限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

百論簇出:(第4回目)『南米先住民の高潔な人格』

2009-05-29 07:37:22 | 日記
アメリカ留学中の1983年の年の暮れから1984年正月にかけて南米を旅行した。訪問した国はペルー、ボリビア、アルゼンチン、ブラジル。

窃盗犯が多いのにはうんざりしたが、南米の先住民(いわゆるインディオ)が子供から大人にいたるまでおとなしく従順、融和的であることには正直感心した。これは特に田舎に行くとよく分かった。ペルーのチチカカ湖畔のプノという町からボリビアの首都ラパスには、ローカルバスに乗って行った。それで、私たち以外は全て先住民で占められていた。

私のすぐ前の座席には5歳ぐらいの子供が父親に抱かれていた。日本でも欧米でもこれぐらいの年齢の子供はしょっちゅう辺りかまわず甲高い(かんだかい)声でわめき、かつ駄々をこねるものと相場が決まっている。ところがこの子供はまるでそういった子供じみたところが全くなく、おとなしく窓の外の景色を楽しんでいたりたまには、父親とぼそぼそと話すぐらいであった。その数列まえの座席では、中学生らしき子供とその弟らしき子供とがしきりにふざけていた。私がそこで非常にびっくりすると同時に感嘆したのは、彼らはいずれも声をまったく立てずに、また回りに迷惑をかけることがなかったのであった。(そういえばサル山のサル達も、互いにふざけあうときには声をたてていなかったような。。。)

かつてある本で、北米のインディアンの子供はいくら小さくとも一族が白人に追いかけられて森に逃げ込んだ時、全く泣かないようにしつけられているという話を読んだことがある。これらを実際に目のあたりにして彼らのある面の人間性の高さに感心した。

バスがゆっくりと山岳地帯を通過した時、地元の子供たちが道路わきに立っているのが見えた。バスの乗客の中には用意しておいたパンを嬉々として窓から投げ与えていた人がいた。彼ら自身も貧しいが、それでも更に貧しい者たちへの恵みを考えていたのだ。パンを投げている人は数人ではあったが、バスの乗客全員がそのパンの行方を振り返って、子供たちはうまくとれたであろうか、どんな様子をしているであろうか、など暖かいまなざしで眺めていたのが非常に印象的であった。

かれら南米の先住民たちは環境に従順であるがために、陋巷に住んでいても社会的要求を起こすことはまれである。それゆえ、社会全体の生活水準の向上はあまり期待できない。それに反し、われわれ先進国の住民は分不相応の要求をする代わりに社会の水準向上にも熱心である。私はこの二つの社会を比較してみた場合、後者の社会に住んでいたいとは思うものの、前者の小国寡民の良い面にもあこがれないわけにはいかない。
コメント
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