日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、元東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

ダ・ヴィンチの「裸のモナリザ」公開へ(2019.5.30)

2019年05月30日 | イタリアの美術館・博物館
ダ・ヴィンチの「裸のモナリザ」公開へ(2019.5.30)


ダ・ヴインチ没後500年
 さてもうひとつのニュースです
今朝(5/30)のNHKニュースで見ました(^.^)

フランスのパリ北方にあるシャンティイ城内の コンデ美術館に所蔵されている絵画「裸のモナリザ」が 
専門家による分析の結果 ダビンチが描いた可能性が非常に高いことが分かったとのこと(5/2)

この6月から記念展覧会を開催し 特別に展示するとのことです

モナリザが描かれたのは1503年以降とされ 「裸のモナリザ」は1510年前後の制作とみられます
ダビンチの工房で描かれたことは分かっていますが 弟子か本人の作かは不明とのこと


そして 今朝公開のTVニュース(5/30)によると 美術館によれば絵はダビンチの工房で「モナリザ」のあとに描かれ
弟子たちが別の絵の下絵として使ったとみられるそうです

さらに左利きの画家による筆遣いの跡もあることから 左利きだったダビンチ自身が筆を加えた可能性が高いとのこと

そして 胸に膨らみがある一方 腕は筋肉質に描かれているなど 男女両方の特徴があります
美術館は ダ・ヴィンチが「モナリザ」から着想を得て さらなる理想の美を追求して描いた可能性があるとしているそうです

コンデ美術館のマチュー・デルディック主任学芸員は 「男性的な美と女性的な美の中間と言えるでしょう
モデルがいて描かれたものではなく ダ・ヴィンチが追い求めた理想の美だと思います」と話していました

『「裸のモナリザ」ダビンチ作か=没後500年、専門家が分析-フランス』のニュースは こちら

『「裸のモナリザ」メディアに公開 ダビンチが加筆か』のニュースは こちら

* 写真を見るとたしかに 腕が筋肉質で少し太いですね...





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厳島神社(der Itsukushima-Schrein)についてドイツ語で話す(2019.5.3)@欧日協会GWセミナー

2019年05月26日 | ドイツ語・独検

厳島神社(der Itsukushima-Schrein)についてドイツ語で話す(2019.5.3)@欧日協会GWセミナー


2019年の欧日協会GWセミナー日本文化紹介の神社仏閣のテーマは 厳島神社を選びました!! すぐ7月に世界遺産検定1級を控えていたのです:

Der Itsukushima-Schrein (厳島神社/Itsukushima-jinja) ist ein Shintō-Schrein auf der Insel Miyajima (厳島/安芸の宮島 宮島) in der Präfektur Hiroshima in Japan.
Seit 1996 ist er als Weltkulturerbe(文化遺産) der UNESCO anerkannt.

Geschichte:

Der Schrein entstand im 6. Jahrhundert und existiert in der heutigen Form in der Heian-Zeit.

Damals wurde der Bau durch den Kriegsherren Taira no Kiyomori(平清盛) finanziert.

Ein Zugang (接近) war nur mit dem Boot durch den Torbogen (Torii) möglich.
Neben dem Schrein befindet sich eine Nō-Bühne(能舞台), die einzige
Nō-Bühne auf dem Meer, worauf werden die Nō-Stücke gespielt werden.

Im Schrein werden 3 Meeresgöttinnen verehrt, die Munakata-Kami(宗像三女神) heißen: Tagori-hime(田心姫命), Tagitsu-hime(湍津姫命姫) und Ichikishima-hime(市杵島姫命).

Das Torbogen (Torii/鳥居) des Itsukushima-Schreins ist 16 m hoch, und
eine der bekanntesten Touristenattraktionen Japans. Auf Platz zwei steht der Itsukushima-Schrein
in der Rangliste, während auf Platz eins "Ise-Jingu (伊勢神宮/Ise-Große Schrein)" steht.

Es gehört zum seltenen Typ der sechs-beinigen ryōbu-torii(両部鳥居).

Die Ansicht des Tores vor dem Berg Misen(弥山) ist eine der 3 bekanntesten Ansichten Japans
(日本三景 neben der Nehrung (砂洲) Amanohashidate (天橋立) und den Matsushima-Inseln 松島).

Bei Flut(満潮) kann man nur mit dem Boot durch das Torii fahren, bei Ebbe(干潮) kann man aber die Insel zu Fuß erreichen.
Dann ist das Sammeln von Muscheln(潮干狩り) am Tor beliebt.

Im Jahre 2004 wurde der Schrein durch einen Taifun (台風) schwer beschädigt, aber danach
wurde er restauriert(修復された).

厳島神社(Wikipedia)は こちら

Itsukushima-Schrein は こちら

Weltkulturerbe Itsukushima-schrein 世界遺産 厳島神社は こちら


      *        *         * 
 
神社建築様式(Baustil)についても 一級テキストを使って 話しました:

Hauptschrein  本殿
Gebetshalle  拝殿
Reinigungshalle 祓殿
fläche Bühne 平舞台
5 stückige Pagoda 五重塔
Korridor 廻廊
Dielenbretter 床板
Baustil in der Heian-Adel 神殿造り

s. Allerheiligste ご神体
aufstellen 安置する
e. Tempelgebäude    社殿群
Hofmusik      雅楽
archaischer Tanz 舞楽
Urwald 原始林
heilige Feuer 護摩の火 (弥山原始林には 空海の灯した護摩の火が燃え続けています)  

Ordnung der Tempelhalle 伽藍配置
goldene Halle 金堂
Zelle 僧房
Esoterische Buddhismus 密教
Amida-Buddha 阿弥陀
asketische Übung 修業
Verschmerzung von Shintoismus und Buddhismus 神仏習合

