かつて、ローマはカルタゴと3次にわたり熾烈な戦争を繰り返した。とりわけ第二次ポエニ戦争では、智将・ハンニバルがアルプスを越えてイタリア半島に攻め込んできた時は、ローマは破局寸前にまで追い詰められた。というのは、カンナエの戦いで、ローマの主力軍が完膚なきまで叩きのめされた上に、ハンニバルがローマの近郊数十Kmまで攻め寄せてきたからだ。国家の存亡が掛かっているこの時にファビウス・マクシムス(Fabius Maximus)は国家の全権を一手に握るディクタトールに任命された。
智恵の塊であるようなハンニバルに対してファビウス・マクシムスがとった作戦は三国志にも例がある戦法だった。蜀の諸葛孔明が攻めてきた時、魏の司馬懿はわざと戦闘を回避して逃げ回った。故国を遠く離れて敵地で、あちこちと軍隊を移動させることを余儀なくされた孔明はほとほと疲れてしまった。司馬懿は戦うことなく、結果的に孔明に勝ったのだ。ハンニバルに対するファビウス・マクシムスの取った作戦はまさにこれであった。カルタゴ軍がイタリア半島南部のローマの同盟都市を攻撃するのをローマ軍は救援をすることなく、ただ遠くから傍観しているだけであった。この戦略は、ローマ市民の怒りをかい、ファビウス・マクシムスはクンクタトール(Cunctator、グズ)という軽蔑的なあだ名を奉られた。しかし、最終的には勢い込んで攻め込んできたカルタゴ軍は、何らなすすべなく祖国に引き返さざるを得なくなり、ザマの戦いでスキピオが率いるローマ軍に敗北した。
それから2000年ばかり経って、ナポレオンがモスクワ侵攻したとき(1812年)にもロシアも同様の作戦をとった。ロシア軍は逃げ回るだけでなく、自らモスクワの町に火を放って焦土にした。それゆえ、フランス軍と同盟軍は寒さが迫りくる秋のモスクワで、宿も食糧もなく疲労困憊した。止む無く退却したが、その途上でも寒さと飢えのため、多数の死者をだした。
この2つの事例が示すように、それぞれの市民(ローマ、およびモスクワ)にとっては、ファビウスの傍観やモスクワ炎上によって多大な被害を蒙った、バッド・チョイスであったのは間違いないが、その犠牲のおかげで強力な敵に勝ったという点ではベスト・チョイスであったと言えよう。
さて、話は変わるが、私は以前(2015年)『本当に残酷な中国史 大著「資治通鑑」を読み解く』を上梓して以来、いくつかの中国史関連の著作を出版した。しかし、それらは出版社の意向によって、無理やり「嫌中論、反中論」を煽るようなタイトルを付けられたため、そのような思想を持っている人物と思われてしまったのは、心外でもあり、私の本当の気持ちが伝わらず残念に思っている。というのは、私は確かに中国(国家、民族)に対しては批判的な意見を持つが、それは何も中国だけに対して厳しいのではない。我が日本や欧米などに対しても、常に是々非々の立場で、非難すべきは非難している。
Chinese cartoonist Rebel Pepper finds artistic freedom in US
このような露払いの言葉を述べないといけないのは、現在の日本では(従来からそうであるが)多少なりとも中国の政治について好意的な評価をすると、途端に「中国寄り」と見られて「人権抑圧政府に加担する」と思われるからである。私は、現在の中国政府のウイグル、チベットに関する人権抑圧に関しては賛同しないが、大局的に見て共産党政権は中国をうまく統治していると私は評価している。
こういうと必ず反発が出るのは火を見るより明らかだが、混乱が常態であり、安定が非常事態であった中国4000年の長い歴史から見れば、現在の共産党政権下の中国は稀にみる安定した時代である。つまり、現在の中国の状態を世界と比べることがおかしいのだ。日本のような、事実上、単一民族、単一言語の小国と比べると、想像を絶するような過酷な過去を生き抜いてきた中国は、今なお過去の思いしがらみにがんじがらめになっていると、私は考える。
以前、イラクのフセイン大統領が政権を握っていた時、アメリカはクルド人虐待や大量の化学兵器の貯蔵を理由にフセイン政府を倒して、イラクを民主化させようとした。しかし、結局はイラクの人々はアメリカのこの政治介入によって得るところは全くなく、民情が一層混乱し、悲劇だけが増大した。イラクの例を持ち出すまでもなく、西欧型民主主義が良い政治体制であるというのは、あくまで人々の考え方や民度などがあるレベルにある国々に対してだけである。現在の中国は、海岸べりの都市部を除いては、全体的にはまだまだそのレベルに達していない。そういった状況では、フルセットの人権の付与よりも、生活の安寧が優先される。
