限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第339回目)『良質の情報源を手にいれるには?(その44)』

2021-06-27 20:55:14 | 日記
前回

X-1-1 "Encyclopedia Britannica" (Part 3)

Britannica 11th Version を使っていたが、なにしろ紙が非常に薄いインディアンペーパーなので、めくりにくいことこの上ない。さらに、百年物という貴重品であるので、たとえ私有物といえども一種の文化財産であるので粗末に扱えない。私が私有する他のバージョンである14thや15thは、その意味では消耗品とみなせるものなので、誰に気兼ねするでなく赤鉛筆で線を引いている。私は、書物とは元来「使い倒して」こそ価値があると考えているので、この状態はなんとも気づまりであった。

ところが数年まえ、何気なく「日本の古本屋」サイトで検索してみると、
 Encyclopaedia Britannica 〔ブリタニカ百科事典〕全35巻揃
というのが売りに出ているのを発見した。これは印刷が1899年頃ということから、9th Version(正確には35巻の10th Version)であると分かった。数万円という破格値なので、いろいろと欠陥はあることを承知の上で購入した。(ただし、送料は1万円近くはかかったが。。。)暫くして届いたが、流石に120年以上も経っている上に、東京大空襲を経験(あるいは疎開?)したものだけあって、ページの間には埃が挟まっていたり、煤がついていた。しかし、本文や図は比較的きれいで、しっかり読める。最近、このような洋古書を単にディスプレイのために買う人が多いようだが、私の場合、読むことなが目的なので、外観より読みやすさ、扱いやすさであるから、このレベルだと大満足だ。

古本は埃や雑菌がついている可能性が高いので、いつも固く絞った水雑巾で丁寧に拭いたあと、直射日光で数日間、日干しをしている。その後、傷んだ部分をボンドなどで適当に修理すればOKだ。




この9th Version は前回紹介した11thに劣らず、記述内容に対する学術的評価は極めて高い。英語のWikipediaでは high point of scholarship と評されている。18、19世紀のイギリスの叡智が結集されたような素晴らしい内容であると理解される。

ところで、この9th Versionを購入しようと思ったのは、インデアンペーパ版の 11th の扱いにくさに我慢できなかったのが一番の理由だが、その他の理由としては、個人的には次のような関心があったからだ。
● 今から120年前、つまり明治期にイギリスが絶頂であった時の彼らの知識の量とその関心分野はどこか?
● ギリシャ・ローマに関する知識に対する評価、関心はどこか?
● 技術者が百科事典で独学したといわれるが、その内容の広さと深さを具体的項目でチェックしたい。
● 世界各国に植民地を持っていたイギリスは世界各地の状況(文化、伝統、宗教、経済、言語、など)をどの程度、正確に把握していたか?

当然、これらの事象は現在の百科事典にも記載されているが、時代精神や当時の知識の限界というのは現在の百科事典では、記述が更新されているため、現在の記述から読み解くことは困難である。一つの例として、我が日本国の面積について考えてみよう。現在では日本の面積や緯度経度や島の数など、どの百科事典をみても正しく記述されているが、120年前では、世界最高峰といわれる Encyclopedia Britannica ですら、おぼつかない情報しか載っていない。具体的には、Japanの項には次のような記述がみられる。

 ---------------
Owing to the lack of reliable surveys, it is exceedingly difficult to form a correct estimate of the area of the Japanese empire. A few years ago the Government instituted surveying operations under the direction of skilled foreign engineers, and an ordnance map of the city of Tokio has already been prepared and published; but any correct calculation of the size of the whole country can hardly be obtained for some years to come. In a work on general geography published a few years ago by the Education Department at Tokio, the area of Japan is stated to be 24,780 square ri(里), which measurement, taking the linear ri as equal to 2.45 English miles, gives e. total of about 148,742 miles, or nearly one-fourth more than the area of the United Kingdom. This estimate, however, is founded on maps which are far from correct.
 ---------------



つまり、日本の面積は正確に測定できていないので不明ということだ。日英同盟が締結されたのは、1902年でちょうどこの 9th が発刊された時代である。それを考えると、日本に関してこのような不正確な情報しか持っていないにも拘わらず、日本と同盟を締結するのがイギリスの国益に叶うと考えた彼らの判断は大したものだと感じる。

現在は、何かにつけて「正しい情報」が重要だというが、たとえ正確な情報を持っていても間違った判断を下すケースは枚挙に暇がない。昔は、正しい情報を得ることは極めて困難だった。それでも何らかの判断を下さないといけない。この時に重要なのは、知識ではない。智恵であり、人間力(実行力、指導力)である。それは学力テストや入試では全く測れないしろものである。昔の書物を読むつど、困難な状況にも拘わらず大胆に判断している。しかもその判断が的確なことが多い。それとの対比で、現代人の判断力と人間力のなさを痛感させられる。

このような古い情報源に接することは、単なる尚古趣味ではなく、当時の時代精神や人間力の源泉を探るヒントを得ることができる。その意味で、時たまこのような昔の情報源に接することは、現在の正確一辺倒の情報源からでは得ることのできない貴重な何ものかを得るためには必要だと私は考えている。

続く。。。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

翠滴残照:(第12回目)『読書レビュー:教養を極める読書術(その11)』

2021-06-20 22:56:30 | 日記
前回

〇「多言語への興味を持つ」(『教養を極める読書術』 P.39)

本書でも書いたように、結局私自身の関心の分野が広がったのは、他(外部)からの強制的な面も多くあったことは否定できない。その中にあって、多言語への関心は一貫して私の内面から湧き出てくるものであった。

それらの経緯については、かつて2010年の8月から50回にわたって連載した『私の語学学習』というブログに書いたとおりである。

しかし、多言語に関する関心・興味もよくよく考えてみると、大学1年生の夏休み前に、ドイツ語教師であった鬼の高木にこっぴどく叱られたために、ドイツ語に上達するようになり、最終的にはドイツ留学を果たすことができた。それゆえ、これもいってみれば外部要因ともいえる。

今回のテーマである「多言語への興味を持つ」という観点でいえば、第二外国語でドイツ語を選択したのは今から考えると大正解であったといえる。というのは、多言語といった場合、当然のことながら、英語を外すことはできないが、問題は、第二外国語に何を選択するかである。私の場合はドイツ語であったが、もしフランス語であったとしたら、今ほど多言語への興味というのが持てなかったかもしれないと感じる。

その理由は、私の場合、多言語の興味はほぼ語源への興味という意味であるからだが、ドイツ語の辞書 Wahrig Deutsches Wörterbuch に巡りあえたおかげでドイツ語を通してインド・ヨーロッパ語族の語源への興味がわいてきたからである。何故だか分からないが、フランス語の辞書はフランスで作られたものからして、語源欄の説明は極めて不十分である。さらに日本で作られた仏和辞典などには語源欄は全くないといっていいほどだ。つまり、第二外国語でフランス語をとっていたとすれば、語源にあまり関心を払わないままであったかもしれないと感じる。

さらに言えば、現在はインド・ヨーロッパ祖語(印欧祖語、Proto-Indo-European language)と呼ばれているが、私がドイツ留学当時(1977年、78年)は ― 他の国ではどうだか知らないが ― インド・ゲルマン祖語(Indogermanische Ursprach)と呼び習わされていた。それというのも、印欧祖語の研究はインドに上級裁判所の判事として赴任したウィリアム・ジョーンズ(1746-1794)によって始められたものの、その後の研究ではドイツ語圏の学者が学術的に一番進んでいた。


その証拠の一つが、60年前に出版された Julius Pokorny の "Indogermanisches etymologisches Wörterbuch" だ。現在では時代遅れの記述もあると言われるが、当時は学会の粋を集めた印欧祖語の語源辞書であった。この意味で、ヨーロッパ言語の語源やギリシャ・ローマの事柄を調べようとすると、ドイツ語で書かれている立派な辞書や専門書は数多いので、ドイツ語が読めることメリットがある。

自国語と英語の他に、いくつかの言語が理解できる Polyglot (つまり、多言語のができる人間)であると次のような点において知的水平面(intellectual horizon)が広がる。

A. 多言語のができるメリット
1.和訳されていない本を読むことができる。
2.原語での表現そのものを知ることができる。

B.言語の持つ意味を考える
3.言語に於ける音の重要性を考える。
4.日本語の文法や語彙を考える
5.表意文字と言われる漢字と表音文字と言われるアルファベットの差を考える

