限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

沂風詠録:(第357回目)『大学生は同年代の15%で良い!』

2023-11-26 08:08:21 | 日記
一昔前の話になるが、JRが発行している雑誌、ウェッジ(Wedge)の
【WEDGE創刊25周年特集】英知25人が示す「日本の針路」
という特集記事に私の投稿記事、「日本人のグローバルリーダーを 育てるために」が掲載された。そこには、今後の日本人に必要な3つの教育改革として、次の3点を挙げた。
 第1に教育改革
 第2にプログラミング教育
 第3にリベラルアーツ教育


この記事に対して、幾つかのコメントを拝見した。その中には第2のプログラミング教育に対して、否定的な意見があった。プログラミングという技巧的なものは学校で教育すべきものではなく、個人が趣味的にすればよいという趣旨のようだった。しかし、この記事が掲載されてしばらくすると日本の文科省すらも英語教育と並んで、プログラミング教育も小学校から始めると宣言し、2020年から本格的に開始された。
【参照】文科省:小学校プログラミング教育の概要 1

また第3のリベラルアーツ教育に関しては、今更言うまでもなく、大学、とりわけ私立大学、では受験生の気を惹くためであろうか、リベラルアーツを冠した学部を続々と創設している。リベラルアーツ教育の必要性は私も同感だが、残念ながら、これらの学部のシラバスを瞥見する限りにおいては「リベラルアーツ」の名に相応しいような学際的内容になっている所は少なく、各学部の科目を少しづつ切り取って、盛り合わせたような内容のものが多い。これでは総合智を養うには覚束なく、結果的に「なーんだ、仰々しくリベラルアーツといったって、結局何の役にも立たないではないか!」と失望感を与えるにすぎない危うさを感じる。この根本原因は、教える側の教官たちが自らが真剣にリベラルアーツを学んでいなかったことにある。現在の極端に細分化され、かつ非常に閉鎖的な学界のありさまから、残念ながら、日本の大学で本格的なリベラルアーツ教育は極く一部の大学を除いて、難しいのではないかと感じる。

さて、第1の教育改革であるが、私の主張は次の点だ。
「単線路線になっている体系を複線化し、入口管理から出口管理にし、出口管理では、学士という資格を10~15%に絞りこむ」

私のこの主張とは反対に「現在の日本経済の停滞は、日本の労働者の低学歴にある」という主張をする人がいる。その根拠は、OECD各国に比して、日本の大学進学率が低いという点にある。その根拠となるデータをチェックしてみよう。政府の発表によると、2020年時点での日本の大学進学率は男女とも約60%だ。少し古いデータだが、2012年の大学進学率の国際比較表を下記に示す(当時の日本の大学進学率は52%)。


【大学進学率の国際比較】

この表だけ見れば、確かに日本の大学生の数は少なく、これから「日本の日本の労働者は低学歴だ」との結論は出るのも無理はない。しかし、これはある重大な点を見過ごしていることからくる誤解だ。私は40年ほど前に、アメリカの大学に留学したが、アメリカでは大学あるいは大学院に入学したからといって、必ずしも全員が卒業できるわけではないということを知った。学業についていけずに留年、あるいは退学する割合が日本に比べてからかなり高いのである。アメリカだけでなく、フランスでも事情は同じだ。京都大学に奉職中、産学連携についての調査でフランスの名門、パリ大学に行った折、産学連携主任が「フランスでは高等教育を受けるのは国民の権利なので、数多くの高校卒業生が入学するが、教室が学生であふれ返り困っている。毎年厳しくチェックしてどしどし落とすので、卒業できるころにようやく適性な学生数になる。」との実態を教えてくれた。

つまり、チェックすべきは、大学への進学率ではなく、大学卒業率であるのだ。日本では退学する割合が10%程度なので、つい大学に入学した人数を大学卒業生と考えてしまうが、この感覚で世界をみるととんでもない間違いを犯す。ざっくりいって、大学に入学しても3割は卒業できないのだ。

【大学退学率の国際比較】

このように見てみても、まだ私が主張する「学士という資格を10~15%に絞りこむ」は少なすぎるように感じるかもしれない。しかし、最近(2022年ごろ)Quoraに投稿されていた記事で、ドイツでは大学卒業生は14%という、私の主張をサポートしてくれる記事をみつけた。

