限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【麻生川語録・42】『語学力のヒステリシス』

2016-07-31 19:25:30 | 日記
物理化学の現象は何も無機物にだけ適用されるものでもなく、我々人間にも同じ法則が成り立つ。18世紀、イタリアの物理学者のガルバーニが、ひょんなことからカエルの足に金属が触れると、あたかも生きているかのように、足がぴくっと動いたことに気づいて、神経が導電体であることが分かり、神経といえども、物理化学現象に支配されているのだということが証明された。当然のことながら、脳の働きや神経の仕組みの解明において医学はその後飛躍的な発展を遂げた。

このように、人間の脳といえども心理面だけでなく、物理化学的に考えてみると、納得できることが多い。一つの例を挙げると、人間の能力をヒステリシスの観点から考えてみることだ。

ヒステリシス(hysteresis)とは「物質の状態が、現在の条件だけでなく、過去の経路の影響を受ける現象」(デジタル大辞泉)と説明されている。日本語では履歴現象という。もっとも、この説明を見て、理解できる一般人ははなはだ少ないのではないだろうか。分りやすく例でヒステリシスを説明してみよう。

屋台などで売っている、細長い飴棒を両手でつかむように持って、少しひねってみよう。そしてそのまま手を離さず、元の位置まで逆方向にひねってみよう。手の位置が元に戻った時、飴棒は元のようにまっすぐであろうか?たぶん、ねじった時についた歪みが幾分か残っているだろう。もし、ゴムのような棒ならそういった事は起きず、元の真っ直ぐな形に戻る。つまり、飴棒は手の位置が元の場所にもどっても、それまでにどちらの方向にどの程度の速さで捩じったかによって残る歪の大きさが異なるということだ。これが過去の経路の影響を受ける現象という意味だ。ふーてんの寅さん流にいうと「てめーが、なめた飴玉なんぞ、いくらきれいに洗って、もとのように見えたって、ばっちっくて食えるかー!」ということだ。


【出典】鍵善良房の豆平糖

ところでヒステリシス(hysteresis)とヒステリック(hysteric)は綴りが似ているので、チェックしてみると、どうやら同じ語源から来ているようだ。どちらも「後の(英語のlater)」という単語、hysterosと関連している。

さて、ヒステリシスの話を持ち出したのは、私自身の体験から、語学力にもヒステリシスがあるということを言いたいからだ。



そもそもヒステリシスとは、上の図のようになるが、「語学力のヒステリシス」の場合、このグラフの横軸が語学学習に費やした時間、縦軸が語学力ということになる。

そうすると、このヒステリシスの図が示しているように、語学力は、費やした時間や投下した努力に比例して、すんなりとは伸びてくれないものだ。始めのうちは、時間をかけたがさっぱり、進歩が無いように思える。ところが、ある時点から急にさあ~っと分かってくる。そうすると、語学力というのは緑色のカーブが示すように短期間の間にぐんぐんとアップする。時間に応じて素直に伸びずに、急にがくんと伸びるような関係を数学的には非線形(線形関係にない)という。皆さんも体験するように、水泳もある時から急に泳げるようになるのと同じだ。

ここまでなら、誰でも体験するので、わざわざここに持ち出すまでもない話だが、私が最近体験したのは、このヒステリシスのグラフの赤の部分、つまり語学学習を止めてしまった後の語学力の後退フェーズの話だ。

私は最近は、取り立てて英語(だけでなくドイツ語、フランス語など)に対して、会話とか読書などに時間を費やしていない。しかし、時たま英語での講演を頼まれたり、外人と面談しないといけない時がある。雑談なら大したことはないのだが、講演ともなると、やはりしっかりした英語を話す必要がある。それで、英語の感覚を取り戻すために、俄か仕立てで英語力を取り戻さないといけない。その為の方策として、YouTubeでしっかりしたまともな講演(TEDなど)を数日、びっしりと聞く。また、同時に英語の分厚い本を集中して読む。そうすると、しばらくすると、かつての英語の感覚が戻ってくる。

