日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

イタリア文化特別講座「第2部~イタリア南部のルネサンス~IL Rinascimento di Sud Italia」の文化セミナーに参加しました(2017.6.18)@吉祥寺LCI

2017年07月28日 | イタリア関連の催し
イタリア文化特別講座「第2部~イタリア南部のルネサンス~IL Rinascimento di Sud Italia」の文化セミナーに参加しました(2017.6.18)@吉祥寺LCI


3月の第1部「第1部~ルネサンス期を支えた名家たち イタリア北部と中部」は 世界遺産検定のため珍しく欠席...なのでアリアンナ先生が担当される第2部のイタリア南部のルネッサンスに参加してきました!
この日は終了後すぐにアイランドギャラリーに行き 初めてサルデーニャの先生の写真を買いました!!というわけで思い出深い一日でした:
  ← 吉祥寺のLCI イタリアの旗が目印♪

セミナーの内容: 南イタリアのルネサンス時代は、北部の貴族社会とは異なり、王朝が統一を図ります。この講座では分かり易く時代の流れと共にご紹介致します。

    *     *      *

第1章 教皇領(Lo Stato Pontificio)


南イタリアでは教皇がその一部を統括していました 教皇領(lo Stato Pontificio)の歴史をざっとおさらい 

今のヴァチカン市国よりも広く 多くのヨーロッパ諸国を統括していましたが 南イタリアはシュヴァーベン王フェデリコ2世(il re svevo FEDERICO Ⅱ)が統括していました

宗教的にも政治的にも権力を持っていたのは 税金を取っていたから 
当時は教皇領への税金から宗教税(Assicurazione spiriuale)に至るまで 実に様々な税がかけられていたのですね( ゚Д゚)

ちなみに1500年での年収は労働者で12スクード 枢機卿で1320スクードだったそうです(スクード=5リラ銀貨)


ここでビデオを見ながら 西ヨーロッパの教会分裂(Scisma d'Occidente)について説明していただきました

アヴィニョン捕囚
(Avignone)について イタリア人の教皇(Papa)とフランス人の対立教皇(antipapa)がいたこと

紋章(stemma)についても見ました 教皇領の紋章の金と銀のカギの意味 三重冠の意味などです



第2章 支配(Le Dominazioni)


シュヴァーベン王朝(gli Svevi) アンジュー家(Gli Angioini) アラゴン家(Gli Aragonesi)があり いよいよシュヴァーベンの フェデリコ2世(Federico Ⅱ di Svevia)についてです

ナポリとシチリアの君主一覧は こちら


フェデリコ2世は エンリコ(ハインリヒ)6世とシチリア王女コスタンツァ(Costanza)の息子として生まれました

16才でドイツ・エルサレム・シチリアの王となり アラブと西洋文化を愛し 数カ国語を話し 世界初の無償の国立大学をナポリに創り←ナポリ大学のことですね(ボローニャ大学が世界初だが無償ではない) 貧困の民のための無償学校を作り シチリアに詩人の学校を作りました なんとダンテも通ったといいます

ただカリスマ的存在のためあまりヴァチカンとはよい関係を持たず 神は信じていたが教皇は神ではないとしていました 教皇側はフェデリコ2世の統治国を支配したかったのだそうです

さてフェデリコ2世の死後 息子マンフレディ(Manfredi)が継承します(subentrare)

マンフレディはホーエンシュタウヘン(シュヴァーベン/sveni)の紋章を新しくします  鷲(l'aquila)は教皇派のシンボルですね

教皇は 税を増やして民衆が不満を持っていたマンフレディを軍隊を送って討ちます そして教皇ウルバーノ4世(URBANO Ⅳ)が フランス王の兄弟 カルロ(re di Francia/Carlo)をシチリアに送り マンフレディを討ちます 

さて ホーエンシュタウフェン(シュヴァーベン)家には息子はおらず 娘コスタンツァ(Costanza)が アラゴン王ピエトロ3世(il re d'Aragona PIETRO Ⅲ)と結婚します *アラゴンはスペインの王国

皇帝派(i ghibellini
/教皇反対派のシチリアに住む民衆)は カルロ アンジョー王(Carlo D'Angio')に反対し コスタンツァ女王につきます

ところが シチリア議会はピエトロ3世(Pietro Ⅲ)をシチリア王に選出し 一方教皇はカルロ・アンジョー王(Carlo D'Angio')を選出し シチリアには2人の王が生まれ混乱します そしてピエトロ3世はシチリアで亡くなります

さてここで紋章クイズ! アラゴン王朝の新しい紋章を当てました 
二つの鷲はシュヴァーベンの紋章(Stemma Svevo)が アラゴンの旗(Bandiera aragonese)に描かれているものが正解♪ これは紋章まで注意してみたことがなく とてもためになりました!!


1302年のカルタベッロッタ平和協定(Pace di Caltabellotta)というのは 亡くなったピエトロ3世の息子(アルフォンソ2世とジャコモ1世)が統治するも ジャコモ(Giacomo/ハイメ二世)は土地の権利を教皇ボニファチョ8世(BonifacioⅧ)に献上し(cedere) 代わりにサルデーニャ島とコルシカ島を教皇から譲渡されたのです!!

 ここで休憩(pausa) あっワインなんか出していただいちゃって...(笑)

    *      *      *

休憩後は 難しい歴史の話から離れて お城や絵のお話に移ります💛


第3章 城 I Castelli


← カステル・デル・モンテ(Castel del Monte)

まずはカステル・デル・モンテ フェデリコ2世が建てた八角形のお城で1996年に世界遺産となりました プーリア州アンドリアにあります 
用途は不明で 狩猟用の館かアラビアンスタイルのスパ(hammam)ではないかと言われているそうです
屋根等すべてが八角形(ottagono)で これは円(空)と四角(地上)の中間的な形状とされています
フェデリコ2世は何度もエルサレムの「岩のドーム(Cupola nella roccia)」を訪れており とてもよく似ており フリードリヒ2世の数学へ造詣を表す黄金比を用いた八角形を象徴的に取り入れています

夏至・冬至(solstizio)と昼夜平分時(equinozio)に一定の場所に適格に影が投影されるように設計されており その他様々な不思議な特徴を説明していただきました フェデリコ2世の王冠も八角形とのこと

アンジュー家の城(Castello Angioino)について シュヴァーベンの城を修復して使っていましたが 戦いのための仕様がなされています アンジュー家はもともとフランスからフレミン(fiamminghe)の影響を受けていました

次はナポリ王国(Regno di Napoli)について

ルネサンスのあとはヒューマニズム(umanesimo)が展開してゆき ゴシック・アート(arte gotica)が発展します

アンジュー王朝からアラゴン王朝へと移ってゆき アラゴンの城(Castelli Aragonesi)は戦いがなくなったため城の塔を低くしたのだそうです (アンジュー家の城とは対照的!)

マスキオ・アンジョイーノ城(Maschio Angioino)*は アンジュー家のカルロ1世(Carlo ⅠAngió)が建てて そののち 1443年にアラゴン王アルフォンソ(Alfonzo di Aragona)が ワニの洞窟や夏至(冬至)による光の遊びなどを増築しました

* ナポリのヌオーヴォ城は13世紀に存在したアンジュー家の城として作られましたが、15世紀にアラゴン家によって再建されたため「アンジュー家の城」とも呼ばれています


 第4章 絵画 PITTURA:

アントネッロ・ダ・メッシーナ(1429-1479)のフラマン画の特徴は 4分の3方向を見る姿勢(posizione a tre quarti)ですね 正面でもなく横顔でもなく 精神面を表現しています これについてはのちにクイズで どれがメッシーナの描いた肖像画かを当てるのですが この顔の向きが決めてで全員正解(^^)/

彼はイタリアで初めて油絵具を使ったそうです フラマン絵画から学んだ技法とのこと 『受胎告知のマリア』(シチリア州立美術館)は彼の作品の中で最も有名ですね
Ecce homo(エッケ・ホモ/彼だ)や シチリアのモナリザと言われる「無名の船員(Ritratto dell'ignoto marinaio)」の作品などをご紹介いただきました 
ちなみに「メッシーナ出身のアントネッロ」という意味の名前です ← 「ビンチ村のレオナルド」とおんなじ♪


また 南部のルネッサンスについても少し...

ナポリはハンザ同盟(lega anseatica)に属しており税金が優遇されており 北欧から多くの芸術も入って来ました 
メッシーナの師匠ニッコロ・アントニオ・コラントニオ(Colantonio)等についても説明していただきました 
北ヨーロッパと異なり 教皇や王国の支配により ルネサンスの到来が遅れましたが メッシーナとナポリはハンザ同盟都市のため 芸術は早く入って来ました 

残念なのは 地震(terremoto)によりルネサンスの作品の多くは消滅し ルネサンス末期(l'ultima paete del Rinascimento)のものしか見られないことですね


第5章 ルネサンスの後 Dopo il Rinascimento


ヴァチカンは1870年まで権力を維持していました
シピオーネ・ボルゲーゼ(Scipione Borghese)は 神聖ローマ皇帝カルロ5世(Papa CarloⅤ)の孫(nipote)で 縁故主義(nepotismo)により枢機卿(cardinale)になり そしてヴァチカン大聖堂の司祭長になります
彼こそが ローマにボルゲーゼに屋敷を作り芸術作品のコレクションを集めたのです つまりボルゲーゼ美術館(Galleria Borghese)を作ったというわけですね

ダヴィデ像(ベルニーニ) アポロとダフネ(ベルニーニ) その他の素晴らしい作品を見て セミナーは終わりとなりました!!

