限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

智嚢聚銘:(第15回目)『中国四千年の策略大全(その 15)』

2022-09-25 12:16:54 | 日記
前回

日本でも大岡裁きがあるように、中国では包拯(包青天)が名裁判官として有名だ。逆の観点から言えば、それほど賄賂で不正な判断を下す裁判官が多かったことを証拠だてている。今回取り上げるのは清廉というより、聡明な裁判官の話。

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 馮夢龍『智嚢』【巻 9 / 386 / 許進姚公張昺】(私訳・原文)

ある時、蘇の人が行商に出た。妻は家で鶏を数匹飼って夫の帰りを待っていた。数年経って夫が戻ってきたので、早速飼っていた鶏を絞めて夫にごちそうしたところ、夫は即死した。その隣の住人はきっと妻に愛人ができたので夫を殺したに違いないと役所に訴えた。知事の姚公がこの件を取り調べたが、姦通などの証拠が挙がってこなかったので、もしや鶏自身に毒があったのではないかと疑った。そして、手下に老妻が飼っていた鶏をもってこさせて、料理し、死刑囚2人に食べさせたところ、2人とも死んだ。それで、この妻は無罪となった。と言うのは、鶏がムカデなどの毒虫を食べると体内に毒が蓄積するからである。家で飼っている年老いた鶏は食べないし、夏には鶏は食べないのはそういった理由だからだ。

蘇人出商於外、其妻蓄鶏数隻、以待其帰。数年方返、殺鶏食之、夫即死。隣人疑有外奸、首之太守姚公。鞫之、無他故。意其鶏有毒、令人覓老鶏、与当死囚遍食之、果殺二人、獄遂白。蓋鶏食蜈蚣百虫、久則蓄毒、故養生家鶏老不食、又夏不食鶏。
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ここも、実証的な調査をすることで妻の冤罪を晴らしたということだ。

昆虫の中には毒々しい色をしたものがいる。それは「鳥などに毒があるから食べるなよ」との警戒メッセージを出している。これらの昆虫は、生れた時から毒をもっているわけではなく、幼虫の時に食べる毒草から、体内に毒素が溜まっていくという仕組みだ。毒を食べてどうして大丈夫かというと、体内に毒素を分解するバクテリアが寄生していてそれが解毒してくれるからという。人間もこのようなバクテリアを体内に持てば、食べることのできる野菜や草も増え、食料問題も解決できると考えるかもしれないが、そううまくはいかない。それでは人口がますます増え、一層食料問題が深刻になるに違いない。

さて、養母にいじめられる童話は古今東西、限りなく多い。西洋にはシンデレラがあり、日本には鉢かづき姫がある。中国にも多分そのような童話は多いだろうが、『智嚢』の話は実話であり、話の筋も童話にはない残酷性が垣間見える。

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 馮夢龍『智嚢』【巻 9 / 402 / 安重栄韓彦古】(私訳・原文)

後晋の安重栄は武人ではあったが、行政法務にも通暁していた。成徳で始めて節度使の役に就いた時、息子が不孝者だと訴えでる夫婦がいた。安重栄は自分の剣を抜いてその父に「これで息子に自害させよ」と渡した。父は泣いて、剣を受け取ろうとはしなかった。妻はそんな夫を叱って、剣を奪って息子を殺そうと追いかけた。問うてみると、その妻は実母ではなく継母であった。安重栄はその継母を叱って役所から追い出し、背後から彼女を射て殺した。

安重栄雖武人而習吏事。初為成徳節度、有夫婦訟其子不孝者。重栄抜剣、授其父使自殺之。其父泣不忍、其母従旁詬夫面、奪剣而逐其子、問之、乃継母也。重栄為叱其母出、而従後射殺之。
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中国における継母のいじわる話は、世説新語にも次のような話が載せられている。

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[世説新語・徳行] 王祥事は継母の朱夫人に甚だ謹しんで仕えていた。家に一本のすももの木があった。実がよくなるので、継母は王祥事に見張りをさせていた。ある時、暴風雨になったので、王祥事は木を抱いてないた。またある時、王祥事が寝ている時、継母は暗闇の中をやってきてベッドに切りつけた。たまたま、王祥事はトイレに行ってベッドが空であった。トイレから戻ると継母が盛んに悔しがっているので、膝まずいて「それほど私が憎いのなら殺してください」と言った。この言葉に心動かされた継母はその後は実子のようにかわいがった。

