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限りなき知の探訪

50年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【麻生川語録・39】『幕の内弁当スピーチ』

2015-08-30 21:44:07 | 日記
以前(1982年~84年)にアメリカのカーネギーメロン大学に留学していた時のこと、学期末のテストが終り、アメリカ人の学生仲間数人と打ち上げをすることになった。一人のアメリカ人学生の自宅の庭でバーベキューパーティをすることになり、その家に行ったが、ドアを入った途端に腰を抜かしてしまった。入口に、なんとヨーロッパの中世の鎧兜が置いてあるではないか!またその横には、日本の本物の刀が壁に掛けられ、天井からは槍が吊るしてあった。奥へ入ると、今度は電話帳の3倍位はあろうかという巨大な革製の古書が書見棚に逆さに広げて置いてある。聞くと、その家のお母さんが骨董品店(antique shop)を持っているので、店におけないものを自宅に一時保管しているとのこと。逆さに置いてある古書は、時々、ひっくり返さないといけないとか。(記憶がさだかでないが、その古書は Gutenberg の聖書かそれに類する、とてもとても高価なものだったような。。。 )



さて、皆(5人)そろったところで、スーパーに肉を買いに出かけた。誰かが、これはどうか?と指差した肉の塊があった。見ると1ポンド(約500グラム)だった。私は、少し足りないのではないかと思ったが、足りないどころではなかった。一人が1ポンドの肉 - 縦横5センチ、長さ20センチはあろうかという塊 - を食べるというのだ。目を白黒させながら家にもどり、さっそく炭をおこし、熱くなった網に上に5つの肉の塊をそのまま、どさっと載せた。ホスト役の友人が時々ナイフを入れて焼き具合をみていたが、できた、といって私の皿に肉塊を載せてくれた。日本のように野菜などは一切なし。肉塊にかぶりつくのだが、2口目以降は、旨いとかまずいとかいう次元を通り越して、ひたすら噛みに噛むという動作を繰り返しただけだった。ようやく食べ終わったが、シマウマを腹いっぱいに食べたライオンの気分だった。当日だけでなく、翌朝目が覚めても、まったくおなかがすかない。結局丸一日、全く何も食べなかった。それまで不思議であったのだが、ライオンは腹いっぱい食べたあと、どうして何日もぐうたらしていられるのか、ようやく納得した次第であった。

ところで、欧米の人達の話を聞いていると、時たま、同じ論旨を延々と繰り返している光景に出くわす。それでも、聴衆は(内心はうんざりしているのかもしれないが)根気強く耳を傾けている。一方、日本人の話は、逆に話題があちこちと点々とし、一向に焦点が絞り切れない。この欧米人と日本人の話しの仕方(スピーチ)の差は先ほどのビーフステーキを思い出して頂ければ、次のように喩えることがぴったりだと分かるであろう。
 欧米人 ― ビーフステーキ・スピーチ
 日本人 ― 幕の内弁当・スピーチ


ところで、昔、ドイツ語を勉強している時に、ある参考書の後ろに次のようなコラムが載っていた。

 日本人は「風が吹くと桶屋が儲かる」と、序論からすぐさま結論に至ってしまうが、ドイツでは、ロジックの一つ一つを詳細にチェックする。まず、「風が吹くと砂が舞い上がる」というが、この時、風の強さと砂の関係はどうか、どのような粒子の砂が舞い上がるか、などについて議論が延々数ページにわたっても終わらない。。。

この差は何も日本人と欧米人の間だけではない。日本人はロジックの構築が苦手だけではなく、そもそも話しが長くなると途中で相手の話しの筋を追う事から脱落してしまう傾向が一般的に見られる。これが以前のブログ
 沂風詠録:(第194回目)『リベラルアーツとしての哲学(その6)』
で述べた『あっさり系の日本人』と『こってり系の中国人』の差ということだ。