その投稿記事の要点は以下の通りだ。
--------------
データは、Education at a glance 2014を元に2012年のデータを利用。
ドイツではドイツ人の各統計は以下のようになっています.
・全体の内、大学進学資格保持率: 53%
・全体の内、大学進学率: 46%
・大学進学者の内、大学卒業率: 31%

大学を実際に卒業する人 (2012年時点で) は14%程度(= 0.46 x 0.31)しかおりません.
--------------

グローバルに見て、ドイツは政治、経済、文化、などあらゆる面において、過去もまた現在なお、一流の国であることは誰しも異存はないであろう。そのドイツの学士の割合が全体の15%であるということから私の主張が裏付けられたといえる。
【参照ブログ】大学進学率と大学退学率の調査

ここで、もし本当に大学進学率で国家の盛衰が決まるなら、大学進学率が高い国々(オーストラリア、ポーランド、スロベニア、韓国など)が日本やドイツよりずっと繁栄していなければいけないはずだが、そうなっていない。とりわけ韓国では、一時期、大学進学率が9割にも達しようかというほど高かったが、結局、大学卒の資格は得たものの職が見つからず多くの若年失業者がでた。その結果「ヘル・コレア Hell Korea」という単語まででてくる始末だ。この半面、ドイツ、スイス、フランスなどのヨーロッパ先進国の堅調な発展を見ると、大卒の割合は2割程度でも十分、立派な社会を作れることが分かる。

人間が活き活きと生きることのできる社会を形成するには、現在の大学進学制度はすでに制度疲労を起こしている。学士という、いわば大学進学時に人間の特定方面の能力(日本でいう所の入試科目)をスカラー値で決め、高得点を得たものを優遇する社会ではなく、個人が本来もっている得意な面、あるいは熱意をもって取り組める分野を伸ばせる教育と社会が求められる。その典型が、最近将棋界の八冠全冠制覇を達成した藤井聡太さんだ。今までの社会では考え得なかったような個人の才能開花を手助けするのが、本当のITやAI活用した教育である。
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智嚢聚銘:(第43回目)『中国四千年の策略大全(その 43)』

2023-11-19 09:15:26 | 日記
前回

将棋の藤井聡太さんの活躍は将棋界だけに止まらず、一般社会でも非常な関心をよんでいる。藤井さんだけでなく、同門(杉本昌隆八段門下)の人たちも関心が向けられている。同門の伊藤蓮矢さんは一時期、奨励会に在籍したが棋士の道は諦め、大学受験を目指し東大に合格したという。文春オンラインに伊藤さんが所属していた東大将棋部にまつわる話が『東大将棋部物語』として載されていた。そこに大学対抗の熾烈な団体戦に勝つための策略の一端が紹介されている。

将棋部の大学対抗試合では選手をどの順番で出すかはトップシークレットだ。団体戦に勝つには個々の選手の棋力だけでなく、相手選手と組み合わせる順番も重要だということだ。選手5人同士の戦いで、仮に両者とも全く同じ棋力の選手を揃えているとしよう。完全に拮抗しているなら、勝負はまさに時の運次第ということになるが、順番を少し替えることで必ず勝利できるようにすることができる秘策があるという。その方策とは、主将同士はそのままで、最も弱い選手を2番手にもってきて、2位以下をひとつづつ下にずらすのである。そうすると、2番目の選手は必ず負けるが3、4、5位は相手より強いので、たとえ主将が負けても、3勝できるため、チームは勝てる。

もっとも、この方法は東大将棋部が新たに考えついたのではなく、昔から存在しているというのが今回の話だ。
【出典】東大将棋部の話

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 馮夢龍『智嚢』【巻22 / 792 / 孫臏】(私訳・原文)

孫臏が斉の田忌の食客となった。田忌が斉の公子と競馬をするときに、田忌の下等の馬を相手の上等の馬に、上等を中等に、中等を下等にそれぞれ対抗させて、田忌に5000金(50億円)という莫大な賞金をもたらした。