こういうことを数回して、気がついたのだが、語学力にはヒステリシスがあるということだった。もし、ヒステリシスが無いとすると、さぼったら、そのさぼった時間に比例して語学力が大幅に低下しないといけないはずだが、幸運にも、語学力にはヒステリシスがあるため『一旦ある程度の高いレベルにまで到達したら』怠けていても落ちるには、時間がかなりかかるということを身をもって検証したという次第だ。古い諺の『雀百まで踊り忘れず』がこの語学力のヒステリシスの上のカーブ(赤色)を表わしている。

Bad News:
ただ、この語学力のヒステリシスだが、上でも断っているように『一旦ある程度の高いレベルにまで到達』した場合にはヒステリシスカーブの目がぱっちり開いているが、到達レベルが低いと、目がほとんど開かず、従って怠けると、これまた急激に低下するようだ。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

想溢筆翔:(第266回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その109)』

2016-07-28 18:07:30 | 日記
前回

【208.構成 】P.2081、AD208年

『構成』とは現在の日本語では「いくつかの要素を組合わせてつくること」(form, compose, constitute)の意味で用いる。しかし漢文の場合、それだと意味が通じない。

漢文では『構成』とは「人を陥れることをたくらむ」という意味で使われる場合がほとんどだ。『構成』の「構」を中国の辞書で調べると、まず辞源では「謀を図(はか)る」(図謀)と説明する。次に、辞海では「無理やりこじつけて、でっちあげるのを構という」(付会成之曰構)と説明する。つまり、『構成』という単語は、他人を陥れるために、ありもしない罪を捏造するという気の滅入るような権謀術数の世界の言葉なのだ。ちなみに『構成』に続く語句は次のように、いずれもこの禍々(まがまが)しいニュアンスを増幅するものばかりだ。
 「構成禍、構成其罪、構成禍災、構成疑似之端」

『構成』を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索すると次の表のようになるが、特徴的なのは、古代から使われている単語ではあるものの、旧唐書以降ぷっつりと使われなくなったことである。唐以降、中国人が心を入れ替えて人を陥れることを止めた訳ではないから、きっと別の(もっとエゲツナイ?)単語を使うようになったのだろう。



資治通鑑での『構成』の初出の場面をみてみよう。

孔子20代の子孫と言われる孔融は、天才肌ではあったが、あからさまに人を見下すような傲慢な所があった。彼の悲劇は、たまたま同時代に曹操なる、文人として、また武人としても極めて優れた絶対権力者がいたことである。

 +++++++++++++++++++++++++++
太中大夫の孔融が、市で公開処刑された。孔融は自分の才能と家門の高さを誇り、それまで幾度も曹操を侮辱したり、曹操の意図に逆らった勝手気ままな発言を繰り返していた。曹操は、孔融が世間の人々から重んじられているので、表向きは奇矯な言動を容認しているかのごとく振る舞っていたが、はらわたは煮えくり返っていた。かつて孔融は曹操に「古代の制度を復活し、都から数百キロ内は政府の直轄地にして諸侯を建てるべきでない」との意見書を提出した。ここに至って、曹操はこのまま放っておくともっと過激な政治的発言をするかもしれないと神経をとがらせた。

さて、孔融は郗慮といがみ合っていたが、郗慮は曹操が孔融を嫌っているのを知るや、孔融の罪を捏造(構成)しようと考えた。そこで、部下で、丞相の軍謀祭酒の路粋に次のような上書を書かせて提出させた。「孔融はかつて北海に住んでいましたが、漢王朝が混乱していると見るや、仲間をあつめて政府の転覆を図りました。孫権(呉)の使いが来たときも盛んに本朝(魏)をそしりました。それに加え、かつて平民の禰衡と放言の限りを尽くし、互いに相手を持ち上げました。禰衡が孔融に『孔子は死んでいない、あなたこそ孔子そのものだ』と言うと、それに答えて、孔融が『顔回も生き返った、あなたこそ現代の顔回だ』と不遜極まりない発言をしました。重罰の処すべきと考えます。」曹操はこの上書を証拠として、孔融だけでなく妻子も併せて捕え、全員を処刑した。

