限りなき知の探訪

40年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・122】『magis offendit nimium quam parum』

2020-04-05 21:59:57 | 日記
人間の叡智は古今東西問わず、共通のものが多くある。よく知られているように、イエスの言葉に
Et prout vultis ut faciant vobis homines, et vos facite illis similiter.
『人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい』

という言葉がある(新約聖書、ルカ6-31、マタイ7-12 )。言い方は少し異なるが、論語の中にも類似の言葉がある(顔淵編、衛霊公編)
『己の欲ぜざるところを人に施すなかれ』(己所不欲,勿施於人)

これ以外にも、意外と新約聖書の中には中国や日本の古典に出てくるような文句に近いものが多い。いくつか、思いつくものを挙げると:
1.歎異抄:『善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや』
〇マタイ伝・21‐31:「徴税人や娼婦たちの方があなたたちより先に神の国に入るだろう」

2.中庸:『隠れたるより見(あらわれ)たるなし』(莫見乎隠)
〇マルコ伝・4-22:「隠れているもので、あらわにならないものはない」

3.春秋左氏伝:『瑕(きず)なき者、もって人を戮すべし』(無瑕者可以戮人)
〇ヨハネ伝・8-7:「あなたたちの中で罪を犯したことのない者がまず、この女に石を投げなさい」

もっとも、これらから、単純に「イエスの教えも中国や日本古来の教えと同じだ」と結論づけるわけにはいかない。


「キケロ・全集」 Oeuvres Completes de M. T. Cicéron en 30 Tomes -1821-1825-

さて、今回取り上げる言葉は、ローマきっての雄弁家、キケロのその名もずばり『弁論家』(Orator)と本に見える。キケロには雄弁術の本が3冊あり、もっとも有名な本が『弁論家について』(De Oratore)である。話題が豊富な上に、語り口も、非常になだらかで周りの風景を楽しみながら山道を登っていうような味わい深い内容で、私の愛読書の一つでもある。しかし、今回取り上げる『弁論家』も同じテーマを取り扱いながらもさらに話題の間口が広がっている。

その中の一節に、論語の文句とぴったり一致する句が見える。
【原文】(tamen) magis offendit nimium quam parum [73]
【漢文】過ぎたるは猶及ばざるが如し(過猶不及)
【英訳】(yet in general) too much is more offensive than too little.
【独訳】(doch) richtet ein Zuviel mehr Schaden an als ein Zuwenig.
【仏訳】(mais) le trop choque toujours plus que le trop peu.

上の訳文で、英語、フランス語、ドイツ語をそれぞれ比べてみると、英語やドイツ語の訳は漢文を直訳したのではないかと錯覚するほどに似通っている。フランス語では3語(冠詞+形容詞+名詞)で表現されている単語(多いこと、少ないこと)が英語やドイツ語ではそれぞれ2語(冠詞+名詞)で表現されているからではないだろうか。もっとも、ラテン語の原文ではさらに1語というこれ以上ない簡潔な表現が用いられている。

いづれにせよ、賢人の考えるところに古今東西、人間としての生き方の本質を衝いた点が多いということが言えるだろう。
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想溢筆翔:(第421回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その264)』

2020-03-29 17:47:43 | 日記
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【363.著名 】P.4640、AD518年

『著名』とは「名が良く知られていること、有名なこと」という。そもそも「著」の原義は幾つもの意味があるがその内の一つに「顕明、明顕、顕露」という意味が挙げられている。また、「著」には「著作、著者」のように「撰述」(書物を書く)という意味がある。

「著名」と同じ意味の単語として「有名」「高名」がある。また反対の意味の言葉に「無名」がある。これら4つの単語を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索すると次の表のようになる。やはり「有名」の方が「著名」より遥かに多く使われていることがわかる。興味深いのは、「高名」が続資治通鑑には全く表われないことだ。続資治通鑑は宋から元にかけての歴史記述なので、この時代には、「高名」がほとんど使われなかったということが分かる。よく見ると、「有名」が新唐書に非常に多く使われている半面、「高名」が新唐書以降、ほとんど使われていないことから famous の意味が「有名」という単語に集約されたと推測される。



さて、資治通鑑で著名が使われている場面を見てみよう。北魏では幼い孝明帝の実母の胡太后が実権を握っていた。

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北魏の宦官の劉騰は、本は読めないがずる賢い策謀を企むことが得意な上に、人の気持ちを読み取るのが上手であった。以前から胡太后の味方になって助けたので、太后はその褒美に侍中兼右光禄大夫に昇格させた。それで政治にも容喙するようになった。賄賂を持ってくるものには、必ず官職を斡旋してやったので、誰もが喜んだ。河間王の元琛は元簡の息子で、定州の刺史となったが、強欲と放縦で著名となった。任期を終えて定州から都に戻るにあたって、太后が次のような詔を発した「元琛が定州に居た時、誰にも劣らない贅沢三昧をしたが、ただ後燕が建てたような中山宮のような立派な宮殿だけ立てなかっただけだ。それ以外の贅沢はきりがなかった。今後は一切任用しない方針だ!」とうとう元琛は家に閉じ込められてしまった。

魏宦者劉騰、手不解書、而多姦謀、善揣人意。胡太后以其保護之功、累遷至侍中、右光禄大夫、遂干預政事、納賂為人求官、無不効者。河間王琛、簡之子也、為定州刺史、以貪縦著名、及罷州還、太后詔曰:「琛在定州、唯不将中山宮来、自余無所不致、何可更復叙用!」遂廃于家。
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北魏の皇族の元琛は、父親の元簡の血を受け継いで、任地の定州では贅沢三昧の生活を送った。元琛の贅沢は著名であったと言われるので、任地の定州から都までその悪名は鳴り響いていたのであろう。

