日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

「ジョヴァンニ先生のまるごとサルデーニャ」セミナーリポート(2016.11.26)@piazzaItalia&サルデーニャセミナーのお知らせ(2017.2.19)@渋谷タロス

2017年01月28日 | サルデーニャ
ジョヴァンニ先生のまるごとサルデーニャ」のセミナーリポート ヌラーゲからフレグラまで盛りだくさん♪(2016.11.26)@高円寺piazzaItalia&「サルデーニャセミナー」開催のお知らせ(2017.2.19)@渋谷タロス



ようやくサッサリ出身のジョヴァンニ先生の「まるごとサルデーニャ」のセミナーに行ってきました!!
この日は午前中のIPAのレッスンからダッシュで高円寺piazzaItaliaに向かいました

サルデーニャの歴史 ヌラーゲについて 地理 言語 料理 等について 90分では話足りないような密な内容でした~
サルデーニャの物産を示した地図はジョヴァンニ先生のご持参のものです♡

   *       *       *

まずは ヌラーゲの時代について 年表をもとに説明いただきました:

最初のヌラーゲは形もシンプルだった ほとんどが土に埋まっていた 
だんだんと高くなり 形も複雑になっていった

Domus de Janas  1700ac
"Le domus de janas sono delle strutture sepolcrali(墓の) preistoriche (先史時代の) costituite da tombe scavate (堀った) nella roccia (岩) tipiche della Sardegna prenuragica. "(Wikipediaより)

"Gli archeologi sostengono che le prime domus de janas siano state scavate intorno alla metà del IV millennio a.C.(紀元前4千年紀の中ほど) durante il periodo in cui sull'isola si sviluppò la Cultura di San Ciriaco (Neolitico recente 3400-3200). "と大変古いものです

次のヌラーゲは 
Nuraghe Santa Antine


Sa domo de su Re
(in italiano "La casa del Re") 王の家と呼ばれていた

"L'intero complesso rappresenta un importante esempio di architettura preistorica mediterranea (地中海の先史時代の建築物の重要な例) e si presume (推定される) che l'altezza originaria del mastio centrale (中央の主要な塔) raggiungesse una misura compresa tra i 22 e i 24 metri (22~24メートルに達した), la più alta per quel periodo dopo le piramidi egizie e il mastio della reggia nuragica di Arrubiu che misurava tra i 25 e i 30 metri. "(エジプトのピラミッドや25~30メートルあったArrubiuのヌラーゲ王宮の主要な塔に次いで、この時代で最も高かった)(Wikipedia)


"Le indagini effettuate datano il primo insediamento(設置) tra il 1.600 ed il 1.450 a.C.(紀元前1,600~1,450年), nell'Età del Bronzo Medio(青銅時代)."(Wikipedia)

また 近くには村があった 入り口は南側で中はスペースがあります
muschio(苔)で覆われていた 
すべて石でできた家 中は大きな空間があり何階かに分かれていて階段もあった
砦(fortezza)として作られていたものもあるが ヌラーゲによって違う

 
世界遺産にもなった(サルデーニャではこのヌラーゲのみ登録) (Su Nuraxi di Barumini)
"Su Nuraxi o più propriamente il Villaggio nuragico di Su Nuraxi, è un insediamento risalente all'età nuragica sviluppatosi intorno ad un nuraghe quadrilobato risalente al XVI-XIV secolo a.C(紀元前16~14世紀). (cioè con un bastione(砦) di quattro torri angolari più una centrale), tra il XIII ed il VI secolo a.C.(紀元前13~6世紀), che si trova in Sardegna in territorio di Barumini. È uno dei villaggi Nuragici più grandi della Sardegna.(サルデーニャでもっとも大きいヌラーゲの村のひとつ)"(Wikipedia)

何のために作られたのか?

"Alcuni studiosi ritengono che la parte più antica del nuraghe fosse destinata ad uno scopo religioso(宗教的な目的のために作られた), di rifugio(避難所), civile o ancora di parlamento (市民あるいは議会の) o sede del capo villaggio (村の長の所在地), mentre le torri aggiunte erano più probabilmente destinate a scopo militare e di magazzino (一方付け加えられた他の塔は、軍事上の目的または倉庫と思われる)"(Wikipedia)



il Pozzo di Santa Cristina
(Santuario nuragico di Santa Cristina)
は 三角形の入り口をしたヌラーゲで井戸だった la dea Madreに捧げられた 春分・秋分の日に上の穴から光が入る 水が今もある

"Il sito si compone essenzialmente di due parti: la prima, quella più conosciuta e studiata, costituita dal tempio a pozzo, un pozzo sacro (聖なる井戸) risalente all'età nuragica, con strutture ad esso annesse(隣接した): capanna delle riunioni(集会小屋), recinto(囲い地) e altre capanne più piccole(他のもっと小さな小屋).
La seconda parte del complesso a circa duecento metri a sud-ovest (南西に向いた200メートルの第2部分) è costituita da un nuraghe monotorre(一つの塔のヌラーゲでできている), da alcune capanne in pietra (石でできた小屋) di forma allungata di incerta datazione ed un villaggio nuragico, ancora da scavare, di cui sono visibili solo alcuni elementi affioranti.

Benché di limitato interesse archeologico integra il complesso l'area devozionale (信仰エリア) cristiana della chiesa e novenario (9音節詩行の) di Santa Cristina inteso come il luogo nel quale si celebra la novena (9日間の祈り) in onore della santa."(Wikipedia)

ヌラーゲ人(popolazione nuragiche)は 紀元前1,500年頃からいたそうです 

モノリテ(石)は 最古の人間の遺跡で ストーンヘンジのようなもの
tombe di Giganti(巨人の墓) 巨人が建てたかと思われるような重く大きな石 
ドムス ディアナス 死のculto (宗教) この写真を見せていただき 遺体を置くスペース 会議や祝いごとをするスペースがあり ドアは異世界に通じるとされ 石のカバーをはずして遺体を入れた 以前はヌラーゲのまわりで子供たちが遊んでいたが今は入れない


Monte Pramaの巨人

紀元前6~9世紀に建てられた Oristano県Cabrasにある巨人の遺跡 発掘されカリアリの国立考古学博物館に展示された

"Le statue sono scolpite (掘られた) in arenaria(地下墳墓) gessosa(石灰石を含む) locale e la loro altezza varia tra i 2 e i 2,5 metri(2~2,5メートル)."(Wikipedia)
 frammenti(かけら)に分かれている これは考古学ファンにはたまらない!!

  *       *       *

民族そして歴史


歴史: 先史時代 → 石器文化と黒曜石(ossidiana)の時代 → ヌラーゲ文化の時代 → サルデーニャにおけるフェニキア人、カルタゴ人、そしてローマ人 → 中世 → サルデーニャ王国の誕生から現代 (Wikipedia)

「エジプトを侵略した海洋民族シャルダナ (Shardana) とサルデーニャとのつながりは真偽が疑わしく、立証されていない」(Wikipedia)とありましたが 先生はこれについてもお話してくださいました 曰く:

シャルダーナという民族 これはアジアのどこかから来た最古の民族といわれる 
サルデーニャにいた海賊ではないか エジプトのファラオの墓では盾が見つかっている
ヌラーゲ文明はローマ文明よりも古い etc...

いや~ 初めて聞きましたこの民族のこと!! 新しい発見です( ^^) _U~~

また フェニキア人についても語ってくださいました 
紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出し 地中海全域を舞台に活躍した カルタゴの街を作った 

フェニキア人はレバノンの出身で 地中海で交易を行っていた 彼らは島のあらゆるエリアに定住した 
フェニキア人ののちに 紀元前500年ごろカルタゴ人(Punic、ポエニ)がサルデーニャ周辺の地中海の覇権を確立した カルタゴの影響はサルデーニャのほぼ全域に及んでいる 

紀元前238年 ローマ人が島を獲得した
ローマはカルタゴと第一次ポエニ戦争を戦ったが 戦後にカルタゴの傭兵が反乱を起こしたため ローマはサルデーニャを占領した その時点で既にサルデーニャには社会基盤と(少なくとも平野部では)都市化された文化があった
サルデーニャはシチリアとともに エジプト征服までのあいだローマの穀倉地帯(granai di Roma)のひとつでありつづけた
フェニキア・カルタゴ文化は ローマ人の支配下にあっても 紀元後数世紀まで根強く残った Tharros(ターロス)、Nora(ノーラ)、Bithia(ビティア)、Antas(アンタス)、Monte Sirai(モンテ・シライ)らは 建築と都市計画の調査に重要な考古学遺跡となっている」 (Wikipedia)

彼らは果実の木(alberi da frutto)を禁じていた 麦が大事だったから etc...


ジュディカーティ(Giudicati)の領国(14世紀)
「ローマ帝国の滅亡後、サルデーニャは何度と征服の対象とされている
456年北アフリカのヴァンダル人に占領され 711年からはサラセン人による沿岸部の都市への攻撃を受け 1063年から 東ローマ帝国の政治行政組織を踏襲する形で、審判による統治を意味するジュディカーティ(Giudicati)という制度が形成された
同じ時代、アラゴン=カタルーニャ王国の影響が大きくなり、これはアラゴンによるサルデーニャ占領まで続いた。当時のスペインの影響の強さは、今でもアルゲーロ周辺でカタルーニャ語の方言が使われていることからも伺える」(Wikipedia)

スペイン人がいた頃(700年間)は一番暗い時代だった 長い中世だった とのこと

Giudicati(900-1323)は 中世サルデーニャを4分割していた独立国でした

giudicatiとは 自分たちを守るために勝手に作った国だ (普通はimperatore(皇帝)や神から権力をもらって国を作るが)とのこと

4 repubblicarinari marine
 海洋国家はヴェネツィア、アマルフィ、ピサ、ジェノヴァのこと
シチリアにはアラブ人が入ったが サルデーニャには入ったことはなかった 

スペイン継承戦争でサルデーニャがスペインからオーストリアに渡った後、1720年にシチリア島との交換によりサヴォイア家が領有してからイタリア統一1861年まで、サルデーニャはピエモンテとサルデーニャ王国を形成していた。
1861年にサルデーニャ王国がイタリア統一を果たして国名を「イタリア王国」と改めた。(Wikipedia)



   *       *       *

サルデーニャ語(Sardu)について

サルデーニャ語はラテン語から来ている
 
「イタリア全土で公用語とされているのはイタリア語だが、サルデーニャではサルデーニャ語(Sardu)が広く使われている。サルデーニャ語はイタリア語の方言(言語変種)ではなく、ラテン語を起源とするロマンス語に属する言語である」(Wikipedia)

ちなみに 講師の苗字"Piliarvu"の語源(Piliはcapelli, arvuはbianchi) ラテン語ではピルス アルヴス 
いくつかのサルデーニャ語をご紹介いただいたがイタリア語と全然違う!