ところで、先年亡くなった渡部昇一は『発想法 リソースフル人間のすすめ』(講談社現代新書)の中で、発想豊かな人であるためには外国語をしっておく必要があると、次のように繰り返し述べている。

P.39 (ある小説家が自殺したのは)書かなくなる理由が、種が尽きたという感じの作家には、日本語のものしか読んでいないはずの人に多く、外国語をマスターしている作家にはそれ(種が尽きる)がなかったようである。

P.83 また語学というものがいかに発想を涸らさないための有力な道具であるかもわかる。

P.124 逍遥と鴎外の例で見たように、滾々と湧くアイデアを持った人をしらべてみるとその秘訣は語学にある場合が多い。語学というものは、相当な段階にまで達するならば、その言語を持った民族が作りあげた数世紀、あるいは数十世紀の文化・文明、特に思想・文学という宝庫に通ずる鍵を持ったようなものであって、ちょっとやそっとで種切れになることはなくなるであろう。

P.140 …外国語の文献を扱う人のほうが、リソースフルということになりやすい。外国語を読む時間は多くかかっても、それは発想の井戸を掘っていると考えるべきである。相当の早さで一つの外国語を読めることは、水量豊かな井戸を持つことに連なる、ということは繰り返しておくに値しよう。


つまり、豊かな発想ができるには、自国語と英語だけでなく、ひろく言語全般に関する広い関心が必要で、それも苦労なくある程度の早さで読めることが必要だということだ。

続く。。。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沂風詠録:(第338回目)『良質の情報源を手にいれるには?(その43)』

2021-06-13 22:06:42 | 日記
前回

X-1-1 "Encyclopedia Britannica" (Part 2)

さて、バークレー出張時にEncyclopedia Britannica (以下、EB)の第1版(リプリント)を本屋でみつけて日本で購入したことは前回述べたが、この時、バークレーのUCBの図書館でEB 11th版に初めて出会った。11th版は1911年に出版されたので、実に100年も前に印刷されたものであったが、案外、保管状態が良かった。じっくり見る間がなかったが、大項目で構成で、内容的にもしっかりとしている印象を受けた。帰国後、英語版のWikipediaで調べてみて、学術的に非常に高い評価を受けている版だと分かった。



14thと15th は最近の版なので入手したが、さすがに 11thは 100年も前の出版なので入手不可能であろうと思って当初は全く気にしていなかった。ところがある時、ふといたずら心でWeb検索してみると、日本の古本屋サイトでは、なんと100万円で売りにでていた。博物館入りではなく、売り物もあることに驚いたが、「やはり時代ものなので高いのだな」と諦めかけたが、物はついでとばかりドイツの古本屋サイトをチェックしてみた。すると、何と8万円程で売りにでていたことに二度びっくりした。早速、問い合わせてみると、日本への送料は3万円ほどかかるので11万円程度というのだが、それでも日本で買う1/10の価格だ。



早速購入手続きをして楽しみにまっていると、段ボール2箱に丁寧に包装された11thが届いた。 11thは、どうやらインディアンペーパーで印刷されているものが人気らしく、いつも私が使っている14thより半分程度の薄さだ。インディアンペーパーはめくりにくいので私は好きではないが、普通の紙にすると倍の分厚さになることを思うと、やむをえない選択だったのだろうと思える。ところが、うれしい誤算があった。装丁がバークレーで見たような布地ではなく、総革であったことだ。ただ、出版後100年も経っているので、背中の部分は茶色でぼろぼろであるが、うれしいことに両扉部分は未だに元の姿を彷彿とさせる格調溢れて、「これぞBritannica」という威厳を感じさせてくれる。

11th版は学術的に優れているので、南方熊楠も輸入して所有していたようだ。内容の素晴らしいのは言うまでもないが、挿絵が非常にリアリティに富んでいる。俗に百科事典には原爆の作り方も書いている、と言われるようにこの Britannica は技術的なディテールも懇切丁寧に書かれている。



以下に、アメリカのアマゾンでの11th Editionについてのコメントのいくつかを抜粋して掲げる。

"The fresh clarity of the articles in the Eleventh was a happy change from the forbidding monumentality of the treatises found in other encyclopedias."