それで、胡太后は元琛の所業があまりにもひどいと考えて二度と知事(刺史)には任命しないように厳命した。しかるに、上の文に続けて記述されている所によると、元琛は宦官の劉騰に相当な額の賄賂を贈り、まんまと秦州の刺史のポジションを手にいれて、堂々と任地へ向かった。中国の歴史を読むときに注意しないといけないのは、詔のような正式な文章に書かれているからといって必ずしもその通りに実施されたとは限らないということだ。金や人脈しだいでそのような命令などは、どうにでもなるのがかつての、― そして、多分現在、および将来の ― 中国という国なのだ。

続く。。。
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沂風詠録:(第323回目)『良質の情報源を手にいれるには?(その28)』

2020-03-22 14:17:43 | 日記
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C-2.英語・語源辞書

C-2-3 Barnhart, "The Barnhart Dictionary of Egymology"

前回述べたように、UC Berkleyの図書館でこの英語の語源辞書を見つけた。私は内容がきっちり詰まっていて、分厚い辞書が好みだ。その面から言って、この辞書は字がしっかり詰まっているので気に入った。その割には、フォントやレイアウトが上手なため、前回紹介したKleinの辞書のように字がギシギシと詰まった窮屈な感じはしないので、読んでいて疲れない。デジタル化された電子辞書では(たいていは)自分でフォントサイズが変えられるので、気づかないかもしれないが、フォントサイズやレイアウトも良い辞書の条件の一つである。



Kleinと同じ項目(pasture、food)をBarnhartで見てみよう。一目で気付くのは、年代がかなり細かくと記載されていることだ。 以前紹介したOEDには、全ての引用文には(原則的に)年代が付いているが、このBarnhartもそれと同じ方針のようだ。語源が分かるだけでなく、使われた年代も分かると、歴史的な事件とからみ合わせて、その単語に近親感が湧いてくる。




Kleinとのもう一つの差はギリシャ文字が使われている(Klein)かいないか(Barnhart)だ。ギリシャ文字はわずか24文字しかないが、それでもギリシャ文字を読めない人(それも英語ネイティブで高学歴の人)が増えている。それで現在では、Webster、Encyclo Britannica、などの錚々たる辞書・事典でもギリシャ語をローマ字綴りにして表記している。しかし、これらの辞書・事典でも元はギリシャ表記であった( Websterの1828年版、 Britannica 1911年版、Century Dictionary など)。

ずっと以前、私も数文字のギリシャ文字を読み解くにも苦労したので、ローマ字表記の有難みは良く理解できる。しかし、ギリシャ語がある程度読めるようになると、逆に、ローマ字綴りを一度頭のなかでギリシャ語綴りに戻さないと意味が分からなくなった。感覚的には、ローマ字でかかれた日本語を一度、かな漢字交じり文に直すようなものだ。この意味で、私は元のギリシャ文字で書かれた方の辞書が好きだ。

さて、この辞書は(未確認ではあるが)現在、別の名前で売られているようだ。
"Chambers Dictionary of Etymology" (ISBN-13: 978-0550142306)

ページ数は若干(32ページ)増えているだけなので、内容は変わっていないと推測される。

Amazon.comの書評では、高い評価が付いていたが、中にはこの辞書より次の辞書(私は未見)の方が良いと指摘する人もいたことを付け加えておこう。

"Origins: A Short Etymological Dictionary of Modern English"(ISBN-13: 978-0517414255)
(Eric Partridge)

尚、英語の語源を調べるには紹介した3冊(Skeat, Klein, Barnhart)の他には、由緒あるWebsterやOEDと共に、Wyldの語源欄も非常に参考となる。語学としての英語は語源まで遡って初めて一人前になる、と私は最近強く感じる。

続く。。。
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想溢筆翔:(第420回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その263)』

2020-03-15 14:21:31 | 日記
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【362.雑貨 】P.4638、AD518年

『雑貨』とは説明するまでもなく、「いろいろな貨物や商品」のこと。辞海(1978年版)では素っ気なく「百貨也」と説明するが、そもそも「百貨」とは何であるかの説明がない。このように中国の辞書というのは大抵の場合、descriptive(これこれこうだと、説明するの) ではなく、 prescriptive (要は、こうだ、と断定的かつ簡明に述べるだけ)である。

「雑貨」と「百貨」を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索する次の表のようになる。「雑貨」は南史(梁の時代、6世紀前半)が初出なので、かなり新しい単語だと分かる。また二十四史全体に見てもわずか10回しか使われていない。一方、「百貨」は宋史や清史稿ではかなり使われている。つまり、「百貨」は近代人には「雑貨」より馴染みのある単語であることは分かった。それでは古代や中世では一体どういう言葉が使われていたのだろうか? これを調べようとすると、ある概念に対する単語の系統図(家系図)が必要となるが、そういう資料は存在しているのだろうか? 



資治通鑑で「雑貨」が使われている場面をみてみよう(ちなみにこの場面は、南史と同じ内容である)。

南朝・梁の初代皇帝である蕭衍は弟思いで、至って仲むつまじかった。弟の臨川王の蕭宏は兄にかわいがられていることを笠に着て、不法を犯すことも多く、その上贅沢ぶりも半端ではなかった。

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蕭宏の贅沢は度が過ぎていて、財貨を飽く事ことなく溜めこんだ。長さ200メートルにも及ぶ倉庫は母屋の裏にあったが、長さ200メートルにも垂ん(なんなん)とした。厳重な戸締りがしてあったので、これはひょっとして武器が隠されているのではないかと疑う者がいて、朝廷に密告した。皇帝(蕭衍)は兄弟に対する愛情が深かったので、蕭宏に裏切られたと思い、非常に立腹した。(倉庫の中を確かめようとして、)ある日蕭宏の愛妾の江氏に豪華な食事を送って「これからそちらに行くから、盛大に宴会をしよう」と連絡した。(宴会の意図がばれないように)旧友で射声校尉の丘佗卿を一人だけつれて蕭宏の家に出向き、大いに飲んで、酔っぱらってから「今から、お前の後庭を散歩しにいくぞ!」と声をかけた。そしてすぐさま輿(かご)を呼んで倉庫のある後庭に行った。