テレビの普及により全サルデーニャ人がイタリア語を話せるようになったとのこと
若い世代の講師自身は サルデーニャ語は話せないが聞いてわかるそうです
  
     *       *       *


次は お祭り(le feste):

2月のオリスターノでのSa Sartiglia 騎馬祭り カーニバルのあとの日曜と火曜日(l'ultima domenica e il martedì di carnevale ad Oristano) 罪人を生贄にしたというエグイ祭りとのこと 
民族衣装が村ごとに違うのはスペインの影響を受けたこともある etc...

ちなみにこちらは私が前に作ったサルデーニャのお祭りリスト(Il Calendario delle feste in Sardegna)です:

2月Carnevale di Mamoiada(マモイアーダのカーニバル)
 Mammuthones(Mamoiada)は黒いお面 
5月1~4日 Sant Efisio a Cagliari(聖エフィジオ祭)/ Cagliari
(聖アントニオ なまはげのような衣装 メルドゥーレスというマスクを付ける)
5月の最後から2番目の日曜日 Cavalcata Sarda(サルデ ーニャの騎馬行列) /Sassari
6月(夏至の日) S.Giovanni Battista/サルデーニャ各地
8月半ば  Chiostro del Carmelo (白黒写真)
8月14日(日)  Faradda dei Candelieri(蝋祭り)/Sassari
8月29日の前の日曜 Sagra del Redentore(救世主の祭り)Nuoro
10月最後の週末 Sagra delle Castagne(栗祭り)/ Aritzo 他

出典: サルデーニャ州観光サイト

 
      *       *       *


伝統文化(cultura tradizionale):

Tenores 男性4人によるテノール ユネスコの無形文化遺産となりました

ラウネッダス演奏 un fiatto continuo 葦でできた楽器
 こちらから聞けます (儀式のパンのセミナーで私が聞いた演奏/音が出ます)

Artigianato(手工芸) は刺繍 儀式のパン(il pane rituale) 陶器 ボタン corallo(サンゴ) ナイフ 羊飼いの道具 cuoio(なめし革) と色々あり その地図を示してくださいました



   *       *       *

サルデーニャの特産品(Alimentali tipici):


島であるため 外からモノが入るのが難しい 村ごとに食べ物も違っている 外の影響を受けたのは海のそば 山は手つかずで残された

「サルデーニャ料理 (Cucina sarda) は イタリア料理のほか アラブや北アフリカなどの料理の影響を受けて発展した 豊富な海産物や 羊の肉などが主要な食材として用いられる
2010年にユネスコの無形文化遺産に指定された「地中海の食文化」 (Mediterranean diet) の一部を構成する」(Wikipedia)


ドルチェ(dolci)/


テリッカスは ザザッパ(ぶどうかす)を使った 死者の日に作るお菓子とのこと



パスタ(la pasta)・パン(il pane)/
クスクスに似た粒状パスタ「フレグラ(fregra)」は今も手作りという これは南のみ
ニョッキ状の「マロレッドゥス」 (Malloreddus) もニョケッティ・サルディとして有名
堅く焼いた薄いパン「パーネ・カラザウ」は長期保存が可能な食材
パーネ・カラザウとトマトソース、ペコリーノ(羊乳のチーズ)とをラザニア状に重ねた「パーネ・フラッタウ」 (Pane frattau) がある。

海産物(frutta di mare)/
魚は南しかほとんど食べない からすみはサルデーニャが有名 しかしサッサリでは食べないそうだ 
「海産物(frutta di mare): サルデーニャ料理の主役のひとつは、エビやマグロ、イワシ、貝などといったさまざまな海産物が有名 日本のカラスミに相当する魚の卵巣の加工品「ボッタルガ」 (Bottarga) が、カリャリやトルトリ、サンタンティオコなど島内各地で生産されている」(Wikipedia)

お酒(bevande alcoliche)/
ミルト酒は キンバイカで作られるリキュール
グラッパ ビネガー リモンチェッロ などなど...
ワインはマルバージァワインが有名 ヴェルメンティーノ・ガルーラ カノナウ 
白ワインのカピケーラはとても高い!

「ワイン(i vini)/ サルデーニャはイタリアワインの生産が盛んな地域、多くのワインが原産地統制呼称(DOC)の指定を受けている
サルデーニャ全域を名称保護地域とするものには以下がある:
カンノナウ・ディ・サルデーニャ (Cannonau di Sardegna) 
モニカ・ディ・サルデーニャ (Monica di Sardegna) 
モスカート・ディ・サルデーニャ (Moscato di Sardegna) 
ヴェルメンティーノ・サルデーニャ (Vermentino di Sardegna) 
ガッルーラ地方で生産されるヴェルメンティーノ・ディ・ガッルーラ (Vermentino di Gallura) は、統制呼称の最上級にあたる保証つき統制原産地呼称(DOCG)に指定されている。」(Wikipedia)


チーズ(formaggi)/
「サルデーニャ島では牧羊が盛んなことから、羊乳を用いたペコリーノが多く生産される、「ペコリーノ・ロマーノ」にはラツィオ州・トスカーナ州とともにサルデーニャ州も生産地域としての指定を受けている。「ペコリーノ・サルド」(サルディニアのペコリーノ)はサルデーニャ産のペコリーノにのみ認められた名称である。
このほか、サルデーニャではカチョカヴァッロなども生産される。
サルデーニャ島のユニークなチーズとして、チーズバエの幼虫の働きでペコリーノの発酵をすすめたカース・マルツゥがある。」(Wikipedia)

このあとは参加者の皆さんでおしゃべりしたり サルデーニャの本や雑誌を皆でまわしたりしました♪ とにかくサルデーニャ好きな皆さんが集まり 何度もサルデーニャに行ったことのある方などもいらしていて 大変ためになりました( ^^) _U~~ 

講座は こちら


*楽しい講座を開いてくださいましたpiazzaItalia様に心よりお礼申し上げます

*       *       *

おまけでーす♡:

サルデーニャの民族の起源(origine)
について:

サルデーニャの歴史は aC800年頃 ヌラーゲ人が住んでいた島にフェニキア人が入り カルタゴ人やローマ人の侵略を受け 中世のスペイン支配と続いた とのことですが 民族の起源について:

1.ネットで見つけたSardegna Postの記事に「アフリカが起源」という記事がありました:
“Dall’Africa alla Sardegna in 70 mila anni. Il mio DNA vi racconta il viaggio”(2016.11.1)
http://www.sardiniapost.it/cronaca/dallafrica-alla-sardegna-70mila-anni-nel-mio-dna-racconto-del-viaggio-dei-sardi/

2.『地中海の聖なる島 サルデーニャ』(陣内秀信著 山川出版社) のP55に「馬は生活に欠かせない家畜であり、馬にまたがる人をモチーフにした青銅器彫刻がたくさんある。古くから馬と共存するサルデーニャ人の先祖は、アジア・アルタイ高原にいた遊牧民族であるという有力な説もある」とありました。
また モンゴルがサルデーニャの民族の起源という説も、どこかで聞いたことがあります (なので乗馬が得意という説)

4.Wikipediaでは:
新石器時代からローマ帝国の時代にかけて、ヌラーゲ(Nuraghe)人が上陸し、生活しはじめた。この謎に満ちた民族は、紀元前20世紀頃、東地中海からやって来たものと推測されている。少しわかっていることは、エジプトの碑文に「海の民」という意味の名前で登場する人々を指しているということである。その碑文の研究によると、彼らは、サルディス(リディア)を出発し、ティレニア海にたどり着いた。そこで、サルデーニャに行く者とエトルリアに行く者に分かれた、ということである。
遺伝学的な研究によると、サルデーニャ人は周辺地域の人々や若い民族とは異なり、前インド=ヨーロッパ人だとしている。

5. 「サルデーニャ!南イタリアの美食と工芸の島紀行」(池田 匡克、池田愛美著、講談社)
によると「北東部にエトルリア人 西部バレアレス諸島経由でスペイン人 カリアリと南サルデーニャにはアフリカ民族が入った
それよりもはるか昔新石器時代の6000AC 西アジアから来た民族が 高度なオリエント文明を伝えた ヌラーゲがその一つである
ちなみにこれはLa Storia di Sardegna(カリアリ大学F.チェーザレ・カズーラ教授)の言葉である」とありました

サルデーニャ民族の起源には 所説あるようで興味津々です...♪

    *     *     *

2017年2月19日(日) 渋谷タロスにて 「サルデーニャセミナー」が開催されます:

まだまだ知られていない魅力の島サルデーニャ どんな島? 何があるの?魅力って何だろう?
未知の島サルデーニャを知っていただきたい!とサルデーニャ出身スタッフによるセミナー、郷土料理の会を行います! みなさま、どうぞお気軽にご参加ください。

日時:2017年2月19日(日)16:30~19:30
会費:5000円(セミナー・料理・ワンドリンク付き)
場所:渋谷サルデーニャ料理「タロス」
東京都渋谷区道玄坂1丁目5-2
お申込み: 03-3464-8511(タロス)

内容: セミナー(40分)「地中海、古代の神秘に出会える島 サルデーニャ
講師は、サルデーニャ島出身でタロスのスタッフでもあるマルティーノ・カッパーイ。(サルデーニャの文化オペレーター)

カリアリとシエナで美術史や文化史を学んだマルティーノによるセミナーです。
現地の人にしかわからない、一段深いサルデーニャの魅力に触れられる事間違いなしです。
食文化と歴史、古代から続くカーニバル(マモイアーダのカーニバルなど 不気味な黒い仮面を被る祭り)、繊細な工芸品などイタリアの中でも多くの謎に包まれている。そんな島を珍しい写真と共に紹介致します!
セミナー後はサルデーニャ島の郷土料理をブッフェ形式でお楽しみいただけます。中でも仔豚の丸焼き「ポルチェッドゥ」はイチオシです😊!
普段は中々食べられない一品、島ならではの料理をご用意しております。

セミナーは こちら

ポルチェッドゥ(Porceddu)って 仔豚の丸焼きです! あのクリスマス料理のセミナーで写真見てびっくりした料理です!(^^)!