Giebel 破風、切妻



ein gekreuzter Giebel, r. Pfahl 千木(くい、支柱) Dachleiter (屋根のはしご)
Ob das verehrte göttliche Wesen männlich (男神が祀られていれば): senkrechte (垂直に)
Endabschrägung (千木の先端を地面に垂直に切る「外削ぎ」)
oder weiblich (女神が祀られていれば) waagerechte (水平に) Endabschrägung (地面と水平に切る「内削ぎ」)

"Katsuogi" sind beschwerende (重しを乗せた) Querbalken(横梁) auf dem Dachfirst(屋根の棟).
堅魚木(かつおぎ): 棟上に横並びに置かれる丸太の装飾
これは 男神では奇数(ungerade Zahl) 女神の時は偶数(gerade Zahl)のことが多い

    *        *         * 


次は 先生によるアドバイス等です:

Lageplan (神社などの)配置図

in die Liste der Weltkulturerbe aufnehmen 世界遺産リストに受け入れる

Insel, Berg, Präfektur, Stadt, Bahnhof等は基本的には Insel-〇〇等とは言わない (例: Bundesland Hessenではなく Hessenと言います)
隅田川も Der Sumidagawa と言い いちいちder Fluss Sumidagawaとは言わないそうです
それ以外は Hauptbahnhof Tokyo 東京駅 der Itsukushima-Schrein 厳島神社 der Kölner Dom ケルンのドーム
等と言います
また 福岡県 die Präfektur Fukuoka, 福岡市 die Stadt Fukuoka等と 県と市と区別するためにつけます

Wandergarten 回遊式庭園: ein Garten mit Wegen zum Spazierengehen, ein begehbarer Garten
architektonische Elemente/Bauteile 建築上の要素、パーツ

ein anthropomorpher Gott 人間の形をした神(キリスト教、ギリシャ・ローマの神など)

Das Torii(Torbogen) besteht aus 2 senkrechte Pfeiler (垂直の柱) und 2 Querbalken (2本の横梁).
Die Anzahl der Tempel beträgt ungefähr 77,000.  (お寺の数はおよそ77,000あります)

heilig= sakral 厳粛な (der Sakralbereich 聖域) vs profan 世俗的な

einheimische Religion 土着の宗教
polytheistisch 多神教の  vs monotheistisch 一神教の
der Animismus アニミズム 精霊崇拝 
die Natur wird göttlich beseelt gedacht. 自然を神のように敬う
Die Anwesenheit des Göttlichkeiten in der Natur 自然の中に神性が存在すること
Ahnungsverehrung der Ahnen 先祖崇拝

die Reliquien 聖遺物  


世界遺産検定も 1級はとても細かいところまで出るので大変です なのでその内容をドイツ語でせっせと調べて ようやく頭に入れました... 実はまだ厳島神社に行ったことがないもので(*ノωノ)




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没後500年、ダ・ヴィンチの毛髪をDNA鑑定へ(2019.5.20)

2019年05月23日 | イタリアのニュース
没後500年、ダヴィンチの毛髪をDNA鑑定へ(2019.5.20)


今年はレオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年で 2019年5月2日のダ・ヴィンチの命日には マクロン仏大統領と マッタレッラ伊大統領が フランスのアンボワーズの墓を訪れたそうです
 
そして ダ・ヴィンチが生まれたビンチ村の「レオナルド・ダ・ヴィンチ理想博物館(Museo leonardiano di Vinci)」(アレッサンドロ・ヴェッツォージ館長)が 今年8月にも ダ・ヴィンチの遺骨とともに見つかった毛髪の DNA鑑定を実施するとのニュースが入ってきました

ヴェッツォージ館長といえば 2012年3月にイタリア文化会館で開催された「
「レオナルド・ダ・ヴィンチ美の理想展」開催記念講演会
」を聞きに行ったことがあります 懐かしい~


この遺骨というのは 1863年にアンボワーズの礼拝堂跡地(フランス革命後に破壊された)から発見され 本物かどうかの論争が続いていますが 2016年 ダ・ヴィンチの親族が40人以上生存していることがわかったそうです これもヴェッツォージ館長らが30年以上かけて調べ 突き止めたのだそうです

そして ダ・ヴィンチの毛髪(墓から採取したとされる)を持っているという米国人収集家から それを借り受けたのだそうです

遺骨のDNAと照合するためには 「ダ・ヴィンチのものと推定される遺骨」と書かれた墓を掘り起こす必要があるのですが 仏当局は今のところ許可していないそうです

150年以上続く論争を終わらせることができるのでしょうか... ダ・ヴィンチ没後500年の今年 目が離せませんね

ほんのひと房の毛髪... 確かにダ・ヴィンチの髪の毛の色と同じに見えますが...


ニュースは こちら

ニュースは こちら

映像は こちら

イタリアでのニュースは こちら





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「古代ローマ人の24時間 よみがえる帝都ローマの民衆生活」+「地図で読む世界の歴史 ローマ帝国」を読みました(2019年春)

2019年05月19日 | イタリア関連の出版物
「古代ローマ人の24時間 よみがえる帝都ローマの民衆生活」+「地図で読む世界の歴史 ローマ帝国」を読みました


高円寺ピアッツアイタリアで借りてきて読んだ 「古代ローマ人の24時間 よみがえる帝都ローマの民衆生活

ちょうど今やっているトラヤヌス帝の時代の 古代ローマの一日を まるでタイム・スリップしたかのように臨場感あふれる描写で楽しめた一冊でした!!