あぁ~ローマでなんとしてもボルゲーゼ美術館に行っておくべきだった~(*´Д`)

セミナー開催のお知らせは こちら

素晴らしいセミナーを開催してくださいましたLCI様に心よりお礼申し上げます


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「祝 世界遺産登録 沖ノ島 神宿る海の正倉院」藤原新也写真展に行ってきました(2017.7.21)@日本橋高島屋←8.1(火)まで

2017年07月25日 | イタリア旅行・世界遺産
「祝 世界遺産登録 沖ノ島  神宿る海の正倉院」藤原新也写真展に行ってきました(2017.7.21)@日本橋高島屋←8.1(火)まで


沖ノ島の知られざる島の姿と 国宝の数々を写真で展示 
神宿る海の正倉院 沖ノ島」の写真展を見てきました

カメラマン藤原新也氏は 沖ノ島が世界遺産に登録となった2017年7月9日(日)朝のNHKニュースで紹介されていたのを見たので覚えていたのです

沖ノ島の三の鳥居を過ぎると まるで結界に入ったかのように突然空気が変わる 静寂になり 風がやみ 海の音も聞こえなくなる
それはまるで 地球が誕生した時の 原初の「肺内空気」の一部が その沖津宮の盆地のくぼみに残っているかのようであったと...
そんな「空気」を感じたのは カメラマン人生で 今回が初めてだったと...

 ← 三の鳥居

わずか15分だけ禁足の森に光が入り写真を撮った 古代の人間世界にはこのような「禁忌の時空」がある 

← 沖津宮

五号遺跡は古代祭祀を行っていた巨岩があり 田心姫神(たごりひめのかみ)が祀られている

かつては数年に一度は飢饉があり人々が死ぬ時代だった そのため 海の安全よりは いかに食ってゆくかが祭祀の歴史であったと藤原氏
 
氏からのビデオメッセージは印象深かった 「人間はいまや全能を獲得したかのようだ ウランのような触れてはいけないものを取り出し パンドラの箱を開け 今や滅びの世界に差しかかっている 
古代の人は 感覚で 触れてはならないものを知っていた 禁忌の場所を設定した

沖ノ島は 時間と空間を一切外に出さない場所であり 情報化してはならないもの(個人のプライバシーや内なる思い)までもネットで瞬時に外にさらす今の社会に対峙しているかのようだ 
沖ノ島は 「禁忌の思想」を取り戻すため 現代社会と対峙し 示唆しているのだ」と...

また今回は 沖ノ島に祀られる田心姫神をビジュアル化する試みをしたという 

苔むした渡り石 参道 宝物の数々 命がけで撮った荒れた海の写真等... 沖ノ島は断崖絶壁で 海も荒れていることが多いという 

写真展: 2017年7月19日(木)~8月1日(火) 於 日本橋高島屋8階

詳しくは こちら


沖ノ島についてイタリア語で話す」は こちら






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ドイツ語圏文化セミナー「旧東ドイツの世界遺産/Weltkulturerbe」+「ドイツってどんな国?」を受けてきました(2017.3.24)@(財)日独協会

2017年07月21日 | ドイツ語・独検
ドイツ語圏文化セミナー「私は東ドイツに生まれた: 旧東ドイツの世界遺産/Weltkulturerbe」+「ドイツってどんな国?」を受けてきました(2017.3.24)@(財)日独協会
 


今年はドイツでは「ルター宗教改革500周年記念行事」が目白押しです!!グリムの町カッセルでは5年に一度の世界的現代美術展ドクメンタ(~9/17)が ベルリンでは10年に一度の国際園芸博覧会(~10/15)が 歴史古都ミュンスターでは 10年に一度の現代彫刻展(~10/1)が開催されています

ということもあって 私が実は若い頃在籍していた日独協会の講演会に時々行ってますが 今回は旧東ドイツ出身のリースナー先生によるセミナー「私は東ドイツに生まれた: 世界遺産/Weltkulturerbe」を受けてきました!

ついでにその後の留学セミナー「ドイツってどんな国?」も無料だったので(笑)参加しましたが 世界遺産セミナー(上級)の方は長年ドイツ語を学んだりドイツに住んでいた年齢も高めの人がメインでしたが こちらの留学セミナーの方は 「これからドイツ語を学ぼう 留学しよう!」と考えている若い方たちが大勢いらしてました♡


「旧東ドイツの世界遺産」:


ドイツには41の世界遺産(文化遺産38 自然遺産3)があり 世界では第5位 です
* このあと2017年7月に1件追加され 42件となりました! 詳しくは こちら

旧東ドイツ時代はあまり世界遺産は顧みられず(UNESCOに拠出金を払っていなかったこともあり) 旧東ドイツ時代 特に70年代はあまり「観光」は国の政策としては重要視されていなかったことも関係して登録された世界遺産はなく 1989年にユネスコに加盟(壁崩壊の年ですね) 1990年のドイツ統一後に世界遺産登録がようやく始まり 計12ヶ所が登録されました

この他に2004年に登録されたドレスデン・エルベの谷の文化的風景/Kulturlandschaft Dresdner Erbtalが (住民の生活のための)Waldschlößchenbrücke(橋)の建設により 2009年に世界遺産リストから抹消されました

詳しくは こちら


ドイツでは2005年より毎年7月の第一日曜日が「ユネスコ世界遺産の日/UNESCO-Welterbetag」として さまざまな催し物が開催されます

旧東ドイツで最初に登録された世界遺産は 
Nr.17 ポツダムとベルリンの宮廷群と公園群/Schlösser und Parks von Patsdam und Berlin (1990年)
です (ドイツ統一の年ですね)

このセミナーではその他にも

Nr. 18 ワルトブルク城/Wartburg (1999)

Nr. 33 アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルター記念建造物群/Luthergedenkstätten in Eisleben und Wittenberg (1996)

Nr. 34 ワイマールとデッサウのバウハウスと その関連遺産群/Bauhaus und seine Stätten in Weimar und Dessau(1996)

Nr. 35 古典主義の都ヴァイマール/Klassisches Weimar (1998)が取り上げられました

順番に取り上げます:


Nr.17 ポツダムとベルリンの宮廷群と公園群/Schlösser und Parks von Patsdam und Berlin (1990年):


フリードリヒⅡ世の夏の別荘(Sommerhaus) ロシアのSoldatenchor(兵士のコーラス) ポツダムのロシアコロニーは珍しいそうです 

じゃがいものない頃は飢饉(Hungersnot)になりましたが フリードリヒⅡ世はじゃがいもの栽培を広めてGetreidefelde(穀物畑)が増え 天気にかかわらず収穫できるようになり 今でもフリードリヒⅡ世の墓の上には感謝のじゃがいもが捧げられるそうで じゃがいも祭り(Kartoffenfeste)も行われます
ツェツィーリエンホーフ宮殿(Schloss Cecilienhof)ではトルーマン等が集まり ポツダム会談が開かれました 1945年にソ連赤軍によって占領されました ロシアの占領の印でもある☆の形の植え込みがあります
 


詳しくは こちら



Nr.35 古典主義の都ワイマール/Klassisches Weimar (1998)


テューリンゲン(Türingen)州ワイマール(Weimar)は なんといっても ゲーテ シラー ヘルダー等で有名ですね 
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公エルンスト・アウグスト2世の妃アンナ・アマーリア/Anna Amalia(1739-1807)は彼らをワイマールに招へいしました

その息子の公爵(Herzog)カール・アウグスト/Carl August(1757-1828)は 1816年に初の州の憲法(landesständische Verfassung)を制定し 報道の自由 意見の自由を保障しました: Als erstes deutsches Land erhielt Sachsen-Weimar-Eisenach 1816 eine landesständische Verfassung, die u. a. seinen Untertanen Pressefreiheit und das Recht der freien Meinungsäußerung gewährte.

