限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

想溢筆翔:(第421回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その264)』

2020-03-29 17:47:43 | 日記
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【363.著名 】P.4640、AD518年

『著名』とは「名が良く知られていること、有名なこと」という。そもそも「著」の原義は幾つもの意味があるがその内の一つに「顕明、明顕、顕露」という意味が挙げられている。また、「著」には「著作、著者」のように「撰述」(書物を書く)という意味がある。

「著名」と同じ意味の単語として「有名」「高名」がある。また反対の意味の言葉に「無名」がある。これら4つの単語を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索すると次の表のようになる。やはり「有名」の方が「著名」より遥かに多く使われていることがわかる。興味深いのは、「高名」が続資治通鑑には全く表われないことだ。続資治通鑑は宋から元にかけての歴史記述なので、この時代には、「高名」がほとんど使われなかったということが分かる。よく見ると、「有名」が新唐書に非常に多く使われている半面、「高名」が新唐書以降、ほとんど使われていないことから famous の意味が「有名」という単語に集約されたと推測される。



さて、資治通鑑で著名が使われている場面を見てみよう。北魏では幼い孝明帝の実母の胡太后が実権を握っていた。

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北魏の宦官の劉騰は、本は読めないがずる賢い策謀を企むことが得意な上に、人の気持ちを読み取るのが上手であった。以前から胡太后の味方になって助けたので、太后はその褒美に侍中兼右光禄大夫に昇格させた。それで政治にも容喙するようになった。賄賂を持ってくるものには、必ず官職を斡旋してやったので、誰もが喜んだ。河間王の元琛は元簡の息子で、定州の刺史となったが、強欲と放縦で著名となった。任期を終えて定州から都に戻るにあたって、太后が次のような詔を発した「元琛が定州に居た時、誰にも劣らない贅沢三昧をしたが、ただ後燕が建てたような中山宮のような立派な宮殿だけ立てなかっただけだ。それ以外の贅沢はきりがなかった。今後は一切任用しない方針だ!」とうとう元琛は家に閉じ込められてしまった。

魏宦者劉騰、手不解書、而多姦謀、善揣人意。胡太后以其保護之功、累遷至侍中、右光禄大夫、遂干預政事、納賂為人求官、無不効者。河間王琛、簡之子也、為定州刺史、以貪縦著名、及罷州還、太后詔曰:「琛在定州、唯不将中山宮来、自余無所不致、何可更復叙用!」遂廃于家。
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北魏の皇族の元琛は、父親の元簡の血を受け継いで、任地の定州では贅沢三昧の生活を送った。元琛の贅沢は著名であったと言われるので、任地の定州から都までその悪名は鳴り響いていたのであろう。

それで、胡太后は元琛の所業があまりにもひどいと考えて二度と知事(刺史)には任命しないように厳命した。しかるに、上の文に続けて記述されている所によると、元琛は宦官の劉騰に相当な額の賄賂を贈り、まんまと秦州の刺史のポジションを手にいれて、堂々と任地へ向かった。中国の歴史を読むときに注意しないといけないのは、詔のような正式な文章に書かれているからといって必ずしもその通りに実施されたとは限らないということだ。金や人脈しだいでそのような命令などは、どうにでもなるのがかつての、― そして、多分現在、および将来の ― 中国という国なのだ。

続く。。。
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沂風詠録:(第323回目)『良質の情報源を手にいれるには?(その28)』

2020-03-22 14:17:43 | 日記
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C-2.英語・語源辞書

C-2-3 Barnhart, "The Barnhart Dictionary of Egymology"

前回述べたように、UC Berkleyの図書館でこの英語の語源辞書を見つけた。私は内容がきっちり詰まっていて、分厚い辞書が好みだ。その面から言って、この辞書は字がしっかり詰まっているので気に入った。その割には、フォントやレイアウトが上手なため、前回紹介したKleinの辞書のように字がギシギシと詰まった窮屈な感じはしないので、読んでいて疲れない。デジタル化された電子辞書では(たいていは)自分でフォントサイズが変えられるので、気づかないかもしれないが、フォントサイズやレイアウトも良い辞書の条件の一つである。



Kleinと同じ項目(pasture、food)をBarnhartで見てみよう。一目で気付くのは、年代がかなり細かくと記載されていることだ。 以前紹介したOEDには、全ての引用文には(原則的に)年代が付いているが、このBarnhartもそれと同じ方針のようだ。語源が分かるだけでなく、使われた年代も分かると、歴史的な事件とからみ合わせて、その単語に近親感が湧いてくる。




