限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第314回目)『良質の情報源を手にいれるには?(その19)』

2019-06-30 14:00:01 | 日記
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AB.ギリシャ・ローマ古典百科事典

ギリシャ語やラテン語を読んでいると当然のことながら、知らないことが数多く出てくる。そのような時、ギリシャ・ローマ古典に関する専門の百科事典をチェックする必要がある。私は未見ではあるが、最近日本語で読める『西洋古典学事典』(全 1675ページ、松原國師、京都大学学術出版会)が出版されたので、今後はギリシャ・ローマに関することを調べるにも敷居が低くなることだろう。

以下に、私が普段使っている事典を紹介したい。

AB-1 dtv, "Der Kleine Pauly"

近代ドイツの詩人のゲーテは敬虔なキリスト教徒でありながら偉大な人間になるにはギリシャ人に学ぶべきだとの強い信念を持っていたようだ。弟子のエッカーマンが書きとめた『ゲーテとの対話』には次のようにその重要性を強調する。
 過去の偉大な人物にこそ学ぶべきだ。…何よりもまず、古代ギリシャ人に、一にも二にもギリシャ人に学ぶべきだよ。

ゲーテの生きた「啓蒙時代」にはドイツに限らず全欧的にギリシャ・ローマ、両方の文芸が愛好された。西欧諸国ではギリシャ語やラテン語の辞書の充実とともに、西洋古典に関する百科事典が競って作られた。独仏英の大国だけでなく、オランダ、イタリア、スペインにおいてもそれぞれ非常に浩瀚な古典百科事典が作られた。その中でも、ドイツ語で書かれた Pauly-Wissowa 、正式に
Realencyclopaedie der classischen Altertumswissenschaft
と呼ばれる百科事典は全部で84巻もあり、ギリシャ・ローマ古典に関することはこの本に全て網羅されていると断言していいほどの充実ぶりだ。一項目についての記述が一冊の単行本に匹敵するだけの内容があると言われている。私も京都大学に奉職している時に、文学部の地下の書庫で何度か目にしたが、「この本から単に書き抜きをするだけでも立派な論文が何本も書ける」という噂が充分真実味を帯びて感じられた。



しかし、これだとあまりにも大部であるので、5冊に圧縮した『Der Kleine Pauly』(Lexikon der Antike in fünf Bänden)が戦後になって出版された。全体で4124ページしか(も?)ないので、確かに情報量は少なくなっているが、逆にその分、情報を探しやすい。この本はドイツ語で書かれているので日本では一般的にはあまり読まれることはないであろうと思われる。しかし、私は個人的にはこの本は非常に優れていると思っている。というのは、10数年前にこの本を手に入れてから、何度も引いたが始めは多少引きにくかったが、慣れてくると、内容に不満を覚えることはほとんどなかったからだ。

本体の Pauly-Wissowa は現在、英語への翻訳が完了して
Brill's New Pauly: Encyclopaedia of the Ancient World
というタイトルで28巻本として出版されているようだが、小型版の『Der Kleine Pauly』はまだ翻訳されていないようだ。

AB-2 Artemis, "Lexikon der Alten Welt"

『Der Kleine Pauly』を使っていると、人名や歴史的な事物に関しての情報は多いものの、庶民生活に関するいわば「背景情報」ともいうべき点に関してはほとんど載せられていないことに気付いた。それは、項目の選択基準が specific になっているためだと私には思える。Der Kleine Pauly を使いだしてから 5年ぐらいして、その欠点を補う事典として、ドイツの有名な古典籍専門の会社 Artemis 社かこの Lexikon der Alten Welt が出版されていることを知った。



この本もドイツ語で書かれていて、全体で 3523ページある。一ページ当たりの字数が多いので、総体としては Der Kleine Pauly と質量ともに匹敵する内容である。Paulyと違う点といえば、図や王家の系図など、図がかなり多く入っていることである。例えば上に示したように、 Ornament(装飾品)のような日常品を図解入りで説明してくれている。元来、この事典は高校生(Gymnasium)用に編纂されたということが図を多用する背景にあるといえる。ギリシャ・ローマのように馴染のない事物が多くある時には、こういった図解は非常に助かる。

AB-3 Oxford, "The Oxford Classical Dictionary"

ギリシャ・ローマの事柄を調べる時には、上で述べた Lexikon der Alten Welt を引いて大枠の内容を理解したあとで詳細を知るために、Der Kleine Pauly を参照することが多い。この2つで足りない時は英語の百科事典を使う。いづれ説明するが、Encyclopedia Britannica の 11th version はギリシャ・ローマの古典に関しては専門の事典顔負けの充実した記述がある。それでも足りない時には、ここで紹介する The Oxford Classical Dictionary を参照する。



この本の総ページ数は1592ページと上の2つに比べると半分程度である。それだけ、項目を厳選しているともいえる。内容的には、部分的には上記2冊の本を補完するものの、概して、説明が不足している感は否めない。それだけでも事典としては点が落ちるのだが、― 私の個人的感覚から言うと ― 更に悪い点は、紙の表面がコーティングされていて、てかてか光り、鉛筆が滑ることだ。事典にメモをしない習慣の人には無関係なことだが。。。

それで、私はこの事典はめったに使わない。しかし、ドイツ語が読めないとするとこの事典か、冒頭に紹介した日本語での事典が命綱になることだろう。こういった観点から、もし、ギリシャ・ローマの古典をしっかり読もうと思うなら、ドイツ語の学習は避けることができないのではないか、と私には思える。

続く。。。
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想溢筆翔:(第401回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その244)』

2019-06-23 13:36:44 | 日記
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【343.離散 】P.741、BC88年

『離散』とは「まとまっていた親しい人々が別れ別れになる」という意味。朝鮮戦争後、韓国や北朝鮮では「離散家族」が数多く発生したので、新しい単語かと思いきや、2000年以上も前から使われている語句だ。一番古くは書経に見えるし、孟子・墨子・晏子春秋など、先秦時代の書物にかなり多く現れる。辞海や辞源には説明が載っていない。つまり、「離散」はあまりにも自明な意味であるということが分かる。



資治通鑑の中で「離散」が使われている場面を見てみよう。

漢の武帝は、前漢の盛時において、将軍・衛青や霍去病が強敵の匈奴を何度も破り、天下無敵を誇った。しかし、武帝の晩年になって、この2人の将軍が亡くなった後に望みを託していた李陵と李広利が共に匈奴に降ってしまうと、ようやく無茶な外征に反省するようになった。つまり、方士(占い師)たちの「イケイケ・ドンドン」に踊らされていたということに気付き、次のような詔をだした(上乃下詔、深陳既往之悔)。

 +++++++++++++++++++++++++++
「…(振り返ってみると)方士や史官、天文職や筮竹師たちは皆、『占いでは吉と出ていますので、匈奴を必ず破ることができます。このような時は二度とやってこないでしょう』と言ったし、更には『今、北伐すれば、鬴山の辺りで勝利するでしょう。李広利(弐師将軍)がベストです。』とも言った。それ故、朕は李広利が鬴山を攻略するための出陣式には自ら臨席した。しかし、敵地では決して深入りするなと命じたにも拘わらず、計画はことごとく裏目に出て失敗したではないか。

馬通(重合侯)が敵の捕虜から聞いたところでは『匈奴は漢の軍隊を呪って、通り道に馬を縛って埋めた』と言う話ではないか。匈奴はいつも我が漢の軍隊を見くびって『漢の軍隊は人数は多いが、飢えや水不足などではきわめて忍耐心に欠ける。将軍一人だけが勇猛だが、その将軍を倒せば、後は雑魚の兵が一斉に逃げてしまう』とあざけっている。その言葉通り、先般、李広利(弐師将軍)が敵に降ってしまうと、途端に兵士たちは斬り殺されたり、離散してしまった。これを聞いてから朕はずっと悲痛な思いがしている。それなのに、今また輪台のような遠い所に屯田兵を置き、険阻な所に道路を開通せよという。これでは、天下の民を苦しめるだけで、ちっとも民のためになっていない。朕はそのような計画を聞きたくはない!

公車方士、太史、治星、望気及太卜亀蓍皆以為『吉、匈奴必破、時不可再得也。』又曰:『北伐行将、於鬴山必克。卦、諸将弐師最吉。』故朕親発弐師下鬴山、詔之必毋深入。今計謀、卦兆皆反繆。

重合侯得虜候者、乃言『縛馬者匈奴詛軍事也。』匈奴常言『漢極大、然不耐飢渇、失一狼、走千羊。』乃者弐師敗、軍士死略離散、悲痛常在朕心。今又請遠田輪台、欲起亭隧、是擾労天下、非所以優民也、朕不忍聞!
 +++++++++++++++++++++++++++

この詔を出したのはBC89年、武帝が67歳の時である。この後、2年して武帝は崩御するのであるから、最晩年という年齢からくる気力の衰えがあったであろう。その気持ちを表現したのが、武帝の《秋風辞》である。
 秋風起兮白雲飛    秋風起って 白雲飛び
 草木黄落兮雁南帰  草木黄落して 雁、南に帰る
 蘭有秀兮菊有芳    蘭に秀有り 菊に芳有り
 懐佳人兮不能忘    佳人を懐うて 忘る能わず
 泛楼船兮済汾河    楼船を泛べて 汾河を済り
 橫中流兮揚素波    中流に橫たえ 素波を揚ぐ
 簫鼓鳴兮発棹歌    簫鼓鳴りて 棹歌を発す
 歓楽極兮哀情多    歓楽極りて 哀情多し
 少壮幾時兮奈老何  少壮幾時ぞ 老いを奈何せん


さらに、数年前には戻太子の乱で無実の愛息と皇后が亡くした傷心の思いをずっと引きずっていたのであろう。壮年の時の驕り高ぶった気分とはうらはらに、晩年のそういった惨めな境遇を顧みて、それまでの外征の失政を謙虚に反省した。その思いをストレートに表したのがこの詔だと言える。

司馬光はこの詔を紹介した後に「臣光曰」として自分のコメントを掲げている。「かつての武帝は外征を好んだので、命知らずの武士たちが朝廷を埋め尽くしていた(武帝好四夷之功,而勇鋭軽死之士充満朝廷)。 ところが意の如くならなかった。それを反省して民を休め、農業を重視する政策に転換したので民は利益を得た(及後息民重農、…民亦被其利)。」このように武帝の内政重視の政策を「あたかもかつての三代の聖世のようだ」と手放しで誉めている。

『論語』《学而》編に「過則勿憚改」とあるが、儒学を国学に据えた武帝はまさにこの論語の言葉を自ら実践したと言える。

続く。。。
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沂風詠録:(第313回目)『良質の情報源を手にいれるには?(その18)』

2019-06-16 13:37:06 | 日記
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B-2.ラテン語・語源辞書

ギリシャ語と異なり、ラテン語は英語にもかなり多く取り入れられているので、馴染のある単語が多い。それで、語源的にはギリシャ語より類推のつく単語が多い。学術的には、英語はインド・ヨーロッパ語族の中の西ゲルマン語族に分類されているが、ある水準以上の英語を読み書きしようと思えば、使う単語(とりわけビッグワード・難解語)のほとんどがラテン語由来である。それ故、ビジネスや学術関連の英語(やフランス語)をしっかりと理解しようと思うのならラテン語の語源を知っておくことは非常に重要である。


The American Heritage Dictionary of Indo-European Roots, Third Edition

ラテン語の単語をしっかり学ぶと、いわゆるインドヨーロッパ語族の祖語のベース、つまり『印欧語の語根』と英語を始めとする現代ヨーロッパ語との関連が極めて明瞭になる。英語の語源辞書、Walter Skeat の『Etymological Dictionary of the English Language』(ISBN:978-0486440521)の附録や American Heritage Dictionary の附録に「語根」の一覧リストが載せられている。後者のものは、単独で販売されているが、ここには1300を超える語根がリストアップされている。これを見ると、全ての西洋語の単語が大きなクモの網にトラップされているような錯覚を覚える。各国語の単語の発音は、恣意的に作られたのではなく、あたかも目に見えない幾つかの公式から自動的に導きだされた結果であるように思えてくる。

そのような「語根」を理解すると英語のゲルマン語部分だけでなく、ラテン語を語源からよく分かるようになり、ひいては英語の単語力の増強にもつながる。

B-2-1 Hofmann+Walde "Lateinisches Etymologisches Worterbuch"

ラテン語の語源を簡単に知るには、ギリシャ語同様、ラテン語にも Mengeが編纂した
Mege-Guethling, Langenscheidts Groswoerterbuch Lateinisch.
という大型の辞書(ドイツ語)を参照するのが便利だ。

実際、私自身、ラテン語があまりできなかった時は、このMengeの語源部分を読んで満足していた。しかし、その内に説明が少なくて物足りなく感じるようになった。あの時、たまたま神保町の崇文荘書店に入ってみていると、Friskの"Griechisches Etymologisches Woerterbuch"の横にこの Hofmann+Walde "Lateinisches Etymologisches Worterbuch" が置いてあった。両方合わせると、結構な値段になったのが、思い切って購入した。



この本(第2版)のもともとの出版年は1910年というから、明治43年、実に100年ほど前に出版された本だ。その後、二度の世界大戦を挟んでいるにも拘わらず、現在でもなお、ドイツでは内容を全く変更せずに出版されている。 100年経っても尚、学術的価値が全く減じることのない息の長い本を作る学者魂には全く敬服する。



上に"fistula" の説明部分を掲げる。見て分かるように、体裁は、Friskと似ているが、かなり比較言語学の専門的な説明が多く、理解できなくはないが、ちょっと扱いづらい内容だ。ただ、この本はWebでドイツの古本屋を検索すると、かなり高い評価の本のようなので、内容的には素晴らしいものだということだが、尚、この Hofmann+Walde の本は、現在ありがたいことに Webから無料ダウンロードできる。
https://archive.org/details/Lateinisches-etymologisches-woerterbuch/page/n323

このように、この本は確かに良い本だと認めるが、正直いうと私は、現在でもラテン語の語源に関しては上述のMengeを使うことが多い。

B-2-2 Ernout+Meillet "Dictionnaire etymologique de la langue latine"



さて、この Hofmann+Walde を暫く使っていたが、使いづらいので使いやすいラテン語の語源辞書を探している時に、このフランス語の語源辞書を知った。このフランス語の辞書は前書きにも書いてある通り、Hofmann+Walde の成果をベースにしている。しかし、力点は、副題の "Histoire des mots"(語彙の歴史)とあるように、語源を探るだけでなく、単語の歴史的発展を記述した点にあるようだ。




上に"fistula" の説明部分を掲げる。Hofmann+Walde の説明に比べて、多少簡略化されているが、ギリシャ語のσυριγχにまで言及しているのは私にとっては非常にありがたい。

この辞書には私の欲しい情報が過不足なく揃っているので、Mengeで不十分な時は参照している。ただ、私のフランス語では時たま理解できない所もあるにはある。。。

B-2-3 Michiel de Vaan, "Etymological Dictionary of Latin: And the Other Italic Languages "

上にあげたように、従来、ラテン語の語源辞書と言えば、ドイツ語、フランス語(それに多分、イタリア語)のものが取り上げられていたが最近(2008年)になってオランダのライデン大学から英語で記述されたインド・ヨーロッパ語族に関する辞書(Leiden Indo-European Etymological Dictionary)が続々と出版された。その内の一冊として、ラテン語の語源辞書がある。

ここで紹介するのはラテン語の辞書であるが、副題に "And the Other Italic Languages "とあるように、ラテン語の直系の子孫であるイタリア語(+α)との関連も記述されている。



上に"fistula" の説明部分を掲げる。ドイツ語の Hofmann+Walde やフランス語の Ernout+Meillet のどちらに比べても説明がなかり簡略化されているのがよく分かる。ただ、流石にタイトルに『インド・ヨーロッパ語族』と冠しているだけに、 Hofmann+Walde 並みに分かりにくい説明の箇所もある。邪道ではあるが、英語でラテン語の語源を調べる時には、OED(Oxford English Dictionary)の語源欄を参照することが多い。

尚、このLeiden版は、出版が最近であるにも拘わらず、何故かしらないが、著作権が無いようで、最新版が下記のサイトから無料でダウンロードできる。 https://www.bulgari-istoria-2010.com/Rechnici/Etymological dictionary of Lat - de Vaan


ラテン語の語源に関しては、私は安直には Menge を参照し、それでも足りない時は、フランス語の Ernout+Meillet をチェックする。そして、補完的にドイツ語の Hofmann+Walde と英語の Leiden版を使う。

続く。。。
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想溢筆翔:(第400回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その243)』

2019-06-09 09:11:51 | 日記
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【342.武士・文士 】P.4485、AD501年

『武士・文士』のうち「武士」は説明するまでもないであろう。「文士」は日本では「小説家」の別称として使われるケースが多い。しかし、「文」の国、中国では「文人」の別称として使われていた。つまり、現代はいざ知らず、歴史的文脈でいえば日本では「文士」とは多少軽蔑的であるが、中国では高いレベルの教養人というニュアンスを持っていた、と言える。

「武士・文士」および「文士」の関連語を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索する次の表のようになる。「文士・文人」という語は史記には見えず、三国志あたりから見られることが分かる。つまり、一般的な「文」を書く人ではなく経書関連の文を書くことができる人は、それまで「学士」あるいは「博士」という名称で呼ばれていたことが分かる。



さて、資治通鑑で「武士・文士」が使われている場面を見てみよう。

南康王・蕭宝融が兄の蕭宝巻(東昏侯)を打倒する勢力に担がれ、最終的には南斉最後の帝位に就くことになる。各地で政治的混乱が起こったのを鎮めるための適任の行政官を選ぶ時に、武士か文士のどちらがよいかと議論が始まった。

 +++++++++++++++++++++++++++
南康王の政府は、湘州の知事を送ろうとしたが、その人選に苦慮していた。西中郎・中兵参軍の劉坦が皆の前で「湘州の人情はすぐに混乱を引き起こし、信頼がおけない。武士を送れば庶民から強奪するし、文士を送れば軍備がおろそかになる。州をきちんと治め、兵士たちの食糧も十分供給できる人といえば年寄りのこのわしに優る者はいない」と言ったので、劉坦を輔国長史・兼・長沙太守に任命し、湘州の行政を担当させた。劉坦は以前、湘州に暮らしたことがあり、昔からの知人や縁故のある者が多く、赴任すると、多くの人が出迎えた。役所に入り、事務に精通している役人を選んで、十郡に送った。住民を駆り集めて米30万石を運搬させて、荊州と雍州の軍隊に物資を供給した。それで、兵士に食うにはこまらなくなった。

府朝議欲遣人行湘州事而難其人、西中郎中兵参軍劉坦謂衆曰:「湘土人情、易擾難信、用武士則浸漁百姓、用文士則威略不振;必欲鎮静一州、軍民足食、無踰老夫。」乃以坦為輔国長史、長沙太守、行湘州事。坦嘗在湘州、多旧恩、迎者属路。下車、選堪事吏分詣十郡、発民運租米三十余万斛以助荊、雍之軍、由是資糧不乏。
 +++++++++++++++++++++++++++

この文には「武士・文士」の特徴が端的に表現されている。つまり、「武士」は暴力を振って、庶民から食糧や財産を強奪するが、「文士」はそういう暴力的な行いはしない。しかし、軍備を疎かにするので他国から攻め込まれて、結局被害を受けるのは一般庶民ということになる。つまり、どちらも地方行政をまともに担うことができないという話だ。

劉坦は自己推薦して、「湘州に縁故が多い自分が最適だ」と豪語する。本人の資質はどもかくとして、とにかく地元人とつながり(関係・クヮンシー)が深い、という所を強調するところに中国人が何を重視していたかがよく分かる。「関係」(クヮンシー)が行政官として最重要な要素であるという点に於いては、― 推定ではあるが ― 現代の中国においても同様ではないだろうか。

現代のビジネス書ではあるが、10数年前に出版された
 『ビル・ゲイツ、北京に立つ―天才科学者たちの最先端テクノロジー競争』(ロバート・ブーデリ・他、日本経済新聞出版社)
には中国でビジネスする上でいかに「関係」(クヮンシー)が重要かがメインテーマとなっている。

続く。。。
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百論簇出:(第248回目)『これから哲学を学ぼうとする若者に(後編)』

2019-06-02 16:47:21 | 日記
前回

ギリシャの時代から哲学の根本命題は「存在・有」であったと述べた。このテーマに関するギリシャ哲学者の意見はディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』(岩波文庫・3冊)という本に縷々述べられている。太陽や月、星のような存在から魂や神の存在など、目に見えて、触れることができるもの(tangible matter)から目に見えないが人間にとって存在が確信できるもの(untangible matter)まで幅広く「存在そのもの」 ― 気取って、カント風に言うと "das Dasein an sich" ― についてギリシャ人は考察を重ねた。

現在的視点からみれば、こういった幅広い対象物の存在を一括して議論すること自体がすでに結果的に論理破綻しかならないことは明らかだが、当時のギリシャ人はそうは考えず、とことん追求していくと道が拓けるとでも考えていたようだ。プラトンの対話編『パルメニデス』はそういった当時の哲学者の「あがき」がよく活写されている。その延長線上にカント以降の現代哲学の観念的な形而上学が位置しているのだが探求の姿勢に於いて大きな差が見られる。それは、哲学的思考を表現する単語に如実に表われる。この点について以前のブログ
 百論簇出:(第93回目)『ケーベル博士曰く、ソクラテスは最大の教育者、の意味』
には次のように書いた。
プラトンの記述によると、ソクラテスは常に日常言葉を使って、哲学を語っていた。その相手も大抵は哲学の専門家でない、ごく普通の一般人だ。ソクラテスの対話は相手の理解を確かめながら、一歩一歩階段を登っていくようだ。そして、もし相手が理解できなければ、必ず立ち止まって理解できるまで、物事を砕いて説明している。説明をごまかしたり、はしょったりなどはしない。つまり説明から逃げないのだ。それでいつも、単語と、その単語が示す対象物が符合している。

下にプラトンの対話編『メノン』の一節を示すが、ソクラテスの話す単語で分からない語彙は一切ないし、文章の意味も明瞭そのものだ。


図3a:プラトンの『メノン』


図3b:プラトンの『メノン』(ドイツ語訳)

プラトンを読むと、哲学といっても、とても前回紹介したようなカントやハイデッガーと同じ学問だとは思えない。私も、正直な所、学生の時に始めてプラトンを読んだ時あまりにも普通の文章なので、文意がいとも簡単に分かりすぎて逆にとまどった。「本当にこのような文章が哲学と言えるのだろうか?」

私の頭の中には「哲学とは難解な語彙と晦渋な文章でなければ表現しきれないものを、読者は呻吟しながら読み解くものでなければならない」という先入観がこびりついていた。それは、あたかも、柔らかくてジューシーな肉は低級であり、堅くて干からび、噛んでも噛んでもなかなかほぐれない肉が高級である、とでも思っていたようなものだ。今から振り返ると、おいしい肉(哲学的思考の結果、コンテンツ)を味わうのが目的ではなく、堅い肉を噛む試練を積むこと(難解な単語、文章を理解すること)が目的であると考えていたのだった。

プラトンを始めて読んでからすでに40年以上経過したが、振り返って考えるに、私はプラトンによって始めて哲学の本質を悟ったのであった。つまり哲学とは難しい単語を駆使して、しち面倒な事をとうとうと述べることではなく、「健全な懐疑心を持つこと」であるということだ。

この観点に到達して見えてくることは、かつての哲学者が考えたことの大半(百歩譲って半分)は妄想、仮説、想定の類であるということだ。しかし、残念ながら、すこしでも哲学に興味を持ち、真摯な気持ちで哲学を学ぼうとしている若者 ― まあ、現在では一種の絶滅危惧種ではあるが ― にとっては、それらの妄想は真理であり、それを正確に理解し、きっちりと暗記することが哲学をすることだ、という間違った考えに毒されている人があまりにも多い。

こういった人は、たとえ熱心に「哲学を学んで」いてもショーペンハウアーのいう Selbstdenken の力を全く失ってしまっている人だ。喩えていえば、自力では飛ぶことにできないグライダーのようなものだ。グライダーは他から引っ張られて、あるいは都合のよい風にのって飛び上がることはできるが、自分の力では一歩も飛ぶことができない。つまり、かつての大哲学者の意見ならオーム返しのようにいうことはできても、彼らが解答を与えていない問題については全く意見を述べることができない。

わかりやすく、この状況を囲碁や将棋を例にとって説明してみよう。

囲碁や将棋には定石・定跡とよばれる定型的なパターンがある。定型的なパターンは過去の多くの実践からベストのパターンが抽出されたものだが、プロともなるとたとえ今まで見たことのない新しいパターンに対しても(かなり)正確に対応できる。それはかつてのパターンから「棋理」、つまり石や駒はこう動くべき、という自分なりの考え方がしっかりと出来上がっているからだ。つまり、数多くの実践から石や駒の働きに関する原理(芯棒)を把握することができている。プロはその原理に従って打つ手を決めているから(かなり)正確に手を運ぶことができるのだ。

それと同様、哲学もかつての哲学者が考えたことは自分にとっては、思考を深めるための材料に過ぎなく、それに囚われることなく自分の考えを芯棒をつくり上げていくことが最終目的である。

 ********************************

再度、哲学を学ぶ上でソクラテスメソッドが基本であり、それを学ぶにはプラトンを読むのが良いという点を強調しておきたい。

ビジネスではよく「魚を与える」のではなく「魚の取り方を教えよ」と言われるが、これこそまさしくプラトンが描くソクラテスの対話に見られる。ソクラテスメソッドについてはいろいろな本があるが、私は今だに最良の教科書はプラトン全集であると思っている。それで、ことあるごとにプラトンを読むことを勧めるのだが、残念なことにプラトンの本は全体の流れが非常に分かりにくい、という欠点がある。

日本語訳を上に挙げたが、英訳も見てみよう


図3c:プラトンの『メノン』(英訳)

ドイツ語訳(図3b)には赤枠で囲った部分に、段落の内容が要約されている。これは Rowolt Taschenbuch であるが、私がプラトンを読んだのはこのドイツ語版であったので、どの版にもこのような要約が付いていると思っていた。要約といってもわずか1、2行程度であるが、それでも内容を理解するのに非常に手助けとなった。後になって、英訳本や日本語のプラトンを見たが、どの本にもこのような要約が全く付いていなかった。私は、プラトンはドイツ語訳で何度も読んでいるので、要約がなくとも内容理解には苦労しないが、始めて読む人にとっては案内標識(要約)なしでは読むのに苦労するだろうなあ、と思う。


図3d: Rowolt Taschenbuch プラトン全集


図3e:Insel Verlag 社 プラトン全集

その意味で、ドイツ語をすらすらと読めない人が多いことだろうが、プラトンを読むには少なくとも、Google翻訳の助けを借りて上で紹介した Rowolt Taschenbuch 、あるいは Insel Verlag 社のドイツ語とギリシャ語対訳のプラトン全集に載せられているアウトラインを頼りに英語でプラトンを読むのが最善であろうと思う。専門家きどりの哲学者が推奨する最先端の哲学や、世間の風評などに惑わされることなく、プラトン全集を英語で何度も読むことを「これから哲学を学ぼうとする若者に」勧めたい。

(了)


【英語のプラトン全集】
英語のプラトン全集には次の2冊があるが、どちらでもよいだろう。ただ、 2.の方が出版年代が新しいので世間の評価は高いようだ。(ちなみに、私は両方持っているが、学生時代に買った1.の方をよく読む。)

1. The Collected Dialogues of PLATO (Edith Hamilton, Hungtinton Cairns)
ISBN-13: 978-0691097183

2. Plato Complete Works (John M. Cooper, D. S. Hutchinson)
ISBN-13: 978-0872203495

【参照ブログ】
想溢筆翔:(第38回目)『プラトンに学ぶ弁論術』
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