 893 - AGENCE HAVAS
pg[  830 ] :      :   394  : AGENCE HAVAS - 394 -

これらの情報を基にして、特定の本文のページを正確にアクセスするには、巻、ページ数に応じて、図版の枚数を加えるテーブルを以下のような形式で作る。第1カラムは巻数。第2カラムは、スタート地点でのページ数の差。第3カラムは (,) では、かっこの前の数字は、ページ数、後の数字は追加ページ数を示す。 

本文のページ数が分かったら、それに第2カラムと第3カラムの数字を合算してPDFページとしてアクセスすることになる。

vol 01 : 26:(181, 2)(709, 4)(731,6)(989,8)(1080,10)
vol 02 : 10:(161,2)(265,3)(377,4)(444,5)(469,6)(471,7)(481,8)(513,10)(524,11)(685,12)(700,14)(706,15)(927,17)(1122,18)
(以下省略)

このように、この百科事典 "La Grande Encyclopédie" にはなかなか苦労させられたが、記述内容は全く申し分ない。 Britannica 9th、11thにも優るとも劣らない。わけても、私が頻繁にアクセスする古代ギリシャやローマに関する記事は内容が充実している。この百科事典は現在、フランスで文字起こしが進行中であるから、あと数年後には、このような処置が必要でなくなるが、それまで使わないでいるのは全くもったいない。プログラムが組めることで自分の希望する操作が実現できることを私は大変幸福に思っている。
続く。。。
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智嚢聚銘:(第13回目)『中国四千年の策略大全(その 13)』

2022-08-21 11:40:40 | 日記
前回

公文書偽造、古来日本でも行われるが、中国の偽造技術は日本とは比較にならないぐらいレベルが高い。一見しただけ、ではなく何度みても偽造の個所が分からないという。皆がギブアップしたが、一人の検察官だけは執念を持ち続け、ついに偽造を見破った。

 ***************************
 馮夢龍『智嚢』【巻 9 / 369 / 張楚金】(私訳・原文)

張楚金

湖州の副長官の江琛が長官・裴光の書いた紙からから字を切り抜きして文章を作り、徐敬業と共謀して謀反を企んでいると告発した。武則天は検察官に調査するように命じたが「この字は確かに裴光だが文章は本人のものではないようだ」との報告が上がってきた。合計3人の検察官が調べたが、結論がでなかった。そこで、武則天は張楚金に再調査を命じた。張楚金もどうすればよいのか分からず、寝転んで西窓の夕陽を見ていて、ふとこの書を夕陽に透かして見たらどうだろうと考え、早速夕陽を通してみてみると、字を切り貼りしていることが分かった。それでさっそく検察官たちを呼んで、江琛に命じて水を張った瓶にこの書を投げ入れさせた。すると、字が幾つも紙片となって浮き上がってきた。江琛は罪を認め処罰された。

湖州佐史江琛、取刺史裴光書、割取其字、合成文理、詐為与徐敬業反書、以告。差御史往推之、款云:「書是光書、語非光語。」前後三使並不能決、則天令張楚金劾之、仍如前款。楚金憂懣、仰臥西窓、日光穿透、因取反書向日視之、其書乃是補葺而成、因喚州官倶集、索一甕水、令琛取書投水中、字字解散、琛叩頭伏罪。
 ***************************

偽造といえば中国では硬貨の偽造が紀元前の時代から盛んに行われたいた。驚くのは発覚すれば死刑という極刑が待っているにも拘わらず、偽造する人数の規模の大きさだ。例えば、史記の平準書には、次のような記述が見える。

「硬貨(五銖銭)が発行されてからわずか五年以内に、偽造硬貨(盗鋳金銭)で死刑宣告されたもの数十万人に恩赦を出した。それ以外に自首して赦された者が百万人以上いた。」(自造白金五銖銭後五歳、赦吏民之坐盗鋳金銭死者数十万人、…赦自出者百余万人)

偽造が発覚すれば、一家の破滅になるにもかかわらず、少しでも利が得られるとあれば、死をも恐れずに群がる、というのは過去だけではなく、現在も見られる中国の行動パターンといえよう。



現在もそうであろうが、裁判官というのは何も法律の条文と解釈、および判例を暗記していればいいというものではない。人を裁く、それも対象の多くは犯罪者である(勿論、無罪であるにもかかわらず冤罪を着せられる人もいるのは間違いないにしても)ことから犯罪心理学および行動心理学を深く理解していないと立派な判決を下せないだろう。講談にでてくる大岡裁きのように手際よくいかないとしても、犯罪者に負けないぐらい悪智恵が働かなせることができないといけない。