現在、日本と中国、日本と韓国の間でのいろいろな歴史や領土関連の問題の解決が長引いているのは『あっさり系の日本人』の向う脛の弱点をような点を集中的に攻撃されている感がする。それに対抗するには、日本人の恥の美意識から外れてしまうことを厭わないとすれと、次のような解決法も考えられる。つまり、日本も負けず劣らず相手の弱点や嫌がることを延々と言い続ける、つまり消耗戦に持ち込むのだ。朝鮮の歴史を読むと、対外的および対内的を問わず、とにかく徹底的に消耗戦を続け、もうこれ以上口をあけるのも面倒だ、というへとへと状態になってから、ようやく歩みより(講和)が始まる。何事においても、日本のやり方が世界に通用するということはない、と覚悟しておくことだ。

ただし、私は現在のように、中国や韓国が南京事件や慰安婦問題で、日本の悪口を世界に発信しているのは、長い目で見ると、彼らの意図に反して、逆に日本に対する利敵行為だと思っている。なぜ、彼らの理不尽な行為が日本のためになるのか、については、後日、稿を改めて述べたい。(乞う、ご期待)

【参照ブログ】
 百論簇出:(第52回目)『レンガの階段論理と棒高跳び論理』

想溢筆翔:(第219回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その63)』

2015-08-27 22:27:47 | 日記
前回

【161.水火 】P.9396、AD948年

『水火』とは文字通りには水(water)と火(fire)であるが、比喩的にいろいろな意味に用いる。例えば、大水に溺れたり、火事に巻き込まれ大やけどしたりという、災難に遭う事に喩えられる。

しかし、資治通鑑のこの部分で用いられているのは、仲の悪いこと、の喩えだ。

時は、五代の末、後周の初代皇帝である郭威が権力を握るきっかけになったことがある。それは当時、郭威をはじめとして、多くの将軍たちが後漢(五代)の第2代皇帝である劉承祐に仕えていたが、劉承祐はこれら古参武将を統率するだけの器量に欠けていた。それで、将軍たちは、皇帝の命令を無視し、軍隊を抱えたまま、動こうとはしなかった。とりわけ、都の近くにいた2人の将軍の間がいわば犬猿の仲であった。

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郭從義と王峻は都・長安の近くに陣地を構えていたが、兎に角、水と火のように仲が悪かった。

郭従義、王峻置柵近長安,而二人相悪如水火。
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ところで、古代ローマでも『水火』という熟語が使われるが、村八分を「水と火の権利を奪う」という。つまり、追放刑に処された者は村の水(井戸や川)を使うことを禁じられ、さらに、煮炊きするための火が消えても隣家からも付けてもらえないほど、峻拒されるということだ。

中国古典では『水火』以外に、仲が悪い喩えは『氷炭』とも言うが、『犬猿』とは言わないところからすると、中国の犬と猿は仲がよいのかもしれない。

続く。。。

【座右之銘・87】『Mallem nescisse futura』

2015-08-23 19:05:20 | 日記
身近に危険があるのに、知らずにいると安閑としていられるが、一旦、その事実を知ってしまうと、おちおちしていられないことがある。最近(2015年8月12日)中国の天津の市街地で大爆発があったが、そこには大量の有毒物質が保管されていたと言われている。火災でそれらの物質から大量の有毒ガスが発生したようだ。大気だけでなく、地下水や河川にも影響でたことは、付近の川で大量の魚の死体が浮いていることからも容易に想像できる。こういったことを知ったら、日本に居ても身近に怪しげな倉庫がないか、不安になって調べないだろうか。そして、それらしき倉庫があれば、早速引っ越ししようと思わないだろうか。