私が現在の中国共産党政権を限定条件付きで評価しているのはまさにこの点である。
この意見に反対であるなら、次のような仮想実験を考えてみてほしい。現在の中国の政治を担当している政治家・官僚など上部の1万人を、日本の同等クラスの政治家・官僚と交換してみよう。中国の政治家・官僚が日本に来ても、かつての進駐軍のように、何ら深刻な問題は生じないであろう。それに反し中国に渡った日本の政治家・官僚たちは複雑な中国の実情を正しく理解できず、右往左往するうちに、各地で革命前夜のような暴動が頻発することであろう。日本や欧米のような、法治国家の政治家・官僚などは中国社会においては政治力に欠ける「でくの坊」に等しい。
確かに、現在の中国共産党は、国際的には南シナ海占有問題、発展途上国の資源確保、一帯一路にかこつけた実質的な植民地確保、など国際秩序を著しく損なう行動が多い。これは中国共産党の問題というより、中国の政治思想が元来自己中心的であり、メンツを重視するという、中国の伝統的思考を堅持しているという問題である。つまり、政治体制が習近平から替わろうと、あるいは共産党が倒れて別の組織が政権を握っても、本質的な部分は変化がないということだ。これは何も推測で言っているのではなく、史記や資治通鑑などの中国の歴史書を繙くと実例が累々と見つかる。結局、現在の中国共産党の体制下の彼等の言動の大部分は、現体制の問題というより、国家としての中国の問題であるということだ。
こういった観点に立つと、現体制(だけでなく、結党以降の中国共産党)は共産主義などは単なるスローガン・看板に過ぎず、本質は旧体制の皇帝を(たいては名目上の)頂点とした中国伝来の中華独裁政治であるということが分かる。かつては、常に腐敗政治で身動きがとれない状態に陥っていたことを考えると、曲がりなりにも(みかけだけは)安定な社会を保ち、(地球環境に多大な悪影響を及ぼしながらも)経済発展を続けている現在の共産党政権は評価すべきだと私は考える。
『後漢書』に「鉄中錚錚」という句が見える。樊崇に率いられた赤眉の乱は光武帝に鎮圧されたが、降参した樊崇を光武帝は、「卿所謂鉄中錚錚、傭中佼佼者也」(卿は所謂、鉄中錚錚、傭中の佼佼なる者なり)と評した。意味は、「お前は、クズ人間どもの中ではましな部類だなぁ」と半ば貶し、半ば褒めたのであった。これと同じ意味で、私は現在の中国の共産党政権は「バッドの中のベストチョイス」と評しているのである。
【参照ブログ】
百論簇出:(第264回目)『バッドの中のベストチョイス(続編)』
智恵の塊であるようなハンニバルに対してファビウス・マクシムスがとった作戦は三国志にも例がある戦法だった。蜀の諸葛孔明が攻めてきた時、魏の司馬懿はわざと戦闘を回避して逃げ回った。故国を遠く離れて敵地で、あちこちと軍隊を移動させることを余儀なくされた孔明はほとほと疲れてしまった。司馬懿は戦うことなく、結果的に孔明に勝ったのだ。ハンニバルに対するファビウス・マクシムスの取った作戦はまさにこれであった。カルタゴ軍がイタリア半島南部のローマの同盟都市を攻撃するのをローマ軍は救援をすることなく、ただ遠くから傍観しているだけであった。この戦略は、ローマ市民の怒りをかい、ファビウス・マクシムスはクンクタトール(Cunctator、グズ)という軽蔑的なあだ名を奉られた。しかし、最終的には勢い込んで攻め込んできたカルタゴ軍は、何らなすすべなく祖国に引き返さざるを得なくなり、ザマの戦いでスキピオが率いるローマ軍に敗北した。
それから2000年ばかり経って、ナポレオンがモスクワ侵攻したとき(1812年)にもロシアも同様の作戦をとった。ロシア軍は逃げ回るだけでなく、自らモスクワの町に火を放って焦土にした。それゆえ、フランス軍と同盟軍は寒さが迫りくる秋のモスクワで、宿も食糧もなく疲労困憊した。止む無く退却したが、その途上でも寒さと飢えのため、多数の死者をだした。
この2つの事例が示すように、それぞれの市民(ローマ、およびモスクワ)にとっては、ファビウスの傍観やモスクワ炎上によって多大な被害を蒙った、バッド・チョイスであったのは間違いないが、その犠牲のおかげで強力な敵に勝ったという点ではベスト・チョイスであったと言えよう。
さて、話は変わるが、私は以前(2015年)『本当に残酷な中国史 大著「資治通鑑」を読み解く』を上梓して以来、いくつかの中国史関連の著作を出版した。しかし、それらは出版社の意向によって、無理やり「嫌中論、反中論」を煽るようなタイトルを付けられたため、そのような思想を持っている人物と思われてしまったのは、心外でもあり、私の本当の気持ちが伝わらず残念に思っている。というのは、私は確かに中国(国家、民族)に対しては批判的な意見を持つが、それは何も中国だけに対して厳しいのではない。我が日本や欧米などに対しても、常に是々非々の立場で、非難すべきは非難している。
Chinese cartoonist Rebel Pepper finds artistic freedom in US
このような露払いの言葉を述べないといけないのは、現在の日本では(従来からそうであるが)多少なりとも中国の政治について好意的な評価をすると、途端に「中国寄り」と見られて「人権抑圧政府に加担する」と思われるからである。私は、現在の中国政府のウイグル、チベットに関する人権抑圧に関しては賛同しないが、大局的に見て共産党政権は中国をうまく統治していると私は評価している。
こういうと必ず反発が出るのは火を見るより明らかだが、混乱が常態であり、安定が非常事態であった中国4000年の長い歴史から見れば、現在の共産党政権下の中国は稀にみる安定した時代である。つまり、現在の中国の状態を世界と比べることがおかしいのだ。日本のような、事実上、単一民族、単一言語の小国と比べると、想像を絶するような過酷な過去を生き抜いてきた中国は、今なお過去の思いしがらみにがんじがらめになっていると、私は考える。
以前、イラクのフセイン大統領が政権を握っていた時、アメリカはクルド人虐待や大量の化学兵器の貯蔵を理由にフセイン政府を倒して、イラクを民主化させようとした。しかし、結局はイラクの人々はアメリカのこの政治介入によって得るところは全くなく、民情が一層混乱し、悲劇だけが増大した。イラクの例を持ち出すまでもなく、西欧型民主主義が良い政治体制であるというのは、あくまで人々の考え方や民度などがあるレベルにある国々に対してだけである。現在の中国は、海岸べりの都市部を除いては、全体的にはまだまだそのレベルに達していない。そういった状況では、フルセットの人権の付与よりも、生活の安寧が優先される。
私が現在の中国共産党政権を限定条件付きで評価しているのはまさにこの点である。
この意見に反対であるなら、次のような仮想実験を考えてみてほしい。現在の中国の政治を担当している政治家・官僚など上部の1万人を、日本の同等クラスの政治家・官僚と交換してみよう。中国の政治家・官僚が日本に来ても、かつての進駐軍のように、何ら深刻な問題は生じないであろう。それに反し中国に渡った日本の政治家・官僚たちは複雑な中国の実情を正しく理解できず、右往左往するうちに、各地で革命前夜のような暴動が頻発することであろう。日本や欧米のような、法治国家の政治家・官僚などは中国社会においては政治力に欠ける「でくの坊」に等しい。
確かに、現在の中国共産党は、国際的には南シナ海占有問題、発展途上国の資源確保、一帯一路にかこつけた実質的な植民地確保、など国際秩序を著しく損なう行動が多い。これは中国共産党の問題というより、中国の政治思想が元来自己中心的であり、メンツを重視するという、中国の伝統的思考を堅持しているという問題である。つまり、政治体制が習近平から替わろうと、あるいは共産党が倒れて別の組織が政権を握っても、本質的な部分は変化がないということだ。これは何も推測で言っているのではなく、史記や資治通鑑などの中国の歴史書を繙くと実例が累々と見つかる。結局、現在の中国共産党の体制下の彼等の言動の大部分は、現体制の問題というより、国家としての中国の問題であるということだ。
こういった観点に立つと、現体制(だけでなく、結党以降の中国共産党)は共産主義などは単なるスローガン・看板に過ぎず、本質は旧体制の皇帝を(たいては名目上の)頂点とした中国伝来の中華独裁政治であるということが分かる。かつては、常に腐敗政治で身動きがとれない状態に陥っていたことを考えると、曲がりなりにも(みかけだけは)安定な社会を保ち、(地球環境に多大な悪影響を及ぼしながらも)経済発展を続けている現在の共産党政権は評価すべきだと私は考える。
『後漢書』に「鉄中錚錚」という句が見える。樊崇に率いられた赤眉の乱は光武帝に鎮圧されたが、降参した樊崇を光武帝は、「卿所謂鉄中錚錚、傭中佼佼者也」(卿は所謂、鉄中錚錚、傭中の佼佼なる者なり)と評した。意味は、「お前は、クズ人間どもの中ではましな部類だなぁ」と半ば貶し、半ば褒めたのであった。これと同じ意味で、私は現在の中国の共産党政権は「バッドの中のベストチョイス」と評しているのである。
【参照ブログ】
百論簇出:(第264回目)『バッドの中のベストチョイス(続編)』