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欧陽曄

 馮夢龍『智嚢』【巻 9 / 373 / 欧陽曄】(私訳・原文)

欧陽曄が鄂州の知事であった時、民衆が船のことでもめて大混乱のなぐりあいになり、一人が殺されてしまった。誰が殺したか分からず、長い間、判決を下すことができなかった。欧陽曄は自分から牢獄に出向き、囚人を庭に出して、手かせを外して飲食させた。食べ終わったあとで、各人をねぎらって元の牢獄に戻したが、一人の囚人だけは庭に残した。この囚人は明らかに動揺し、怯えている様子であった。欧陽曄は「お前が殺したのだろう!」と言ったが、囚人は否認した。そこで欧陽曄は次のように説明した。「囚人が食事しているところを見たが、皆右手で箸を持っている。しかしお前だけが左手だ。殺された人も右腹に刺し傷があった。つまり左利きのお前が殺したことは間違いがない。」囚人は泣きながら罪を認めた。

欧陽曄治鄂州、民有争舟相殴至死者、獄久不決。自臨其獄、出囚坐庭中、出其桎梏而飲食。訖、悉労而還之獄、独留一人於庭、留者色動惶顧。公曰:「殺人者、汝也!」囚不知所以、曰:「吾観食者皆以右手持匕、而汝独以左;今死者傷在右肋、此汝殺之明験也!」囚涕泣服罪。

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欧陽曄の処置は、麻雀でいうと「ひっかけ麻雀」のような薄汚い手ではあるが、結果的に犯人をあぶり出したという点では評価できる。つらつら、こういった事例を読むにつれ、日本では民度や公徳心が高く、その結果自首率が高いので、裁判官や検察官は日本人の善良な国民性に甘えてしまっているように感じる。アメリカではかつてハッカー犯罪で捕まった超優秀なハッカーを、警察がハッカー犯罪の摘発に公的に雇うそうだ。日本の警察も自分たちだけでは対処できない知能犯罪に対する取締のために、更生した「優秀な犯罪者」を雇うことを考えるべきであろう。

続く。。。
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沂風詠録:(第347回目)『資治通鑑の勧め ― 『禁断の中国史』(補遺)』

2022-08-14 09:29:25 | 日記
先日、百田尚樹さんの近刊書『禁断の中国史』が「日本人は資治通鑑を読むべし」と主張し、資治通鑑の日本語訳がないことを嘆いている旨、述べたが、この点に関して少々付け加えたい。

資治通鑑の日本語訳はない、とのことだが、全く存在していない訳ではない。『本当に残酷な中国史』(P.10)にも書いたように大正末期から昭和初期にかけて出版された『続国訳漢文大成』(全16巻、1巻平均600ページ)には資治通鑑の全文の書き下し文が載せられている。 2015年に『本当に残酷な中国史』を出版した時には、国立国会図書館デジタルコレクションではPDFファイルは存在はしていたものの一般公開されていなかった。ところがその後いつからかはしらないが、下図に示すように続国訳漢文大成の《経子史部》第1巻から第16巻まですべて公開されている。(検索ワード:「続国訳漢文大成 経子史部」)
一つのファイルは140Mbyte程度あるので、すべてダウンロードするとかなりのボリューム(2.2Gbyte)になる。



つまり、全文の日本語訳は存在しているということだ。しかし1巻あたり600ページもあり、合計で1万ページ近くにもなる漢文書き下し文を読み通すのはよほど根気が続かないと無理だろう。確かに資治通鑑にはスリル満点(あるいは、満点過ぎる)の個所はあるのだが、せいぜい2割程度で、残りの8割はいたって平板な記述が続く。もっとも2割といっても、2000ページ(二千頁)もあるので読み応えは十分すぎるぐらいにはあるのだが!

さて、話は変わるが、私は現在までに資治通鑑に関して、以下にリストアップするように、3冊+2冊の合計、5冊もの本を出版している。資治通鑑の記事をメインにしたものと、資治通鑑も含むもの、の2種類がある。

【資治通鑑をメインにした本】
1.『本当に残酷な中国史 大著「資治通鑑」を読み解く』 (角川新書)
2.『世にも恐ろしい中国人の戦略思考』(小学館新書)
3.『資治通鑑に学ぶリーダー論: 人と組織を動かすための35の逸話』(河出書房新社)

【資治通鑑の記述を一部含む本】
4.『本物の知性を磨く 社会人のリベラルアーツ』(祥伝社)
5.『教養を極める読書術』(ビジネス社)