孫子同斉使之斉、客田忌所。忌数与斉諸公子逐射、孫子見其馬足不甚相遠、馬有上、中、下、乃謂忌曰:「君第重射、臣能令君勝。」忌然之、与王及諸公子逐射千金。及臨質、孫子曰:「今以君之下駟与彼上駟、取君上駟与彼中駟、取君中駟与彼下駟。」既馳三輩畢、而田忌一不勝而再勝、卒得五千金。
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この話は『史記』巻・65《孫子呉起列伝》に掲載されているので、知っている人も多いことだろう。孫臏のやり方は、一番手は必ず負けるにしても、二番手、三番手は必ず勝てるので、チームとしては勝てるということだ。孫臏は戦争だけでなく、人生設計の全てが計算づくめで遂行していたのだろう。それにしても、龐涓の計略にかかって、足を斬られたのは一生の不覚というしかない。



唐の太宗は古来、名君の筆頭に挙げられている人物であるが、実際の戦闘においても非常に果敢な活躍をしている。いわば、文武両道である。

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 馮夢龍『智嚢』【巻22 / 792 / 孫臏】(私訳・原文)

唐の太宗(李世民)がかつて自分の戦術について次のように語った。「わしは若いころからあちこちで戦争を経験したので、兵の使い方については非常によく知っている。敵陣を見る時は、いつもどの部分が強くて、どの部分が弱いかを見るようにしている。そして、我が軍の弱い部隊を敵軍の一番強い部隊に当て、逆に我が軍の最強部隊を敵の弱い部隊に当てる。そうすると、敵に数百歩突撃すれば、蹴散らすことができる。そうして、敵兵が逃げ出すのを追いかけて、敵陣の最後方まで突き抜けてから後ろから的陣を攻撃して、負けたことがなかった。」

唐太宗嘗言:「自少経略四方、頗知用兵之要、毎観敵陣、則知其強弱。常以吾弱当其強、強当其弱。彼乗吾弱、奔逐不過数百歩;吾乗其弱、必出其陣後、反而撃之、無不潰敗。」蓋用孫子之術也。
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太宗のやりかたは全く孫臏のやり方と同じだ。戦略家の常識として兵法の古典書を暗記するぐらいに読んでこの方法も熟知していたと想像される。

それにしても幾度となく、自らが先頭にたって敵陣に突進し、相手陣地を突き抜けていくにも拘わらず、大怪我をしていない。西洋では、アレクサンドロス大王も同じように常に先頭に立って敵陣に切り込んでいたが、これまた、大怪我をしていない。幸運が付きまとう運命にあったとしかいいようのない二人だ。

続く。。。
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百論簇出:(第278回目)『シニア・エンジニアのPython事始(その4)』

2023-11-12 10:08:16 | 日記
前回

講演などで、PPT(パワーポイント)を作成する時、目次をどのようにして作るだろうか? 

私は従来、PPTを開き、【表示】==>【標準】で「アウトライン」でテキストを表示させ、「^C + ^V 」でテキストを抜き出し、テキストエディターにコピーして整形してから、目次ページにコピーしていた。しかし、この方法だとタイトルページだけでなく、PPT本体の文章も全部入ってしまうため、不要部分を削除するのに、かなり手間がかかっていた。長い間、どうすればよいか分からなかったが、最近Pythonの威力を知ったので、ひょっとしてタイトルだけを抽出するPythonプログラムもあるのではないか、と探すした。いくつか見つかった中で、最もすっきりしているのが、以下に示すプログラムだ。

"get the title of slides of pptx file using Python"
------------------------
from pptx import Presentation

prs = Presentation("pp.pptx")

# text_runs will be populated with a list of strings,
# one for each text run in presentation
text_runs = []

for slide in prs.slides:
    for shape in slide.shapes:
        if not shape.has_text_frame:
            continue
        for paragraph in shape.text_frame.paragraphs:
            for run in paragraph.runs:
                text_runs.append(run.text)
------------------------

このプログラムは処理の骨格部分だけなので、これにインプットとアウトプットのファイル名を入れる部分をちょこっとだけ付け加えて、所望の機能が実現できた。



【閑話休題】

さて、私は講演や企業研修で、パワーポイントを作る機会が多いが、パワーポイント本体を完成させる時、極めてアナログ的な手法を使っている。それは、スライドの順番を決めるときだ。