Kleinとのもう一つの差はギリシャ文字が使われている(Klein)かいないか(Barnhart)だ。ギリシャ文字はわずか24文字しかないが、それでもギリシャ文字を読めない人(それも英語ネイティブで高学歴の人)が増えている。それで現在では、Webster、Encyclo Britannica、などの錚々たる辞書・事典でもギリシャ語をローマ字綴りにして表記している。しかし、これらの辞書・事典でも元はギリシャ表記であった( Websterの1828年版、 Britannica 1911年版、Century Dictionary など)。

ずっと以前、私も数文字のギリシャ文字を読み解くにも苦労したので、ローマ字表記の有難みは良く理解できる。しかし、ギリシャ語がある程度読めるようになると、逆に、ローマ字綴りを一度頭のなかでギリシャ語綴りに戻さないと意味が分からなくなった。感覚的には、ローマ字でかかれた日本語を一度、かな漢字交じり文に直すようなものだ。この意味で、私は元のギリシャ文字で書かれた方の辞書が好きだ。

さて、この辞書は(未確認ではあるが)現在、別の名前で売られているようだ。
"Chambers Dictionary of Etymology" (ISBN-13: 978-0550142306)

ページ数は若干(32ページ)増えているだけなので、内容は変わっていないと推測される。

Amazon.comの書評では、高い評価が付いていたが、中にはこの辞書より次の辞書(私は未見)の方が良いと指摘する人もいたことを付け加えておこう。

"Origins: A Short Etymological Dictionary of Modern English"(ISBN-13: 978-0517414255)
(Eric Partridge)

尚、英語の語源を調べるには紹介した3冊(Skeat, Klein, Barnhart)の他には、由緒あるWebsterやOEDと共に、Wyldの語源欄も非常に参考となる。語学としての英語は語源まで遡って初めて一人前になる、と私は最近強く感じる。

続く。。。
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想溢筆翔:(第420回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その263)』

2020-03-15 14:21:31 | 日記
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【362.雑貨 】P.4638、AD518年

『雑貨』とは説明するまでもなく、「いろいろな貨物や商品」のこと。辞海(1978年版)では素っ気なく「百貨也」と説明するが、そもそも「百貨」とは何であるかの説明がない。このように中国の辞書というのは大抵の場合、descriptive(これこれこうだと、説明するの) ではなく、 prescriptive (要は、こうだ、と断定的かつ簡明に述べるだけ)である。

「雑貨」と「百貨」を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索する次の表のようになる。「雑貨」は南史(梁の時代、6世紀前半)が初出なので、かなり新しい単語だと分かる。また二十四史全体に見てもわずか10回しか使われていない。一方、「百貨」は宋史や清史稿ではかなり使われている。つまり、「百貨」は近代人には「雑貨」より馴染みのある単語であることは分かった。それでは古代や中世では一体どういう言葉が使われていたのだろうか? これを調べようとすると、ある概念に対する単語の系統図(家系図)が必要となるが、そういう資料は存在しているのだろうか? 



資治通鑑で「雑貨」が使われている場面をみてみよう(ちなみにこの場面は、南史と同じ内容である)。

南朝・梁の初代皇帝である蕭衍は弟思いで、至って仲むつまじかった。弟の臨川王の蕭宏は兄にかわいがられていることを笠に着て、不法を犯すことも多く、その上贅沢ぶりも半端ではなかった。

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蕭宏の贅沢は度が過ぎていて、財貨を飽く事ことなく溜めこんだ。長さ200メートルにも及ぶ倉庫は母屋の裏にあったが、長さ200メートルにも垂ん(なんなん)とした。厳重な戸締りがしてあったので、これはひょっとして武器が隠されているのではないかと疑う者がいて、朝廷に密告した。皇帝(蕭衍)は兄弟に対する愛情が深かったので、蕭宏に裏切られたと思い、非常に立腹した。(倉庫の中を確かめようとして、)ある日蕭宏の愛妾の江氏に豪華な食事を送って「これからそちらに行くから、盛大に宴会をしよう」と連絡した。(宴会の意図がばれないように)旧友で射声校尉の丘佗卿を一人だけつれて蕭宏の家に出向き、大いに飲んで、酔っぱらってから「今から、お前の後庭を散歩しにいくぞ!」と声をかけた。そしてすぐさま輿(かご)を呼んで倉庫のある後庭に行った。