[世説新語・徳行] 王祥事後母朱夫人甚謹、家有一李樹、結子殊好、母恒使守之。時風雨忽至、祥抱樹而泣。祥嘗在別床眠、母自往闇斫之。値祥私起、空斫得被。既還、知母憾之不已、因跪前請死。母於是感悟、愛之如己子。
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結局、王祥が継母からいじめられ、一時は殺されかけたが、継母も心から悔改めて、実の母子のような関係となってめでたし、めでたしとなった。憎しみのあまりに殺そうとするなどとは、普通はとても考えられないところだが、ここに取り上げた2つの話が示すように、旧体制の中国では家庭内殺人は稀ではなかったのでは、と推測される。

続く。。。
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軟財就計:(第14回目)『私のソフトウェア道具箱(その14)』

2022-09-18 12:14:00 | 日記
前回

プログラミングができる一つの大きなメリットは、繰り返し作業を自動化することである。手作業であれば、何回も同じ作業を繰り返す必要があるが、プログラムに同じ処理をさせる場合、繰り返し回数を指定するだけでよい。さらに、処理結果に対応して別の作業をさせることができるのもプログラムを組むメリットだ。とりわけ、何十回(あるいは何百回)も繰り返す作業ともなれば人間の方が参ってしまう。逆にいえば、世の中のプログラムが出来ない人間は、何十回、何百回という作業が必要な仕事には始めから手を出さない、ということになる。会社の仕事であれば、仕事の重要度に応じて外注なり内作なり専用のプログラムが用意されるが、個人がちょっとした仕事や趣味でする作業は誰も手伝ってくれない。

プログラムが組める私からしてみれば「こんな便利な道具が世の中にはあるのに!これを使えば、あんなこともこんなことも早く、簡単にできるのに!」と思うことが多々ある。その一つの例を紹介しよう。
【きれいな画像】
【汚れた画像】

先日、インターネットからイスラムの技術( Technology and Engineering)のPDF資料をダウンロードした。開いてみると、おかしなことに最初の数秒間はテキストが綺麗な画像で見えるのに、一ページ全体の表示が終わると、すぐに汚れた画像に切り替わってしまう。どのページもそのような表示になる。PDFにレイヤーがかかっているのかとも考えたが、レイヤー表示を示すマークが出てこない。必要な部分は20ページ程度なので、汚れたものでもそのままプリントして読めないことはないものの、なるべく綺麗なプリントで読みたい。いろいろと試行錯誤した結果、次のような手段で解決した。

1. PDFファイルのプリントしたい部分だけを抽出する。

今回のファイルでは、じっくり読みたい部分はたかだか20ページ程度だ。もとのファイルは400ページ超もあるので、該当部分だけを抽出したファイルを作る。この作業にインターネットから pdftk.exe という実行ファイルをダウンロードする。

 PDFの該当部分を抽出:pdftk original_file.pdf cat 180-199 output part_file.pdf

2.PDFをページ毎に png ファイルに変換する。

この作業には、pdfimages.exe というプログラムを使う。これは元来はUNIXファイルであるようだが、Windwos版(Poppler for Windows)をダウンロードして実行ファイルだけを取り出した。具体的には次のようなコマンドで、出力は yy-xxx.png という形式で吐き出される。

 PDFをpng に変換:pdfimages -png part_file.pdf yy

ただし、作成される png ファイルには、テキスト本体の画像の他に、意味不明のブランク画像が2枚ほど生成される。それも、1枚のPDFページに確定的な枚数(たいていは3枚)の png ファイルができるはずだが、今回のファイルでは、ページによっては4枚に増えていることがあった。ただ、出来上がりにファイルサイズが明らかに違うので、ファイルサイズの降順に並べて、不要なページは落としてテキスト部分のページだけを取り出すことは簡単にできた。

【白黒反転画像】

3.画像の反転とサイズ変更

ただ、困ったことに、このテキスト部分の画像は白黒が逆だ、さらには、この画像のサイズがかなり大きい(500kbyte超)。これを解決するには、ImageMagick という画像編集のプログラムを同じくインターネットからダウンロードし、そのなかの convert という機能を使う。

