既に各種メディアで報道されていることなので、ご存じの方も多いと思うが、瀧本哲史氏が今月中旬に逝去された(享年47)。
私は2008年から2012年にかけて、瀧本さんと京都大学の産官学連携本部(センターから改称)で同僚として教鞭を取った。
私たちが所属していたイノベーション・マネジメント・サイエンス研究部門(IMS)では、京都大学の一般教養の一コマとして『起業と事業創造 I』というベンチャー育成教育行っていた。瀧本さんや私を含め、数人の教員が分担して、学生にアントレプレナーシップや起業の仕方、などを教えていた。当時は、ベンチャーには活気があり、また瀧本さんの人気もあって、授業開始時点では、登録者数が500人を越える大人気であった。割り当てられた講義室ではとても入れ切れないので、急遽、一般教養課程としては一番広い講義室に変更してもらったが、それでも最初のころはぎゅうぎゅう詰めの状態で、席につけず立ち見の学生もかなりいたほどだ。
私もここで技術論の講義をしたが、その時の講義資料用として教員数人でベンチャーの教科書を作ったのが次の本だ。瀧本さんにとっても、また私にとっても、この本は処女作となった。
『ケースで学ぶ 実戦 起業塾』(日本経済新聞社)
ご存じのように、瀧本さんの出世作と言えば、
『僕は君たちに武器を配りたい』(講談社)
であるが、実は『実戦 起業塾』の時に、それも同時進行的に書いていたようだ。『実戦 起業塾』の出版社との打ち合わせが何度かあったが、ある時、瀧本さんが、すこ~し遅れて来たことがあった。急いで駆けてきたらしく、汗を拭き拭き部屋に入るや「遅れてすいません、や~、大変でした~」と上気した顔でしゃべりだした。それから暫くは、本論の『実戦 起業塾』はそっちのけで『僕は君たちに…』の編集作業について、いつも通りかなり饒舌な口調で自虐ネタも交えながら内輪話を開陳してくれた。時々、編集作業に対する不満めいた話もあったが、どうも苦労しているという様子ではなく、いろいろな刺激を受け編集を楽しんでいる、という風に見えた。
さてその後、この『僕は君たちに…』が爆発的な人気となり、引き続きセンセーションを巻き起こす本を立て続けに出版した。どの本も瀧本節ともいえる独特な預言者的、断定的、口調が満載で、一言一言が悩める若者たちの心に刺さったのではないだろうか。また、授業だけでなく、学生を集めてのベンチャープラン合宿の席でも ― 私も教員の一員として参加していたが ― 瀧本さんの鋭い指摘を受けることは学生たちにとっては、恐怖ともあこがれともなった。
さて、私はあまり知らなかったのだが、瀧本さんは最近ではかなり戦略的に中高校生向けの教育に関与していたことを Newspicksのインタビュー記事で知った。(この記事は本来は、有料会員しか読むことができないが、現時点(2019年8月)ではだれでも無料で読むことができる。)
この記事もそうだが、瀧本さんの主張は尖った所を意図的に創り出しているところがある。俗な言い方をすれば「煽っている」ので、文面は必ずしも瀧本さんの本心でないところもあるのではないだろうか。瀧本さんと個人的に付き合って分かったが、本来的な性格はシャイなので、たとえ言葉の表面から判断すると先鋭的で、突き放しているように見えても、心底に絶えず熱い共感をもっていたことを感じる。もっとも、私は瀧本さんの主張に必ずしも全面的に賛成するわけではないが、それでも賛成/反対を越えて、問題の本質や物の見方について考えさせる所があると高く評価している。
最近は直接お目にかかる機会はなかったが、このNewspicksの写真を見ると、(多分、病気のせいで?)以前のふっくらとした顔だちから、かなり痩せている感じがする。しかし、これはこれで、俗気を脱している仙人的風格を感じさせる。
さて、瀧本さんはまだ比較的若い歳で逝去されたが、今回とり挙げた句はキケロの言葉で、人の死に際に関連している。
キケロはローマだけでなく西欧世界における最高の雄弁家であるが、一方、ヘレニズム哲学にも造詣が深い。キケロは独創的な哲学者とは言えないまでも、我々に当時のローマのインテリ階級の哲学的関心のあり方を生の声で伝えてくれる貴重な情報源である。『トゥスクルム荘対談集』もそのような哲学的談話の一つである。どのように人生を送れば良いか、死にはどう対処すべきか、など処世術的な世故に満ちた話題が多い。
ここに取り上げたのは、キケロの『トゥスクルム荘対談集』(Tusculanae disputationes)に見える一節である。
【原文】Sed profecto mors tum aequissimo animo oppetitur, cum suis se laudibus vita occidens consolari potest.
【私訳】死の床にあって、人生を思い返して「よくやった」と思えるなら、心安らかに死を迎えることができよう。
【英語】But death truly is then met with the greatest tranquillity when the dying man can comfort himself with his own praise.
【独語】Jedoch stirbt man in der Tat dann mit dem größten Gleichmut, wenn man sich am Ende des Lebens mit seinen Verdiensten trösten kann.
瀧本さん本人自身も思もかけない早い人生の終わりに際して、どのような感慨を抱いたのかは知る由もないが、このキケロの言葉のようであったと願いたい。同時に本や講演などから刺激を受けた若い人たちが瀧本さんの言葉を糧として成長していって欲しいとも願う(合掌)。
私は2008年から2012年にかけて、瀧本さんと京都大学の産官学連携本部(センターから改称)で同僚として教鞭を取った。
私たちが所属していたイノベーション・マネジメント・サイエンス研究部門(IMS)では、京都大学の一般教養の一コマとして『起業と事業創造 I』というベンチャー育成教育行っていた。瀧本さんや私を含め、数人の教員が分担して、学生にアントレプレナーシップや起業の仕方、などを教えていた。当時は、ベンチャーには活気があり、また瀧本さんの人気もあって、授業開始時点では、登録者数が500人を越える大人気であった。割り当てられた講義室ではとても入れ切れないので、急遽、一般教養課程としては一番広い講義室に変更してもらったが、それでも最初のころはぎゅうぎゅう詰めの状態で、席につけず立ち見の学生もかなりいたほどだ。
私もここで技術論の講義をしたが、その時の講義資料用として教員数人でベンチャーの教科書を作ったのが次の本だ。瀧本さんにとっても、また私にとっても、この本は処女作となった。
『ケースで学ぶ 実戦 起業塾』(日本経済新聞社)
ご存じのように、瀧本さんの出世作と言えば、
『僕は君たちに武器を配りたい』(講談社)
であるが、実は『実戦 起業塾』の時に、それも同時進行的に書いていたようだ。『実戦 起業塾』の出版社との打ち合わせが何度かあったが、ある時、瀧本さんが、すこ~し遅れて来たことがあった。急いで駆けてきたらしく、汗を拭き拭き部屋に入るや「遅れてすいません、や~、大変でした~」と上気した顔でしゃべりだした。それから暫くは、本論の『実戦 起業塾』はそっちのけで『僕は君たちに…』の編集作業について、いつも通りかなり饒舌な口調で自虐ネタも交えながら内輪話を開陳してくれた。時々、編集作業に対する不満めいた話もあったが、どうも苦労しているという様子ではなく、いろいろな刺激を受け編集を楽しんでいる、という風に見えた。
さてその後、この『僕は君たちに…』が爆発的な人気となり、引き続きセンセーションを巻き起こす本を立て続けに出版した。どの本も瀧本節ともいえる独特な預言者的、断定的、口調が満載で、一言一言が悩める若者たちの心に刺さったのではないだろうか。また、授業だけでなく、学生を集めてのベンチャープラン合宿の席でも ― 私も教員の一員として参加していたが ― 瀧本さんの鋭い指摘を受けることは学生たちにとっては、恐怖ともあこがれともなった。
さて、私はあまり知らなかったのだが、瀧本さんは最近ではかなり戦略的に中高校生向けの教育に関与していたことを Newspicksのインタビュー記事で知った。(この記事は本来は、有料会員しか読むことができないが、現時点(2019年8月)ではだれでも無料で読むことができる。)
この記事もそうだが、瀧本さんの主張は尖った所を意図的に創り出しているところがある。俗な言い方をすれば「煽っている」ので、文面は必ずしも瀧本さんの本心でないところもあるのではないだろうか。瀧本さんと個人的に付き合って分かったが、本来的な性格はシャイなので、たとえ言葉の表面から判断すると先鋭的で、突き放しているように見えても、心底に絶えず熱い共感をもっていたことを感じる。もっとも、私は瀧本さんの主張に必ずしも全面的に賛成するわけではないが、それでも賛成/反対を越えて、問題の本質や物の見方について考えさせる所があると高く評価している。
最近は直接お目にかかる機会はなかったが、このNewspicksの写真を見ると、(多分、病気のせいで?)以前のふっくらとした顔だちから、かなり痩せている感じがする。しかし、これはこれで、俗気を脱している仙人的風格を感じさせる。
さて、瀧本さんはまだ比較的若い歳で逝去されたが、今回とり挙げた句はキケロの言葉で、人の死に際に関連している。
キケロはローマだけでなく西欧世界における最高の雄弁家であるが、一方、ヘレニズム哲学にも造詣が深い。キケロは独創的な哲学者とは言えないまでも、我々に当時のローマのインテリ階級の哲学的関心のあり方を生の声で伝えてくれる貴重な情報源である。『トゥスクルム荘対談集』もそのような哲学的談話の一つである。どのように人生を送れば良いか、死にはどう対処すべきか、など処世術的な世故に満ちた話題が多い。
ここに取り上げたのは、キケロの『トゥスクルム荘対談集』(Tusculanae disputationes)に見える一節である。
【原文】Sed profecto mors tum aequissimo animo oppetitur, cum suis se laudibus vita occidens consolari potest.
【私訳】死の床にあって、人生を思い返して「よくやった」と思えるなら、心安らかに死を迎えることができよう。
【英語】But death truly is then met with the greatest tranquillity when the dying man can comfort himself with his own praise.
【独語】Jedoch stirbt man in der Tat dann mit dem größten Gleichmut, wenn man sich am Ende des Lebens mit seinen Verdiensten trösten kann.
瀧本さん本人自身も思もかけない早い人生の終わりに際して、どのような感慨を抱いたのかは知る由もないが、このキケロの言葉のようであったと願いたい。同時に本や講演などから刺激を受けた若い人たちが瀧本さんの言葉を糧として成長していって欲しいとも願う(合掌)。