たいていの人は、PPTの「スライド一覧」で全体を見渡しながら、マウスでスライドをパズルのように動かすであろう。私も当初は、このようなやり方をしていたが、なかなか使いづらい。つまり、スライド全体の視認性が極めて悪いのだ。ノートパソコンを使っているせいもあるが、スライドが20枚以上ある資料を作成しようとすると、スライドの全体が1つの画面に収まりきれない。下の部分を見ようとすると上の部分を見ることができないし、あるいは、スライドを移動する時、どこかにひっかかってしまい、移動がスムーズにいかないことも発生していた。

そこで考えたのが、超超アナログ的なやりかただ。

まず、スライドを作る時は、順序を余り考えず、書きたい項目を思いつくまま、即座にスライドに書き込んでいく。そうして大体予定の枚数に到達したら、項目や内容をざっと確認したあと、スライド全部を縮小プリントする。この時、スライド16枚をA4一枚にプリントする。印刷された紙に各スライド番号を書き込んからハサミでトランプのカードのようにスライド一枚ごと切っていく。このカードを広い床の上に並べて、話の内容がスムーズにつながるように順番を組み替えていく。順番が確定すれば、細い短冊型の紙にこれらの縮小スライドを貼り付けていくのだ。順番入れ替えや、短冊に貼り付けていくときに、足りない項目が思いついたなら、白紙にその旨を書いて、短冊に貼り付ける。あとは、この順番に従ってPCでPPTの順番を入れ替えるのである。

この方法は、プリントしたり、ハサミで切ったり、短冊に貼り付けたりと、かなり手間がかかるように思われるかもしれないが、実際にやってみると、パソコンで処理するより数倍早い。世の中では、なんでもかんでもデジタル化すれば効率アップになると思っているようだが、考えをじっくり練るにはデジタルだけ、PCだけでは足りない。デジタルとアナログのいいとこ取りした作業方法を考えいくべきだ。

続く。。。
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智嚢聚銘:(第42回目)『中国四千年の策略大全(その 42)』

2023-11-05 10:24:26 | 日記
前回

馮夢龍が書いた『智嚢』の第8章は「兵智」というタイトルがついている。つまり、戦争の策略ということだ。孫子を持ち出すまでもなく、中国は古来、戦闘そのものより、策略で勝つことを重視する。この巻にはそういった策略が数多く記されている。日本人は、正面切って正々堂々と戦うことを武士の誉れとし、策略などで勝つのは卑怯と考えていたが、残念ながら現在でもこの伝統的な意識は変わっていない。戦略を考える力における日本の弱さを感じる。本場中国の、狡猾な戦略を見てみよう。

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 馮夢龍『智嚢』【巻21 / 778 / 周徳威】(私訳・原文)

五代十国時代、晋王の李存勗は梁に大勝した。それで梁の兵がまた退却した。参謀の周徳威が晋王にアドバイスした。「敵の勢はまだ非常に盛んです。今は、兵を休ませて敵の勢いが衰えるのを待つのがよろしいでしょう」。晋王は不満げに言った「我々は遠征して趙王・王鎔を助けに来た。敵の三鎮の軍隊は烏合の衆なので、速戦する方がよいと思う。それなのに貴卿は自重せよというのは、どういう訳だ?」周徳威は「敵は守備は得意ですが、野戦は苦手です。我々の得意とするのは騎兵で、それも大平原で突撃する場合です。今、敵の城を包囲しても騎兵の使い道がありません。また、敵兵は多く、味方の兵は少ない、つまり「衆寡、敵せず」の状態です。もし、敵に我々の兵の数が少ないことが知れてしまうと、これは危い事態となりましょう。」

この説明を聞いて、王は不機嫌になって部屋に戻ってカーテンをおろしてベッドに寝転がった。将軍たちは、誰もどうすればいいのか分からなかった。周徳威は老宦官の張承業に面会して次のように説いた「晋王は何度も敵に勝ったので、いささか敵を軽んじておられます。彼我の兵力の差を考えずに速戦を挑もうとしています。今、敵とこちらの距離はわずか、一つの川を隔てているだけです。もし、彼らが浮き橋を作って、大勢の兵を渡してこちらに攻め込んでくれば我が方はたちどころに為す術なく敗れてしまうことでしょう。この状況では、まず軍隊を高台に移しましょう。そうして、敵が誘いに乗って陣地から出たら、こちらはまた元の場所にもどり、彼らが戻れば、こちらは高台に戻りましょう。それとは別に、軽騎兵を出して敵の食糧を奪えば、一ヶ月もしない内に、敵を破ること必定です!」

張承業は晋王の部屋にはいり、ベッドのカーテンを開けると王をなでながら「こんな時に、寝ている場合ですか?周徳威は老将で兵事をよく知っています。彼の意見を無下にしてはいけないでしょう」。晋王は、がばっと跳ね起きて「わしも同じような作戦を考えていたところだ」。この時、敵軍は、なかなか陣地から動こうとはしなかった。敵陣からの逃亡兵によると「敵将の王景仁が浮き橋を数多く作っている」ということだった。晋王は周徳威に「まさに貴卿の言うとおりだったな」と言った。

晋王存勗大敗梁兵、梁兵亦退。周徳威言於晋王曰:「賊勢甚盛、宜按兵以待其衰。」王曰:「吾孤軍遠来、救人之急、三鎮烏合、利於速戦。公乃欲按兵持重、何也?」徳威曰:「鎮、定之兵、長於守城、短於野戦;吾所恃者騎兵、利於平原曠野、可以馳突。今圧城塁門、騎無所展其足;且衆寡不敵、使彼知吾虚実、則事危矣。」

王不悦、退臥帳中、諸将莫敢言。徳威往見張承業、曰:「大王驟勝而軽敵、不量力而務速戦、今去賊咫尺、所限者一水耳、彼若造橋以薄我、我衆立尽矣、不若退軍高邑、誘賊離営、彼出則帰、彼帰則出、別以軽騎、掠其餽餉、不過逾月、破之必矣!」

承業入、褰帳撫王曰:「此豈王安寝時邪?周徳威老将知兵、言不可忽也。」王蹷然而興、曰:「予方思之。」時梁王閉塁不出、有降者、詰之、曰:「景仁方多造浮橋。」王謂徳威曰:「果如公言。」
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敵を疲らせる、ことで自分の兵を消耗することなく、戦争に勝つという戦略は、かつて共産党が国民党にしかけた戦略を思い出させる。


【出典】School of Archaeology University of Oxford 


同様に、戦闘能力より、心理作戦で勝つ戦略も重要視された。

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 馮夢龍『智嚢』【巻21 / 785 / 析公】(私訳・原文)

春秋時代、晋と楚の軍がたまたま繞角で出会った。欒武子(欒書)は敵と正面衝突したくなかった。そこで析公が次のような提案をした。「楚師は重厚なところがなく、ちょっとしたことでもびくつきます。夜中じゅう太鼓を叩き、喊声をあげれば、敵は今にも我が方が襲ってくるのではないかと、とパニックになって逃げだすこと必定でしょう」。晋の軍がこの案通りに実行すると、楚の軍は夜明けとともに逃げ去った。

晋、楚遇於繞角、欒武子書不欲戦。析公曰:「楚師軽窕、易震蕩也。若多鼓鈞声、以夜軍之、楚師必遁。」晋人従之、楚師宵遁。
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この話は『春秋左氏伝』の《襄公 26年》(BC 547)にも載っている。そこでは、日本人には理解しがたいことだが、欒武子(欒書)に策略を授けた析公というのは、元来、楚の人であったということだ。政争に敗れて、晋に亡命し、祖国の軍を打ち破ることに力を貸した次第は次のように記されている。

「子儀之乱。析公奔晋。晋人寘諸戎車之殿。以為謀主。繞角之役。晋将遁矣。析公曰。楚師軽窕。易震蕩也。若多鼓鈞声以夜軍之。楚師必遁晋人従之。楚師宵潰。晋遂侵蔡襲沈。獲其君。敗申息之師於桑隧。獲申麗而還。鄭於是不敢南面。楚失華夏。則析公之為也。 」

春秋時代の中国は確かに多くの国が乱立していて、貴族だけでなく、国王や王子も他国へ亡命するほどであるから、析公の行動も中国人の論理からすれば、当たり前といえば、当たり前であるのだろう。

続く。。。
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