日の出から夜までの一日の時間を区切って 早朝は小刻みの時刻で 夜になるにしたがってゆるやかな時間で描写してあります
庶民の住むインスラ(上の階程又貸しで下層民が住む)と 裕福な人々の住むドムスの描写 

トーガの着方(6メートルもあり一人では着られない)
女性のファッションや髪型について  長い名前について
マトローナとは名門既婚女性のこと クリエンテスは庇護民のことです
日の出から第一時 第二時...と時刻が刻まれてゆき 分や秒もなかった時代でした
子供達の遊びについて 
大人たちも居酒屋で サイコロを使った賭け事らしき遊びをしていましたね


子どもたちの学校の様子 読み書き計算を習いすぐに働き出しますが 
上流階級の子どもはラテン語やギリシャ語 修辞法等も習います
蝋引きの書字板を使っていたのですね 

面白かったのは 指を使って一万通りの数字を表せたこと!! 貨幣単位について 
そろばんの珠をカルクリー(calculi/小石)と言いますが それが計算(calcolo)の語源なのですって!
ローマの家賃は高かったそうです 人も多くて大変でした ローマの街角は人で溢れて歩けないくらいだったそうです 

そして奴隷市場について 首に 出身国や特徴等の書かれた札を下げて陳列され 売られます 
バシリカ・ユリアでの臨場感あふれる裁判の様子 元老院の様子 そしてコロッセオの生々しい命がけの競技...
各国の動物が減り 絶滅した種もあるといいます それくらい猛獣との闘いが繰り広げられていたのですね
公開処刑もありました
コロッセオは ネロ帝の時代の広大な敷地に作られた湖を ウェスパシアヌス帝がその水を抜いて 湖底をコロッセオの基礎としたのだそうです

公衆トイレの様子 何もついたて等なくて しゃべりながら用を足して あとは棒につけた海綿で洗って捨ててたのですね
それにしても下水道システムがちゃんとしていたのはすごいです 水道橋もありましたしね

出産の様子も描かれ 生まれた子をどう扱うかを主人(父親)が決めるのだそうです 捨て子になったり...拾われたり...

公共浴場は何トンもの木材を燃やしていて やはり多くの木々も伐られてゆきましたね 
発汗室(ラコーニクム)  温浴室(カルダリウム)  冷水浴室(フリギダリウム) について トゥニカはちゃんと払って預けないと盗まれちゃうぞ~

そして夕刻の饗宴の描写 トリクリニウム(食堂)は広く 馬蹄型の臥台に寝そべって古代ローマの豪華な食事を楽しみました
当時はフォークはまだなくて 主に手で食べていました テーブルマナーも自然で今とは色々違いましたね
ティベリウス時代のアピキウスというシェフが書いた「料理法」という料理本があったそうです 豚の乳房とかフラミンゴの舌とか...

そして夜の話まで色々と続きます 一気に読みました 面白かったです 映画を見ているみたいでした( `ー´)ノ
原書では 当時のラテン語と 今のラテン語の発音を 比較する箇所もあったそうです

著者は アルベルト・アンジェラ サイエンス番組の監修・キャスター 科学ライター等 
そして翻訳は関口英子先生です♡

古代ローマ人の24時間 よみがえる帝都ローマの民衆生活」(河出書房新社)は こちら
  

     *     *    *


さて次は「地図で読む世界の歴史 ローマ帝国」(河出書房新社) こちらは イタリアブックフェアで見つけました♪
こちらは 地図と写真満載の本です:

ローマ歴史講座を取っており 地図や細かいところが不明確なため この本を買ったところ 地図入り 
写真も豊富でとてもよく理解できました 

まずは入門レベルの本「知識ゼロからの古代ローマ帝国入門」で 大まかな流れをつかんでから 
この本をじっくり読んで頭に入れてゆきました 


「地図で読む世界の歴史 ローマ帝国」
(河出書房新社)は こちら

こんどの日曜(5/26)は 高円寺ピアッツアイタリアの ローマ歴史講座で 五賢帝の続きをやる予定です♪




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「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」展を見てきました(2019.5.16)@国立新美術館

2019年05月16日 | 美術館・博物館
「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」展を見てきました(2019.5.16)@国立新美術館



六本木の国立新美術館まで 「日本・オーストリア外交樹立150周年記念 ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」展を見に行ってきました

クリムト、シーレ、オットー・ワーグナー没後100年記念企画 ウィーンと世紀末を彩った芸術家たち」の講演を聞き 記事をまとめたことがきっかけで 今上野の都美術館でやっている「クリムト展 ウィーンと日本 1900」(~2019.7.10)とどちらを先に行こうか迷ったのですが...ウィーン世紀末のことがよくわかるこちらをまず先にしました!!

ウィーン世紀末の文化を様々な領域から紹介するこの展覧会は お目当てのクリムト そしてシーレの絵画にたどり着くまで 実に多くの作品を見てゆくことになります 
なので重点的に見るものを決めて見てゆきました 平日午前はあまり混んではいませんでした

← エゴン・シーレの自画像

啓蒙主義時代のウィーン ヨーゼフ2世の改革 ビーダーマイヤー時代のウィーン シューベルト 都市景観画家 リンクシュトラーセとウィーン ウィーン万博(1873) ワルツ王ヨハン・シュトラウス 1900年 世紀末のウィーン オットー・ワーグナー 近代建築の先駆者 ...とこれだけ見てきて ようやくクリムトのスペースに着きました

クリムトの初期作品 そして素描 ウィーン分離派の画家たち グラフィック そしてクリムトの愛人 エミーリエ・フレーゲの肖像(写真) ドレス ウィーン工房の応用芸術 グラフィック ...そしてとうとう エゴン・シーレにたどり着きました!

ユーゲントシュティールの先へ と題したシーレの自画像から始まり 枯れたひまわりの絵... なんとも独特ですね

表現主義 芸術批評と革新のところで ロダンのマーラーの肖像があり 惹かれました

本当は ウェーゼンドルファーのクリムトの絵が再現されたというピアノが展示中(GWまで)に行きたかったけれど...