 白黒反転:convert -negate before.png tmp.png
 画像縮小:convert -resize 2658x1918 tmp.png final.png

このプロセスを全てのファイルに行い、final_01.png final_02.png ....をページ数分作成する。

4.出来上がった画像ファイルをPDFにまとめる

最後はこれらの画像ファイルを一本のPDFファイルにまとめたい。通常はこのような場合、インターネットからダウンロードしたプログラム、jpeg2pdf.exe で簡単に処理できる。

 画像ファイルをPDFにまとめる:jpeg2pdf -o output.pdf final_*.png

しかし、今回作成した png ファイルにはなぜかサイズ情報が欠落しているようなので、うまく行かなかった。枚数が少なく、原因を調査するのも面倒なので、オンラインのツール https://jpg2pdf.com/ja/ を使い、サクッとPDFにまとめた。

(2022/09/21追記)ImageMagick には、「mogrify」と「convert」という画像ファイルフォーマット変換のコマンドがあるので、これを使って png を jpg に変換すれば問題解決する。
mogrify -format jpg xxx.png (or mogrify -format jpg *.png )
convert xxx.jpg xxx.png (1ヶのファイルだけ変換)

以上のようなプロセスを経て、めでたく綺麗な画像の PDF ファイルができた。

このような作業を通して、つくづく現在のWindows環境のありがたさが身にしみて分かる。私は 1982年、アメリカのカーネギーメロン大学に留学してUNIXとC言語の洗礼を受けた。入学早々、厚さ20cm 近くもあるUNIXの膨大なマニュアルを渡されて呆然としてしまった。しかし、UNIXをしっかりとマスターしないと、学生生活を送ることは難しいことを知り、親切な学友たちにも助けられてトライアンドエラーを繰り返し、数ヶ月後には全く困らなくなったどころか、UNIXファンになった。また、必修科目の Real-time Processing の授業では C言語を1ヶ月内にマスターしなければならず、大いに苦しんだが、案に反してC言語は私にとっては相性がよかったようで、これまた授業が終わるころにはC言語の大ファンとなった。

2年間の留学時代はこのようなUNIXとC言語の整った環境の恩恵を受けていたが、1984年に日本に戻るとUNIXとC言語はコンピュータの研究者向きの「おたくワールド御用達」という認識には戸惑った。仕事で使ったDECのミニコンのOS( RSX-11M)は私にはまったく使いづらいシステムのように思えた。もっとも、リアルタイム性は RSX-11Mの方がUNIXより上であった。しかしその後、MS-DOSが急速に普及し、その上、 MS-DOS上にもUNIXライクのコマンドが登場して、ようやく 1980年代に使っていたようなUNIXワールドが「おたく」から一般庶民向けになった。現時点では UNIXで培われた数々のプログラム・ツール類が Windows向きにコンパイルされ、実行ファイル(と一部、ソースコード)が一般公開され、疑似的にはWindows環境でも全く UNIX的な感覚でプログラミングが出来ている。

さて、今回紹介したような、画像データや、 Doc、HTML、PDFファイルの変換、テキスト抽出など、誰もが使うようなメジャーな機能はインターネットで検索すれば何種類ものプログラムを得ることができる。もっとも、このような環境で恩恵を受ける人は残念ながら非常に限られている。つまり、何をしたいのかを明確に把握している人だけが、恩恵を受けることができるのだ。残念ながら、プログラムが組めない人は、何をしたいのかを具体的にブレークダウンできないため、質のよいプログラムがよりどりみどり、無料で取り放題という好環境でもまさに「猫に小判」状態だ。プログラムが組めるというのは、自分の要望をブレークダウンすることができるということだ。この点が突破できると、あとは無限の可能性が広がっている。今後の情報化の発展は、プログラムが組める人と組めない人の差をますます広げる。

続く。。。
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【座右之銘・134】『一人唱而千人和』

2022-09-11 07:49:16 | 日記
中国の古典は、『論語』や『孫子』のように現代でもなお人気が高いものが多い。それは、「寸鉄、人を刺す」と表現されるように、短い句の中に、物事の本質や、人の気づかない点をずばり指摘してくれるからであろう。