"The arrangement of articles tended to make the Eleventh Edition a practical reference work for layman rather than an erudite work largely for scholars and educators."

"The Encyclopedia Britannica was famous for both its lofty intellectual nature and its utilitarian side. It gave detailed instructions and advice on how to make liquid glue, how to tie knots, how to make gold lacquer, how to fashion snowshoes, how to perform sleight-of-hand tricks, how to collect butterflies, how to construct cheap farm bridges, how to make putty, how to build an icehouse, how to shoe a horse, how to devise flies for trout fishing."

"The Encyclopedia Britannica was an educational heritage that needed to be brought within the reach of every person able to read English. It was designed to be a ‘thorough library of knowledge.'"

"What was the average student's verdict after a year's use of the EB? "Most readers will, I believe, say it is one of satisfaction. It reaches a high standard of accurate and full statement on important matters, and rarely fails to give some information even on an obscure or little-known subject. It is, when all deductions have been made, the most useful of all books of reference, and represents the combination of learning, research, co-operation and organization in a higher degree than perhaps any other of the monumental works of literature and science. It is the high-tide mark of human knowledge. And it is knowledge brought to the service of all."

これらから言えるのは、11th は実用的なことも非常に多く記述されているということが分かる。現代用語でいえば、『実用百科』あるいは『家庭百科』のような内容も書かれているということだ。

出版された100年以上経った現在でも11th の評価は全く落ちていない。英語のWikipediaでは時たま直接11thから引用されている文章が見える。それもそのはずで、100年経過しているので、著作権が切れているので、自由に引用できる。また複数のサイトで、内容を直接見たり、検索したりすることができる。そのいくつかを紹介しよう。テキストだけだったり、図がついていたり、元のページのイメージ図が載っていたりと、各サイトでそれぞれ特色のある使い方ができる。

[1] 1911 Encyclopaedia Britannica
[2] Encyclopedia Britannica 1911
[3] The Encyclopaedia Britannica
[4] Wikisource:WikiProject 1911 Encyclopadia Britannica


続く。。。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

翠滴残照:(第11回目)『読書レビュー:教養を極める読書術(その10)』

2021-06-06 21:39:33 | 日記
前回

〇「リベラルアーツ研究家として」(『教養を極める読書術』 P.38)

2005年に企業人からアカデミアへ鞍替えした。神戸に開設された情報セキュリティの専門家の育成を目的としたカーネギーメロン大学日本校(CMUJ)のプログラムディレクターに就任した。いわば、教頭のような立場であったが、すぐに教授職(adjunct faculty)も兼務して、授業にも当たった。この時、CMUJ在籍の外国人留学生にボランティアで日本文化を英語で説明した。また、関西大学で外国人留学生向けに英語で日本文化を教える授業も受け持った。後日、京大へ移ったあと、この内容を拡張して外国人留学生向けの2つの英語授業、「日本の情報文化と社会」「日本の工芸技術と社会」を行った。

この授業の講義資料を作るため、日本のことを調べて、2つの欠点に気づいた。一つは、自分自身の日本に関する知識の不足である。日本のことはよく知っているつもりでいたが、いざ外国人に説明するとなると、抜けが多いことに気がついた。例えば、「日本の祭り」というテーマで話すとなると、代表的な祭りは知っているものの、1月から12月まで全体としてどのような祭りがあるかを網羅的に話そうとすると名前や場所だけでなく、それらの祭りの背景や起源についても話す必要がある。



現在では、英語のWikipediaから簡単に情報を得ることができるが、当時はまだ日本にしては英語での情報は少なかった。それで、一番頼りにしたのは、講談社が1983年に出版した Encyclopedia of Japan だ。多くの非日本人のJapanologist(日本研究家)が参画したので、伝統的な日本文化の説明に多くのページが割かれている。この本は外国人にも好評であるようで、Amazon.comには次のような批評が見える。
... it remains an excellent source on Japanese history (up to the early 1980s); art, architecture, and archaeology; philosophy; folk customs; geography; flora and fauna; classical literature; Japanese poetry; tourist sites; cuisine; clothing; transportation; traditional sports to include archery, judo, and sumo; gardening principles; and religion.