太中大夫孔融棄市。融恃其才望、数戯侮曹操、発辞偏宕、多致乖忤。操以融名重天下、外相容忍而内甚嫌之。融又上書、「宜準古王畿之制、千里寰内不以封建諸侯。」操疑融所論建漸広、益憚之。

融与郗慮有隙、慮承操風旨、構成其罪、令丞相軍謀祭酒路粋奏:「融昔在北海、見王室不静、而招合徒衆、欲規不軌。及与孫権使語、謗訕朝廷。又、前与白衣禰衡跌蕩放言、更相賛揚。衡謂融曰『仲尼不死』、融答『顔回復生』、大逆不道、宜極重誅。」操遂収融、幷其妻子皆殺之。

 +++++++++++++++++++++++++++

孔融の身からでたさびとはいえ、ちょっとした放言で自分の首が飛ぶだけでなく、一族数十人の命まで奪われたのが、歴史的中国の恐ろしさである。(この点において、中国が一向に進化(あるいは退化?)していないことは、数十年前の文化大革命でも証明された)。

孔融が本当に政府転覆計画を真剣に考えたのかどうかは、当然、詮索は不要だ。カエサルは妻に不倫の噂が立っただけで離婚した。何故、調べもせず、噂だけで即離婚したのかと問われて「カエサルの妻たるもの、疑われるだけでダメだ。」と答えた。この伝と同じく、中国の「謀叛(謀反)」というのは、実行しなくても考えが頭をちらっとでもかすめても、実際に謀叛したのと同罪なのだ。(参照:『古代中国の刑罰』中公新書、富谷至、P.125)

以前からこのブログの『惑鴻醸危』シリーズで、あることないこと、失言・放言・妄言、を重ねている私などは、このような法律が我が日本でも施行されたなら、すぐに投獄されることは間違いないと確信している。

続く。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

惑鴻醸危:(第54回目)『人糞のリサイクル農業』

2016-07-24 20:11:54 | 日記
江戸時代に来日した西洋人の誰(ハリス?)かは思い出せないが、日本の田舎道は景色が良いし、田畑もきれいに手入れされているので、散歩するのに非常に気持ちがいいと述べていた。ただし、と彼は続ける、どこに行ってもあの臭いにおいにには我慢ができない、と述べていた。今では、めったに(あるいは絶対に?)みかけることがないが、昔は、どこの田畑にも人糞を撒くのは当たり前であった。

ヨーロッパには人糞ではないが家畜の糞を肥料とする習慣は、古くローマ時代からあったことは、プリニウスの『博物誌』などからも分かる。人糞を撒く習慣がなかったのは、気候的にヨーロッパは日本よりはるかに乾燥しているので、人糞を撒いてもすぐにぱりぱりになってしまい作物の葉や根を痛めてしまうという事が原因のようだ。それで、人糞ではなく、繊維質を多く含む馬糞、あるいはハトの糞を粉状にしたものを使っていたのだと想像される。

現在の日本では、人糞を使わないどころか、地面や土でさえも使わない、水耕栽培で野菜の工業生産化が進行している。しかし、私はここで、日本人の故智である人糞農業を見直すことを提案したい。それは、なにも懐古趣味ではなく、栄養学的見地からの真面目な話なのだ。

そもそも、なぜ人糞を使う必要があるのか?それは、人間には微量な重金属が必要であるからだ。重金属というと、かつて、大々的な公害問題をひきおこした、ヒ素、水銀、カドミウムなどを連想し悪者のイメージを抱きがちであるが、実は、人間が生きて行く上で欠かせないものもあるのだ。『重金属のはなし』(中公新書、渡邉泉)によると、重金属のうちで、鉄、亜鉛、マンガン、銅、セレン、モリブデン、クロム、コバルトの8元素が微量ではあるが、人間の生命維持には必須な元素であるとのことだ(重金属以外ではヨウ素も必須元素だ)。

ただし、この「微量」というのが曲者で、足りないと体によくないが、かと言って逆に多すぎると、これまた害になるというのだ。ということは、適量を常に補充しないといけないということになる。問題は、どうすればシステマティックに適量補充するかということだ。



