限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

翠滴残照:(第26回目)『読書レビュー:教養を極める読書術(その25)』

2022-01-30 21:47:50 | 日記
前回

〇「古典の読み方」(『教養を極める読書術』P.231)

「古典を読みなさい」とは数多くの識者が声をそろえて言う。私も同意見だが、進める理由は異なる。識者が古典を進める理由の多くは「立派な本であるから、読むことで立派な人格が形成される」というものであろう。この意見に反論することは極めて容易だ。世界の文明の主要国では数多くの古典(例:聖書、コーラン、論語、ヴェーダ)が数多くの政治家や知識人によって読まれてきたが、それらの国には数えきれないほどの残虐な戦争や酷い汚職があったことはちょっとでも歴史読めばすぐに分かる。「医者の不養生」の諺にも該当する「古典読みの悪徳者」のような諺もつくれそうだ。つまり、古典を読むことで立派な人格になるという論理は必ずしも成立しない。しかし、その半面、古典を読んで立派な人格を形成する人もいる。

結局「古典を読むから立派な人格になる」のではなく「常日ごろから立派な人格になろうという意識をもっている人が古典の文章に触発される」のである。つまり、主役は古典という本にあるのではなく、読む側の人間なのである。古典という枠にとらわれずに、類似の現象を考えてみよう。例えば、音楽、絵画、建築、彫刻などの美術に全く関心の無い人にとっては、たとえ世界最高級の素晴らしい作品であっても、一時的には感動を覚えるかも知れないが、それによってその人の美術感性が向上することはないだろう。一方、これらの方面に元から強い関心を持っている人は、ちょっと見ただけで、それら作品の素晴らしさの真髄を掴みとってしまう。

この差はどこから来るのだろうか?

偏差値教育が常識化した現代の日本人は、人の理解力を知能の観点からしか見ない傾向が強いが、元来、人は「知・情・意」の三要素の合成であるので、知だけでなく他の二要素の情や意も勘案する必要がある。つまり、上に挙げた場合では「意」(意志の力)が一番大きな役割を果たす。要は人の人格形成には読書という受動的なものより、自からの心の底から上がってくる向上心という能動的なものが重要だということだ。

結局、本書『教養を極める読書術』はいろいろと書いているが、読む主体の自分がどのような人間になりたいのか、何を知りたいと思っているのか、という内発的・自発的な目的なしには読書をしても効果が薄い、ということを述べるのが眼目の書であった。


出典:京都大学の門

この点に関しては、他人事ではなく、私自身強烈な体験があるので、その話をしよう。

今から約半世紀前の大学受験の時のこと、工学部志望であったにも拘わらず私は化学が大の苦手であった。高校の化学は暗記すべきことが多いので面白くもなく、また概念もよく理解できなかった。京大を目指していたので当然、化学は試験科目に入っていた。余りに化学が悪いので、最悪0点でも合格できるよう、他の科目で合格点を取ろうという作戦で3年の10月まで頑張っていたが、やはり化学が0点では合格は難しいのではないかと考えなおした。それで、作戦を変更し、他の科目は完全に遮断して、11月からは化学だけを毎日勉強することにした。

初めの数週間は教科書を読み、基礎問題だけを解いていったが、なかなか成果は見えなかった。しかし、12月の半ばごろから急に化学の全体構造が分かるようになり、問題集のレベルを挙げても正答率が良くなった。それと同時に、問題を解ける快感も味わえるようになった。正月が過ぎ、1月半ばまでで化学をほぼ完璧に理解できるようになったので、ようやく人心地がついた。当時、国立大学の受験は3月初旬であったので、残りの1.5ヶ月は急いで他の科目のおさらいをした。今はどうか知らないが、当時の京大の化学は基礎的な設問だらけで、難問はほとんどなく、合格者の平均点は 85点近辺と言われていた。私のやっつけ勉強でもこの点は取れたのだった。