ゲーテ/Goethe(1747-1832)とシラー/Schiller(1759-1805)は互いに良きライバルであり親友 墓も隣り合わせで 二人の像が建てられています(写真)
ゲーテの家もありますが シラーの家はゲーテと違って自分で買ったとのこと(買った3年後に死去...)
2人はドイツ文学におけるワイマール古典主義時代を確立してゆきました

 ゲーテとシラーの像

かたや作家のヴィーラント/Wieland(1733-1813)は  カール・アウグスト公爵の家庭教師を務めており ゲーテより年長で ゲーテからも尊敬されていました
またゲーテはアウグスト公からも兄のように慕われ 王妃からの信頼も厚かったとのこと


ヘルダー
/Herder(1744-1803)は彼らよりも遠い存在で ギムナジウムの校長(Leiter)で文部省の役人なども務めました ヘルダーの泉 ヘルダーの像 ヘルダー教会  などもあります 

詳しくは こちら




Nr. 33 アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルター記念建造物群/Luthergedenkstätten in Eisleben und Wittenberg (1996
)


M.ルター/
Martin Luther(1483-1546)が1517年10月31日に「95カ条の論題/95 Thesen)」を門扉に貼り出したシュロス教会/Schlosskircheがあります

この文書が突如として宗教改革を引き起こし カトリックとプロテスタントを分裂させた端緒になったというイメージは今も一般的で 10月31日は「宗教改革記念日/Reformationstag」となっています

1983年ルター生誕500年の年には記念切手が両ドイツで発行されました ルターの生家(火事で焼けたあと2007年に修復) 亡くなった家もあります
ルターについて ルターハウス(Lutherhaus)について詳しくお話してくださいました 

ルターは宗教改革の中心人物となったことでプロテスタント教会の源流を作りました
聖書をキリスト教の唯一の源泉にしようというルターの呼びかけは プロテスタント諸教会のみならず 対抗改革を呼び起こしたという意味でカトリック教会にも大きな影響を与えました

ルターの友人の哲学者 メランヒトン(Melanchthon)の家もあります 彼はルターとは違って病気がちでやせており ルターは心配して妻帯させたそうです(長生きするようにと)

詳しくは こちら



Nr. 18 ワルトブルク城/Wartburg (1999)


ドイツでもっとも有名な城・城塞(Burg)が ワイマールにあるワルトブルク城です タンホイザーの舞台でもありました

ルートヴィヒ4世の妃としてハンガリーから輿入れした王女エリザベート(1207-1231)は 高貴な身分でありながら質素な生活を旨とし 病院を建設して貧しい人々や病人の救済に当たり 若くして亡くなりました 
その行いをドイツの人々は深く尊敬し 彼女は1235年に 聖エリザベート/ Heilige Elisabeth(1190-1216)となりました 

聖エリザベートのケメナテ(Kemenate)という婦人の部屋もあります(Kamin/暖炉の語源となった)

またこの城には ルターが聖書を書いた部屋もあります

1517年にM.ルターが「95カ条の論題」を書いた300年を記念して 1817年に学生の祭りが行われましたが 当時の大学生(Studente)の1割が参加したそうで その数は450人 つまり当時の大学生は4500人ってわけです!
ちなみに今年2017年はルターの宗教改革500年記念(Jubiläum)ですね!

詳しくは こちら



Nr. 34 ワイマールとデッサウのバウハウスと その関連遺産群/Bauhaus und seine Stätten in Weimar und Dessau(1996)


バウハウスとは 1919年にヴァイマルに設立された工芸・写真・デザイン等の美術と建築に関する総合的な教育を行った学校です
そのバウハウス(Bauhaus)を創立したW.グロピウス(Gropius)は左派であり 資金難に苦しみ のちにナチスから迫害され 1925年に ワイマールからデッサウに移転します 

学校として存在し得たのはナチスにより1933年に閉校されるまでのわずか14年間であるが、その活動は現代美術に大きな影響を与えました

屋根にはガラスが張られ 太陽の光が入り明るいアトリエですね 柱がない また職員室はすべての先生の部屋から外(森)に出られるようになっています  

詳しくは こちら

   *      *      *


家でドイツのすべての世界遺産についてすっかり読んでおいたので とっさに何について話しているかわかり 自分の資料もチラチラ見ながら話を聞きました♪

さらに 帰り道に本屋さんで 3/18に出版されたばかりの世界遺産検定の3級テキスト問題集(最新版)を買って早速読んだら 先ほどのセミナーで取り上げられていた世界遺産が載っていました♡ かなり詳しく紹介してくれたので テキストの文の間からじわりと伝わるものがあり嬉しかった~ 
やっぱりただテキスト読むだけではなかなか定着しないので こうして写真と説明を聞きながら 辞書引き引き苦労して読むと 記憶に残りますね!!

ちなみに 1983年ルターの生誕500年の記念祭(Jubiläum)の年であり 東ドイツ政府では教会は敵であり保護されていなかったものの この時ばかりはルターハウスなども修復され始めたそうです
外国から人が来た時に荒れたままだと 貧しい国というイメージを持たれてしまうためとのこと


ドイツ初の世界遺産: アーヘン大聖堂/Aachener Dom (1978)は こちら

ドイツで2016年に認定された世界遺産: ヴァイセンホフ=ジードルングの住宅群
(ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-)
Das architektonische Werk Le Corbusiers – Zwei Häuser der Weißenhofsiedlung in Stuttgart(2016)
は こちら ← 日本でも国立西洋美術館が認定されましたね♡

2017年に42番目に登録なった文化遺産は 「シュヴァーベン・ジュラにおける洞窟群と氷河時代の芸術(Caves and Ice Age Art in the Swabian Jura)」です!!


参考にしたサイト:
UNESCOの世界遺産リスト は こちら
 これで地図を印刷して 説明してある世界遺産をひとつひとつ印をつけてゆきました

ドイツの世界遺産(Wikipedia)は こちら


「ドイツの世界遺産」は こちら
 ひとつひとつの世界遺産について丁寧に写真と解説がついているので 上の世界遺産のドイツ語に日本語名を書いて 特徴をメモしてゆきました
ちなみに 上の記事のNr.はここにある番号です

旧東ドイツの世界遺産セミナーのお知らせは こちら


第2弾開催決定!! 2017年8月1日(火)午後です

詳しくは こちら


     *     *     *


後半の留学セミナー「ドイツってどんな国?」は 若者向けのドイツの簡単な日本語での紹介とクイズでした♪ 
何歳からビールが飲めるか? クリスマスについて 大みそかやイースターについて 脱原発クイズ(!)←ドイツ人の4/3が脱原発に賛成とのこと ドイツの今の政治のこと(9月の総選挙が注目!!) スポーツ(サッカー) そして 最後はソーセージのことわざ(Sprichwörter) でした♡

Es geht um die Wurst! 一世一代の大事だ!
Das ist mir Wurst! 全くどうでもいい! (意味が真逆ですね~)
Die beleidigte Leberwurst spielen ちょっとしたことで機嫌を悪くする
Eine Extrawurst braten 特別扱いする

しかし若いドイツ人の方々はホント 日本語が上手な方が増えましたね~(*^^*)

留学セミナーのお知らせは こちら

ひさびさの日独協会のセミナー 本当に楽しめました ありがとうございました
 
追記: このあと 著者の鎌田タベアさんのサイン入りの「日本人が知りたい ドイツ人の当たり前」(三修社)というドイツ語リーディングの本を楽しく読ませていただきました♪ するとこの本の中に この「ドイツってどんな国?」で出たクイズの答えがいくつか見つかりました!(^^)! ← 先に読んどけばよかったかも?!

写真は Nr.18 ワルトブルク城



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2017イタリア・ボローニャ国際絵本原画展に行きガブリエレ・レバリアーティ氏の「フュージョン絵本の制作過程」の講演会を聞きました(2917.7.8)@板橋区立美術館

2017年07月17日 | イタリアの本・絵本・雑誌
2017イタリア・ボローニャ国際絵本原画展に行きガブリエレ・レバリアーティ氏の「フュージョン絵本の制作過程」の講演会を聞きました(2917.7.8)@板橋区立美術館



暑い中 今年もまた行ってきましたボローニャ絵本原画展!

各国の原画の展示を見る時は さまざまな手法があるので頭に入れておくとよいかも! 混合手法では それこそ立体的なパッチワークのようなものまであり また パソコンでここまでできるのか!というものまであり 実にさまざまですね~ それぞれのお国柄も出ており 毎年まったりと楽しんでいます(#^.^#) 

特別展示のメキシコの絵本作家ファン・パロミノ(Juan Palomino)がすごかった 新作絵本「はじまりの前に(Antes del primer dia)」は マヤ民族の15世紀の神話「ポポル・ヴフ(Popol VUH)」という創世神話をもとに描かれた絵本です
神は泥で人間を創り失敗し 次に木で作ると心がなく 最後にトウモロコシで作ると神のように聡明なので その目を曇らせて近くしか見えないようにしたという口承説話をもとに描かれた素晴らしい絵本でした 

 ← 今年のチケット💛


次に 絵本作家でありイタリア語講師でもある ガブリエレ・レバリアーティ(Gabriele Rebagliati)氏の「イタリア人と日本人、絵本をどう料理する? - フュージョン絵本の制作過程」の講演会を聞きました 会場にはたくさんのイタリア語を話す女性たちが来ていて 生徒さんかなぁ? ←私も少し話しました♪


彼は日本語堪能で この日の講演は「書き言葉」(il giapponese scritto)の実に流暢な日本語でした リグーリア州のStella(星)という小さな街の自宅の庭に日本の柿の木が植えてあったことから始まる日本との出会い… 

日本のアニメの最後にいつも必ず「つづく」と映るのに興味を持ち始め…といった個人的な日本との出会い そして日本でキンダーサプライズのチョコのおまけのデザインの仕事を始めてから やがて絵本作家フィリップ・ジョルダーノ(Philip Giordano)と出会い コラボをするようになり…様々な彼の作品についてもご紹介いただき 特にイタリア語絵本の和訳朗読の流れるような文にほれぼれ…絵本ってホントに「日本語」になってないといけないんだなぁと感じました

ロディとほしたち」(Rody tra le stelle) これが二人のコラボ作品です 誕生日プレゼントのロディ(おもちゃの馬)が動きだし、ルーカとサラの兄妹を月への冒険に誘う、未就学児童読み聞かせ絵本です


また 幼い頃家族で遊んだジロットの別荘の切ない思い出... 日本と ファンタジーの物語を自分に教えてくれた冒険心に溢れた祖母の思い出... 小学校一年生の時はクラスで自分一人しか生徒がいなくて...といった幼い頃の体験など 心打たれました 

イタリア人の作家が日本で暮らし 日本人のイラストレーターたちとコラボした絵本を フランスの出版社が出すという 国境を軽々と超えた人と人との繋がりに その出会いがこの板橋のボローニャ国際絵本原画展が開催された板橋区立美術館だということが不思議な位です… 館長が「へんぴな場所だからこそ たどり着くまでの時間を共有することで知り合えるのかも」との言葉に私も同じ経験をしてナットク!!

 ← 美術館にある旗には「永遠の穴場」と(笑)

8月13日(日)まで板橋区立美術館にて開催中です
休 館 日:月曜日(7月17日は祝日のため開館し、翌日休館)

詳しくは こちら


* 来年は 板橋区立美術館は一年通しての改修工事のため 縮小開催となるそうです

* 遠方からお越しの方は 成増アートギャラリー(成増駅すぐ)で8.5~8.13まで「第25回ボローニャブックフェアinいたばし 世界の絵本展」が開催されますのでハシゴができます!(^^)!

* Windows10がバージョンアップしたら字体が変わったみたい...? この暑いのに連日イタリア語で文を書き続けています 夢中で暑さをあまり感じない( `ー´)ノ ←いや 年のせいかも...(笑)



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当サークルの主催企画「第1回 世界遺産入門講座 - 日本とイタリアの世界遺産 -」開催リポート(2017.7.2)@日伊文化交流会

2017年07月14日 | 活動の報告
当サークルの主催企画「第1回 世界遺産入門講座 - 日本とイタリアの世界遺産 -」開催リポート(2017.7.2)@日伊文化交流会



一年がかりで準備を進めてきました当サークルの「第1回 世界遺産入門講座 - 日本とイタリアの世界遺産 -」が無事終了しました
22名と多くの方にご参加いただき 世界遺産検定公式テキスト2級(旧版)と 「イタリア好き」VOL.29チレント特集まで参加者全員にプレゼント♪ また レジュメの他にも 和食や地中海ダイエットについて 協同組合が無形文化遺産に登録されましたというチラシ等も配らせていただきました 
 ← 配布資料

 ← 「ご自由にお取りください」コーナーも充実♪

クイズを交えて 80枚を超えるパワーポイントを使っての講座では 「世界遺産ってなに?」を楽しく学ぶ「世界遺産楽(がく)」  自分で調べる時に知っていると役に立つコツ 世界遺産はどうして選ばれるのか+裏話をちょこっと(笑) なぜ富士山は自然遺産じゃなくて文化遺産なの?

今年の第41回世界遺産委員会は2017年7月2日からポーランドのクラクフで開催され 29件が審議されます 沖ノ島がどうなるか... 来年の長崎の教会群は...イタリアの世界遺産はどうなるか... ナポリピッツァの無形文化遺産への登録は? などなど

欧州は石の文化 日本は木の文化 アフリカは泥の文化ということ 暫定リストや無形文化遺産について 和食や地中海ダイエット 申請を取り下げる理由 今は産業遺産が増えている理由 イタリアの世界遺産51のグループ分け(全部覚えるのは大変なのでグループ分けすれば覚えやすい!)

終了後はメンバーでサークル結成10周年の打ち上げをやりました♡ 昔の写真(ベリッシモ先生を囲んで)を見たり いろんな話をしました 皆様のご協力あって今まで続けられました!!

今 イタリアの世界遺産の数は51で世界一ですが (世界で1052件) 2017年7月の世界遺産委員会の決定を受けて 2位の中国と数が並んでしまうかも? 来年はどうなるか...ハラハラ(ーー;) 毎年2件まで申請可能ですが うち1件は「自然遺産」でないといけない決まりがあります なので自然遺産に恵まれている中国が今増えているわけですね~

      *     *     *


以下は 講座のまとめです:

世界遺産というと、日本で人気のあるのは 「マチュピチュ アンコールワット モンサンミッシェル そしてベネツィア」とのこと。ただし、ヴェネツィアについては、イタリア好きな講師の個人的な見解ですが。

そして、富士山は世界遺産条約が採択されて20年目の2013年にようやく世界遺産に登録されたものの、なぜか自然遺産ではなく、文化遺産

最近は、富岡製糸場や軍艦島のような産業遺産が増えているのはなぜ?

そんな疑問を解決するべく、『世界遺産ってなーに?』をテーマに世界遺産の基礎知識を学びました。


世界遺産をひとことでいうと? 「未来に遺さなければならない人類共通の宝物」、つまり人類共通の遺産です。
具体的には、世界遺産条約に基づく国際会議(世界遺産委員会)を通じて「世界遺産リスト」に記載された『顕著な普遍的価値』を持つ文化財や遺跡、自然環境などを指し、文化遺産 自然遺産 複合遺産の3つに分類されています

この「世界遺産」という発想の原点は、「アテネ憲章」(1931年に採択された「歴史的記念建造物の修復のためのアテネ憲章」) にあり、当初は歴史的建築物の保護・保全を目的としたものでした。
2016年に登録された国立西洋美術館の設計者ル・コルビュジエもこの国際条約の実現に尽力した建築家のひとりでした。

そして 第二次世界大戦終戦の翌年1946年に、諸国民の教育、科学、文化の協力と交流を通じて、国際平和の維持と人類の福祉の促進を目的とする国際組織としてユネスコ(United Nations Educational Scientific and Cultural Organizaion/国際連合教育科学文化機関)が国連機関の一つとして設立されました。

ユネスコは、1972年、パリの本部で開かれた第17回ユネスコ総会で、貴重な文化財や自然環境を、世界遺産として登録保護し、国際協力によって保全することを目的とする「世界遺産条約」を採択し、世界の文化財や自然環境の保護・保全活動に着手しました。

 ← ユネスコ憲章(前文)

ユネスコ憲章(前文): 「戦争は人間と人種の不平等から生まれるものであり、相互の風習と生活を知らないことがその原因となった。戦争は人の心の中で生まれるものだから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」と記されており、「諸国間の交流を通じて、文化の多様性を理解し合い 国際協力を促し 世界平和を構築すること」というユネスコの基本精神を究極の目的とする世界遺産という概念が導入されました。

この世界遺産条約誕生の大きなきっかけになったのが、世界の50数ヶ国が協力して、アスワン・ハイ・ダムの建設(1959年)による水没の危機から「アブ・シンベル神殿」を救ったことでした。

因みに、 ユネスコには、現在、195カ国が加盟しており、そのうちの191カ国が「世界遺産条約」を締結しています。


それでは、『世界遺産条約を最初に締結した国はどこか? 』

歴史的な建築物が多く存在するヨーロッパの国ではなく、1973年に締結したアメリカでした。
アメリカは自然の保護に尽力していた国であり、その100年も前(1872年)に 世界で最初の「国立公園」という制度をつくった国なのだそうです。

文化財の保護に熱心であったヨーロッパの国々と 自然の保護に熱心であったアメリカがいっしょになって世界遺産という制度をスタートさせました。
だから、世界遺産は文化遺産と自然遺産の二本立てとなったという経緯があるそうです。

そして、1978年に イエローストーン国立公園(米)をはじめとする12件が 初めて世界遺産に登録されました。

注目してほしいのは、この中にセネガル(アフリカ)の「ゴレ島」という奴隷貿易が行われた地が登録されていることです。
それは、人類が行ってきた輝かしい記憶だけではなく、人類にとって二度と行ってはいけないことを記憶に遺すという負の遺産という概念を取り込んでいたことです。
例えば、日本の世界遺産である「広島の原爆ドーム」もこの負の遺産のジャンルに属しています。

そして2017年の今は、世界遺産は1,052件となりました。(2017年の世界遺産委員会で21件が誕生し、今日現在は1,073件

さて 世界遺産に登録されるためには、申請国が世界遺産条約を締結していることを前提に、 暫定リストに記載、保有国が自薦不動産であること、保有国の国内法で保護していることが絶対条件であり、さらに世界遺産委員会が制定している登録基準(10項目)を満たす(1つ以上)ことが必要です。 ← Wikipedia等で世界遺産について調べる時に この10項目(i~x)を知っていると違いますョ!


 ← 日本の世界遺産

さてここで世界遺産クイズです♡ ←けっこう皆さんよくご存じでした(-_-)/ ←景品はじゃんけんで♪
   ← クイズです! この中でどれが世界遺産?


条約締結国は、あらかじめ「暫定リスト」に候補物件を登録し、毎年2月1日にこの暫定リストに掲載している候補物件の中から翌年に審議してほしい物件をユネスコに推薦します。

そして、翌年の世界遺産委員会までの期間に専門家集団(文化遺産はICOMOS、自然遺産はIUCN)が現地調査、推薦内容の確認を行い、その調査結果に基づいて世界遺産委員会(7月)で審議されます。

時々、世界遺産委員会直前に推薦した物件を取り下げるケースが散見されます。
これは、世界遺産委員会で、審議結果が登録不可となると再度申請できないため 当概政府が大事を取って事前に「取り下げる」場合もあるらしいです。 
日本では2013年の「鎌倉」、そして2016年の「長崎の教会群」の2回、推薦を取り下げたことがあったとのことでした。 

それでは、富士山は、なぜ自然遺産ではないのかという件ですが、自然遺産に関する登録基準(4項目)をクリアできないために 自然遺産への登録を諦めたという経緯があります。
私たち日本人にとっては、富士山の美しさは格別なのですが、残念ながら、富士山のような成層火山は世界に多くあり、カムチャツカ等には、より規模の大きい、そして美しい成層火山があるなど、自然美だけでの富士山の自然遺産への登録は難しい状況にあったからです。
このため、日本政府は、ある時期から富士山の文化的価値に着眼して文化遺産への登録を進めてきました。

2017年に審議される「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群」は、古墳時代前期中頃(4世紀後半)から、平安時代(9世紀末)までの五百数十年にわたって、国家的祭祀が行われていた「神宿る島」であり、島全体がご神体であり女人禁制となっており、男でも、祭り(5月27日)の時に、禊ぎといって海中で体を清めた限られた人たちが上陸できるだけで、普段は島の神職者しか上陸できません。このために 対岸の福岡側にある神社から「遥拝(ようはい)」をします。(その後、世界遺産に登録が決定しました。) 

そして、来年、2018年は、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が審議される予定です。
この物件は、当初2015年に審議されるべく推薦されていたのですが、急遽、「明治日本の産業遺産群革命遺産」に変更されまして(裏話が...)、来年の登録を目指しています。  ← この話題で盛り上がった♪

また最近、「富岡製糸場」や「明治日本の産業遺産群革命遺産」のような「産業遺産」が日本だけではなく、世界的に増えているのはなぜ? これは、世界遺産登録が、ヨーロッパの歴史的建築物に集中する傾向がどうしてもあるため 比較的新しいものの、人類の生活環境の向上め改善に寄与した産業施設などの登録を推進している「グローバル・ストラテジー(世界戦略)」に基づいているものです。

一方で、広域にまたがる同じ価値の物件を登録する「シリアル・ノミネーション(serial nomination)」、国境を越えて複数の国々が保有する遺産「トランスバウンダリー・サイト(transboundary site)」の考え方をユネスコは推奨しており、上野の国立西洋美術館は、この考え方に基づいて登録されたル・コルビュジエの建築物群のひとつでした。
 ← ル・コルビュジエ


     *     *     *

イタリアの世界遺産 ← やっと(笑)


イタリアの51の世界遺産(文化47,自然4)をグループ分けしてみると: 古代ローマ以前の遺跡(ヌラーゲ、アグリジェント他)←パエストゥムにあるチレントディァーノ渓谷国立公園がおススメ!  ローマ帝国時代の遺跡(ローマ、ポンペイ等) 中世イタリア/都市国家とシチリア王国(シエナ、アッシジ、ヴェローナ、カステル・デル・モンテ等...) ルネサンス関連(フィレンツェ、ミラノ、ウルビーノ等) そして自然遺産(エオリア諸島、ドロミテ、エトナ山等)←ドロミテの松がヴェネツィアの潟に埋められているとのこと
 ← これなら覚えやすい!! 講師自らの案とのことですが これを知っただけでも講座開いてよかった~(笑)

ヴェネツィアは、「文化遺産」の代表。それと泰山 莫高窟(ばっこうくつ) この3つが文化遺産の6つの項目をすべて備えているとのこと。

そして、これから注目してほしいイタリアの世界遺産は、世界中で、宗教の対立、民族の対立が見られる今日、異教徒、異民族が共存していた世界として意味深い物件、「パレルモのアラブ=ノルマン様式建造物群およびチェファル大聖堂、モンレアーレ大聖堂」

そのシチリア王国の遺産であるカステル・デル・モンテ、そしてこれを作ったフェデリコ2世についても色々お話いただきました ←来年の第2回ではもっと詳しく♡

← カステル・デル・モンテ

  *     *     *

2017年7月の世界遺産委員会で審議予定なのは「15~17世紀におけるベネチアの防衛施設」(イタリア・クロアチア・モンテネグロ)です。(無事登録されました。)

イタリアのイブレーア/(ミラノの北のオリベッティの工場のある町)は 取り下げたそうです 


シーラ国立公園(
Parco Nazionale della Sila-Sila,gran bosco d'Italia)は辞退 

 
あとは「カルパチア山地とヨーロッパ他地域のブナ原生林(Primeval Beech Forests of the Carpathians and Other Regions of Europe)」がイタリアにまで範囲拡大を審議とのことですが...? (無事、承認されました。)

そして無形文化遺産登録を目指す「ナポリピッツァ」!! ←私もACCI GUSTOで署名しました~♡ 


 ← ナポリピッツァの登録は!?

日本の世界遺産は こちら

イタリアの世界遺産は こちら

「和食が無形文化遺産に登録」 については こちら

「地中海ダイエット等の食文化が無形文化遺産に登録」は こちら



最後の閉会の挨拶では 語学ばかりでふと日本について説明ができない自分に気づき 世界遺産を知り 開かずの扉が開いたという私のエピソードを語り 無事閉会となりました!!

  ← 挨拶の司会と講師

続きはまた来年2回目の「第2回世界遺産入門講座 - 日本とイタリアの世界遺産 -」で!! 7月初旬開催の世界遺産委員会の結果を受けて 7月22日(日)に開催予定です(^^)/ ← イタリア政府観光局の「イタリアの世界遺産」パンフをプレゼント♪

第1回世界遺産入門講座 - 日本とイタリアの世界遺産 -」 開催のお知らせは こちら


サークルの主催企画を補助していただきました東都生協様に心よりお礼申し上げます。



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新しく登録された日本の21番めの世界遺産: 「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群」@2017年7月&沖ノ島についてイタリア語で話す

2017年07月10日 | イタリア旅行・世界遺産
新しく登録された日本の21番めの世界遺産: 「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群」@2017年7月第41回世界遺産委員会&沖ノ島についてイタリア語で話す



2017年7月2日(日)~12日(水)までポーランドのクラクフで開催されている第41回世界遺産委員会で 新しく21番目の世界遺産が登録されました!!

神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群/Sacred Island of Okinoshima and Associated Sites in the Munakata Region(日本)の登録が決定されました(2017.7.9)

沖ノ島は「海の正倉院」とも呼ばれる多彩な出土品を擁する祭祀遺跡を持つ島で いまなお宗像大社の神域です
推薦は沖ノ島のほか 宗像市・福津市内の関連資産も含んでいましたが ICOMOSは沖ノ島と近隣3岩礁のみに対して「登録」を勧告し 名称を「『神宿る島』沖ノ島」とすべきことも求めました

そして2017年7月9日(日) ポーランドのクラクフで開かれている国連教育科学文化機関(ユネスコ)の第41回世界遺産委員会は 福岡県の「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」を世界文化遺産に登録することを決めました
ユネスコの諮問機関ICOMOS*は 日本政府が推薦した構成資産8件のうち4件を除外するよう勧告しましたが 逆転で一括登録が認められました

これで国内の世界遺産は文化遺産17件 自然遺産4件の 計21件となります

* ICOMOS= 国際記念物遺跡会議(International Council on Monuments and Sites)

 ← 申請時はこれだけあったのが...