私の提案する解決法は:
 伝統的農業のように人糞を田畑にまき、野菜を通じて、足りない分を補充する
ということだ。補充する必要があるというのは、人間の体からこれら必須の重金属が尿や便として排泄されるからである。従って、補充する分とはまさにこの排泄した糞尿の中に含まれる量である。ちょうど、この損失分を野菜を介して再度、体にとりこめば必須元素は補充されるという訳だ。

しかし、野菜ばかりに頼る必要はない。動物を経由して補充することだって考えてよい。古代エジプトや中国では(ひょっとして今でも?)二階建ての家の一階は家畜小屋で、二階に人が住んでいた。二階から便をすると、下にいるブタが待ち受けていて、食べて太るという仕掛けだ。また、河口慧海によると、チベットでは野外で大便をしていると犬が集まってきて、便の終わるのを今か今かと待ち受けているらしい。そして、人が立ち去ると、犬どもが、わっと群がってむしゃむしゃと食べるという。

更には、このような便のリサイクルはかつての朝鮮でもあった。大人はまだしも、小さな男の子が便を足していると、便をまちきれない(そそっかしい)犬が男の子の股間にぶらさがっている茶色のものをまちがってガブリと噛みちぎってしまう悲劇が幾度となくあったようだ。もっとも、その男の子は内侍(ネシ、宦官のこと)になって宮中に入れるので、運がよいと大出世も期待された。このようにして育ったブタや犬を食べれば理論上は、必須元素の必要量は補充される。ただし、ブタはさておき、犬ともなれば動物愛護家の激しい抗議が予想されるが。。。

人間の生存に欠かせない必須元素の補充問題は人糞のリサイクル農業で一件落着かと思いきや、どっこい、頭の痛い問題がある。それは、江戸時代ならいざ知らず、平成の現在、飲食物や薬剤などを通してありとあらゆる化学物質が尿や便に含まれる。それで人糞リサイクル農業を実施すると、これらの化学物質の濃縮され、却って体に害をもたらすことが懸念される。これは、魚の食物連鎖で放射性物質が濃縮される「生体濃縮」と同じメカニズムだ。ちょっと残念だが、糞尿に含まれる化学物質の濃縮問題が解決されるまで「人糞のリサイクル農業」の実施を見合わせるのが賢明ではないかと愚考する次第である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

想溢筆翔:(第265回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その108)』

2016-07-21 22:08:49 | 日記
前回

【207.無恙 】P.3888、AD440年

『無恙』(つつがなし)は現代では、すこし古風な言い方に聞こえるが、使われないこともない。旅行に出る人に対して「ご無事で!」という意味に使う。そもそも『恙』とは小さな虫で、学名を trombidiumといい、ダニの一種で、噛まれると伝染性の病気もうつるらしく、危険な虫であるようだ。その意味で『無恙』とは「恙虫に噛まれないようにご注意を!」という警告だ。

『無恙』を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索すると、史記から始まってずっと使われている。とりわけ特徴的なのは『恙』という字が使われるケースの8割は『無恙』ということだ。つまり『恙』が単独で使われたり、他の単語と組み合わせて使われることは極めて少ないのだ。(参考まで、『無恙』以外に『恙』が使われている熟語としては、疾恙、風恙、心恙、痾恙、微恙、亡恙などが見つかる。ちなみに、最後の2つは『無恙』とほぼ同じ意味を表わす。)



さて、資治通鑑で『無恙』が使われている場面を見てみよう。

南朝の宋の第3代皇帝・文帝の時代の話。文帝には劉義康という頭の回転がはやく、猪突型の実力派の異母弟がいた(少而聡察・率心逕行)。臣下には、兄の文帝より随分と人気があった。兄が病気の時、政治を独断ですすめたため、遂に兄から危険視され、有能な部下達が一網打尽に殺された。(一説には殺された人数は千人ともいう。)