蕭宏は兄皇帝に財貨のつまった倉庫がばれるのではないかと恐れて顔面真っ青になった。それを見た皇帝はますます疑を深めた。それで、倉庫を一つづつ開けさせて中を見たが、全ての倉庫に百万銭(現在価値にして0.5億円か?)毎に束にして黄色の標識を付けてあった。そして、千万銭ごとに倉庫には紫の標識が付けてあった。そうした紫の倉庫が30棟あった。皇帝が丘佗卿と指折り数えるに、銭だけで3億銭(150億円?)蓄財されていた。その他、絹布、綿糸、漆、蜜蝋などの金目の雑貨が倉庫にぎっしりと詰まっていて、とても勘定できなかった。皇帝は、ここで始めて武器などは一切蓄えられていないことを知って「おい、六よ、お前の家の財産は見事なもんだな!」と大いに喜んだ。そして、また飲み直して、大飲して、夜になって松明を点して宮廷に帰還した。兄弟の仲がさらに親密になったという。

宏奢僭過度、殖貨無厭。庫屋垂百間、在内堂之後、関籥甚厳、有疑是鎧仗者、密以聞。上於友愛甚厚、殊不悦。他日、送盛饌与宏愛妾江氏曰:「当来就汝懽宴。」独攜故人射声校尉丘佗卿往、与宏及江大飲、半酔後、謂曰:「我今欲履行汝後房。」即呼輿径往堂後。

宏恐上見其貨賄、顔色怖懼。上意益疑之、於是屋屋検視、毎銭百万為一聚、黄榜標之、千万為一庫、懸一紫標、如此三十余間。上与佗卿屈指計、見銭三億余万、余屋貯布絹糸綿漆蜜紵蝋等雑貨、但見満庫、不知多少。上始知非仗、大悦、謂曰:「阿六、汝生計大可!」乃更劇飲至夜、挙燭而還。兄弟方更敦睦。
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帝室の一族、それも皇帝の弟である蕭宏は唸るほどの財宝を溜めに溜めこんだ。その倉庫が長さ200メートル(100間)にも及ぶというのだから、まるで横浜の赤レンガの規模がある。

その中には銅銭がぎっしりと3億枚も収められてあったという。一銭というのは、年代によって価値が変動するが、ざっくり言って、現在価値にして大体50円程度であると考えられる。そうすると、蕭宏の倉庫には銭だけで150億円分が収められていたことになる。それだけでなく、絹布や蜜蝋などの金目の雑貨がぎっしりと詰まっていたということだ。

このような財産は正当な手段ではとうてい築くことはできない。この節の後に、蕭宏が庶民から田宅をあくどく奪う手法が書かれている。皇帝にとっては、弟の反乱の企てだけが気がかりで、庶民の苦しみなどまったく気にかからなかった。資治通鑑に登場する皇帝は多かれ少なかれ、そのようなもので、仁愛に富む政治を行おうとした皇帝などほんの一握りしかいない。

【参照ブログ】 貨幣の換算法にについて
百論簇出:(第150回目)『還暦おじさんの処女出版(その4)』

続く。。。
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沂風詠録:(第322回目)『良質の情報源を手にいれるには?(その27)』

2020-03-08 17:16:21 | 日記
前回

C-2.英語・語源辞書

C-2-2 Ernest Klein, "Klein's Comprehensive Etymological Dictionary of the English Language"

以前(2011年)アメリカ・シリコンバレーに出張した時、カルフォルニア大学・バークレー校舎の図書館をじっくりと見学することができた。それまで既にバークレーは数回訪問している。というのは CMU時代の中国人の友人がバークレーの博士課程の学生であったので、アメリカ出張の途中でたびたび立ち寄っていたからだ。バークレーのキャンパスは隅から隅まで歩いたものの、それまで図書館に入って見ようとはついぞ思わなかった。ところが、その時は ― 今、思い出せないが ― ある探し物をしていて図書館に入った。幅広い階段を登って2階(あるいは3階)に、広大な閲覧室があった(ざっと見、80m x 40m)。誰でも入れるらしく、見張りがいない。



入ってみると、閲覧用の机とイスがずらりと並んでいた。四方の壁は床から高さ2メートルまで辞書や百科事典など大型の reference books がぎっしりと詰まっていた。時間に余裕があったので、それらの図書の全てをじっくり見て回った。英語だけでなくドイツ語やフランス語はもちろんのこと、他の言語の辞書や百科事典もあった。とりわけ感心したのはオランダ語の百科事典だ。オランダ語はほぼ、オランダとベルギーの北部でしか使われていない言語で、話者人口は 2000万人程度しかない。それにも拘わらず、非常に立派な百科事典が置かれていた。冊数から判断する限りでは、スペインやイタリアのような「大国」と拮抗している。

残念なのは日本だ。日本の百科事典としては、講談社が英語で出版した Kodansha Encyclopedia of Japan があり、私も所有している。日本国内ではそれなりの評価がある(と想像される)ものの、この大きな図書館の中で、他の言語が分厚い数十巻もある百科事典を備えていることにに比較すると、わずか10巻程度でそれもかなり薄いので、非常に貧弱に見えた。(記憶が定かではないが、日本語の百科事典も置いてあったように思う)



さて、この図書館の一角に英語関連の辞書が固めて置いてあった。私は語源に興味を持っているので、語源辞書を総なめにチェックした。当然のことながら前回紹介した Skeatはあったが、それ以外に非常に立派な語源辞書を2冊見つけた。その一冊が今回紹介する Klein のもので、もう一冊は次回紹介する Barnhartのものである。

