日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、元東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

『テルマエ展 お風呂でつながる古代ローマと日本』に行ってきました(2024.4.12)@パナソニック汐留美術館

2024年04月13日 | イタリアの美術館・博物館
『テルマエ展 お風呂でつながる古代ローマと日本』に行ってきました(2024.4.12)@パナソニック汐留美術館

テルマエ展』にようやく行ってきました!  
汐留と新橋の近くにあるパナソニック汐留美術館は 上野に比べて割と小さくて チケットもあまり高くないし 人も少なめでゆっくり観られて お土産も買えました💕 ずうっと観ていたかったです😊


今回は 私も訪ねたことのある「ナポリ国立考古学博物館(Museo Archeologico Nazionale di napoli)」から《恥じらいのヴィーナス》(Statue of Venus) や《アポロとニンフへの奉納浮彫》など 30点以上が来日しています! 

この博物館には50万点が所蔵され 5万点が常設展示されているそうです😲 私も行った時は半日かかりました~🖼


まずは 入場前にビデオを観ました📺

ポンペイにもテルマエ(terme/温泉)が5カ所あるとのこと  Baiaも温泉地でしたが 紀元前1世紀に古代最古の温泉が作られたそうです😲

床下暖房(ヒュポカウストゥム/hypocaustum)もあり 3メートルもあるヘラクレス像が飾られ ヴィーナスも多く描かれ クラウディウス水道から水をひいてきたり 5千ヘクタールもの森林から火を起こしたのだそうです

    *   *   *
  1.  序章 テルマエ/古代都市ローマと公共浴場

ローマ市で最初のテルマエは 初代皇帝アウグストゥスの右腕 アグリッパ*によって紀元前25年に建設されました。
 *高校の美術室に必ずといっていい程 その彫像が置いてあるアグリッパ💕

今も地上に遺構がよく残っているのは カラカラ浴場(217年)と、ローマ市で最大のディオクレティアヌス浴場(302年頃)です。
(チラシの写真は カラカラ帝です  ひげのある皇帝は少なかった) 

大規模なテルマエの運営には 水道の管理・維持に加え 大量の燃料と奴隷を必要としました。そのため古代ローマの風呂文化は、中世には消え去ってしまいました。

ギリシャ語で「熱」を意味する「テルモス」が テルマエの語源とのこと


第1章  古代ローマ都市のくらし

古代ローマ人は、古くは質実剛健を旨とし、農業こそが富の正しい源であると考えていました。しかし、地中海に勢力を拡大して圧倒的な富を手に入れると、その生活も変容していきます。

帝政初期には、ごく一部の特権階級と「大衆」の格差はかつてないほどに広がりました。皇帝たちは大衆の不満を解消すべく、食糧の施与や、剣闘士試合、演劇を含む見世物など娯楽の提供という施策をおこないました。
テルマエも大衆からの人気獲得に大いに役立ちました。庶民たちのくらしは特別な日の見世物と、毎日の仕事の後のテルマエによって彩られていました。

古代ローマの市民たちは 水道や台所もなく 居酒屋に食べに行ったりしていました 最近発掘されていますね😊


第2章 古代ローマの浴場

公共浴場のルーツには、自然の温泉のほかに、古代ギリシャの運動施設の水風呂や、医神の神域の入浴施設がありました。
ですがそれを大衆の娯楽のために、驚くほどの規模へと発展させたのは古代ローマ人でした。
ギリシャでは若者たちは肌に油を塗り、全裸で運動したため、運動後にはストリギリス(肌かき器)で汚れを落とし、水で身体を洗う必要がありました。
ギリシャでは女性の入浴の場は自宅に限られていましたが、ローマでは女性もテルマエに通うことができました。
水や湯をふんだんに使用するテルマエは、水道をはじめとする高い建築・土木技術に支えられていました。

 ストリギリス(肌かき器) ← 痛そう~😢

軽く運動をしてから 冷却室(フリギダリウム/frigidarium ) 温浴室(テピダリウム/tepidarium) 熱浴室(カルダリウム/caldarium)の順に入ってゆき マッサージ等をします 
また 温泉のあとは 朗読会や図書館などもあり 階層を越えた市民交流の場でもあったのですね
混浴はなく 午前は女性 午後は男性と分けるところもあったそうです 

また 古代ギリシャのギュムナジウム(運動施設)も ルーツの一つだったそうです 
そして 医療と健康の神 ギリシャのアスクレピウス信仰が始まりました
展示では 古代ギリシャの女性たちの装いとして キトンという衣装に ヒマティオンというマントを被っていたそうです これは トーガの原型とのこと  ←これが個人蔵とは😲

エトルリア製の鏡もあり ピュクシス(pyxis)という小物入れの断片に 裸体女性の浮彫が描かれていました 
当時使われていた 水道のバルブや ライオン頭部の形をした吐水口も興味深かったです😲  


第3章 テルマエと美術

テルマエは、大衆が美術品を間近に見ることができる場でもありました。床には水に強いモザイクが敷かれ、1〜2世紀には白黒モザイク、それ以降は多彩モザイクが好まれました。
 ローマの大規模なテルマエには数多くの大理石彫刻も飾られました。皇帝や浴場の建設者の肖像のほかに、神々の像や古代ギリシャの有名作品のコピーが、壁面のニッチや円柱の間の台座の上に並びました。
浴場のルーツのひとつであるギュムナシウム(運動施設)にちなんだアスリート像や、それを守護するヘラクレスの彫像など、浴場にふさわしい主題が選択されました。

ヴィーナスの絵や像 ヘラクレスの像もたくさんありました


第4章 日本の入浴文化

本展の最後の章では、国内に残される地方色豊かな温泉文化にも触れながら、日本のお風呂の歴史を概観します。
日本において入浴の習慣が定着したのは江戸時代、家庭内の風呂が当たり前になった現在でも、東京だけで約700軒もの公衆浴場が存在しています。温泉地へ旅することや近年のサウナブームも、日本人がお風呂好きな民族であることに起因するのでしょう。

『テルマエ・ロマエ』の主人公・ルシウスが、浴場を通して日本とローマを往復したように、古代ローマと日本のそれぞれの入浴文化を体感ください。

 日本の銭湯の模型展示

最後の章は日本です 
日本書紀には 最初の温泉の記述が残っていること 仏教による入浴の功徳 穢(けが)れ意識に起因して温泉が発達したこと そして江戸時代に入って入浴の習慣が定着し 1591年に初めての銭湯ができたことなどが 貴重で今日深い展示とともに紹介されていました

ヤマザキマリさんと青柳正規先生の対談は即満席で行かれませんでしたが 「ヴェスヴィオ火山噴火10月説」も紹介されたようです😲 ← 辞書の書き換えにもつながる大発見😲

    クリアファイルをお土産に😊


『テルマエ展 お風呂でつながる古代ローマと日本』展(2024.4.6~6.9) は こちら

みどころは こちら




 
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