劉義康は処罰されなかったものの、母親の会稽公主は気が気ではない。

 +++++++++++++++++++++++++++
暫くして、文帝が会稽公主の宴会に出席したところ、公主ははなはだ怯えているようすであった。公主は文帝の前に来て、丁寧なお辞儀をしたあと、悲しみのあまり床に崩れてしまった。文帝は、何事が起ったのかと訳が分からず、公主を助けおこした。公主がいうには「息子の義康はいづれは、陛下のお気に召さないようになるでしょう。お願いです、命だけは助けてください」と大声をあげて泣き出した。文帝ももらい泣きした。近くに見える父・武帝の初寧陵を指さして「心配しないでください、今ここで助けると約束しますよ。万が一その約束を破ったなら初寧陵に背くことになります。」そう言って、飲んでいた酒瓶を封じて、次のような書面とともに弟の義康に贈った。「貴方のお母さんの宴で我が弟を思い、残り酒を封じて送る。」おかげで、会稽公主が生きている間は、劉義康は無事で(無恙)いることができた。

久之、上就会稽公主宴集、甚懽;主起、再拝叩頭、悲不自勝。上不暁其意、自起扶之。主曰:「車子歳暮必不為陛下所容、今特請其命。」因慟哭、上亦流涕、指蒋山曰:「必無此慮。若違今誓、便是負初寧陵。」即封所飲酒賜義康、并書曰:「会稽姉飲宴憶弟、所余酒今封送。」故終主之身、義康得無恙。
 +++++++++++++++++++++++++++

一応は、会稽公主の涙で救われた劉義康であったが、結果的には、その後、人気の高さが逆に裏目にでて文帝から自殺を命じられることになった。仏教の信者であった劉義康は自殺を拒み、縊り殺された。享年43。



劉義康の悲劇の結末について、資治通鑑の編者・司馬光は次のように評す。

 +++++++++++++++++++++++++++
私(司馬光)の意見:文帝と劉義康の兄弟の愛情は始めは非常に親密であったが、最後には兄弟の情も、君臣の義も崩壊した。なぜそうなったかを探ってみるに、劉義康の部下の劉湛があまりにも権力を得ようとし過ぎたのが原因だ。詩経にいう「貪ぼり過ぎると、失敗する」とはまさにこの事をいうのであろう!

臣光曰:文帝之於義康、友愛之情、其始非不隆也;終於失兄弟之歓、虧君臣之義。迹其乱階、正由劉湛権利之心無有厭已。詩云:「貪人敗類」、其是之謂乎!
 +++++++++++++++++++++++++++

日本では、徳川家などを見ても、異母兄弟が互いに殺し合いするケースは少ないが、中国ではかなり多い。とりわけ春秋戦国時代などは誰かが即位すると、必ずと言っていいほど、異母兄弟は殺されるか他国に逃亡している。王座が一つしかない以上、血のつながった兄弟といえども中国人には敵にしか見えないらしい。

続く。。。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百論簇出:(第192回目)『衣食足りて、礼節を知らず』

2016-07-17 19:22:06 | 日記
私も若い頃には分らなかったのだが、還暦を過ぎたこのごろになってようやく分かってきたことがある。それは、中国古典に書かれている多くの麗しき理論や表現は実は真理ではなく「あったらいいなあ~」という願望であることが多いということだ。中には、願望を通り過ぎて「妄想」のようなものも多い。

中国以外でこのような例を挙げると、古くはプラトンの「哲人国家」や、近年のマルクスの共産主義革命がこの「妄想」に該当する。一度も実現されたことが無いにもかかわらず、理念だけが一人歩きし、次第にその「妄想」を無批判的に信じる人が増えると「妄想」が「真理」に変貌する。

マルクスの共産主義革命のケースでは、結局、彼の本来のシナリオであった成熟した資本主義社会からは一つの革命も起きず、識字率の低い国々で実現しなかった。民衆が共産主義の理念を正しく理解した結果、共鳴したので共産革命が成功した、という訳ではなく、革命家に扇動された民衆が無批判的に受けいれたから革命が成功したのだ。つまり、民衆にとっては共産主義であろうと XX主義であろうと、何だって構わなかったのだ。

一方のプラトンの「哲人国家」は、もともとプラトンの本は一般大衆がすんなりと読めるようなものでもなく、また理念としては、読み様によっては「真言立川流」とも受け取れるフリーセックス礼讚のような一節もある。それやこれやで、結局、無批判的に受けいれる民衆がいなかったおかげでマルクスのような悲劇を生まなくて済んだ。



