本ブログ(『限りなき知の探訪』)の主テーマはリベラルアーツである。この点に関してはブログだけでなく、今まで出版した8冊の本も全て同じ主題である。
とりわけ、『本物の知性を磨く 社会人のリベラルアーツ』(祥伝社)と『教養を極める読書術』(ビジネス社)は私の考えるリベラルアーツの本質を述べている。この2冊の本でもとりわけリベラルアーツをタイトルにした本『社会人のリベラルアーツ』では、冒頭に「リベラルアーツのゴールは、世界各地の文化のコアをしっかりつかむこと」との確信を述べた。これは、20歳から人生の生き方を考えてきた私の到達したリベラルアーツ観そのものだ。私は、リベラルアーツのゴールをこのように定義をしたのだが、Amazonなどの書評では、この主張に対して「一人よがりの定義だ」との批判的意見が書き込まれている。この意見の妥当性について考えてみよう。
一例として仏教を考えよう。紀元前5世紀ごろにインドの釈迦牟尼(お釈迦さん)は仏教を開いた。釈迦は自分の言葉を、書き物として残すことなく、すべて口頭の説法であった。インドから中央アジアを経由して、中国に入ってから数多くの経典が漢文に翻訳されたが、これら仏教の経典の集大成が『大正新脩大蔵経』として読むことができる。
Wikipediaの『大正新脩大蔵経』の説明によると、
「17字詰29行3段組、各巻平均1,000ページ…正蔵(中国所伝)55巻」
とあるので、ざっと6000万文字数もある膨大な書物だ。とても、この全てを釈迦が話したとは思えない。ましてや、禅などというのは、開祖は釈迦ではなく、釈迦の死後、1000年位あとに出た達磨大師が中国に来て始めた教えだが、それでも、仏教として認められている。禅に関する書物も含めすべてが仏教経典と認められているのは、釈迦の根本思想を共有しているからだ。つまりこれらの経典は、仏教の基本思想である「無常観」「縁起」を共有しているがために、仏教経典と呼ばれているのだ。
この伝でいえば、リベラルアーツの基本のポイントは「自由」であり「健全な懐疑心」である。ここを外したものはリベラルアーツと呼ぶに値しないということが納得できるであろう。そうなると、私が主張する「文化のコア」というのはこの2つに含まれていない。それでは「文化のコア」の探求はリベラルアーツと呼べないことになってしまうのだろうか?
ここで、リベラルアーツの発祥した時代のギリシャ時代に思いを巡らせてみよう。当時は「文化のコア」を探求しなければいけない必然性はなかった。というのは、リベラルアーツの実践者たちは、いずれもギリシャ文化圏で育っていたので、改めて自分たちの「文化のコア」とは何か、と考える必要がなかった。ところが、このような統一された文明圏の隣にはペルシャ文明があった。また、後にローマ帝国がヨーロッパや北アフリカを支配するようになって、ユダヤ人やゲルマン人のような別種の文化圏の存在に眼を見開かされることになるに及んで「文化のコア」を知る重要性に気づき、文書として残すことになる。その筆頭に挙げられるのがヘロドトスの『歴史』やカエサルの『ガリア戦記』であろう。
ヘロドトスやカエサルは自分たちのギリシャ・ローマ文明とは異質の文化に触れて、自分たちと彼らの思想の根源的な差に気づいた。それも単なる、珍奇な風習をトピック的にとりあげるのではなく、本質的な価値観の差にまで踏み込んで書き残した。ヘロドトスやカエサルの著述意図の根底にあったのが「人間と社会のあり方を考える」という姿勢だ。「人間と社会のあり方を考える」立場を突き詰めていくと、必然的に「文化のコア」の理解に到達しなければならないということになる。
冒頭で述べたように、私は20歳からリベラルアーツの探求、つまり「リベラルあアーツ道」に志したのであるが、22歳の時にドイツ留学を契機にヨーロッパ現地で、日本とヨーロッパとの価値観やものの考え方の大きな差にショックを受けた。それからその差がどこからくるのかを探っていくうちに、ようやく「文化のコアを理解すること」なしに、文明の差が分からないし、翻って、自分たちの生まれ育った国の文明も理解できないことに気づいた。これは私だけでなく、幕末・明治に欧米に出かけて行った人たちも強く感じた点だ。例えば、私のいう「文化のコア」を福沢諭吉は『西洋事情』では「通義」と定義して、イギリス文化の本質を次のように掴んでいる。
「英国人民の通義とは何ぞや。即ち其一身の自由なり」
結局、リベラルアーツが最終的に「人間と社会のあり方を考える」ことを命題とするジグゾーパズルの探索であるとするなら、「文化のコア」というピースを見つけないことには、図柄は完成しないと私は確信している。
とりわけ、『本物の知性を磨く 社会人のリベラルアーツ』(祥伝社)と『教養を極める読書術』(ビジネス社)は私の考えるリベラルアーツの本質を述べている。この2冊の本でもとりわけリベラルアーツをタイトルにした本『社会人のリベラルアーツ』では、冒頭に「リベラルアーツのゴールは、世界各地の文化のコアをしっかりつかむこと」との確信を述べた。これは、20歳から人生の生き方を考えてきた私の到達したリベラルアーツ観そのものだ。私は、リベラルアーツのゴールをこのように定義をしたのだが、Amazonなどの書評では、この主張に対して「一人よがりの定義だ」との批判的意見が書き込まれている。この意見の妥当性について考えてみよう。
一例として仏教を考えよう。紀元前5世紀ごろにインドの釈迦牟尼(お釈迦さん)は仏教を開いた。釈迦は自分の言葉を、書き物として残すことなく、すべて口頭の説法であった。インドから中央アジアを経由して、中国に入ってから数多くの経典が漢文に翻訳されたが、これら仏教の経典の集大成が『大正新脩大蔵経』として読むことができる。
Wikipediaの『大正新脩大蔵経』の説明によると、
「17字詰29行3段組、各巻平均1,000ページ…正蔵(中国所伝)55巻」
とあるので、ざっと6000万文字数もある膨大な書物だ。とても、この全てを釈迦が話したとは思えない。ましてや、禅などというのは、開祖は釈迦ではなく、釈迦の死後、1000年位あとに出た達磨大師が中国に来て始めた教えだが、それでも、仏教として認められている。禅に関する書物も含めすべてが仏教経典と認められているのは、釈迦の根本思想を共有しているからだ。つまりこれらの経典は、仏教の基本思想である「無常観」「縁起」を共有しているがために、仏教経典と呼ばれているのだ。
この伝でいえば、リベラルアーツの基本のポイントは「自由」であり「健全な懐疑心」である。ここを外したものはリベラルアーツと呼ぶに値しないということが納得できるであろう。そうなると、私が主張する「文化のコア」というのはこの2つに含まれていない。それでは「文化のコア」の探求はリベラルアーツと呼べないことになってしまうのだろうか?
ここで、リベラルアーツの発祥した時代のギリシャ時代に思いを巡らせてみよう。当時は「文化のコア」を探求しなければいけない必然性はなかった。というのは、リベラルアーツの実践者たちは、いずれもギリシャ文化圏で育っていたので、改めて自分たちの「文化のコア」とは何か、と考える必要がなかった。ところが、このような統一された文明圏の隣にはペルシャ文明があった。また、後にローマ帝国がヨーロッパや北アフリカを支配するようになって、ユダヤ人やゲルマン人のような別種の文化圏の存在に眼を見開かされることになるに及んで「文化のコア」を知る重要性に気づき、文書として残すことになる。その筆頭に挙げられるのがヘロドトスの『歴史』やカエサルの『ガリア戦記』であろう。
ヘロドトスやカエサルは自分たちのギリシャ・ローマ文明とは異質の文化に触れて、自分たちと彼らの思想の根源的な差に気づいた。それも単なる、珍奇な風習をトピック的にとりあげるのではなく、本質的な価値観の差にまで踏み込んで書き残した。ヘロドトスやカエサルの著述意図の根底にあったのが「人間と社会のあり方を考える」という姿勢だ。「人間と社会のあり方を考える」立場を突き詰めていくと、必然的に「文化のコア」の理解に到達しなければならないということになる。
冒頭で述べたように、私は20歳からリベラルアーツの探求、つまり「リベラルあアーツ道」に志したのであるが、22歳の時にドイツ留学を契機にヨーロッパ現地で、日本とヨーロッパとの価値観やものの考え方の大きな差にショックを受けた。それからその差がどこからくるのかを探っていくうちに、ようやく「文化のコアを理解すること」なしに、文明の差が分からないし、翻って、自分たちの生まれ育った国の文明も理解できないことに気づいた。これは私だけでなく、幕末・明治に欧米に出かけて行った人たちも強く感じた点だ。例えば、私のいう「文化のコア」を福沢諭吉は『西洋事情』では「通義」と定義して、イギリス文化の本質を次のように掴んでいる。
「英国人民の通義とは何ぞや。即ち其一身の自由なり」
結局、リベラルアーツが最終的に「人間と社会のあり方を考える」ことを命題とするジグゾーパズルの探索であるとするなら、「文化のコア」というピースを見つけないことには、図柄は完成しないと私は確信している。