イタリア語 ブログランキングへ

にほんブログ村 外国語ブログ イタリア語へにほんブログ村

グルメ ブログランキングへ

にほんブログ村
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

DEFA70周年「知られざる東ドイツ映画」で「引き裂かれた空」「冬よ さようなら」を観ました(2016.12月)@東京国立近代美術館フィルムセンター&「ポーランド映画祭2016」を見て

2017年01月26日 | ドイツ語・独検
DEFA70周年「知られざる東ドイツ映画」で「引き裂かれた空」「冬よ さようなら」を観ました(2016.12月)@東京国立近代美術館フィルムセンター&「ポーランド映画祭2016」を見てきました



旧東ドイツ映画はあまり日本で公開されることもないため 2作品を見に行きました

で 「旧東ドイツには アンジェイ・ワイダはいなかった... 」 というのが正直な感想です

同じような時代に 同じような国家体制の国でありながら ソ連とドイツに挟まれて大戦中に様々な過酷な目に遭ってきたポーランド(もともとカトリックの国であり 共産主義でありながら神にのみ仕えるという国民性)での 気骨あるアンジェイ・ワイダ監督のような世界的に知られる大物監督は 共産主義の優等生であった東ドイツ(プロテスタントの国であり 宣誓により上に従う国民性)では生まれにくかったのでは? 優秀な者は当時西ドイツに逃げたこともあるだろうし... とは想像ですが

でもベルリンの壁のあった時代に何回か東ドイツには行きましたので あの時代の風景や人々の様子などはとても懐かしく感じました 

7階では「戦後ドイツの映画ポスター」展をやっています(2016.11.15~2017.1.29)

ちなみに昔 栗原小巻主演の日本映画が東ドイツで公開されていたため けっこう小巻ファンがいるので 壁崩壊後に旧東ドイツの友人が栗原小巻に会いたいというので 一度通訳をしたことがあります(笑) ←その映画のタイトルを聞いてなんとかなった!!



DEFA(Deutsche Film Aktiengesellschaft)は 1912年に活動を開始したヨーロッパでもっとも古いバーベルスベルク撮影所を拠点に 戦前ドイツの映画美術・芸術を継承し 個性的で豊かな映画文化を育んだ 旧東ドイツ唯一の公式映画製作機関です 1990年の東西ドイツ統一とともに活動を終了 


   *       *       *

冬よ さようなら」(Winter Adé/1988年) は ベルリンの壁崩壊直前の東ドイツに生きるさまざまな境遇の女性たちをとらえたドキュメンタリー 彼女たちのことばは苦労や後悔に満ち 社会主義の説く男女平等の理想に対する鋭い批判となっている 女性監督 ヘルケ・ミッセルヴィッツ監督の出世作

ツヴィッカウの鉱山で働く47才の女性  
ベルリンで広告の仕事をする42才 2度の結婚を経て新聞広告で子連れパートナーを探すにいたる 広告関連の表彰式で会場には男ばかりなのに驚き シャボウスキーが来賓として来る 

ダンス学校を夫婦で経営する73才の老婦人 若き頃のダンスの写真が飾ってある ここは東ドイツ初のダンス学校とのこと 

練炭工場で働く37才女性 金槌で一時間ごとに煙突をガンガン叩くのが仕事 煤がつまり爆発を防ぐためだ 子どもの頃は家の農作業の手伝いに追われ 弟は手伝わなくてもよかったが非行に走る 17才で家を出て結婚するも出産後に離婚 

人形の病院 子どものために人形を修理する仕事 離婚して 1981年に西に逃げた夫がいる

二人の家出娘 うるさい親から逃げるため 男友達のところに転がり込む 成績が悪くて調理師になれないという(成績で職業選択が決められていた!)

ツヴィッカウ国立公園の管理人夫妻は子だくさん 前の仕事は三交代できつくとても安かったため転職 子どものものを買うともう金がなくなる なんでも物価が値上がりしてしまった ベルリン750年祭を祝うベルリンの街に行く

地下鉄の運転手の女性 女性の運転手はとても多い 私も昔ドレスデンで市電に乗った時に女性の運転手だったが とても多いと当時聞いた覚えがある 社会主義の国であり女性も労働が推奨されていた 保育も手厚かったし贅沢をしなければ十分暮らせた(生活物資の物価が低く抑えられていた)

ホーネッカーが登場するZKの女性の日の祭典 

電車の中の4人の少女たち 結婚への夢と不信を語る Doppelname(夫婦別姓)がいいなという少女 

結婚60周年を祝う老夫婦 ひ孫まで数十名の親類縁者が集い 祝う(東ドイツはホームパーティーが盛んだった) しかしこの妻は 妊娠してしまったから結婚した 夫は子供が3人もいるのに浮気したので結婚は後悔してるのよ と夫のいない所で述懐する

魚工場で働く中年女性たち 50も過ぎれば男はいらないと豪語 若い頃もっと勉強していればこんな工場で働かずもっといい仕事につけたのにと言う 

地方議員も務めながら子供たちの施設を経営する独身の55才の女性 仕事に情熱を注ぐあまり結婚から遠ざかっていたが3人の子どもがいる 今は友情で結ばれた男性はいる  
子供たちには自分のようには生きてほしくないと語る 人生は戦いよ と 

電車の中でのインタビューが多かった 白黒作品

   *       *       *

引き裂かれた空」(Der geteilte Himmel/1964)

クリスタ・ヴォルフの同名小説の映画化 ドイツ分断・ベルリンの壁のテーマを扱い 東ドイツではプレミア上映後に上映禁止となる コンラート・ヴォルフ監督 1964年白黒作品

ベルリンの壁が建てられる前に出会った女子学生と 10才上の男性との恋のゆくえがつづられる 世代が違うということは 彼が違う考え方を持っているということ 
将来を嘱望される科学者の恋人マンフレートは西に移り 恋人リタもスーツケースひとつで彼を追う けれど「ここ(西)には何もない 格差がくっきりと見える場所だ 外国でないだけにかえってつらい」と 住んでいた東に帰り 恋は終わる...

東の人々は貧しくとも助け合って生きてきた 西ではお金持ちとそうでない人がくっきりと分かれる 彼女の大学のクラスメートは 両親が西に逃げたことを3週間も隠し続けて 大学を追われる... 当時は壁ができたばかりで 西に逃げる人がまわりに続出していた 


知られざる東ドイツ映画」祭は こちら


  *     *    *

「追悼 アンジェイ・ワイダ監督特集 ポーランド映画祭2016 Poland Film Festival 2016」(2016.11.26~12.16)を見に行きました@シネマート新宿





HPで冒頭に 2016年10月9日に亡くなられたアンジェイ・ワイダ監督の自宅の庭でのインタビューがあり 実に感慨深いものがあります 
「世代」「地下水道」「灰とダイヤモンド」「大理石の男」「鉄の男」皆見ました 
20代の頃にドイツで知り合った 戒厳令下の祖国から逃げてきていたポーランドの女の子と「灰とダイヤモンド」の話をしたっけ...

映画祭で見たのは「戦いのあとの風景」(1970) これも「灰とダイヤモンド」を彷彿とさせるシーンがあります 遺体が安置された冷たい部屋の中で 残された主人公が悶えつつ述懐するシーンなどがそれ 

この作品の冒頭でのチャイコフスキーの「春」の爽やかなヴァイオリンの音色が響く中 第二次大戦終戦直後に ナチスの強制収容所から解放された囚人たちが雪の中に駆け出すシーンは鮮やかに記憶に残っています (昔見ました)
彼らはその後米軍下の難民収容所に移送され 主人公(ダニエル・オブリフスキ)はユダヤ系の娘と知り合いますが... この娘が火のように熱く獣のように強いです 
やがて運命は...

今年で5回目を迎える「ポーランド映画祭」は ワイダ作品10本の他若手監督たちの最新作も上映されていました 監修: イエジー・スコリモフスキ

ポーランド映画祭2016は こちら


*情報をいただきました東京ドイツ文化センター様に心よりお礼申し上げます
(日伊協会に行くと すぐそばなので必ず立ち寄っています♪)

1961年8月13日に ベルリンの壁が作られたが これは旧東ドイツが自分のカネで作った 旧西ドイツに壁を作るカネを請求してなどいなかった...($・・)/~~~


映画(全般) ブログランキングへ

にほんブログ村 外国語ブログへにほんブログ村

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「春日大社 千年の至宝」展に行ってきました(2017.1.17~3.12)@東京国立博物館&春日大社についてイタリア語で話す

2017年01月23日 | 美術館・博物館
「春日大社 千年の至宝」展に行ってきました(2017.1.22)@東京国立博物館&春日大社についてイタリア語で話す



世界遺産でもある春日大社の「至宝」を見に 1月22日(日)に家族と行ってきました「春日大社 千年の至宝」展 
始まったばかりの「ティツィアーノ展」は もう少しあとになります~

式年造替(しきねんぞうたい)」という 20年ごとの社殿の建て替えの時に (2016年が60回目となる 1200年間続く儀式) めったに見られない貴重な古神宝などが見られました 
中でも本殿の一部を再現してあり 上野にいながらにして春日詣でを体感できるというもの  (でも現地に行った方が霊験あらたか...?)

春日大社は 奈良時代初め(768年)に 国家の平安と国民の繁栄祈願のため奈良県に創建されました 
一番見ごたえがあったのは 国宝の 金地螺鈿毛抜形太刀(きんじらでんけぬきがたのたち)で 柄や鍔(つば)に金無垢で模様を掘り出してある黄金の太刀です この複製を作る過程がテレビでも紹介されました

また 60回目の式年造替で御摘下(ごてっか)*された獅子や狛犬 また重要文化財の 舞楽面 納曾利(なそり) これは龍が舞い遊ぶ様を表したとされる舞で使われた 舞の動きに合わせて顎が動く面ですが とても面白かったです

* 御摘下 = 神に奉られていた御道具などが役目を終え、神殿から下ろされること

そして 鼉太鼓(だだいこ) いわゆる火焔太鼓と言われる 雅楽で使われる大きな和太鼓が展示されており壮観でした 日本最古の鏡もありました

予習をしていかなかったのでイヤホンガイドを実は初めて使ったのですが 読むのと聞くのと観るのと家族と話すのとが同時で疲れてしまい(笑) 集中できないのと 混んでいると長い話を聞いていられないので 家で予習してから展示説明を読んだ方がいいかなと... それとイタリアの展覧会は80点くらいですが これは219点もあり数が多く疲れるので 第6章までの中からどこを重点的に見るかをあらかじめ決めておくとよいかもしれません 

  記念撮影コーナー (釣灯籠)

見どころ:

第1章 神鹿の杜 
春日鹿曼荼羅がいろいろ また「鹿図屏風」はチラシでは色鮮やかですが 実物は殆ど色は落ちていました 祭神である武甕槌命が鹿に乗って春日の地に降臨した様を表してある「鹿島立神影図(かしまだちしんえいず)」は印象的でした


第2章 平安の正倉院

 本宮御料古神宝類など 弓矢 太刀 琴
お目当ての「国宝 金地螺鈿毛抜形太刀(きんじらでんけぬきがたたち)」(1月17日(火)~2月19日(日)展示期間)は 「柄(つか)や鍔(つば)などの多くの金具は金無垢に文様を彫り出し、鞘(さや)は金粉を蒔き、螺鈿で雀を追う竹林の猫を表現しています。まばゆく輝く黄金の太刀です。」とのこと 実物は長い時を経ています
 
第3章 春日信仰をめぐる美的世界
 
春日曼荼羅 御堂関白記や書状 中でも 「重要文化財 文殊菩薩騎獅像および侍者立像(もんじゅぼさつきしぞうおよびじしゃりゅうぞう)」は興福寺に伝来したもので 春日大社の祭神のうち、若宮は文殊菩薩と同体と考えられており 神と仏の一体化を象徴する作例で見事でした

第4章 奉納された武具 
国宝の大鎧がすごい だんだんと見ごたえがあるものが増えてきます 太刀 腰刀(短い刀) 鎧金具など


第5章 神々に捧げる芸能 

祭礼絵巻物 屏風 太平楽装束 伎楽面 能面 舞衣など 12月に行なわれる若宮おん祭(国の重要無形民俗文化財に指定)等の祭礼の際に神前に奉納された舞楽や能など 芸能に関わる作品がありました 映像もあります 雅楽を見に行ったことがあるので身近に感じました

特に 納曽利装束(なそりしょうぞく) [前期展示:2017年1月17日(火)~2月12日(日)]と 重要文化財 舞楽面 納曽利(ぶがくめん なそり)が面白かった


第6章 春日大社の式年造替
 社内院絵図 絵馬 特に2016年の御造替は60回目を数え 今回の御造替で御徹下(ごてっか)され注目を浴びた獅子・狛犬(第一殿)が展示されておりました


さて 奈良の春日大社については 1月28日(土)には 春日の大とんど 2月3日(金)には 節分万燈籠 3月13日は春日祭(非公開)

また 春日大社国宝殿にて 「春日大社第六十次式年造替記念展」が開催中です(2016.12.3~2017.3.27) 

後醍醐天皇奉納 重要文化財の葡萄鏡や 千年前の名刀が初公開されます

3月31日まで 春日大社 正遷宮初参り として 20年ぶりに新装なった 国宝 御本殿の特別参拝 (4月以降も予定)もあります
詳しくは こちら



「春日大社 千年の至宝」展は こちら

見どころは こちら


今 江戸城の天守」展も開催中です 2017年1月4日(水)~3月31日(金)@東京国立博物館 ミュージアムシアター(東洋館地下1階) 
こちらは実物はもうないため 図面 絵図 現存する文化財や伝統技術を手掛かりに再現過程を試みています ミュージアムシアターで「江戸城の天守」が上映されています (500円、40分)

映画と一緒で 続きますね~(*^^*)

    *     *     *


春日大社についてイタリア語で話す
:

Il grande santuario Kasuga (春日大社 Kasuga-taisha) è un santuario Shintoista situato a Nara, nella Prefettura di Nara, in Giappone.

Fondato nel 768 e ricostruito diverse volte, è il santuario della famiglia Fujiwara.

L'interno è famoso per le sue lanterne di bronzo e le molte lanterne di pietra (tōrō/燈籠) che conducono al (~に導く) santuario.

Lo stile architettonico Kasuga-zukuri prende il nome dall'area più sacra (神聖な), detta honden(本殿), del santuario, il quale assieme alla (~と一緒に) vicina foresta Primordiale (原初の) Kasugayama è registrato tra i patrimoni dell'umanità dell'UNESCO, come parte dei "monumenti storici dell'Antica Nara(古都奈良の文化財)".

Il sentiero(細道) per il santuario Kasuga attraversa (横切る)il parco del Cervo(鹿) (dove i cervi addomesticati (飼いならされた) vagano liberamente).

Più di mille lanterne di pietra sono disposte lungo la via.
Il giardino botanico Manyo è adiacente al (~の近くに) santuario.
(wikipediaより)

春日大社のイタリア語は こちら


春日大社(かすがたいしゃ)は、中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀るために768年に創設された奈良県奈良市にある神社。旧称は春日神社。神紋は「下がり藤」。
全国に約1000社ある春日神社の総本社である。武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。
ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されている。 (wikipedia)

 *     *     *


Grande Santuario Kasuga

Costruito come santuario tutelare(保護する) dei Fujiwara, influente (影響力のある) famiglia di Nara, Kasuga è uno dei siti scintoisti più famosi e fotografati.

Il primo edificio fu realizzato nel 710, ma in linea con i principi scintoisti di purezza (清浄) e rinovamento (復興、再生), la struttura del Kasuga, come quella del grande santuario di Ise(伊勢神宮), è stata demolita (取り壊された) e ricostruita identica (同一に) ogni vent'anni (20年ごとに)*.
*式年遷宮のこと
("Giappne" le guide comdadoriより)

*1月からNHKラジオで 「ニッポンを話そう!」再放送中です 再放送でようやく理解できるくらい内容は高度です~( ;∀;)

* NHKドキュメンタリー「春日大社 よみがえる黄金の太刀~平安の名宝に秘められた技~」を見ました(2017.1.31) 金無垢で作られていた鞘と刀の身がぴったりと入った瞬間 ドキドキしました 素晴らしい伝統芸術です!!

 


美術館・ギャラリー ブログランキングへ

にほんブログ村 美術ブログへにほんブログ村
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

雪崩がホテル直撃、3人死亡・多数不明 イタリア地震(2017.1.18)&生存者計10人に 宿泊客ら約30人(2017.1.20)

2017年01月20日 | イタリアのニュース
雪崩がホテル直撃、3人死亡・多数不明 イタリア地震(2017.1.18)&生存者計10人に 宿泊客ら約30人(2017.1.20)



2017年1月18日(水)、イタリア中部を襲った連続地震で、地震で起きたとみられる雪崩が中部ペスカラ県ファリンドラののホテルを直撃し、少なくとも3人が死亡した。

ANSA通信が伝えた。2人が救助されたが、子どもを含む多くの人が行方不明になっている。防災当局によると、当時ホテルには宿泊客と従業員ら約30人がいたという。

 救助隊は徒歩などで現地へ向かい、19日未明に捜索を始めたが、悪天候で、捜索は困難を極めている。
在イタリア大使館によると、19日昼(日本時間同夜)までに日本人が巻き込まれたとの情報はない。また、伊メディアなどによると、別の地域では80代の男性が地震と雪の重みで崩れた農場の屋根の下敷きになり死亡した。

 昨年夏以降、大地震が相次いだ伊中部では18日、アマトリーチェ近郊でマグニチュード(M)5・0以上の強い地震が4回発生した。被災地では余震が続き、停電している地域もある。

 伊中部では昨年8月24日にM6・2の地震がアマトリーチェなどを襲い、299人が死亡した。昨秋にも大地震が相次ぎ、さらに多くの建物が倒壊した。絶え間なく続く地震により、被災地の復興が遅れる可能性がある。(ローマ=山尾有紀恵)


ニュースは こちら


   *     *     *


イタリアの雪崩で生存者計10人に 宿泊客ら約30人(2017.1.20)@朝日新聞デジタル


 イタリア中部ファリンドラのリゾートホテルを18日に襲った雪崩で、救助隊は20日午前(日本時間同日夜)、がれきの下に8人の生存者を発見した。ANSA通信が伝えた。うち2人は子どもだという。19日にも難を逃れた生存者2人が救助されている。

 防災当局によると、事件当時ホテル内には宿泊客や従業員ら約30人がいた。19日に3人の遺体が発見されたと報じられたが、後に2人に修正された。

 雪崩は、18日に伊中部を襲った連続地震に誘発されたとみられている。現地からの映像によると、ホテルの山側は室内に大量の雪やがれきがなだれ込んでいる。救助隊は、残された空間にさらに生存者がいないか確認を急いでいる。

 防災当局によると、伊中部の別の2カ所でも、雪崩に巻き込まれたとみられる2人の遺体が発見された。(ローマ=山尾有紀恵)
朝日新聞社

ニュースは こちら


   *       *       *

2017.1.20 La Repubblicaの記事より:

Valanga (雪崩) su hotel, si scava al gelo(凍てつく寒さ): 4 morti, oltre 25 dispersi (行方不明者) Liveblog

Il soccorritore(救助者): "Io lì per primo, con la rabbia(怒り) di non poter fare nulla"


Il nostro inviato(通信員): "Così è diventato una trappola(罠)" / RepTv "Ho dato allarme, non mi credevano"

Video L'impresa degli alpinisti (登山家) per raggiungere il luogo / Il geologo(地質学者): "Zona non a rischio" (危険のないゾーン)

Si indaga(調査する) per omicidio colposo(過失致死). Due persone salvate(2名救出): "Lì sotto ci sono i miei figli". Sindaco: "Speranze ridotte" (望みは少ない)

Videoscheda La ricostruzione della tragedia(悲劇) ora per ora · Video La strada per l'hotel tra muri di neve alti 2 metri(2メートルもの雪の壁)

dal nostro inviato CORRADO ZUNINO e di ALBERTO CUSTODERO e GIOVANNI GAGLIARDI

ニュースは こちら


救出の映像は こちら


地震 雪山 雪崩 夜の闇に 積もる雪...悪条件が重なったのですね...心よりお見舞い申し上げます

イタリア語 ブログランキングへ


にほんブログ村 外国語ブログ イタリア語へにほんブログ村
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

2016年「第2回 須賀敦子翻訳賞」授賞式に初めて行ってきました(2016.11.18)@イタリア文化会館

2017年01月18日 | イタリアの本・絵本・雑誌
2016年「第2回 須賀敦子翻訳賞」授賞式に初めて行ってきました(2016.11.18)@イタリア文化会館


この栄えある第2回須賀敦子翻訳賞受賞式に 初めて行ってまいりました イタリア文化会館は いつものイベントとは違う静謐な空気に包まれ 受賞された方々のご家族やまわりの方々 先生方などが訪れていました 

今回は若い新進気鋭の翻訳者が受賞され 新しい息吹きを感じ ひさびさに希望溢れる瞬間を感じとることができて実に感無量です 世界をめぐる暗いニュースに心が沈んでいた私ですが 新しい力と希望を得ることができたと感じました 受賞された方にとって人生で最高の瞬間に居合わせることができたのですから!!
 
     *        *        *


2014年に設置された「須賀敦子翻訳賞」は、1988年に創設し、2007年に中断された「ピーコ・デッラ・ミランドラ賞」の後継となるもので、イタリア語の著作の優れた日本語への翻訳を評価し、広く紹介するものです

2014年に続き 2回目となる今回の受賞作は 選考委員会が、2014年7月から 2016年6月までの翻訳作品のなかから 下記の2作を選出しました。

プラハの墓地』、橋本勝雄訳(ウンベルト・エーコ著、東京創元社、2016年2月刊)
偉大なる時のモザイク』、栗原俊秀訳(カルミネ・アバーテ著、未知谷、2016年5月刊)

   *       *       *

私のような者がこのような栄えある受賞式に招待されたのは 2015年4月の「イタリアブックフェア」の翻訳者による本の紹介イベントで 今回受賞された栗原氏の本の紹介の記事をブログに書いたことが主催者の目に留まったからとのこと 10年間続けてきたことが報われたと感じています...スミマセン文学は実はあまり...読んでなくて イタリア語を聞いてどうにか少しはわかるだけの私なのですが(;'∀')

館長の挨拶に続き この翻訳賞の紹介 そして 川原千晶(ソプラノ) 岡田真歩(ピアノ)の演奏に続き 選考委員の紹介 総評 そして盾と副賞の贈呈に 受賞者挨拶と朗読(日伊) 閉会ということでしたが なんといっても嬉しかったのは 受賞者の挨拶と朗読です

橋本勝雄氏は 挨拶の中で 今年2月に亡くなったウンベルト・エーコの「プラハの墓地」を翻訳されたことに触れ 原作者のエーコがこの受賞を知ることは叶わなかったが 世界で最も早い手向けとなったと 選考委員長の和田先生の言葉に呼応するかのような挨拶に 胸があつくなりました...

エーコ自身の言葉によると 「いわゆる翻訳の忠実さというのは 認められるたったひとつの翻訳にたどりつく基準ではなく むしろ 情熱的にふみこんだ解釈をすればどんなテキストでも翻訳は可能だと信じる素質であり…(中略)その努力なのだ」という言葉に とても感銘を受けました

そして続くは 若き翻訳者 栗原俊秀氏の挨拶と朗読 ご自身のご家庭でも最も幸福な瞬間を迎えることができたこと!! それがなぜか日本語挨拶ではなく イタリア語挨拶の時に出てきたことに感じ入り 後日聞きに行ったイタリア語スピーチコンテストでのある出場者の言葉「イタリア語は日本語よりも感情を表しやすい言葉だ」を 再度実感するに至ったのでした 

最も感じ入ったのは 2012年に 無名の作家の作品を無名の翻訳者が訳したものを 面白いと 日本に紹介する価値があるねと 出版を即座に決意してくださった未知谷出版  まずもって未知谷にお礼を言いたいとの言葉でした その後毎年 翻訳者が惚れ込んだ作品を刊行してくださっているそうです  

確かに2015年のイタリアブックフェアでは 私はこの本も原作者も知らなかったのです 

そういえば いたばし絵本翻訳大賞受賞作品を出版してくださっている「きじとら出版」は たった一人での会社とのことですが この大賞受賞作品の出版を続けてくださっていることを思い出しました 今の世の中で 貴重な存在ですね...


この2作品の受賞の理由は 日本語の出来栄え 作品自体の価値と翻訳紹介の意義 訳者による原作に対する綿密かつ緻密な調査 という3点において審査されたのですが まず11作品が第一次審査で選ばれ そこから3作に絞られてから 今回の2作品に受賞が全員一致で決まったのだそうです

朗読は...言葉にはできない程の魂をゆさぶられるものでした 最初は日本語 次に原書を取り出しイタリア語での朗読 一番のクライマックスのシーンで 翻訳の苦労がにじみ出ており 10年勉強して少しでもわかるようになっていたことがなによりでした (講評のイタリア語はそらで聞きました)

私は翻訳はあまり得意ではないけれど せめて聞いてわかるくらいはできるような自分でいてよかったと そして次にどこかでお会いすることがあれば もっともっと成長した自分でいたいと この日 誓いました

素晴らしい賞を創設してくださいました イタリア文化会館様に 心よりお礼申し上げます


開催のお知らせは こちら


毎日新聞記事「須賀敦子翻訳賞決定」(2016.11.27)は こちら


2015年4月の「イタリアブックフェア」での栗原氏(翻訳者)による本の紹介「文学作品が描く『イタリアと移民』」のリポートは こちら



イタリア語 ブログランキングへ

にほんブログ村 外国語ブログ イタリア語へにほんブログ村
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

フェルザン・オズペテク監督作品「カプチーノはお熱いうちに(Allacciate le cinture)」のDVDを見ました

2017年01月14日 | イタリア映画・映画
フェルザン・オズペテク監督作品「カプチーノはお熱いうちに(Allacciate le cinture)」(2014)のDVDを見ました

以下は2016年秋に 日伊学院IPAのレッスンで「好きなイタリア映画のストーリーの要約(riassunto)を書け」という宿題が出たので DVDを見てから書いた文です (いい宿題だなぁ~♡ いろんなテーマが出てきます♪):


Trama/ストーリー:

A Lecce, 2000. Elena (cameriera) si è innamorata di Antonio (meccanico), il ragazzo di Silvia (collega di Elena e intima amica), mentre Silvia si è innamorata di Giorgio (fidanzato di Elena).

レッチェ、2000年。 エレナ(カメリエーラ)はアントニオ(修理工)に恋をするが、彼は同僚であり親友のシルヴィアの恋人。 一方シルヴィアはエレナの婚約者ジョルジォと恋に落ちる。

Dopo 13 anni, Elena (adesso imprenditrice di un bar) e Antonio si sono sposati e hanno due figli, ma si litigano spesso. Per caso a Elena si è scoperta cancro al seno dopo il controllo medico, si è ricoverata in ospedale.

13年後、エレナ(今はバールの経営者)とアントニオは結婚して2人の子どもがある。しかしケンカが絶えない。たまたまエレナに検診乳がんが見つかり、入院する。

Egle (donna senza famiglia), la compagnia di stanza, è morta. La dottoressa Diana (ex-cliente del bar) assicura la guarigione di Elena che ha famiglia e gli amici che la aiutano sempre.

エグレという独り身の同部屋の友人が亡くなる。 ディアナ医師(元バールの客)は 家族や助けてくれる友人の多いエレナの回復を確約する。

Elena e Antonio giurano che la loro vita continui per sempre, proprio sulla spiaggia dove loro si erano assicurati del loro amore 13 anni fa. La vita continua.

エレナとアントニオは 彼らがまさに13年前に愛を誓い合ったその海岸で 彼らの人生がずっと続くことを誓う。人生は、続く。

       *         *          *


以下は ネタバレありの感想です:

この映画は NHK「テレビでイタリア語」の中でもF.オスペテク監督インタビューで紹介されてましたよね (インタビュアーは鈴木マリア先生でした!) 親友の恋人と愛し合うようになり 奪うようにして結婚して13年 子どもも2人いて精一杯に働いて暮らしてきたのに ある日病魔に侵されていることがわかり...

なので 泣けました 

どこで一番泣けたかというと カフェのかつての常連で 医師を目指すディアナと エレナが入院した病院で「担当医と患者」という関係で偶然再会したシーンでした

最初は女医の方は気づかなかったのですが 昔彼女がいつもオーダーしていた「カプチーノ」の種類をぽろっと言うエレナ 女医はふと立ち止まり過去を思い出し それに答えるんですね

こんな形で再会するなんて皮肉ですよね...一瞬女医の心に戸惑いと衝撃が走るんです 医者となった彼女の表情に... そこが見ていてつらかったです 他の場所で再会したかっただろうと思いますよ

あと ゲイのファビオは つかず離れずエレナに寄り添って助けてくれる 若い頃からのなくてはならない大切な親友 
実はそれには 昔のつらいエピソードがありましたね

エレナにアントニオがお似合いか? と聞かれると うーん...と思ってしまうんですが つきあってた資産家のボンボンのジョルジォよりはましかな...と でもアントニオという彼そのままを愛しているんですよね エレナは 

しかし長年連れ添っていると険悪な間柄になるっていうのもまぁ...わかります(苦笑) ママ似の娘がかしこいですね~ 


でもさすがに エレナが叔母に誘われて受けた検診の結果を聞いた一週間後に皆を集めて 初めて病気のことを告げた時に 夫のアントニオが 荒れて独りでバイクでどっか行っちゃった時は見ていてがっかりしました いちばん一緒にいてあげなきゃいけない時に 不器用な男なんですよね...

こんなに必死で頑張っているエレナが なぜ独りで泣かなければならなかったのか まず最初に夫に話すことができなかったのかという気がします 


同室の エグレという面白い中年女性の患者さんも なんとなくまわりにいますよね~( ;∀;) あと お母さんと叔母さんが口喧嘩ばかりしながらも いつもエレナを見守ってくれているんですよね あのおしゃべりっぷり!!←ここがイタリア人らしい(笑)

ラストは 昔の自分たちと出会う不思議なシーンで終わります ここは若い頃のシーンで見ていて懐かしかった 

G.トルナトーレ監督「シチリア!シチリア!」のラストシーンで 使い走りにやって走って戻ってきた子どもと今の子どもがすれ違う不思議なシーンがあったけど この映画のラストにも似たような「昔の自分たちとすれ違う」時空を超えたシーンがありましたね あっと思わせてくれました

ほんとに よい未来が待っているといいなと思う 救われるラストでした...


原題の「Allanciate le cinture」は 飛行機のアナウンス等での「ベルトをお締めください」という意味ですが まさに人生の乱気流に遭遇した主人公を取り囲む愛しき人々の ヒューマンラブストーリーでした


人生って 若い頃には想像もつかないような荒波が待っているものなんですよね... 若い頃の悩みってその時は大変でも こんなことで悩んでいたんだねって 振り返ってみると思うんですよね... そしてそれは年を経た今でないとわからないものなんですよね~しみじみ

イタリア語のテキスト「Chiaro!」(B1)8課に出てきた "Un uomo giusto"(Elena Stancanelli著、Einaudi社発行)という小説(2011年)の中に "mecanico, dislessico(難読症)"という主人公Davideが出てくるのです 
建築家(architetta)のAnnaと恋に落ちるのですが 人物設定が(有望な女性と 不釣り合いな男性のカップル)実によく似ているのです...


登場人物は こちら


映画は こちら




映画(全般) ブログランキングへ

にほんブログ村 外国語ブログ イタリア語へにほんブログ村

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「マルコの世界(il mondo di Marco) 小田部羊一と「母をたずねて三千里」展&小田部氏トークショーに行ってきました(2016.12.10)@イタリア文化会館

2017年01月12日 | イタリア映画・映画
「マルコの世界(il mondo di Marco) 小田部羊一と「母をたずねて三千里」展&小田部氏トークショーに行ってきました(2016.12.10)@イタリア文化会館



40年ぶりの再会でした... 「母をたずねて三千里」(1976)第1話「いかないでおかあさん」のラストシーンで アルゼンチンに向けて出航する船を追い 波止場を泣きながら走るけなげなマルコ少年 会場からはすすり泣きの声があちこちから...

思えば私は学生時代にこのLPを買って 何度も何度も聞いていたのですね なので全部覚えていたのです!! 自分でもビックリしました 聞く前からセリフが湧いて出てきたんです(^.^) 


2016年12月10日(土)小田部羊一作画監督・キャラクターデザイナーのお話を聞きに詰めかけた人たちでほぼ満席 アニメ関係の方が多かったようです 通訳はイタリア人でした

このアニメはイタリアでももちろん大人気でした♪ 私は当時ビデオがない時代でしたので 修学旅行先の夕食をひとりで抜け出して 旅館のテレビをこっそりつけて 涙を流しながら最終回を見た思い出があります...今からはとても考えられないですよね~( *´艸`)

お話で印象的だったのは 幼い頃油絵を描いていた父のもと ディズニー作品や「くもとちゅうりっぷ」(1943)に出会い 「血が通った 生きてみえる」アニメの世界を志したこと 

一本の筆で表現する日本画(東京芸大日本画科卒業)と 一本の鉛筆で表現するアニメ原画(東映動画に就職)の世界は同じで 幸せな出会いだったこと

子供の頃から好きだった絵を志すにあたり 父の嗜む油絵ではなく水彩画がやりたかった 幸い旧友の母君が日本画を描かれる方で 芸大受験の貴重なアドバイスを受けたが 入学後に日本画は初めての彼は大変な努力をされたとのこと

2年先立つ「アルプスの少女ハイジ」(1974)の時はスイスにロケハンに行ったことが役立ったが 「母をたずねて三千里」のロケハン(アルゼンチン発ジェノバまで)には事情があり行かれず 「もしロケハンに行っていたらあのキャラではなかったと思う」 とのこと ←ではいったいどんなキャラになっていただろうか?今のように広く愛されるキャラだったのだろうか?と「条件法過去」を使って考えてしまいますね(笑) 

また イタリアのロケハンに代わるものとして なんとこのトークショーの場でもあるイタリア文化会館に(まだ改築前の頃の建物)イタリアの資料をスタッフたちと探しに来たことがあるというエピソードに驚きました!! 40年前にです!
また ハイジは丸顔だったので マルコは楕円形の顔にしてみたそうです( ..)φメモメモ

猿のアメデオの顔もいろんな猿の写真を参考にして創りました 辻音楽師のイタリア映画「ナポリの饗宴」(1955)という若い頃に見たイタリア映画も ペッピーノ一座のキャラづくりに参考にしたそうです 

また 椋尾篁(むくお・たかむら)美術監督(この展示会にも背景画が展示されておりました)は イタリアならではの生活感の描写が際立っており 光と影を強調して描いたとのこと
 
高畑勲監督が「クオレ(イタリア語で「心」という意味)」(デ・アミーチス原作)の中の短いエピソード(十数ページくらいの話)を 一年間52話のシリーズに編集したのがこの作品なのですね 

この日40年ぶりに第1話を見たという小田部氏は これは長編アニメ映画でやるべきだった これをよく一年のアニメシリーズ(全52話)にしたものだと改めて驚き よくやったと これもスタッフの結束あってのものだと感じた と開口一番に話してくださいました

また 高畑監督が「ハイジ」の作品で初めて 従来の「作画監督」に加えて「キャラクターデザイン」という新しい役職名を創ってくれたとのこと
(私たちアニメファンにとっては キャラデザは誰々...というのが結構重要ですので ハイジの時からできた役職なのか~と改めて発見!)

宮崎駿氏は当時はアニメーターだったが レイアウトでは全画面の配置やキャラだけでなく 細かな動きの設定も指示してあり この設定があれば一年間(52話)乗り切れると 気概を感じたこと 

この作品「母をたずねて三千里」は あの時代の「奇跡の瞬間」だったのではないか 人は若き日には戻れないものだから あの若き時代の我々が 互いを尊敬しあい信頼しあってこそ乗り切ってゆけたからこそ生まれた作品なのではないかと思う とのこと 
(これは「トキワ荘」にも通じるものがありますね あの時代にあの若きメンバーが集ったからこそ生まれた世界...)

太陽の王子ホルスの大冒険」(1968年劇場公開*小田部氏は原画担当)では  アニメーションとしてのリアリティをもった「ある世界を創ることができた」と感じたこと
「ホルス」の予告編は こちら ←子供の頃劇場で見た世代です 一度見ただけで刻印されました((+_+)) 

   *        *        *


会場からの質疑応答では:

Q. マルコがお母さんになかなか会えなくて 描く方もつらかったと聞きますが?
A. 特にマルコがお母さんに会えなくて 雪の中を歩くシーンは 描いていてつらかった シリーズが終わり ある時描いてくださいと言われたがマルコを描けなかったことがあり それくらい自分の中から追い出したかったのだと思う 
Q. ハイジのあとの「フランダースの犬」(1975)では1話のみ 3人(高畑、小田部、宮崎)が参加された話があるが?
A. おそらく助っ人的に参加したのだろうが、まったく覚えていません(笑)

*追記: 「アルプスの少女ハイジ」はイタリアで人気だった イタリア人はイタリアで制作されたとばかり思っており 日本で作られたと知るとビックリ!! 反対に「フランダースの犬」は知られていなかった(萩尾望都×ヤマザキマリの鼎談「イタリアと日本人 文化とサブカルチャーをめぐって」(2016.11.9)@イタリア文化会館 ヤマザキマリのトークより)


Q. マルコの成長に従って描き分けていたのですか?
A. 特に描き分けてはいないが 自然にやっていたのかもしれません その証拠に前のセル画を挿入した時に あれっ?と思うくらい幼い顔だったということもありました

Q. ディズニーのフルアニメーションに当時は皆憧れていたわけだが 日本では予算のこともありフルアニメではなくリミテッドアニメが盛んだった 
特に決めポーズや誇張もない ディズニーアニメのリアリスムとは違っていたのか?
A. 日本のアニメーターはディズニーに近づこうとしていたのが「漫画映画」と呼ばれていた時代だ 私は「太陽の王子ホルスの大冒険」(1968)で  アニメーションとしてのリアリティをもった「ある世界を創った」と感じた 
オーバーアクションではなく自然にできたと感じた 自然な欲求から作った日本人的なものが表せたと思う
(ここで私が大好きだった「ホルス」の話が出て感激♡ アタマの中にはホルスのテーマソングが鳴り響く(笑))

Q.6才で「マルコ」を見た 大人になりジェノヴァに行ってきたが記念碑も何もなかった もっとイタリア人に広めてほしい 
また40年も前のこの作品に大の大人が涙するような「名作」が 今やめまぐるしい現代の日本からは失われてゆくのが悲しい
A. 4年前フィレンツェのアニメ学校に招かれて行った時 イタリア人の生徒たちは ハイジは皆知っていてもマルコはほとんど知らなかった! 放映されてはいたが 再放送はされなかったのかも イタリア人はつらい話が嫌いなのかもしれないが 
私は「名作」を創っているという意識は全然持っていない 大勢に見てほしいから(原作に)名作もの(世界の児童文学シリーズ)を選び 監督についていったのです 

Q.「ある世界を創れた喜び」と何度もおっしゃったが キャラクターデザインの醍醐味や大切にしているものは?
A. 私は「映画の中で世界を創れたら それが一番いい映画だ」と思っている人間です 手づかみで 中に入っていける映画が好きです キャラが「生きてみえる」 血の通ったリアリティを持った 例えば子供の頃にみた もりやすじ氏の絵の中にそれはあります あたたかなアニメーションが好きです 血がかよっているような...


(通訳の方はここをpulsante(脈を打つ、鼓動する) i personaggi vivi(生き生きとした人物)等と訳されていました フムフム...) 
*日本語をイタリア語に訳す時はイタリア人の通訳 その反対は日本人の通訳がよいのですね~

*もりやすじ氏:  「アニメーションの神様」とも言われる伝説のアニメーター 動物の描写が優れており 小田部・高畑・宮崎氏等の後進を育てる ←私もとても好きでした...昔見ていたのです♡

会場には はるばる遠くからいらした方 アニメ学校の元生徒さんなどもみえており アニメ関係の参加者がとても多かったようです ←私は両方です(笑)

トークが終わっても鳴りやまぬあたたかな拍手...皆さん40年前のあの感動を拍手に変えて感謝の気持ちを伝えたかったに違いありません...  

私もイタリア文化会館に長く通ってきて まさかここで子供時代に夢中で見た「マルコ」に再会できるとは思いもよらず 人生ひとめぐり...といった感慨に包まれております

エキシビションホールの展示会には 先ほどの聴衆の方たちがつめかけて お話を聞いたばかりのあたたかな気持ちを抱えて いつまでも見入っておりました...



開催のお知らせは こちら


* 素晴らしいイベントを開催してくださいましたイタリア文化会館様に心よりお礼申し上げます

* 石ノ森ふるさと記念館(宮城県登米市)にて「世界名作劇場展」1月22日(日)まで開催中です!! 協力: 石ノ森章太郎FC ← 私 ここの長年の会員です♪


美術館・ギャラリー ブログランキングへ

にほんブログ村 美術ブログへにほんブログ村
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

La Lingua la Vitaの「メソポタミア期のトーディ: ワインの歴史とイタリアの芸術について」に行ってきました(2016.11.15)@日伊学院

2017年01月08日 | イタリア料理・イタリアン食材

La Lingua la Vitaラ・リンガ ラ・ビータの「メソポタミア期のトーディ: ワインの歴史とイタリアの芸術について」に行き トーディのワインをいただきました♡(2016.11.15)@日伊学院


「イタリア留学フェア2016」に続き 各語学学校ではこの時期 さまざまな留学セミナーが開催されていました
そのひとつ ウンブリア州トーディの学校 La Lingua la Vitaラ・リンガ ラ・ビータが日伊学院で開催した 「メソポタミア期のトーディ:ワインの歴史とイタリアの芸術について」に参加してきました 



ここではワインのセミナーのあと ビデオを見ながら トーディの赤と白ワイン「Tudernum」をテイスティングしました 終了時間はあってなきようなもの(笑)←他でもそうみたい♡ 主催者 参加者 たまたまレッスンのない先生方も集まり ずーっと皆でワインをいただきながら歓談し続けておりました(^_^) 

     *        *       *

自然豊かなウンブリア州の、丘の上の小さな町トーディ
ウンブリア州の町らしく 丘陵地の上に建設されたこの町の語学学校「ラ・リングア・ラ・ヴィータ(La Lingua La Vita)」が メソポタミア期のトーディのワインの歴史とイタリアの芸術についての講座とワインのテイスティングを開催してくださいました

ワインのお話の前に まずは Todiが「世界で最も住みやすい街」に選ばれたことをご報告させていただきますね!!


Cittaslow(
スローフード運動で選ばれた「スローな街」)のひとつでもあるTodiは 1991年に ケンタッキー大学教授によって行われた「世界で最も住みやすい街(la città più vivibile del mondo)」に選ばれました!!

* ちなみに「スローシティ(cittaslow)はイタリアが最も数多く登録されていました 日本では気仙沼市たった一か所!!)

理由は...
microclima favorevole 気候のよさ 人間と環境のよりよいバランス(人口過多ではない) il ritmo di vita rilassati リラックスした生活リズム 
godimento della bellezza 美しさを楽しめること
rispetto delle tradizioni storiche, artigianali e culinarie 歴史と手工芸と食の伝統の尊重etc..

詳しくは:

Nel 1991, l’architetto Richard S. Levine, direttore del ‘Center for Sustainable Cities’, ha eletto Todila città più vivibile del mondo”.

In dolce posizione collinare(丘陵の優しい立地), a un’ora e mezza da Roma(ローマから1時間半), la cittadina medioevale che ha dato i natali al poeta duecentesco Jacopone da Todi è tuttora emblema di un’Umbria verde e spirituale(緑とスピリチュアルなウンブリアのエンブレム). Su un territorio di 18 mila abitanti(人口1,8万人), dal 2010 al 2011 vi è stato un significativo incremento demografico(人口統計学の), dovuto soprattutto a stranieri.(2010~2011年に外国人により人口が増加した)

Todi, ai confini del mondo (2013.1.19)より抜粋

Todi, quando il piccolo fa la differenza
は こちら

Umbria una bellissima regione al centro d'Italia "il centro-sud"は こちら


大変素晴らしいですね~ 都会暮らしだと 満員電車とか環境汚染とか騒音等に日々悩まされておりますが 確かに写真を見ると丘の上でゆったりと勉強している生徒さんたちが...なのでリピーターも多いそうです♡ エトルリア文明に興味のある方などもここを選ぶそうです

イタリア留学フェアが始まった最初の頃から参加されていた学校のひとつだそうで 私も今の会場になる前(どこかのビル?)に行った時に ここのブースを訪れたことをよく覚えています ドイツに留学した時は私も小さな町ボッパルト(Boppard am Rhein)を選びましたから 似ていますね♡


    *        *       *


Il vino in Italia e nell'arte italiana
ワインの歴史とイタリアの芸術について


ワインの起源はサンスクリット語のamare (ヴィーナスvenere/金星の語源)からともいわれ 他にはサンスクリット語のvi (attorcigliarsiからみつく)蔦の果実という意味の語からともいわれています

メソポタミア(今のイラクのあたり)には6000ac(紀元前)に たまたまぶどうの木から絞った汁をテラコッタの壺に保存していたという記録があります

古代エジプトでも葡萄を栽培していたと パピルス(papiri)にその熟成方法が記載されて0おり またツタンカーメンの墓にもワインのボトルが発見されていたそうです

ギリシャ神話(mitrogia Greca)では神Dioniso ローマではBacchusが ワインの神(il Dio del vino)とされており baccanale (酒神バッカス祭)での 喜びと繁栄(gioia e prosperità)の象徴として 頭に蔦を載せ ワイングラスを手に掲げた様々な姿が描かれています

ギリシャ三大悲劇詩人 エウリピデス(Euripide)(450aC)の作品の祝いのシーンで出てくる "Che baccanali!"は今でも「飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ!」という意味で使われる (ちなみにbaccanaleは バッカス祭、酒神の祭り、お祭り騒ぎ、乱痴気騒ぎの意味)

エトルリア人は船でワインを運んでいた ウンブリア州からトスカーナ州 ラツィオ州にかけてワインの貿易が行われていた アンフォラ(anphora)はワインを入れる壺のこと 

最古のソムリエの存在 大プリニウスの"Naturalis Historia"という博物誌には "Grechetto"というトーディ産のワインの名が残っている 
ワインを混ぜる前にどれだけ水を入れるかを決めたとのこと (当時はワインに水を入れていたのですね!)

ローマ帝国崩壊とともにワインも衰退し 中世にふたたび盛り返し ベネディクト修道会等が聖体の祝いの儀式などsacralità(聖なること)にワインを用いた

18世紀になると 今も使われている技術が開発され 葡萄の品種によって畑を仕切る 白と赤のワインが生まれる rovere(オーク材)の樽が使われる denomnazioni(ワインに名称をつける) などが始まった 

ワインが描かれた芸術作品には カラヴァッジョの「バッカス」(頭に冠を被った酒の神) ティツィアーノの「アンドロス島の祭り」 Renato Guttusoの「カフェ・グレコ」 作家では Giacomo Leopardi の "Zibaldone"

ガブリエレ・ダヌンツィオ(Gabriele D'Annunzio) というファシズム時代の詩人は 友人の手紙に「医者に健康のためにワインを飲めとすすめられた」と記している 

乾杯のシーンで有名なのは Giuseppe Verdiの"La Traviata(椿姫)"の「乾杯の歌 (il Brindisi)」

"Cin Cin"は中国語の"prego"の意味であるCh'ing Ch'ing(請請)から来た擬音語で マルコポーロがヨーロッパに伝えたといわれる

Lucio Battisti(60~90年代に活躍した歌手)の歌"La mia canzone per Maria"を皆で聞きました♪♪♪ (参加者は誰も知らなかったけど 日伊学院の先生はモチロンご存知でした(笑)

   *       *       *

次はワインの生産

葡萄の品種(vitigno)に応じて植える 土地(terreno)や気候(clima)の研究 水はけのよい(drenato)乾燥した(asciutto)土地が適している等...

la potatura    剪定
i trattamenti   手入れ
la raccolta    収穫
la pressatura   圧縮
la fermentazione 発酵、醸造
l'invecchiamento 熟成  等の段階を踏みます...

次に テイスティング(degustazione)の方法について

esame visivo 視覚テスト: trasparenze 透明感 schiumosità 泡立ち、発泡性 等
esame olfattivo 嗅覚テスト: profumi 香り difetti(欠陥)はここで見つける
esame gustativo 味覚テスト: persistenza 持続
ソムリエ(sommelier)は 飲み込まず(non deglutiscono) 専用のボウル(ciotola)に吐き出します 十数種類ものワインを飲み続けることは無理なので...(/_;)

  *       *       *

さていよいよウンブリア州のワインについてです:

2つのDOCG(Denominazione di Origine Controllata e Garantita、略称 DOCG)という原産地認定(地理的表示)があります

1. Montefalco Sagrantino (Todiの東の街)
sacramenti(洗礼などの儀式)を祝う為に生まれ フランチェスコ修道会等が広めました

2. Torgiano Rosso Riserva

70%はサンジョヴェーゼ 30%は bacche rosse とのこと 


DOC(Denominazione di Origine Controllata/原産地呼称統制ワイン)のワインもたくさんありました!!中でも Colli Martani Grechetto ...そう 前の方に出てきた大プリニウスが記したというGrechettoのワインなのです!

この日テイスティングさせてくださったTodiのワインももちろん Tudernum というワインでした(^^)/ 収穫してから2年以内に飲むのがよいとのこと♪
* tuderteは Todiの、トーディの住民 という意味です 

   *        *       *


そしていよいよ 「La Lingua La Vita」の学校紹介に続きます
学校紹介のビデオを見ながら 葡萄やオリーブの収穫体験プログラム(秋) intarsioという寄木細工 intaglio (彫刻) ricamo(刺繍) pittura(絵画) cucina(料理) opera(オペラの歌) gioielli in porcellana(磁器の中の宝石) ceramica (陶器) dizione (発声法) equitazione (乗馬)over 50 (50才以上のコース) per tutta la famiglia(ファミリーコース) pizza (ピザ) pasticceria (お菓子作り) enogastronomia (エノガストロノミー/ワインと食事の組み合わせの研究)等のコースがあります クラスは少人数で2~6人とのこと!

いただいたパンフを見てみると 近郊の街 トルジャーノ モンテファルコ 等に遠足に出かけたり イタリア文化体験プログラム(1週間~)として 「グレケットとサグランティーノの土地発掘の旅」 「オリーブオイルの世界探索」等があります まさにスローシティに選ばれたトーディならではの体験ですね(^_^)

今年で28周年を迎えるとのこと おめでとうございます(^^)/




セミナーのお知らせは こちら



* 素晴らしいセミナーを開催してくださいました日伊学院様 イタリアからおいしいワインをたくさん持ってきてくださいましたStefania校長先生 ありがとうございました!!


*1月8日 イタリアの各地で雪だそうです⛄

グルメ ブログランキングへ

にほんブログ村 料理ブログ イタリア料理(レシピ)へにほんブログ村

イタリア語 ブログランキングへ

にほんブログ村 外国語ブログ イタリア語へにほんブログ村

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

フラテルナル・コンパニア(Fraternal Compagnia) 「ドン・ジョヴァンニ~甦った石の招客~」を見に行き花束を渡しました(2016.12.13)@イタリア文化会館

2017年01月04日 | イタリアの歌・音楽
フラテルナル・コンパニア(Fraternal Compagnia) 「ドン・ジョヴァンニ~甦った石の招客(Don Giovanni - Il nuovo risarcito Convitato di Pietra)~」を見に行き花束を渡しました(2016.12.13)@イタリア文化会館



昨年12月13日に見に行ったボローニャの即興仮面劇コンメディア・デッラルテの劇団「Fraternal Compagnia」の思い出です 特に自分が花束を渡すシーンがここのサイトでも紹介されていたので よい思い出です...

ドン・ジョヴァンニ(ドン・ファン)は モーツァルトのオペラでも有名な話ですが 元になった伝説はプレイボーイの貴族ドン・ファンが 貴族の娘を誘惑し その父親(ドン・フェルナンド)を殺し その後墓場でドン・フェルナンドの石像の側を通りかかり 戯れにその石像を宴会に招待したところ本当に石像の姿をした幽霊として現れ大混乱になったところで石像に地獄に引き込まれる というものです

今回見たフラテルナル・コンパニアの作品「ドン・ジョヴァンニ~甦った石の招客(Don Giovanni - Il nuovo risarcito Convitato di Pietra)~」は ドン・ジョヴァンニが不死の身体を得て世界中の女をものにしようとするも 女たちの復習により神話の守り神が倒され それを知らずに石の招客(convitato di pietra)を家に招いたドン・ジョヴァンニが倒され そのあとに平和が来るというもので ラスト近くでドン・ジョヴァンニの母が 「これがおまえの最期の改心のチャンスだよ」と諭すシーンで mamma!!と叫ぶ息子のドン・ジョヴァンニが この時だけは母を慕う息子の心を取り戻した 切ないシーンでした...

5人で一人二役どころか20人近い役を演じ分け 舞台の右端では様々な楽器をひとりで演奏 また舞台ではセリフが時々日本語になっていてスゴイ!! 舞台の上には字幕が写されますが それはあらすじでしかなく あとは舞台を見て聞き取るしかありません イタリア語がわかってよかった~($・・)/~~~ 

主人公のドン・ジョヴァンニ(いい男!) ドンナ・イザベッラ ドンナ・アンナとその父(大使、彼は殺されのちに石の幽霊となり復讐する) ドン・ジョヴァンニの家来のグリッロ(コオロギという意味の名前) チカーラ(セミという意味の名前)のおどけた二人がが狂言回しです

とにかくドン・ジョヴァンニの女たらしぶりがすごくて(笑) そのために命を落とす人も出て(このあたりの残酷さは原作通り) 最後は石の亡霊(ドン・ジョヴァンニに殺されたドンナ・アンナの父親の亡霊)がドン・ジョヴァンニの晩餐に招かれて家にやってくる...これはあのモーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」等でも見た有名なシーンですね

最後は残された女性たちと それを助けた男性たちが結ばれて...めでたしめでたし♡ 

こんな至近距離で本場の劇を観られて 数歩歩いて花束まで渡すことができて嬉しかったです 一年間様々なイベントでお世話になり 一年の最後にと 慣れないことをしてしまいました(笑)

この日のリハーサルの情景 そしてなんと私が花束を渡すシーンも写っていました(笑)
映像は こちら



  *       *      *
コンメディア・デッラルテ(commedia dell'arte)は 16世紀にイタリアで生まれ 18世紀中葉まで流行った即興仮面劇です

今回上演される「ドン・ジョヴァンニ~甦った石の招客~」は、コンメディア・デッラルテの高名な役者であったジャン・バッティスタ・アンドレイーニが書いた作品です

アンドレイーニはドン・ジョヴァンニの物語を神話のなかで展開させています
今回の演出は、アンドレイーニの作品をもとにしていますが、モリエールや「ドン・ジョヴァンニ」のもっとも古い作品を書いたティルソ・デ・モリーナのドラマツルギーの要素も見られます

なお、上演はギロンダ(la ghironda)、アコーディオン(fisarmonica)、管楽器(ocarine/オカリナ)、打楽器、ギター(il mandolino/マンドリン)など さまざまな楽器の生演奏とともに行われます。

ドン・ジョヴァンニ:ルカ・コマストリ
ドンナ・イザベッラ、ドン・オッターヴィオ:アレッサンドラ・コルテージ
グリッロ、ドン・ピエトロ:マッシモ・マキャヴェッリ
ドンナ・アンナ、王:タニア・パッサリーニ
チカーラ、ミルディッラ:ソフィア・ブロカーニ
演奏:ウンベルト・カヴァッリ

フラテルナル・コンパニア Fraternal Compagnia


15年以上の歴史をもつ文化協会で、これまで数多くのプロジェクトを行ってきた。現在は主に、小中学生に向けた活動、ホームレスやマイノリティへの支援、コンメディア・デッラルテの普及、プロ・アマの演劇指導、フェスティバルやイベントの企画、若手アーティスト支援といった活動をしている。
イタリア内外で公演を行っている。日本では、大阪、京都、山形、浜松の大学で公演し(12/1~12/15)、またトルコのイスタンブールやスペインのマラガでのフェスティバルにも参加している


コンメディア・デッラルテ(Commedia dell'arte)

仮面を使用する即興演劇の一形態。 16世紀中頃にイタリア北部で生まれ、主に16世紀頃から18世紀頃にかけてヨーロッパで流行し、現在もなお各地で上演され続けている。

   *      *      *


Bologna porta la commedia dell'arte in Giappone


La Fraternal Compagnia parte per una tournée orientale mettendo in scena lo spettacolo "Don Giovanni"



Bologna è la nuova capitale della Commedia dell’Arte e con le maschere della tradizione sbarca(上陸した) in Giappone. A portare questa particolare forma teatrale sarà la Fraternal Compagnia, compagine bolognese diretta da(~によって指揮される) Massimo Macchiavelli che per il quarto anno parte dall’1 al 15 dicembre per una tournée orientale, mettendo in scena in diverse città giapponesi lo spettacolo “Don Giovanni” scritto nel 1600 da Giovan Battista Andreini.

“Fino a qualche anno fa la Commedia dell’arte a Bologna non esisteva invece ora organizziamo corsi che richiamano (惹きつける) studenti da tutto il mondo e dalla nostra esperienza sono nati gruppi che stanno girando sui palcoscenici(舞台) di tutta Italia”, spiega Macchiavelli.

La Commedia che arriverà in Giappone è uno spettacolo originale che intreccia (編む) le avventure del celebre libertino(放蕩者) con la tradizione bolognese.

“Questo Don Giovanni non è il solito fanfarone (ほら吹き、はったり屋) ma Andreini gli restituisce tutta la sua crudeltà (残忍さ) – spiega il regista -.
In Molière il personaggio è tutto improntato sulla sua umanità, qui si inserisce nella guerra tra Titani(巨人) e gli dei dell’Olimpo”(オリュンポスの神々).

A sottolineare (強調する) la drammaturgia (ドラマツルギー、演出法) sarà la musica scritta da Umberto Cavalli che per l’occasione ha utilizzato diversi strumenti della tradizione popolare emiliana(エミリア地方の): le ocarine(オカリナ), il mandolino(マンドリン) suonato “all’emiliana”(エミリア風の), la ghironda(ギロンダ)*, la fisarmonica(アコーディオン).

 * la ghironda/ギロンダ = 中世から18世紀に使用された ハンドルを回して音を出す弦楽器 (初めて見ました!)

La Fraternal Compagnia sarà ospite dell’Università di Hamamatsu, e della Kumamoto University, farà tappa a Sakai partecipando ad un evento dell’Unesco dedicato ai diritti umani, sarà presente alla prefettura di Kobe per i tradizionali festeggiamenti di “Luminarie” che ricordano il sisma del 1995, arriverà quindi agli Istituti di cultura italiana di Tokyo e Osaka.


I giapponesi apprezza (評価する) molto la Commedia dell’arte perché, come hanno ricordato gli organizzatori della trasferta(遠征), è molto simile agli intermezzi comici (幕間喜劇) del Teatro No(能).

 *日本の能に似ているので 日本でもコンメディア・デッラルテは高く評価されている



*来日公演の新聞記事(Bologna)は こちら

この記事を読むとわかりますが ボローニャで生まれた団体とのこと 
写真は この日使われた数々の楽器

開催のお知らせは こちら


* 素晴らしい公演を開催してくださいましたイタリア文化会館様に心よりお礼申し上げます



映画(全般) ブログランキングへ

にほんブログ村 外国語ブログ イタリア語へにほんブログ村
コメント
この記事をはてなブックマークに追加