『知らぬが仏』とはよく言ったものだ。

ところで、仏教は日本には飛鳥時代に入ってきたので、かれこれ 1500年、仏教は我々の身近にあったのだが、日本人は仏教の本性を知らずにいるので、安閑としていられるのではないかと私には思える。仏教はインドで生まれた宗教なので、当然のことながら、その根幹の思想はインド的だ。このインド的というのが曲者なのだ。インド的とはつきつめていうと次の考えが根底にある。
 生命は輪廻転生するので、一度生まれたものは未来永劫また生まれてくる。
この前提のもと、仏陀は考えた。世の中は多くの苦しみ(四苦八苦)が満ちている。そうすると、この汚辱まみれの世に生まれてこない方が幸せなのではないか?結局、仏陀がたどりついた結論は、道を極め悟りを開くと輪廻転生のリングが断ち切れるということだった。つまり、仏教の教えとは、「この苦しい世の中に、もう二度と生まれてこないことを目指そう」というものであるのだ。

ところが、世の中には、「できることなら、もう一度生まれ変わってやり直したい!」とか「こうなると知っていたなら、あのような事はしなかったのに!」と思っている人は多い。その人達にとって、仏教とは「二度と生まれ変わらない方がよい」と諭し、「全てのできごとは前世からの因縁である」との教えであると知ったら、とても仏教徒になりたいと思わないであろう。あたかも近くに危険物質の保管倉庫がることを知ったように、あたふたと仏教を避けないであろうか?

『知らぬが仏』とはこのことだろう。



さて、生まれ変われないまでも未来のことを知りたいと思わないだろうか?未来を知ることができれば、不安は解消され、成功への道筋へ進むことができると、考えないだろうか?

ローマの詩人、オヴィディウス(Ovidius)の代表作の『変身物語』(Metamorphoses)で、ケンタウロスの娘、オーキュロエ(Ocyroe)は、
 Mallem nescisse futura.
(未来など知らない方がよかった)

と悲しげに呻いた。彼女はなまじっか未来を見通せる術を身につけたために神の怒りを買ってしまった。その上、未来予知力というのははたいして価値のあるものでなかったと述懐する(non fuerant artes tanti)。

『未来も予知せず、来世も頼まず、今を精一杯に生きる』 -- 仏教の厭世観よりこの考え方のほうが、一度きりしかない人生を悔いなく送れそうな気がする。

想溢筆翔:(第218回目)『資治通鑑に見られる現代用語(その62)』

2015-08-20 20:30:48 | 日記
前回

【160.権柄 】P.985、BC23年

『権柄』(けんぺい)は、現在ではそのまま用いるよりも『権柄づく』(権力に任せて横柄な態度で無理やり事をおこなう)の意味で用いられることが多い。

この単語は、春秋左氏伝が出典のようだ。襄公23年に『既有利権、又執民柄』(既に利権あり、又、民柄を執る)とある。ここでいう『民柄』とは『民を操縦する手段』という意味である。

辞海(1978年版)には『権柄』に関して次のような説明文が見える。
 「柄、所秉執以起事者也」(柄とは、権力を握って、何か事を起すものである。)
 「然則柄以器物為喩、若用斧之執其柄也」(つまり、柄とは物をつかむものという喩え。例えば、斧を用いるにはその柄をつかまないと使えないようなもの)


このように、権力という抽象的なものを、実際に用いる手段を斧の柄になぞらえて「権の柄」と言ったわけだ。



さて、前漢の末に王莽が権力を握って漢が中絶したが、その時漢王朝の一族の劉向が警告を発した。

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侍中兼太僕であった王音を御史大夫に任命した。これ以降、王氏がますます権力を握るようになった。各地域の官僚のトップはすべて王氏の配下の連中で独占された。王氏の5人の兄弟は揃って侯となったが、互いに贅沢を競い合い、貢物や賄賂が至る所から集まってきた。幅広い交友関係を誇り、数多くの食客を養い、惜しみなく物を贈ることを誇った。それで、5侯のどの家にも賓客が満ち溢れ、その数の多さを自慢していた。

漢家の一員である劉向はその様子を忌々しげに思って陳湯にこういった。「今のデタラメ振りは見ての通りだ。外戚の王氏が日増しに力をつけているのは、とりもなおさず我が劉家が滅亡に向かうことだ。ワシはラッキーなことに劉家の一員として生まれ、何代にもわたり漢家から多大な恩義を受けている。劉家の中ではワシは長老の一人であり、今まで三代の皇帝に仕えてきた。上様(成帝)はワシが父帝の家臣であったので、お目通りをするつど、優しい声をかけてくれる。現在の劉家の危機をワシが言わずして、誰がいうことができようか!」

それで、腹を決めて王氏を弾劾する文章を奉った。「世間では、次のように申します。人君というのは誰もが安寧を望むが、実際には問題ばかり起こる、安泰に人君の位を保ちたいと願うも、いつも滅ぼされてしまう。これは、臣下を統御するやり方を間違っているからです。そもそも大臣が『権柄』を操って国政を行えば、害ばかりでいいことなどひとつもありません。それで書経には、『臣下が威張って自分の都合ばかりを考えると、却って自分の家だけでなく、国家が危うくなる』と書いてあるのです。孔子は『役人の給料が国家から出なくなれば、それは政治の実権が臣下に移ったということだ』と述べています。つまり、国家滅亡の前兆です。

今や、王氏だけで、高官しか乗れない、朱塗りの車輪の乗り物に乗れるものが23人もいます。高官がするベルトの青、紫、貂、蝉を身につけているものがまるで魚のうろこのようにびっしりといます。大将軍(王鳳)が政治の実権を握り、その兄弟の五侯が贅沢の限りをつくし、威張りちらし、勝手気ままにふるまっています。賄賂を贈ってきた者だけを身びいきにして、公権を濫用しています。皇后の兄であり、皇太子の伯父であることをかさに着て、威張っています。国を動かす大臣からはじまって下級役人に至るまで、王氏の配下でない者はいないありさまです。実権を放さず、党派の者で固めています。こびへつらう者は登用し、逆らうものは罪に落とします。

以侍中、太僕王音為御史大夫。於是王氏愈盛,郡国守相、刺史皆出其門下。五侯兄弟争為奢侈,賂遺珍宝,四面而至,皆通敏人事,好士養賢,傾財施予以相高尚;賓客満門,競為之声誉。

劉向謂陳湯曰:「今災異如此,而外家日盛,其漸必危劉氏。吾幸得以同姓末属,累世蒙漢厚恩,身為宗室遺老,歴事三主。上以我先帝旧臣,毎進見,常加優礼。吾而不言,孰当言者!」

遂上封事極諌曰:「臣聞人君莫不欲安,然而常危;莫不欲存,然而常亡;失御臣之術也。夫大臣操権柄,持国政,未有不為害者也。故書曰:『臣之有作威作福,害于而家,凶于而国。』孔子曰:『禄去公室,政逮大夫,』危亡之兆也。

今王氏一姓,乗朱輪華轂者二十三人,青、紫、貂、蝉充盈幄内,魚鱗左右。大将軍秉事用権,五侯驕奢僭盛,並作威福,撃断自恣,行汚而寄治,身私而託公,依東宮之尊,仮甥舅之親,以為威重。尚書、九卿、州牧、郡守皆出其門,管執枢機,朋党比周;称誉者登進,忤恨者誅傷;

以侍中、太僕王音為御史大夫。於是王氏愈盛,郡国守相、刺史皆出其門下。五侯兄弟争為奢侈,賂遺珍宝,四面而至,皆通敏人事,好士養賢,傾財施予以相高尚;賓客満門,競為之声誉。劉向謂陳湯曰:「今災異如此,而外家日盛,其漸必危劉氏。吾幸得以同姓末属,累世蒙漢厚恩,身為宗室遺老,歴事三主。上以我先帝旧臣,毎進見,常加優礼。吾而不言,孰当言者!」遂上封事極諌曰:「臣聞人君莫不欲安,然而常危;莫不欲存,然而常亡;失御臣之術也。夫大臣操権柄,持国政,未有不為害者也。故書曰:『臣之有作威作福,害于而家,凶于而国。』孔子曰:『禄去公室,政逮大夫,』危亡之兆也。今王氏一姓,乗朱輪華轂者二十三人,青、紫、貂、蝉充盈幄内,魚鱗左右。大将軍秉事用権,五侯驕奢僭盛,並作威福,撃断自恣,行汚而寄治,身私而託公,依東宮之尊,仮甥舅之親,以為威重。尚書、九卿、州牧、郡守皆出其門,管執枢機,朋党比周;称誉者登進,忤恨者誅傷;游談者助之説,執政者為之言。
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この文からも分かるが、中国では一旦誰かが権力を握ったら、役職は配下のものが独占する。逆に言うと、権力者と関係のない者は、業績など無関係に全て排除されるのが原則である、ということだ。現代用語でいうと、中国の権力は、まるでコンピュータやウェブの世界のように、Winner-take-all であるのだ。権力を握った団体には、その力にあやかろうとして、賄賂が集中するので、ますます権力と富がその団体に集中する。そうして、みるみる内に巨大利権集団となってしまう。

劉向が王氏の専権を警告したこの文は、 BC23年に書かれたが、その指摘自体は、まさしく現在の習近平政権が暴いている現代の中国の政治そのものではないか!

何度も繰り返すようだが、私が資治通鑑を通読して痛切に感じた
 『資治通鑑を読まずして中国は語れない、そして中国人を理解することも不可能である。』
とは、こういった歴史的事実と全く瓜二つの現象が現代中国にも見られるということを指す。

続く。。。

百論簇出:(第172回目)『還暦おじさんの東欧旅行(その7・最終回)』

2015-08-16 21:50:13 | 日記
前回

以前、アメリカ留学時の冬休み(1983年)に南米を1ヶ月半近く旅行した。ピッツバーグからフロリダのマイアミに飛び、そこからペルー、ボリビア、アルゼンチン、ブラジルと真夏の南米を一ヶ月半かけて回ったが、暑さとほこりっぽさでいささか、ばて気味になった。最終地、リオデジャネイロを発って十時間弱でフロリダの空港に降り立った時「何と、アメリカは凄い国だ!」と感じた。それはアメリカとの経済力の差だけでなく、文化的な差を強く感じたからだ。南米の国々はどことなく、ルール無視というか、ルーズな点が見られたが、フロリダの空港内では全てが、秩序正しく運営されていた。

そこまでアメリカに2年近く暮らしていたので、始めのうちはともかくも、暫くするとアメリカの秩序正しさが当たり前のような気がしていた。ところが、南米を旅行している間に、その感覚がまっさらになって、初体験のようにアメリカの秩序に触れて衝撃を感じた訳だ。

今回、約2週間にわたり東欧を旅行し、日本(関空)に戻ってきて、久しぶり日本の風景を見て「何と、ちまちましていることか!」と衝撃を感じた。言うまでもなく、日本とヨーロッパとでは道路の幅や建物の区画のスケールが大幅に異なる。私は、かつて一年ドイツに留学したし、その後も何度も旅行したので、頭では充分に理解していたが、今回はなぜか日本の「ちまちまさ」を強烈に感じた。

その一つの理由が、樹木の剪定にある。

日本にいて、以前からずっと嫌悪感を感じていることがある。それは街路樹や公園の木々を不必要に剪定していることだ。日本庭園などでは、専門の庭師が審美観を損なわないよう切るべき枝や葉を注意深く選定した上で剪定している。ところが、街路樹や公園などの樹木では、見るからにアルバイトの人達が電気のこぎりでばっさばっさと枝を切り捨てている。どの枝を切ればよいかなど、全く考慮せず、単に切った枝が所定の重さになればよい、というような感覚で仕事をしている。その結果、どの木のみごとに醜く出来上がる。更に悪いことには、枝の状態を調べもせずに切るために樹の生命力が断たれてしまい、枯れてしまうこともある。



例えば、ポプラの木というのは成長が早く、1年で2メートルも伸びるという。数十年の内に、巨木になるが、今回の旅でブタペスト市内の公園や温泉で見たポプラは4階建ての建物の屋根を遥かに葉を茂らせていた。樹齢は分らないが百年あるいは200年と言った所だろうか。その間、建物の邪魔になるからといって無暗と枝切りをせず、必要最小限に留めたおかげでこのように大きくなったのだ。

それに引き換え、日本の街路樹や公園のポプラはどこを見てもこのような大木は存在しない。それは不適切な剪定をするからだ。その一例を紹介しよう。

最近、国宝・犬山城近くの有楽苑(うらくえん)を訪問した。国宝の茶室は日本には2つしかなく、その内の一つ、如庵がこの有楽苑の園内にある。以前から訪問してみたかったのだが、今回念願がかなったので非常に期待して行った。

通用門で切符を買って園内に入ってすぐ、全くげんなりしてしまった。それは見るも無惨な形のポプラの木があったからだ。ポプラという木は枝振り豊かな大柄な木だ。それにも拘らず、育ち過ぎたので、庭師が困って剪定したようだが、切っても切ってもすぐに大きくなるので、その内、太い幹にしょぼしょぼした枝が数本、申し訳程度に付いているだけの貧相な木になってしまった。

庭の木々の剪定については、素人なので正しいかどうか確信はないが、有楽苑の他の木々をみると、きれいに剪定されている木はどれも大抵細い枝が密生する種類(例えば、楓か五葉松)である。もともと枝が細いので、剪定しても全体の形のバランスを保つことは易しい。考えるに、古くから日本庭園に植えられている木々は枝を剪定しても構わない木ばかりだ。しかし、最近になって始めて植えられるようになったポプラや桜(ソメイヨシノ)は剪定には向かない。というのは、枝振りが良いので、枝を切ると、あきらかに全体のバランスが崩れてしまう。有楽苑には桜(ソメイヨシノ)の古木が数本あったが、どれも剪定によって不格好になっているだけでなく、木の命までも奪ってしまい、ほとんど枯れ木同然になっていた。ここまでくると、何のための剪定か、大いに疑問である。(もっとも、このポプラとソメイヨシノ以外の有楽苑と茶室の如庵は全く見事で、来た甲斐があった。)

話しを元にもどして、東欧旅行から日本に戻って感じた「ちまちまさ」は、なにも木々の剪定だけではない。野菜やくだものについてもそうだ。今回訪問したチェコやハンガリーでは街中にある古いスタイルのマーケット(露店)には活気があふれていた。イチゴ、ブドウ、トマト、キュウリ、などが、紙のボックスに山盛りに盛られて売られていた。形や色が多少不揃いでもお構いなしだ。一方、日本のスーパーでは、キュウリなどは曲がったものはだめである。農産物をあたかも工業製品のような考えている。まったく、いいかげんにしろ、と言いたくなる。

日本は確かに他の文化圏からみれば進んだ点や称賛すべき点は多い。しかし、その良い点も限度が過ぎれば、あるいは適応を誤れば一転して目をそむけたくなるような悪い点に変わってしまう。

しばしば「日本の常識は世界の非常識」と言われるように、我々が日本に住んでいる限りでは当たり前だと思う日本の風習も、一旦世界に出て、改めて見直してみると納得できない点が多々あることに気づく。今回、学生時代に旅した3ヶ国(オーストリア、チェコ、ハンガリー)を 30数年ぶりに訪問してみて、改めてヨーロッパ的な生活の良し/悪し、それとの比較で、日本の良し/悪しを明確に感じた。リベラルアーツの根本は「健全な懐疑心を持つ」ことであるが、その意味で、世界に出て日本を遠くから眺めると言う行為は「健全な懐疑心」に良く効くスパイスとでも言っていいだろう。

(完)