今回紹介する語源辞書の編者、Klein はルーマニア生まれのユダヤ人で、幼いころからすでに言語の才は秀で40ヶ国語をこなしたと言われる。ユダヤ人であったため、第二次世界大戦中はアウシュビッツやダッハウの強制収容所に収容されたが、戦後、フランスを経由してカナダに渡った。

このような背景をもつ Klein が編纂したこの辞書はヘブライ語のようなセム系の言語や、インドヨーロッパ語族の一つで、今は死語となったトカラ語にも言及した学術的価値の高い辞書の一つである。

帰国後、注文して手に入れたものの、英語の語源に関しては Skeat を主に参照していて、この辞書はあまり頻繁には使わない。というのは、フォントが小さいので老眼の目には少々つらいからである。(もっともハズキルーペを買えば済む話かもしれないが。)

この辞書の良い点は、Klein が英語の単語に対して意図的に多くの言語との関連を説明しようとした点にある。例えば、pasture(牧草地)をチェックしてみよう。(下記参照)



そうすると、関連単語に pator(牧師、羊飼い)があるとわかる。それで pastor を見ると、これはラテン語の pascere(草をはむ) に由来すると分かる。最後に関連語として food が示される。



それで food を見ると、インド=ヨーロッパ語の pat が語根であり、ラテン語系では panis(パン)、pastor(牧師)と関連することが分かる。一方、英語では feed, fodder, forage, company,などと関連することも分かる。

このように、最終的にはインド=ヨーロッパ語にまで遡って、英単語同士の互いの単語の関連が非常にクリアーに見えてくる。さらに、ドイツ語、フランス語などヨーロッパの他の言語との単語の関連も見えてくる。「多言語教」の守り神(Schutzgott)的辞書だ。

このKlein の辞書について Amazon.com や Amazon.co.uk でレビューを見ると、内容に関しては非常に高い評価が与えられている。その一つを挙げると:

Although during the last sixty years philology has attained a high degree of development, looking at the literature available,Etymology appears only to have reached the level of philology at the turn of the century. This dictionary is the first major work of its kind in the 20th century, and as such, embodies the findings of modern philological scholarship.… Several hundred words previously defined as being "of unknown etymology"are fully analyzed.
【大略】最近の60年間(1900年から1960年代にかけて)に文献学( philology)は大幅に進歩した。語源学が文献学のレベルに到達したのはようやく20世紀の初頭であった。この語源辞書はそのような文献学レベルに達した語源学の最初の成果である。…この語源辞書には、それまで「語源未詳」と書かれていた多くの単語の語源が明確に説明されている。

ただ、レビュアーの中には本のバインディングに関しては非常に怒っている人もいる。しかし、私の手元にある2008年印刷の本(ISBN: 978-0444409300)のバインディングは実にしっかりとしている。私の本は Emerald 社製で、それも Great Britain で印刷と製本がなされているからであろうか。

ところで、この本はまだ著作権が切れていないはずなのだが、すでにインターネットで本文を読むことができる。例えば、archive.org にある。ここには辞書だけでなく、数多くの古書がPDFでアップロードされている。Kleinのこの辞書は、よほど読みたい人が多くいる、優秀な辞書であることが分かる。

【Klein の語源辞書の PDF ダウンロードサイト】
【その1】https://archive.org/details/EtymologicalDictionary/page/n137/mode/2up
【その2】https://archive.org/details/AComprehensiveEtymologicalDictionaryOfTheEnglishLanguageByErnestKlein/page/n13/mode/2up

【外部参照サイト】
#600. 英語語源辞書の書誌
#485. 語源を知るためのオンライン辞書

続く。。。
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想溢筆翔:(第419回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その262)』

2020-03-01 14:57:17 | 日記
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【361.鼓舞 】P.4636、AD518年

『鼓舞』とは、そのまま読めば「つつみ、まう」なので「鼓をうって舞う」という意味になるが、通常は「人の気をひきたてて、はげますこと」という意味で使われている。

中国の辞書、辞海(1978年版)には「鼓舞」を「感動奮発之意」と説明し、辞源(1987年版)では素っ気なく「激励」と説明する。このように中国の辞書というのは、西洋語のように語を解釈するというより、単に synonym(同義語)を挙げるだけの場合もかなり多い。それ故、連句・連語の本当の意味をつかむためには辞書の解釈を見るより、例文を見る方がニュアンスがつかめることが多い。英語でも語彙群 ― シソーラス(thesaurus)、コーパス(corpus) ― から単語の意味をつかむことができるのと同じ手法だ。

「鼓舞」を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索する次の表のようになる。史記から始まり清までずっと使われている語句であることが分かる。



さて、資治通鑑で「鼓舞」が使われている場面を見てみよう。北魏の霊太后が亡父・胡国珍と亡母・皇甫氏のために壮麗な寺院を造ったので国庫が乏しくなった。それで増税しようとしたが、張普恵が反対した。

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霊太后が亡父と亡母(太上君)の為に寺を造ったが、その壮麗は永寧寺に劣らなかった。

尚書(宮廷秘書官)が民から更に綿麻の税を徴収しようと提案したが、張普恵がその案に反対して次のように上疏した。「高祖(孝文皇帝・拓跋宏)は膨らんだ度量衡を改め、本来の尺度に戻し、民の税金を軽くした。軍隊には綿麻を用いるのが良いと知ったので絹を納税する時に綿を八両、納税させ、布を納税する時に麻を十五斤、納税させた。庶民は度量衡の改定で減税になったのが綿麻だけでなく、その他の品々にも及んだので、皆こぞって(鼓舞)納税した。しかるに、これ以降、絹布の税が次第に重くなったので、民の怨む声が天下に溢れた。

太后為太上君造寺、壮麗埒於永寧。

尚書奏復徴民綿麻之税、張普恵上疏、以為:「高祖廃大斗、去長尺、改重称、以愛民薄賦。知軍国須綿麻之用、故於絹増税綿八両、於布増税麻十五斤、民以称尺所減、不啻綿麻、故鼓舞供調。自茲以降、所税絹布、浸復長闊、百姓嗟怨、聞於朝野。…」
 +++++++++++++++++++++++++++

税金というのは、通常、穀物や絹布で納めた。納税数量は同じでも計る桝の大きさや、ものさしの長さを変えれば自由に増税することができることになる。

元来、度量衡のうち、長さは黍(キビ)の一粒の長さを一単位として決められていたようだ。『漢書』の《律暦志》に、前漢の度量衡の規定があり、長さと容量の尺度が書かれている。それに従って、桝も物差しも厳密に決められたはずだが、時代時代の為政者が恣意的に変更したので、次第に納めるべき穀物や絹布が増量された。あまりの重税を可哀想に思った孝文皇帝が495年に度量衡を元に戻したが、それから20年も経たない内にまたもや勝手に度量衡が変更されて、庶民は重税に苦しんだ。

このように、中国の歴史では見かけ上は納税額は変わらなくとも、尺度を増やすことで、実質的に税を重くする方策があった。このような姑息な手段は何も税だけに限らない。要は、中国の歴史書を読むときには文面だけで判断するのではなく、庶民の暮らしぶりの実態を知らないといけないということだ。

続く。。。
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沂風詠録:(第321回目)『良質の情報源を手にいれるには?(その26)』

2020-02-23 20:41:20 | 日記
前回

C-2.英語・語源辞書

C-2-1 Walter Skeat, "Etymological Dictionary of the English Language"

この辞書は、およそ100年前に作られたにも拘わらず、現在でもなお英語の語源辞書としては非常に高い評価を得ている。現在ではリプリントのもの(ISBN-13: 978-1293832769)と元の活字版のもの(ISBN-13: 978-0198631040)の両方が販売されている。気を付けないといけないのは、リプリントの中には印刷が非常に悪く、全く使い物にならない紙くずのようなものもある。そのような時の対策としてはインターネット上で Google BookのようにスキャンされたPDFをダウンロードし、プリントして綴じて使うようにしている。



さて、このSkeatの語源辞書を私は十数年前に古本で入手したが、その内容の濃さにビックリした。英語はもちろんのこと、ギリシャ語、ラテン語のような古典語はいうまでもなく、他のヨーロッパ言語、(ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、など)にも幅広く言及している。とりわけうれしいのは、現在の語源辞書ではギリシャ語はたいていローマ字で書かれているギリシャ文字はこの辞書では本来のギリシャ文字で書かれている。ローマ字のギリシャ語表記はあたかもローマ字の日本語のように、味気
なく、分かりにくい。



この辞書では一つの単語に関連している単語を幾つも挙げてくれているので、芋づる式に語源に関する知識がどんどん広がっていく。最終的に全てのヨーロッパ言語の共通の祖先(インドヨーロッパ祖語)の音素が意味を持っている、という所に行きつく。それが root と呼ばれているものだ。 Skeatの辞書は語根については巻末に10ページ程度の簡単なリストしか付いていない。従って、語根を知ろうとするなら、以前のブログ
 沂風詠録:(第313回目)『良質の情報源を手にいれるには?(その 18)』
で簡単に紹介した、
 The American Heritage Dictionary of Indo-European Roots
の小冊子を見るのがよい。

さて、このSkeatの辞書は学術的香がするマニア向けの辞書であるにも拘わらず信じられない位、好評だ。アメリカのAmazon.comのサイトには次のような熱狂的なレビューがある。

【原文】If you could only have one book in the world, it should be this! By discovering the root of often commonplace words one can reach an immensely broader understanding of our language and its origins, culturally, ideationally and historically.
(概要:もし本を一冊しか許されないとしたら、これだ! 普段何気なく使っている普通の単語の語源から英語と元の言語について文化的にも歴史的にも非常に奥深いことを知ることができる。)

「無人島に一冊の本を持っていくなら何を持っていくか?」という質問では西洋人は聖書と答える人が多いようだが、このレビューアーはこのSkeatの英語語源辞書と答えている。

これ以外にもAmazon.comのサイトにはかなり多くの熱狂的な支持者のコメントが載せられている。参考までそれらを以下に挙げる。

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An Etymological Dictionary of the English Language
 by Walter W. Skeat

[1] Brilliant dictionary including the original Latin and Greek(using Greek alphabet, yay!) roots of English words. Makes many suprising connections. This is a larger version of the Collins Concise etymological dictionary, I believe. Large but not impossible. Sturdy even as a paperback, and easy to read considering the number of words in this. Well organized graphic design, too.

[2] The Skeat etymological dictionary is the standard work for the English language. There simply is no substitute.

[3] I have had this book for over 40 years and it never fails to fascinate me. It's a great book to keep by the bed and pick up from time to time, just for browsing or scholarship. With the advent of the Internet, so few people these days recognize the value of the realm of the dictionary in its many forms but it is a rich source of adventure for those willing to embark...

[4] The Etymological Dictionary of the English Language is the best book of its kind. If you're fascinated by where words come from and what other languages English is rooted in, you'll love this concise dictionary. Great for researchers, teachers and students alike!

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この辞書の元になっているのが比較言語学という学問だ。1786年にWilliam Jonesがインドで始めてサンスクリット語とヨーロッパ言語の関連について述べたことでヨーロッパ言語の比較言語学がスタートした。その成果がこの辞書だが、基本部分は100年前に作られたので、当然のことながら、その後、英語だけでなくヨーロッパ言語の語源研究の進展の結果、書き替えられるべき点や、追加されるべき点が多々発見された。それらの情報を盛り込んだ新しい語源辞書が幾つも出版されたにも拘わらずこの辞書が今だに高い人気を保っているという点を考えると、わずか100年で比較言語学のあらかたの業績が出尽くしたことが分かる。この比較言語学の発展を見ると、つくづく西洋の科学の発展と日本の科学の発展の基本的スタンスの差を思い知らされる。

比較言語学というと言語学者だけが取り組んだのではなく、古典文学者を始めとしたギリシャ・ローマ関連の人文社会科学の専門家や考古学者、地質学者など、文理の垣根を越えて多くの学者が学際的に協力した。それも欧米だけでなく、インド、ペルシャ、中央アジアなど多くの地域にまたがって国際的なネットワークで学者が参加した。

翻って、日本では、考古学に関しては考古学者だけ、あるいは古典文学に関しては文学研究者だけという縄張り至上主義的、排他主義的な傾向が今だに根強く残っている(ように感じられる)。その結果、研究の進展の速さや深さにおいて、到底、西洋の研究に敵わない。理工学系では国際協力が地球規模で当たり前であるが、人文社会系ではまだまだ日本の学界はオープンさが足りない。日本の古典の基礎文献やこの辞書のように100年ほど前に出版された多くの学術レベルの高い書物の電子化されて公開されているものはは西洋のものに比べると、哀しくなるほど少ない。

続く。。。
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想溢筆翔:(第418回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その261)』

2020-02-16 21:44:30 | 日記
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【360.階級 】P.4623、AD516年

『階級』とは「地位・身分・等級の順序」という意味。辞源(2015年版)には「謂尊卑上下之別、如階有等級」(尊卑上下の別、階に等級あるがごとし)と説明する。つまり、朝廷では、官僚たちは整列するときは官位に該当する階段に立っていた、という事を意味するのであろうと推測される。


中国の宮廷と、それをマネした李朝の宮廷では朝廷の儀式には、官僚たちがそれぞれの官位を記した石柱の所に整列するというが、その場所は階段状になっていたようだ。つまり「階級」の「階」とは実際の階段の意味だった。

「階級」を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索する次の表のようになる。初出は後漢書と分かる。当然のことながら、「階級」は後漢以前に存在していたので、昔は別の言葉で表わしていたはずだが、残念ながら「現代漢語=古代漢語」の辞典を持っていないので分からない。

それにしても、魏書に「階級」が 10回も使われているのはかなり多い。宋史の15回を最後に、中国ではほとんど使われなくなった単語だと分かる。これから考えると、現在、我々が用いている「階級」は日本人が捨てられていた古い漢語を拾って再度利用したということになろう。



資治通鑑で階級が使われている場面を見てみよう。

北魏では皇太后(皇帝の母)が実権を握るケースが多々見られる。最も有名なのは馮太后であろう。文成帝の皇后で、文成帝が亡くなったあと、献文帝と孝文帝の二代にわたって垂簾政治を行った。男女の差はあるものの近年で言えば、あたかも鄧小平のごとく、時の最高権力者であった。ここに登場する胡太后も皇帝を差し置いて、官僚の処分を一存で決めた。

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魏の中尉である元匡が于忠を弾劾した文を上奏した「于忠は宣武帝が崩御するという国家的な災難につけこんで国権を専らにし、無実の裴植や郭祚に罪をきせただけでなく、高陽王の元雍を追い出した。その後、勅命を偽って自分を儀同三司兼尚書令となり崇訓衛尉の役に就いた。これらの事は、皇帝を無視して自分勝手に振る舞おうとする意図に他ならない。恩赦は終わっているので、赦すべきでなく処刑すべきであります。どうか御史を一人、于忠の任地に派遣して、直ちに処刑してください。昨年、世宗(宣武帝)が崩御してから、皇太后はまだ垂簾の政を行う前に、多くの役人の階級を無視して門下省の詔書を出したり、中書省の宣敕を出して、勝手に官位を授けた者は、既に正式に任命されたので、罪はないとはいうものの、不当なので、官位をはく奪すべきです。」

上奏を受けて胡太后は次のように命じた:「忠已はすでに特例で罪に問わないことにした。その他は奏上どおりにせよ。」

魏中尉元匡奏弾于忠「幸国大災、専擅朝命、裴、郭受冤、宰輔黜辱。又自矯旨為儀同三司、尚書令、領崇訓衞尉、原其此意、欲以無上自処。既事在恩後、宜加顕戮、請遣御史一人就州行決。自去歳世宗晏駕以後、皇太后未親覧、以前諸不由階級、或発門下詔書、或由中書宣敕、擅相拝授者、已経恩宥、正可免罪、並宜追奪。」

太后令曰:「忠已蒙特原、無宜追罪;余如奏。」
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元匡は于忠が君命と偽って大臣たちを勝手に罷免したと弾劾したが、このようなケースは資治通鑑にはかなり頻繁に見られる。君命というのは、皇帝が賛成したか否かに関係なく、単に玉璽を押してあるだけの紙切れに過ぎないことが多い。つまり、一連の正式な手続きを経て書面が作成されてしまえば、あとは紙切れが一人歩きしてオールマイティの力を発揮する。

元匡は于忠が皇帝の承諾なしに玉璽が押された書面(詔書)を乱発して大臣を罷免したと弾劾しただけでなく、胡太后も于忠の不正を知りつつ、自分の気に入った者であれば宮廷のランキング(階級)を無視して抜擢したと、胡太后にも怒りの矛先を向けた。

しかし、胡太后の一言で、元匡の上奏文はあっけなく却下されてしまった。

続く。。。
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沂風詠録:(第320回目)『良質の情報源を手にいれるには?(その25)』

2020-02-09 15:54:46 | 日記
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C-1.英語辞書

C-1-5 Oxford English Dictionary (OED)

英語に関心の持っている人で、この辞書の名前や存在を知らないとしたら、日本の古典文学に関心がありながら、『源氏物語』や『枕草子』を知らないのと同様、正真正銘のモグリだろう。 OEDはボリュームといい内容の密度といい、他のいかなる英語辞書を圧倒している。それだけでなく、他の言語の辞書をも凌駕していると言えようが、グリムのドイツ語辞典とはかなり良い勝負をするであろう。事実、OEDのモット―である「歴史的原則」というのはグリムが編纂時に打ち出した原則であった。OEDはグリムの方針の成功に倣って同じ方針を取ったのだった。



私は、OEDもグリムも両方持っている。OEDは片手で持つと手首を痛めるほどの重量があるが、グリムは、dtv (Deutscher Taschenbuch Verlag)のペーパーバック版なので、かなり軽い。重量の点ではこの2つは大きく違うが、内容的にはどちらもかなりヘビー級である。グリムについては後日述べることにして、ただ一つだけOEDとの差を言えば、記述内容の伝達の仕方 ― ページレイアウト、フォントサイズ、見やすさ ― などにおいてOEDの方が格段に優れている。情報はぎっしりと詰まっているものの、意味を探すのに迷わないようになっている。二色刷りで、すかすかのレイアウトの辞書に慣れた現代人から見れば、 OEDはごちゃごちゃし過ぎて、迷路のようにどこに情報があるか分からないと思うかもしれないが、編纂開始当時の1850年代の他の辞書と比べれば、見やすさや引きやすさの点では非常に先進的であることが、グリムなどと比べると良く分かる。

さて、OEDの出版の経緯などはWikipediaの該当項目『オックスフォード英語辞典』に詳しいが、ざっくりと概略を述べると:

編纂開始は江戸末期の1857年、完成は昭和になった 1928年。ざっと 70年かかっている。そのボリュームたるや、全13巻(内、補巻が 1巻)で、総ページ数 16,570、収録単語数は 41.5万項目、例文は 185万にも及ぶ。1989年に語彙が増補された20巻の第2版が発売された。基本的に1150年以後の語は全て収録されているという。



忘れてはならないのは、この辞書の完成には 2人の献身的な努力があったということだ。一人は、編集主幹のジェームス・マレー、もう一人は獄中から何万枚もの例文をコンスタントに送り続けたマイナー博士だ。

OEDの出版の経緯、およびこの 2人について詳しく書いた本がある。
1.『ことばへの情熱』三省堂、K.M. エリザベス・マレー(加藤知己・訳)
2.『博士と狂人』早川書房、サイモン・ウィンチェスター(鈴木主税・訳)
3.『オックスフォード英語大辞典物語』サイモン・ウィンチェスター(苅部恒徳・訳)

1.の本は編集主管のジェームス・マレーの孫娘によって書かれた浩瀚なもので、出版に至るまでの幾多の困難が生々しく書かれている。サブタイトルは "Caught in the Web of Words"

これら3冊の本、とりわけ1.を読むと、1850年から1900年にかけてイギリスがヴィクトリア朝時代として世界に冠たる地位を築いていた時代、言語としての英語の地位は非常に低いものだったことに驚く。フランス人やイタリア人が英語を貶すだけでなく、イギリス人自身も英語を低く見ていた。そういう時代背景のため、いわば日陰者の扱いを受けた英語の辞書 ― それも膨大な辞書 ― の編纂は苦労の連続であった。英語に興味がある方はぜひとも、これらの本を読んで、いまや世界を支配している英語の言語的価値について考えなおしてほしい。

ところで、私がこの大辞典を始めて見たのは、高校に入学した時であった。図書室に置いてあったのだが、あまりのボリュームに近づくだけで眩暈を覚えて、当時はもっぱら以前説明した Webster を覗き見る程度であった。

その後、この大辞典を意識的に見たのは、以前のブログにも書いたように文学部・米文科の友人の下宿であった。当時、私はドイツ留学に情熱を傾けていたので、英語に対しては正直冷淡な態度を取っていた。それで、友人の縮刷版(元の1/9のサイズ)のOEDに対しても「果たして、こんな小さい文字が読めるのか?」と訝った。元のサイズのものは、何しろ電話帳の大きさの、それもバカ重い13巻もの辞書など「いったい家のどこに置けばいいのだ?必要なら図書館で見ればいい」とぐらいに考えていた。そのようにして、友人の所で見てから 30年近く、OEDを所有しようなどという気はこれぽっちも湧かなかった。

ところが、2004年の冬のある夕方、神保町で会合があったので古本屋街を足早に歩いていると、洋書専門の崇文荘の店先にこの13巻+ 4巻・補遺の17巻のセットが4万5千円という、破格の値段で並べてあった。フウテンの寅さんではないが、辞書から「え~い、持ってけ、どろぼう!」のような叫び声が寒々とした冬の街路に響いているようだった。会合に遅れそうになっていたので、どうしようか躊躇したが、思い切って買うことに決め、慌ただしく購入と発送手続きを済ませた。翌日、ずっしりと重い箱が2個届いた。そこで初めて、一冊ずつ丁寧にみたが、印刷状態、紙質とも申し分なく、とても40年以上前に出版されたものと思えないほど保存状態がよかった。

これを入手して、実際に日々使ってみてようやくOEDの素晴らしさを体感することができた。それまで、辞書というのは、単語の意味を知るために使っていたのだが、このOEDは単語にまつわる履歴が詳しく載っている。喩えてみれば、結婚する時、結婚相手の本人だけでなく、その両親や祖父母、あるいは相手の家系全体を調査した結果のようなものである。つまり、いままでその単語の直接の意味だけ、という平板なものが、単語の由来、関連する語彙、など説明があり、単語がふくよかな立体感を伴って立ち現われてくる。

私は東京と関西の両方に住んでいるので、もう一部、関西の家用に欲しいと思っていた矢先、当時の楽天オークションに1円で 13巻の OEDが出品されていた。早速1円で応札したが、5日の間、私以外誰一人として応札する人がいなかった。1円で落札した顛末は次のブログ
 想溢筆翔:(第29回目)『1円OED(Oxford English Dicitionary)顛末記』
に書いた通りだ。

その後、神戸に開設されたCMU日本校(CMUJ)に勤務することになり、大学の教官室にも一部欲しいと思っていたところ、バージョンアップされた20巻版のSecond Editionをかなり安く(6万円台)で手にいれることができた。旧の13巻には、その後4巻の補遺(Supplements)が出版されたので、たまに13巻に見つからない場合は、4巻もチェックしないといけないので面倒だった。それで、Second Edition を入手できた当時は手間が省けてうれしく思ったが、暫く経つうちに使う楽しみを感じなくなった。というのは、新版はコンピュータ写植なので、確かに見やすいのだが、レイアウトやフォントにまでこだわったジェームス・マレーの熱意が全く伝わってこない。それで結局、現在日々使っているのは、紙ベースの First Edition であり、使う都度、マレーの息吹を感じる。また、紙とは別に、PCにインストールされたOED(Second Edition)も同時に使っている。

つくづく、辞書にかぎらず、本というのは借り物ではダメで、自分で所有して使いこんで行くうちに良さ(あるいは悪さ)が徐々に分かってくるものだと感じる。紙の辞書ではこの通りと断言できるが、電子辞書でもそうかとなると、私には確信をもって「そうだ」とは言えない。

それはそうとしてともかくも、TOEICで900点以上取った人、あるいはこれからそのレベルを目指す人は機会があれば是非とも一度OEDを図書館でみて、よければオンラインか CDを購入して使ってみられることをお勧めする。英単語の新しい側面を知ることができると同時に英語のみならずヨーロッパ言語の奥深さ、ひいては言語そのものの機能や役割を考え直すことができるはずだ。



ところで、Second Editionは、First Editionの間違いを非常に多く修正したのだが、それでも(私が分かる限りでは)まだ間違いが1ヶ所残っている。それは、「発言の自由」という意味の「parrhesia」の語源の説明である。 OEDの、First Editionも Second Edition も同じ説明で、parrhesia = para + rhesiaとなっている。この説明は奇妙なことに Unabridged Webster でも同様だ。しかし、正しくは parrhesia = pan + rhesia である。pan の [n] が次の文字 r に影響を受けて r に音韻変化したに過ぎない。これはおなじOxfordが出している Liddell+Scottの Greek-English Lexicon では正しく説明している。First Editionの OEDを何万人、否、何百万人が見ていても誰一人として指摘する人がいなかったし、Second Edition をCD化する時にも誰も指摘した人がいなかったと言うことになる。全く21世紀の世の中にお化けでも見ているような不思議な気分だ。

続く。。。
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想溢筆翔:(第417回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その260)』

2020-02-02 16:19:49 | 日記
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【359.因縁 】P.4609、AD514年

『因縁』とは通常、仏教用語で「物事の生じる、直接の原因と間接の原因」という意味と理解されている。しかし、「因縁」は仏教伝来以前にすでに中国語として使われていた。例えば史記・巻104には任安が長安に出て小役人になろうとしたがツテ(因縁)がなくてなれなかったという文が見える(求事為小吏、未有因縁也)。この部分は司馬遷ではなく褚少孫が追加した文章であるので、仏教伝来より少し前の文章であるが、いづれにせよ漢文の文脈で「因縁」というと仏教と別の意味がすでにあったと推測される。

辞海(1978年版)には「因縁」の一つの意味は「機縁」と説明する。また、「因縁、謂依付以生軽重也」(因縁とは、依付し、以って軽重を生じる也)と説明する。この意味は「裁判官が賄賂をもらって判決の軽重を加減すること」ということだ。

「因縁」を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索する次の表のようになる。この251例の中で2割近くの46例が「因縁為姦」(姦あるいは奸)という句と共に「因縁」が使われているので、上の後者の意味で使われていることが分かる。



さて、資治通鑑で「因縁」が使われている場面を見てみよう。

規律正しかった北魏も末期にもなると、いつものパターンではあるが、役人たちの腐敗が進行した。税金は絹で収めないといけないのだが、賄賂の額が少ないと、役人たちは納税された絹を突き返したりした。

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北魏は前の定州刺史の楊津を華州刺史に任命した。楊津は楊椿の弟である。これより以前、役所が民からの税金として絹を受け取るときには、わざと長い目盛のついた定規を使った。収税係りは、賄賂の額が多いと受付けた。逆に賄賂を持ってこなかったり、額が少ないと納税された絹を突っ返したので、人々はおおいに困った。

このような悪習を打破すべく、楊津は税金すべてを公に定めた定規でチェックした。納税に立派な絹を持ってきた者には、褒美として酒を飲ませた。品質の悪い絹をもって来ても受領したが、酒も飲ませずに返して恥をかかせた。こういった処置で、人々は競って良質の絹を納税したので、以前とは格段に質のよい絹が続々と役所に集まった。

魏以前定州刺史楊津為華州刺史。津、椿之弟也。先是、官受調絹、尺度特長、任事因縁、共相進退、百姓苦之。

津令悉依公尺、其輸物尤善者、賜以杯酒;所輸少劣、亦為受之、但無酒以示恥。於是人競相勧、官調更勝旧日。
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楊津は従来から、税収係の横暴なやり方に庶民が困っていたことを知っていてどうすればそれを防ぐことができるか考えていたに違いない。それで自分が税収係になった時に、正規の長さの物差しを使い、品質の良い絹を納めた者には褒美に酒を飲ませ、品質の悪い絹を納めた者は、品物自体は受領したものの、酒を飲ませなかったので、納税者は恥をこうむった。

楊津は一言も文句を言わず、差別的に取り扱うことで、人々にどうするべきかを正しく指導した。楊津のこのようなやり方は、いかにも孫子以来の「策略の国」らしい!律儀さを尊ぶ日本では到底このような策略的な対応はできないだろう。

続く。。。
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