限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

翠滴残照:(第17回目)『読書レビュー:教養を極める読書術(その16)』

2021-08-29 19:55:45 | 日記
前回

〇「儒教」(『教養を極める読書術』P.74)

儒教に関しては世間には数多くの本がある。私もかなり多くの本を読んだが、概して日本人の儒教理解が極めて歪んでいると感じる。例えば次のようなことが、一般的に信じられている。
1.儒教の創始者である孔子は「仁」(人に対するおもいやり)が一番重要だと言った。
2.教養主義を唱える儒教は「人格を磨け」と教えた。
3.江戸時代以降、現代に至るまで儒教的な教えは人々の心に生きている。
4.儒教の本場の中国だけでなく、韓国、シンガポール、台湾、香港などの発展は儒教的精神の賜物だ。


これらの誤解が生じた原因を探るに、日本にはいまだかつて「生(なま)の儒教」が入ってきたことがないことが根本的な原因だと考える。

「生の儒教」とは何か? 

それは、中国人の生活態度、行動様式そのものにみられる儒教的要素のことだ。このような抽象的な説明では分かり難いであろうから、江戸時代のフランス語の受容を例に説明しよう。

ご存じのように江戸時代にはオランダ人(+ヨーロッパ人)が長崎の出島に滞在し、日本人の阿蘭陀通詞が通訳をしていた。彼等は当初、書物を持つことも禁じられていたので、オランダ人との会話を通じてオランダ語を習った。生身の人間から習ったおかげで、正確な発音を修得することができた。その後、1740年ごろになって、徳川吉宗がオランダ語の洋書の輸入を緩和した上に、青木昆陽と野呂元丈にオランダ語の修得を命じたことで蘭学が盛んになった。ただ、それはオランダ語という言語を通じてヨーロッパの事を学んでいたに過ぎず、他のヨーロッパ言語に関しては、阿蘭陀通詞が出島のオランダ人からほそぼそと学んでいたに過ぎない。それでも、何人かの通詞はフランス語を努力して学び、簡単な和仏辞書を作ることまでできたが、写本のままで出版にまでは至らなかった。

このような状態の中、いわば独学でフランス語を修得し、日本で最初の刊本の仏和辞典を作った人がいた。村上英俊(1811年 - 1890年)と言い、初めは宇田川榕菴に蘭学を学び、継いで佐久間象山の門下生となった。象山は国防の重要性を認識し、砲術の研究を進める一環として、スウェーデン人化学者のベルセリウスの『化学提要』を、松代藩に掛け合って購入した。暫くして届いた本は、オランダ語ではなく、フランス語で書かれていた。一文たりとも理解できない本を見て、二人がおおいに落胆したのはいうまでもない。現代なら、配送ミスでキャンセルして、取り替えてもらうか、改めて、オランダ語訳の本を注文するであろうが、当時はそういう便利な制度がない。そのうえ、この本は、 150両という大変高価なものであった。「10両盗めば首が飛ぶ」と言われた、江戸時代の1両は、現在価格にすると20万円程度であるから、一冊何と3000万円もするのだ!

このような状況で、オランダ語の知識しかない英俊は独力でフランス語の学習を始めた。非常な苦労の末、 1年半後の1849年暮れになってようやく『化学提要』を読み始めることができたという。当然のことながら、彼のフランス語の知識や発音はすべて本から学んだものである。つまり「生(なま)のフランス語」には接する機会が絶無であったので、その結果、もしすこしでも生のフランス人と接触があれば避けられたであろう間違いが数多くみられる。たとえば、フランス語の単語につけた発音を見てみよう。  
村上英俊のフランス語発音
日本語 フランス語 英俊の発音 現代の発音
世界 monde モンデ モーンド
墨汁(インク) encre エンクレ アーンクル
homme オムメ  オム
訴訟 procès プロセス プロセ

