一昔前の話になるが、JRが発行している雑誌、ウェッジ(Wedge)の
【WEDGE創刊25周年特集】英知25人が示す「日本の針路」
という特集記事に私の投稿記事、「日本人のグローバルリーダーを 育てるために」が掲載された。そこには、今後の日本人に必要な3つの教育改革として、次の3点を挙げた。
第1に教育改革
第2にプログラミング教育
第3にリベラルアーツ教育
この記事に対して、幾つかのコメントを拝見した。その中には第2のプログラミング教育に対して、否定的な意見があった。プログラミングという技巧的なものは学校で教育すべきものではなく、個人が趣味的にすればよいという趣旨のようだった。しかし、この記事が掲載されてしばらくすると日本の文科省すらも英語教育と並んで、プログラミング教育も小学校から始めると宣言し、2020年から本格的に開始された。
【参照】文科省:小学校プログラミング教育の概要 1
また第3のリベラルアーツ教育に関しては、今更言うまでもなく、大学、とりわけ私立大学、では受験生の気を惹くためであろうか、リベラルアーツを冠した学部を続々と創設している。リベラルアーツ教育の必要性は私も同感だが、残念ながら、これらの学部のシラバスを瞥見する限りにおいては「リベラルアーツ」の名に相応しいような学際的内容になっている所は少なく、各学部の科目を少しづつ切り取って、盛り合わせたような内容のものが多い。これでは総合智を養うには覚束なく、結果的に「なーんだ、仰々しくリベラルアーツといったって、結局何の役にも立たないではないか!」と失望感を与えるにすぎない危うさを感じる。この根本原因は、教える側の教官たちが自らが真剣にリベラルアーツを学んでいなかったことにある。現在の極端に細分化され、かつ非常に閉鎖的な学界のありさまから、残念ながら、日本の大学で本格的なリベラルアーツ教育は極く一部の大学を除いて、難しいのではないかと感じる。
さて、第1の教育改革であるが、私の主張は次の点だ。
「単線路線になっている体系を複線化し、入口管理から出口管理にし、出口管理では、学士という資格を10~15%に絞りこむ」
私のこの主張とは反対に「現在の日本経済の停滞は、日本の労働者の低学歴にある」という主張をする人がいる。その根拠は、OECD各国に比して、日本の大学進学率が低いという点にある。その根拠となるデータをチェックしてみよう。政府の発表によると、2020年時点での日本の大学進学率は男女とも約60%だ。少し古いデータだが、2012年の大学進学率の国際比較表を下記に示す(当時の日本の大学進学率は52%)。
【大学進学率の国際比較】
この表だけ見れば、確かに日本の大学生の数は少なく、これから「日本の日本の労働者は低学歴だ」との結論は出るのも無理はない。しかし、これはある重大な点を見過ごしていることからくる誤解だ。私は40年ほど前に、アメリカの大学に留学したが、アメリカでは大学あるいは大学院に入学したからといって、必ずしも全員が卒業できるわけではないということを知った。学業についていけずに留年、あるいは退学する割合が日本に比べてからかなり高いのである。アメリカだけでなく、フランスでも事情は同じだ。京都大学に奉職中、産学連携についての調査でフランスの名門、パリ大学に行った折、産学連携主任が「フランスでは高等教育を受けるのは国民の権利なので、数多くの高校卒業生が入学するが、教室が学生であふれ返り困っている。毎年厳しくチェックしてどしどし落とすので、卒業できるころにようやく適性な学生数になる。」との実態を教えてくれた。
つまり、チェックすべきは、大学への進学率ではなく、大学卒業率であるのだ。日本では退学する割合が10%程度なので、つい大学に入学した人数を大学卒業生と考えてしまうが、この感覚で世界をみるととんでもない間違いを犯す。ざっくりいって、大学に入学しても3割は卒業できないのだ。
【大学退学率の国際比較】
このように見てみても、まだ私が主張する「学士という資格を10~15%に絞りこむ」は少なすぎるように感じるかもしれない。しかし、最近(2022年ごろ)Quoraに投稿されていた記事で、ドイツでは大学卒業生は14%という、私の主張をサポートしてくれる記事をみつけた。
その投稿記事の要点は以下の通りだ。
--------------
データは、Education at a glance 2014を元に2012年のデータを利用。
ドイツではドイツ人の各統計は以下のようになっています.