← こんなに減る勧告がされてしまいました!!ガーン( ゚Д゚)

で 結局 一発逆転で一括登録となったのです(^.^)/~~~
いろんな国の代表の方たちが一括登録を望む発言をしてくださったというニュースを見て 嬉しかったです 


ニュースは こちら


島全体がご神体であり女人禁制 男でも祭り(5月27日)以外では 神職者しか上陸できません なので対岸から「遥拝(ようはい)」します

年1回5月27日沖津宮現地大祭で男性約200人が入る以外は 一般の立ち入りは禁じられ 女人禁制も守られます これらの伝統について宗像大社は「世界遺産になってもスタンスは変わらない 長い間伝統を守ってきたからこそ島の神秘性が保たれた」としている (毎日新聞2017.5.6)

沖ノ島については こちら   

   *      *       *


沖ノ島についてイタリア語で話す


Okinoshima(isola)

L'isola di Okinoshima(沖ノ島), fa parte della città di Munakata(宗像) della prfettura di Fukuoka, Giappone.

Essa è considerata terra sacra(聖地) dal locale Munakata Taisha(宗像大社).

La popolazione dell'isola consiste di (~で成り立つ) un singolo impiegato del tempio; l'intera isola è considerata un kami dello shinto, ed è interdette (~に入るのを禁じる) alle donne.(女人禁制)

Nel 2009, l'isola è stata proposta per l'iscrizione (登録) nella lista del Patrimonio dell'Umanità (人類遺産) UNESCO, come parte della candidatura seriale (シリアル・ノミネーション) sull'Isola di Okinoshima (沖ノ島) e i siti correlati (関連づけた) nella regione di Munakata(宗像).

* 広域にまたがる同じ価値の物件を登録する「シリアル・ノミネーション(serial nomination)」という考え方


intatto = 手つかずの


- L’intera isola è considerata un kami dello shinto. 島自体がご神体と考えられている

- La piccola e remota (はるかかなたの) isola giapponese ospita un tesoro di circa 80 mila offerte (約8万点の奉納品) agli dei Shinto, che vanno dalle perline alle spade fino agli specchi (銅鏡や武具、装身具).
 
- Cosidetto “la casa del tesoro (正倉院) del mare”. いわゆる「海の正倉院」

- La popolazione dell'isola consiste di (~で成り立つ) un singolo impiegato del tempio “il Grande Sacrario di Munakata Taisha (「宗像大社」) 

島の人口はただ一人の「宗像大社」の神職1名のみ。

- È vietata (禁じる) alle donne.(女人禁制)
現在でも女人禁制とである。

- Il visitatore maschio deve prima essere coinvolto nella purificazione (清め) con una cerimonia formale in cui viene denudato (裸になる).

男性であっても上陸前には禊(みそぎ)*を行なわなければならない。
  *(みそぎ) = abluzione dello Shintoismo


- Solo circa 200 uomini, estratti a sorte (くじで選ばれた) tra i numerosi richiedenti (志願者), possono arrivare sull’isola per un solo giorno all’anno. Per l’esattezza il 27 maggio (正確に言うと5月27日), celebrazione annuale della battaglia del mare del Giappone avvenuta nel 1905 (大祭).
年1回5月27日沖津宮現地大祭(明治38年5月27日の日本海海戦を顕彰するための祭り/沖ノ島は海の安全を司る島であるため)で 多くの志願者たちから くじで選ばれた男性約200人が入ることができるのみ。

* 2018年からは 世界遺産登録のため厳しくなり この祭りは中止となるそうです
ニュースは こちら

参考: wikipedia, 月刊なるほドリ 2017年6月号「沖ノ島つてどんな島?」、他 

"Giappone: Okinoshima, l'isola sacra vietata alle donne"(2017/6/9)
は こちら


「Okinoshima: l’isola sacra patrimonio dell’Unesco, ma vietata alle donne」(corriere.it)は こちら


* 日本橋高島屋で「沖ノ島 神宿る島の正倉院」(撮影 藤原新也)開催中! 2017.7.19~8.1
詳しくは こちら

*写真は 当サークルの「第1回世界遺産入門講座」(7/2)で使用したパワーポイントの写真です ← 後日そのリポートも掲載します!(^^)!



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ティツィアーナ先生のベネチアンマスク講座が開催されます(2017.7.30)@スタジオサカミ

2017年07月09日 | イタリア製品
ティツィアーナ先生のベネチアンマスク講座が開催されます(2017.7.30)@スタジオサカミ


てのひらサイズの「ベネチアンマスク」を作ります!

イタリア人講師 ティツィアーナ氏をお迎えし、オリジナルのベネチアンマスクを制作します。
遠いベネチアに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
2種類の内1種類を選び、絵具での彩色やビーズ、リボンなどのデコレーションで仕上げましょう!
掌におさまる、かわいいサイズのマスクです(#^.^#)

日時: 2017年7月30日 (日)     
① 11:00~13:00   ② 14:00~16:00
価格: ¥4,000 + TAX
講師:ティツィアーナ・サンタニエッロ 氏
場所: スタジオサカミ

皆様ぜひお誘いあわせの上お申し込みください。
(中学生以上の方からご参加いただけます。)
お申込みは スタジオサカミまで。facebookからもお申込みいただけます。

  *      *      *

当サークルでスケッチ講座等を長年担当されていらしたティツィアーナ先生のベネチアンミニマスク講座が はじめて御徒町スタジオサカミで開催されます♡ さらにスタイリッシュになりました(^^)/

春にサークルの皆でヴェネツィアンビーズを作りにみんなでスタジオサカミに行きました♪
リポートは こちら

手のひらサイズのミニマスク作り ぜひ体験してください!!

講座は こちら


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『協同組合』がユネスコの無形文化遺産に登録されました(2016.11.30)&「協同組合ってなに?ユネスコ無形文化遺産登録から考える」に参加しました(2017.6.9)@東都生協

2017年07月07日 | 東都生協関連・海外の生協
協同組合』がユネスコの無形文化遺産に登録されました(2016.11.30)&「協同組合ってなに?ユネスコ無形文化遺産登録から考える」に参加しました(2017.6.9)@東都生協


『協同組合』がユネスコの無形文化遺産に登録されたことを どれくらいの人が知っているでしょうか?

私は世界遺産検定を今年から受け始めたばかりなので 実は殆ど知りませんでした...というのも 日本からではなくドイツから申請が出されたから 報道も少なかったのですね!!でも この日の東都生協学習会に参加された方たちの約半数が知っていらっしゃいました スゴイ!!

というわけで 日本の協同組合の父と言われる賀川豊彦氏の記念館である 賀川豊彦記念松沢資料館の理事長である 加山久夫氏による東都生協学習会に参加してきました:

社会運動家 賀川豊彦氏(1888~1960)は労働者や農民の困窮した状態を憂い 救済運動を行いました 友愛による協同組合運動の必要性を訴え 購買や医療生協 共済 信用組合などの創設に尽力しました

神戸ではかなり知られた方のようで (神戸出身の方も知っていました) 映像がぎりぎり残っている世代のため まずはDVDを見てからお話を伺いました

死線を超えて」という本(1920)が当時百万部のベストセラーとなり 作家としても意欲的に活動し 300冊を超える著作を出しました
1909年には神戸スラムに入り 様々な困難な目に遭いつつも 救霊・救貧の活動を開始し 救貧から防貧へと様々な活動をすすめてゆきました


関東大震災後は東京に居を移し活動を続けられました 実はコープこうべを作った方でもあります
各国にキリスト教伝道のかたわら 協同組合の理念を広めてゆきました 
1945年に日本協同組合同盟(日本生協連の前身)が設立され初代会長となりました
1948年に消費生活協同組合法が成立し 1951年に日本生活共同組合連合会が生協法(1948年制定)に基づき設立され初代会長となりました ノーベル平和賞候補にもなりました

そして1995年の阪神淡路大震災でもボランティア活動を行い 1999年にユニセフの「子どもの最善の利益を守るリーダー」として「世界の52人」の一人に選ばれたそうです


学習会では ドイツでは信用組合が広く根を下ろしており 2008年のリーマンショックを堅調に乗り越えたこと 金融恐慌が起きなかったことを知りました ← なのでドイツから申請が出されたのですね!

2002年のILO(国際労働機構)ではすでに「経済社会の発展において 協同組合は世界のどの地域においても極めて重要である」と宣べられていました

国連総会では 2012年を「国際協同組合年(IYC=International Year of Co-operatives)」と定めました スローガンは「協同組合がよりよい社会を築きます(Co-operative enterprises build a better world)」です

またお話の中では 有名なバヤリース等も実は協同組合であることも知りました(そういえば...) アメリカの電気の1割が協同組合によって作られていることも初めて知りました!

これからは やはり地域に根差した中小企業等協同組合との連携が新しい可能性を秘めているそうです

また 講師の先生からは 小さな子どもに協同組合をひとことで説明するとしたら なんといいますか?と出題され 私は「イタリアでは もうけの出ない過疎の(人の少ない)山にも生協は食べ物を届けにいって人々から感謝されたんだよ」と 「イタリアの協同組合」の本で読んだことを書きました 日本のワーカーズコレクティブもそうですよね!