この中で、1.の本が百田さんの『禁断の中国史』の参考文献に取り上げられている本である。しかし、2.や3.も資治通鑑をメインテーマとしている。つまり1.の続刊という位置づけだ。

私が、今もって残念に思っているのは、2.の小学館の本である。原稿を書いている時には、有能でこまやかな心遣いのできる編集者に助けられて、順調に仕上がっていった。ところが、最終原稿を提出したあと、タイトルや宣伝方法に関して非常に不愉快なことが起きた。出版当時(2017年)、世の中では反中本や嫌中本が流行していたので、その路線にあやかるように、出版社の意向でわざと煽情的なタイトルにされてしまった。本のタイトルというのは、作者の意向より出版社、それも販売部の意向が最優先されるため、このような露骨に反中論的タイトルは嫌であったが、従わざるを得なかった。さらに悪いことに、角川新書の売れ行きが良かったため、それとの対抗意識からであろうか、わざと「資治通鑑」という文句をサブタイトルからも外した。ただ、かろうじて帯のそれも後ろ側に「資治通鑑」の文字が見える程度である。このような状況では、この本が、角川新書の『本当に残酷な中国史 ―  大著「資治通鑑」を読み解く』の続編だと気づく人はいるまい。私としては、編集者と良好な関係で的確なアドバイスをもらい非常に満足していただけに、最後の最後で何から何まで不満が募る本に仕上がってしまったのは、つくづく残念に思っている。

とはいえ、この小学館の本には、最近出版した『中国四千年の策略大全』(ビジネス社)にも登場する、日本人には到底真似のできない策略のかずかずが載っていて、資治通鑑の醍醐味がよく分かる本であると、自信をもっている。



普段からちょっぴり不満に思うことをもう一つ書いてみよう。それはAmazonの書評だ。投稿者は時間をかけて書評を書くぐらいであるので、だいたいにおいて本をまじめに読んでから感想を書いているようだが、中には誤解したままコメントを書いていることがいくつかある。

たとえば、「中国の本なのに、ギリシャやローマの話が出てくる」という不満が述べられている。確かに、私の本には主題から外れた話はいくつかあるが、分量的には1割にも満たないであろう。私が読者に考えて欲しいのは、なぜ中国の話にギリシャやローマ、あるいは日本の話を書くかという点だ。それは、資治通鑑の中にでてくるような残酷な恐ろしい話は、なにも中国だけにあるのではなく、他の文明国にもあったということを知ってもらいたいからである。つまり、残酷な恐ろしい話を言い立てて故意に中国を貶めるのではない、という意図を理解して欲しいのだ。一つの文明を理解するためには、必ず他の文明との比較が必要だということだ。これは私の信念で、私の出版物は全てにおいてこの意図で貫かれている。

また些細な表記に神経を尖らす人もいる。

たとえば、「タイトルが反中を煽っているようで、中国人に対して失礼ではないですか」というコメントがあるが、上でも述べたようにタイトルは出版社の意向で決まるので、作者としては如何ともしがたい面が多い。(もっとも、超売れっ子の場合は知りません!)

あるいは「ギリシャ名を書くときは「φ」は「ファ」ではなく「パ」と書くべし」とのコメントがある。フィリッポス王をピリッポス王と書いているのであるから、「青銅牛」のところの説明で「ファラリスの雄牛」は「パラリス」と書くべしとの意見だ。この意味は、ギリシャ語のφ(Ph)は古典時代「プ」の音に近かったのでφは P と同等にみなす、というのが現代の学界の主流の意見だ。私もながらくギリシャ・ローマの本を読んでいてこの点は熟知しているのだが、問題は学術的に正しいことと、世間的に認められることとは違うということだ。つまり、本書などは学術書ではないので、読者がまごつく、あるいは、理解不能な表記を避けるのが出版する者の良識だ。

Amazonのコメントは、「言った者勝」の世界だ。時間をかけて、コメントを投稿してくれるのは作者としてはうれしいことだが、一方的な思い込みや、本の内容ではなく、本の配送に係わる苦情のコメントは勘弁してほしい。
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智嚢聚銘:(第12回目)『中国四千年の策略大全(その 12)』

2022-08-07 21:07:11 | 日記
前回

中国は古代から政治のありかたに関する論争が盛んな国だ。『書経』という古典には伝説の聖人、堯舜から始まって古代の王朝(夏、殷、周)の政治について書かれているが、中国の古典に多くみられるように、成立年代や記事の内容の信憑性については、いささか疑義が残るようだ。いずれにせよ、中国人が古代から政治のありかたを議論しているのは、それだけ政治がうまく行われていなかった証拠だといえる。喩ていえば、病気がちの人は、いつも健康に関心を持ち、いろいろな情報を集めているが、病気知らずで健康な人は、そういう情報には全く関心が少ないのと同じだ。

さて、古くから地方の官僚というのは日本の役人などと違って桁違いの収入があった。ましてや地方の統治者ともなれば、賄賂を受け取らない潔癖な官僚であっても国家から支給される給料の何百倍(宮崎市定の言では千倍!)もの付け届けがあったといわれる。まさに大金持ちになるために官僚となるのが中国の政治界の実態だった。それで、官僚ともなればひたすら蓄財に励む者が多いなか、高邁な政治理念に燃えた正義感あふれる政治家も中にはいた。その一人、宋代の葉夢得(号は石林)の福利厚生の話。

 ***************************
 馮夢龍『智嚢』【巻 8 / 351 / 葉夢得】(私訳・原文)

葉夢得が潁昌にいたころ連年水害の被害があった。都の西部方面が最もひどかった。数多くの死体が唐や鄧などから流れ着いてきた。米の備蓄倉庫を開いて飢餓民を救った。捨て子があふれかえっていてどうしたらよいか分からなかった。ある時、葉夢得が下役たちに尋ねた「庶民には子供がいない者も多いがどうして捨て子を育てようとはしないのか?」下役が答えていうには「せっかく育てても、成長したら、親がひょっこりと現れて自分の子供と言って連れ去ってしまうからです。」葉夢得はそこで法律を調べ、災害発生時に子供を棄てた者は親権を放棄したものとする、との新たな法律を定めた。そして、この法律の条文を数千枚の紙に書いて至るところにその紙を置いた。これを見て人々は捨て子を取り上げて役所に届けて捨て子証明書を書いてもらった。こうして育てあげられた子供は3800人にものぼる。

葉石林〈〔夢得〕〉在潁昌、歳値水災、京西尤甚、浮殍自唐、鄧入境、不可勝計、令尽発常平所儲以賑。遺棄小児、無由得之。日詢左右曰:「民間無子者、何不収畜?」曰:「患既長或来識認。」葉閲法例:凡傷災遺棄小児、父母不得復取。〔辺批:作法者其慮遠矣。〕遂作空券数千、具載本法、即給内外廂界保伍、凡得児者、皆使自明所従来、書券給之、官為籍記、凡全活三千八百人。
 ***************************

第二次大戦後、中国大陸に取り残された幼い日本人(残留孤児)の多くは、善良な中国人に育てられ立派に成長した。人情として、幼い子供の出生には関係なく哀れみを感じるのであろう。しかし、せっかく育てても、後に連れ去られてしまうのであれば、誰も育てようとはしない。そこで葉夢得が簡単なアイデアでこの問題を解決した。このような事例が大々的に記録されるというところに、中国政治の実態 ― すなわち、地方政治のトップであっても、このような単純な布告一つ出さない ― を見ることができる。



次も同じく善良な地方官僚のお話。

 ***************************
 馮夢龍『智嚢』【巻 8 / 353 / 韋孝寬李崇】(私訳・原文)

後魏の李崇が兗州の知事となった。兗州は昔から強盗の被害が多かった。李崇は村ごとに高楼を一軒づつ建てて鐘を吊るした。盗賊を見つけたなら、これを叩けと命じた。隣村がその音を聞いたら、次の村も、また次の村も続いて叩けと言った。その内にそこらじゅうに鐘の音が鳴り響くと、皆、用心深くなるので、強盗はやって来てもとるものがなかった。

魏李崇為兗州刺史、兗旧多劫盗、崇命村置一楼、楼皆懸鼓;盗発之処、乱撃之、旁村始聞者、以一撃為節、次二、次三、俄頃之間、声布百里、皆発人守険。由是盗無不獲。
 ***************************

「塔を立てて、強盗の侵入を見たら、鐘をたたかせた」、これが李崇のしたことだが、日本であれば『七人の侍』ではないが、住民が自発的に行うだろうと思える。中国の政治の一つの特徴は、民間人が自発的にすることが少なく、必ず権威者が命令を待つということだ。現代にも続く大衆のこの性質は、共産党政権かどうかとは全く関係のないことだ。中国古典を読むべき大きな理由の一つは、現代の中国社会に見られるさまざまな現象は実は、中国社会の伝統であることを知ることにある。現代中国人にとって、国家の主義や政策は「鼓腹撃壌」という語句が示すように、自分たちの全くあずかり知らないことだ。

続く。。。
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