これ以外にも、Encyclopedia Britannica の日本関連の項目やタトル出版から出ている日本関連の英語の本を数十冊読んで情報を補った。いずれにせよ、改めて英語を通して日本文化に調べ直すのに結構時間がかかったが、最終的に日本文化について包括的な知識を得ることができたのは思わぬ収穫であった。

さて、2008年にCMUJから京都大学の産官学連携本部に移った。 2年目からは授業を担当することになった。大学改革の一環で、教養部が廃止されたので教養科目は各学部や本部の教員が教えないといけないことになったようだ。私は一般教養として次の2つの科目を教えた。

 ●国際人のグローバル・リテラシー
 ●ベンチャー魂の系譜


本書にも書いたように世界の各地域の文化を網羅的に知るための授業「国際人のグローバル・リテラシー」を始めた。たまたま、当時・ライフネット生命の社長であった出口治明さんと知り合い、1年に一度、来校頂き、学生向けに特別授業をして頂いた。

『国際人のグローバル・リテラシー』 テーマ
 0.概論 
 1.欧米 中世ヨーロッパの生活
 2.欧米 自由について(ギリシャ、ローマ、ゲルマン)
 3.欧米 (ギリシャ語+ラテン語)の受容、科学技術の発達、出版物の流通
 4.欧米 アングロサクソンの誤解、現代のグローバリゼーションの問題点
 5.日本 科学技術の発達、出版物の流通(江戸時代)
 6.日本 六国史、大日本史、中国の歴史書との関連
 7.日本 江戸末期・明治初期の西洋人の記録、日本人論
 8.イスラム イスラムの社会・文化、イスラムの科学
 9.イスラム イスラムと西洋・キリスト教、十字軍の残酷
 10.中国 哲学(儒教、老荘、韓非子、墨子)、仏教
 11.中国 歴史(史記、資治通鑑)、科学技術の発達
 12.中国 庶民生活(唐、宋、元、明)、現代中国の諸問題
 13.韓国 哲学、歴史、科学技術、庶民生活、日本との関連
 14.インド、東南アジア・南米 歴史、社会、日本との関連

この授業は以前から私が考えていたリベラルアーツ道の入門コースである。以前のブログ『徹夜マージャンの果てに』にも書いたように、私が自分の知識の無さと考え方の未熟さを思い知らされたが、大学時代の友人の手厳しい反論であった。これによって初めて「目が覚めた」と言える。このような刺激が是非必要だと思ったので、授業の仕方を工夫した。

それは「被告席」を作ることであった。

授業の最初の日に、各テーマにつき数人の発表者を決める。被告とは発表者のことである。発表者は通常であれば、調べてきたことを話すだけであるが、私の授業ではそうではない。だらだらと発表するのではなく、私が発表者にその場で、次々と質問をするのである。これは知識を問うのではなく、考えることが求められる。あやふやな答えをした時は、何故、そのように考えたかを問い質す。この手法はまさしくプラトンの対話編に書かれているソクラテスの手法、すなわち「ソクラテス・メソッド」そのものである。というのは、学生時代にプラトンを読んで以降、 critical thinking ができるようになるには、この方法が一番良いと確信しているからだ。

京大生は大体において、高校までの教育では、学友の前で自分の知識の無さや考えの浅さを指摘されることがなかったであろう。だが、私の授業では被告席に座って質問攻めされると、普段から深く考える習慣がない学生はおのずと馬脚が露われてしまう。恐ろしいもので、数回程度の質問の受け答えで大体その学生のレベルが分かってしまう。そのレベル評価をするのは教師の私ではなく、出席している他の学友たちである。授業の終わりごろに、当日の被告席に座った数人の学生には、教室の外の廊下に出てもらい、教室内の学生たちに評点(4点満点)を付けてもらう。60人近くの学生がいるが評点の平均点を計算するとだいたい私の感覚と一致していた。

私は、今後の日本の教育は、知識を教えるのではなく、ソクラテスメソッドを使って学生が深く考えるこつを自得させることが一番重要だと考えている。わずか3年ではあったが、私の授業に参加した学生たちがおぼろげながらでも、このことに気づいてくれたのではないかと期待している。

続く。。。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする