限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第171回目)『グローバルリテラシー・リベラルアーツ・教養(その2)』

2012-07-15 16:28:44 | 日記
リベラルアーツというと、西洋における古典的教養科目であり、自由七科 (Seven Liberal Arts) ともとも言われる。三学(トリウィウム)と呼ばれる、文法学、論理学、修辞学と四科(クワドリウィウム)と呼ばれる、幾何学、算術、天文学、音楽から成り立つ。(この定義は過去のものとなっている。現在では一般的な教養科目として考えられているため、これ以外の幅広い科目を含む。)

修辞学(レトリック)の重要性は前回述べた。幾何学や天文学は古代ギリシャでは人気ある学問であったことはプラトンやアリストテレスの著書を読むと理解できる。しかし古典的なリベラルアーツの中に算術が含まれていることに違和感を感じないであろうか?算術、ただ、数字の計算をするだけの話だ、と現代の我々は考える。とりわけ、日本では伝統的に算盤が使われてきたため、数か月の訓練で子供でも加減乗除の計算は簡単にできると思ってしまう。私は長らくこの算術に関する疑問をもっていたが、数年前に下記の本を読んでようやく疑問が氷解した。


『図説 数の文化史―世界の数学と計算法』 K. メニンガー(Karl Menninger)

我々が知っている算術とは、アラビア数字を使い、位取りがされた表記のものだ。しかし、この本を読んでようやく、ローマ数字を使った乗除計算はかなり難しいということが分かった。更に分かったことは、ヨーロッパで算盤(abacus)というのは、我々が考える計算の道具ではなく、計算の途中結果を覚えておくためのメモ代わりに使う代物に過ぎないのだ。その上、割り算もまた一苦労だ。少数点という概念が無かったので1より小さい値は、全て分数で表現しないといけなかったのだ。これだけの難関があれば算術といえども片手間には修得できないはずだ。

ところで、私は従来からリベラルアーツ(教育)の定義について疑問を感じている。それは、世の中でリベラルアーツというと、なぜか異様に人文系や芸術系の科目に偏っているからである。具体的な科目で言うと、文学、歴史、宗教であり、芸術関連では、絵画、クラシック音楽、日本の伝統芸能に限定されている。端的に言って、現在のリベラルアーツ教育には、理科系の科目はほとんど含まれていない。

その上、教えている者も、また受講している者も高踏的(high-brow)なことがリベラルアーツの神髄だとでも考えているような雰囲気だ。俗な言葉でいうと『ざまあ~す調』の講義なのだ。例えば、イギリス文学を講義したとしよう。教える者は、世の中でシェークスピアの叡智を知らない者ほど、かわいそうな人種はいないとでもいわんばかりの口調で、自己陶酔的に、シェークスピアの名文句を開陳する。
 『ところで、シェークスピアはハムレットの中で世の中には哲学では夢想すらできないことがたくさんあると言うので、
 There are more things in heaven and earth, Horatio,
 Than are dreamt of in your philosophy.(ACT I. Scene V.)

と言っています。素晴らしい文句ですね~。シェークスピアのこの言葉に、まさに、文学は哲学では表現しきれない人間心理の機微を表現することができるのだ、という確信が伺えますね。。。』

日本の大学教育においてリベラルアーツをこのように考えているのは、ヨーロッパの伝統的な考えを踏襲したに過ぎないと私には思える。しかし、古代から中世にかけての七科のリベラルアーツの定義が陳腐化したのと同様、現在のグローバル社会においては、現在の日本で行われているリベラルアーツ教育の内容も時代状況に合わせて新しく定義し直す必要があるのではないだろうか?

私はリベラルアーツ(教育)を次のように考えている。

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世の中ではリベラルアーツ教育というと、あたかも嫁入り前の娘が茶や活け花の芸事を習うようなものと考えている人が多い。つまり、ヨーロッパ文化を深く知るためと称してワインの飲み比べをしたり、美術館を巡り有名な絵画を見たり、古典文学作品の名場面を暗誦したりすることがリベラルアーツ教育だと考えているようだ。

私の考えるリベラルアーツ教育とは、それとは違う。

本当のリベラルアーツ教育とは『世界の各文化の核となる概念をしっかりと把握すること』である、と私は考える。 ITや交通手段の発展で世界は心理的にも物理的にも急速に狭まりつつある。しかし、そういったグローバル社会においても、依然として各地域の多様な伝統文化は強く人の思考や行動を規定している。そういった根本的な概念を理解せずして、グローバル社会に生きていくことはできない、と私は考える。

【参照ブログ】通鑑聚銘:(第77回目)『孫策の喪中に乗じなかった曹操の義』
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私がリベラルアーツをなぜ上のように定義したかを説明する前に、ヨーロッパの伝統的な定義をチェックしてみよう。

まず、リベラルアーツのリベラル(Liberal)という単語の意味であるが、これはラテン語の名詞で自由を意味する liber に由来する。英語やドイツ語のようなゲルマン系の単語では free/freedom, frei/Freiheit となる。

OED(Oxford English Dictionary)で Liberal をチェックすると:
  Liberalというのは、本来は自由人が修得するにふさわしい芸術や科学のための特別な形容語句(epithet)であった。Liberal は隷属的や機械的の反対の概念である。
Liberal -- Originally, the distinctive epithet of those "arts"or "sciences" that were considered "worthy of a free man"; opposed to servile or mechanical.