実に見ごたえのある展覧会でした さてまた近いうちに 上野までクリムト展見に行ってこようかな♪


「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道
」展は こちら 2019.8.5まで




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ドイツ語圏文化セミナー シリーズ「私は東ドイツに生まれた Auf den Spuren des alten Berlins」に行ってきました(2019.3.8)@(公財)日独協会

2019年05月12日 | ドイツ語・独検

ドイツ語圏文化セミナー シリーズ「私は東ドイツに生まれた Auf den Spuren des alten Berlins」に行ってきました(2019.3.8)@(公財)日独協会



「私は旧東ドイツに生まれた」シリーズには必ず顔を出しています!! というわけで行ってきました日独協会 ^^) _旦~~
西ドイツと東ドイツという ふたつのドイツ国家が存在した時代に 東ドイツで生まれ育ったリースナー先生に 自らの体験を織り交ぜながら
東ドイツの実態についてお話し頂くシリーズです 

今回のテーマは「Auf den Spuren des alten Berlins」で 数々の貴重な写真をご紹介いただきながら ベルリンにある歴史の痕跡を辿るものでした:

まず最初の写真は 18世紀から20世紀にかけてのドイツの歴史的人物です 

 18~20世紀のドイツの歴史的人物


フリードリヒ一世は ベルリンのStadtschlossを建てますが 
妻のシャルロッテが若くして亡くなり 
その名前をつけて シャルロッテンブルク宮殿 と名付けます

  フリードリヒ一世 左下が妻シャルロッテ 


息子の フリードリヒ・ヴィルヘルム一世(F. Wilhelm Ⅰ)は 義務教育や徴兵制度 (Wehrpflicht)等も作りました


ベルリン王宮(Berliner Stadtschloss)は 1945年に空襲で焼失し 廃墟は1950年にDDR政府によって取り壊されましたが
王宮跡地のうち東半分には ホーネッカー時代に 共和国宮殿(Palast der Republik) が建てられ 
昔はSEDの党大会が行われたりしており
ランプが多いので 「エーリッヒ(ホーネッカー)の電灯のお店(Lampenladen)」等と言われていました

1990年10月のドイツ再統一の直前 共和国宮殿はアスベストのため閉鎖され 再統一後に再建工事が始まり 
2019年には 新しい複合文化施設「フンボルトフォーラム」(Humboldtforum)として再建される予定とのこと

 ← 共和国宮殿


ウンター・デン・リンデン(Unter den Linden) 
フリードリヒ・ヴィルヘルム(Friedrich Wilhelm/1620-1688)が ここに並木道(Allee)を作った当時は乗馬道(Reitweg)で 
まわりに建物はなく クルミの木(Nussbaeme)や 菩提樹の木(Lindenbaum)等を植えたのですね 


古いブランデンブルク門(Brandenburger Tor)は 関税門でした
ここを通る時に関税を払い 18カ所の門のうちここだけが残っているのだそうです

 ← 古いブランデンブルク門

四頭立ての馬車(クアドリガ/Quadriga)に乗った勝利の女神ヴィクトリアの像が乗せられました

完成直後にナポレオンによりベルリンは征服され ヴィクトリア像はフランスへ戦利品として持ち去られ のちに門の上に戻されました
なので 1813年の写真には Quadrigaはなかったのです (トップの写真)

門は1957年に東ベルリンによって修復されましたが 社会主義国らしくなるよう 鷲と鉄十字ははずされました
そして 統一後の1990年から 再び鉄十字がつけられました



  1956~1990までは 鷲と鉄十字ははずされた 

ブランデンブルク門は...まだ壁のあった頃に 閉ざされた門を見て 統一直後にも行って そして 開かれたこの門をくぐるという体験もしました...思い出深いですね


赤の市庁舎(Rotes Rathaus)(1869)入口にあった FriedrichⅠ世と WilhelmⅠ世の像
(die Bronzeplastiken von Friedrich I. und Wilhelm I. am Haupteingang) は プロイセンのシンボルのため 修復時にはずされたそうです
Wappensaal (紋章のホール)には 統一した時のために東西両方の地区の紋章がありました


1900年 ベルリン大聖堂(Berliner Dom)は ホーエンツォレルン家の墓(Hohenzollerngruft)でした 

そしてネプチューンの泉(Neptunbrunnen) これはヴィルヘルム2世が城の前に建てました 
ナチスは泉を爆撃から守るために壁で囲み そのため今も 破壊されずにオリジナルが残っているとのこと(eingemauerte Brunnen unbeschadet überstanden)
ただし今はRathaus(市庁舎)の前に移されていますね

Siegesallee これは今はなく (eingeebnet 平らにならされた) たくさんの立像(Stadtbilder)があったため 
Puppenallee(人形大通り)と呼ばれていたそうです
詳しくは こちら


 ← Siegesalleは今はもうない

大戦後埋められた像は掘り出され 修復されて 一部シュパンダウ(Spandau)の城塞(Zitadelle)に常設展示されています


カイザー・ヴィルヘルム記念教会(Kaiser-Wilhelm-Gedächtniskirche) 
これは 下の写真のように教会(右)が大戦で破壊され(左) その横に鐘楼(Glockenturm) そして礼拝堂(Kapelle)が作られました 
この教会はガラスが使われていて 中が明るいのですね  私も入ったことあります(^.^)

 ← 記念教会 今昔

プライトシャイト広場
には 2016年のクリスマス市でのテロを悼んで 15メートルにわたる金の裂け目(Riss)があるそうです
その他 マルク博物館(Märkisches Museum)の話等を聞きました


そしていよいよ 建築家ブルーノ・タウト(Bruno Taut)(1880-1938)の登場です
緑の中に住宅を建てたかったそうで 当時のベルリンの住環境は悪く お金もない中
今は世界遺産となっているベルリンのモダニズム集合住宅群を建ててゆきました 

 ← ブルーノ・タウト


クーダム(Kurfürstendamm)は  昔は乗馬道(Reitweg)でした 
銀行家は住宅地を建てたかったそうですが ビスマルクは2つめのReitwegを作りました 


Wannseeは 主に労働者の行く湖で Ostsee(バルト海)は金持ちが行く海岸とのこと
 
ゲットーのユダヤ人たちが死んだ 収容所の Mahnmal (警告の記念碑) Mahnmal-Gleis-17-–--Berlin-Grunewaldが Grunewaldにあります 
ナチス・ドイツ時代 この17番線ホームから大量のユダヤ人が 収容所へ送られたのですね...

