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限りなき知の探訪

50年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【麻生川語録・36】『赤い炎と青い炎』

2014-02-27 22:35:12 | 日記
アメリカのハリウッド映画では、昔の西部劇に始まり 007やインディ・ジョーンズなど、常に正義の味方が最後には勝利を収めるようなストーリーが人気を博する。一方、日本人は勝ち負けを度外視して、高校野球に見られるような汗まみれの熱血的な努力に対して拍手を送る。最近では、ソチオリンピックの浅田真央選手のフリーでの演技もそうだ。確かに力のこもったプレーを見ると感激がダイレクトに伝わってくる。

しかし、一方では、人知れずこつこつ努力するというスタイルもある。しかしその努力が表面にあらわれないため一目では分からない場合がある。その一例は将棋や囲碁の棋士の場合だろう。普通の人には、棋士といえば、ただ盤の前に坐っているだけの姿しか思いつかない。彼らは一体、いつどういった努力をしているのでろうか?秘めている情熱はどこに表れるのだろうか?



将棋界の例を示そう。一度は将棋の全てのタイトルを総なめにした羽生善治の持っていた(あるいは今も持っている)情熱を示す有名なエピソードがある。羽生は若い頃、江戸時代の将棋名人が作り、難解で知られる詰将棋の『詰むや詰まざるや』(伊藤宗看の『将棋無双』と伊藤看寿の『将棋図巧』の計200題の総称)を2年かかって全題解いたと言われる。それも将棋盤を使わず、電車の中や歩いている途中、全て頭の中だけで解いたのだ。プロの棋士でもなかなか全題は解けなくて途中で挫折する人も多いという。

方や、囲碁でも江戸時代の名人碁所の井上道節が作った超難解な『囲碁発陽論』を故・藤沢秀行が全題を解いたが、なかでも一番難しい問題は1000時間も考えたと言われる。これらの詰将棋や詰碁は、今から300年以上前の江戸時代のものであるが、その完成度と難度は古今に冠絶し、とても人間が作ったものとは思えない。

羽生善治にしろ、藤沢秀行にしろ、このような超難解な問題に取り組んだが、いずれも問題を解いたその事実もさることながら、解けるまで喰らいついていった執念の方を、より高く評価するべきであろう。将棋や囲碁の場合は、素人目には努力している形跡は見えないが、その実、高校野球に劣らない位努力しているのだ。

この2つの努力のスタイルを私は『赤い炎と青い炎』と名付けた。

見た目は赤い炎の方が華々しく熱をもっていることが一目でわかる。しかし、青い炎は見た目は青白くインパクトが弱そうでも赤い炎に劣らず強烈な熱を持っている。人の真似をせず、自分の性格に合う努力の仕方を見つけ、基礎力を持続することが肝要である。

沂風詠録:(第224回目)『真夏のリベラルアーツ3回連続講演(その12)』

2014-02-23 21:56:37 | 日記
前回

 『流行の経営本ではなく、科学史・技術史を(2)』

【科学と技術、芸術と工芸の関連】

科学と技術は似ているようで同じではない。世の中ではどういう風に定義されているかは知らないが、私は両者の差を次のように考えている。
 『科学は現象を説明する理論を必須とする。加えて、体系化を志向する。技術は実用的な解決法を主旨とし、必ずしも根源的な理論を求めない。』

この視点に立つと、科学史と技術史が自ずから異なる発展をしている理由が明らかになる。つまり、理論を構築するだけの知力がない、あるいは気力・情熱がない民族(あるいは個人)でも根気強く修練をつみ、ある程度の機転が利くなら技術を発展させることは可能である。実際、科学は発展しなかったが技術レベルは発展した国々、民族、地域は多い。また文化圏によって、それぞれ得意とするものが異なっている。これらの点に加え、芸術と工芸の差違を文献的観点から述べたのが次の文だ。

  =========================
科学と技術は通常、科学技術と併称されているが、歴史的発展の経緯に関する記述は、科学の方が圧倒的に分量が多い。同じく、美術と工芸も美術工芸と併称されるが、工芸の歴史的発展の経緯に関する記述は美術の方が多い。この理由は、技術や工芸は科学や美術と異なり、携わる人の数が圧倒的に多いのが原因であろう。つまり、科学者や芸術家というのは歴史的にみるとかなり限られた人達なので、調査対象が絞りやすい。それに対し、技術や工芸は、名も知れぬ幾多の職人が携っている。誰がどのような貢献をしたかを特定することは困難であるので、記述も人名を挙げて個別記述するというより、全般的になりがちである。

また、技術や工芸は、発展の方向性も、科学や美術とは異なる。科学では真理探究というように、一定の目的があり、優劣がつけやすいので、だれが重要な功績を遺したかが分かりやすい。それに反して技術は当座の目的を達成すればそれ以上の進展は必要とされないので、功績を評価しにくい。また技術の発展の方向も真理探究に比べると多方面であるため評価がつけ難い。科学の発展は一次元(スカラー的)であるが、技術の発展は多次元的であるとも言える。さらに技術や工芸は地域差(バラエティ)も大きいことが包括的な理解を難しくしている。。。

私は、これらの4つの分野はいづれも人間の知的創造の営みであり、金銭や過去の歴史的評価に囚われることなく公平に評価すべきだと考えている。それと共に、それぞれの発展の経緯を他と切り離して見るのではなく、統合的に捉えるべきだと考える。例えば、ガリレオが地動説を唱えることで天文学が大いに進展したが、彼が天体観測に用いた望遠鏡は純度の高いガラスの製造されて初めて可能となった。技術の発展なくして科学の発展がなかった訳だ。

確かに科学・技術は分野的にはとてつもなく広い。しかし、分野統合、東西文明統合の観点で科学史、技術史を学ぶことで始めて各文化圏に特有な考え方が分かり、ひいては今後の社会および産業の発展が見えてくるだろうと考える。


 【出典】 百論簇出:(第127回目)『Private Sabbatical を迎えるに当たって(その5)』
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『科学と技術の発展は関連しているが、全くの同位相ではない。』

これは自明の理であるように思われるが、明確に意識しているのと、そうでないとでは大きな差がある。他人事ではなく、私自身、ここ数年間、科学史と技術史の大著を読み比べてみて、ようやくこの点を確信するに至った。(ただし、技術史の文献調査はまだ道半ばではあるが。。。)この観点を得ることで始めて、日本文化のコアが分かり、またヨーロッパ文化の本質が明らかに見えてきた。

すこし先走って、詳細は諸略して、結論だけを要約すると次のようになる。
 1.ヨーロッパにおいては、科学はギリシャ、技術はローマで発展した。
 2.中世のヨーロッパにおいて、科学は停滞したが、技術は着実に進歩した。
 3.1453年の東ローマ帝国の滅亡以降、ヨーロッパ(西欧)でギリシャ語が本格的学ばれるようにない、それに応じて科学が発展した。
 4.日本は明治になるまでは厳密な意味での科学は存在せず、技術オンリーだった。(理論を構築する気風がなかった。)
 5.中国には科学はあったものの、実証的・実験的観点が欠けていたため、近代科学は勃興しなかった。


これらの結論はまだ荒けずりであり、100%確信がある訳ではない。細部においてはまだまだ検討すべき点が残っていると認識している。


【出典】 Cruydeboeck of Rembert Dodoens (1517-1585)

【西洋とイスラム世界の科学・技術の発展】

科学は西洋だけでなく、世界各地の文明に生まれた。しかし、近代科学は西洋だけに生まれた。この理由に関しては古来からさまざまな見解が出された。イギリスの化学者のジョセフ・ニーダムはこの理由を探るべく次のような問題提起をおこなった。
 『中国の科学技術は早い段階で高いレベルに到達していたにも拘わらずどうして西洋に負けたのか?』

ニーダムのこの問いかけは、我々は日本人の立場から次のように読みかえる必要がある。
 『西洋の近代科学の発展の根本的な理由は何か?』

この問いの答えを探ることで西洋文明の文化のコアを知ることができる。ニーダムの疑問は、単に科学技術だけでなく、東西文明の思想や社会システムの根幹にかかわる問題なのである。

〇西洋人の『原理・法則の追求』精神

西洋の科学の濫觴は紀元前のギリシャ科学が挙げられる。しかし、西洋は紀元2世紀から1000年近くは科学分野においては必ずしも先進国ではなかった。この千年間は西洋人の情熱は宗教にあった。

12世紀以降、いわゆる12世紀ルネッサンスが勃興してから科学分野にも目覚ましい発展を遂げることになるが、そこには一貫して『原理・法則の追求』という基本姿勢を見ることができる。宗教(キリスト教)や科学という観点ではなく、西洋人は根源的に『原理・法則』 を追及し続ける人たちだと理解すると本質が見えてくる。

『原理・法則の追求』の例

○哲学・心理・社会分野
 プラトンのイデア論
 ビザンティンのキリスト教父たちの神学 (例:三位一体論)
 トマス・アクィナスの神学大全
 カントの純粋理性批判
 マルクスの唯物史観
 フロイトの夢理論
 ケインズの経済理論 

○自然現象・物理現象
 アリストテレスの宇宙論
 ユークリッドの幾何学
 プトレマイオスの天文学
 ガレノスのプネウマ理論
 ケプラーの天体の運動法則
 アインシュタインの相対性理論


この『原理・法則の追求』精神を最も端的に表しているのがギリシャの科学精神である。西洋は12世紀以降のルネッサンスによって千年ぶりにこれを取り戻したが、ギリシャの科学精神とはつきつめれば、次のプロセスを愚直に実行し、妥協することなく『原理・法則を追及する』情熱のことである。
 仮説 ==> 検証 ==> 定理・法則
  仮説:現象から仮の法則を作ってみる 
  検証:実験的検証をする。 
  定理・法則:確定的事実から定理・法則を作る。


この手順を踏んでいるのが近代科学と呼ばれる。この観点から『中国の科学』を見ると、検証のフェーズがかなり恣意的であることが分かる。つまり、中国の科学とは、仮説から検証を経ずに一足飛びに定理・法則を打ち立てているところに本質的な欠陥が垣間見える。

〇西洋における科学と技術の関連

西洋では17世紀まで科学と技術は、ほぼ無関係に進展してきた。ところが、17世紀になってようやくこの2つが合体、あるいは協同するようになった。最も成功したのが、数学の天文や物理現象への応用である。自然現象を数学的に解析することによって、それまでは主観的、感覚的にしか把握できなかった事象が客観的、定量的に把握できるようになった。その結果、因果関係を正確に把握でき、科学レベルは大幅に高まった。

高度な技術で作られた器具によって、近代科学は大いに発展するようになった。その一方で、新しい技術が工芸分野にも使われるようになった。このような科学と技術、および工芸の相互関係は残念ながら東洋(インド、中国、日本)では見られなかった。東洋では個別の科学・技術分野をみれば西洋より進んでいた所もあったが、総合力という観点でみれば、劣っていたと言わざるを得ない。

以上、西洋の科学の発展を振り返ってみると、必ずしも一本道に発展していないことが分かる。さらに、古代から現代までの西洋とイスラムは互いに大きく影響し合っている。科学史の観点からいうと、時代によって科学の中心地域が遷移したことを理解することが重要である。

続く。。。

【座右之銘・78】『Casus adversos hominibus tribuant, secundos fortunae suae』

2014-02-20 22:27:37 | 日記
現代は、宗教に関しては2つの対立する傾向が見られる。一つは、ヨーロッパに見られるように脱宗教、つまり人々が宗教に対する信仰を失っていく傾向、もう一つはアフリカやアラブ、中近東のイスラム原理主義者のように、信仰を深め、先鋭化する傾向。とりわけ後者のイスラムに関して言えば、現在の世界で信者を増やしている唯一の宗教である。この意味から、私は現在社会を正しく理解するには、イスラム(宗教・社会)とそれを生んだアラブを正しく理解する必要を強く感じている。同時にアラブの周辺国家、とりわけペルシャ(現・イラン)のようの元来は高度な文明を誇っていたにも拘らず後発のアラブに膝を屈した国々も正しく理解する必要がある。

このように言いながら、実はイスラムやアラブに関しては確信を得ることが出来ないでいる。この点に関しては、以前のブログ
 沂風詠録:(第58回目)『国際人のグローバル・リテラシーの図書リスト(2)』
で下記のように本音を述べた。

  =========================
イスラム圏の話は、私には正直なところ bookish な知識しかない。というのはイスラム圏に旅行したことも住んだ経験もなく、本からの知識しかない。しかし、数年前、神戸のカーネギーメロン大学日本校に勤務していた時に、同僚にイラン人がいたので、彼らとの会話から有る程度、イスラム、アラブ、ペルシャなどの関する知識を取り入れ、それまで自分がもっていた本からの知識に付け加えることができた。

そういう状況なので、イスラムについて私が語るのはおこがましいと自覚している。しかし、日本の教育現場では、イスラムのに関する記述のほとんどが西洋からの視点の受け売りで、イスラム自体からの見方がゼロに等しい現状に対して、学生達に知識の喚起を呼び起こしたいと思っている。

それと言うのも 9.11の事件以降は、アメリカのイスラムに対する強硬姿勢がニュースなどで報道され、それによって『善のアメリカ、悪のイスラム』という単純明快な二項論理があたかも真理であるかのような伝え方をされていないか、私は懸念している。アメリカ社会に暮らすと分かるのだが、アメリカといえどもけっこうな数のイスラム系住民がまともな社会生活を営んでいくことができている。

このような現在の問題もさることながら、彼らは過去どのように生きてきたのであるのだろうか、また現在の世界の宗教のうち、唯一イスラム教徒だけが信者を増やしているとという、そのイスラム教とは一体何だろうか、などという疑問が私にはある。過去を遡り、特に西欧との関連、そして、唐の時代からはるばる中国にまでやってきて定住したその活動の原動力を知りたいのである。

イスラム、アラブ、ペルシャ関連の本を何冊か読むうちにこれらの疑問が少しずつではあるが私なりに解けてきた。ただ、現地での実体験がないので、どの程度正鵠を得ているのか正直分からないが、とりあえず現在の私の理解した範囲で、議論している。

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上の文は数年前、京都大学で学生に『国際人のグローバル・リテラシー』という授業を教えていた時に書いたものだが、これ以降も、イスラムやアラブに関する読書は継続している。しかし、なかなか私の視野(horizon)を広めてくれる本に出会えなかったが、幸運なことに、最近、次の良書に出会った。
 『アラブ人の気質と性格―個人と集団の行動原理』
  サニア・ハマディ(笠原佳雄・訳)サイマル出版会


この本の著者は、アラブ人でありながら、大学教育をアメリカで受け、極めて客観的な立場でアラブ人の心の奥にうごめく行動原理を冷静に分析している。この本にはアラブ人の長所というより、他の民族には知られたくない短所(はっきり言えば、恥部)がかなり率直に書かれている。それまで、読んだ数多くの本の基調はアラブあるいはイスラムに好意的な書き方が多かったが、この本によってようやくカウンターバランスがうまくとれた。

この点で言えば、新渡戸稲造の『武士道』は日本文化讃美に傾斜しすぎているように私には思える。武士道というのは確かに日本文化の一つであるが、これを三島由紀夫のように素晴らしき日本精神と称揚する気にはなれない。『武士道』のカウンターバランスとしてアレックス・カー (Alex Kerr)の『犬と鬼』(Dogs and Demons)を読むことを勧めたい。日本人が意識的、あるいは無意識的に見落としている日本固有の短所が見事に剔出されている。(ただし、カーの本には幾つかの点で私は意見を異にするが、それでも大筋では彼の趣旨には賛成する。)


【出典】Desert in Saudi Arabia, Wallpaper

さて、話を元にもどすと:

私はハマディの本によって初めて、アラブ人の心の奥底をのぞき見たように感じた。筆者の意見を私なりにまとめると、アラブ人の行動原理とは次のようなものと理解される。
 『イスラムのコアを占めるアラブ人の行動原理は、李朝の両班の精神構造とまったく同じだ。曰く:恥を嫌う、工芸・肉体労働を賤しむ、尊大・自慢、気前良さが悪徳を覆い隠す、など。』

一旦、この視点を得るとイスラムの歴史や彼らの行動パターンが腑に落ちることが多い。とりわけ、権力の実権を握っている者は、虚勢を張ってでも常に自分自身を大きく見せておかなければいけないことが分かる。そうでないと、すぐに弱みにつけこまれてしまう。この虚勢を張ると言う行為は、しばしば現代の民主主義の法秩序の枠組みをはみ出し、違法行為も辞さない強い覚悟が求められる。(例:サダム・フセインがどうして執拗にアメリカに反抗し、揚句の果てに絞首刑にされたのか?)

しかし、このアラブ人の気質は何も近代に始まった訳ではない。以前のブログ、
 沂風詠録:(第218回目)『真夏のリベラルアーツ3回連続講演(その6)』
で紹介したコルネリウス・ネポスの『英雄伝』の『ダテメス』(Datemes, 5)にはペルシャ王には次のような習性が認められると言っている。

原文: Casus adversos hominibus tribuant, secundos fortunae suae.

英訳: (for such was the practice of kings, that) they attributed adverse occurrences to other men, but prosperous ones to their own good fortune.

ドイツ語訳:(nach alter Tradition schrieben die Könige nämlich)Mißerfolge den Menschen, Erfolge hingegen ihrem eigenien Glücksstern zu.

私訳: 失敗は他人のせいだ、成功は自分の運の賜物だ。

この言葉から察するに、コルネリウス・ネポスが生きた時から 2000年経った今も、ペルシャ(イラン・イラク)の権力者の行動様式は変わっていないとの感慨を懐く。

このような事例を見るにつけ、私は文化が人の行動を規定する、との思いを強く持つ。現在のグローバルな環境では、政治面では西洋流の民主主義や人権意識、また経済面では近代資本主義的な考えが共通のベースとなっているので文化的な差というものは重要視する必要はない、という人も少なくはない。

しかし、私はそうは思わない。グローバルな環境で多国籍の人々と共に仕事をこなしていくには、彼らの文化的背景の理解が不可欠である。私は、自らの留学経験や数多くの外国人との付き合いから
 『世界各国の文化差は、時として超えがたいものがある。文化は無意識のうちに我々の言動を規定している。』
との確信を得るに至った。私たち人間は「主体的に考え、行動している」と思っていても、生まれ育った環境や文化に知らぬ間に感化されている。したがって、世界の人々と付き合う時には、相手の文化背景を十分理解した上で、その人の個人としての人間性を見極めなければならない。

この意味で、今回の座右の銘は、文化が数千年の長きにわたり人の行動に影響を及ぼしていることの一つの証であると言えよう。

沂風詠録:(第223回目)『真夏のリベラルアーツ3回連続講演(その11)』

2014-02-16 21:46:02 | 日記
前回

 『流行の経営本ではなく、科学史・技術史を(1)』

『遊子ラボ』で行った私のリベラルアーツ3回連続講演の第2ののテーマは:
 『流行の経営本ではなく、科学史・技術史を』
であった。

【関連ブログについて】

科学史に関しては、すでにこのブログでシリーズで取り上げている。地域的には、西洋、イスラム、アジア(インド、中国、朝鮮、ベトナム)。また近々、日本に関してもとりあげる予定である。さらにこれら世界各国の科学の発展を比較して『総括・比較編』をいづれ取り上げるつもりである。
 沂風詠録:(第202回目)『リベラルアーツとしての科学史』(5回連続)
 沂風詠録:(第207回目)『リベラルアーツとしての科学史・東洋篇』(6回連続)

これら過去のブログと一部重複するが、ここでは科学史と技術史をトータルをリベラルアーツの観点から述べてみたい。(ただ、技術史に関しては講演時点(2013年8月)ではまだ調査が不十分であったことをご承知頂きたい。)

【世界の各文化圏を理解するには科学史・技術史を知る必要がある】

ビジネスパーソンにとって会社人生をどう生きるか、あるいは今後の社会の動きにどう合わせるべきか、を考えるとき自然と経営本に手が伸びる。私も過去、数多くの経営本を読んできた。その経験から、自分の悩みが明確である時などには経営本は確かに、Quick Answerを得るのに役立つ。しかし、もっと広い、あるいは高い視点に立って今後の社会の大きなうねりの方向性を根源的に探ろうとすると、経営本というのは寸足らずだ。

私も以前は「そしたらどのような本を読めばよいのか?」という自らの問いに自信をもって答えることはできなかった。しかし、リベラルアーツの観点から、日本も含め、世界の各文化圏のコアをつかむという問題設定を課して、いろいろな本を読んでいくうちに自然と答えが見つかった。その答えはリベラルアーツの捉え方にあった。

世間では、リベラルアーツというと決まって文学、歴史、哲学、宗教という文化系の課目が挙がる。そして、大学教授をはじめとして文化人の関心と議論もこのような文化系を中心として展開される。現在のリベラルアーツの定義には理解系の分野は除外されているのである。私はリベラルアーツとは、最終的に世界の各文化圏のコアの概念をつかむものだと考えている。そのためには経済や社会の発展の原動力となった科学や技術の発展の経緯、つまり科学史と技術史を理解しておく必要がある。


【出典】ペリー上陸図(横浜開港資料館)

身近な例として、日本の開国を考えてみよう。日本はペリーによる開国(1854年)から半世紀もたたない内に先進工業国の仲間入りができた。日本以前に西洋諸外国とのコンタクトがあった国は数多くあるが、いづれも近代的な産業システムを構築することができなかった。

この差は一体どこから来たのだろうか?

幕末・明治の志士たちに先見の明があり西欧の社会システムを積極的に取り入れたことは確かに大きな要因ではあったが、ペリー来航までに日本の工業技術レベルがすでに相当高かったことが一番大きかったと言える。また、明治以降、政府の構想に沿って実際の機械製造、工場建設などの実務を担当した技術者・職人・労働者の資質が高かったことも大きな要因だった。西洋以外の国々で近代化が成功しなかったという根本原因は政治や思想にあったのではなく、科学や技術、それに職人や工芸に対する伝統的な考え方が日本のようではなかったということだ。

一般的にいって、科学史、技術史を学ぶ時、次のような問いかけが常に必要だ。
 ○時代時代で、最先端を走っていた国・地域はどこか?
 ○なぜ、その国・地域が最先端を走ることができたのか?
 ○なぜ、他の国・地域が最先端を走ることができなかったのか?
 ○ある特定の国・地域の得意分野は何か?
 ○得意分野を獲得したのは、必然か?それとも偶然か?


このような疑問を持っていると、必然的に科学や技術の縦方向(時間軸)の発展の経緯を追求すると同時に、横方向(地域)の比較が必要であることに気付く。いろいろな本を読むと、科学史や技術史のの関心は大抵において、縦方向に集中している。しかし、私が科学史や技術史を学ぶ必要性を説くのはそれぞれの科学・技術分野の発展の詳細を逐一知ることではない。そうではなく、各文化圏の科学史や技術史、それに工芸の発展の歴史的経緯を比較することで、日本も含め、各文化圏のコアの概念を把握することが重要だと考える。

一国の産業の盛衰はたしかに国際環境にも大きく影響されるが、その国の国民の気質に最も強く依存している。過去のいろいろな状況においてその国の科学や技術がどのように伸びてきたかをしることで、その国民性を逆照射することができる。本来的に国民性はかなり慣性力の高いものであるから、過去に示した性質はほとんどそのまま未来へと続くことが予測される。その意味で、長期スパンで国の産業の発展を考えようとすると科学史、技術史を学ぶことが必然であることが理解されよう。

この意味で、このブログシリーズでは、科学や技術の縦方向(時間軸)の発展の概要は述べるものの、焦点はむしろ横方向(地域)の比較にある。つまり、最終的に日本の科学や技術、工芸の発展(つまり科学史、技術史)を欧米やアジア(中東、インド、中国、朝鮮)と比較することで日本および他の文化圏のコアとなる概念がつかめる。更には文化圏のコア概念だけでなく、今後の日本の製造業のあるべき姿が見えてくる。この意味で私は『流行の経営本ではなく、科学史・技術史を』読むことが重要だと言っているのだ。

続く。。。

百論簇出:(第143回目)『グローバル社会で認められるためには』

2014-02-13 23:14:47 | 日記
現在の日本にグローバル社会に通用する人の育成が重要だ、とはだれもが言う。このためには、やれ英語ができなければいけない、とか、グローバルリテラシーを付けないといけない、あるいは、ディベートができなければいけない、云々と喧しい。

果たして知識を付け、英語を磨くだけでグローバル社会に通用するのであろうか?

グローバル社会に通用するためには知識よりもっと重要なものがあることを、22歳のドイツ留学時にヨーロッパ各国を旅行して体得した。端的にいうと、それは強い意志である。知力よりも胆力がキー・ファクターである。

たとえば、明治維新を考えてみよう。

明治維新に活躍した志士たちの知識といえば、いずれも現在の中卒レベルであろう。英語においても知識においても全く見劣りするレベルであったはずだ。それでも 30歳足らずの若者たちがあのような世紀の大改革を推進することができたのはまさしく、実行力であった。つまり、将来が見えない中、大きな決断を下したのはまさしく胆力である。

私は、2005年から現在に至るまで、いくつもの大学や社会人のセミナーでグローバルリテラシーやリベラルアーツの授業や講演を行っている。それも日本語だけでなく、英語で諸外国の学生やビジネスパーソンに向けての講演も行っている。そういった経験から、日本でも優秀といわれる大学生やビジネスパーソンでもグローバル社会で活躍するにはいくつかの点で気をつけなければいけないと感じたことがあった。それについて説明しよう。

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1.日本に関する知識が足りない。

これは一つにはゆとり教育の悪弊であるとも言えるが、日本の歴史に関する基礎的な知識がかなり足りない。私の年代では日本史や世界史、地理などは中学校・高校で必修だったので、だれもが最低限の知識を持っていた。それで、他人と話をする時は、相手もこういった知識は当然もっているものと想定して話をするが、話していて、どうも様子がおかしいと感じることがある。それで、確認の質問をすると、全く知らなかったということが分り、がっくりくることがある。難しい専門科目を習う前に、もっと基礎的なところを固めるべきだと思う。

これに関連して言うと、幼稚園で読む童話などの話を知らないことも重大な欠点だ。イソップやグリムの童話や、日本の昔話のようなありふれた話題が通じない。これは小学生のころから塾や習い事には時間は使うが、中学入試や高校入試に出ないことはすっ飛ばしてしまってもよいと教師や親が考えていることが大きく関係していると思われる。

結局、グローバル社会では本人が意識する・しないに拘らず、その人の生まれ育った文化遺産を背負っていることが暗黙の共通認識となる。その意味で、自分の精神バックボーンを知らないことは、骨なし人間のように頼りないものと周りから思われてしまう。普段、日本人同士では全く意識にのぼらないので軽視しがちであるが、日本に関しての正しい知識と、それをベースに自分なりの確固とした文明観を確立することは信頼されるグローバル人の第一歩である。

2.反応が鈍い

私が簡単な質問をしても反応が非常に遅いことを度々経験している。質問が難しくて答えが見つからないから答えないのではなく、自分の考えを皆に知られるのが嫌なのだ。黙っていれば、その内、先生の方がしびれをきらせて勝手に答えを言ってくれるものと甘えて黙っている。私は大抵の場合、相手が答えを言うまでかなり辛抱強く待つことにしている。それは、質問に対して返事をしないということがグローバル社会では許されざることであると言うことを知ってもらいたいからである。

日本の社会では、言いたくないのなら言わなくてもいい、と『無言を押し通す権利』を認めている風潮があるが、これはあくまでも日本だけに通用する慣習である。グローバル社会では、このような態度は一度や二度は許されることはあっても何度も繰り返せば、その内に誰からも相手にされなくなってしまう。間違っても恥ずかしい目をしてもよいから、積極的に反応することだ。スポーツ同様、失敗を通じて人間というのは正しいことを学んでいくのだから。

3.決断力に欠ける。

上記2.の項目とも関連するが、何かの質問に対して、『賛成/反対』のどちらかに挙手しなければならないにも拘らず、どちらにも手をあげない人がいる。二択問題だから嫌でも、どちらかに手をあげなければいけない、というルールを完全に無視している。

このような態度は、英語で単発の質問をすると非常によく分かる。『あなたは街中で困った人を見かけたら、声をかけますか?かけませんか?』のような問題に対して、YES/NOで答えずに、別のことを言いかけようとする。そのような問いかけに対しては、まずは態度を鮮明にしてから、自分の話したい点について話すという議論の初歩が分かっていない。



このような態度は日本人にかなり普遍的に見られるが、それには日本文化に根ざしているように私は感じる。具体的に言うと、日本人の意見の白黒のレンジが欧米(或いは中国・韓国)などと異なるからではないかと考えられる。少々極端かもしれないが、欧米(或いは中国・韓国)では物事は、白と黒に二分されると考え、それ以外の考え方を許容しない姿勢が濃厚である。一方日本人は白と黒の間にかなり幅広く、『どちらでもない、グレーゾーン』が広がっている。日本人のこのグレイゾーンの広さが決断力を鈍らせる要因だと言える。

ただ確かに、英語でも "YES and NO" という答えかたもあるが、これは、一つの尺度(一次元)で物事を判断して答えているのではなく、縦横という別々の尺度(二次元)で別々の答え方をしていることから来る。例えば『茶筒は丸いか』と聞かれたときに、 "YES and NO" と答え、『Yes、上から見た時は丸い、but NO、横から見ると長方形だ』というような答え方だ。

高速道路では、制限速度以下でゆっくり走っているのは当人にとっては安全かもしれないが、周りの車にとっては大迷惑なことだ。それなりに周りの速度に合わせることで、皆が快適な走行を楽しめる。会話においても、返答すべきリズム感がある。その場のリズム感をつかみ、そのテンポに積極的に乗っていくことはグローバル社会では必須事項の一つであると私は考える。
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さて、以上3つの観点からグローバル社会の経験が少ない学生や若手ビジネスパーソンへ、気をつけるべきポイントを指摘した。

日本流の甘えがきかないグローバル社会では確かに緊張するが、そういった社会を生き抜いていくには、胆力が必要だ。胆力とはこの場合、自分の言動に責任をとる覚悟ということになる。普段の日本人同士の生活の中においても胆力は鍛えることができる。結果的にグローバル社会における人の存在感と言うのは知識というより、胆力(腹の底)からにじみ出る、どっしりとした風格であるように思う。