前回に続いてイスラムに関する「眼からうろこ」の本、津田元一郎氏の『日本的発想の限界』を紹介しよう。この本の由来などは簡略ではあるが前回に触れたので、早速本文の紹介に入ろう。
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P.51-52 西側情報によると、ソ連軍が民衆を無差別に殺戮しているように宣伝されているが…(中略)、ソ連の開発援助の専門家家族がゲリラから耳を裂かれ、鼻をけずられ、眼玉をえぐられるといった残虐な処刑を受けている。
P.52 (アフガニスタンのような)遊牧社会においては略奪は美徳とさえ考えられている。。。
P.59 【要旨】アフガニスタンでは民主制が馴染まないという点について、地主が所有する大土地を小作人に均等に分配することは逆に紛争をもたらすという。というのは、一番肝心なのは「水」であり、部族を代表する地主がお互いに話し合いで水管理することで、小作人が安心して土地を耕せるという。地主を追放したら、小作人同士が水管理で紛糾してまとまらないという。(松浪健四郎『誰も書かなかったアフガニスタン』からの引用)
P.89 遊牧・オアシス社会の人間は、洗練された外交性と一定の開放性をもっている。(中略)その柔軟な表層をこえると、その奥にはきわめて強固な砂漠的人間の核があり、その核までゆくと、異国の人間ははじき返される外はない。それはきわめて強固な閉鎖性である。西欧人にも表層の奥に核があるといわれているが、遊牧・オアシス民の核の固さは、西欧人さえ悲鳴をあげる性質のものである。ましてや、中心核まで柔軟構造質で構成されている日本人には、遊牧・オアシス民型人間は最も適応困難なタイプの人間である。
P.93 イラン人には二つの顔がある(中略)表面では忠節と尊敬を、裏面では敵対と軽蔑をうまく使い分けている…(中略)オアシス社会においては、人間は常に両手で別々の人間と握手し、時の移りゆきで(顔の向きを変えるが)…それは彼らにとっては「裏切り」でも「寝返り」でもない。
P.93 日本人のように日本的忠誠と誠実で、一方とだけしか手を結ばず、背中で、別の手で、別の相手と手を結ぶことをいさぎよしとしない日本的心性はイラン人にはわかり難い。(文章を一部変更)
P.110 乾燥社会(i.e. 遊牧・オアシス社会)の人間は、その表層においては明るく友好的であっても、その奥のパーソナリティーの核はひどく固く、利己的、自己中心的であり、何かがあると、その奥のひどく固い核の部分が強い自己主張として攻撃的に出る。
P.121 実験、実習、実証などの精神はおよそイラン人には似つかわしくない。
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津田氏は、現地アフガニスタンでの日本の政治家・外交官の言動がいかに稚拙かということを何ヶ所かで厳しく指摘している(P.36、P.57)。つまり、表面だけを口先だけでつくろえばいいというような日本式の儀礼が現地人にはまったく響かないし、逆にバカにされるという指摘だ。結局、この本での津田氏の指摘を一言でまとめると次のようになるだろう。
「日本的情緒のままでは、砂漠・オアシス・遊牧民といった範疇の人間、すなわち梅棹忠夫のいうユーラシア内部の「古典国家」の人たちには到底太刀打ちできない」
この本には、イランやアフガニスタンのような遊牧・オアシス民だけでなく東南アジアの人々についてもページが割かれている。その部分の関心の焦点は、日本とイギリスの東南アジア諸国に対する統治姿勢の差だ。日本が戦中だけでなく戦後も長らく、東南アジアから嫌われた根本の理由は日本語教育の強制をはじめとして、宮城遥拝のような強引な同化政策であった、ということだ。イギリスは徹底して現地民に対しては非干渉を貫いたという。例えば、マレーシアでは現地の学童の健康状態を調査して、 8割を超える学童が回虫を持っていることが分かったも何らの処置を施していない。植民地から収奪することを考えていたのがイギリスということだが、結果的にその方が国民から支援されることになったとは皮肉な話だ。