がれきの中の女性の記念碑
Trümmerfrau-Denkmalが 1955年に
Volkspark Hasenheideに作られました これは大戦後のがれきを 素手で片付けた女性達を記念して作られたのですね 

ベルリンのがれきの花瓶 (Trümmervase)がクーダムの道にあり
けっこう背が高いそうです

切れかけた鎖 
(Gebrochene Kette)が 
1987年に作られましたが これは分断のMahnmal(警告の記念碑)ですね

信号機のKanzel(操縦室)の写真も見せていただきましたが なんと50年代までは 車が少ないため信号機は手動だったそうで 60年代から自動化されたのですって( ゚Д゚)

西ベルリンの がれきの山で作られた Teufelsberg(悪魔の山)の山頂にある 米軍の盗聴施設(Abhörturm) 
山頂からは電波がよく傍受できたそうです

 → Teufelsbergの盗聴施設

西の 放送塔Berliner Funkturm(146,7m)は1926年に作られ 一方東ベルリンでは
1969年にテレビ塔Fernsehturm(368m)が作られましたが 
実はMüggelbergeに作ろうとして(1954-1956)中止されたそうです
この理由というのが シェーネフェルト空港に近すぎるからとのこと 確かに... 

フリードリッヒスハインに2つ目をつくろうとして(1964) 経済不況(Wirtschaftskrise)でストップしました 
それで ウルブリヒトがテレビ塔を作る 7年計画(1959-1966)を建てたのですね

次に国際貿易センター( Internationales Handelszentrum IHZ)の写真を見ました 
日本の鹿島建設が建てた 近代的なビルですね 

Mauerweg(壁の道) 日本が募金で桜を植えましたね 
Günter Litfinの 壁建築直後の最初の犠牲者の碑の写真...これは私は 壁崩壊直後に花を捧げたところです すっごい思い出深い場所ですね...

そして 壁のアートのイーストサイドギャラリー 
題して"Berliner Mauer damals und heute"
監視塔(Wachturm)は2種類ありました 細長い簡易のと 四角形のちゃんとしたのと

車用の検問所は Alpha Bravo Charlieとありました
これは私も1981年に初めて東ベルリンに入った時に チェックポイントチャーリーの検問所の家(Haus am Checkpoint Charlie)に 何日も通い詰めた思い出があります

 ← ベルリンの壁 検問所など


Beelitz Sanatorium
というサナトリウムは 結核療養所(Lungenheilstaetten)で ヒトラーやホーネッカーも入院していたことのある病院で 今は廃墟とのこと

レーニン像の頭は今は Zittadelleにあるそうですが 
これはあの「グッバイ!レーニン」の映画で有名になったのですが 実はレーニン像の頭は7トンもあって 重すぎてヘリコプターでは運べないのだそうです

1936年の ベルリン・オリンピックのスタジアム 選手村 食堂舎(Speisehaus) の写真も紹介していただきました 
各国の料理を作るため 40もの台所があったそうです

テンペルホフ空港 は 閉鎖されたあとで 今はMesse(見本市)が開かれたり Flüchtlinge(避難民)の場所等となっています


このあと 各自ベルリンへの熱い思いや こだわりの質問等が交わされた とても充実した会となりました 
私たちも うちにあるベルリンの壁のかけらを持ってくればよかったかな? 1989年11月9日の壁崩壊直後にすっ飛んでいき つるはしでトンカン叩いて削ってきた 家宝なのです♡

貴重な写真とお話を 本当にありがとうございました ひさびさにベルリンに「還れた」ひとときでした💛 


セミナー「私は東ドイツに生まれた Auf den Spuren des alten Berlins」は こちら

リポート掲載をご許可くださいました(公財)日独協会様に 心よりお礼申し上げます

        *       *       *

また これを書くにあたり読んだ「ベルリン 東ドイツをたどる旅」(見市 知著、産業編集センター)という本には
電話のない世界」というコラムがあり 私も同じ体験をしたことを思い出しました 
コラムによると 1989年の壁崩壊時でも自宅に電話を持っている人は1割にすぎず 電報に頼るとか 仕方なくいきなり訪問したりしていたとのこと(笑) 

1986年に東ドイツのペンフレンドに会うため ドレスデンで彼女に電話しようと思い 電話局に行って彼女を呼び出してもらい 彼女が最寄りの電話局に駆けつけるまで数十分待って 
ようやくつながり話ができたのです
他にも写真の現像に2週間かかると言われたり コピーを取るには国の許可がいると言われたり... すべて1980年代のことでしたが 
今やネット時代で夢の中のことのようですね...

また「ベルリン廃墟大全」(キアラン・ファーヘイ著、青土社)も
写真満載で参考になりました 

というわけでオスタルジーに浸り 買ってしまいました「グッバイ!レーニン」のDVD ♪


希望の灯(In den Gaengen)」(2019.4.5~ロードショー) これは統一後のライプツィヒの市井の人々を描いた映画です



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「誰もがそれを知っている」ロードショーのお知らせ(2019.6.1~)@Bunkamuraル・シネマ他

2019年05月11日 | イタリア映画・映画
「誰もがそれを知っている」ロードショーのお知らせ(2019.6.1~)@Bunkamuraル・シネマ他


『別離』『セールスマン』で2度のアカデミー外国語映画賞に輝くイランの名匠アスガー・ファルハディ監督が、初となるオールスペインロケで挑んだ待望の最新作は、15年前のスペイン旅行で目にした壁に貼られた行方不明の子供の写真に着想を得て、監督がずっと温めてきた物語


『誰もがそれを知っている』


6/1(土) Bunkamuraル・シネマ ヒューマントラストシネマ有楽町ほか 全国順次公開

監督・脚本:アスガー・ファルハディ『彼女が消えた浜辺』『別離』『セールスマン』
出演:ハビエル・バルデム、ペネロペ・クルス、リカルド・ダリン
2018年/スペイン・フランス・イタリア/スペイン語/133分/
原題: Everybodyknows

ペネロペ・クルス 魅力的な俳優さんですよね(#^.^#) 

映画は こちら



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EUフィルムデーズ2019が開催されます(2019.5.31~6.27)@国立映画アーカイブ 他

2019年05月09日 | イタリア映画・映画
EUフィルムデーズ2019が開催されます(2019.5.31~6.27)@国立映画アーカイブ 他



映画で旅するヨーロッパ

EU加盟国の在日大使館・文化機関が提供する作品が 一同に上映されるユニークな映画祭です
17年目となる2019年は 22のEU加盟国の作品を紹介します

於 国立映画アーカイブ
東京都中央区京橋 3-7-6


イタリア映画は 「修道士は沈黙する(Le confessioni / The confessions)」です

トニ・セルヴィッロ主演 G8の財務相会合が行われているホテルで 国際通貨基金の重要人物の死亡が発見される
その前夜 修道士と密会していたことが明らかになるが 修道士はその内容について沈黙を守り続ける...

詳しくは こちら

* どの国のどの映画がかかるのか 毎年楽しみです♡




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家族にサルーテ! ロードショーのお知らせ(2019.6.21~)@Bunkamuraル・シネマ他(2019.6.)@

2019年05月07日 | イタリア映画・映画
「家族にサルーテ! 」ロードショーのお知らせ(2019.6.21~)@)Bunkamuraル・シネマ他



世界的大ヒット作『幸せのちから』のガブリエレ・ムッチーノ監督のもとに豪華キャストが大集合!
美しい島から届いたイタリアン・コメディ!

乾杯(サルーテ)のグラスに注がれたのは、 ワケあり家族の甘い嘘と苦い真実

この度、イタリアの名匠としてその名を轟かせ、ハリウッドに進出してからもウィル・スミス主演『幸せのちから』などの大ヒット作を世に送り出してきた ガブリエレ・ムッチーノ監督最新作、『家族にサルーテ!イスキア島は大騒動(おおそうどう)』 (6月21日(金)Bunkamuraル・シネマほかにて全国順次ロードショー)

驚きの隠し事や、意外な思惑を抱えた登場人物たちをリアリティ溢れるセリフで、イタリアが誇る名優たちが舌戦を繰り広げる

家族って... 、最高の味方で、最大の敵!?

予告編をBunkamuraで観てきましたが 面白いシーンでくすっと会場から笑いが聞こえてきて...( *´艸`)

* 大家族って 色々なことが起きますよね めまぐるしいですね((+_+)) 
大家族が長く一緒にいると いろんなことが見えてきてしまいますよね せいぜい数時間がいいかも(笑)?!

映画は こちら

  
     *      *      *

日伊協会で この映画のセミナーを開催します 押場先生の解説&舞台となったイスキア島の イスキア・サポリ社が
ルッコラを原料に作ったお酒「ルッコリーノ」の試飲もあります 
さらには映画チケットが割安価格で♪

2019年6月12日(水) 18:30~20:00 
押場氏曰く「この映画を観てイタリア人と同じように笑えるかがポイント!」とのこと 

イタリア映画特別セミナー「家族にサルーテ!イスキア島は大騒動」《ルッコリーノの試飲付き》」は こちら



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GW「ドイツ語で日本文化紹介」を取り「紀伊山地の霊場と参詣道」について発表しました(2018.4.30)@欧日協会ドイツ語ゼミナール

2019年05月03日 | ドイツ語・独検

GW「ドイツ語で日本文化紹介」を取り「紀伊山地の霊場と参詣道」について発表しました(2018.4.30)@欧日協会ドイツ語ゼミナール


このGWも例年のごとく 欧日協会ドイツ語ゼミナールの「文法の日/接続法Ⅱ」(4/29午後)と 「日本文化紹介(4/30,5/5)」で日本の世界遺産の発表練習等を取りました(^.^)v

ぎりぎりで成立したので わずか1日半で急遽準備しました「紀伊山地の霊場と参詣道」の発表原稿!! 前日の「文法の日」でみっちり3時間ドイツ語を聞いたら イタリア語しか出てこなくなっていたアタマがどうにかドイツ語に切り替わりました♪

紹介原稿の作り方(正味1日で作成): まずは日本語で読む (世界遺産検定テキスト3,2,1級、「英語で読む世界遺産」、ウィキペディア等のネット記事) 次に 文章構成を考える (紹介する手順: まずは世界遺産の登録の概要や位置、登録理由、次に3つの霊場と参詣道について 地図を見ながらひとつずつ紹介)
先にたーっと日本語で書いて Wikipediaで該当するドイツ語の固有名詞を押さえながらドイツ語に起こしてゆき(ドイツ語がない時は 英語でコピペ+Deutschというキーワードで再検索にかけると出てきます) 写真も入れて下書きを完成させてから 何回か加筆訂正しました

さらに ちょうど届いた「旅の友」に熊野古道のツアーがあったので 美しい写真を見せながら説明しました♪ 一度は行きたいなぁ...♡

年に一度のドイツ語のリハビリ リハビリ~(^.^)

以下は 発表原稿(訂正済み)と 先生からのアドバイスです

    *      *      *

欧日協会ドイツ語ゼミナールGW特別講座「ドイツ語で日本文化紹介 日本の世界遺産」

紀伊山地の霊場と参詣道

Heiligtümer und Pilgerrouten in den Kii-Bergen
English: Sacred Sites and Pilgrimage Routes in the Kii Mountain Range


紀伊山地は、紀伊半島の和歌山県、奈良県、三重県にまたがっている。

Die Kii-Berge befinden sich auf der Kii-Halbinsel, einer der größten Halbinseln auf Honshū. Die Region gehört zu den Präfekturen Wakayama, Nara und Mie.

自然崇拝の精神を育んできた深い森林でおおわれた山岳地方は、2004年にユネスコの文化遺産に登録された

Im Jahre 2004 hat die UNESCO drei Orte in der dicht bewaldeten Gebirgsregion, in denen die Verehrung der Natur gewachsen wurde, als Weltkulturerbe anerkannt.  

登録理由 die Gründe der Registrierung:

神社仏閣群が「自然崇拝」の神道と仏教との融合を示すこと、そして日本の宗教文化が千年以上にわたって伝承されてきたこと。

Die Integration der Shinto (“Verehrung der Natur”) und Buddhismus gezeigte in den Schreinen und Tempeln, und auch die religiöse Kultur von Japan die seit über 1,000 Jahren überliefert wurde.

日本で初めて「文化的景観」*(1992に採択)*が認められた世界遺産。
「文化的景観」: 人間が自然とともにつくりあげた景観を指す概念を指す

Das allererste Weltkulturerbe in Japan, das unter dem Begriff der “Kulturlandschaft” * anerkannt wurde.

Kulturlandschaft* bezeichnet den Begriff meist mit der dauerhaft von Menschen geprägte Landschaft.

この三大霊場(吉野・大峰、熊野三山、高野山)は参詣道(大峯奥駈道、熊野参詣道/熊野古道、高野山町石道)によって結ばれており、「神仏習合」*の思想をよくあらわしている。

神仏習合*(しんぶつしゅうごう)とは、日本の神道と大陸伝来の仏教が融合した相互作用(宗教思想)

Diese drei Heiligtümer (Yoshino und Ōmine, Kumano-sanzan, der Berg Kōya-san) sind durch alte Pilgerrouten (Ōmine Okugakemichi, Kumano Kodō, Kōyasan chōishi-michi) mit dem Begriff “Shinbutsu-Shūgō*” verbunden.

Shinbutsu-Shūgō* ist die japanische Bezeichnung der Wechselwirkung des Buddhismus in Japan und des Shintōismus.

明治政府による「神仏分離」*政策により山岳信仰も禁じられ寺や神社がつぶされたが、紀伊山地では反対運動により熊野の神社の森は守られた。
*「神仏分離」(しんぶつぶんり)とは、明治維新の過程において行われた神道と日本の仏教の分離のことを言う。

In der Meiji-Zeit hat die Regierung viele Tempel und Schreine zerstört, mit dem Verbot der Bergenkult wegen der “Shinbutsu-Bunri”*. Dennoch in den Kii-Bergen, die heilige Wälder von Kumano wurden wegen der Gegenbewegung geschützt.

Shinbutsu-Bunri* bezeichnet die im Zuge der Meiji-Restauration durchgeführte Trennung der Religionen Shintō und des japanischen Buddhismus.

   *     *      * 

登録資産数 27件   27 Vermögen
 


A. 吉野・大峰 Yoshino・Ōmine

山岳修行者修験道*の聖地。大峰生物圏保存地域で木々の伐採が禁じられている。

Die Heilige Städte von synkretistischen Religion des Shugendō von den Asketen im Gebirge.

*Shugendō (der Einübung von Wunderkräften) ist eine alte japanische, synkretistische Religion. In Ōmine, Biosphärenreservat, ist verboten, die Bäume abzuholzen. (Asketen=修行者、山伏)

1. 吉野山 Die Yoshino-yama

吉野山(よしのやま)は奈良県吉野川の下流に続く山稜の総称で、古くから「千本桜」という桜の名所として知られている。信者ご神木の桜を植えたのが起源。「一目千本」(下千本、中千本、上千本、奥千本)と呼ばれている。

Die Yoshino-yama sind Berge im Süden der Präfektur Nara, die sich amUnterlauf vom Yoshino-Fluss erstreckt. Bekannt sind ihre Kirschblüte. Der Anlass ist dass die Gläubigen die Kirschbäume als Heilige Bäume geplanzt haben. “Tausende Kirschblüten sind mit nur einem Blick zu überschauen (Hitome Sembon)”.

2. 金峯山寺(きんぷせんじ)Der Kimpusen-ji

役行者(修験道の開祖)が開いた金峰山修験本宗(修験道)の本山。

Der Kimpusen-ji ist einer der wichtigsten Tempel der synkretistischen Religion des Shugendō. Der Gründer der Shugendō ist Enno-gyoja (Asketen).

3.吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ) Der Mikumari-Schrein

4.金峯神社(きんぷじんじゃ)      Kimpu Shrine

5. 吉水神社(よしみずじんじゃ)Yoshimizu Shrine


源義経と後醍醐天皇ゆかりの神社。

Der Schrein, der mit dem Feldherr Minamoto no Yoshitsune und der Kaiser Go-Daigo in Verbindung steht.

6. 大峯山寺(おおみねさんじ)Ōminesan-ji
修験道の寺院 

Ōminesan-ji ist einer der wichtigsten Tempel der synkretistischen Religion des Shugendō.

      *     *      * 

B.熊野三山  Kumano drei Bergen

熊野三山(くまのさんざん)は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社の総称。平安時代は天皇や貴族による「熊野詣(くまのもうで)」が行われ、江戸時代には庶民にも広まった。

Kumano drei Bergen sind der Sammelbegriff der 3 Schreine (Der Kumano Hongū-Taisha, der Kumano Hayatama-Taisha, der Kumano Nachi-Taisha).

In der Heian-Zeit der Kaiser und die Adel haben die Tempel in Kumano besucht, das heißt “Kumano-mōde”, in der Edo-Zeit auch die Völker haben die Tempel besucht.

1. 熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)Der Kumano Hongū-Taisha (Schrein)
今年(2018)、御創建2050年を祝う

Dieses Jahr (2018) feiert man den 2050-jährige Jubiläum der Gründung.


 ←  Der Kumano Hongū-Taisha


八咫烏(やたがらす
)を神使とする
Der Götterbote ist Yata-garasu(Krähe).

2. 熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)
Der Kumano Hayatama-Taisha(Schrein)


3.熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)Der Kumano Nachi-Taisha(Schrein)

那智大滝への自然信仰を起源とする

Dieser Schrein hat den Ursprung im Glauben an die Natur hauptsächlich an dem Nachi-Wasserfall.

4.青岸渡寺(せいがんとじ)Der Seiganto-ji
 
三重塔
と那智大滝の眺めが文化的景観を構成する。

Die Ansicht der dreistöckigen Pagoda mit den Nachi-Wasserfall gestaltet “die Kulturlandschaft”.

5.那智大滝(なちのおおたき)  Der Nachi-Wasserfall

那智にある48の滝の第一の滝で、落差133m
華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられている。古代より神が宿ると信仰されてきた(神社の御神体として)。

Der erste und größte von 48 Wasserfällen in Nachi (die beträgt 133m Gefälle). Zusammen mit den Kegon-Fällen und dem Fukuroda-Wasserfall gehört er zu den „Drei berühmten Wassenfällen Japans“ (Nihon sanmeibaku). Man glaubte seit dem Altertum, dass ein Gott gern im Wasserfall verweilt (als Allerheilige von Tempel).

6.那智原始林(なちげんしりん)Nachi-Urwald

7.補陀洛山寺(ふだらくさんじ)Fudarakusan-ji (Tempel)


 *     *      * 

C.高野山 (こうやさん) Kōya-san Berg


真言密教の聖地。 

Heigligtum vom Shingon esoterische Buddhism.

1. 金剛峯寺(こんごうぶじ) Kongōbu-ji
(Tempel)

真言宗の宗祖である空海(弘法大師)が816年に開創した、高野山真言宗の総本山

Kongōbu-ji, Haupttempel von Kōyasan Shingon Buddhism, gegründet von Kū-kai (Mönch) im Jahre 816.

3. 丹生都比売神社(にふつひめじんじゃ)Niutsuhime Shrine

4. 慈尊院(じそんいん)Jison-in
(Tempel)

高齢の空海の母は息子が開いた高野山を一目見ようとやって来たが、女人禁制だったため山に入ることができず、女性の参拝が許されていたふもとにあるこの政所に滞在した。

Jison-in (慈尊院) ist der buddhistische Tempel, wo Mutter von Kūkai geblieben wurde, weil sie wegen der Frauen-Verbot in den Berg Kōya-san nicht bentreten konnte.

*     *      * 

D.参詣道 Sankei-do (Pilgerweg)

1. 大峯奥駈道 Ōmine Okugakemichi

大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)は、紀伊半島の吉野と熊野を結ぶ大峯山を縦走する、修験道の修行の道。

Ōmine Okugakemichi (Tiefinnerer Laufweg der Großgipfel) ist ein Pilgerweg auf der japanischen Halbinsel Kii.

2. 熊野参詣道 Kumano Sankeido
 (熊野古道 Kumano Kodô)

熊野古道(くまのこどう)は、奈良・京都から熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称。熊野参詣道ともよばれる。

Der Kumano-Sankeido ist eine Serie von alten Pilgerwege der von Nara oder Kyoto zur drei Kumano-Berge führt.

熊野古道は主に以下の5つの道を指す。紀伊路(Kii-ji,渡辺津 - 田辺)小辺路(Kohe-ji高野山 - 熊野三山、約70km)中辺路(Nakahe-ji/田辺 - 熊野三山)大辺路(Ōhe-ji/田辺 - 串本 - 熊野三山、約120km)伊勢路(Ise-ji/伊勢神宮 - 熊野三山、約160km)伊勢路にある「花の窟(はなのいわや)神社」は日本最古の神社。

Der Hanano-iwaya-Jinja(Schrein) von Ise-ji ist der allerälteste Schrein in Japan.

3.  高野参詣道(こうやさんけいどう) Kōyasankeido

  ← 高野山町石道(ちょういしみち) Steinzeichen (Chō)*  *単位(Einheit)

慈尊院から奥の院へと至る(24km)。一町(109m)ごとに町石」が立つ。計180石あり、曼荼羅図の仏の数と同じ。

Kōyasan chōishi-michi ist der Pfad (24 km) mit den Steinzeichen (Chō) alle 109 m (chō) der zu Kōya-san führt (von Jison-in zu Okuno-in). Insgesamt 180 Stücke, der entspricht die Zahl von Buddha vom Mandala.

女人道(にょにんみち)Nyonin-michi

高野山が1872年(明治5年)に女人禁制を解くまで、女性が高野山を参拝するために置かれた巡礼路。2016年追加登録された。

Pilgerweg für die Damen, bis der Kōya-san im 1872 (Meiji 5) das Verbot der Damen aufgehoben hat, wurde der Nyonin-michi genutzt. 2016 zusätzlich aufgenommen.

七里ガ浜」も参詣道の一部。

Der Sandstrand Shichiriga-hama ist auch ein Teil von Pilgerweg Kōya-san.


年2回しかドイツ語をしゃべるチャンスがないので 貴重な特別講座レッスンです!!

欧日協会ドイツ語ゼミナールのGWドイツ語講座は こちら 今日もこれから行ってきます!

* この日朝イタリア人の先生に会ったら「Guten Morgen!」と言ってしまい笑われました(笑) ← その日受けるレッスンごとに頭が切り替わる!?

* 写真は 青岸渡寺の三重塔と那智大滝(文化的景観)


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