蕭宏は兄皇帝に財貨のつまった倉庫がばれるのではないかと恐れて顔面真っ青になった。それを見た皇帝はますます疑を深めた。それで、倉庫を一つづつ開けさせて中を見たが、全ての倉庫に百万銭(現在価値にして0.5億円か?)毎に束にして黄色の標識を付けてあった。そして、千万銭ごとに倉庫には紫の標識が付けてあった。そうした紫の倉庫が30棟あった。皇帝が丘佗卿と指折り数えるに、銭だけで3億銭(150億円?)蓄財されていた。その他、絹布、綿糸、漆、蜜蝋などの金目の雑貨が倉庫にぎっしりと詰まっていて、とても勘定できなかった。皇帝は、ここで始めて武器などは一切蓄えられていないことを知って「おい、六よ、お前の家の財産は見事なもんだな!」と大いに喜んだ。そして、また飲み直して、大飲して、夜になって松明を点して宮廷に帰還した。兄弟の仲がさらに親密になったという。

宏奢僭過度、殖貨無厭。庫屋垂百間、在内堂之後、関籥甚厳、有疑是鎧仗者、密以聞。上於友愛甚厚、殊不悦。他日、送盛饌与宏愛妾江氏曰:「当来就汝懽宴。」独攜故人射声校尉丘佗卿往、与宏及江大飲、半酔後、謂曰:「我今欲履行汝後房。」即呼輿径往堂後。

宏恐上見其貨賄、顔色怖懼。上意益疑之、於是屋屋検視、毎銭百万為一聚、黄榜標之、千万為一庫、懸一紫標、如此三十余間。上与佗卿屈指計、見銭三億余万、余屋貯布絹糸綿漆蜜紵蝋等雑貨、但見満庫、不知多少。上始知非仗、大悦、謂曰:「阿六、汝生計大可!」乃更劇飲至夜、挙燭而還。兄弟方更敦睦。
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帝室の一族、それも皇帝の弟である蕭宏は唸るほどの財宝を溜めに溜めこんだ。その倉庫が長さ200メートル(100間)にも及ぶというのだから、まるで横浜の赤レンガの規模がある。

その中には銅銭がぎっしりと3億枚も収められてあったという。一銭というのは、年代によって価値が変動するが、ざっくり言って、現在価値にして大体50円程度であると考えられる。そうすると、蕭宏の倉庫には銭だけで150億円分が収められていたことになる。それだけでなく、絹布や蜜蝋などの金目の雑貨がぎっしりと詰まっていたということだ。

このような財産は正当な手段ではとうてい築くことはできない。この節の後に、蕭宏が庶民から田宅をあくどく奪う手法が書かれている。皇帝にとっては、弟の反乱の企てだけが気がかりで、庶民の苦しみなどまったく気にかからなかった。資治通鑑に登場する皇帝は多かれ少なかれ、そのようなもので、仁愛に富む政治を行おうとした皇帝などほんの一握りしかいない。

【参照ブログ】 貨幣の換算法にについて
百論簇出:(第150回目)『還暦おじさんの処女出版(その4)』

続く。。。
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沂風詠録:(第322回目)『良質の情報源を手にいれるには?(その27)』

2020-03-08 17:16:21 | 日記
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C-2.英語・語源辞書

C-2-2 Ernest Klein, "Klein's Comprehensive Etymological Dictionary of the English Language"

以前(2011年)アメリカ・シリコンバレーに出張した時、カルフォルニア大学・バークレー校舎の図書館をじっくりと見学することができた。それまで既にバークレーは数回訪問している。というのは CMU時代の中国人の友人がバークレーの博士課程の学生であったので、アメリカ出張の途中でたびたび立ち寄っていたからだ。バークレーのキャンパスは隅から隅まで歩いたものの、それまで図書館に入って見ようとはついぞ思わなかった。ところが、その時は ― 今、思い出せないが ― ある探し物をしていて図書館に入った。幅広い階段を登って2階(あるいは3階)に、広大な閲覧室があった(ざっと見、80m x 40m)。誰でも入れるらしく、見張りがいない。



入ってみると、閲覧用の机とイスがずらりと並んでいた。四方の壁は床から高さ2メートルまで辞書や百科事典など大型の reference books がぎっしりと詰まっていた。時間に余裕があったので、それらの図書の全てをじっくり見て回った。英語だけでなくドイツ語やフランス語はもちろんのこと、他の言語の辞書や百科事典もあった。とりわけ感心したのはオランダ語の百科事典だ。オランダ語はほぼ、オランダとベルギーの北部でしか使われていない言語で、話者人口は 2000万人程度しかない。それにも拘わらず、非常に立派な百科事典が置かれていた。冊数から判断する限りでは、スペインやイタリアのような「大国」と拮抗している。

残念なのは日本だ。日本の百科事典としては、講談社が英語で出版した Kodansha Encyclopedia of Japan があり、私も所有している。日本国内ではそれなりの評価がある(と想像される)ものの、この大きな図書館の中で、他の言語が分厚い数十巻もある百科事典を備えていることにに比較すると、わずか10巻程度でそれもかなり薄いので、非常に貧弱に見えた。(記憶が定かではないが、日本語の百科事典も置いてあったように思う)



さて、この図書館の一角に英語関連の辞書が固めて置いてあった。私は語源に興味を持っているので、語源辞書を総なめにチェックした。当然のことながら前回紹介した Skeatはあったが、それ以外に非常に立派な語源辞書を2冊見つけた。その一冊が今回紹介する Klein のもので、もう一冊は次回紹介する Barnhartのものである。

今回紹介する語源辞書の編者、Klein はルーマニア生まれのユダヤ人で、幼いころからすでに言語の才は秀で40ヶ国語をこなしたと言われる。ユダヤ人であったため、第二次世界大戦中はアウシュビッツやダッハウの強制収容所に収容されたが、戦後、フランスを経由してカナダに渡った。

このような背景をもつ Klein が編纂したこの辞書はヘブライ語のようなセム系の言語や、インドヨーロッパ語族の一つで、今は死語となったトカラ語にも言及した学術的価値の高い辞書の一つである。

帰国後、注文して手に入れたものの、英語の語源に関しては Skeat を主に参照していて、この辞書はあまり頻繁には使わない。というのは、フォントが小さいので老眼の目には少々つらいからである。(もっともハズキルーペを買えば済む話かもしれないが。)

この辞書の良い点は、Klein が英語の単語に対して意図的に多くの言語との関連を説明しようとした点にある。例えば、pasture(牧草地)をチェックしてみよう。(下記参照)



そうすると、関連単語に pator(牧師、羊飼い)があるとわかる。それで pastor を見ると、これはラテン語の pascere(草をはむ) に由来すると分かる。最後に関連語として food が示される。



それで food を見ると、インド=ヨーロッパ語の pat が語根であり、ラテン語系では panis(パン)、pastor(牧師)と関連することが分かる。一方、英語では feed, fodder, forage, company,などと関連することも分かる。

このように、最終的にはインド=ヨーロッパ語にまで遡って、英単語同士の互いの単語の関連が非常にクリアーに見えてくる。さらに、ドイツ語、フランス語などヨーロッパの他の言語との単語の関連も見えてくる。「多言語教」の守り神(Schutzgott)的辞書だ。

このKlein の辞書について Amazon.com や Amazon.co.uk でレビューを見ると、内容に関しては非常に高い評価が与えられている。その一つを挙げると:

Although during the last sixty years philology has attained a high degree of development, looking at the literature available,Etymology appears only to have reached the level of philology at the turn of the century. This dictionary is the first major work of its kind in the 20th century, and as such, embodies the findings of modern philological scholarship.… Several hundred words previously defined as being "of unknown etymology"are fully analyzed.
【大略】最近の60年間(1900年から1960年代にかけて)に文献学( philology)は大幅に進歩した。語源学が文献学のレベルに到達したのはようやく20世紀の初頭であった。この語源辞書はそのような文献学レベルに達した語源学の最初の成果である。…この語源辞書には、それまで「語源未詳」と書かれていた多くの単語の語源が明確に説明されている。

ただ、レビュアーの中には本のバインディングに関しては非常に怒っている人もいる。しかし、私の手元にある2008年印刷の本(ISBN: 978-0444409300)のバインディングは実にしっかりとしている。私の本は Emerald 社製で、それも Great Britain で印刷と製本がなされているからであろうか。

ところで、この本はまだ著作権が切れていないはずなのだが、すでにインターネットで本文を読むことができる。例えば、archive.org にある。ここには辞書だけでなく、数多くの古書がPDFでアップロードされている。Kleinのこの辞書は、よほど読みたい人が多くいる、優秀な辞書であることが分かる。

【Klein の語源辞書の PDF ダウンロードサイト】
【その1】https://archive.org/details/EtymologicalDictionary/page/n137/mode/2up
【その2】https://archive.org/details/AComprehensiveEtymologicalDictionaryOfTheEnglishLanguageByErnestKlein/page/n13/mode/2up

【外部参照サイト】
#600. 英語語源辞書の書誌
#485. 語源を知るためのオンライン辞書

続く。。。
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想溢筆翔:(第419回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その262)』

2020-03-01 14:57:17 | 日記
前回

【361.鼓舞 】P.4636、AD518年

『鼓舞』とは、そのまま読めば「つつみ、まう」なので「鼓をうって舞う」という意味になるが、通常は「人の気をひきたてて、はげますこと」という意味で使われている。

中国の辞書、辞海(1978年版)には「鼓舞」を「感動奮発之意」と説明し、辞源(1987年版)では素っ気なく「激励」と説明する。このように中国の辞書というのは、西洋語のように語を解釈するというより、単に synonym(同義語)を挙げるだけの場合もかなり多い。それ故、連句・連語の本当の意味をつかむためには辞書の解釈を見るより、例文を見る方がニュアンスがつかめることが多い。英語でも語彙群 ― シソーラス(thesaurus)、コーパス(corpus) ― から単語の意味をつかむことができるのと同じ手法だ。

「鼓舞」を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索する次の表のようになる。史記から始まり清までずっと使われている語句であることが分かる。



さて、資治通鑑で「鼓舞」が使われている場面を見てみよう。北魏の霊太后が亡父・胡国珍と亡母・皇甫氏のために壮麗な寺院を造ったので国庫が乏しくなった。それで増税しようとしたが、張普恵が反対した。

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霊太后が亡父と亡母(太上君)の為に寺を造ったが、その壮麗は永寧寺に劣らなかった。

尚書(宮廷秘書官)が民から更に綿麻の税を徴収しようと提案したが、張普恵がその案に反対して次のように上疏した。「高祖(孝文皇帝・拓跋宏)は膨らんだ度量衡を改め、本来の尺度に戻し、民の税金を軽くした。軍隊には綿麻を用いるのが良いと知ったので絹を納税する時に綿を八両、納税させ、布を納税する時に麻を十五斤、納税させた。庶民は度量衡の改定で減税になったのが綿麻だけでなく、その他の品々にも及んだので、皆こぞって(鼓舞)納税した。しかるに、これ以降、絹布の税が次第に重くなったので、民の怨む声が天下に溢れた。

太后為太上君造寺、壮麗埒於永寧。

尚書奏復徴民綿麻之税、張普恵上疏、以為:「高祖廃大斗、去長尺、改重称、以愛民薄賦。知軍国須綿麻之用、故於絹増税綿八両、於布増税麻十五斤、民以称尺所減、不啻綿麻、故鼓舞供調。自茲以降、所税絹布、浸復長闊、百姓嗟怨、聞於朝野。…」
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税金というのは、通常、穀物や絹布で納めた。納税数量は同じでも計る桝の大きさや、ものさしの長さを変えれば自由に増税することができることになる。

元来、度量衡のうち、長さは黍(キビ)の一粒の長さを一単位として決められていたようだ。『漢書』の《律暦志》に、前漢の度量衡の規定があり、長さと容量の尺度が書かれている。それに従って、桝も物差しも厳密に決められたはずだが、時代時代の為政者が恣意的に変更したので、次第に納めるべき穀物や絹布が増量された。あまりの重税を可哀想に思った孝文皇帝が495年に度量衡を元に戻したが、それから20年も経たない内にまたもや勝手に度量衡が変更されて、庶民は重税に苦しんだ。

このように、中国の歴史では見かけ上は納税額は変わらなくとも、尺度を増やすことで、実質的に税を重くする方策があった。このような姑息な手段は何も税だけに限らない。要は、中国の歴史書を読むときには文面だけで判断するのではなく、庶民の暮らしぶりの実態を知らないといけないということだ。

続く。。。
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