私は、ときおり中国古典を読み返すことがあるが、『淮南子』『呂氏春秋』『説苑』のようなきらりと輝く警句がちりばめられている古典が好みだ。『韓非子』にもそういった趣きのある編が、説林、内儲説、外儲説、のようにいくつかある。これらの警句が好きな理由の一つは、特定の思想に縛られていず自由闊達に世間の通俗的なしきたりや考え方を、批評(自己採点)している点である。その意味では、同じ本や編の中にも互いに相反する評価を下しているようなこともあるが、それは矛盾とは言わない。というのは、以前のブログ
 想溢筆翔:(第12回目)『死人に口あり』
で書いたように、『得隴望蜀(ろうを得て、しょくを望む)』という言葉も後漢の光武帝と魏の曹操では相反する2通りの解釈をしたこともあるからだ。つまり、真理は絶対的に1つだけが正しいとは考えられず、状況によって判断が変わることの方が自然であると考えられるからだ。

今回取り上げた、「一人唱而千人和」(一人、唱して、千人、和す)は『淮南子』の《説林訓》にあることばで、この前の句も含めると次のようになる。
 「善く事を挙ぐ者は、舟に乗りて悲歌するに、一人、唱して、千人、和すがごとし」

つまり、事業を成功させる人はは、ビジネスプランを提案すると、賛同する者が続々と集まってくるようなものだ、ということだ。

また世知辛い(せちがらい)世情を皮肉った次のような句もある。

「利を待ちて、しかる後に溺るる人を拯(すく)わば、また必ず利を以って人を溺らさん」(待利而後拯溺人、亦必以利溺人矣)

この文は文面通りに解釈すれば、人は金の為ならなんでもする、という意味で「報奨金目当てに溺れている人を救うこともあれば、逆に褒賞金目当てに人を溺れさせて殺す人もあろう」と読める。ただ、もうひとつ、自動車の当たり屋のようなケースもある、という意味で、「溺れている人を救った人を人命救助したとして賞金を出すと、かならず金儲け目当てで、わざと人を川に突き落として救おうとする悪いヤツがでてくるぞ」という意味が裏には潜んでいるようにも思える。



また、次のような中国ならではの風習もある。

「隣の母、死せば、往きて哭せんも、隣の妻、死せば泣かじ、劫さる所ありて以って然るなり」(隣之母死、往哭之、妻死而不泣、有所劫以然也)

「隣の家のおばあさんが死去するれば、お悔みをいう時に泣いてもいいが、隣の家の嫁さんが死去した時には泣いてはいけない。不倫関係にあったと疑われかねない」

人の死を悼んで涙を流す同じ行為でも、状況によっては疑われてしまうこともあるということだ。「李下に冠を正さず」の具体例の一つといえよう。

以上、『淮南子』の警句を3つばかり紹介したが、警句や説話を多用するのは中国伝来の話法であると、中国哲学の大家の金谷治氏は『淮南子の思想』で次のように解説する。

…中国の思想の書では、一般に、純粋な論理によって思想を述べるよりは、譬喩(ひゆ)によりながら論理をはこぶことが盛んで、説話はそのためによく用いられた。しかし、いわゆる博引傍証、それを最高度にまで利用したのが『淮南子』の特色である。…

『淮南子』には人生の機微を感じるには味わうべき句が多い。『論語』や『孫子』から『淮南子』の世界に入ると、一挙に視界が広く明るくなり、いささか軽やかな気分になる。是非一度、『淮南子』を手にとってみては?

【淮南子原文】https://zh.wikisource.org/wiki/淮南子
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智嚢聚銘:(第14回目)『中国四千年の策略大全(その 14)』

2022-09-04 11:24:51 | 日記
前回

官吏という単語は日本語と中国語(漢語)ではニュアンスがかなり異なっている。中国でいう官吏の伝統的なコンテキストでは「官」と「吏」は社会的な身分では大きな違いがある。(このことは本ブログでも何度も述べている。)「官」とは科挙という国家試験にに合格したエリート官僚で、中央官庁の高級役人、あるいは地方に出て地方政治のトップの役職を歴任する。その中でも裁判官として地方に出る士人の多くは ― 確証はないが ― 人々の尊敬を集めた人が多いように思われる。(もっとも、悪辣な裁判官もいたようだが、弾劾にあって左遷されている。)そういった士人は、現代の観点からいっても迷信に囚われない理知的で、善政を敷いた人が多かった。そのような例を2つ取り上げよう。

