限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

百論簇出:(第92回目)『稀代の幻学者、西田幾多郎(その4)』

2010-11-16 13:12:51 | 日記
前回から続く。。。

前回書いた、西田幾多郎の『日本文化の問題』を読んだのは数年まえであった。ところが最近知り合いになった人が、次のように私に言った。『西田幾多郎の善の研究っていいですね。あの真摯な学究的な態度には感心します。』 私は前々回に述べたように『善の研究』は途中で挫折しているので、その発言に対しては意見を言うことが出来なかった。それで家に戻り、久しぶりにこの本を本棚から取り出し再読してみることにした。

ページを繰ってみると、学生時代に引いた赤鉛筆の線がくっきりと残っているのが見えた。今回はトラウマを払いのけ、一ページ一ページを、稀代の哲学者と対決する姿勢で読み進んだ。果たして西田がまともなことを言っていて私が足りないのか、それとも『日本文化の問題』で見たように、西田が捉えどころののない煙幕を張っているのか?

読了してみて思ったのは、未熟な学生時代には大きな岩の如く立ちふさがって見えた西田のこの本も、30年経ってみれば、何のことはない、空洞の単なる張りぼての岩でしかなかった。誇張に聞こえるかもしれないが、全ページがはったりの連続だ。例えば、次のような文がその一例だ。

『。。。されば純粋経験の事実は我々の思想のアルファであり又オメガである。要するに思惟は大なる意識体系の発展実現する過程に過ぎない。若し大なる意識統一に住して之を見れば、思惟というのも大なる一直覚の上に於ける波瀾にすぎぬのである。』(岩波文庫:P.29)

『右の如き状態に於いては天地唯一指、万物我と一体であるが、曩にもいった様に、一方より見れば実在体系の衝突により、一方より見ればその発展の必然的過程としての実在体系の分裂を来すようになる、即ち所謂反省なる者が起こって来なければならぬ。』(岩波文庫:P.205)

このような難解なセンテンスに対して『分かりやすく言えば、結局どうなの?』と西田に問いたいと思うのは何も私だけでないはずである。はっきり言おう、この文が理解できないのは読者の知能が彼に及ばないためではない、著者、西田その人が何も分かっていないせいなのだ!

こういうと、世間の人は、『何を言っているか!相手は日本が生んだ最高の哲学者であるぞ!お前の無理解を西田先生に押し付けるとは無礼千万な!』と怒り狂うであろう。そう、かの有名な『裸の王様』の童話を持ち出すまでもなく、真実を見ず、煙幕に包まれた権威だけで判断する人にとっては、西田はこの上もない権威である。そしてそれにケチをつけるなどとは正気の沙汰でない、と思っているはずだ。しかし、私は西田の二冊の本を読んではっきりと分かったのは彼は、人を難解な哲学用語で幻惑しているということだ。『衒学者』というのは、学問を鼻にかけるいやらしい下衆(ゲス)、Pedant の事であるが、西田はそうではなく『幻学者』、つまり難解な用語で人を煙(幻)に巻いてしまうのである。学生のころに『善の研究』を読んで分からず頭を抱えたトラウマから30年して、漸く私には彼の正体が明らかになった気がした。



さて、西田幾多郎という人の別の観点について考えてみよう。それは西田の人間性についてである。どの本で読んだのかは思い出せないので記憶が間違っているかも知れないが、聞いて欲しい。

西田の『善の研究』が出版されるや、若き旧制高校生は競ってこの本を読み熱中した。そして西田哲学に引かれて東京から一人の俊英が京都にやってきた。その俊英とは後年、ジャーナリステックなレトリックを華麗にちりばめた文体で一世を風靡した三木清である。三木は西洋哲学の焼き直しにしかすぎない東大の陳腐な『井の哲』流の哲学に飽き足らず、独自の学説を打ち出していた西田に引かれてわざわざ京都にやってきたのである。三木は持ち前の才気で西田のお気に入りとなり、また当時、学生向けの出版物の著者を探していた岩波茂雄の目にかない、ドイツに留学する機会を得た。本場のドイツ哲学を仕込み、意気揚々と帰国し、アカデミズムというより文壇に論陣はり、次々と論考を発表しては、世間の喝采を得ていた。

しかしいつかしら、三木は思想・主張が当時の政体の受け入れられざるものとなり、治安維持法違反の容疑で投獄されることになった。西田は弟子の三木清が収監された時に、周囲の人が躊躇するなか、敢然とその釈放に奔走したと言われている。第二次世界大戦を遂行していた当時の日本の状況からしてこういった行為は非常に危険であるが、愛弟子のためには、我が身をも省みない献身さは世情の評価するところとなった。これだけでない。西田は同僚の京大教授の河上肇の投獄に対しても、自らは何らの損得もないのに、釈放を求めて運動した。私は西田のこれらの行動から、彼の人としての品性は高く評価している。

4回に分けて述べた西田幾多郎に対する私の評価の締めくくりに入ろう。

この論のはじめ、つまり『稀代の幻学者、西田幾多郎(その1)』で述べたアリストテレスとキケロの話を思い出して欲しい。そこでは、アリストテレスはプラトンは師としては尊敬するものの、真理の方がもっと重要だと言った。それに反し、キケロはプラトンとなら迷路に迷っても悔いないと述べた。私は、上で述べたような西田の人間性の温かみには感動を覚える。しかし、そうだからと言って、西田の哲学的観点に対して賛同することはできない。この意味で私は、西田に対しては、キケロではなく、アリストテレスの立場を取り、西田の二つの著書に対してかなり手厳しく批判した。しかし、彼の人としての暖かい行き方に対しては全く別の意見をもっていると、ここで再度、確認しておきたい。

                  (完)
コメント (1)
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