このように書くと、何なら老人の自慢話を聞かされているように思われるかもしれないが、本論はここからだ。

さて、京大入学当時は、化学に関しては苦手意識が完全に払拭されていて、大学の化学の授業もよく分かった。ただ、授業内容はあまり面白くなかったので、徐々に興味を失っていった。当初は、それほど感じなかったのだが、1年の終わりごろになるとまたまた化学の知識がなくなっているのに気づいた。何やら淡雪が溶けてなくなってしまったような感覚だった。この一方で、数学や物理は高校の時から好きであり、また得意科目であったので、知識が溶けてなくなるということは全くなかった。それどころか、大学数学の定番の教科書である高木貞二の『解析概論』で解析関数に関する理論、とりわけコーシーの留数定理などで有名な複素線積分は非常に興味深かかったので、何度も読み返した。(もっとも、高木貞二の『初等整数論講義』は面白くなく、途中で放棄した。)その後、工学部に進学してから流体力学を学ぶようになって複素関数が大活躍する場面に遭遇した時には、高校卒業以来、ほとんど使う機会のなかった三角関数の定理などはすらすらと思い出して使うことができた。この経験から、私自身を実験台として 1年も経たずに雲散霧消した化学に関する知識と、手入れもせず放っておいてもしっかりと残っていた数学・物理の知識の差は知能ではなく「意」(Will)であることを私は確信したのであった。

半世紀も前のことを長々と述べたのは、私自身の体験から、興味を感じないものを強制的にやったところで、付け刃にしか過ぎず、効果は持続しないということを述べたかったからだ。このことは読書においても同じだ。人と自分の好みが異なるのであるから、当然、知的興味も異なるはずだ。本書の題の『教養を深める読書術』の極意を一言で述べるならば「世間でいうベストセラーや有識者の推薦する本ではなく、自分の興味の赴くままに『知の探訪』をするのがよい」という事になる。

【参照ブログ】
【麻生川語録・34】『発情期を待つ読書法』

 
(了)


続く。。。
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軟財就計:(第2回目)『私のソフトウェア道具箱(その 2)』

2022-01-23 18:16:53 | 日記
前回

現在の著作権では、著作権は公表後70年間(国によって多少差がある)なので、1911年版の Britannica 11thは著作権が切れている。それで、Web上では複数のサイトで公開されている。

1.Britannica の 1st から 12th Versionまでの説明
http://onlinebooks.library.upenn.edu/webbin/work?id=olbp16644

2. Wikisource は図も入っているバージョン
https://en.wikisource.org/wiki/1911_Encyclop%C3%A6dia_Britannica

それ以外にも次のようなサイトが見つかる。
https://www.theodora.com/encyclopedia
https://onlinebooks.library.upenn.edu/webbin/metabook?id=britannica11

この中では、2.のWikisourceが図入りであり、テキスト文もかなりしっかりと Verfifiedされているようなので、主にこれを使うことにした。ところが、このサイトは検索するには、何度もクリックしなければならず、かなり不便だ。例えば、Plato を検索するには3度クリックする必要があり、その都度、該当する項目はどこかを探す必要がある。この時、現在のWYSIWYG(What You See Is What You Get)とマウスという標準のMan-Machine インターフェスが足枷になって、操作性が悪くなっている。(この点については、追々批判するが、WYSIWYGベースのツールだけで仕事をするのは、生産性が極めて低い、という事だけは覚えておいて欲しい。)

さて、目的の単語を検索して表示しようとする時、ひたすら手作業でマウスをクリックすることになるが、そういった作業を仕事や研究のためには止むをえないと考えている人がほとんどだが、私はこのような単純作業は人手を介さずに行うべきだ考える。そうは言っても、プログラミングができないとどうすればそのようなことが実現できるか想像がつかないことだろう。

いづれ述べるが、私はかつて SEとしてC言語で数十万行レベルのシステムを幾つか設計しただけでなく、自分でも合計で数十万行ものC言語のコード書いた経験があるので、ソフト的にはどうすればよいのか、たいていの事なら分かる。今回のようなケースでは、手始めにクリック毎にサイトがどのキーワードを使って遷移するのかをチェックすることから始める。そうすると、例えば Plato の場合、最終的に下記のようなサイト(URL)の情報を表示していることが分かる。


この情報の元になっているのが、上の図に挙げたような項目名とそのURLが明記されているページである。この中身を知るためには、このページをダウンロードして見ればよい。例えば、Plato の場合次の2項目が Plato という名でURLが分かる。
  • Plato
  • Plato (poet)

  • ここまで分かればあとは、至って簡単で次のようにすれば検索システムができる。
    1.アルファベット順に項目名が記載されたページを最初から最後までをダウンロードする。
    2.ダウンロードされたファイルから項目名とそれに該当するURLをの対比表のテーブルを作成する。
    3.検索の操作としては対比表の項目名を探し出し、該当するURLにアクセスすることになる。


    このようにどのようにすればいいかという概略のプロセスだけ書けば、あっという間に検索システムが出来上がるように思われるかもしれないが、実際にはいろいろと問題がある。その一つは、ウェbページの文字コードだ。私が使っているWindows 10 システムでは DOSの時代からのソフト資産継承のため、表面上はASCII、Shift-JIS の文字コードが使われている。つまり、英語の場合、ASCII文字以外の文字コード、例えばUTFコード、はそのままでは表面的には扱えないことになる。もっとも内部的にはUTFに移行しているので、システム的には UTFコードも取り扱うことができる。現在のWebの世界では多くの文字コードが使えるが、それでも基本的にはHTMLファイルは ASCIIで記述されている。それ故、項目ページでもASCII文字以外は、漢字も含め、"%"を使って意味不明の文字のように表記される。たとえば、私の近刊書タイトル「中国四千年の策略大全」はUTF-8のタイトルとして次のように表される。
    %E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%9B%9B%E5%8D%83%E5%B9%B4%E3%81%AE%E7%AD%96%E7%95%A5%E5%A4%A7%E5%85%A8

    Britannica 11th の場合でいえば、例えば、 Aの最初あたりのページに Abu Hanifa という人名がでてくるが、その項目は次の表記となる。



    この項目を調べようとした時、マウスでクリックする場合は全く問題ではないが、検索システムで入力しないといけないとなると厄介だ。というのは、通常のキーボードではローマ字以外の文字をエントリーできないからだ。今回作成した検索システムでは Abu Hanifa と入力して検索できるようにしないといけないが、その為には、UTF-8をASCII(つまりShift-JIS)に変換する時にUをUと同等にみなせばよいことになる。
  • Abū Ḥanīfa an-Nu‛mān ibn Thābit


  • このような方針で作成したのが Britannica 11th の検索システムである。このシステムは Windows 10のコマンドプロンプト画面で動く。(通常コマンドプロンプト画面は黒地に白抜きの文字だが、この配色は眼にきついので、私はこのように背景を緑系にして白抜きの文字にして使っている。)例えば、Plato を検索した時は画面で [ xga plato ] と打ち込めば次のように表示される。いちいち大文字と小文字を区別するのが手間なので、内部的にはすべて小文字に変換してから検索するので、入力は大文字小文字関係ない。


    結果、Platoという項目は合計で7ヶ見つかる。表示したいのはこの内3番目であるので、続けて、[ xga 3 ] と打ち込むことで自動的に Chromeで該当ページが表示される。


    当初はここで満足していたのだが、何度か使っている内に、このシステムに不便さを感じた。それは、文字が小さいことだ。若い方には分からないかもしれないが、老年になると小さい文字を長時間読むのが苦痛となる。それで、大きな文字で読みたいのだが、都度Chromeの画面で文字の大きさをいじるのが面倒だ。それで、本検索システムを改造することでそのニーズに対応することにした。このように、プログラミングができると「わがままで、自己中の要望」がいとも簡単に実現できる。

    続く。。。
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    翠滴残照:(第25回目)『読書レビュー:教養を極める読書術(その24)』

    2022-01-16 13:50:05 | 日記
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    〇「日本では不人気、中国で大人気の『資治通鑑』」(『教養を極める読書術』P.194)

    宋代は中国の歴史の中では文人がもっと数多く輩出された時代ではなかろうか。文人といっても、現在のように文筆で身を立てているのではなく、政治家でありながら、プロのレベルの文筆もこなすエリート文化人のことだ。残念なことに日本の学校教育では歴史と言えば政治面の事柄が多いので、宋の文人の文化面の功績は授業ではあまり取り上げられることがない。また、入試にも出てこないのであまり知られていないのではなかろうか。しかし、そうはいっても、宋代初期に起こった新法を巡る政治闘争で、王安石とその反対派の領袖である司馬光の名は記憶されている方も多いだろう。しかし、司馬光の本領は、人生をかけて編纂した『資治通鑑』に歴史史家の力量が発揮されている。さらには、司馬光が後顧の憂いなく資治通鑑に取り組むことができたのは、王安石のバックアップに拠るものだったというのは、宋代文人の美談として記憶されてよい。



    さて、この『資治通鑑』であるが、私はこれまでに『資治通鑑』の抄訳本を3冊ばかり出版した(『本当に残酷な中国史』『世にも恐ろしい中国人の戦略思考』、『資治通鑑に学ぶリーダー論』)。それだけでなく、部分的に資治通鑑を取り上げた本が2冊ある(『教養を極める読書術』『社会人のリベラルアーツ』)。いわば、私の出版活動の大部分に資治通鑑が関連している。このきっかけは、最初の本『本当に残酷な中国史』の冒頭に書いたように、大学院修了の直前、つまり修士論文を書いているさなかに、ある晩、急に二十四史の正史・三国志(中華書局版)が読みたくなったことにある。翌朝、早速、寺町二条の中国専門店に買いに行ったところ、棚に中華書局版の資治通鑑(全4巻)が置いてあったので、三国志のついでに買ったのだ。

    その時まで、漢字だらけの中華書局の史記を購入して、つまみ食い的に幾つかの編は読んだものの、正直なところ漢文はまともに読む力はなかった。それでこの時、『資治通鑑』を見ても、真っ先に、私にとっては宝の持ち腐れになるのではなかろうかと危惧した。しかし、ここで買わないと一生縁がないだろうと感じたので、1.6万円もする分厚い本を思い切って購入した。さて、大学院を卒業して会社に入り、新入社員研修が終わって部門に配属が決まってから、ぼちぼちとこの部厚い本を最初のページから読みだした。初めは漢和辞典を何度も引きながら読んでいたので、なかなか進まず、頑張って毎日読んでも1年かけて、ようやく2000ページが読めた程度であった。当時、私は中国の歴史・文学に関する事典や参考書は皆目持っていなかったので地名・人名について調べることもできず、中途半端な理解のまま読み進めることにフラストレーションが溜まってきた。さらにその後、 1982年にアメリカへ留学したり、帰国してから仕事が忙しいこともあって資治通鑑からはすっかり遠ざかっていた。

    しかし、今から考えるとこの時に無理して資治通鑑を読まなかったのは正解であった。というのは、インターネットが1990年から急速に発達し、Web上に様々なデータがアップロードされたからだ。資治通鑑に関する資料で言えば、台湾の中央研究院(Sinica)が『漢籍電子文獻』として、大量のデータを無料公開していた(現在は、完全有料)。この中に、二十四史や清史稿とならんで資治通鑑と続資治通鑑の全文がBig5のデータで載せられていた。このデータが私にとって非常に役立ったのは、私の持っている中華書局版のページ毎に独立の html ファイルであったことだ。これを全文ダウンロードし、ページ数も表示できる検索システムを自作したおかげで、それまで数年、あるいは数十年にわたる事件などに登場する人名の関連を探すのに一苦労していたのが瞬時に分かるようになり読むスピードが格段にアップした。

    さて、ウェブ上の原文は、中央研究院以外にも何通りもある。文字コードは当時は台湾の繁体字コードのBig5、あるいは大陸中国の簡体字コードのGB2312が主流であったが、現在ではUTF-8が主流となっている。これらの原文を複数ダウンロードして分かったのは Web上の原文には字の打ち間違い、あるいは俗字、異体字(異字体)などが散見されるということだ。つまり、一つの原文サイトで検索してヒットしなくても、別の原文サイトの文ではちゃんと見つかることもあるということだ。それで、私の漢文検索システムでは複数の原文を検索している。これら、いわば現代のテクノロジーの恩恵を受けて初めて、資治通鑑、全294巻を通読することができたといえる。

    再度、最初から読みなおし、読了まで足かけ数年かかったが、実質1年で読み終えた。というのは、途中、職場が替わったので中断していた時期が1年半ばかりあったからだ。こんな事を言うと「1万ページもの漢文をわずか一年で、そんなのありえへ~ん」と思われるかもしれないが、当時土日は完全に空いていたので、この時に集中して読むことができた。 1万ページあると言っても、一日100ページ読めば週末に200ページ読める計算になる。これを52週、つまり 1年掛けると 1万ページになる勘定だ。とにかく一年で読了することを目標として、諸橋の大漢和や辞海は時たま引くことはあったが、あとは自作の漢文検索システムで、人名をキーワードにして過去の関連事項を探して事件の推移を確認しながら読んでいった。この時は、まるまる一日、朝から晩まで、受験勉強のように10時間程度没頭した。ところが、これは「10時間も漢文とにらめっこ」という苦行とは全く逆の興奮の連続だった。『本当に残酷な中国史』を読んだ方はお分かり頂けるだろうが、資治通鑑は、我々日本人にとって、故事成句的に言えば「応接に暇なし」の驚愕することだらけだ。一年もの間、あたかもスリル満点のアイマックシアターを観ていたようだった。

    資治通鑑を読むために自作した漢文検索システムの制作過程を通して、中国文化の底力を強く感じた。というのは、中国は官民問わず、数多くの原文がウェブ上にアップロードされていたからだ。有料のサイトもあるが、たいていは無料で閲覧、ダウンロード可能だ。つまり、全世界の人が中国の古典文学・歴史書・哲学書を自由に見ることができるのだ。それに引き換え、日本の古典文学などはウェブ上にアップロードされている数が極めて少ない。とりわけ Wikisource のようななかば公的なサイトでは圧倒的な差がついている。ざっと確認したところ、中国の Wikisource では高校で習うような中国古典は、ほぼ全て原文を見ることができる。マイナーな公孫龍子、困学紀聞、日知録などもいくつもある。その上、とてつもなく大部の類書の冊府元亀、太平御覧、欽定古今図書集成なども現時点ではまだ全文ではないものの、整備されつつある。それに反し日本の Wikisource では、超有名な源氏物語、徒然草、太平記は流石に見つかるが、マイナーな御堂関白日記、吾妻鏡、大日本史、愚管抄などは影も形もない。大日本史などは日本の書でありながら、中国の Wikisource ではエントリーサイトは存在している。



    それだけでなく、原文の載せ方が検索向きではない。例えば、徒然草(日本文學大系)では、冒頭の「つれづれなるままに、」という文章は上のように打ち込まれている。これは、国文研究者にはいいかもしれないが、普通の人が読んだり、原文検索するには非常に不便だ。検索する、という行為を全く無視している。原文の多さはなにも中国だけでない。ギリシャ・ローマ関連の Wikisource の充実を見るにつけ、世界における日本文化の影響力の薄さに落胆させられる。

    そのような愚痴はともかくとして、司馬光の『資治通鑑』は私の人生に大きな影響を及ぼした、忘れられない書となった。上にも書いたように私は抄訳を既に3冊出版しているが、どれも同じく精魂を傾けて書いたのだが、残念なことに 1冊目を除いてはあまり売れていない。一つの原因はタイトルの付け方にあるように感じる。とりわけ、第2冊めの『世にも恐ろしい中国人の戦略思考』は反中論を煽るようなタイトルで、私の意図には全くそぐわない。当初、出版社の編集者は「なるべく穏やかなタイトルにしたいですね」と言ってくれていたので、安心していが、出版直前になってこの過激なタイトルを知らされた。どうやら、出版社の営業部門が付けたようで当時(2017年)の反中的心情に迎合した「いや~な」タイトルだ。その上、先行の角川新書で謳っていた「資治通鑑」という文字が抹消されてしまい、ありきたりの反中本と思われてしまった。それに懲りて第3冊目の『資治通鑑に学ぶリーダー論』では出版社との打合せでは当初から、「必ず資治通鑑という名前を入れて欲しい」との要望を出したところ、編集者も「それこそ当方が望んでいることです」とこの点に関しては、どんぴしゃりと息が合った。いづれにせよ、この3冊はそれぞれニュアンスは異なるも、どれも資治通鑑の内容の広がりを知るためには欠かせない本であると私は自負している。はかない望みであるが、いつかこの3冊が合本として出版されることを秘かに期待している。できれば、ついでに幻の原稿である『資治通鑑にみる中国の庶民生活』も加えたいものだ。

    【参考サイト】
    猪狩一郎氏の 2017年6月1日 書評:『本当に残酷な中国史』
    ==> 猪狩氏の書評は私の思いを十二分に伝えてくれているという点で、大いに敬服している。

    讀懂了《資治通鑒》、也就讀懂了人生
    ==> ある中国人が『資治通鑑』を読了しての感想を述べている。

    続く。。。
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    軟財就計:(第1回目)『私のソフトウェア道具箱(その 1)』

    2022-01-09 21:47:27 | 日記
    私の会社人としてのキャリアとしては、SE(ソフトウェアエンジニア)が主軸であるが、 SE以外の業務もいろいろと経験した。例えば、機械設計、技術コンサルタント、データマイニング、ベンチャー支援など。さらに会社人だけでなく、アカデミアにも足をつっこみ、現在はリベラルアーツ研究家として講演、企業研修を行っている。そうはいっても、現在でもなお、日々のいろいろな仕事を効率的に処理するために、プログラミングを書くことが多い。たまに、このような話をすると「リベラルアーツもいいけど、そういった話も是非聞きたい」と言われることもある。一時期をプロの SEとして生活していた私にとっては、現在書いているようなプログラミングや IT活用はあまりにも基礎的すぎてわざわざ吹聴するほどのことでもないが、世間一般の人にとっては、画期的な使い方をしているかのように感じるようだ。それで、『軟財就計』(なんざい・しゅうけい)というタイトルで、「私のソフトウェア道具箱」という話をしてみようと思う。ちなみに、「軟財就計」とは私の造語で、軟財とはソフトウェアのこと、就計とは「計に就く」とよみ、活用するという意味だと理解されたい。

    さて、本来ならば、私のSEとしての経歴を述べるのが筋であるが、それらについては後ほど追々述べるとして、先ず、最近の出来事から「軟財就計」の実践例を説明しようと思う。

    ==============


    さて、今から十年近く前、アメリカ出張の折、UCバークレーの大学図書館で Britannica 11th Version を見る機会があった。それまで、私は以前のブログ
     沂風詠録:(第337回目)『良質の情報源を手にいれるには?(その42)』
    に書いたようにBritannicaの14th Version(1969年版)を所有し調べものの時には常に参照したが、決して記述内容に裏切られることはなかった。 14th Version でも相当古いので、それ以上古いBritannica に関心を抱くことはなかった。ところが、Berkeleyで100年も前に出版された11th の実物を見て、紙質や印刷の良さだけでなく、記述内容も非常に立派であるのに感嘆し、「道理で、あの南方熊楠も愛用していたはずだ!」と納得した。帰国後、早速この 11th Versionを古本で探したところ、日本の古本屋サイトでは、100万円超の値段が付けられていた。私には到底、手が出ないので、あきらめてドイツのサイトを検索したところ、何と500ユーロ(約6.5万円)のものがあった。「冗談か?はたまた、詐欺ではなかろうか?」と半分騙されたつもりで、しかし、誰かに買われてしまっては、と早速、購入手続きをした。暫くして、届いた箱には一冊一冊、白い包装紙で丁寧に包まれていた。紙を外すと、鮮やかな緑色の革表紙が現われた。その新鮮さはとても100年前、つまり二度の世界大戦をくぐり抜けてきたとは思えないような色艶であった。

    しかし、残念なことに背表紙は茶色に変色し、触るとぽろぽろとはがれて、クズが手に付くような状態であった。もっとも、これはいわば想定の範囲内であったので、文句はない。たった一つの誤算は、紙がインデアンペーパーであることだった。100年前には普通の紙に比べて、厚さが約半分のインデアンペーパーはこのような大部の事典や辞書にはしばしば用いられていた。当時のBritannica の宣伝の図を見ると、薄いことが一つのウリになっているが、非常にめくりにくい。


    さて、11th Version の記述内容は素晴らしく、Berkeley で見た時の感動がよみがえってきた。とりわけ、エンジニアリング関連の詳細な図は現在の百科事典ではほとんど削除されているので貴重な資料だ。このレベルの図や記述であれば、一種の技術百科事典とも言える。うろ覚えではあるが、当時、専門教育を受けることのできなかった技術者がBritannica を見て技術を学んだ、という噂話も頷ける。

    さて、この 11th Version は内容自身には満足したものの、使い勝手においてはいささか不満ある。というのは、私は本は消耗品と考えているので、たいていの購入した本には必ず書き込みをする。それだけでなく、あとあと見返す時に便利なように後ろの方に用紙を付け足して、メモを書き込んでいる。ところが、この11th Versionに対しては、そうすることは畏れ多い感じがして、どうも書き込めないのだ。私は別段、これを高く転売しようという意図はないが、何しろ 100年前に印刷された貴重な図書なので、自分の持ち物でありながら、図書館の本を見るようにしか扱えないのは何とももどかしい。

    それで、なんとか Britannica 11th Version を手軽に扱える方策はないかと、考えた。Web 情報をいろいろと検索している内にうまい解決策が見いだせた。これを一つサンプルとして私のプログラミングやIT活用技術の実際を紹介しようと思う。

    続く。。。
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    翠滴残照:(第24回目)『読書レビュー:教養を極める読書術(その23)』

    2022-01-02 15:29:50 | 日記
    前回

    〇「リウィウスの『ローマ建国以来の歴史』」(『教養を極める読書術』P.167)

    ヨーロッパではギリシャ・ローマが古典(classic)と並称されているにも拘わらず、前回述べたように日本では、ヨーロッパの古典といえばもっぱらギリシャ古典を指す。例えば、ギリシャ・ローマ古典の歴史書を考えてみよう。ギリシャのヘロドトスやトゥキディデスの『歴史』は、古くから(昭和40年代)岩波や筑摩書房などから何度か翻訳されている。私も学生時代には、岩波文庫でこれらの翻訳を読んで、ヨーロッパから中東にかけてのスケールの大きな叙述に感嘆したものだ。一方、ローマの歴史の翻訳は、スエトニウスの『ローマ皇帝伝』やタキトゥスの『年代記』はあったものの、いずれもローマの歴史でいえば輝かしき共和制時代ではなく帝政期のものだ。つまりカエサルやキケロの時代の歴史のついては原典が読めなかった。それで私は共和制時代のローマ人は歴史を書き残さなかったのか、と訝った。


    ところが、ドイツに留学して本屋に行くと、 Reclam 文庫には Weltliteratur(世界文学)というジャンルの中に、ギリシャ古典と同程度のボリュームでローマ(ラテン)の古典があることに目を開かされた。その中に Sallust、Liviusなど共和制時代を書いた歴史書があった。ただ、レクラム文庫にある共和制時代の歴史書は極めて少なかったので、満足できなかった。それで、次にアメリカに留学した時に、 Loebでこれらの本をごっそりと購入して、帰国した。帰国後にゆっくりと読もうと思っていたが、案に反して会社での SEの仕事が猛烈に忙しくなったため(セブン―イレブン)これらの本はそのまま書架に眠ったままになっていた。

    それから十数年ほどして、たたまたフランス革命期を生きたメルシエの『十八世紀パリ生活誌』(岩波文庫)を読んでいたところ、リウィウスの『ローマ史』がフランス革命に甚大な影響を与えた記述に出くわした。メルシエの回想に次のような文が見える:

    「私の頭脳は、ティトゥス・リウィウスの『ローマ史』にすっかり夢中になっていた(中略)私はそれほど古代ローマ人の運命とと一心同体になっていたのだ。私は〔ローマの〕共和政のすべての擁護者たちとともに共和主義者であった。(中略)共和政の偉大にして壮大な歴史を読むにつけ、共和政をよみがえらせることができればなどと思うよううになる…(後略)」

    この文章に刺激されて、リウィウスの『ローマ史』を読まなきゃと思って、邦訳を探したところ、2000年の段階では全く存在していなかった。それで、意を決して、書架に埃をかぶっていた Loeb版を取り出し読み始めた。 Loeb版は、各巻それぞれ 500ページ程で、全 14巻ある。もっとも、対訳本なので、英語の部分は半分なので、全体で3000ページ程度であるがそれでも、読み終わるに半年ほどかかった。この間、200日ほど毎日壮大なローマの歴史ドラマに浸っていたが、読み終えてつくづく「リウィウスを読まずしてヨーロッパ精神は分からない」と確信するに至った。(その後、『資治通鑑』を読んだときも同様な確信を得たのであったが。。。)

    リウィウスを「積んどく」期間が十数年あったおかげで、購入当初は全く読めなかったラテン語も、自習したおかげで、ある程度は分かるようになった。それで、英文パートを読みながら、気にかかった単語や文章のラテン語の原文を適宜参照した。それで、Liberty、 Freedomに該当するlibertas(自由)という単語が実に頻発することがよくわかった。民衆と貴族の対立などの闘争が始まろうかというと時に、決まって言い出されるのがこの libertas だった。もし、邦訳で読んでいたなら「自由」という単語が頻発するのをみても、「これは多分意訳だろう」と思って気づかずにいたかもしれない。

    リウィウスを読んで感じたのは、歴史家というのは、古今東西同じような意図をもって記述しているということだ、リウィウスは前書きに「歴史からはあらゆる種類の事象が説明されているから自分の行いを矯正するにはよい」と歴史を書く意図を明確に述べている。その意図表明に引き続き「善事を見ては、同じからんと願い、悪事を見ては、避けよ」と指摘する。

    【原文】inde tibi tuaeque rei publicae quod imitere capias, inde foedum inceptu foedum exitu quod vites.
    【英訳】 From these you may select for yourself and your country what to imitate, and also what, as being mischievous in its inception and disastrous in its issues, you are to avoid.
    【独訳】aus ihnen dann zu unserm und des States Besten das Nachahmungswürdige; aus ihnen die abscheuliche Tat von gleich abscheulichem Ausgange, um sie zu meiden, uns ausheben.

    リウィウスのこの文句と同等の意味を持った句は中国古典の『孔叢子』にも「善以為式、悪以為戒」(善はもって式となし、悪はもって戒めとなす)と見える。古今東西、歴史家のモットーはこの句に集約されるのであろう。

    【参照ブログ】
    沂風詠録:(第217回目)『真夏のリベラルアーツ3回連続講演(その5)』

    続く。。。
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