うつくしいものの話をしよう。
いつからだろう。ふと気がつくと、
うつくしいということばを、ためらわず
口にすることを、誰もしなくなった。
そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
風の匂いはうつくしいと。溪谷の
石を伝わってゆく流れはうつくしいと。
午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。
遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。
きらめく川辺の光はうつくしいと。
おおきな樹のある街の通りはうつくしいと。
行き交いの、なにげない挨拶はうつくしいと。
花々があって、奥行きのある路地はうつくしいと。
雨の日の、家々の屋根の色はうつくしいと。
太い枝を空いっぱいにひろげる
晩秋の古寺の、大銀杏はうつくしいと。
冬がくるまえの、曇り日の、
南天の、小さな朱い実はうつくしいと。
コムラサキの、実のむらさきはうつくしいと。
過ぎてゆく季節はうつくしいと。
さらりと老いてゆく人の姿はうつくしいと。
一体、ニュースとよばれる日々の破片が、
わたしたちの歴史というようなものだろうか。
あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
幼い猫とあそぶ一刻はうつくしいと。
シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。
何ひとつ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。
長田弘「世界はうつくしいと」『長田弘全詩集』みすず書房、2015年、518頁。
かつてとあるアートのシンポジウムで、登壇している評論家や作家が美術作品について「うつくしい」とは言わないという発言を聞いたことがある。そのような発言が会場のムードを支配するなか、登壇者の1人であるアーティストの内海聖史さんだけは、絵具はうつくしい、そのうつくしさが作品をつくるモチベーションだというような発言をただ一人続けていた。その発言に対して、ほかの評論家や作家はその見解を批判し、「うつくしさ」を否定した。
いまあらためて思うのは、「うつくしい」という言葉をためらわずに言えた内海聖史さんは正しかったし、わたしたちは「うつくしい」という言葉を言うこと、その感情を忘れてはいけないことだ。この詩を読んで、そんな昔の話を思い出した。
永遠なんてない。世界はうつくしい。
いつからだろう。ふと気がつくと、
うつくしいということばを、ためらわず
口にすることを、誰もしなくなった。
そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
風の匂いはうつくしいと。溪谷の
石を伝わってゆく流れはうつくしいと。
午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。
遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。
きらめく川辺の光はうつくしいと。
おおきな樹のある街の通りはうつくしいと。
行き交いの、なにげない挨拶はうつくしいと。
花々があって、奥行きのある路地はうつくしいと。
雨の日の、家々の屋根の色はうつくしいと。
太い枝を空いっぱいにひろげる
晩秋の古寺の、大銀杏はうつくしいと。
冬がくるまえの、曇り日の、
南天の、小さな朱い実はうつくしいと。
コムラサキの、実のむらさきはうつくしいと。
過ぎてゆく季節はうつくしいと。
さらりと老いてゆく人の姿はうつくしいと。
一体、ニュースとよばれる日々の破片が、
わたしたちの歴史というようなものだろうか。
あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
幼い猫とあそぶ一刻はうつくしいと。
シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。
何ひとつ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。
長田弘「世界はうつくしいと」『長田弘全詩集』みすず書房、2015年、518頁。
かつてとあるアートのシンポジウムで、登壇している評論家や作家が美術作品について「うつくしい」とは言わないという発言を聞いたことがある。そのような発言が会場のムードを支配するなか、登壇者の1人であるアーティストの内海聖史さんだけは、絵具はうつくしい、そのうつくしさが作品をつくるモチベーションだというような発言をただ一人続けていた。その発言に対して、ほかの評論家や作家はその見解を批判し、「うつくしさ」を否定した。
いまあらためて思うのは、「うつくしい」という言葉をためらわずに言えた内海聖史さんは正しかったし、わたしたちは「うつくしい」という言葉を言うこと、その感情を忘れてはいけないことだ。この詩を読んで、そんな昔の話を思い出した。
永遠なんてない。世界はうつくしい。