アメリカの定評ある辞書で、かつて Websterと辞書界の覇を争った、 Funk & Wagnalls, Standard Dictionary には次のような定義が掲げられている。
 Liberal Artsとは大学での文学、哲学、言語、歴史などの履修科目をいう。これは職業や技術に直結した科目と区別される。
Liberal Arts -- The course of study, including literature,philosophy, languages, history, etc., distinguished from professional or technical subjects, offered by an academic colledge.

また Webster's Third New International Dictionary (Unabridged)では、
  Liberal Arts とは、特に大学で教えられる種々な科目(言語、哲学、文学、抽象科学)をいい、一般的な知識を与え、理性や判断力などの全般的な知性を発達させると考えられる。専門教育、職業教育、技術習得と対照的。

Liberal Arts -- The studies (as language, philosophy, history,literature, abstract science) especially in a college or university that are presumed to provide chiefly general knowledge and to develop the general intellectual capacities (as reason or judgment)as opposed to professional, vocational, or technical studies;

ついでに、英米の百科事典もチェックしてみると、ブリタニカ(Encyclopedia Britannica)やアメリカーナ(Encyclopedia Americana)もほぼ上と同様の趣旨のことが書いてある。つまり、Liberal Arts(Liberal Education)とは
 【1】人文系の科目主体の教育
 【2】専門教育、職業教育、技術習得とは対照的。

であると言うことだ。

Encyclopedia Britannica:
 Liberal Arts -- College or university curriculum aimed at imparting general knowledge and developing general intellectual capacities in contrast to a professional, vocational, or technical curriculum.

Encyclopedia Americana:
 Liberal Education -- It is not uncommon for educators to mean by liberal education everuthing except mathematics and science-- literature, for example, philosophym psychology and history.

ここまで英米主体の情報でリベラルアーツの定義を見てきたが、ドイツやフランスの辞書・百科事典もついでにチェックしてみることにしよう。

ドイツの Meyers Grosses Universal Lexikon では教養(Bildung)を次のように定義づけている。
 本当の人間性("humanitas")とは各人が和やかに暮らしている時に出現するという考え方は、特にルネッサンスやゲーテの時代に影響力をもった。それで教養(Bildung)とは人文学("Humanismus")を修得することであり、かつ貴族的なものと理解された。つまり、市民社会で必要とされる、生活の糧を得るための目的別の教育(Berufsausbildung)と全く反対の理想。

Die Lehre, daß das wahre Wesen des Menschen ("humanitas") sich in der Harmonie seiner "Person" manifestierte, hat später vor allem die Renaissance und die Goethezeit beeinflußt. Bildung wird nun als "Humanismus" verstanden und steht als "aristokrat." Ideal im Gegensatz zur speziellen Ausbildung (Berufsausbildung), die von der bürgerlichen Gesellschaft gefordert wird.

つまり、ドイツでは教養(Bildung)とは、日々の糧を得るための手段とは関係のない、貴族的なものだというのが、伝統的な考えである、ということだ。敷衍すると、日々の暮らしにひーひー言っている庶民には教養は必要なしということだ。

これに関連して、フランス語の辞書、Grand Robert(Dictionnaire Alphabétique et Analogique de la Langue Française )では Art の項で、職人と芸術家の違いを次のように説明している。
 ルネッサンスの時代、有用な物をつくる細工技能は、美しか考えなくてよい美術と区別された。細工技能の職人は古くからの(野暮ったい)フランス語で引き続き artisan と呼ばれたのに対して、芸術家は(粋な)イタリア語を拝借し、artiste と呼ばれた。

《 Les arts méchaniques (pendent la Renessaince) qui produisaient les objets utiles se distinguèrent des baux-arts qui n'ayaient souci que de la beauté. L'ouvrier des arts méchaniques conserva le vieux nom français d'artisan, le travailleur des beaux-arts prit le nom italien d'artiste》

つまり、職人も芸術家も手作業をする、という点においては変わりはないものの、有用性のある生活用品を作る者を低く見、有用性は問わず単に審美的な工芸品を作る芸術家を高く見るという傾向がルネサンス以降定着したとのことだ。

以上、欧米の辞書と百科事典からリベラルアーツ(Liberal Arts)や教養の定義を見たが、日本で行われているリベラルアーツ教育が『文系主体・高踏的』というのは、結局、ヨーロッパ古来の考え方、とりわけドイツのBildung(教養)の強い影響を受けていることが分かった。

私はこのようなリベラルアーツや教養の概念はもはや現代にそぐわないと考えている。それでは、どのような趣旨・内容なのか?
次回、それを説明したい。

続く。。。
コメント
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