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P.51-52 西側情報によると、ソ連軍が民衆を無差別に殺戮しているように宣伝されているが…(中略)、ソ連の開発援助の専門家家族がゲリラから耳を裂かれ、鼻をけずられ、眼玉をえぐられるといった残虐な処刑を受けている。
P.52 (アフガニスタンのような)遊牧社会においては略奪は美徳とさえ考えられている。。。
P.59 【要旨】アフガニスタンでは民主制が馴染まないという点について、地主が所有する大土地を小作人に均等に分配することは逆に紛争をもたらすという。というのは、一番肝心なのは「水」であり、部族を代表する地主がお互いに話し合いで水管理することで、小作人が安心して土地を耕せるという。地主を追放したら、小作人同士が水管理で紛糾してまとまらないという。(松浪健四郎『誰も書かなかったアフガニスタン』からの引用)
P.89 遊牧・オアシス社会の人間は、洗練された外交性と一定の開放性をもっている。(中略)その柔軟な表層をこえると、その奥にはきわめて強固な砂漠的人間の核があり、その核までゆくと、異国の人間ははじき返される外はない。それはきわめて強固な閉鎖性である。西欧人にも表層の奥に核があるといわれているが、遊牧・オアシス民の核の固さは、西欧人さえ悲鳴をあげる性質のものである。ましてや、中心核まで柔軟構造質で構成されている日本人には、遊牧・オアシス民型人間は最も適応困難なタイプの人間である。
P.93 イラン人には二つの顔がある(中略)表面では忠節と尊敬を、裏面では敵対と軽蔑をうまく使い分けている…(中略)オアシス社会においては、人間は常に両手で別々の人間と握手し、時の移りゆきで(顔の向きを変えるが)…それは彼らにとっては「裏切り」でも「寝返り」でもない。
P.93 日本人のように日本的忠誠と誠実で、一方とだけしか手を結ばず、背中で、別の手で、別の相手と手を結ぶことをいさぎよしとしない日本的心性はイラン人にはわかり難い。(文章を一部変更)
P.110 乾燥社会(i.e. 遊牧・オアシス社会)の人間は、その表層においては明るく友好的であっても、その奥のパーソナリティーの核はひどく固く、利己的、自己中心的であり、何かがあると、その奥のひどく固い核の部分が強い自己主張として攻撃的に出る。
P.121 実験、実習、実証などの精神はおよそイラン人には似つかわしくない。
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津田氏は、現地アフガニスタンでの日本の政治家・外交官の言動がいかに稚拙かということを何ヶ所かで厳しく指摘している(P.36、P.57)。つまり、表面だけを口先だけでつくろえばいいというような日本式の儀礼が現地人にはまったく響かないし、逆にバカにされるという指摘だ。結局、この本での津田氏の指摘を一言でまとめると次のようになるだろう。
「日本的情緒のままでは、砂漠・オアシス・遊牧民といった範疇の人間、すなわち梅棹忠夫のいうユーラシア内部の「古典国家」の人たちには到底太刀打ちできない」
この本には、イランやアフガニスタンのような遊牧・オアシス民だけでなく東南アジアの人々についてもページが割かれている。その部分の関心の焦点は、日本とイギリスの東南アジア諸国に対する統治姿勢の差だ。日本が戦中だけでなく戦後も長らく、東南アジアから嫌われた根本の理由は日本語教育の強制をはじめとして、宮城遥拝のような強引な同化政策であった、ということだ。イギリスは徹底して現地民に対しては非干渉を貫いたという。例えば、マレーシアでは現地の学童の健康状態を調査して、 8割を超える学童が回虫を持っていることが分かったも何らの処置を施していない。植民地から収奪することを考えていたのがイギリスということだが、結果的にその方が国民から支援されることになったとは皮肉な話だ。