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酔生夢死ってわけでもないけれど、、、日々雑感

花曇り

2020年03月31日 | 風景・自然

桜が満開に近くなってきました。

一番の見頃は今週だと思いますが、残念ながらお天気が崩れそうなので、今年の思い出に写真を撮っておきました。

こういうお天気を花曇りって言うのでしょうね。

(曇っていても、桜の樹の下を歩くと、気持ちも弾んで明るくなります。)

先週の月曜日に3ヶ月(だったかな)の改装期間を終えてリニューアルオープンした、上川端商店街の「せいもん払い」。

どんな感じになったか興味津々。

水槽がちょっと立派になった(ような気がする)。

(改装前の水槽が写っている2019年12月の記事。)

入口がビルの中に入り込んだ。

(この奥に以前と同じ引き戸タイプの入口があります。)

入ってすぐのカウンター席の後ろをお客さんが歩く動線、2階席等に行くために靴を脱ぐ場所、そして、マグロ(中トロ)と「海鮮ゴロゴロクリームコロッケ」の激ウマは変わっていませんでした。(笑)

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「パン屋むつか堂」

2020年03月30日 | 食・レシピ

食パンブームの人気店のひとつ、「福岡・薬院の食パン専門店」の「パン屋むつか堂」のアミュ博多店に行ってきました。

(博多駅。)

「むつか堂」は、博多駅ビルの、ちょうど時計の裏側にあります。

(この時計の後ろ。)

いつもなら行列ができているらしいのですが、店内にお客さんは2グループぐらい。

ほんと、時計の真裏です。

ちょっと早い夕食を兼ねて妻と訪れましたので、ややガッツリめに注文。

「ブレッドミールセット」の「ハム&マヨエッグホットサンド」(スープorサラダ、ドリンク付き)。

断面です。

「ツナミックスサンド」。

デザート感覚で「博多あまおう苺のサンド」。

3種類とも、とても美味しゅうございました。(満腹でございます。)

食パンを買って帰ろうと思いましたが、この時間(18時半頃)では売り切れ、残念でした。

それにしても、博多駅の時計を裏側からじっくり見ることができて面白かったです。

(大きいけど造りは意外とシンプル。)

「3密」のシチュエーションには至らないまでも、人との近接の機会が避けられない街中への外出は、いよいよ福岡でも自粛です。

できることをしっかりとやり続けて、かつ、最悪の事態にも備えるよう緊張感を持ち続けたいと思います。

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長崎・平戸2泊旅行~平戸・生月

2020年03月29日 | 旅行記

旗松亭のチェックアウトは10時。

旅行3日目は、①平戸の中心エリア、②平戸本島の❝上半分❞、③生月(いきつき)、をめぐります。(今回の旅行では、平戸本島の❝下半分❞の奥平戸までは行きませんでした。)

旗松亭をチェックアウトして荷物を車に乗せた後すぐには出発せず、お隣に続いている「崎方公園」の展望所に行ってみます。

(見づらいですが、左には「崎方公園」、右には「展望広場」と木の看板が掛かっています。奥には展望所がチラッと見えます。)

展望所からは、今日これから行く「平戸ザビエル記念教会」が遠くに見えます。

左の方にパーンすると、「西の高野山」とも呼ばれる真言宗のお寺「最教寺」(さいきょうじ)の三重塔が見えます。

(この三重塔は平成元年に完成した日本最大の三重塔だそうです。)

微妙なお天気、雨が降らないうちに少しでも回りたいので、車に戻って、改めて出発。

 

数分で「平戸ザビエル記念教会」に到着。

(「平戸港交流広場」という徒歩散策の出発点から歩いても10分ぐらい。)

昭和6年(1931年)に「カトリック平戸教会」として建設され、昭和46年(1971年)、1550年のザビエル平戸来訪を記念して、教会脇に「ザビエル記念像」が建立された際に「聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂」と呼ばれるようになりましたが、近年、正式名称を「平戸ザビエル記念教会」と改めたそうです。

(向かって左側にだけ小塔を配したアンシンメトリーな造り。)

教会堂の斜め前に「殉教者顕彰慰霊之碑」があります。

(禁教時代の殉教者の慰霊碑です。)

教会の駐車場に車を置いたまま、周辺を散策します。

「宗陽公の墓」は、正宗寺(しょうじゅうじ)に納められている、平戸藩主松浦家第28代当主、松浦隆信(宗陽)公のお墓。

(ちなみに、「松浦」は「まつら」と読みます。)

ここを通り過ぎると、すぐに雰囲気のいい石畳の坂道があります。

坂道の中ほどにある、立派な門構えのお寺は「光明寺」(こうみょうじ)。

(山門のソテツが印象的です。)

ここからもう少し坂を下った所から見える景色が、平戸の代表的風景、「寺院と教会の見える風景」。

交差して見えるのは、平戸ザビエル記念教会と光明寺、瑞雲寺です。

教会の駐車場に戻って、また数分車で移動(徒歩でも回れます)、次は、「松浦史料博物館」です。

松浦家の旧邸宅を利用した博物館で、藩主の当時の生活が分かる品々、日蘭貿易の史料、キリスト教迫害の関連史料など、なかなか見応えがあります。

(さすが藩主の旧邸宅、中は広い!)

後程行く「平戸オランダ商館」との共通入館券800円のほか、邸内の小さなお土産物コーナーで目に留まったとてもきれいな髪留めを、キャッシュバックの現金で。

松浦史料博物館の近くのマイナースポットを散策。

「六角井戸」。

六角形で石柵に囲われている珍しい形状の井戸で、昔、この地に定住した明の商人が明の様式で造ったと言われています。

「大ソテツ」。

(服の色で見づらいですが、左に立っている人と比べると大きさが分かります。)

樹齢400年と言われている「大ソテツ」は、江戸時代初期の貿易商の川崎屋の庭に植えられていました。当時この辺りは平戸で一番栄えた場所で、川崎屋助右衛門、半田五右衛門、伊藤謀等などの貿易商が軒を連ねていたそうです。

ふと「ホース格納箱」を見ると、ふるさと納税(で整備しました)のシールが貼られていることを発見。

(街中のホース格納箱にふるさと納税シールが貼られていました。平戸市は寄付先として人気なのでしょうね。)

 

また車でちょっと移動、平戸中心エリアの徒歩散策の出発点、「平戸港交流広場」の駐車場に入れます。

日蘭貿易が盛んだった頃の商館倉庫(復元)などをめぐります。

大きな横断幕がフェリー乗り場に掲げられています。

(「的山大島」と書いて「あづちおおしま」と読みます。)

「芥川賞受賞」よりも「的山大島」という言葉に引き寄せられました、、、以前の福岡勤務時代、当時の同僚の方が的山大島の磯を釣りの❝ホームグランド❞にしていたので、時々連れて行ってもらった思い出の島。

港沿いにウッドデッキ調の散策道が整備されています。

(散策道、私たちで独占状態。平戸の街は閑散としていました。)

港越しに養生中の平戸城。

(本丸周辺の大規模改修だそうです。)

「オランダ埠頭」は当時の船着き場。

(白い建物は復元された「平戸オランダ商館1639年築造倉庫」。)

「常燈の鼻」は、オランダ商館跡の北東隅にある石積みの高台で、防波堤と灯台の役割を果たしていたそうです。

「平戸オランダ商館1639年築造倉庫」は、平成23年に復元されたオランダ商館の倉庫。

(外観や構造はオランダ、屋根など一部は日本の建築技術が使われた和洋折衷の建物。)

1609年、オランダ船2隻が平戸に入港、藩主の松浦隆信は歓迎し、商館建設の許可を与えたそうです。

(当時の帆船の模型が飾ってあります。)

徳川家康の許可状(だったかな)。

秋篠宮ご夫妻も訪問されたことがあるそうです。

1階は日蘭貿易や当時の商館の史料の数々、2階には当時オランダ人が楽しんだボードゲームが何種類か置かれていて、実際に遊べます。

オランダ商館は、その後の禁教時代、幕府によって(難癖をつけられて)取り壊されたそうです。

 

「オランダ商館」の周辺には当時の関連遺構があります。

「オランダ井戸」は、文字通り商館が使っていたそうです。

(屋外と屋内に1つずつあって、2つの井戸はつながっていました。)

「オランダ塀」は、オランダ商館の塀の一部が残っているもので、商館本館のほか、倉庫、火薬庫、病室等の❝目隠し❞として作られたそうです。

そろそろお昼時です。

観光客もほとんど見かけず、お店もそんなに開いている様子もないので、営業中のお店に飛び込んで昼食にすることに。

(平戸らしい(?)街並みを歩いてみますが、お店がやっている様子はなく、、、。)

港前の表通りの喫茶風のお店が開いていました。

(ちょい悪おやじ風の親切なマスターがやっている「パンチョ」。)

ランチセットで、カレーとナポリタンを注文。

(美味しかったです。)

食後のコーヒーをいただきながら、これからの行程を確認したら、再び出発。

平戸中心エリアの最後のスポットです。

こちらの像は「じゃがたら娘像」。

1639年、江戸幕府がオランダ人やイギリス人に嫁いで子どもを生んだ女性とその子どもをオランダ船に乗せバタビア(ジャガタラ、今のジャカルタ)に追放した(平戸からも40人余りがこの港から渡って行った)そうです。

この石橋は「幸橋」(さいわいばし)。

(左の立派な建物は平戸市役所です。)

当時は、平戸城と城下町の往来は船だったそうですが、1669年(寛文9年)、第29代藩主の松浦鎮信が木の橋を架け「幸橋」としました。その後、1702年(元禄15年)に石橋に架け替えられました。

これにて平戸中心エリアの観光は終了、まだ何とか雨は降らずに持ちこたえています。

 

これからは、ドライブ気分で平戸本島の❝上半分❞と生月をめぐります。

平戸中心エリアから約15分でしょうか、「川内峠」(かわちとうげ)。

標高約260mの場所に広がる長崎県を代表する大草原で、❝小山❞を頂上まで登って行くと、大パノラマが広がります。

この日は雨こそ降っていませんが、この曇天では、、、快晴なら、東に九十九島、北に玄海灘、遠くは壱岐・対馬を望むことができるそうです。

これは「塩上げ石」、川内峠の草原にポツンとあります。

650年ほど前、大渡長者(おわたりちょうじゃ)という貧しい商人がいて、川内峠を通る時に必ずこの石に塩を供え、「願わくば、たくさんの船を持つ大商人にしてください。」と祈願し続けたところ、後に大商人となったという伝説がある石です。

 

次は、「宝亀(ほうき)教会」。

明治31年(1898年)に建てられた、正面の白漆喰と赤レンガが印象的な教会。(本体は木造だそうです。)

海を望む小高い丘の上に建っていますが、アプローチは結構細い道を行きます。

続いて、「紐差(ひもさし)教会」。

1929年、鉄川与助(またしても鉄川さん!)の設計・施工で建てられた大規模天主堂で、旧浦上天主堂が原爆によって倒壊した後は、日本最大の天主堂と言われていたそうです。

天主堂の裏にある十字架山です。

紐差教会も見晴らしのきく小高い丘の上にあります。

やや表層的な見方ですが、教会をめぐるといつも思うのは、大きく美しい天主堂とその周辺の質素な地域の超対照。これは、お殿様が住むお城と城下町や農村という対照と共通するものを感じます。(心の拠り所、権威、ってところでしょうか。)

 

生月に渡る前に、「春日集落」の棚田を見に立ち寄ります。

「春日の棚田」は「平戸島の文化的景観」でしたが、2012年に「国の重要文化的景観」に指定されました。

私たちが見たのは、山間から海に流れ注ぐようにダイナミックに続く広大な棚田の、海に近い一部分のようです。やっぱり棚田は見る場所が難しいですね。

 

さぁ、生月へ渡ります。

この先は「生月大橋」。

生月大橋を渡っている最中です。

(妻撮影。)

まずは生月大橋を渡った所にある「道の駅生月大橋」に寄ってみます。

(ここにも観光客はいません。)

快晴なら最高の撮影スポットですね。

(風も強くなってきて、空模様が、、、。)

このあたりで出汁と言えば「あご出汁」。

さすがにトビウオ(あご)の干物そのものは持て余すので買いませんでしたが、妻がお土産に「あご出汁パック」を買いました。

小ぢんまりした道の駅でしかも誰もいませんので早々に出発。

生月を一気に北上して、北部の「塩俵(しおだわら)の断崖」へ。

(ちょっと肌寒くなってきました。)

駐車場から歩いてすぐ、この奇岩・断崖の景観を見ることができます。

ズームしてみると、、、

ご存知、「柱状節理」です。(高さ約20m、南北約500mの柱状節理の断崖。)

3月初旬に訪れた、沖縄県の久米島の「奥武島の畳石」と同じ自然の営みの産物。

 

最後のスポットは、生月の最北端、「大バエ灯台」です。

(灯台に灯がともっていました。)

この大バエ灯台、海側から見ると、こんなダイナミックな所(断崖の高さ100m!)で海の安全を守っています。

(説明板を撮影。)

灯台には珍しい展望所があって、外付けの階段で上ることができますが、風がますます強くなっていて怖いのでやめておきました。

駐車場からは、風力発電の風車が数基立っている❝鼻❞を望めます。

(風の強い地域なのですね。)

ここからは帰路となりますが、生月の南部エリアにある「山田教会」に寄ってみました。

1912年、これまた鉄川与助(またまた鉄川さん!)の設計・施工で建てられたレンガ造りの教会。教会内の壁面に飾られた、蝶の羽で作られた装飾画が美しいそうです。

山田教会の前の空き地(?)では菜の花が満開でした。

(青空ならもっときれいなのになぁ。)

ちなみに、今回の旅行で訪れた数々の教会は、通常時でも見学は事前予約要(一部不要)、今は新型コロナの影響で見学禁止となっていますので、いずれも外観のみの見学でした。

 

さて、これで長崎・平戸2泊旅行の行程は全て終了。(3日目、最後まで雨に降られることはありませんでした。)

生月にはこのほかにも、殉教地「ガスパル様」・「だんじく様」、「生月大魚籃観音」、生月町博物館「島の館」など、訪れたい所はありますが、今回は時間の関係で割愛しました。

16時半過ぎに生月を出発、西九州道経由で福岡に帰着、レンタカーを19時には返却できました。

 

晩御飯は、博多名物水炊きの「華味鳥」に行きました。

(予約なしの飛び込みですが入れました。お客さんはそこそこいました。)

水炊きの基本コースにこのから揚げを追加。

(あご出汁。)

そう言えば、今回の旅行では鶏を全然食べていないので、水炊きやから揚げは新鮮。(笑)

久しぶりの水炊き、美味しかったです。

コース料理の最初に出て来た鶏のたたき、追加したから揚げ、〆の雑炊。

ごちそうさまでした!

 

充実の長崎・平戸2泊旅行、楽しかったです!

 ・長崎・平戸2泊旅行~池島炭鉱坑内体験ツアー/外海エリア散策
 ・長崎・平戸2泊旅行~ガーデンテラス長崎
 ・長崎・平戸2泊旅行~長崎から平戸へ
 ・長崎・平戸2泊旅行~平戸・生月

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長崎・平戸2泊旅行~長崎から平戸へ

2020年03月28日 | 旅行記

ガーデンテラス長崎を12時前にチェックアウト。

旅行2日目は、長崎から平戸へ移動、道中いろいろと立ち寄ってみます。

2日目の宿泊は、平戸の「国際観光ホテル旗松亭」。

当初1泊旅行の計画のところ、「『平戸ひらめまつり』に行こう!」という急遽の追加だったので、人気の「旅館田ノ浦温泉」は満室。

 

2日目、出発です。

西海市西海町の「道の駅みかんドーム」。

ここに立ち寄ったのには明確な❝目的❞が3つあります。(笑)

目的その1・・・「生しぼりみかんジュース」をやってみたかった(飲んでみたかった)。

カゴに入っている旬のみかん(旬で種類が変わります)をレジで買って、この「生搾り機」の上から丸ごと投入、中で機械がぐいぐい搾ると、写真のようにフレッシュジュースが出てきます。

これが面白い、そして、激ウマです。(大玉3個投入なのに紙コップに半分強という超贅沢さ。)

目的その2・・・西海の名物「ゆで干し大根」を買う。

西海町の面高地区で冬に作られる名物で、「大栄大蔵大根」(だいえいおおくら)という、太さ・煮崩れにくさ・仕上がりの色の良さが揃った、ゆで干し大根専用の品種を使っているそうです。

「切り干し大根」よりも水で戻しやすいこともあり、太めに切られています。戻してサラダも良し、煮たり焼いたりでもOK。

ちなみに、大きく太い大栄大蔵大根1本からできるゆで干し大根は手のひらに乗る程度の量。

そして、ゆで干し大根の特徴は、断崖絶壁の上に建てられた「やぐら」で干すこと。

(ネットより拝借。)

できればこの景色を見てみたかったのですが、観光地ではないし、ドローンでも飛ばさないとこんなダイナミックな景色は見れないかなと思い、お土産だけ買いました。

目的その3・・・「池島炭鉱坑内体験ツアー」のオプションの島内観光の案内人さんが「うまいっすよ」と教えてくれた芋焼酎「磨き大島」を買うこと。

(ありました。4月の大島(宗像の大島)釣行の夜用に買いました。)

ということで、❝目的❞達成しました。(笑)

他にも魅力的な地元の産品が並んでいました。

「塩」も名産のようで、妻が自宅用に購入。

(炭鉱の石炭を使って製塩業が始まった。)

大島トマト(ルビーのしずく)」のジュース。

(さすがにいいお値段がします。)

「道の駅みかんドーム」に来たら、道路向かいの「直売所よかところ」にも寄ってみるのは鉄板です。

(「大島トマト」ののぼりが出ています。)

店舗を取り囲むように臨時の台が出ていましたが、ずらりとみかん。

(まさに旬。)

のぼりが出ていた通り、「大島トマト」(大島造船所農産グループ)がありました。

やや小ぶりの不揃いトマト4つ程度、780円。

お取り寄せと同じくらいの玉、6つ程度、2180円。

お土産に780円バージョンを2袋購入。帰宅後いくつか食べましたが、やっぱり美味しい!

実は、大島トマトを買うために、大島町まで足を延ばして大島造船所農産グループの「大島トマト農園」に行こうと思っていましたが、ここでゲットできたので、スルーして次の立ち寄り地へ。

 

西海の代表的な景色と言えば、「針尾瀬戸」(に架かる新西海橋と西海橋、2本の新旧橋)の景色。

展望所のある「西海橋公園」に立ち寄ります。

(「魚魚市場」の駐車場に入れるのがおススメ。)

まずは、1億円かけて作ったという公衆トイレ「海の風」へ。(笑)

(驚くような豪華さではありませんでした。)

「海の風」を出た所に、展望所へのアプローチがあります。

(新西海橋は遊歩道も整備されています。)

階段を上ると、「西海の丘」という芝生の広場になっています。

(看板にデザインされているように、運が良ければ渦潮も見ることができます。)

まずは、針尾瀬戸越しに間近に見える「針尾送信所」。

(針尾瀬戸の小島に建つ灯台と比べると、その驚愕の大きさが分かります。)

針尾送信所は、2017年10月に仕事で長崎・佐世保に来た時に車の中から一度見たことがありますが、こうやってじっくり見るのは初めて。

大正7年から4年の歳月を費やして建設された、直径12m・高さ136mの3本の塔(塔を結んでできる正三角形は一辺300m)は、真珠湾攻撃の暗号文「ニイタカヤマノボレ」を中継したと伝えられています。

そして、こちらが「新西海橋」と「西海橋」。

展望所からの景色は360度のパノラマ、絶景です。

「桜が咲いているかなぁ、、、。」と期待していたのですが、まだつぼみでした。

広々とした芝生広場には家族連れがちらほら。ほぼ独占状態の広場で子どもたちが元気に走り回っていました。

 

次の立ち寄りスポットは、佐世保バーガー!

妻もかなりビットが立っていますので、何軒か食べ比べてみようと思います。

1軒目は、佐世保市有福町の「あいかわ」。

長崎牛の肉屋さんがやっているバーガーショップ。

注文はサイネージ風のタッチパネルで。

待つこと5分強、番号を呼ばれたらカウンターに取りに行きます。

「あいかわ」の佐世保バーガー。

佐世保バーガーというと、大ぶりな印象ですが、ちょっと小ぶり。

お肉屋さんだけあって、パテを引き立てるようにシンプルな作り、、、お味は激ウマです。

小ぶりなのと激ウマなのとでペロリといけて、夫婦で「これ、3軒くらいは食べられるんじゃない。」みたいな強気な雰囲気に。(笑)

 

2軒目の佐世保バーガーは、佐世保中心エリアに近い、佐世保市矢岳町の「ログキット」と「ヒカリ」。

(交通量の激しい幹線道路沿い、角地にあります。道路向かいの市営(?)駐車場に入れるのがおススメ。)

「ログキット」と「ヒカリ」は同じビルの2階と1階にあります。

仕事でいつもお世話になっている方からのおススメ、「ログキット」からいってみます。(妻が買いに行ってくれました。私は1階の店外ベンチで待っています。)

店内はウエスタンなテイスト。

(妻撮影。)

こんなオブジェもあるそうです。

(妻撮影。)

サイズはいくつかあるようで、「レギュラー」を選択。

(妻撮影。写真左上、「3月サービス、レギュラーのお肉を1枚サービス!」。)

「あいかわ」に比べると、大きい!

しかもパテ2枚、チーズも野菜もソースもたっぷりで、ボリューム満点。

(ずっしりと重い。)

お味は、「あいかわ」とはまた違った美味しさで、もちろん激ウマです。

「ログキット」のボリューム満点のバーガーでほぼ満腹、3軒目に予定していた「ヒカリ」はまた次の機会に。(笑)

 

平戸へはもうすぐです。

平戸の玄関口の田平で、「田平天主堂」を訪れます。

田平教会は、外海から移住してきた信者が造り上げたそうです。(ド・ロ神父が出津集落の信者の一部を移住開拓させたそうです。)

信者の積立金、募金、寄付などで資金調達し、1918年、鉄川与助さんの設計・施工により建設されました。

同じく鉄川さんの設計・施工による上五島の「頭ヶ島天主堂」と同様、レンガ積みが特徴的で、その美しさと威容は今回訪れた教会の中でも随一の印象です。

この美しさは、ひょっとしたら、レンガの目づめにコンクリートではなく、貝殻を焼いて作った石灰と赤土を混ぜた「アマカワ」を使っているからかもしれません。

(教会の裏手にある「貝殻焼き場」。)

 

ここから「平戸大橋」を渡れば、もうそこは平戸ですが、明日の天気がイマイチの予報ですので、今日のうちに「田平公園」から平戸大橋を眺めてみることに。

(向こうは平戸。)

駐車場から3分ほど歩けば、この絶景。田平公園もおススメです。

 

さて、今回、急遽平戸での宿泊を追加したのは、東京のテレビで「さかな君」が紹介していた「平戸ひらめまつり」情報がきっかけ。

(ネットより拝借。)

まつりの詳細はよく分かりませんが、平戸のイチオシ、天然ひらめを旅館や店舗で堪能できる、ということのようです。

ということで、夕食に❝ひらめのフルコース❞を出しているホテル、「旗松亭」へ。

以前は天皇陛下もご宿泊されたことがある歴史あるホテルですが、経営改善が遅れ倒産、その後、「ホテル再生人」と言われる中国資本に買収され復活。

フロントが豪華です。

栄光・倒産・買収・復活のドキュメントを館内のテレビで流していますが、一人の解雇も出していないなど、「ガイアの夜明け」(テレ東)も真っ青のドキュメントでした。

館内が広いので、部屋、露天風呂、内湯(大浴場)、食事処の場所を❝地図❞で説明してもらいます。

(ホテルの従業員の方はみなさん応対がとても良かったです。)

部屋からの景色。

(平戸城、平戸大橋が一望です。)

平戸城をズームしてみますと、、、昨年10月から始まった改修工事のため養生中。(工事は来年3月末まで。)

平戸大橋をズーム。

「旗松亭」、平戸の高台に建つ眺望抜群のホテルです。

ところで、フロントでこちらの紹介を受けました。

観光振興の取り組みでしょうか、レンタカーで来て平戸に宿泊すると、3000円のキャッシュバック。

 

さて、夕食です。

(食事処「美湾」(びわん)。)

食事は、「平戸ひらめまつり」期間限定のひらめのフルコースです。

ひらめの薄造り。

平戸牛の陶板焼きも入っています。

〆は、鯛茶漬けならぬ、ひらめ茶漬け。(茶漬けと言っても、お茶ではなく「あご出汁」です。)

(ごまだれのかかったひらめをご飯に乗せて、あご出汁をかけて、蓋をして30秒で出来上がり!)

天然ひらめ、美味しかったですねぇ。

その中でもあえて順位を付けると、1位:ひらめの天ぷら、2位:ひらめ茶漬け、3位:ひらめのしゃぶしゃぶ、4位:ひらめの薄造り、って感じでしょうか。(平戸牛も絶品でした。)

ごちそうさまでした。

 

食後は、露天風呂や大浴場で平戸温泉を満喫、いい温泉でした。

それにしても、空いています。

食事処にはそこそこお客さん(日本人ばかり)がいましたが、風呂はガラガラ。

妻曰く、ほとんど人と会わなかった(独占状態)とか。

 

翌朝、チェックアウトの時、「乗り割りキャンペーン」の3000円キャッシュバック、いただきました。(笑)

全て、この平戸で使いたいと思います。

明日は、平戸・生月を回ります。

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長崎・平戸2泊旅行~ガーデンテラス長崎

2020年03月25日 | 旅行記

1日目の宿泊は、妻が「一度泊まってみたい。」と言っていた、長崎の稲佐山の中腹にある「ガーデンテラス長崎」です。

素晴らしい満足感とまさかの結末を。(笑)

 

外海エリアの散策から「ガーデンテラス長崎」までは40分ぐらい。

アクセスにちょっと迷いましたが、無事ゲートに到着。

(写真は滞在中のスナップを動線順に並べていますので、時間経過(太陽の明るさ)通りではありません。)

ゲートを入ってフロントのある建物「ロイヤルテラス」まではゴルフ場のクラブハウスまでのイメージですが、すぐに印象的な建築「グランドテラス」が目に飛び込んできます。

そうなんです、ガーデンテラス長崎は、建築家の隈研吾さんが手掛けたホテルで、2009年7月に眺望抜群の稲佐山の中腹にオープンした、「大人の夜景リゾート」。

ちなみに、隈研吾さんが手掛けた福岡県内の建築と言えば、「スターバックスコーヒー」の「太宰府天満宮表参道店」があります。

フロント(ロイヤルテラス)まで車を進めれば、あとはスタッフがやってくれます。

私たちが泊る部屋は、「タワースイート」(タワーと言っても2階建て)です。

(キューブ状の建築が「タワースイート」。)

ロイヤルテラスからタワースイートまではスタッフがカートで連れて行ってくれます。

(タワースイート。)

振り返ると、「グランドテラス」の不思議な遠近感と印象的な姿に目が釘付けになります。

(その向こうには稲佐山の山頂が見えます。)

部屋のタイプは「デラックス」で、明るい木調で統一されています。

ウリはバスルームからの眺望。

軍艦島へ渡る船も出ている長崎港ターミナルなど、長崎の景色が一望できます。

(長崎港ターミナルをズーム。)

夕食の時刻となりました。

レストランはいくつかありますが、私たちは、「鮨ダイニング 天空」を予約しました。

(ホテルのパンフレットより。)

カウンターに座って、コーススタート。

先付け。

旬の寿司。

お造り、煮物、焼き物など一品料理。

カウンターの向こう、板さんのバックは全面ガラス張りで夜景を見ながら食事ができます。

雰囲気、料理、お酒、五感で長崎の旬を堪能させていただきました。

 

私たちは「クラブラウンジ」(「センターテラス」内)を利用することができるプランなので、食後のもう一杯と甘味をいただきに寄ってみました。

(手前のプールのすぐ下にあるのが「オーシャンスイート」。)

1時間弱くつろいでいたでしょうか、部屋に戻り、夜景を見ながら風呂に入って就寝。

超快適なベッドでした。

 

日の出は6時半頃だったか、バスルームから日の出を拝むことができます。

朝食は、夜には創作料理と天ぷらのレストランになる「秋月」で。

(クラブラウンジと同じセンターテラスにあります。)

私は和食を。

無料でアラカルトを好きなだけ選べますので、壱岐牛のミニステーキ、ミニカレー、季節のスイーツをお願いしました。

妻は洋食。

「卵料理はいかがしましょうか?」、「フライドエッグでお願いします。」

で、出てきたのがこちら。

オムレツ!

実は、この前にスクランブルエッグが出てきて、申し訳ないけど、「フライドエッグでお願いしたのですが、、。」と再注文した後の、まさかの2回目の❝間違い❞の登場でした。

さすがに3回目をお願いするのはしんどいので、オムレツをいただきました。

最後は、アラカルトの季節のスイーツを夫婦1つずつお願いしたのに1個しか出て来ないというオチまでついて朝食終了。

 

この朝食の一件を除けば、素晴らしい満足感でした。

もちろん、部屋にあった「アンケートのお願い」に事実を書いておきました。(笑)

ということで、「ガーデンテラス長崎」、素晴らしい満足感とスリリングな朝食(洋食)(「フライドエッグ」を注文してみてください)を試してみたい方はいかがですか。(笑)

 

参考まで、ガーデンテラス長崎の敷地図です。

(上が長崎港方向、左が稲佐山山頂方向。斜面を利用して全棟全室で眺望が確保されるように建っています。)

 

2日目は、平戸への移動の道中、観光でいろいろと立ち寄ってみます。

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長崎・平戸2泊旅行~池島炭鉱坑内体験ツアー/外海エリア散策

2020年03月24日 | 旅行記

3月の連休、妻が来福、長崎と平戸に2泊旅行に行ってきました。

メインは、「池島炭鉱坑内体験ツアー」、「ガーデンテラス長崎」(宿泊)、そして「平戸ひらめまつり」(平戸・生月観光)。

旅行の行程はこんな感じ。

炭鉱跡の見学というと、「軍艦島」(端島)が圧倒的に有名ですが、同じ長崎県には、「ブラタモリ」でも紹介された(2015年4月)「池島炭鉱」跡があります。

2019年5月に軍艦島に上陸した私たち夫婦、今回はその池島炭鉱跡に行ってきました。

軍艦島と違うのは、坑内に実際に入ることができる❝体験ツアー❞ということ。

(妻が東京で見つけた、こちらのツアーにネットで事前申し込み。)

ちなみに、池島、軍艦島、1泊目の「ガーデンテラス長崎」、そして、潜伏キリシタンの関連遺産のある天草とはこんな位置関係。

炭鉱、潜伏キリシタン関連遺産という観点では、長崎・西彼杵半島・平戸、天草は地理的にもつながりがあることが分かります。

 

池島へのフェリーが出ている西彼杵半島(にしそのぎ)の神浦港(こうのうら)へは福岡から車で3時間はかかります。

念のため、朝7時前に出発。

「時間に余裕があれば立ち寄りたいなぁ。」と思っていた、「日本の棚田百選」のひとつ「大中尾棚田」に立ち寄れました。

(神浦港までは10分ほど。ここまで来れば遅れることはありません。)

棚田観賞の難しいところは「どこから見るか」。

同じ目線の高さからの景色。

高台から見下ろすと、こんな景色。

おそらく先祖代々切り拓いて積み上げてきた石垣、気が遠くなるような時間と労力を感じます。

30分弱でしょうか、美しい大中尾棚田の景色を堪能させてもらいました。

 

神浦港に到着。

(ビジネスホテルの1階がフェリー待合所。)

フェリーの出発時刻まではまだ40分はありますが、超小ぢんまりとした港ですので何もありません。

(快晴なり。)

出航時刻15分前に軽トラで係の人がやってきてチケット窓口を開けます。

(昔の切符のような厚紙。懐かしい手触りです。)

このあたりは西彼杵半島の外海(そとめ)と言うエリアですが、人口などが掲示されています。

(池島の人口はざっと100人。全体としては1ヶ月の間に人口も世帯も減少しているのがやや衝撃的。)

フェリーが来ました、、、車は1台、乗客は10人ってところでしょうか。

出航して5分ほど、デッキに出てみると、神浦港が遠くなっています。

20分ちょっとで池島が見えてきました。

(池島は西彼杵半島から西へ7kmの場所にあります。)

港に入ってきました。

実はこの港、元々は「鏡が池」という池でしたが、石炭の輸送のために池の❝縁❞を切って港にしたもの。

(お土産で買ったクリアファイルの写真を見るとよく分かります。)

だから港のバス停は「池の口」。

(この池島港の大きさは、軍艦島がすっぽり入るくらいだそうです。軍艦島は周囲1.2km。)

池島を改めて紹介すると、周囲約4km 、49年間続いた炭鉱時代の設備が今も遺されていて、見学・体験ができる唯一の島です。

炭鉱開発は昭和27年(1952年)に始まり、閉山は平成13年(2001年)。島の人口は、最盛期で7776人ですが、住民票を移していない協力会社の労働者を含めると10000人は生活していたのではないかと言われています。

船を降りると桟橋で係の方(三井松島リソーシス株式会社)が待っています。

ツアーの出発点となる「池島開発総合センター」まで歩く約3分間、港や島の簡単な説明をしてくれます。

これは港に残る、往年の石炭積出の桟橋。

(崩れ落ちています。)

「池島開発総合センター」。

入室後、まずはツアー代金を支払って、炭鉱の説明ビデオ(約10分)を観ます。

(領収証兼池島炭鉱トロッコ電車「記念乗車証」。)

ここでちょっと早いですが、お隣の部屋(会議室)で昼食。

私たちは「当時をしのぶ炭鉱弁当」(お茶付き)を注文しておきました。

(アルマイト製の弁当箱は返さないといけません。)

結構美味しかったですが、おそらく当時の炭鉱マンはこれくらいの量では全然足りなかったと思います。(笑)

昼食後、もう一度、オリエンテーションルームに戻って、ヘッドライト付きヘルメットを装着。

(学生さんでしょうか、女性5人の坑内体験ツアーとはなかなかシブいですね。)

この後、全員で❝指差し呼称❞をします。

係の人が「構えて!」と言った時、私だけ「ヨシ!」と大声を出したので妻が引いていました。(笑)

今日は「足もと安全確認ヨシ!」で、3回連続で言って、「ご安全に!」で〆ます。

 

坑内に入るトロッコ電車の所(坑外停留所)まで少し歩きます。

(ヤギが草を食べています。)

建物は当時の社宅で、一部には今も住んでいる方がいます。

炭鉱の島は銭湯があるので、部屋には風呂はありません、、、そのためか、家賃は6000円。

トロッコ電車に乗り込みます。

すぐに炭鉱へ入って行きます。

ここでヘッドライトを点けますが、坑内で使うのでメタンガスに引火しないように火花が飛ばない完全密閉式の特別製で、お値段何と1個8万円!

「水平坑道奥部電車停留所」という所でトロッコを降ります。

元炭鉱マンがいろいろと説明してくれます。

(当時の写真や坑内地図。)

坑内を徒歩で移動していきます。

(実際に使われていた道具が生々しく展示されています。)

ヘッドライトだけでなく、当時の蛍光灯は完全密閉の❝ケース❞に入れられていて、1セット10万円はしたそうです。

ちなみに、炭鉱労働者は年金もいいらしく、案内役の元炭鉱マンは県下トップクラスの年金をもらわれているそうです。(笑)

発破を仕掛けて爆破して坑道を作る「坑道掘進跡」。

ここで本物の巨大掘進機「ロードヘッダー」を見学。

(巨大重機は分解して搬入し4日間かけて組み立てたそうです。)

続いて、石炭採掘現場(復元)へ。

採炭機「ドラムカッター」を実際に回して当時の様子を見せてもらえます。

この直径1m以上厚み60cmはあるヘッド部分が回転し石炭を削り取っていきます。

壁面をワンスパン削り取ったら、このベースごと水圧で前進させ(向かって左に水平移動させ)、次の壁面(石炭)を削ります。

(比較する物がないので分かりづらいですが、高さ2mってところでしょうか。)

当時最先端の重機を用いて採掘していた石炭は1日8000トン。石炭はベルトコンベアーに乗せられ、地上へと運ばれて行きます。

池島の海底には無数の坑道が広がり、最深部は海面下650m、閉山後は全ての坑道が水没しているそうです。

ちなみに、池島近くには南西方向に「大蟇島」(おおひきしま)、北方向に「松島」があり、いずれも炭鉱でした。

松島がこのあたりの炭鉱発祥の地らしいですが、水没事故が何度が発生し、最大50名を超える炭鉱労働者が一度に亡くなったこともあるそうですが、松島の坑道地図が残されておらず、万が一池島から坑道を掘り進めて松島坑道と当たると水没事故を招く危険があるため、池島炭鉱は松島方向には掘り進まなかったそうです。

 

ロードヘッダーにしても、ドラムカッターにしても、そのままの大きさでは搬入できないので、パーツに分解して坑内で組み立てますが、そのパーツを運び込む地上につながる地点です。

(地下鉄が走れるぐらいの規模感。遠くに地上の光が見えます。)

次は、発破を仕掛ける穴をあける、穿孔機「オーガー」を実際に操作体験します。

(穴をあけたらダイナマイトと火花防止の「水タンパ」を入れる。)

ユニコーンの角のような長いドリルを岩盤に突き当てて穴をあけていきますが、すごい振動があり、職業病の白蝋病になる人が多かったそうです。

池島炭鉱の特徴のひとつが、とにかく安全第一の考えが徹底されていて、坑内の随所に安全確保の工夫があります。

(体験ツアーだけでなく、炭鉱はインドネシアの研修生の実地訓練にも使われているそうで、研修生が書いたもの。)

ここは「坑内救急センター」という緊急避難所の中。

メタンガス検知機、酸素、無線装置、乾パンなどの食料が置かれています。

電話機も引火防止のため完全密閉式の特別製。

この他にも、坑内発破の映像、ボタ(漢字では「硬」と書きます。不純物の多い岩等。)搬出場所などを見学すると、グルっと一周回ってきたみたいで、トロッコ電車の所に戻って来ました。

トロッコ電車に乗って、坑内から出ます。

池島開発総合センターに戻って、ヘッドライトとヘルメットを返却、最後にお土産のクリアファイル(150円)を買いました。

これで池島炭鉱坑内体験ツアーは終了。

なかなか勉強にもなる楽しいツアーでした。(私はおススメだと思います!)

 

私たちは、「島内観光オプションコース」を申し込んでいましたので、30分後に案内人の方と合流です。

それまでの間、坑内体験ツアーを主催、池島炭鉱を管理している三井松島リソーシス株式会社の(おそらく)管理者の方と雑談していましたが、「なるほどなぁ」と思うことばかりでした。(ブログに書けないことも多々あり。)

 

さて、観光案内の方が来られました。

参加者は、私たち夫婦と、何と本日池島に宿泊するという男性の計3人。

案内人の車でスタートです。

まずは、旧「石炭火力自家発電所」。

この発電所には発電時のボイラーの蒸気を利用し、海水から真水を作る装置が日本で初めて設置され、1日に2650トンの真水を坑内や住居に供給していました。

島中に張り巡らされたパイプが目立ちますが、発電所の蒸気を浴場へ、真水を施設や各家庭へと供給するための配管とのことです。

なお、施設遺構は特に保存措置をしていないので、どんどん崩壊が進んでいます。

 

「池島郷地区」という、当時最も栄えた繁華街だった所。

(元は漁港でボタで埋め立てられました。)

繁華街と言われても全く想像もできませんが、居酒屋、スナック、パチンコ屋などが軒を連ね、炭鉱労働者やお店に勤める女性で大いににぎわっていたそうです。

ここから坂を車で上って、池島郷地区を見下ろします。

無人の家屋も多く、崩壊がどんどん進んでいるそうです。

ちなみに、写真に見える山、昔は絶壁だったそうですが、ボタを山頂から海に向かって捨てている(落としている)うちに、このようになだらかになったそうです。

ちょっと移動して、「第一立坑」。

(水を送る配管。真夏はお湯になったとか。)

3段構成のエレベーターで一度に90人(?)を坑内に運ぶことができた、ワイヤーの巻き上げ機がそびえ立っています。

ここも崩壊が進み、少し前までは立坑近くまで見学できたそうですが、今は立入禁止。

 

次は住宅エリアを見て回りますが、ここは現役の郵便局と役場の出張所。

住宅エリアです。

池島の住宅は当時の一般的な住宅建物よりも鉄筋の数が多く丈夫にできているそうで、一棟取り壊すのに2000万円かかることから、数棟取り壊した後、コストがかかり過ぎるとのことで放置されています。

象徴的な棟。

(潮風と植物の威力で自然崩壊へ、、、。)

まだ人が入っても安全な棟に踏み入ります。

最上階4階の部屋に土足のままおじゃまします。

当時のまま時計がストップしたようで、何だか怖い気もします。

ベランダから屋上に上ることができます。

それぞれの棟に「21」とか「121」とか「136」とか番号が書かれていますが、意味があるそうで、120番以上は管理者住居、130番以上は役人(だったかな)、という感じ。

屋上からの眺めは絶景で、坑内体験ツアーで坑内から見えた地上の光(重機などの搬入口)の建物も見えます。

(中央のちょっと上に向いている建物。)

ちょっと移動して、こちらは現役の銭湯。

時間限定で、確か16時から20時までの営業だったかな、代金は100円だそうです。

 

高台にある慰霊碑です。

この碑の後ろには展望台があり、西彼杵半島方向の絶景が望めます。

角力灘に浮かぶこの3つの小島にはそれぞれ名前があり、左(奥)「小角力島」(こずもうじま)、中央「母小島」(はこしま)、右「大角力島」(おおすもうじま)。

この島々には伝説があり、案内人さん曰く、「大角力と小角力は兄弟で、お母さんの言うことを全然聞かないやんちゃ坊主だった。ある日いよいよ許せない悪さをしたので、怒ったお母さんは、大角力のお腹を包丁で刺し、小角力の右肩を包丁で切り落とした。だから2つの島はこんな形をしているんです。」とのこと、こわっ。

 

続いて、「ブラタモリ」でも放送されたスポット「8階建てアパート」の、斜面を利用した途中階への❝橋❞。

(8階建てでもエレベーターはない。)

このコンクリの橋も崩壊が進んでいて、反対側の1階側道路から見上げるとこんな感じ。

そう、いつ落下してもおかしくない状態。(かなり危険な印象でした。)

案内人さんの話では、映画「進撃の巨人」(実写版)のロケ地の最初の候補は池島だったそうですが、島内や西彼杵半島側に出演者・スタッフの宿泊施設を確保できないことから、最終的にロケ地が軍艦島に決定されたそうです。(軍艦島は世界遺産でもあり、その方が映画に箔がつくという事情もあったとも言ってました。)

 

またちょっと移動して、案内人さんに連れて来られたのはこの建物の窓際。

「この台に乗って窓の中をのぞいて見てください。」と言われたので、窓に顔を近づけると、、、

風呂でしたぁ。

池島の風呂は真水、軍艦島の風呂は海水だったそうです。

 

観光コースも終盤戦、「第二立坑」。

第一立坑と同じく超大型エレベーターのワイヤーの巻き上げ機が露出しています。

ワイヤーは安全のため4年に一度交換されていたそうです。

この第二立坑広場に立つ「女神像」(「慈海」という名前)は、著名な彫刻家の北村西望さんのお弟子さんの作だそうで、その視線は海の下に続く坑道を見つめているそうです。

 

観光コースの最後は、現役の学校。

かなり立派な学校ですが、生徒数は、中学生1名、小学生1名(!)。(しかも兄弟)

もちろん、先生の方が多く(科目別にいらっしゃるそうです)、「お金はもっと違う所に使ってもらいたいというのが本音です。」と何人かの方がおっしゃっていました。

 

これで島内観光オプションコースは終了。

人数が多ければ、どうやら島内の唯一の公共交通機関であるバスを使って移動し、徒歩時間ももっと多くなるようです。(今日は3人だったので、全行程を案内人さんの自家用車で移動しました。楽でした。)

島に泊まる男性を集会所のような宿で降ろして、私たちは池島港の待合所へ送ってもらいました。

行きはフェリーでしたが、帰りは高速艇、なのでちょっとだけ船賃は割高です。

高速艇は近隣の島を巡っているようで、到着して乗り込むと、あっという間に出航。

15分くらいだったでしょうか、神浦港に到着。

(すばやく下船しないと再び出航しそうです。)

 

時刻は16時。

これから本日の宿、長崎の稲佐山の中腹にある「ガーデンテラス長崎」へ移動ですが、道中、外海エリアの観光スポットを散策です。

外海エリアは、世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の一部です。

(「外海の出津集落」。)

車を「外海歴史民俗資料館」に停めて、「ド・ロ神父記念館」との共通入館券を購入、閉館までちょっと時間が少ないですが、足早に散策です。

資料館で潜伏キリシタンのことやド・ロ神父の偉業を勉強して、次に「ド・ロ神父記念館」まで数分歩きます。

(記念館は教会のように奥に長い建物です。右の像がド・ロ神父。)

ド・ロ(マルク・マリー・ド・ロ)神父は、パリ外国宣教会所属のフランス人宣教師で、1868年(慶応4年)に来日、1879年(明治12年)に外海地域に赴任、布教活動をする傍ら、貧困に苦しむ人々のために社会福祉活動に尽力しました。

出津(しつ)教会堂の建築、教会を中心とした村づくり、そして、1883年(明治16年)には「出津救助院」を創設。この他にも多彩な事業を授けることによって、外海の人々に「自立して生きる力」を与えました。

(「旧出津救助院」。)

ド・ロ神父記念館から更に数分歩くと、「出津教会堂」に着きます。

社会福祉や産業開発などに数々の偉業をなしたド・ロ神父は今も「ド・ロさま」と呼ばれて敬愛されています。

 

歴史民俗資料館に戻って、車で10分ほど移動、「道の駅 夕陽が丘そとめ」。

外海は日本のパスタ発祥の地ですが、実はド・ロ神父が「マカロニ工場」を建設したことが始まりです。

池島炭鉱坑内体験ツアーのお弁当がちょっと少なかったので、ここで❝つなぎ❞のパンを買いました。

「神浦名物 昔ながらのいちのせパン」と銘打たれていますが、帰宅後ネットで調べてみると、ド・ロ神父の下でパン作りを学んだ方が「一瀬菓子舗」さんでパン職人として働き始めて、このあんパンとメロンパンを作ったそうです。

「道の駅そとめ」は「夕陽が丘」というぐらいですので、西方向に海の眺望が素晴らしいです。

北西を望むと、遠くに「大島造船所」(大島トマト)を見ることができます。

(造船用のクレーンが見えます。)

西側すぐ近くには「遠藤周作文学館」があります。

(夕陽にはちょっと早いですが、雰囲気は味わえました。)

「遠藤周作文学館」には2017年10月、仕事の関係で立ち寄ったことがあります。

 

これで外海エリアの散策は終了。

今回の旅行のお目当てのひとつ、「ガーデンテラス長崎」(宿泊)へと向かいます。

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浜松町駅のしょうべん小僧

2020年03月23日 | まち歩き

浜松町駅の一番端っこにしょうべん小僧の像があることをご存知でしょうか。

(妻の友人撮影。)

昭和27年10月14日、鉄道開通80周年を記念して、歯科医院の院長さんが寄贈されたそうです。

しばらくして、一般の女性の方が、裸ではかわいそうということで、季節やオリンピック(札幌冬季五輪)などテーマを持った着せ替え(お手製の衣装)をされていましたが、その方が亡くなってからしばらくは裸のままだったそうです。

その後、1986年(昭和61年)から、地元のボランティアセンターに登録している手芸グループ「あじさい」さんが、芝消防署から港区のボランティアセンターを通じてあった衣装づくりの依頼を受けて、現在に至っているそうです。

(衣装は、春の火災予防運動実施中にちなんで。)

ちなみに、このしょうべん小僧、2018年7月下旬に「猛暑のため夏休み中です」とのお知らせとともに、1ヶ月ほど撤去されていました。

駅のホームドアの設置工事のための安全なスペースを確保するために一時的に「お休み」をいただいていたそうです。

このあたりの経緯はBSの番組「沁みる夜汽車」で放送されたことがあり、福岡で単身赴任中の私は見に行くこともかなわないので、妻の友人の方に写メをお願いしたものです。

ありがとうございました!

 

今はどんな衣装を着て放尿しているのでしょうね。(笑)

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「水にこだわる高級食パン」

2020年03月15日 | 食・レシピ

食パンブーム、健在です。

乃が美」、「一本堂」、「もはや最高傑作」、「偉大なる発明」に続き、いただきました。

「水にこだわる高級食パン」は、「銀座に志かわ」という食パン屋さんの一品。

(ネットより拝借。)

「に志かわ」、銀座という響きも相まって料亭の名前のようですが、社長のお名前(髙橋仁志さん)を「にし」と呼び、こだわりの水を意味する川をひらがなで「かわ」として「にしかわ」(に志かわ)。

 

高級食パンは必ず紙袋に入っています。(笑)

見ただけで美味しいことが分かりますね。

(軽く水蒸気が付いています。なので、お店で売っている時はあえて袋を開けてあるそうです。)

こちらの食パン、きんぴらごぼうなど和食にも、、、

チーズとワインにも合うそうです。

(朝食だけでなく夜にも食パンを。)

一番美味しいいただき方、そのままで。

土曜日の朝、豊かな気持ちに包まれる時間です。

このまま何もつけずに本当に美味しいです。

ちなみに、日曜日の朝は、片面だけ軽くトーストしてみましたが、これはこれで❝味変❞してイケます。

 

高級食パンの世界、まだまだ広がっていきそうですね。

ごちそうさまでした!

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「スワルスキーカブリダニ」

2020年03月14日 | 食・レシピ

いろいろなイベントが各地で中止・延期されていますが、私も休日は人の多い街にはなるべく出ないようにしています。

それでも、日中エアコンが不要になったり、喚起のため窓を開けても風が冷たく感じなかったり、春が確かに近づいていることを実感します。

単身赴任前なら、そろそろ「今年の夏野菜は何にしようか。」と考えている時期。

 

自炊用にピーマンを買いましたが、袋を見てちょっと気になる表示が。

(産地の「志布志」が気になったのではありません。(笑))

「IPM農産物」、「かごしま天敵大作戦」、、、これは何か。

「IPM」とは「Integrated Pest Management」の略で、「総合的病害虫・雑草管理」と言うそうです。

(袋裏面。)

植え付ける苗の時期から防除する「耕種的防除」、熱・光・水・障壁などで発生を抑える「物理的防除」、害虫を食べる天敵(益虫)の利用や天敵が働きやすい環境の保全など生物や生態系の機能を利用する「生物的防除」、化学合成農薬を効果的に活用する(なるべく使用を減らす)「化学的防除」という防除技術を、経済的性を考慮しつつ、総合的に使う農法のようです。

「かごしま天敵大作戦」とは、このIPMの手法を駆使して育てた農産物をPRする、鹿児島県の取り組み。

 

で、鹿児島県のホームページで説明されている、ピーマンの害虫の天敵(益虫)が、こちら、「スワルスキーカブリダニ」さん。

(ネットより拝借。県のHPより。)

そして、「スワルスキーカブリダニ」はこんな感じで売っているようです。

(ネットより拝借。ナスの葉に放っているところですね。)

価格は何と1万円を超えるようですが、ガーデニングにも使っている方がいることを初めて知りました。

ダニの一種が❝生物農薬❞として売っていることに驚きました。

私は、この先自宅で夏野菜を作ることになっても、写真の衝撃度とコストから、「スワルスキーカブリダニ」さんは使わないかな。(笑)

 

それにしても、日本酒「産山村」の「鯉農法」といい、様々な産地で環境にやさしい農法が展開されているものですね。

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大島トマト「ルビーのしずく」

2020年03月13日 | 食・レシピ

長崎県西海市大島町にある「大島造船所」の「農産グループ」が栽培している、高糖度大島トマト「ルビーのしずく」を取り寄せてみました。

職場の方からのおすそ分けで食べてとても美味しかったので、すぐにネットで注文しましたが、取り寄せのもうひとつの理由は、大島造船所に一度仕事で立ち寄らせていただいたことがあり、関心度maxなので。

高級トマトです。

「特選」(糖度9以上)の「優品」は1.2kgで3400円、「訳あり」は1kgで2500円。(「完熟」(糖度8~9)の場合はそれぞれ1000円ほどお安くなります。)

個数は、時期によりトマトの大きさが変わるとのことで、私が取り寄せた時は9個入りでした。

(1個280円かぁ、、、。(笑))

私は「訳あり」の方にしました。

訳ありの理由は、栽培の方法上、皮が硬く割れやすいようで、ちょっとヒビや傷があるということのようです。

造船所がトマトを作っているのは、企業理念の「地域とともに」ということで、大島町の特産品を発信することで全国のみなさんに愛される町になるように、とのこと。

大島トマトのホームページを見てみると、品種についても説明があります。

大島トマトは、「ファースト」という昭和10年頃から栽培されているポピュラーな大玉品種で、普通に育てるとソフトボールくらい大きく(500g以上)なってしまうところ、水を極限まで押さえて(節水ストレスを与えて)じっくり育てると、ミカンほどの小さな果実(80~100g)となり、トマト本来の旨みが濃縮されるそうです。

説明の通り、ほんとに硬いです、、、そして、ゼリー部分が少なく果肉部分が圧倒的に多く、酸味と甘みがほど良くバランスしているトマトで、私の世代だと、❝昔ながらの❞美味しいトマト、という印象です。

食べ方は、もちろんこのまま生が一番ですが、美味しい塩を合わせるのがいいかもしれません。(常温で数日間置いて、食べる1、2時間前に冷蔵庫に入れるのがいいそうです。)

 

トマト大好きの私たち夫婦。今月妻が来福した時に食べてもらって感想を聞いてみようと思います。

自宅から通勤している時は何種類か話題のトマトを取り寄せたことがあります。

群馬の「ブリックスナイン」、静岡の「アメーラ」、他にも、珍しいトマトがスーパーやデパ地下に出ると、妻がちょいちょい買ってきてくれたことを覚えています。

大島トマト、大島造船所のダイナミックな景色を思い出しながらいただくことにします。

コメント (2)
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