物理化学の現象は何も無機物にだけ適用されるものでもなく、我々人間にも同じ法則が成り立つ。18世紀、イタリアの物理学者のガルバーニが、ひょんなことからカエルの足に金属が触れると、あたかも生きているかのように、足がぴくっと動いたことに気づいて、神経が導電体であることが分かり、神経といえども、物理化学現象に支配されているのだということが証明された。当然のことながら、脳の働きや神経の仕組みの解明において医学はその後飛躍的な発展を遂げた。
このように、人間の脳といえども心理面だけでなく、物理化学的に考えてみると、納得できることが多い。一つの例を挙げると、人間の能力をヒステリシスの観点から考えてみることだ。
ヒステリシス(hysteresis)とは「物質の状態が、現在の条件だけでなく、過去の経路の影響を受ける現象」(デジタル大辞泉)と説明されている。日本語では履歴現象という。もっとも、この説明を見て、理解できる一般人ははなはだ少ないのではないだろうか。分りやすく例でヒステリシスを説明してみよう。
屋台などで売っている、細長い飴棒を両手でつかむように持って、少しひねってみよう。そしてそのまま手を離さず、元の位置まで逆方向にひねってみよう。手の位置が元に戻った時、飴棒は元のようにまっすぐであろうか?たぶん、ねじった時についた歪みが幾分か残っているだろう。もし、ゴムのような棒ならそういった事は起きず、元の真っ直ぐな形に戻る。つまり、飴棒は手の位置が元の場所にもどっても、それまでにどちらの方向にどの程度の速さで捩じったかによって残る歪の大きさが異なるということだ。これが過去の経路の影響を受ける現象という意味だ。ふーてんの寅さん流にいうと「てめーが、なめた飴玉なんぞ、いくらきれいに洗って、もとのように見えたって、ばっちっくて食えるかー!」ということだ。
【出典】鍵善良房の豆平糖
ところでヒステリシス(hysteresis)とヒステリック(hysteric)は綴りが似ているので、チェックしてみると、どうやら同じ語源から来ているようだ。どちらも「後の(英語のlater)」という単語、hysterosと関連している。
さて、ヒステリシスの話を持ち出したのは、私自身の体験から、語学力にもヒステリシスがあるということを言いたいからだ。
そもそもヒステリシスとは、上の図のようになるが、「語学力のヒステリシス」の場合、このグラフの横軸が語学学習に費やした時間、縦軸が語学力ということになる。
そうすると、このヒステリシスの図が示しているように、語学力は、費やした時間や投下した努力に比例して、すんなりとは伸びてくれないものだ。始めのうちは、時間をかけたがさっぱり、進歩が無いように思える。ところが、ある時点から急にさあ~っと分かってくる。そうすると、語学力というのは緑色のカーブが示すように短期間の間にぐんぐんとアップする。時間に応じて素直に伸びずに、急にがくんと伸びるような関係を数学的には非線形(線形関係にない)という。皆さんも体験するように、水泳もある時から急に泳げるようになるのと同じだ。
ここまでなら、誰でも体験するので、わざわざここに持ち出すまでもない話だが、私が最近体験したのは、このヒステリシスのグラフの赤の部分、つまり語学学習を止めてしまった後の語学力の後退フェーズの話だ。
私は最近は、取り立てて英語(だけでなくドイツ語、フランス語など)に対して、会話とか読書などに時間を費やしていない。しかし、時たま英語での講演を頼まれたり、外人と面談しないといけない時がある。雑談なら大したことはないのだが、講演ともなると、やはりしっかりした英語を話す必要がある。それで、英語の感覚を取り戻すために、俄か仕立てで英語力を取り戻さないといけない。その為の方策として、YouTubeでしっかりしたまともな講演(TEDなど)を数日、びっしりと聞く。また、同時に英語の分厚い本を集中して読む。そうすると、しばらくすると、かつての英語の感覚が戻ってくる。
こういうことを数回して、気がついたのだが、語学力にはヒステリシスがあるということだった。もし、ヒステリシスが無いとすると、さぼったら、そのさぼった時間に比例して語学力が大幅に低下しないといけないはずだが、幸運にも、語学力にはヒステリシスがあるため『一旦ある程度の高いレベルにまで到達したら』怠けていても落ちるには、時間がかなりかかるということを身をもって検証したという次第だ。古い諺の『雀百まで踊り忘れず』がこの語学力のヒステリシスの上のカーブ(赤色)を表わしている。
Bad News:
ただ、この語学力のヒステリシスだが、上でも断っているように『一旦ある程度の高いレベルにまで到達』した場合にはヒステリシスカーブの目がぱっちり開いているが、到達レベルが低いと、目がほとんど開かず、従って怠けると、これまた急激に低下するようだ。。。
このように、人間の脳といえども心理面だけでなく、物理化学的に考えてみると、納得できることが多い。一つの例を挙げると、人間の能力をヒステリシスの観点から考えてみることだ。
ヒステリシス(hysteresis)とは「物質の状態が、現在の条件だけでなく、過去の経路の影響を受ける現象」(デジタル大辞泉)と説明されている。日本語では履歴現象という。もっとも、この説明を見て、理解できる一般人ははなはだ少ないのではないだろうか。分りやすく例でヒステリシスを説明してみよう。
屋台などで売っている、細長い飴棒を両手でつかむように持って、少しひねってみよう。そしてそのまま手を離さず、元の位置まで逆方向にひねってみよう。手の位置が元に戻った時、飴棒は元のようにまっすぐであろうか?たぶん、ねじった時についた歪みが幾分か残っているだろう。もし、ゴムのような棒ならそういった事は起きず、元の真っ直ぐな形に戻る。つまり、飴棒は手の位置が元の場所にもどっても、それまでにどちらの方向にどの程度の速さで捩じったかによって残る歪の大きさが異なるということだ。これが過去の経路の影響を受ける現象という意味だ。ふーてんの寅さん流にいうと「てめーが、なめた飴玉なんぞ、いくらきれいに洗って、もとのように見えたって、ばっちっくて食えるかー!」ということだ。
【出典】鍵善良房の豆平糖
ところでヒステリシス(hysteresis)とヒステリック(hysteric)は綴りが似ているので、チェックしてみると、どうやら同じ語源から来ているようだ。どちらも「後の(英語のlater)」という単語、hysterosと関連している。
さて、ヒステリシスの話を持ち出したのは、私自身の体験から、語学力にもヒステリシスがあるということを言いたいからだ。
そもそもヒステリシスとは、上の図のようになるが、「語学力のヒステリシス」の場合、このグラフの横軸が語学学習に費やした時間、縦軸が語学力ということになる。
そうすると、このヒステリシスの図が示しているように、語学力は、費やした時間や投下した努力に比例して、すんなりとは伸びてくれないものだ。始めのうちは、時間をかけたがさっぱり、進歩が無いように思える。ところが、ある時点から急にさあ~っと分かってくる。そうすると、語学力というのは緑色のカーブが示すように短期間の間にぐんぐんとアップする。時間に応じて素直に伸びずに、急にがくんと伸びるような関係を数学的には非線形(線形関係にない)という。皆さんも体験するように、水泳もある時から急に泳げるようになるのと同じだ。
ここまでなら、誰でも体験するので、わざわざここに持ち出すまでもない話だが、私が最近体験したのは、このヒステリシスのグラフの赤の部分、つまり語学学習を止めてしまった後の語学力の後退フェーズの話だ。
私は最近は、取り立てて英語(だけでなくドイツ語、フランス語など)に対して、会話とか読書などに時間を費やしていない。しかし、時たま英語での講演を頼まれたり、外人と面談しないといけない時がある。雑談なら大したことはないのだが、講演ともなると、やはりしっかりした英語を話す必要がある。それで、英語の感覚を取り戻すために、俄か仕立てで英語力を取り戻さないといけない。その為の方策として、YouTubeでしっかりしたまともな講演(TEDなど)を数日、びっしりと聞く。また、同時に英語の分厚い本を集中して読む。そうすると、しばらくすると、かつての英語の感覚が戻ってくる。
こういうことを数回して、気がついたのだが、語学力にはヒステリシスがあるということだった。もし、ヒステリシスが無いとすると、さぼったら、そのさぼった時間に比例して語学力が大幅に低下しないといけないはずだが、幸運にも、語学力にはヒステリシスがあるため『一旦ある程度の高いレベルにまで到達したら』怠けていても落ちるには、時間がかなりかかるということを身をもって検証したという次第だ。古い諺の『雀百まで踊り忘れず』がこの語学力のヒステリシスの上のカーブ(赤色)を表わしている。
Bad News:
ただ、この語学力のヒステリシスだが、上でも断っているように『一旦ある程度の高いレベルにまで到達』した場合にはヒステリシスカーブの目がぱっちり開いているが、到達レベルが低いと、目がほとんど開かず、従って怠けると、これまた急激に低下するようだ。。。