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限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・119】『profecto mors tum aequissimo animo oppetitur』

2019-08-25 22:49:51 | 日記
既に各種メディアで報道されていることなので、ご存じの方も多いと思うが、瀧本哲史氏が今月中旬に逝去された(享年47)。



私は2008年から2012年にかけて、瀧本さんと京都大学の産官学連携本部(センターから改称)で同僚として教鞭を取った。

私たちが所属していたイノベーション・マネジメント・サイエンス研究部門(IMS)では、京都大学の一般教養の一コマとして『起業と事業創造 I』というベンチャー育成教育行っていた。瀧本さんや私を含め、数人の教員が分担して、学生にアントレプレナーシップや起業の仕方、などを教えていた。当時は、ベンチャーには活気があり、また瀧本さんの人気もあって、授業開始時点では、登録者数が500人を越える大人気であった。割り当てられた講義室ではとても入れ切れないので、急遽、一般教養課程としては一番広い講義室に変更してもらったが、それでも最初のころはぎゅうぎゅう詰めの状態で、席につけず立ち見の学生もかなりいたほどだ。

私もここで技術論の講義をしたが、その時の講義資料用として教員数人でベンチャーの教科書を作ったのが次の本だ。瀧本さんにとっても、また私にとっても、この本は処女作となった。
『ケースで学ぶ 実戦 起業塾』(日本経済新聞社)

ご存じのように、瀧本さんの出世作と言えば、
『僕は君たちに武器を配りたい』(講談社)
であるが、実は『実戦 起業塾』の時に、それも同時進行的に書いていたようだ。『実戦 起業塾』の出版社との打ち合わせが何度かあったが、ある時、瀧本さんが、すこ~し遅れて来たことがあった。急いで駆けてきたらしく、汗を拭き拭き部屋に入るや「遅れてすいません、や~、大変でした~」と上気した顔でしゃべりだした。それから暫くは、本論の『実戦 起業塾』はそっちのけで『僕は君たちに…』の編集作業について、いつも通りかなり饒舌な口調で自虐ネタも交えながら内輪話を開陳してくれた。時々、編集作業に対する不満めいた話もあったが、どうも苦労しているという様子ではなく、いろいろな刺激を受け編集を楽しんでいる、という風に見えた。
さてその後、この『僕は君たちに…』が爆発的な人気となり、引き続きセンセーションを巻き起こす本を立て続けに出版した。どの本も瀧本節ともいえる独特な預言者的、断定的、口調が満載で、一言一言が悩める若者たちの心に刺さったのではないだろうか。また、授業だけでなく、学生を集めてのベンチャープラン合宿の席でも ― 私も教員の一員として参加していたが ― 瀧本さんの鋭い指摘を受けることは学生たちにとっては、恐怖ともあこがれともなった。

さて、私はあまり知らなかったのだが、瀧本さんは最近ではかなり戦略的に中高校生向けの教育に関与していたことを Newspicksのインタビュー記事で知った。(この記事は本来は、有料会員しか読むことができないが、現時点(2019年8月)ではだれでも無料で読むことができる。)

この記事もそうだが、瀧本さんの主張は尖った所を意図的に創り出しているところがある。俗な言い方をすれば「煽っている」ので、文面は必ずしも瀧本さんの本心でないところもあるのではないだろうか。瀧本さんと個人的に付き合って分かったが、本来的な性格はシャイなので、たとえ言葉の表面から判断すると先鋭的で、突き放しているように見えても、心底に絶えず熱い共感をもっていたことを感じる。もっとも、私は瀧本さんの主張に必ずしも全面的に賛成するわけではないが、それでも賛成/反対を越えて、問題の本質や物の見方について考えさせる所があると高く評価している。

最近は直接お目にかかる機会はなかったが、このNewspicksの写真を見ると、(多分、病気のせいで?)以前のふっくらとした顔だちから、かなり痩せている感じがする。しかし、これはこれで、俗気を脱している仙人的風格を感じさせる。

さて、瀧本さんはまだ比較的若い歳で逝去されたが、今回とり挙げた句はキケロの言葉で、人の死に際に関連している。

キケロはローマだけでなく西欧世界における最高の雄弁家であるが、一方、ヘレニズム哲学にも造詣が深い。キケロは独創的な哲学者とは言えないまでも、我々に当時のローマのインテリ階級の哲学的関心のあり方を生の声で伝えてくれる貴重な情報源である。『トゥスクルム荘対談集』もそのような哲学的談話の一つである。どのように人生を送れば良いか、死にはどう対処すべきか、など処世術的な世故に満ちた話題が多い。

ここに取り上げたのは、キケロの『トゥスクルム荘対談集』(Tusculanae disputationes)に見える一節である。
 【原文】Sed profecto mors tum aequissimo animo oppetitur, cum suis se laudibus vita occidens consolari potest.
 【私訳】死の床にあって、人生を思い返して「よくやった」と思えるなら、心安らかに死を迎えることができよう。
 【英語】But death truly is then met with the greatest tranquillity when the dying man can comfort himself with his own praise.
 【独語】Jedoch stirbt man in der Tat dann mit dem größten Gleichmut, wenn man sich am Ende des Lebens mit seinen Verdiensten trösten kann.

瀧本さん本人自身も思もかけない早い人生の終わりに際して、どのような感慨を抱いたのかは知る由もないが、このキケロの言葉のようであったと願いたい。同時に本や講演などから刺激を受けた若い人たちが瀧本さんの言葉を糧として成長していって欲しいとも願う(合掌)。
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想溢筆翔:(第405回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その248)』

2019-08-18 10:03:19 | 日記
前回

【347.代謝 】P.4519、AD502年

『代謝』とは「古いものと新しいものとが入れかわること」。前漢時代に編纂された『淮南子』にも見える句なので、結構古い単語だといえる。しかし、現在では「新陳代謝」の略語として代謝(metabolism)が用いられているケースがほとんどだろう。中国の辞書の辞海(1978年版)には「新陳交替之意」とある。また辞源(1987年版)には「更替変化」とある。どちらも「代謝」とは alternate, change の意味だという説明する。

「代謝」を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索する次の表のようになる。


ところで、この表では資治通鑑には用例が2ヶあるというようになっているが、実はその1ヶ所は巻107で、下記のように書かれている。
「朱序をもって青、兗二州の刺史と為し、謝玄に代(かわりて)彭城を鎮せしむ」
(以朱序為青、兗二州刺史、代謝玄鎮彭城)


ここでは「代謝」の句は「謝玄に代る」となるので、ここで説明する「代謝」の意味で使われているのではない。この表に限らず、私のこのブログでは、機械的な検索結果をそのまま表示しているため、このような本来の意図とは異なる用例もカウントされている。学術論文なら、このような事態を避けるため、すべての検索結果を逐一チェックすることが必要であるが、私のブログではそこまでのチェックはしていない。それ故、検索結果表は参考程度だと考えて欲しい。

さて、資治通鑑で「代謝」が使われている場面を見てみよう。南北朝の南斉は、東昏侯のあまりにも暴君ぶりに、一族の蕭衍が打倒に立ち上がり、梁を建国した。南斉の一族の男子は皆殺しにしたが、蕭宝義だけは、不具の体であったので、殺さず、斉国の祭祀を司どるようにさせた。

蕭衍(梁の武帝)は、一族の蕭子恪と蕭子範が訪問してきたとき、それまでの歴史の変遷について次のような感想を漏らした。

 +++++++++++++++++++++++++++
蕭衍がしんみりと語った。「天下は公器だ。軍事力があれば取れるというものではない。時の「運」というものが無ければ、項羽のような勇猛な武将でも天下は取れない。劉宋の孝武帝(劉駿)は疑い深い性格で、兄弟のうちで名声の誉れあるものは皆、毒殺(鴆)したし、臣下の中で、少しでも反抗しそうな者は罪をかぶせて殺した。そのような理不尽な殺戮が行われていたにも拘わらず、ある者は「殺されるのではないか」と恐れたが、それでも宮廷に留まっていたので最後は殺されてしまったり、ある者は「殺されることはない」とは思っていたもののノイローゼに患かって死んでしまったりした。お前たち二人の祖先の高帝(蕭道成)は当時の劉宋の皇帝たちからは疑われたが、天命があったのでどうすることもできなかった(殺されなかった)。劉宋の明帝(劉彧)は、ぼんくら(庸愚)だったので誰からも疑われなかったが、即位後、宋の武帝(劉駿)の子孫は皆殺しにされた。

私はそのような殺戮が行われた当時、すでに生まれていたが、殺されなかったので、今日帝位に就くことができたが、当時だれがそれを予想したであろう! こうしてみると、天命がある者というのは人がいくら頑張っても殺すことができないということだ、と分かる。最初、建康に入城したときに、皆、わしにお前たちを全員殺して、人心を一新せよと勧告した。世の風潮に従ってやろうと思えばできないことではなかったが、殺さなかった。顧りみれば、東晋以降(江左以来)、王朝が交替(代謝)する時には必ず王族が全員殺されたので、和気が壊されたのが、王朝の命脈が短い理由だった。

上従容謂曰:「天下公器、非可力取、苟無期運、雖項籍之力終亦敗亡。宋孝武性猜忌、兄弟粗有令名者皆鴆之、朝臣以疑似枉死者相継。然或疑而不能去、或不疑而卒為患、如卿祖以材略見疑、而無如之何。湘東以庸愚不疑、而子孫皆死其手。

我於時已生、彼豈知我応有今日!固知有天命者所害。我初平建康、人皆勧我除去卿輩以壱物心、我於時依而行之、誰謂不可!正以江左以来、代謝之際、必相屠滅、感傷和気、所以国祚不長。…」
 +++++++++++++++++++++++++++

南北朝では短命な王朝が続いたが、その理由は蕭衍(梁の武帝)の分析によると、前王朝の子孫を皆殺しにしたことにあるという。それで、蕭衍は南斉の祭祀を絶やないためにに蕭宝義だけを残した、と述べる。

たしかに、蕭宝義、一人だけは殺されなかったが、残りの数十人は王族は無実にもかかわらず殺された。この点に於いては「感傷和気」(殺伐とした空気を生んだ)という点においては、蕭衍が非難している前王朝(南斉)の蛮行と何ら変わりないと私には思われる。そのせいかどうか分からないが、結局、梁も 50年で滅び、「国祚不長」となった。

続く。。。
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沂風詠録:(第317回目)『良質の情報源を手にいれるには?(その22)』

2019-08-11 16:03:14 | 日記
前回

C-1.英語辞書

C-1-2 Funk & Wagnalls -- Standard College Dictionary

前回紹介した、Websterの辞典の詳細な説明をした『ウエブスター大辞典物語』モートン、大修館書店(原題:The Story of Webster's Third)という本がある。これによると、1890年から1940年頃にかけて、アメリカではWebsterと並んで Century 社や今回紹介する Funk& Wagnalls (以下、F&W社) という2つの会社がWebster Unabridgedに匹敵する超大型版の辞書を作成していた。しかし、最終的には、 Webster社がこの両社を圧倒して絶対的な不動の地位を獲得するに至った。ただ、1992年に出版された American Heitage English Dictionary の第3版はWebsterの不動の牙城に迫っているとのことだ。



さて、今回紹介するのは、一時期、Websterと辞書の覇をあらそった名門の F&W社のCollege Dictionary である。

私がこの辞書を手に入れたのは、大学の3年生の時であった。当時、私は教養部を終えて工学部に進学したが、専門の授業はそこそこにして、語学の授業をかなり多く取っていた。ドイツ語会話(2コマ)、フランス語(文法、リーダー、それぞれ1コマ)、英会話(1コマ)。余談になるが、これらの語学の授業の内、現在に至るまで非常に役立っているのが、ドイツ語会話とフランス語文法であった。とりわけ、ドイツ語会話の授業を取ったおかげでドイツに留学することが叶い、その結果、人生と世界に対する眼が大きく開かされた。一方、フランス語の文法は、授業をとっていた当時は、予習が大変であったので、何度も「これで最後の授業にしよう」と挫けそうになったが、とうとう最後まで頑張って続け、単位をとった。正直なところ、まったく頼りないフランス語の基礎知識であったが、その後、ドイツ留学時にフランスを旅行した時には、それでも結構役立った。その後、フランス語はあまり熱心に勉強しなかったのだが、英語の力が伸びるに従って、フランス語の力もつられて、自然と伸びていった。それで、今ではフランス語の辞書や本もかなり理解できるようになっている。この経験から、私は若者に「学生時代には英語以外の外国語もちょっとはかじっておくのが良いよ」と勧めている。

【閑話休題】

さて、話を元に戻すと、学生時代にとっていた英会話のクラスであるが、20人近い受講者の中に、一人だけ英語がかなり上手な学生がいて、常に中味のある立派な発言をしていた。後に親友になったのでいろいろと聞いたが、文学部・米文学専攻で、イギリスにも 1年近く住んだこともあるとのことだった。私は、当時はまだ国外にでたことがなかったので、英語をまだうまく話せなかった。その原因は単語力不足と、単語のニュアンスがつかめていないことであったと感じたので、立派な英語の辞書を買うことにした。

そこで早速、京都河原町の丸善に行った。英語の辞書のコーナーには Webster Unabridgedも置いてあったことと思うが、買いたかったのは片手でもてる、手頃な価格の英英辞典であった。そこまで、英英辞典といえば開拓社の Idiomatic And Syntactic English Dictionary(ISED) を高校に入学した時から使っていたのだが、次第に不満に感じる所がでてきた。それは、同義語(synonym)の説明がないことであった。例えば arrogantを引くと "showing extreme pride or too much confidence"との説明が載っているだけだ。これは高校生が arrogant の意味を知るには十分であるが、もう少しレベルが高くなってくると、arrogant の同義語の proud, haughty, insolent, presumptuous とはどう違っているのか、を知りたくなってくる。英語の単語には、日本語と同様、外来語と土着語の2系統があり、また日本語の(呉音、漢音、唐音)のように外来語も、その時々に入ってきた単語をそのまま整理せずに後生大事に保存している。それで、英語は語彙が極めて多い上に、統一が取れていないし、似たような単語が幾つも併存している。

大学に入って、英語の本をいろいろと読んでいて、このような雑多な系統の語彙に一体どのようなニュアンスの差があるのか興味を持つようになった。それで、丸善ではそのような要望を満たしてくれる辞書を探した。幾つもの辞書を見たが、どれもページ数が薄かったり、説明が簡略すぎたりで、最終的には2つの辞書が残った。一つは、著名な Webster's Collegiate Dictionary(あるいは、New World Dictionary College Edition だったかも? )、もう一つはこの F&W社のCollege Dictionary だった。Websterはすでに名前は知っていたので、内容に不安はなかったが、フォント、レイアウト、語句の説明、など、いろいろな点でどうも気にいらなかった。



一方、F&W社のものは、まれに活字が壊れている所があるという欠点はあるものの、読めない訳ではなかった。フォント、レイアウトの点では全く申し分なかった。その上、同義語( synonym)や反義語(antonym)の説明が私が求めていたレベルであった。例えば、arrogant についての説明を上に掲げたが、同義語を5ヶ挙げて詳しく説明し、さらに反義語を4ヶも挙げている。



これは当時、日本の英和辞書の最高峰といわれた研究社の新英和大辞典の説明(上図)と比べてみても遥かに詳しい。(もっとも現在では新英和大辞典も改定されて内容はもっと充実しているかもしれないが。。。)

丸善でこの2つの辞書をじっくりと見比べて、最終的に知名度においては劣るが内容的に優れているF&W社の辞書を買った。その後、ずっと使っていて、ドイツ留学にも持っていった(さすがにアメリカ留学時には、アメリカで新しい辞書を買おうと思って持って行かなかったが)。買ってからすでに40年以上経った今でもこの辞書は日常的に使っているが、不満を感じたことは殆どない。あの時、名声だけでWebsterを選択しなくて良かったと思っている。もっとも、現在ではF&K社は辞書戦争に敗北したので同社の辞書を入手することは、古本以外では不可能である。このような良書が消えてしまったのは残念に思う。

私はその後、多くの辞書を買ったが、基本的にこの時の経験から、良い辞書を選ぶコツは「辞書に何を求めるか、という明確な自覚を持っていること」が決め手だと思っている。それには何冊もの辞書を実際に引いて比較してみることが重要だ。私は売れ筋だけで決めることはしないし、内容的にダブることはあっても、目的に応じて複数の辞書を積極的に買う。

語学上達の為には、自分の波長に合った、お気に入りの優秀な辞書を多数、常に身の周りに「侍らす」ことが肝要であると確信している。

続く。。。
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想溢筆翔:(第404回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その247)』

2019-08-04 09:55:03 | 日記
前回

【346.憔悴 】P.1881、AD185年

『憔悴』とは「やつれること、疲れ苦しむ」という意味。辞海(1978年版)には「憔」自体の説明はなく「見憔悴条」(憔悴の条を見よ)と指示し、「憔悴」には「困苦、憂貌、痩病」などの説明がある。また「悴」は「憂也、衰弱不振」と説明する。要はどちらも「つかれた、やつれた」という意味で、同意語なのだ。以前も述べたように、漢字で韻を合わせるのを重韻といい、頭韻を合わすのを「双声」という。「しょうすい」は双声だ(と思う。)

「憔悴」を二十四史(+資治通鑑+続資治通鑑)で検索する次の表のようになる。古代にはかなり使われていたが、近代にはあまり使われなくなった単語だと分かる。



ところで、「しょうすい」を二十四史だけでなく私の漢文検索システムで検索すると、合計で次の4通りの書き方が見つかった。(ただし、二十四史では、憔悴と憔瘁だけ)
 憔悴、憔萃、憔瘁、憔醉、憔顇

これらの語の第2字目はいづれも「卒」という音符を含む。つまり、旁(意符)に意味は全くなく、いわば発音記号として用いられていることが分かる。漢字にはこのようなアルファベットのような表音文字と同じ性質もあることが分かる。

また「憔」のつく熟語は「憔悴」の他にはわずか「憔然」「憔心」の2例しか見つからなかった。極論すれば『憔』の字は単に「憔悴」の為だけに存在すると言える。

しかし「悴」は事情がかなり異なる。私の漢文検索システムで検索すると「悴」が2番目に来る語は20ヶ以上見つかる。その頻度の高い順に挙げれば:
 憔悴、毀悴、殄悴、憂悴、労悴、枯悴、困悴、勤悴、
 窮悴、寒悴、疲悴、貶悴、羸悴、惨悴、貧悴、傷悴、
 衰悴、愁悴、萎悴、哀悴、贏悴、零悴、
など

興味深いことに「悴」は2字熟語の最初に来るよりも後の字、つまり 2字目にくる方が遥かに多い。

以上の話をまとめると:
1.「憔悴」は「つかれた」という同じ意味をもつ「憔」「悴」がダブっている語
2.「憔」は「憔悴」以外の用語例は2例を除いて見当たらない。極言すれば「憔」は熟語・「憔悴」のためだけに存在する語。
3.「すい」は5通りの字があるがすべて「すい・卒」という音符をもつ。
4.「悴」を含む熟語は20ヶ以上存在するが、殆どの場合「悴」は 2字目にくる。

さて、資治通鑑で「憔悴」が使われている場面を見てみよう。

後漢末、霊帝の時代宦官が巨大な勢力を持ち、官僚や軍人たちと政治権力を巡って激しく対立した。最終的には武力をもった軍人が後漢を滅亡に導き、三国志の時代に入るのだが、武力をもたない官僚たちは宦官の不当な弾圧に獄死させられることが多くあった。

宦官が後漢の政治混乱の元凶だと諌議大夫の劉陶が決死の勇気を奮って上書したのであったが…

 +++++++++++++++++++++++++++
劉陶は、「要は、今、天下が大いに乱れているのは、全て宦官のせいだ」との上書を提出した。それに対して、宦官たちはこぞって劉陶を次のように非難した「先ごろ、張角の乱が勃発したが皇帝は詔書を出して、恩恵深く処置された。それから、各地で反乱を起こした者たちは、おのおの反省し、改悔した。それで、今ようやく世間が安静化しつつあるのに、劉陶は、畏れ多くもお上の政治を非難し、世を乱すためにあらぬ噂を広めた。地方の役人から、反乱の通報が無いにも拘わらず、劉陶が「世が乱れている」とは一体、どこからそういった情報を入手したのだ?劉陶はきっと、反乱軍と気脈を通じているに違いない。」

こう決めつけて劉陶を宦官が管轄する黄門北寺の牢獄に投獄した。日を追うごとに拷問の取り調べが厳しくなった。劉陶は取り調べの役人に言った「わしは、聖世の賢臣、伊尹や呂尚と一緒でなかったこと、また殷の時代の三賢子である、微子、箕子、比干とも同輩になれなかったのが口惜しい。皇帝が今、忠臣を殺せば、残るのは憔悴しきった民だけだ。そうすれば、漢朝ももはや長くはあるまい。後悔しても遅いぞ!」そういって、息を止めて死んだ。前の司徒である陳耽も正直な忠臣であったため、宦官たちからは怨まれていた。それで、陳耽もあらぬ罪をかぶせられて獄死した。

…大較言天下大乱、皆由宦官。宦官共讒陶曰:「前張角事発、詔書示以威恩、自此以来、各各改悔。今者四方安静、而陶疾害聖政、専言妖孽。州郡不上、陶何縁知?疑陶与賊通情。」

於是収陶下黄門北寺獄、掠按日急。陶謂使者曰:「臣恨不与伊、呂同疇、而以三仁為輩。今上殺忠謇之臣、下有憔悴之民、亦在不久、後悔何及!」遂閉気而死。前司徒陳耽為人忠正、宦官怨之、亦誣陥、死獄中。
 +++++++++++++++++++++++++++

中国の歴史を読んでいて、心が痛むのは、冤罪(無実の罪)であまりにも多くの人が拷問にあったり、殺されていることだ。劉陶は政治批判をしたばかりに宦官から敵対勢力と見なされ、拷問の末、獄中で自殺した。日本でも幸徳秋水のような例がないとは言わないが、中国における冤罪の頻度とその対象者の多さは日本とは桁違いだ。そのような伝統を知ると、現在でも時たま日本人の中国駐在員がスパイ容疑で投獄されることが報道されるが、「九牛の一毛」のようなものだと思えてしまう。

続く。。。
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