(前回)
【178.顧問 】P.3625、AD409年
『顧問』とは現在では動詞では、「advice」、名詞では「advisor, consultant」の意味で用いる。
二十四史(+資治通鑑、続資治通鑑)では合計で361回とかなり多く見える。用語の使われ方が、時代によってかなり変わっている。まず、昔の用法は、現在のような名詞ではなく動詞として使われている。つまり『顧問』は『顧みて問う』と訓ずる。それは「顧而問」というように『而』が間に入っている例が『晏子春秋』などにも見られることからも分かる。時代が下って、宋代以降では、『備顧問』(顧問に備う)という定型的な使われ方がかなり多い。(下表参照)

ところで、名詞的に使われだしたのは、後漢時代(2世紀)ごろのようである。その例を資治通鑑に見てみよう。状況は前回、登場した拓跋嗣が異母弟の拓跋紹を殺して即位した場面だ。
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拓跋嗣が即位して皇帝になった。…拓跋嗣が旧臣たちに父帝が親信していた家臣は誰かと尋ねた。王洛児が「李先」と答えた。それで、拓跋嗣は李先を召して「貴卿はどのような才能や、功績があって、父帝のめがねにかなったのか?」李先が答えていうには「私は、才能も功績もありませんが、ただ一途の忠心(忠直)が先帝のお目にかなったものだと思います。」それで、李先を安東将軍に任じ、常に宮廷内に泊まらせ、顧問に備えさせた。
嗣即皇帝位…嗣問旧臣為先帝所親信者為誰。王洛児言李先。嗣召問先:「卿以何才何功為先帝所知?」対曰:「臣不才無功,但以忠直為先帝所知耳。」詔以先為安東将軍,常宿於内,以備顧問。
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この状況から分かるように顧問とは、単にアドバイスを与えるという現代的な意味より、用心棒のように常に身近にいる必要のある存在だと分かる。それ故、辞海(1978年版)には『顧問』とは次の意味であると説明する。『左右の侍従の臣をいう。事あれば則ち、諮詢する』(謂左右侍従之臣、有事則諮詢之也)
(続く。。。)
【178.顧問 】P.3625、AD409年
『顧問』とは現在では動詞では、「advice」、名詞では「advisor, consultant」の意味で用いる。
二十四史(+資治通鑑、続資治通鑑)では合計で361回とかなり多く見える。用語の使われ方が、時代によってかなり変わっている。まず、昔の用法は、現在のような名詞ではなく動詞として使われている。つまり『顧問』は『顧みて問う』と訓ずる。それは「顧而問」というように『而』が間に入っている例が『晏子春秋』などにも見られることからも分かる。時代が下って、宋代以降では、『備顧問』(顧問に備う)という定型的な使われ方がかなり多い。(下表参照)

ところで、名詞的に使われだしたのは、後漢時代(2世紀)ごろのようである。その例を資治通鑑に見てみよう。状況は前回、登場した拓跋嗣が異母弟の拓跋紹を殺して即位した場面だ。
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拓跋嗣が即位して皇帝になった。…拓跋嗣が旧臣たちに父帝が親信していた家臣は誰かと尋ねた。王洛児が「李先」と答えた。それで、拓跋嗣は李先を召して「貴卿はどのような才能や、功績があって、父帝のめがねにかなったのか?」李先が答えていうには「私は、才能も功績もありませんが、ただ一途の忠心(忠直)が先帝のお目にかなったものだと思います。」それで、李先を安東将軍に任じ、常に宮廷内に泊まらせ、顧問に備えさせた。
嗣即皇帝位…嗣問旧臣為先帝所親信者為誰。王洛児言李先。嗣召問先:「卿以何才何功為先帝所知?」対曰:「臣不才無功,但以忠直為先帝所知耳。」詔以先為安東将軍,常宿於内,以備顧問。
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この状況から分かるように顧問とは、単にアドバイスを与えるという現代的な意味より、用心棒のように常に身近にいる必要のある存在だと分かる。それ故、辞海(1978年版)には『顧問』とは次の意味であると説明する。『左右の侍従の臣をいう。事あれば則ち、諮詢する』(謂左右侍従之臣、有事則諮詢之也)
(続く。。。)