・全体の内、大学進学資格保持率: 53%
・全体の内、大学進学率: 46%
・大学進学者の内、大学卒業率: 31%
大学を実際に卒業する人 (2012年時点で) は14%程度(= 0.46 x 0.31)しかおりません.
--------------
グローバルに見て、ドイツは政治、経済、文化、などあらゆる面において、過去もまた現在なお、一流の国であることは誰しも異存はないであろう。そのドイツの学士の割合が全体の15%であるということから私の主張が裏付けられたといえる。
【参照ブログ】大学進学率と大学退学率の調査
ここで、もし本当に大学進学率で国家の盛衰が決まるなら、大学進学率が高い国々(オーストラリア、ポーランド、スロベニア、韓国など)が日本やドイツよりずっと繁栄していなければいけないはずだが、そうなっていない。とりわけ韓国では、一時期、大学進学率が9割にも達しようかというほど高かったが、結局、大学卒の資格は得たものの職が見つからず多くの若年失業者がでた。その結果「ヘル・コレア Hell Korea」という単語まででてくる始末だ。この半面、ドイツ、スイス、フランスなどのヨーロッパ先進国の堅調な発展を見ると、大卒の割合は2割程度でも十分、立派な社会を作れることが分かる。
人間が活き活きと生きることのできる社会を形成するには、現在の大学進学制度はすでに制度疲労を起こしている。学士という、いわば大学進学時に人間の特定方面の能力(日本でいう所の入試科目)をスカラー値で決め、高得点を得たものを優遇する社会ではなく、個人が本来もっている得意な面、あるいは熱意をもって取り組める分野を伸ばせる教育と社会が求められる。その典型が、最近将棋界の八冠全冠制覇を達成した藤井聡太さんだ。今までの社会では考え得なかったような個人の才能開花を手助けするのが、本当のITやAI活用した教育である。
【WEDGE創刊25周年特集】英知25人が示す「日本の針路」
という特集記事に私の投稿記事、「日本人のグローバルリーダーを 育てるために」が掲載された。そこには、今後の日本人に必要な3つの教育改革として、次の3点を挙げた。
第1に教育改革
第2にプログラミング教育
第3にリベラルアーツ教育
この記事に対して、幾つかのコメントを拝見した。その中には第2のプログラミング教育に対して、否定的な意見があった。プログラミングという技巧的なものは学校で教育すべきものではなく、個人が趣味的にすればよいという趣旨のようだった。しかし、この記事が掲載されてしばらくすると日本の文科省すらも英語教育と並んで、プログラミング教育も小学校から始めると宣言し、2020年から本格的に開始された。
【参照】文科省:小学校プログラミング教育の概要 1
また第3のリベラルアーツ教育に関しては、今更言うまでもなく、大学、とりわけ私立大学、では受験生の気を惹くためであろうか、リベラルアーツを冠した学部を続々と創設している。リベラルアーツ教育の必要性は私も同感だが、残念ながら、これらの学部のシラバスを瞥見する限りにおいては「リベラルアーツ」の名に相応しいような学際的内容になっている所は少なく、各学部の科目を少しづつ切り取って、盛り合わせたような内容のものが多い。これでは総合智を養うには覚束なく、結果的に「なーんだ、仰々しくリベラルアーツといったって、結局何の役にも立たないではないか!」と失望感を与えるにすぎない危うさを感じる。この根本原因は、教える側の教官たちが自らが真剣にリベラルアーツを学んでいなかったことにある。現在の極端に細分化され、かつ非常に閉鎖的な学界のありさまから、残念ながら、日本の大学で本格的なリベラルアーツ教育は極く一部の大学を除いて、難しいのではないかと感じる。
さて、第1の教育改革であるが、私の主張は次の点だ。
「単線路線になっている体系を複線化し、入口管理から出口管理にし、出口管理では、学士という資格を10~15%に絞りこむ」
私のこの主張とは反対に「現在の日本経済の停滞は、日本の労働者の低学歴にある」という主張をする人がいる。その根拠は、OECD各国に比して、日本の大学進学率が低いという点にある。その根拠となるデータをチェックしてみよう。政府の発表によると、2020年時点での日本の大学進学率は男女とも約60%だ。少し古いデータだが、2012年の大学進学率の国際比較表を下記に示す(当時の日本の大学進学率は52%)。