本場のフランス人の発音を聞くことなく、本からの知識とオランダ語からの類推で覚えたフランス語だと言える。確かに英俊の発音には問題はあるものの、フランス語自体の理解はかなりのレベルに達していたと言える。最終的に英俊は1864年に日本初の、収録語数が3.5万語もある本格的な仏和辞典の『仏語明要』を刊行した。現代に比べて辞書や情報が圧倒的に欠けている中、誰の助けも借りずに、短期間の内にフランス語の原書を読めるようにまで至った英俊の努力には頭の下がる思いはする。ただ、言語や哲学・宗教のように、異国の文化を知ろうとした時に「生の人間」との接触がないということは如何に根本的な点で誤解を生じるかということが痛いほどよくわかる例である。ちなみに、英俊の作ったこの辞書はフランスに滞在したこともある渋沢栄一も所蔵していた。


フランス語辞書:仏語明要

さて、話を元に戻すと、英俊の例と同じく、歴史的観点から言えば儒教も日本には書物の形態でしか伝えられなかった。日本人は「生の中国人」の生活実態を知らず、本の記述からしか儒教を理解するしかなかったので、とんちんかんな間違いを犯した。「生の中国人」にとって一番重要なのが「孝」、つまり先祖崇拝が大切である。「仁」はいうまでもなく、封建時代の日本で最も重要視された「忠」など、「孝」の重要さに比較すると全く影が薄い。この点を理解できていない日本人は儒教の根幹部分を全く理解できていないということだ。

「孝」を重要視するのは、とりもなおさず身内の一族を極端に重要視することにつながる。その意味で「仁」は身内への「仁」が優先されるということである。伊藤仁斎や渋沢栄一を初め、多くの日本人は「仁」を西洋流の humanity の意味と理解し、世の中全ての人にたいする優しさを「仁」の概念と考えたが、残念ながらそれは極めて「美しき誤解」であった。

日本人の儒教に関するもう一つの大きな誤解は、儒教は人格を磨くことを勧めるということだが、これはあくまでも生活に余裕のある士大夫、いわゆる有閑クラスの人間を対象にした言葉である、という点を日本人は見落としている。というのは、日本には有史以来、中国で見られたような極端な身分格差が存在しなかったので「士庶の別」という儒教の根本概念の一つがすっぽりと抜け落ちている。「士庶の別」とは、士(有閑クラス)と庶(労働者)は同じ道徳律を「適用できない」「適用しない」、ということだ。このことを冷酷なほど明確に表現しているのが、儒教の経典の一つ《礼記》にある「礼不下庶人、刑不上大夫」(礼は庶人に下らず、刑は士大夫に上らず)の文句である。ここでの重要コンセプトは「礼」だ。孔子は春秋時代の乱れた社会秩序を正しく取り戻すには周王朝の厳格な「礼」の復活が何よりも重要だと考えていた。この最重要コンセプトである「礼」は庶民は関わる必要がないと突き放している。文字も読めない庶民などは、礼の規則を読むことが出来ないので、犬猫や牛馬並みだと言っているのだ。

以上の点は、実際の中国人の生活の中で見られる彼らの立ち振る舞いを見れば、数ヶ月も経たないうちに分かったはずだが、残念ながら、いくらすばらしく高度な漢文読解力があった江戸の儒学者たちも全く理解できずにいた。いわば、本場のインドカレーを食べた人なら日本のとろっとしたカレーが全く別物だと考えるように、美しき誤解に基づいて日本に定着した「儒教的な概念」はもはや儒教とは別物と考えるべきだと私は考える。日本人にとって必要なのは、本場中国の「生の儒教」の道徳律ではなく、日本人が縄文時代、あるいはもっと古くから持っていた humanity 溢れる日本的道徳律である。

【参考文献】
『フランス語事始 村上英俊とその時代』( NHKブックス)富田仁

続く。。。
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【座右之銘・129】『non possit beatam praestare vitam sapientia』

2021-08-22 19:57:13 | 日記
信じられないかもしれないが、旧約聖書には仏教の経典と見間違うような『伝道の書』と呼ばれる一書がある。(もっとも、『伝道の書』という書名は文語体から1955年の改訳版まで使われていたが、1987年版では『コレヘトの言葉』という書名に変わっている。ここでは、伝統的な『伝道の書』と呼ぶ。)

仏教の経典と見間違う、と言ったのは『伝道の書』の冒頭に
 「空の空、空の空、いっさいは空である。」
と、あたかも選挙運動のように、空(くう)が何度も連呼されるからである。Septuagintaのギリシャ語では次のように書かれている。

【ギリシャ語 + 英語】(赤線の部分が「空の空…」)


【ドイツ語】
Dies sind die Reden des Predigers, des Sohnes Davids, des Konigs zu Jerusalem. Es ist alles ganz eitel, sprach der Prediger,es ist alles ganz eitel..

この文に引き続いて「知恵が多ければ悩みが多く、知識を増す者は憂いを増すからである。」 という文句が見える。つまり、ユダヤ人は知恵・知識が人をほがらかにするのではなく、むしろ憂いを増やすと言っているのだ。

ところが、一般的にユダヤ人は教育熱心な民族として有名である。ユダヤ人には旧約聖書以外にタルムードという膨大な書物があり、様々なテーマについてQ&Aが詳細に書き込まれている(らしい)。私は、残念ながらタルムードの実物をみたことはないが、写真で見る限り、大人でも読むのが大変な書物のようだ。ユダヤ人は子供のころから日曜学校のようなところでこの書物を読みながら、教師や子供同士で議論するとのことだ。つまり、子供のころから貪欲に知恵や知識を求めるユダヤ人でありながら、知恵や知識に対してこのような否定的な意見があるとは驚く。

もっとも、多知多識に警戒せよと説いたのはユダヤ人以外にもいる。仏教でいえば、禅の思想がそうだが、古代のヨーロッパにもこのような考えかたをする人がいた。

それが、ローマの雄弁家のキケロだ。

キケロは雄弁を武器に貴族階級より劣る騎士階級の出身でありながら、国政の第一人者であるコンスール(執政官)にまで昇り詰めた人だ。しかしキケロの後ろ盾となっていたポンペイウスがカエサルに敗れて、カエサルの世になってからは影がうすくなった。それもあってか、政界を引退してから、トゥスクルムにある別荘に引きこもり著述に専念した。短期間に数多くの著作を書き上げたが、一説によるとキケロは奴隷に速記法を学ばせて口述筆記をしていたとも言われる。そのように作られたかどうかは分からないがキケロの哲学的知識を盛り込んだ『善と悪の究極について』(De finibus bonorum et malorum)という本がある。これは『トゥスクルム荘対談集』と並んでテーマの選定といい、当時の哲学潮流を代表する派の選定といい、当時のヘレニズム哲学を知るには非常に好都合な本であると言っていいだろう。



この本の第5章に、アリストテレスの弟子であるテオファラストスが「幸福な人生かどうかは運による所が多い」と述べた文章を引用して、次のような、いわば仏教にもにた諦観を綴っている。
【原文】... non possit beatam praestare vitam sapientia.
【私訳】知恵があるからといって幸福な人生を送れるわけではない。
【英訳】... wisdom alone could not guarantee happiness.
【独訳】... (dann) könnte die Weisheit nicht das Glück des Lebens garantieren.
【仏訳】..., il serait impossible que la sagesse rendît la vie heureuse.
【仏訳2】..., la sagesse ne suffirait pas pour le bonheur.

この文章は、著者のキケロの絶頂と没落と照らし合わせてみると、何やら意味深長なことばに思えてくる。

ところで、ラテン語は、格変化があるおかげで、単語の配置が極めて自由だ。この文でもそれを見ることができる。キケロの原文を仮に単語ベースで英語に置き換えてみると次のような文章になる。
【ラテン語原文】non possit beatam praestare vitam sapientia.
【英語置換】 not possible [the_happy] to_offer [life] the_wisdom

これを見て気づくのは、形容詞(beatam, happy)と名詞(vitam, life)が分離していることだ。日本語はもちろんのこと、近代ヨーロッパ語でも、このような書き方が出来ないが、厳格な格変化を保持しているラテン語(や古典ギリシャ語)ではそれが可能である。その理由は、いくら互いに遠く離れていても、どの形容詞がどの名詞に係るかは明確であるからである。このような言い方に近い言い方を日本語の文法に探すと、副詞の呼応(例:絶対に。。。。しないからね!)に近いと言える。このような単語の自由な配置ができるおかげで、ギリシャ語もラテン語も母音の長短をリズミカルに組み合わせる詩型であるイアンブス(iambus、例:六歩格、五歩格、七歩格)が発達することができたのである。

さて、ユダヤ、ローマの例を述べたので、ついでに中国の例も紹介しておこう。

『孟子』《公孫丑章句上》に斉人の言として
 「智慧ありといえども、勢に乗るにしかず。鎡基(鋤)有りといえども、時を待つにしかず」
 (雖有智慧、不如乗勢。雖有鎡基、不如待時)


という言葉が見える。どうやら、東西の賢人は異口同音に「人の世は知識だけでは渡って行くことはできない」と断言している、ということだ。
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翠滴残照:(第16回目)『読書レビュー:教養を極める読書術(その15)』

2021-08-15 15:37:41 | 日記
前回

〇「ドイツ観念論哲学の巨匠・カント」(『教養を極める読書術』P.59)

カントという名前は高校の歴史や倫理の時間で一度は耳にするであろうが、その著作を読んだ人は少ないことであろう。また、著作を読んだとしても、ドイツ語の原著で読んだとなると日本では極めて少数であろうと思われる。

かくいう私も、学生時代に「デカンショ」の文句などで、カントの名前を聞いた時は「自分にはカントのような難解な哲学が分かるはずがない」と即断していた。そして、素人でもわかるようなパスカル、デカルト、ショーペンハウアー、モンテーニュなどに手を伸ばした。これらの哲学者の文章は言ってみれば手近な山道の散歩のように、普通の文章読解力さえあれば、少なくとも自力で辿っていく(理解する)ことはできるし、時には、感銘を受けるような文句に出会うこともあった。ただ、カントとなると、ふらふら歩いて登れるような山道ではなく、いわば絶壁をよじ登るような苦しさがあった。とりわけ、彼の日本語訳ときたら、本著のP.63にも部分引用したように皆目見当もつかない単語だらけだった。

それで、ドイツ留学前にはドイツ語の勉強も兼ねて、ショーペンハウアーはReclamでいくつかの文章は読んだものの、カントに至ってはまったく手も触れなかった。しかし、ドイツ留学中、本屋で Suhrkamp Verlag のカント全集を見た。



ペーパーバック本は貧乏学生の私でも買える値段であったので、とりあえず『純粋理性批判』(Kritik der reinen Vernunft)はじめ重要だと思われるものを数冊買った。(当時、日本では洋書は全般的に高価であったが、とりわけドイツ語やフランス語はひどく高かった! 現地の5倍程度の値付けではなかっただろうか?)

ドイツ留学中、念願のショーペンハウアー全集を買って読んで、カントがいかに重要であるかをしみじみと分かった。それで、帰国後、プラトン全集を読み終えてドイツ語を読む力にもかなり自信がついたので思い切ってドイツ語でカントの『純粋理性批判』に挑戦した。この時、理解できた範囲でメモを作っていった。この方式は、その前にプラトン全集を読んでいる時に、メモしながら読むと、理解が深まると気づいたからだ。

カントの文はあたかも中学の幾何学の証明問題のように、基礎から順序を追って理解していけば、意味するところはかろうじて分かるが、端折って途中から理解しようとしてもさっぱりわからない。このような思想書を読むときは、細部に囚われず、2,3回読んでも分からない文章は飛ばして、ともかくも一度は最後まで通読することが必要だ。最後まで辿りつくと、細部は分からなくとも筆者の主張の大枠を自分なりに会得することができる。私は、大枠を理解することが何よりも重要だと考えるが、残念ながら、現在の大学受験を切り抜けた若い人の間には、センター入試のように細切れの知識を正確に記憶することが重大事だと考える人が多くいるだろう。
参照ブログ:百論簇出:(第139回目)『チャート式脳の弊害』

大枠を理解する重要性を仏教を例に考えて見よう。

仏教が重視している概念は、諸行無常、空、縁、四苦八苦、極楽往生、涅槃など様々な語句が思い浮かぶ。これらの言葉は仏教関連書や辞書、百科事典などで調べれば正確な内容を知ることはできる。それらの内容を暗記することもそれほど難しいことではない。しかし、一体全体、仏教はどういった宗教かをこれらの語句を使って説明してくれと言われて、はたと困ってしまうであろう。それは、細部の語句の正確な意味を理解することだけに気をとられて、大枠を理解しようとしなかったところから来る。大枠で言えば、仏教とは、次のステップを踏む。
1.世の中は苦しみに満ちている(四苦八苦)と認識する。
2.苦しみは執着からくる。執着するのは、世の中が無常ということを知らないからだ。(諸行無常)
3.世の中が無常であるとは、元来、空であるからだ。(空)
4.次々といろいろなことは発生するが、それは縁による。(縁)
5.この世の仕組みがこのように出来ている、と分かれば執着がなくなる。
6.執着がなくなれば、解脱する、つまり涅槃に入り、苦しみの満ちる生から永久におさらばできる。(涅槃、極楽往生)


大枠をつかんでおけば、微細な誤解や認識不足はいつでも修正することはできる。



さて、私がカントの『純粋理性批判』をぜひとも読み解きたいと興味をもったのは、本書 P.59 に書いたように、カントが「神の存在は理論的には証明できない」と述べたからだ。私はそれまで、いろいろな宗教が互いに自分の宗教が正しいと主張していることに非常な疑問を感じていた。「どれもこれも自分の宗教だけが正しいというのはおかしい。果たしてどの宗教が本当に正しいのか?しかし、そもそも神は存在するのか?」なぜ、カントはそれほどまでに自信を持って「神は存在しない」と言い切ることができたのか、知りたいと思った。一歩間違えば、当時、殺人犯同様の扱いを受けかねなかった atheist とみなされることも恐れず堂々と主張できたのか?

どうしても、この点を自分の目で確かめたいと思ったのがドイツ語でカントの『純粋理性批判』を読破する強い動機であった。プラトンを読んでいた時のように、読みながら分かる範囲で、メモを作っていくと、最後になってようやくこの謎が解けてきた。つまり、この書の大枠が理解できたのであった。私が理解した範囲で、カントの『純粋理性批判』の大枠を示せば、次のようになる。

1.人間が物を理解するには、まず時間と空間を認識できないといけないが、これは生まれつき(a priori)人間誰にも備わっている。
2.人間が物を認識できるのは、3つの認識能力 ― 感性、悟性、理性 ― が備わっているからだ。
3.物(対象物)は「感性」を通じて人間に知られる。
4.感性によって物が知られると「悟性」がその物が何であるかの概念を作る。
5.物というのは、本来的に存在するもの、「物自体」(Ding an sich)は人間は直接知ることはできないが、その「現象」は「感性」を通して知ることができる。
6.単体として認識された「現象」としての「物」を時間、空間の枠内でどのようになっているかを統一的見地から認識する能力が「理性」だ。
7.物が正しく認識されるには、「感性==>悟性==>理性」の3ステップを踏まないといけない。しかるに超自然的な物、例えば神、は「感性」によってとらえられないので、正しい認識に至ることができない。


つまりカントによって、人間の認識は「感性」からの情報を必要とする三段階のフレームワークであると証明されたので、感性情報が欠落している「神の存在」は認識できないということだ。『純粋理性批判』でこのことを論証したあと、カントは10年経って『判断力批判』(Kritik der Urteilskraft)を発表したが、カントは「神の論理的存在否定」の自説にさらに自信を付けたようだった。


『純粋理性批判』読解メモ(Suhrkamp版、P.163)
"Erscheinung は Ding an sich ではない。我々はこの Erscheinung を bestimmen しようとしている。よって、これから分かることは unsere reinste Anschauung a priori も keine Erkenntnis を schaffen する。"

カントの論証や認識のフレームワークに関して、その後幾多の学者によって研究が行われ、カントの論理の欠陥が指摘されている。それらの指摘が正しいとすると、カントが証明した「神の存在は証明できない」という命題が正しいかどうかは振り出しに戻ったことになる。ただ、私にはカントの説明が今のところ十分納得できるものでこれ以上「神の存在」に関して詳しい理論や説明を必要としない。これはあたかも、アインシュタインの相対性理論によってニュートン力学のフレームワークの欠陥が指摘されたものの、我々が普通に暮らす限りにおいて相対性理論は必要でなく、ニュートン力学で十分に間に合っているようなものだ。

続く。。。
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百論簇出:(第264回目)『バッドの中のベストチョイス(続編)』

2021-08-08 20:56:15 | 日記
前回、現在の中国の共産党政権は「バッドの中のベストチョイス」との私の評価を述べたが、説明が舌足らず意図が分かりにくいかもしれないと思い、更にもう少し説明してみたい。

私が現在の中国共産党政権を限定条件付きではあるが評価しているのは、次の2つの観点からである。
1.中国国内の騒乱を抑え込んでいる。
2.国家の指導者たちの育成システムが良い。


この2点について説明しよう。

1.中国国内の騒乱を抑え込んでいる

この代償としてウルグアイやチベットなどでの「人権抑圧」が問題視されているのは重々承知している。つまり、国連の立場からすれば「人権抑圧」は大問題であるのは当然であるが、論理的に考えれば、日本国の立場からいうと ― 感情に左右されず、不謹慎な言い方を承知でいえば ― 中国の「人権抑圧」は日本の国益にかなうという結論になるのである。

歴史から教訓を学んでみよう。

かつて1975年4月末に南ベトナム(正式名称:ベトナム共和国)の首都であったサイゴンが陥落した。その前後から、国の崩壊を見越した多数のベトナム人がボートに乗って国外脱出を図った。当時、南ベトナムの人口は2000万人程度であったが、数十万人もの難民がでた。アメリカへの渡航を希望するベトナム人は多かったものの、近隣の日本にも希望者はいたが、日本政府は難民の受け入れを渋った。私の記憶では日本が受け入れたのは最終的には何百人、あるいはせいぜい何千人という単位ではなかっただろうか。現在もそうだが、日本は国として、外国人が日本に定住することを快く受け入れない風潮が色濃くある。国の制度としてだけでなく、一般の人々の間にもそういう感情が強い。

こういう観点からすれば、もし人口が13億を超える大国の中国に内乱が起こり、中国政府がそれを押さえきれないとすれば、ベトナムの時とは比較にならないほどの膨大な数の難民が発生することは火を見るより明らかだ。単純に南ベトナムとの人口比較から計算すれば、中国は約60倍ほどあるので、難民の数は4千万人程度となるだろう。南ベトナム崩壊当時は、アメリカがベトナム戦争の行きがかり上、責任を感じて数多くの難民を引き受けたが、現在の米中対立状況下ではアメリカは中国難民の受け入れを拒否、あるいは大幅制限するだろう。恥ずかしながら対米追従を国是としている日本も中国難民の受け入れには難色を示すであろう。しかし、数千万人もの難民はとても東南アジアでは収容しきれない。それで、最終的には国連からの要請で日本は何十万人、あるいは百万人規模の中国人を受け入れざるをえないであろう。

この意味で、論理的に考えると中国崩壊を防ぐことは日本の国益に直結することになる、いう結論にたどり着く。逆算すると、国内治安を維持している中国共産党政権を日本国民は非難することはできないという理屈だ。対岸の火事を見るような傍観者的な立場から「ウルグアイやチベットの人権抑圧を止めろ」というのはたやすい。しかし、もし中国共産党の人権抑圧を声を挙げて非難するなら、まず、最悪のシナリオで、中国崩壊に際して日本にやってくるだろう100万人規模の難民を日本国としてどのように受け入れるか、という対策の具体案を示すべきではなかろうか?


Cutting Off Your Tongues For Your Own Good

2.国家の指導者たちの育成システムが良い。

日本は民主主義の国であるので、ある年齢に達すれば、よほどのことがない限り(つまり、犯罪者以外)選挙権と被選挙権が自動的に付与される。つまり、政治家としての訓練や指導を受けていない素人でも政治家になることが可能なのだ。本来、民主主義体制の下では市民や国民の代表として政治という職務を遂行するのが政治家であったはずが、ド素人でも数合わせの政治家として議院の座席を占めることができるようになったのが現在の日本だ。このような風潮が蔓延した結果、ぼんくら議員が数多く誕生して、議院の権威が失墜した。その一つの例が、国会の場で、質問時間が余ったからと言って、悪びれもせず般若心経を唱えた某衆議院議員だ。

日本のぼんくら議員に比べ、中国共産党の幹部連中は、二世議員の太子党といえどもまず地方の政治の現場で実績を積むことを要求される。政治家として必要な力量を試す場所が次々と与えられて、有無をいわさず成果を求められる。実際の政治の場面では賄賂などで私腹を肥やしたり、政治実績を挙げるため敢えて目立つ行動をする悪徳政治家もいるのも事実だ。たとえば、かつての国家主席である胡錦濤は、任地のチベットでチベット人の大規模なデモを軍事力で強制的に抑え込んだことが評価され、最終的に鄧小平に認められて国家主席に引き上げられた。また、習近平と同じく太子党の薄熙来は重慶市で毛沢東路線を彷彿させる政策で庶民から大人気をかちえたものの、多額の不正蓄財が暴露されて収監された。このような悪例には事欠かないが、それでも飴と鞭を使い分けつつ、人民を統治する術を実践で学んでいくのが中国共産党の幹部たちだ。そうして何十年もの間、プロとしての政治の現場で頭角を現した者だけが、最終的に国家の中枢部の政治局委員や常務委員になることができる。

中国では、かつて科挙という制度があったが、それに合格した士大夫もやはりこのような実践を通じた政治家育成制度の階段を一段一段と昇って成長していった人たちだ。それに比べると、日本は中国から律令制度を取り入れたというものの、一度としてまともな政治家育成制度はなかった。たまに、縁故採用や思いつき人事で採用された人が立派な政治実績を挙げることはあったとしても、その成果は線香花火のはかなさであった。

多くの日本人は中国共産党を「一党独裁」と非難するが、その前に、日本の政治家の質を問い直す方が先決だろう。そして、中国共産党の政治家育成制度に匹敵するような実績ベースでの政治家ならびに官僚の昇進制度を整備すべきだと私は考える。
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翠滴残照:(第15回目)『読書レビュー:教養を極める読書術(その14)』

2021-08-01 17:12:56 | 日記
前回

〇「エピクロス派の享楽・快楽主義の誤解」(『教養を極める読書術』 P.56)

エピクロスといえば「エピキュリアン」の語源にもなっていて、通常は「享楽主義」と称されているため、極めて煽情的な考えを主張したように誤解されている。このような非難は何も近代になって始まったわけでなく、すでにローマ時代、ストア派の哲人・エピクテトスもエピクロスの快楽主義を罵っている。

世間では甚だ評判のよろしくないエピクロスではあるが雄弁家・キケロの親友であるアッティクスは党派を超えて人道的な支援を行い、高潔な人格は人々の賞賛をあびたが、エピクロスの哲学に心酔していた。さらには、セネカはストア派の巨頭であるので、本来ならエピクロスを非難して然るべきなところが、却ってエピクロスの考えにかなり同調していたことが、文章の端々からうかがえる。本文にも書いたように私はセネカに惹かれて「隠れストア派」となったが、セネカを繰り返し読むうちに、次第にエピクロスの考え方にも惹かれるようになった。



さて、ストア派と異なり、エピクロス派は派閥としての活動を指導するよき後継者に恵まれなかったせいか、現存している資料は、ストア派に比べてかなり少ない。とりあえずディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』第 10章にかなりまとまった情報がある。

それによると、エピクロスは「あらゆる人に対して誰も及ばないほどの親切心(ευγνωμοσυνης)を持っていた」と賞賛されている。彼の学園(κηπος)では男女問わず人々が集って、質素ではあるが仲良く暮らしていたと言われるのは、このようなエピクロスの人間性の賜物であろう。

ストア派のセネカも賞賛しているのはエピクロスの理念の一つである「不動心・アタラクシア・ataraxia」(αταραξια)である。日本人は「不動心」と聞くと、つい禅の境地を連想するが、エピクロスがいうには ataraxia を得ることができるのは理性的な探求の結果であるようだ。つまり、天体や物質の観察・研究を通して神の意図を正しく理解することができると、何事にも魂(こころ)乱されない「平安の境地」に至ることができるということだ。科学が発達していない当時、天体現象・自然災害などは神の御業(みわざ)とみなされ、それによって発せられる神の罰や警告に人々は怯えていた。しかし、それらの自然現象を理性的に(つまり、現在のような科学的見地から)解釈すると、重苦しい、不吉な不安が取り除かれるとエピクロスは主張する。

エピクロスの主張は、何はともあれ、先ずは自然・神・悪霊から人々が感じる得体のしれない恐怖心を取り除かないことには心の平安を得るのは難しいということだ。次に、人間関係で心を乱す根本の原因は「憎悪、嫉妬、軽蔑」のいずれかであると喝破する。賢者(ο σοφος)はそのような感情に心を乱されるべきでないという。

この意味では、ストア派がいう「アパテア・apathia」(απαθια)はエピクロスの「アタラクシア・ ataraxia」と通底するものがある。どちらの派も主張するところは、物事(自然現象・人間界)を理性的・客観的に判断し、自己を厳しく律することを要求しているのだ。

エピクロス哲学の要約として「主要教説」があり、『ギリシア哲学者列伝』にも部分的に載せられているが、そこには次のような文が見える。( 10-140)



【私訳】快適な人生を送るには、賢く、清く、正直でなければならない。賢くなく、清くなく、正直でないなら快適な人生は送れない。

【英訳】It is impossible to live a pleasant life without living wisely and well and justly, and it is impossible to live wisely and well and justly without living pleasantly.

【独訳】Man kann nicht lustvoll leben, ohne klug, gut und gerecht zu leben, und nicht klug, gut und gerecht, ohne auch lustvoll.

【仏訳】Le bonheur de la vie est inséparable de la prudence, de l’honnêteté et de la justice ; d’un autre côté, ces vertus elles-mêmes sont inséparables du bonheur.

ストアもそうだが、エピクロスも理知的な主知主義を思想の柱とし、それに加えて高潔な人間性を要求する。エピクロスは 72歳で亡くなったが、尿管結石を14日間も患ったという。「賢者は拷問にかけられたとしても幸福である」(καν στρεβλωθη δ' ο σοφος, ειναι αυτον ευδαιμονα.)(10-118)との信条を持っていたエピクロスであるから、自分の運命について、恨まむことなく、死ぬよりつらい苦しみにも延々と堪えたことであろう。しかし、最後はワインを水で割ることなくぐいと飲み干して息を引き取ったという。(合掌)

続く。。。
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