今 貧困が問題となり これは協同組合が出来た当時とよく似ています

日本ではNPO法人は5万を超えますが 人を一人雇うのがやっとというところが2,3割程度 欧米とは大きく違っています 寄付文化が根付いていないからなのですね
しかし 若い女性の力にも期待していますとのことでした

協同組合は 人類の最大の社会科学的発明である」(賀川豊彦) 


    *      *      *

終了後に上北沢駅の南口にある 「賀川豊彦記念 松沢資料館」(教会や幼稚園に併設)にも足を延ばしてきました せっかく遠くから来たので...

チャペルの一室の中では賀川豊彦氏の肉声がテープで流され その迫力ある語りを聞くことができました 核兵器など作らずに 子供たちのために!という内容だったのです

この上北沢のあたりは閑静な住宅街で 北口には東都生協のさんぼんすぎセンターがありますが 今回初めて南口すぐにある松沢資料館にも行かれてよかったです

 ← 賀川豊彦記念松沢資料館にも行きました♪


     *      *      *

サークルでも 「ご存知でしたか? 協同組合が無形文化遺産に登録されました(2016年11月)」という資料を作って 世界遺産入門講座で配布することにしました:

Q.なぜ登録されたのですか?

A.「共通の利益と価値を通じてコミュニティづくりを行う事ができる組織であり、雇用の創出や高齢者支援から都市の活性化、再生可能エネルギープロジェクトまで、さまざまな社会的な問題への創意工夫あふれる解決策を編み出している」とユネスコから評価されました。

Q.どの国が申請したのですか?

A.日本ではなくドイツからの登録申請です。(そのため日本では報道が少なかった)ドイツの信用組合は経済的安定に大きく貢献し、ドイツがリーマンショックを堅調に乗り越えた一因となりました。

Q.どんな規模ですか?

A.国際協同組合連盟(ICA)には100カ国以上が加盟、組合員総数は約10億人(2015年現在)。日本ではJAは1,000万、生協は2,700万組合員、職員は7万2千人、協同組合の組合員は6500万人。人と人の結びつきによる非営利の協同組織で「たすけあい」の精神で広まっています。

Q.協同組合っていつどこで生まれたの?

A.19世紀のイギリス、マンチェスター北東のロッチデールの街で、自らの手でよりよい社会を生み出そうと「ロッチデール公正開拓者組合」が1844年に設立されました。産業革命の時代、多くの人々が低賃金・長時間労働を強いられていたのです。「ロッチデール原則」は今の協同組合原則に受け継がれています。 (日本生活協同組合連合会のHPより)


協同組合が ユネスコの「無形文化遺産」に登録されました(2016.11.30)は こちら

ドイツが申請して登録されたニュースは こちら
 (日本の無形文化遺産リストには掲載されていません ドイツの方に載っています) ← ドイツの協同組合のビデオが見られます(英語字幕付き) これを見ると風力発電もやり民主的な運営で...さすがドイツから申請が出されただけありますね!

学習会「協同組合ってなに?ユネスコ無形文化遺産登録から考える」を開催してくださいました東都生協様に心よりお礼申し上げます。



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巨匠マルコ.ベロッキオ監督最新作「甘き人生(Fai bei sogni)」ロードショー開始(2017.7.15~)@ユーロスペース・有楽町スバル座

2017年07月05日 | イタリア映画・映画
巨匠マルコ.ベロッキオ監督最新作「甘き人生(Fai bei sogni)」ロードショー開始(2017.7.15~)@ユーロスペース・有楽町スバル座



巨匠マルコ・ベロッキオ監督が トリノとローマを舞台に描いた人間ドラマ

9才の頃の突然の母親の死を受け入れられない男マッシモが 腕利きのジャーナリストとして成功を収めるも 過去の傷を癒せずにいたが 女医エリーザとの出会いによって変化していく過程を映す

原作はイタリアでベストセラーになったマッシモ・グラメリーニの自伝小説

『ローマに消えた男』などのヴァレリオ・マスタンドレアと 『アーティスト』などのベレニス・ベジョの好演に注目!

希望に満ち溢れていた高度経済成長期の60年代と 先行き不透明な90年代
古都トリノと 首都ローマをさまよう一人の男を通して 戦後イタリアの光と影があぶり出される
家族 母親 父親 そしてイタリア - ベロッキオが探求してきたテーマのすべてがここにある
本棚の片隅に30年間隠されていた秘密 運命の出会いが 男を真実と向き合わせる


イタリア映画祭2017年 上映作品
原題のFai bei sogniは よい夢を という意味です 30年間も苦しんできたんですね...

映画は こちら

予告編は こちら


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「バチカン サン・ピエトロ大聖堂を学ぶ!」に参加してきました(2017.6.1)@クラブツーリズム旅の文化カレッジ

2017年07月01日 | イタリア旅行・世界遺産
「バチカン サン・ピエトロ大聖堂を学ぶ!」に参加してきました(2017.6.1)@クラブツーリズム旅の文化カレッジ


今回のクラブツーリズムのこの「サン・ピエトロ大聖堂を学ぶ!」という講座に加えて この春から毎月開催されている黒田講師の「知ればもっと旅が楽しくなる 世界の遺産講座」にも参加し始めたので だんだんとうちに届く「旅の友」の袋がぶ厚くなってきましたョ(笑)

今回の講座はパワーポイントのレジュメがついており嬉しかった♡ 会場は満席近く 皆さん旅行好きな方のようです 

私はヴァチカンには2008年秋のローマの語学学校の短期留学の時に行ったので 内容がわかりやすくて嬉しかった~ ← 毎月の世界遺産講座では行ったことのない場所が取り上げられるとちょっと難しいので( ..)φメモメモ

     *      *      *

まずはローマ教会と教皇領についてざっとおさらい 313年のミラノ勅令(コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認した)  西ローマ帝国滅亡後もキリスト教は広まり続け その拠点がまずローマ (使途ペテロの殉教地でもあったため)
ランゴバルド族を打ち破った フランク王国のピピン3世が 勝ち取った領土を教会に寄進したことから教皇領が誕生したこと等...

バチカン市国
の誕生について これは1861年の サルデーニャ王国によるイタリア統一のあと 1870年にサルデーニャ王国が教皇領を接収し 教皇側と断絶したこと そして1929年にムッソリーニが教皇側に歩み寄り ラテラノ条約締結により(教皇の領地と教皇地位を保証した) 世界一小さな主権国家バチカン市国が誕生したことを ざっとおさらい...


ここで雑学をちょっと:

カテドラルCatedraleは司教座大聖堂のことで Catedraは司教座 つまり「司教座のある聖堂」のことをカテドラルと言います (ただ大きい教会だからだけじゃなく)

ヴァンダル族(蛮族による民族移動時代にローマ領内へ侵入し 北アフリカにまで進軍した)は破壊を好む民族で ヴァンダリズムは破壊主義 アンダルシアはもともとヴァンダルシア(ヴァンダル族が通った所)といった

ゲルマン民族の南下のところで... フランク王国が大きくなったのはフランクフルトからあまり動かなかったから また結婚政策もあったため(ハネムーンのホントの意味を知る!)

フランクフルト(Frankfurt)のFurt(フルト)は 「渡河点(洗い越し)」という意味とのこと(地元の人は川の浅い所を知っていて どんどん渡って進軍していった)


バチカン市国はローマ北西部のバチカヌスの丘にあり 独立国としては世界最小で 世界遺産でもあります
独立国家としての「バチカン市国」そして カトリックの総本山としての「法王聖座」の両方の意味があり 後者は正しくは「教皇庁」と呼ばれます

聖ピエトロ大聖堂
は聖ペトロの墓跡に建てられたという伝説があります (ペトロはラテン語で「岩」という意味)

この講座では 公になっていない数字(居住権を持つ人の数等)が色々聞かれて興味深かったです♡ 居住者の多くはやはり聖職者ですが 職務に就いている間のみ居住権があり(=免税) 不動産を所有することはないとのこと

また利益追求型の経済活動は行われず 代わりに信者からの献金や美術館の入場料や販売収入等があります ← この辺のお話を聞きながら 私の行った時も そんな雰囲気を感じたこと(バチカンで働く人々の態度とか物価など)を思い出しました

教皇は 公式な文書にはラテン語で「ポンテフェクス・ロマヌス Romanus Pontifex」という称号で表記されます かぶりものに「RP」とあるのを機会があれば見てくださいとのこと 法王ではなく 教皇が正式名称です 

神のメッセンジャーである教皇は決して誤ることがないとされ 一度採決された決定は再審請求はできないのですが だからこそ謙虚に過去を改めたヨハネパウロ2世(ポーランド出身で「空飛ぶ教皇」とも呼ばれた)は素晴らしいですね

教皇の次の地位にあるのが枢機卿です 枢機卿団は教皇を補佐して教皇庁を運営したり外交活動も行います(日本でいえば国会のようなもの) コンクラーヴェ(cum clavi/ラテン語で「鍵のかかった」の意)も枢機卿団が行いましたね

ちなみに 法王が亡くなられた時は「帰天」という言葉を使います キリスト教では天国と地獄しかなく 中間がありません 


さて サンピエトロ大聖堂はルネサンス時代に改築されたのですが もともとはコンスタンティヌス大帝(キリスト教を公認した)の指示で4世紀に建てられたバシリカ式教会堂です この「バシリカ様式」(パルテノン神殿がルーツ、ストア/古代ギリシャの市民の集う所に建てられた列柱廊建築で「店」の語源)について 図を描きながら細かい説明をしていただきました!
 
もともとは殉教教会堂・巡礼教会堂であり 教皇の住まいは長いことラテラノ宮殿にありましたが アヴィニョン捕囚によってラテラノ宮殿が荒廃してしまったため 1377年よりサンピエトロ大聖堂がローマ教皇の座所となります (ムッソリーニが結んだ条約がラテラノ条約というのはここから来ています)
 
今ある大聖堂は1499年に教皇アレクサンドル6世が改築を思い立ち 1505年に教皇ユリウス2世によって決定されたのですね

4大バジリカについて:

サン・ピエトロ大聖堂
(バシリカ様式は残っておらず完全なバロック様式)  
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂(マリア様の教会ではここが世界最大、教皇リベリウスへのお告げで建てた伝説により「雪の聖母聖堂」とも言われる)、
サンジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂(312年コンスタンティヌス帝が建てた世界初の本格的なキリスト教聖堂、313年ミラノの勅令よりも前です、ローマ教皇のローマ司教としての司教座聖堂です) 
サンパオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(聖パウロの墓があるバシリカ様式の聖堂、フォーリ・レ・ムーラfuori le muraは「城壁の外」の意味で城壁から南2キロの所にある)を 「4大バジリカ」と呼びます (「バシリカ」は建築様式から生まれた言葉) 3つはローマにありますが バチカンの管轄です
 
      
さて昨年(2016年)は「慈しみの特別聖年(Anno Santo straordinario della Misercordia)」でしたね! 通常は25年毎に行われる聖年ですが(1300年に始まりました) テロなどあまりにも様々なことが世界で起きており 教皇フランシスコが特別に聖年を設けられ 2015年12月8日に 聖ペトロ大聖堂の「聖年の扉(Porta Santa/ポルタ・サンタ)」が開けられました (2016年11月20日 キリストの大祝日に終了) 講師の先生も4つの聖なる扉が開けられた時に中に入られたそうです この扉はそのあと閉じられコンクリートで封印されたとのこと...
 
*      *      *



次は 世界最大級のバチカン美術館のコレクションについてです もともとはユリウス二世等の教皇の私的コレクションの収蔵・展示場所だったのですが 1506年に「ラオコーン群像」購入後に展示が始められたそうです これはベルベデーレの中庭にあり 私も見ました! ヘレニズム美術の代表作ですが ミケランジェロはこの時なかった右腕の真実を 筋肉の表現などから言い当てたとのこと(のちに発見されミケランジェロ説が証明された) 歴史は真実を語る...
  
     ← ラオコーン群像


さていよいよシスティーナ礼拝堂(Cappella Sistina)についてです ここはバチカン宮殿付属の礼拝堂で 教皇シクトゥス4世が建て直したことから 彼の教皇名Sisto Ⅳにちなんで命名されたそうです

(ここに入った時は喋ってはいけないため緊張しましたが あれだけの人数がいたら息遣いだけでも音が充満している感じがしました!)

ここで雑学: チャペルとは 教会が事情があり作れず 学校や病院等に設けたのがチャペルで プライベートな礼拝所でもあり だからコンクラーヴェはシスティーナ礼拝堂で行われたのですね チャーチとチャペルは違うと言う説明でした!

ミサ」はラテン語で「派遣」の完了形であり ラテン語がわからない信者の人たちにもわかるように祭壇画が多く描かれ ミサの最後に「ミサ(解散)」と言われ 解散だと分かったのだそうです ← 言葉のことになるとアンテナがピーン(笑)!


ここからはミケランジェロについて!! ここでかなり聞きやすくなります(笑)

バチカンに最も貢献したミケランジェロは もともと石工一家のもとで暮らしており 絵画よりも彫刻に重きをおき 自分は彫刻家だと言っていていたのですが その彼の生きた時代背景について また作品についても伺いました

彼がシスティーナ礼拝堂の天井画に着手したのが1508年 その後1517年にマルティン・ルターの「95箇条の論題」による宗教改革があります(レオ10世がサンピエトロ大聖堂修復資金集めのために免罪符を発行したことがきっかけ) 1536年に「最後の審判」に着手するのですが 宗教改革前に描かれた天井画とは画風が変わっているのですね~φ(..)メモメモ 

また ミケランジェロの「ピエタ」像 これは必見! 25才での作品ですが 若造と言われて彼は聖母マリアの肩にかかる飾り帯に ひそかに唯一のサインを刻むのです!! そのエピソード(夜中に忍んで...)が実に面白かったです( *´艸`)

そして ラファエロの「ユリウス2世肖像画」(システィーナ礼拝堂はこの人のコレクションがあったため作られたようなもの) 「レオ10世と枢機卿たち」(最年少で教皇になった)についても詳しく説明していただきました

そしていよいよ「システィーナ礼拝堂の天井画」 そう 「アダムの創造」(昔は神は姿を描いてはいけなかったそうで 手のみOKでした) 「イヴの創造」 「原罪と楽園追放」(蛇が知恵の木の実をアダムとイブに食べさせましたが 智天使ケルビムは命の木の実を食べないよう用心した)について説明していただきました!
ユリウス2世は教皇を中心に描いてほしかったそうですが ミケランジェロは旧約聖書の「創世記」を中心に描いたそうです
静謐な空気の中で見たこれらの絵を見た時の感激が脳裏によみがえりました...

また「ノアの泥酔」(ノアはワインを発明したが飲みすぎて裸体で寝込み、息子たちに見られる、2人の息子は父の裸体を見ないで着物をかける)の絵ですが これはキリスト教では 母の裸体はよいが 基本的に父の裸体は見てはならかったのだそうです なのでこのような絵画が生まれたわけですね

そして祭壇画「最後の審判」 これは祭壇画で個人の描いた絵画作品としては西洋で最大とのこと! ゲーテの賛美の言葉が見事です また物議をかもした全裸表現では 「風呂屋か安宿向きの作品だ」とこきおろした儀典長の顔が この絵の死者の世界の地獄図で 地獄の王ミノスの顔として描かれていますね!

またあとから腰布を描き足したヴォルテッラは それにより取り壊しの危機を脱したにもかかわらず 「ふんどし画家」と呼ばれたなんて可哀そう~!!
またこの絵に使われたのは高価なラピスラズリのような顔料で ブオン・フレスコという正当のフレスコ画ですね ヨーロッパの絵はブルーの色でチェックするとよいそうです (ピカソはマラガブルーを使ったそうです)

また 「最後の審判」の構図と見方について詳しく説明していただきました これは例の宗教改革のあとで彼の画風が変わったということなんですね やはり画家は決定的な出来事によりその画風が変わるのですね~ (作家もそうですが)

天国に昇る人々よりも地獄に落ちる人々の方が多いのは 当時のカトリックに対するミケランジェロの意思表示であり 天国に昇る人たちであっても混乱したように描かれています

3段目左の 地獄に落ちる人々のモデルは カール5世がイタリアに侵攻してきて苦しみ嘆くローマ市民たちだそうで 当時の現実を表しています 
聖バルトロマイが皮剥ぎの刑で殉教するのですが 剥がれた皮の部分に描かれた顔がミケランジェロの自画像と考えられているそうです 

そして一番最後に紹介されたのが この「最後の審判」のモデルともなった オルヴィエート大聖堂サン・ブリツィオ礼拝堂の壁画でした!! 師匠でもあったルカ・シニョレッリ作『罪されし者を地獄へ追いやる天使』という壁画で この裸体表現をミケランジェロは参考にしたと言われているそうです 


やはり ミケランジェロだけじゃなく そのまわりも色々見てゆかないと複眼的にはわからないものがありますね!

2008年にヴァチカンに行った時のことが 昨日のように思い出されます...

 ←  二重らせん階段

*      *      *

また クラブツーリズムでは 10月末に「サン・ピエトロ大聖堂で歌う旅」のツアーを予定しているそうです

さて 私はまた 月1回水曜夜の黒田講師の「知ればもっと旅が楽しくなる 世界の遺産講座」に出ます~ 韓国の遺産の次は 軍艦島 そして7月はノルマンディーだそうです!! ← イタリアとドイツと日本の世界遺産だけでいいかと思ってたけど~いちおう世界遺産検定受けるので(笑)

バチカン サンピエトロ大聖堂を学ぶ!」の講座のお知らせは こちら


また 今公開中の「ローマ法王になる日まで」もぜひご覧ください♪ もう少しで終わるみたいです...

素晴らしい講座を開催してくださいました㈱クラブツーリズム様に心よりお礼申し上げます

* 写真は バチカン美術館の中庭 (Cortile della Pigna)pignaは松ぼっくりの意味



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