【大学進学率の国際比較】
この表だけ見れば、確かに日本の大学生の数は少なく、これから「日本の日本の労働者は低学歴だ」との結論は出るのも無理はない。しかし、これはある重大な点を見過ごしていることからくる誤解だ。私は40年ほど前に、アメリカの大学に留学したが、アメリカでは大学あるいは大学院に入学したからといって、必ずしも全員が卒業できるわけではないということを知った。学業についていけずに留年、あるいは退学する割合が日本に比べてからかなり高いのである。アメリカだけでなく、フランスでも事情は同じだ。京都大学に奉職中、産学連携についての調査でフランスの名門、パリ大学に行った折、産学連携主任が「フランスでは高等教育を受けるのは国民の権利なので、数多くの高校卒業生が入学するが、教室が学生であふれ返り困っている。毎年厳しくチェックしてどしどし落とすので、卒業できるころにようやく適性な学生数になる。」との実態を教えてくれた。
つまり、チェックすべきは、大学への進学率ではなく、大学卒業率であるのだ。日本では退学する割合が10%程度なので、つい大学に入学した人数を大学卒業生と考えてしまうが、この感覚で世界をみるととんでもない間違いを犯す。ざっくりいって、大学に入学しても3割は卒業できないのだ。
【大学退学率の国際比較】
このように見てみても、まだ私が主張する「学士という資格を10~15%に絞りこむ」は少なすぎるように感じるかもしれない。しかし、最近(2022年ごろ)Quoraに投稿されていた記事で、ドイツでは大学卒業生は14%という、私の主張をサポートしてくれる記事をみつけた。
その投稿記事の要点は以下の通りだ。
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データは、Education at a glance 2014を元に2012年のデータを利用。
ドイツではドイツ人の各統計は以下のようになっています.
・全体の内、大学進学資格保持率: 53%
・全体の内、大学進学率: 46%
・大学進学者の内、大学卒業率: 31%
大学を実際に卒業する人 (2012年時点で) は14%程度(= 0.46 x 0.31)しかおりません.
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グローバルに見て、ドイツは政治、経済、文化、などあらゆる面において、過去もまた現在なお、一流の国であることは誰しも異存はないであろう。そのドイツの学士の割合が全体の15%であるということから私の主張が裏付けられたといえる。
【参照ブログ】大学進学率と大学退学率の調査
ここで、もし本当に大学進学率で国家の盛衰が決まるなら、大学進学率が高い国々(オーストラリア、ポーランド、スロベニア、韓国など)が日本やドイツよりずっと繁栄していなければいけないはずだが、そうなっていない。とりわけ韓国では、一時期、大学進学率が9割にも達しようかというほど高かったが、結局、大学卒の資格は得たものの職が見つからず多くの若年失業者がでた。その結果「ヘル・コレア Hell Korea」という単語まででてくる始末だ。この半面、ドイツ、スイス、フランスなどのヨーロッパ先進国の堅調な発展を見ると、大卒の割合は2割程度でも十分、立派な社会を作れることが分かる。
人間が活き活きと生きることのできる社会を形成するには、現在の大学進学制度はすでに制度疲労を起こしている。学士という、いわば大学進学時に人間の特定方面の能力(日本でいう所の入試科目)をスカラー値で決め、高得点を得たものを優遇する社会ではなく、個人が本来もっている得意な面、あるいは熱意をもって取り組める分野を伸ばせる教育と社会が求められる。その典型が、最近将棋界の八冠全冠制覇を達成した藤井聡太さんだ。今までの社会では考え得なかったような個人の才能開花を手助けするのが、本当のITやAI活用した教育である。