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 馮夢龍『智嚢』【巻 9 / 375 / 王佐】(私訳・原文)

明の時代、王佐が平江の知事となったが政治の評判が極めてよかった。とりわけ、裁判官として上手に裁いた。ある時、平民が進士の鄭安国が国法で禁じられている酒を密造していると密告した。王佐が問い詰めると、鄭安国が答えるには「法を知らなかった訳ではありません。ただ、老母が薬をのむのに、酒がないとうまく飲めないのです。」王佐は鄭安国の孝心に感激して、無罪放免した。

しかし鄭安国に問うに「お前は、酒をベッドの足元の箱の中にしまっているという事を、密告した者は知っていた。誰かその部屋に出入りしている者はいないか?奴婢でその部屋に出入りしている者はいないか?」若い下女を問い詰めて、鄭安国の密造酒の秘密を密告した者と姦通していたことが分ったので、鞭打った。それを聞いたものは皆、喝采した。

王佐守平江、政声第一、尤長聴訟。小民告捕進士鄭安国酒。佐問之、鄭曰:「非不知冒刑憲、老母飲薬、必酒之無灰者。」佐憐其孝、放去、復問:「酒蔵牀脚笈中、告者何以知之、豈有出入而家者乎?抑而奴婢有出入者乎?」以幼婢対、追至前得与民奸状、皆仗脊遣、聞者称快。
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この話のポイントは「平民が進士の悪事を密告した」という点にある。進士とは、科挙の一次試験合格者のことで、人口の上位数パーセントに入る教養人とみなされる。江戸時代の武士とは異なり、進士は(建前上は)実力で試験に合格しないといけないので、個人として社会的な意味でエリートである。中国では文が重要視されたので、人間はいわば2つのクラス、つまり王侯貴族と進士以上とそれ以外の平民に分類された。

ここで問題なのは、平民が進士である鄭安国を訴えたことだ。確かに鄭安国が酒を密造していたのは法律違反に当たるが、それはまだ情状酌量の余地ありと王佐は認めた。しかし、その悪事を密告したのが社会的身分の低い平民である点が王佐だけでなく世間の人が憤慨したのだ。法を守る(遵法)ことより、社会の身分秩序を乱さない方が遥かに重要だと、平民もふくめ社会全体が考えていたということが、最後の喝采に表れている。



次は、夫殺しの妻のウソを暴いたケース。

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張挙

 馮夢龍『智嚢』【巻 9 / 380 / 張挙】(私訳・原文)

張挙が句章の長官になった。ある妻が夫を殺して家に放火して、夫が焼死したといつわった。夫の弟が訴えでた。そこで張挙は豚を二匹使って、一匹は殺し、一匹は生かしたまま薪に火をつけて燃やした。死んだ豚の口の中を見て、生きたまま焼死した豚の口には煤があった。焼死した夫の口の中には煤がないことから妻が夫を殺してから放火したと断じた。妻を尋問し、妻は罪を認めた。

張挙為句章令、有妻殺其夫、因放火焼舎、詐称夫死於火。其弟訟之、挙乃取豬二口、一殺一活、積薪焚之、察死者口中無灰、活者口中有灰、因験夫口、果無灰、以此鞫之、妻乃服罪。
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科学的思考をもった、理知的な裁判官のおかげで妻の偽装殺人が見破られて、めでたしめでたし、となった。

偽装殺人は当時だけでなく、現在でも頻繁に起こる。養子縁組の母親の首を締めておいてからバスタブで溺れ死んだように偽装した事件が最近発生したが、現在では鑑識技術が格段に上がっているので、このような稚拙な偽装殺人などすぐにばれると考えない方がどうかしていると思う。ただ、アラビアの科学史の薬学に関連する記事を読むと、アラブの世界では、どのように調べても死因が普通の心臓発作としか分からないように毒殺する方法は昔からあるようだ。最近では、神経ガスの「VX」はオウム真理教や北朝鮮の金正男の殺害でも使用されたが、寝ている間にやられたら普通の鑑識では分からないのではなかろうか。拳銃による殺人などは三面記事や昼のTVワイドショーに取り上げられ、犯人探しが行われるが、静かに毒殺されるケースは事件が闇から闇に葬られるだけに一層不気味だ。

続く。。。
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