さて、中国の古典に話を戻すと:

戦国時代にまとめられた『管子』という本がある。これは春秋時代の斉の宰相・管仲に仮託した法家の本に分類されているが、実際に読んでみると『呂氏春秋』『淮南子』『説苑』のような雑多な思想の寄せ集めである。(私の好みをいえば、このようなとらえどころなく無節操で猥雑な本の方が、読み応えを感じる。)

この『管子』の冒頭の《牧民編》に「衣食足りて礼節を知る」という人口に膾炙する文句がある。ただし、原文では「倉廩、実ちて、則ち礼節を知る。衣食、足りて、則ち栄辱を知る」(倉廩実、則知礼節;衣食足、則知栄辱)ではあるが。

私も昔は、この句を字義通り「経済発展と共に民衆のモラルが向上する」と解釈していた。ところが、冒頭で述べたように、年をとり、中国古典を数多く読んでくると『管子』のこの句も全然真理ではなく、単なる「妄想」に過ぎないことが透けて見えてきた。最近、こちらから頼んだわけでもないのに、私の確信を裏付けするために中国人がわざわざ日本にやってきたのだった!

というのも、先日、品川駅のホームでエレベータを待っていた時のことだ、私も含め3人の日本人はエレベータの戸の正面を空けて横側に並んで待っていた。戸が開いた、ちょうどその時、数メーター先から中国人の家族が戸の開いたエレベータめがけて突進してきた。待っている我々3人のことなどお構いなく、中国人のお母さんが旅行鞄を2つを押して、さっさと乗りこんだ。我々日本人はその素早い動作に、あっけにとられた。お母さんは乗り込んだが、お父さんと子供は、なにやら躊躇していた。そこで、私は自分のキャスターを押しつつ、エレベータに乗り込んでその中国人のお母さんに「出てください!ここに居る人達が並んで待っていたのですよ!」と注意した。2度ほど言ったが、全く効き目なく、それどころかお母さんは夫と子供に早く乗るようにせかす始末だ。私はもう一度強く「出てください!」と言って、強引にお母さんの旅行鞄の一つをエレベーターから押し出した。それでようやくお父さんが駆け寄ってきて、お母さんと残りの鞄をエレベータから取り出した。この間、中国人は「迷惑をかけた」と一言の詫びも無かった。このお母さんは中国から日本に旅行に来る位だから、中国社会ではそこそこ以上の社会的クラスの人であろう。つまり「衣食が足りた」人でありながら「礼節を知らない」のだ。

しかし、つらつら考えてみると、日本人も昭和30年代から50年代にかけて海外旅行した時には、現地でこのような無礼なマネもあったかもしれない。しかし、その後、2世代ほど経って現在では世界に冠たる「礼節」の国となっている。(礼節が過ぎて、気が詰まる場面もなきにしもあらずだ。)もし『管子』の「衣食足りて礼節を知る」が妄言ではなく真理だとすると、この場面を自分の目でみた中国人の子供が将来、大人になって海外に出た時には、礼節を心掛けるようになっているはずだ。

私の最新の著書『旅行記・滞在記500冊から学ぶ 日本人が知らないアジア人の本質』の最終章(P.347)にルール違反する外人に適切に対応できない日本人の欠点として次のように書いた。

 …外国人(だけではなく、日本人)がルールに違反した時、「ルールを守ってもらわないと困ります」「他人への迷惑を考えて行動して下さい」と感情的に声を荒げるだけで、なぜそのように行動してはいけないかと筋道だって説得できないでいる。さらに悪いことには、ルールを強制的に守らせるための方策や罰し方を知らない。

中国人でも、アメリカなどで暮らしている2世や3世などは現地のルールをきちんと守っている。それは、現地のアメリカ人はルール違反に対して、個人ベースでも厳しく対応するからだ。更にいえば、日中戦争時代、日本軍が支配した地域では、日本軍人が厳しく罰したため、中国人といえどもきちんと列をなして並んだと言われる。以上のことから考えると、『管子』の言葉が成立するためには、中国人には経済的豊かさだけでは不十分で、外的強制力という薬味が必要ではないかと思われる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする