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酔生夢死ってわけでもないけれど、、、日々雑感

外構・庭のリフォーム〔総合編(その1)〕

2023年09月30日 | リフォーム

外構・庭のリフォームの工事も終盤戦。これまでパーツごとにアップしてきましたが、各所で並行して工事が急ピッチで進んでいるので、「総合編」として統一し、時系列でアップしていきたいと思います。

現在の庭の様子。ほぼ全容を見せつつあります。

(メインテラスから階段が設けられ、1日強で完成した「セカンドテラス」への動線ができました。)

ここに至るまでの約一週間のスナップです。キッチンから庭に出ることができるドア(勝手口)を開けると、拡張したメインテラスに出ることができます。

(床面はもっと上がってきます。)

ここから左側を見ると、今よりも床面を上げる通路の基礎工事も進んでいました。

(メインテラスから一段低い床面となりますので、メインテラスから1ステップ階段が設けられます。)

門扉から庭に向かって直進してきた所でメインテラスに上がる階段もできました。

(蹴上(段差)・踏面(広さ)ともにバッチリです。)

その直進してきた所はメインテラスの壁と道路側のフェンスの端の壁で向こう側への視界が遮られます。ここに植栽される庭木と構造物が作り出す景色に集中する狙いです。

(今は味気ないですが、ここにデザイナーさんが厳選した庭木が植栽されます。ライティングも仕込みます。)

メインテラスは細部の工事が進んでいます。スツールの上面のモルタル仕上げのために細い鉄筋が編まれています。

(翌日、更に鉄筋が足され網目が細かくなっていました。見えない所にしっかり手をかけるのを見て安心感が増します。)

メインテラスの壁のブロックには上面の角辺に金属のレールのような物が取り付けられました。

(役割は良く分かりませんが、表面をモルタル仕上げするために必要な部材なのか。)

門扉から庭への動線となる通路ができました。

(モルタル仕上げ。)

「セカンドテラス」は1日ちょっとで出現しました。

(メインテラスを拡張しましたのでセカンドテラスがその分小さくなりましたが、全然OKです。)

お隣との目隠しのためのフェンスを支える支柱の基礎工事のための大きな角穴が掘られました。

(想像以上に大きく深いです。色と貼り方は打ち合わせしましたが、実際にどんなフェンスが登場するのか。)

マツや洗濯物の物干しコーナーもフェンスで区画して、庭とは切り分けて「サービスヤード」にします。

(サービスヤードは隠したいもののエリアです。マツを庭側で生かすことも検討しましたが、どうしても❝和❞すぎて合わないので、サービスヤードでがんばってもらうことになりました。)

この穴が掘られた翌日には基礎となるコンクリートが打たれ、その翌日にはフェンスの支柱が建ちました。

(想像以上に太くてガッチリした支柱です。)

この他にも日に日に様々な箇所で工事が進捗しました。そして、現在、完成をイメージできる冒頭の姿となっています。

(ここから完成までの伸びしろが楽しみです。)

先日までは暑過ぎて全然いなかった蚊が、ちょっと暑さがマシになってきたためか飛び始めました。施工チームも蚊取り線香を焚いて工事をしています。最後まで安全第一でよろしくお願いします。

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外構・庭のリフォーム〔オーダーアイアン編〕

2023年09月29日 | リフォーム

9月の三連休に私たちが尾道・鞆の浦に旅行に行っている間も工事は急ピッチで進んでいます。これまで施工チームは3人体制で、タイル工事がある時はタイル屋さんが2~3人来ることはありましたが、いよいよ施工チームだけで5人体制という日もあります。

リフォームも終盤戦ということを実感し、一気に完成の予感がする日がありました。今回のリフォームの目玉のひとつ、完全オーダーのアイアン製品の施工の日です。今回アイアンでフルオーダーしたのは4箇所です。

 ・フェンス
 ・門扉
 ・アプローチのアーチ
 ・アプローチの階段の手すり

アイアンの施工日は、搬入即施工で、数日前にデザイナーさんから連絡がありました。

■フェンス

搬入・施工日の数日前にはフェンスの基礎工事が完了していました。

(以前はシルバープリペットの生垣でしたが、リフォームでアイアンのフェンスにします。)

このコンクリートブロック状のものにフェンスの支柱が建ちますが、数倍の広さを掘ってモルタルでガッチリ固められています。深さも地上に見えているのは半分以下でかなり深く埋め込まれます。

(これが埋め固められています。)

施工の途中の写メ。

(この後モルタルで埋めてガッチリ固めます。)

フェンスはシンプルなデザインにしました。直線部分は「ハンマー仕上げ」という凹凸を付けたデザイン。

(外からの視認性が高い方が防犯効果があることも意識しました。プライバシーはメインテラスの構造などで担保します。)

■門扉

一番こだわった門扉。その施工完了後の姿。

(高さは中央部の一番高い部分は私の背丈よりも高いです。重厚感と高級感に大満足です。)

これも数日前に基礎となる部分が深く掘られ、鉄筋の入ったモルタル基礎が準備完了していました。搬入・施工当日、支柱が固定されたところ。

(基礎部分に支柱のアンカーを打ち込みます。)

モルタルで埋めきって支柱をガッチリ固定。

(支柱の施工が終わったら門扉本体を取り付け。支柱だけでも相当の重量だったようです。関西から製造メーカーの方が搬入も兼ねて来ていましたが、いつもの施工チームと共同で作業していました。)

■アプローチのアーチ

日々上り下りするアプローチ。通るたびにワクワクするようなアイデアを様々な施工事例を見せてもらってデザイナーさんと打ち合わせをしてきましたが、最終的にアーチにしました。

(3連アーチ。固定箇所には植栽もする予定ですので、ツルバラを植えればアーチに這わせることもできます。手入れがたいへんそうなのでやらないかもしれませんが。(笑))

こちらも基礎工事がたいへんそうでした。

(施工のノウハウに感心しきりです。)

■アプローチの階段の手すり

手すりに関しては、アルミ製のメーカー既製品も選択肢として検討しましたが、フェンス・門扉・アーチとセットでいこうということに。更に年齢を重ねた時のことを考えて、階段の一番上から一番下までフルで手すりを付けました。

(まだプチプチでカバーされているので手触りは隙間からちょっと触っただけですが、全てのアイアン統一でやってもらった「ハンマー仕上げ」がいい感じです。)

デザイナーさん曰く、完全オーダーのアイアン製品の施工はかなり難易度が高いらしく、搬入していざ施工しようとすると基礎部分とずれていたりするトラブルも結構あるそうです。施工チームの腕次第ということですが、うちに来てもらっているリーダーは凄腕職人さんなので、一発オッケーで施工完了となりました。

完全オーダーのアイアン製品、清水の舞台から飛び降りて良かったです。(笑)

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尾道・鞆の浦2泊旅行⑤[完]〔3日目帰路編〕

2023年09月28日 | 旅行記

2泊3日の旅の最終日。荷物を「汀邸 遠音近音」に預かってもらって散策に出かけます。鞆の浦を散策したら、荷物を引き取って鞆の浦を出発、最後に福山城に行ってみようと思います。鞆の浦の散策マップに歩いたコースをプロットしてみました。

(黄色点線が歩いたコース。鞆の浦の中心街の散策はレンタサイクルすら不要、徒歩で十分というコンパクトさということが分かりました。)

散策コースはざっくり言うとこんな感じです。「遠音近音」→船番所跡→常夜燈エリア→昔ながらの街並み→鞆の浦歴史民俗資料館→沼名前神社→ささやき橋→海岸沿いの道→国立公園の碑→「遠音近音」。

それでは出発です。

(大通りに出ると停車していた、福山駅と鞆の浦を結ぶ「鞆鉄バス」。ボンネットバス(猫バス)も稀に走っているらしい。)

■船番所跡

船の出入りと安全を監視するため、江戸初期に最初の鞆奉行 荻野新右衛門重富によって崖の上に築かれました。

(現在の建物は昭和30年頃に再建されたもの。)

■波止場

大きな花崗岩を積み上げた防波堤で、江戸時代に築かれたものでは国内最大規模。延長・修理を繰り返し、現在の総長144mになったのは文政7年(1824)。

(車が余裕で進入できる幅があります。)

魚釣りのポイントになっているようで、何人か釣っていました。

(江戸時代の建築物とは思えない堅牢さを感じます。)

ここから港の弧の形に添って歩いていくと、鞆の浦のシンボル「常夜燈」が見えてきます。

(遠目に見ても、大阪の堺市の「堺旧燈台」と同じくらいの大きさがあります。)

■鞆ノ津の力石

江戸時代、船の積荷の陸揚げ・積み込みに従事する「仲仕」たちが、祭礼の場などでこの力石を持ち上げて、その力と技を競ったもの。

(この祠の横に3個、沼名前神社の拝殿の横に20個あるそうです。結構な数、ありますね。(笑))

「鞆ノ津の力石」は港の弧の形の❝頂点❞あたりにありますが、ここから見た常夜燈。

(人の大きさと比べると「堺旧燈台」よりも大きいかも。大きさの基準が「堺旧燈台」で分かりづらくてすみません。(笑))

常夜燈へのアプローチはこの路地を通ります。

(観光パンフレットにも写真が載っていた路地の景色。)

■保命酒屋(鞆酒造株式会社)

現在4社が製造販売を続けている保命酒。その中でも最も古くから保命酒を作っているのがここ「保命酒屋」です。

保命酒(ほうめいしゅ)は生薬を含むことから「瀬戸内の養命酒」とも呼ばれるリキュール。中村吉兵衛吉長が鞆の浦に移り住み、家伝の薬方をもって万治2年(1659)に製造したのが始まりです。

(以前職場の方から福山出張のお土産でいただいたことがあります。未開栓でパントリーにありますので、養命酒のように飲んでみたいと思います。)

■太田家住宅

母屋や保命蔵など9棟から成る建物群で、江戸中期から末期にかけて保命酒の醸造で栄えた中村家によって拡張・増築され、現在の規模になりました。明治期に回船業を営む太田家が受け継ぎ、国指定重要文化財に。

(住所表記のように見せた観光案内板と思われます。入り組んだ街並みですので、現在地が分かると散策しやすい。)

ひと際立派な間口の太田家住宅。

(9棟のうち、最も海側にある建物が現在修繕中で完全養生されていました。)

昔ながらの街並みが素敵です。一般の民家だと思いますが、昔懐かしい看板が普通に残っています。

(昭和世代の私は子どもの頃よく見かけた看板。)

保命酒屋、太田家住宅を抜けると、常夜燈のある港に到着です。

■常夜燈

海中の基礎から最上部までの高さは約10m。石造りの常夜燈としては日本最大。安政6年(1859)に建てられ、灯台の役割を果たしてきました。

(鞆の浦のシンボル的景色。)

常夜燈、間近で見ると巨大です。(ちなみに、「堺旧燈台」は約12m。)

(宿でまったりしていたので全く思い付きませんでしたが、夜に灯りが点いた常夜燈は格別の景色でしょうね。)

■雁木

潮の満ち引きに関係なく積荷の揚げ降ろしができるように工夫された階段状の船着き場。21段ある石段は文化8年(1811)に造られたと記録があるそうです。

(満潮か、石段の上の方まで海面が来ています。この港の弧の形がほぼ雁木に整備されているように見えました。)

近くに「鞆の港」の説明板がありました。「瀬戸内の中央に位置する鞆は、内海の潮の干満の分岐線にあたります。内海を航行する多くの船はこの潮に乗っての航法だったので、『潮待ち』をここで行いました。・・(中略)・・明治以降、鉄道の開通、汽船の就航等により『潮待ち』する船もなくなってしまいましたが、今日でも当時の港の活況を彷彿させる港湾施設がよく残っています。沖に突出する波止、常夜燈、雁木、港に面している豪商・回船問屋とその土蔵等、江戸時代の港町鞆の繁栄ぶりを示すものです。」

次は、常夜燈のある港エリアから、小高い丘になっている「鞆城跡」へ行ってみます。ここには「福山市鞆の浦歴史民俗資料館」がありますので、暑さから逃れての休憩も兼ねて入ります。

■福山市鞆の浦歴史民俗資料館

福山市制70周年を記念して鞆城跡の高台に建設されました。

(見学者は私たちのほか1組くらい。冷房やや弱めで汗がしばらく止まりませんでした。(笑))

小ぢんまりとした館内には、歴史資料やお祭りなどの民俗資料のほか、鞆の浦で幼少期を過ごした、世界的作曲家・箏曲家の宮城道雄さんの「春の海」(1929年発表)関連のもの等を常設展示。宮城道雄さんは8歳で失明する前に見た鞆の浦の海を思って「春の海」を作曲したと言われています。

(歴史編、観光編、祭編などの紹介ビデオが充実していて、鞆の浦のことを勉強できます。)

そして、ここは鞆城跡の高台なので、景色がとてもいいです。

(右端のクレーン車のブームが2本立っている丘にある建物が駐車スペースがなく断念した「淀媛神社」(と思われます)。)

別方向を見ると、「遠音近音」が見えます。

(右側のひときわ高い建物が「遠音近音」。)

次は、今日の散策で一番遠い「沼名前神社」へ行ってみます。ここから徒歩10分というところでしょうか。

■沼名前(ぬなくま)神社

海上安全に効験のある大綿津見命(おおわたつみのみこと)を祀る「渡守神社」と、須佐之男命(すさのおのみこと)を祀り無病息災を祈願する「祇園社」、2つの神社が明治時代に統合され、「沼名前神社」となったそうです。

(誰もいません。(笑))

「鳥衾形鳥居」。寛永2年(1625)、福山藩第2代藩主 水野勝重(のちの勝俊)が長男勝貞誕生にあたり、その息災延命のため寄進したもの。広島県指定重要文化財。

(鳥衾(とりぶすま)とは、一般的には、屋根の大棟や隅棟の上に長く突き出した瓦のこと。)

沼名前神社は鞆の浦で行われる多くの祭の舞台となります。昨日中心街でにぎわっていたのは渡守神社の例大祭(の最終日)。それとは別のこの「お手火神事」が有名なようです。

(神輿渡御のためのお清めと氏子の厄払いのための神事。7月第2土曜日開催。)

沼名前神社は平安時代の延喜式にはその名が登場している由緒ある神社。それではお参りさせていただきます。

(酷暑です、、、目の前に階段が。(笑))

神門「随身門」。

(立派です。)

神門をくぐると、まだ階段は続きます。

(壮観というか威容を感じます。)

手水舎で清めようと思います。

(が、水が循環している様子もなく、何となく淀んでいるようにも見えたので、心の中で手と口を清めました。)

沼名前神社は地元では「祇園さん」と親しまれているそうです。

(「ぬなくま」とはなかなか読めないですね。)

拝殿前から振り返った景色。

(立派な石灯籠は、慶安4年(1651)、福山藩第3代藩主 水野勝貞の寄進によるもの。福山市指定重要文化財。)

拝殿。お参りさせていただきます。

(この拝殿の右横に、港でも祀られていた「力石」(福山市指定重要文化財)があります。)

御朱印をいただきました。

それにしても暑いです。集中力がなくなっていたのか、沼名前神社の見所のひとつ「能舞台」を見るのを失念しました。能舞台は、豊臣秀吉遺愛のもので、京都伏見城内にあったものを、元和6年(1620)の伏見城解体の際、福山藩初代藩主 水野勝成が徳川秀忠から拝領し、その後寄進されたもの。

次は、❝日本一短い橋❞「ささやき橋」へ。沼名前神社から3分ほどの所です。

■ささやき橋

悲恋の伝説の舞台となったここに建てられた石碑とのことです。

(橋っぽいけど橋ではないのですね。)

昔々、鞆の浦は「七島」(ななしま)と呼ばれる、橋でつながれた中州でした。百済からの使節役と大和朝廷の接待官が恋に落ち、夜ごとその橋のたもとで逢瀬を重ねましたが、発覚し2人とも海に沈められた。その後「鞆の七島」は地続きになりましたが、この悲恋の伝説を語り継ごうと、その橋のあった場所に碑として「ささやき橋」を建てました、、、という由来だそうです。

(合掌。❝橋❞の石板は歩いたり車が通ったりすると、ガタガタと音がしますが、大丈夫ですかね。)

■山中鹿之助首塚

毛利氏に滅ぼされた尼子十勇士の1人、山中鹿之助。天正6年(1578)年7月、尼子氏が滅亡し囚われの身となった山中鹿之助は「阿井の渡し」(岡山県高梁市落合町)で処刑され、その首は備中松山城に滞在していた毛利輝元に届けられ首実検が行われました。その後、鹿之助の首は備中松山城から鞆城へ送られ、当時の将軍足利義昭も首実検し、この首塚の近くに埋葬されたと伝わります。

(合掌。)

山中鹿之助と言えば、「われに七難八苦を与えたまえ」の名言が有名。新入社員の頃、某研修センターにこの名言が掲げられていて、「仕事とは七難八苦なのか、、、。」と暗鬱とした気持ちになったのを覚えています。(笑)

ここで、暑さもそうですが、お腹も空いてきて、ややバテバテとなってきましたので、遅めの昼食にします。海岸通りまで出ればお店もそこそこありますが、たまたま通りかかったこのお好み焼き屋が気になったので飛び込みました。

(「お好み焼き くまがい」。住宅街の真ん中にひっそりとありました。)

これまでいろいろあったのか、こんな❝注書き❞が出ていました。

(全く問題ありません。どの地域のお好み焼きでも大好きです。(笑))

シンプルなメニューと、「先代からのこだわりのソース、、、」という表記が好印象。

(さて何にするか迷います。)

焼うどん(すじこん入)と、、、

(妻のリクエスト。)

シーフードミックスにしました。

(焼うどんとお好み焼きをシェアしていただきました。)

美味しかったですねぇ。福山到着初日の昼食にラーメンかお好み焼きかで迷ってラーメンにしましたが、最終日にお好み焼きも食べることができました。偶然の❝伏線回収❞。(笑)

水分もたっぷり補給して、散策最終盤へ出発します。ここからすぐに海岸通りに出ることができます。日差しは厳しいですが、海風が気持ちいいい海岸通りを「遠音近音」に向かって歩きます。

(「遠音近音」の❝本館❞が見えてきました。「仙酔島 渡船のりば」はここなんですね。平成いろは丸もたくさんのお客さんを乗せて出航を待っています。)

ここには撮っておきたい❝名勝の碑❞があります。

■仙酔島展望地

(背景に弁天島のお堂が見えます。)

この道路向かいには、仙酔島や弁天島、鞆の浦の美しい景色を眺めることができる「福禅寺対潮楼」という名所があります。「遠音近音」から景色を堪能しましたし、高台に上るのがつらい暑さなので、スルーしました。

■福禅寺対潮楼(下から見たところ)

(この高台に上って、障子を抜いた窓から仙酔島の眺望を静かに味わう所です。)

仙酔島渡船のりばを回り込んで、「遠音近音」に近づいてみると、旧籠藤と❝本館❞の位置関係がよく分かりました。

(絶好のロケーションに建っていますね。)

最後に弁天島・仙酔島の絶景を撮り納めしておきます。

(仙酔島に渡ってこちら側を見るとどんな景色なのでしょう。)

散策はこれで終了。「遠音近音」に戻ります。確かこの路地を入ったところ、、、。

(送迎車で到着した時に案内してもらったから分かりますが、初見だと迷いそうです。)

「遠音近音」の旧籠藤の建物も撮り納めです。

(お世話になりました。)

この後、預かってもらった荷物を引き取り、「ホテル鴎風亭」への送迎車を呼んでもらいました。

(いい宿でした。鞆の浦の散策もとても良かったです。夏場以外の季節に来れば、最高の散策になるのではないでしょうか。)

「ホテル鴎風亭」を15時前に出発。福山駅方面へ向かいますが、帰りの新幹線の時刻までには余裕がありますので、「福山城」に行ってみることにします。走ること20分ちょっと、福山城に到着です。無料駐車場に入れることができ、天守閣に向かって歩き出すと、見えてきた天守閣がツートンカラー?

(何なのでしょう、天守閣のこちらの面は黒、隣の面は白って。)

天守閣に登ってみることに。正面(?)に回ると、美しい白の天守閣です。

(新幹線の車窓から何度も見ていますが、こんなに立派な天守閣とは失礼ながら知りませんでした。)

現在特別展も開催中ですが、常設展のみの見学とします。

(ペリー来航の時の老中筆頭、福山藩第7代藩主の阿部正弘。老中筆頭に抜擢されたのは何と28歳。39歳の若さで亡くなるまで福山藩(地元)に戻ってくることができたのは、たった一度だったそうです。その折、領内に入った時、農作業や道路脇で挨拶する領民に対し、馬上で笠を取って挨拶を返したというお人柄だったそうです。)

福山城を築城したのは、第2代将軍徳川秀忠から、西国の押さえにこの地に堅牢な城を築き治めるように指示された、水野勝成。何と福山城をたった2年で築城したそうです。

(初代福山藩主。「信長の野望」でも活躍中。(笑))

1622年に完成した福山城は、1931年に天守閣が国宝に指定され、1933年には伏見櫓、鉄筋御門、御湯殿も国宝に指定される貴重な建造物群でしたが、1945年の福山大空襲によって天守閣などが焼失、1966年に福山市市制50周年事業として再建され、現在に至っています。その後、2022年、築城400年の記念事業「令和の大普請」によって、天守閣の外観が復元されました。先程見たツートンカラーは、実は、鉄壁の福山城も城の北側は地形や堀などの守りが薄いことから、砲撃等への防御力を増強するため天守閣北面一面に鉄板が張られたもので、令和の大普請によって忠実に再現されました。

(撮影OKゾーンの天守閣の鯱(しゃちほこ)。)

「日本100名城に行こう」スタンプと、福山城登城記念証のスタンプをゲット。(笑)

天守閣最上階から新幹線のホーム方面を見た景色。

(ホーム近くに立派な櫓が建っていますが、いつも車内から見て福山城だと思っていたのは、この櫓だったかもしれません。)

別の方向にゴシック様式の建物が見えました。

(名のある教会かと思ったら、結婚式場だそうです。)

また別の方面には黒い雲も湧き上がっています。

(太陽の光の加減なのか、強烈な雨雲なのか。)

福山城天守閣、とても勉強になる博物館でした。映像や体験コーナーも充実していておススメです。駐車場への帰り道、今度はその意味を知った上で天守閣を眺めました。

(これが全て鉄板張りとは。知ってみると迫力を感じます。)

最後の立ち寄りスポットの福山城を出発し、レンタカーを返却、駅で夕食の駅弁をあれこれ見回って購入、新幹線のホームに上がりました。ホームの窓から、今見学してきた福山城を眺めます。

(櫓が立派です。先程勉強したところでは、初代藩主水野勝成が築いた当初の福山城は、5層の天守閣に加え、同じ10万石規模の大名の城の天守閣クラスの櫓(三重櫓)が6つもあったそうです。破格の規模と堅牢さを誇る日本有数の名城だったのですね。)

帰りも❝直通❞ののぞみに乗りました。福山駅の駅弁は穴子弁当が有名らしいのですが、すっかり売り切れでした。ということで、「さぼてん」のトンカツ弁当にしました。(笑)

(「ベラビスタ」の湯上りお休み処からもらってきた「瀬戸内茶」パックとともに。(笑))

これにて尾道・鞆の浦2泊旅行の全行程が終了。毎度のことならが、旅はいいですねぇ。尾道は2回目でしたが、初めての鞆の浦、とても良かったです。福山城の歴史なども勉強になりました。

この旅行記を書いている頃はさすがに少しは涼しくなってきているでしょうか。暦はどんどん進んで、あと数日で10月です。

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尾道・鞆の浦2泊旅行④〔「汀邸 遠音近音」編〕

2023年09月27日 | 旅行記

「汀邸 遠音近音」に着きました。

(古民家の趣き。部屋に露天風呂があるような建物には見えませんが、、、。)

「汀邸 遠音近音」、読み方は「みぎわてい をちこち」です。

(玄関に置かれている大きな甕に「鞆津 籠藤」とありますが、、、。)

玄関を入ったところ。

(昔の建物をうまく再生していることが一見して分かります。)

左手側はこんな景色。

(靴のまま上がるのですが、罪悪感を感じるくらいの美しさ。)

圧巻は天井の梁。

(見事です。)

調度品の一つ一つにストーリーがありそうな雰囲気です。

ここで宿の方から説明がありました。「遠音近音」は、江戸時代創業の旅籠「籠藤」(かごとう)が前身の温泉旅館。「籠藤」は、十返舎一九や井伏鱒二、シーボルトなども逗留した、数多くの文人に愛された宿だったそうです。「遠音近音」は、その旅籠を再生・改装した「木造本瓦葦べんがら塗り」の建物と、フロント・食事処・客室などがある❝本館❞が渡り廊下で結ばれている2棟からなる宿です。

なるほど、到着して数分の疑問が一気に晴れました。それにしても旅籠のノスタルジックな良さを損なわない再生ぶりが素晴らしいです。そして、宿の方からもうひとつ説明が。「遠音近音」と書いて「をちこち」という宿の名の由来です。壁に掲げられているこの額の書から名付けたそうです。

(この建物を改築する時に出て来た軸だそうです。)

「四月(ハル)を仙酔島(シマ)どまり雨戸(ト)も閉(ク)らず発動舩(ポッポ)す遠音近音(ヲチコチ)」(※( )内は漢字の横に小さく振られているルビ。) 宿の方曰く、「4月(春)に、仙酔島に宿泊し、雨戸も閉めずにいると、小舟の行き交う音が遠くから近くから聞こえてくる。」というくらいの意味だそうです。宿名の書体もこの軸からそのまま使っていることも分かります。

この額の向かいの部屋「坐忘」はリラクゼーションルーム。

(一番奥には岩盤浴効果もあるリラックスソファもあります。)

❝本館❞につながる渡り廊下へ進みます。

(両側には個性的な和風の庭が広がっています。)

左手側には美しく瓦が積まれています。

(大正時代に使われていた瓦。青海波紋をイメージしているそうです。先程のリラクゼーションルームからは、今立っている渡り廊下の床下にも瓦が積まれている様子が見えます。)

❝本館❞に入るとこの景色が飛び込んできます。

(「おおっ~。」と声が出ます。手前の弁天島と奥の仙酔島の景色が一幅の絵画のように見えます。)

この景色を見ながらチェックイン。

(外(敷地内)は「デッキテラス 海の桟敷」になっています。今日はテラスでゆっくりするには暑すぎるかと。写真左端に小さく写っているのは観光船「平成いろは丸」。)

ウエルカムドリンクとお茶菓子です。

(白磁系の素敵なコップ。売店で販売していました。(笑))

窓辺に置かれている蟹が気になります。

(「世界に一つだけの蟹」。(笑) 精密鋳造の「株式会社キャステム」(福山市御幸町)に特別に作ってもらった渡り蟹。精密鋳造の技術、すごいです。)

チェックインも終わって部屋に案内していただきます。「遠音近音」は全17室にデッキテラスと温泉露天風呂が付いています。

(❝本館❞は現代建築ですが、天井の飾り梁や壁の塗り色が旧籠藤との連続性をイメージさせます。人の気配もなく静かでいい感じ。)

本日泊まる部屋。最上階のスイート以外は大体部屋のタイプは同じようなものだったと記憶しています。

(3階の部屋のタイプは全て「瑠璃」。)

部屋に入ったところ。

(前日に泊まった「ベラビスタ」よりかなりコンパクトな部屋ですが、狭さは感じません。テラスには後程出てみますが、絶景確定です。)

革張りなのに和風にも見えるロッキングチェアが気持ち良かった。

(この高さが絶妙。リラックスできます。)

ワンルームにベッドも置かれています。

(寝心地抜群でした。)

洗面・脱衣室。

(アメニティは「雪肌精」などが備えられていました。卵型のシングルボウル。)

洗面・脱衣室→シャワールーム→半露天風呂という動線。コンパクトな作りの部屋に多いですが、結構便利な動線です。

(鞆の浦温泉が常時出ています。かけ流しではありません。)

シャワーヘッドはTOTOだったかな。

(シャワーの出る面積が大きくて使いやすかったです。)

温泉は色・香りともクセなし、肌当たりもさらりとしています。

(伊豆石の湯舟。小ぢんまりとしているので足は伸ばせんが、六角形の湯舟の縁に腕を置いてくつろぐには十分でした。)

半露天風呂の外がテラスになっています。

(部屋のテラスとはつながっていません。温泉で火照った体をテラスでクールダウン、、、とはいかない暑さ。)

コーヒー豆は「遠音近音」オリジナルの「潮待ちの港ブレンド」。

(豆をミルで挽くところから。)

冷蔵庫の飲み物はインクルーシブ。

(宿の方が「持って帰っていただいて結構です。」とのこと。)

夕食のオプションのご案内がありました。

(イチオシは鯛。「虎魚」(オコゼ)も旬なのですかね。)

部屋の探検もひと段落、テラスに出て景色を眺めます。

(のんびりとしたいい景色です。手前の小さな島は弁天島、その向こうの大きな島は仙酔島。連泊なら仙酔島に渡ってみたいところです。)

弁天島をズームしてみます。

(朱塗りの弁天堂(福寿堂)があるから弁天島と呼ばれていますが、正式名称は「百貫島」だそうです。渡ることはできないようです。)

左手側、鞆の浦の海岸線の方の景色。

(写真の下のフレーム外に仙酔島への観光船「平成いろは丸」の乗船場があります。)

「遠音近音」には貸切風呂が2つあります。「南風(Hae)」と「東風(Kochi)」。

(私たちは奥の方「東風」を予約。)

大きなお風呂です。

(普通に大浴場みたい。)

5階にありますので、部屋(3階)のテラスから見る景色と、またちょっと違う感じに見えます。

シャワーヘッドはこちらもTOTOだったかな。

(水圧弱めなのがちょっと残念。)

鞆の浦温泉の分析表。

(源泉温度17.7℃。冷泉ですね。泉質などは、単純弱放射能冷鉱泉(ラジウム温泉)、低張性弱アルカリ性冷鉱泉。成分的を見ても、クセなくさらりとしていることが分かります。)

この後は部屋でのんびり。部屋の半露天風呂に入っては部屋の冷房で涼み、を繰り返し。不思議なもので温泉だと何度も浸かります。そろそろ夕暮れ時。

(「平成いろは丸」が仙酔島へ向かっています。)

弁天島の弁天堂がライトアップされているように見えます。

(左奥に見えるのは仙酔島の旅館です。)

夕方になって少しだけ涼しくなったような気もしますが、夕涼みとまではいきません。

(温泉最高。(笑))

さて、夕食の時刻となりました。食事処は「ダイニング颯」(そう)。

(ナプキンがいろは丸仕立て。いろは丸の逸話です。「江戸時代末期の1867年、坂本龍馬は『いろは丸』という船で海運業を営んでいたが、紀州藩の軍艦に衝突され、いろは丸は積み荷とともに沈没。事故現場から一番近くて大きい港が鞆の浦だったことから、事故の当事者たちは鞆の浦に上陸し、事故の損害賠償交渉を行った。」)

本日の献立表。

■冷菜:「広島 夏の恵み」

(鱧南蛮漬け(生姜酢ジュレかけ)・順菜・糸瓜・蛇腹胡瓜浅漬け・くこの実、蝦蛄(シャコ)、オクラ豆富、翡翠茄子、真名鰹西京焼き、南瓜旨煮、庄原三良坂チーズ、紅芯大根、ヤングコーン。ソースは、冬瓜ソース、杏子ソース。)

■御造り:青竹盛り

(鯛重ね、伊佐木焼霜、太刀魚、赤西貝殻盛り、地穴子薄造り、バターナッツ。)

料理長の俳句(短冊)が添えられています。「夏の夜を 見上げて涼しむ 鞆の空」。海の波がデザインされた平角皿に小船が浮かんでいるような小皿が2つ、奥の高さのある器の上のガラス板のブルーは夜空、その上の地穴子の薄造りは雲、バターナッツカボチャの反り返った薄切りは雲間に見える三日月、枡にのった赤西貝は鞆の浦の島々、というところでしょうか。

付けるものは3種類をお好みで。

(土佐醤油、ハーブオイル、檸檬塩。)

飲み物は、妻はワインのペアリング、私は日本酒飲み比べを。

(3種類を料理に合わせて。)

日本酒飲み比べ、いい感じで出てきます。

(パウチされた説明書も出てきます。(笑))

■旬の一品料理

(本日の旬の一品は「海鰻の蒲焼」。海ウナギは川に遡上せず海だけで成長するウナギ。要は海の天然ウナギってことですね。初めて食べました。あまりの美味しさに一気に日本酒が減ってしまった。(笑))

■御凌ぎ:杉板に煮穴子小袖寿司広島菜巻き

(雲丹寿司、蓮芋、白板昆布、アスパラ、金山寺味噌。)

■焜炉:「瀬戸内鱧」しゃぶ鍋、梅肉ポン酢

まず土鍋がセットされます。

続いて鱧登場。

(鱧が旬ということは、まだまだ夏ってことですね。)

土鍋の出汁が煮立ったら、鱧と野菜を入れます。

(鱧はやや火が通りにくいので、普通のしゃぶしゃぶよりも長めに入れておきます。この出汁がうまい。)

■肉料理:和風ローストビーフ

(夏大根、ズッキーニ、揚げトマト、世羅産「松きのこ」、北広島香味野菜、新じゃがコーンソースと山椒ソース。)

■御食事:鯛釜飯、香の物

まず火にかけられた土瓶が出てきます。

続いて、宿の方が土鍋で炊き上がったばかりの「鯛釜飯」を持って来てくれます。

(お見事。ある意味、今日の会席料理のメインかもしれません。)

宿の方が鯛をほぐしてお茶碗によそってくれます。

(土瓶は火から外して。)

ひつまぶしのように、最初はそのままでいただき、次は薬味をトッピングして土瓶の出汁をかけて。

(本場の鯛釜飯、最高です。食べ切れなかった分は夜食用におにぎりにしてくれます。嬉しいサービスです。)

■水菓子:二色西瓜、レモンゼリーがけ

(白い皿には、黒糖わらび餅タルト、大豆黄粉クリーム、マスカット。)

ごちそうさまでした。瀬戸内海の海の幸・山の幸、最高でした。食後に宿から誕生日のお祝いとしてショートケーキなどをプレゼントしていただき、記念撮影。ありがとうございました!

部屋に戻ってテラスに出てみると、弁天堂が美しく輝いていました。

(ライトアップ、強めですね。(笑))

いつものように何度か温泉に浸かってゆっくりします。「明日の散策プランは明日考えよう。」と先送りして(笑)、就寝。

翌朝。今日も鞆の浦の海は穏やかです。

(鯛漁にでも出る小船でしょうか。)

何となく日の出を見ることができたような気がします。

別方向を見ると、既に夏のような雲が立ち上がっています。

(今日も暑くなりそうです。つらい散策になりそうな予感。)

朝陽を拝んだら、何はなくとも温泉。

(写真だといい感じに朝風呂の景色に写っていますが、実際は結構眩しかった。(笑))

朝食です。和食と洋食を選ぶことができます。どうしても「では和食と洋食を1つずつ。」と言ってしまいますが、大体和食の方が❝当たり❞です。(笑)

私が選んだ洋食。

ここに焼き立てパン3種類とココットで蒸された温野菜(ホワイトソースかけ)が出てきます。

(パンはおかわり自由。縦長の全粒粉パンをおかわり。)

妻が選んだ和食。

(こっちが❝当たり❞です。(笑) ちょっとシェアしてもらいましたが、右手前の火にかけられた味噌汁が最高でした。)

朝食が終わって旧籠藤の棟に行って見学していると、急に雨が降ってきました。部屋に戻ってもまだ降り続いています。

(結構な降りです。)

「雨かぁ、散策しづらいなぁ。」と思っていると、しばらくして雨は上がりました。「一雨来て涼しくなったかな。」とテラスに出てみると、「蒸っし暑っ。」(笑)

(雨が上がって空気は澄んだのですが、暑さは増すばかり。)

夏の雲に向かって「平成いろは丸」が出航していきました。

(なかなか風情があります。)

冷房の効いた部屋で本日の散策プランを練ります。

(右は今回の旅のために買ったガイド本。情報量少な目でした。(笑) 真ん中の観光パンフレットがとても参考になりました。)

部屋の鍵のキーホルダーは革細工で、これから訪ねる鞆の浦のシンボル「常夜燈」がデザインされています。

(売店で売っています。(笑))

チェックアウトは12時。2、3時間の散策の間、荷物を宿に預かってもらいます。

(出発前の1枚。昨日到着した時よりも景色がクリアです。)

「汀邸 遠音近音」、評判通りのいい宿でした。それでは鞆の浦観光(散策)に出発です。

 

・・・尾道・鞆の浦2泊旅行⑤[完]〔3日目帰路編〕へ続く。

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尾道・鞆の浦2泊旅行③〔2日目道中編〕

2023年09月26日 | 旅行記

「ベラビスタ スパ&アリーナ尾道」のチェックアウトが13時、本日の宿「汀邸 遠音近音」のチェックインが15時。2時間しかないように見えますが、「ベラビスタ」から「遠音近音」までは車で約20分という距離なので、道中立ち寄りスポットを巡りながら向かいます。

(おおよその位置関係です。福山・尾道・鞆の浦はセットで巡ることができるコンパクトさです。)

最初に「阿伏兎観音」(あぶとかんのん)に立ち寄ります。険しい海食崖が続く沼隈(ぬまくま)半島の南端「阿伏兎岬」の突端の断崖に建っています。鞆の浦に近づくにつれて道は狭くなり駐車場状況は厳しくなってきますが、ラッキーにも10台も停められない最寄りの無料駐車場に入れることができました。

(駐車場から阿伏兎岬の突端へは、この先のカーブを曲がってすぐ。ちなみに、今日も酷暑です。)

到着しました。「阿伏兎観音」と呼ばれていますが、正式には「海潮山 磐台寺 観音堂」です。

(階段を上ると、磐台寺の本堂です。)

この階段脇に岬のマップ「阿伏兎観音 境内図」がありました。

(かなり年季が入っています。珍しい木板彩色の案内板。)

水盤に浮かぶ紅葉とサルスベリの花。

(淀みのない水に浮かぶ姿が美しい。サルスベリから紅葉に季節のバトンタッチをしているという感じでしょうか。)

面白い(と言うと失礼ですが)システムで、拝観料100円を納める時に一緒に御朱印もお願いします。

(お参りより先に御朱印をいただきました。(笑))

本堂(客殿)。

(磐台寺客殿は広島県指定重要文化財。磐台寺は1300年台中頃の創建。現在の客殿は1570年頃、毛利輝元によって観音堂とともに再建されたもの。)

先に進みます。客殿を回り込むように進むと、観音堂への階段がありますが、まずは分岐している道の先にある「足摺さん」と呼ばれる石塔に行ってみます。

(このまま上ると観音堂ですが、今立っている地点の左側に分岐の道があり、そちらへ。)

海に降りて行くような道を50mほど行くと、「足摺さん」があります。

(合掌。)

ここから見る「阿伏兎観音」の観音堂が絶景です。

(よくぞこんな所に観音堂を建てたものです。)

「足摺さん」から戻る途中で観音堂を見上げた景色。

(まさに断崖絶壁。見下ろした海の透明度がすごくて吸い込まれそうで、ちょっと怖かったです。)

それでは観音堂に行ってみます。先程の階段を上るとすぐ。

(靴を脱いで、お堂の周りの濡れ縁をぐるっと歩くことができます。)

この濡れ縁が微妙に傾斜していて、気を付けないと海側に体を持っていかれます。

(欄干が低くてむしろ怖い。(笑) お堂にへばりつくように濡れ縁を歩きます。)

「阿伏兎観音」は、986年、花山法皇がこのあたり一帯の海上を往来する船の航海安全を祈願して岬の岩上に十一面観音石仏を安置したことに始まります。その後、航海安全のほか、子授け、安産の守護として信仰を集めています。

(観音堂には「オッパイ絵馬」がイッパイ。)

濡れ縁を歩いて「足摺さん」側に来ると、先程行った「足摺さん」が見えます。

(こちらも絶景です。)

磐台寺・阿伏兎観音、一度は訪れたい名所、おススメです。

阿伏兎観音を出発し、いよいよ鞆の浦の中心街に向かいますが、その前に鞆の浦の港や街を一望できる「後地朝陽展望台」に行ってみます。

(「福山グリーンライン」に入るとこの看板がちらほら出現します。)

たまたま車を停めたこのビューポイントでは、鞆の浦の中心地とは❝反対側❞の景色を見ることができました。

(「田島」という島とこちらを結ぶ「内海大橋」と思われます。)

福山グリーンラインを少し移動して、鞆の浦を一望するスポットに到着。

(鞆の浦の観光パンフの表紙を飾ることもある代表的遠景。)

現在14時。境内から見る鞆の浦の海の景色がいいという「淀媛神社」などにも立ち寄ってみようかと思いましたが、一時的にでも車を停めるスペースが全くなく断念。その後、鞆の浦の中心地に入って行くにつれ、道は入り組み、すれ違いもままならないことが分かりました。車が進まず、えらい目に遭いました。

(前の方の車のすれ違い待ちで渋滞中。信号機が青・赤の2色。)

後で分かったことですが、今日は、「沼名前(ぬなくま)神社」の境内の摂社「渡守(わたす)神社」の7年ぶりのお祭りの最終日。それもあって、更に渋滞は激しくなり、全く進まなくなりました。14時45分を回っていたと思いますが、何とか渋滞から解放され、本日の宿「汀邸 遠音近音」から指定された「ホテル鴎風亭」の駐車場に無事到着。

(「ホテル鴎風亭」のロビーで送迎車を待ちます。)

5分ほどで送迎車が来ました。「ホテル鴎風亭」から「汀邸 遠音近音」までは5分もかかりません。15時前に到着。送迎車の運転手さんや「遠音近音」の方に訊ねましたが、鞆の浦観光は車は論外、レンタサイクルよりも歩いて回った方がいいとのこと。宿でゆっくりと明日の散策プランを練り直してみたいと思います。

 

・・・尾道・鞆の浦2泊旅行④〔「汀邸 遠音近音」編〕へ続く。

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尾道・鞆の浦2泊旅行②〔「ベラビスタ スパ&アリーナ尾道」編〕

2023年09月25日 | 旅行記

瀬戸内海の絶景を望むことができる、全室オーシャンビューのリゾートホテル「ベラビスタ スパ&アリーナ尾道」。大阪勤務時代に瀬戸内海の名宿に泊まってみたいと妻と話していた中で、小豆島の超人気宿「海音真理」の次の旅先として計画していた宿です。

(駐車場からホテル棟の全景を。)

石垣のような銘板、どこか懐かしさを感じる木とガラスのエントランスが素敵です。

(「Bella Vista」(ベラビスタ)はイタリア語で「美しい眺め」という意味。)

「ベラビスタ」は、1973年、造船会社のお客様のための迎賓館として誕生し、その後大規模リニューアルを経て、2007年9月に現在の「ベラビスタ」としてスタートすることになりました。

シンプルで広々としたフロント前ロビー。

(海を思わせるブルーのタイルはこの先の外、「ザ・デッキ」へと続き、海に流れ込むようなインフィニティ水盤につながっています。)

チェックイン。ウエルカムドリンクは確か地元産の八朔のフレッシュジュース。

(ネクターのような濃厚な味わいでした。)

チェックインが終わり部屋への案内となりますが、施設案内も兼ねてちょっと寄り道してくれます。真っすぐ伸びるブルーのタイルの上をデッキに向かって進んでいきます。まず目に留まるのは、フロントの近くに飾られている船型の模型。知る人ぞ知る瀬戸内海に浮かぶ船の宿「guntû」(ガンツウ)。

(「ガンツウ」は全19室、瀬戸内海を航行しながら名所を巡ります。2名1泊100万円~。(笑) ここに「ガンツウ」が飾られているのは、運営会社「株式会社せとうちクルーズ」が「ベラビスタ」と同じだから。)

更に進むと、両サイドに広々としたラウンジが設けられています。

(こちらは思い思いの椅子に座って読書でもして過ごすエリア。反対側には飲み物や軽食が用意されています。)

そして、自動ドアから外に出ると、そこは「ザ・デッキ」。「ベラビスタ」の❝顔❞とも言える景色が広がります。海に流れ込むような水盤。

(美しさに感動。写メ撮りまくり。(笑))

ここでホテルの方から注意事項。「この水盤にはガラスなどは張っていませんので、落ちないようにしてください。」、、、私:「えっ、落ちる人なんているのですか?」、ホテルの方:「えぇ、2日に1回は落ちる人がいます。」(笑) ホテルの方のつかみネタなのかもしれませんが、それくらい美しいということです。

館内に戻って部屋へ向かいます。ベラビスタは専用の桟橋とマリーナがありますので、船でチェックインという方もいるようです。館内は船をイメージした箇所がいくつもあります。

(エレベーターの照明がマリンランプ。)

エレベーターホールです。

(バスタブに浸かって海を眺めることができるタイプの部屋「ビューバススイート」を予約しました。)

部屋に入ったところ。

(レースのカーテン越しですが、テラスからの絶景確定です。右側にベッドルーム、浴室などがあります。)

窓側から部屋の扉の方を見た景色。

(天板が大理石の机もあり、広々として使いやすかったです。)

テレビ側を見てみると、こうなっています。

(冷蔵庫などはこのカウンターの下に隠れています。)

さすが尾道、部屋置きのカップラーメンも尾道ラーメン。

(残念ながら有料です。(笑))

冷蔵庫にはご当地のドリンクも入っています。

(こちらも残念ながら有料です。(笑))

ベッドルーム。

(奥のカーテンを開けると小ぢんまりとしたテラスがあります。)

ベッドの上には「ベラビスタ・テディベア」が座っています。

(ご当地のデニムで作られているテディベア。ホテルからのプレゼントです。これは「ベラビスタ」の「瀬戸内キロメートル・ゼロ」というコンセプトによるおもてなしのひとつ。)

「瀬戸内キロメートル・ゼロ」とは、地産地消をコンセプトにした、瀬戸内の海の幸・山の幸など地元の食材はもちろん、伝統産業のデニムや絣、家具など、歴史や文化に根付いた、この地だからこそのものをご提供します、という理念。

ベッドルームのお隣が浴室です。

(「ビューバス」ですが、日差しが眩しすぎて、日中はちょっと、、、。(笑))

浴室の窓側からベッドルームを。

洗面スペース。

(シングルボウルです。)

アメニティは全てベラビスタオリジナル。

(あらゆるアメニティが「Bella Vista」ブランド。結構珍しいパターンかも。)

こちらがバスタブです。

(浴室用テレビ。夜にでも湯に浸かりながら観てみますかね。)

シャワーヘッドは「GROHE」(グローエ)というブランドでした。

(マイクロバブルは出ませんが、広範囲にシャワーが広がって、とても使いやすかったです。)

そして、テラスからの絶景です。

(桟橋&マリーナ。円柱形の建物には大きく「Bella Vista」と書かれています。)

先程立ち寄ったデッキと水盤も見えます。

ベッドルーム奥のテラスからは、メインダイニングの「エレテギア」のレストラン棟が見えます。

(山の手前の❝縦長❞の、屋根が二重になっている建物です。)

部屋の探検もひと段落したところで、大浴場に行ってみます。

(SPAエリア。散策で汗だくになりましたので、早く汗を流したい!)

マニアックな反応ですが、SPAエリアの床が竹材で「おおっ。」と声がもれました。(笑)

(家を建てる時にリビングの床の無垢材を何にするか検討している時、竹材の床を見て素敵だったことが印象に残っています。結局チーク材にしましたが。)

大浴場は、大きな檜風呂と半露天風呂の2つがあります。撮影禁止ですので、ネットから拝借しての紹介です。こちらが檜風呂。

(素晴らしい内風呂でした。)

こちらが半露天風呂。

(外側は深くなっていて、海を見ながら立ち湯を楽しむことができます。)

半露天風呂に実際に浸かると、こういう景色となります。

(インフィニティプールならぬインフィニティ風呂。(笑) ほとんど人と出会いませんので、こんな景色を独り占めできます。)

湯上りの休憩室があります。各種飲み物が無料。

(炭酸メーカーもあります。作りませんでしたが、炭酸水にこちらの味付きらしきものを入れるのでしょうか。)

こちらのパック飲料をいただきました。

(「毎日レモン」を飲んでみましたが、りんご酢が酸っぱ過ぎたのか、そんなに美味しくなかったですね。口直しに、写メには写っていませんが、お隣の冷蔵ケースからミニサイズ缶のビールを。ナッツでもほしいところですが、つまみはありません。(笑))

そして、これが最高でした。存在感を消すかのように置かれている冷凍庫。

(床と同化していて最初気付きませんでした。)

天板をみると、アイス!

(ホテルオリジナル「天心山たまごアイス」。「たまごアイス」と書かれているので、こちらに来る直前に食べた尾道の「KARASAWA」のものかと思いましたが、別物のようです。)

冷凍庫を開けると、❝絶景❞が。

(アイス食べ放題!(笑))

妻を待っている間に思う存分いただこうと思いましたが、1個で十分でした。そんなに数を食べられる物ではないですね。

部屋に戻ってしばらくまったりしていると、そそろ夕暮れ時となりました。

(なかなかいい夕陽です。)

チェックイン後にホテルの方がデッキに案内してくれた時に、デッキで見る夕陽も美しいと教えてくれましたので、部屋のテラスから夕陽を見た後、急いでデッキまで行ってみました。

(太陽は雲に隠れてしまいましたが、夕暮れ時の空が水盤に鏡のように映って、とてもきれいでした。)

デッキでは夜には星空観測の体験イベント(無料)もあるそうです。

(実際に使う望遠鏡。日の入り、日の出時刻のアナウンスもされています。)

再び部屋に戻ってのんびり。夕食の時刻となりました。メインダイニング「エレテギア」へはデッキを通って行きます。

(夜のデッキ。とても雰囲気がいいですが、実は蒸し暑い。(笑))

レストラン棟への道。

(iPhoneで撮るとナイトモードが発動してこれくらいの明るさに写りますが、実際はもっと暗くて、足元に気を付けながら歩きました。年ですね。(笑))

「エレテギア」の入口に到着。

(ここも実際はもっと真っ暗。(笑))

「エレテギア」はバスク語「Erretegia」で「網焼き屋」という意味だそうです。レストランに入って席に着くと、大きく開口した窯が存在感を放っています。

(薪や藁で食材を焼きまくるようです。店名そのもの。)

これまた目立つ❝魅せる❞冷蔵庫。

(冷蔵庫の横にはホワイトボードならぬシルバーボード。どうやら席ごとの料理の進捗を共有しているようです。)

本日の献立表。

(シンプルな献立表。料理がサーブされる時、店員さんが色々説明してくれますので、忘れないようにLINEのkeepメモに控えるのがたいへんでした。(笑))

店員さんがまず説明してくれるのは、「当レストランでは、基本的にあちらの大窯で薪を使って食材を焼いて調理する料理をお出しします。」という趣旨のこと。焼き中心ということですが、焼いているところをライブキッチンのように見ることができて楽しいです。では、「瀬戸内キロメートル・ゼロ」のコンセプト、地産地消のコースのスタートです。

■新蓮根

(炙った「岩国れんこん」がクルトンのように浮いています。スープの中にも岩国れんこんが入っていて、食感の違いが面白い。)

ドリンクは妻も私もワインのペアリングにしました。5種類のワインを料理ごとに出してくれますが、注ぐ量を選ぶことができますので、妻はちょっと控えめの量を。

(乾杯と最初の新蓮根に合わせた白ワイン。銘柄確認せず。)

パン登場。

(広島県産古代小麦のパンと、自家製リコッタ(チーズ)。このパン、結構美味しかった。)

■シマアジ、黄韮

(瀬戸内海産のシマアジ。献立表には黄韮とありますが、葉物はスイスチャードとのこと。出汁系のジュレが隠れているので、そのままシマアジとスイスチャードを一緒に食べます。)

2種類目の白ワイン。

(かなりドライなタイプだったような記憶があります。銘柄確認せず。)

■絹皮茄子、三良坂フロマージュ

(西条市(愛媛県)の「絹皮茄子」と、三次市(広島県)の「三良坂フロマージュ」という牧場のチーズ。めちゃウマでした。)

ワインはロゼ。

(スペイン産と説明がありましたが、ラベルをよく見るとイタリア産ではないでしょうか。)

■鰆、黒大蒜

(鰆です。絶妙の焼き加減。黒にんにくとビネガーのソースで。)

皮の焼き目が見事でしたので、そちらも。

(窯の網焼きならではの焼き具合か。もう数切れ食べたい美味しさでした。)

ワインは(こちらが)スペイン産の白ワイン。

(確かシェリー酒に使われるパロミノ種のブドウを使っている。黒にんにくとビネガーのソースに負けない個性があったような記憶が薄っすらとあります。)

■アライオリーブ

(広島県産の牛乳のアイスに小豆島産のオリーブオイルを合わせてあります。メインの肉料理の前のお口直し。)

■薪火焼き

(メインの肉料理は、イチボ、ヒレ、イノシシから選びます。チャレンジは避けて、イチボとヒレを選んで妻とシェア。手前には、左から、藻塩、粒黒胡椒、広島県産わさび。粒黒胡椒は、オイル漬けか塩漬けが忘れましたが、何かに漬けてあり、とてもマイルド。私は一番好みでした。)

ワインは最後に赤が登場。

(アメリカ産。「Pn」のイニシャル通り、ピノノワール種。軽い感じの赤でした。)

■真蛸、もち麦

(真蛸ともち麦を鉄鍋で焼き上げます。結構な強火でガンガン焼いてましたね。)

お好みでこの「ピカンテオイル」をとのこと。

(相当辛いらしく、1、2滴でいいと言われました。1滴じゃ何も変わらないだろうと思いましたが、1滴で十分でした。(笑))

小皿に取り分けていただきます。

(リゾットでもパエリアでもない感じですが、めちゃウマでした。鉄鍋にこびりついたもち麦もこそげ取っていただきました。)

ここで妻からのプレゼントが登場。バースデーケーキです。

(ありがとうございます! ろうそくの本数には意味はないらしく、5本くらいが映えるだろうということで。)

このケーキは部屋に運んでもらい、あとでいただくことに。何歳になっても祝ってもらうのは嬉しいですね。

■グラスショートケーキ

(献立表ではグラスショートケーキですが、妻からのバースデーケーキとかぶるので、こちらのパンナコッタに変更していただいたようです。添えられているメロンは、広島の安佐北区の農園産で、1株に1個だけにして育てたメロン。)

最後にアイスコーヒーとアイスティーでクールダウン。

(お茶菓子とともに。)

これで窯の薪焼きのコースは終了。私がプロの域に届くことは絶対にないですが、リフォーム後の庭でグリルを操って美味しい焼き物を食べたいと思ったひと時でした。

お腹もいっぱい、5種類のワインでほろ酔い気分で「エレテギア」を出ました。

デッキ手前の広場がライトアップされていてきれいです。

星空観測は終わったのか雲で見えないのか、デッキは静寂でした。

(まだちょっと蒸し暑い。)

部屋に戻ると、先程のバースデーケーキがありました。

(尾道の「PATSSERIE NOIX」(パティスリー・ノワ)のケーキ。この後いただきましたが、上品で軽めの甘さのケーキ、フルーツもたっぷりでとても美味しかったです。)

テラスから見る夜のマリーナがきれいでした。

バスタブに湯をはって、浴室テレビをつけてみました。

(結論、長風呂ではない私にはテレビは不要ということが分かりました。(笑) 「ベラビスタ」は温泉ではないので、何度も湯に浸かるということはありませんでした。)

この後就寝。いい1日目でした。

翌朝。天気予報は晴と言っていましたが、厚い雲に覆われた朝となりました。

(雨でも降りそうな雲。)

日の出はベッドルームの奥にあるテラスの方角のようなので行ってみましたが、時間が経っていたのか、すっかり陽が昇っていました。

(右下に「エレテギア」が見えます。)

昨日から気になっていた、写真左側にあるループ橋のような建物。

(これです。)

❝田舎の展望台❞だろうと勝手に想像していましたが、妻が調べたところ、「ベラビスタ」の「リボンチャペル」という建築物でした。

(ネットより拝借。こうやってみると、なるほど❝田舎の展望台❞じゃないですね。(笑))

内部はこうなっているようです。

(ネットより拝借。実は超オシャレなチャペルでした。(笑))

ちょっとした疑問も解けたところで、朝食に向かいます。

(タイルの貼り方が妙に気になります。(笑)「芋目地」と「馬目地」の組み合わせですね。)

朝は和食処の「双忘」にしました。

(「双忘」とは、日常の良いことも悪いことも忘れて今をリラックスして楽しむべし、というくらいの意味だそうです。)

朝の献立表。

(「エレテギア」の献立表よりも情報量が多くて助かります。(笑))

中庭の見えるテーブル席に案内されました。

すぐにお店の方が来て「日替わり旬魚 一夜干し」で選ぶことができる3種類の魚を持って来てくれます。

(カマス、甘鯛、穴子。妻と一瞬競合しましたが、妻は甘鯛、私は穴子を選びました。)

一夜干しの魚を選んだら、「旬皿」として、ブッフェスタイルの総菜から好きなものを取って来るスタイル。

(ご飯「光信米」、日替わりお味噌汁、田島海苔、真鯛の造りはお店が運んでくれます。ご飯「光信米」は神石高原町光信地区産。)

一夜干しが焼き上がりました。穴子。

(鬼おろしでいただきます。お皿右上には鞆の浦の郷土料理「がす天」(小魚を骨ごと挽いた天ぷら)。)

甘鯛。

妻とシェアしながらいただきました。穴子も甘鯛も最高の焼き加減で、無口になるくらい美味しかったです。最後にブッフェから取って来たフルーツとヨーグルトで〆ます。

(よくあるブッフェと違って、いくつもの種類の雰囲気のいい取り皿が置かれていて、お皿を選ぶのも楽しい。)

ここにも「瀬戸内キロメートル・ゼロ」のコンセプトを表わすディスプレイがありました。名産のデニム製品の数々。

(スニーカー、椅子、スーツケース。)

このスニーカー、欲しくなります。

朝食終わりに、朝のデッキに行ってみました。

(早朝の厚い雲もどこかに去って、今日も晴れそうです。)

涼しくはないですが、散策できる気温でしたので、ちょっとそのあたりを散歩。

(日陰のソファに座ってのんびりと。リゾートホテルは連泊すべし、ですね。(笑))

チェックアウトは旅行サイトの特典で何と13時。妻は大浴場の岩盤浴へ、私もインフィニティ半露天風呂へ。思い思いにのんびりまったり過ごしました。

(最後にテラスからの絶景を見納めます。)

「ベラビスタ スパ&アリーナ尾道」、期待通りの素晴らしい宿でした。もし次の機会があるなら、連泊したいものです。オプションでクルージングもあるそうですし。(笑)

チェックアウト後は、次の宿へ。初めての鞆の浦を訪れます。

 

・・・尾道・鞆の浦2泊旅行③〔2日目道中編〕へ続く。

 

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尾道・鞆の浦2泊旅行①〔1日目道中編〕

2023年09月24日 | 旅行記

9月の三連休を利用して尾道と鞆の浦(福山)に2泊3日で旅行に行ってきました。この地を旅先に選んだのは、尾道で泊まってみたい宿があるからと、尾道と近い鞆の浦を一度訪ねてみたいから。数ヶ月前に予約し、あれこれプランを立てていた頃は、「初秋の旅になるなぁ。」と思っていましたが、猛暑の収まる気配なく、さながら真夏の旅となりました。

今回泊まる宿は、尾道が「ベラビスタ スパ&アリーナ尾道」、鞆の浦が「汀邸 遠音近音」です。

さて、旅の足は、新幹線で福山駅まで行き、レンタカーを借りて各地を巡ります。連休のせいか、新幹線はグリーン車も含めて満席のようでしたが、福山駅に停車する❝直通❞ののぞみがあって、快適な約3時間でした。

(福山駅の新幹線構内に掲げられている巨大な書。地元の大門高校の書道部が福山城築城401年を記念して書いたようです。福山城には3日目帰路に立ち寄りますが、この書にある「水野勝成」・「漆黒の守り」というキーワードの意味はその時に知ることになります。)

1日目道中は「千光寺公園」に立ち寄りますが、レンタカーをピックアップしたのが11時を回っていましたので、まずは昼食です。尾道と言えば、「尾道ラーメン」が思い浮かびますが、砂肝が入ったお好み焼き「尾道焼」も名物なようで、どちらにするかレンタカーで走り出してからも妻と話していましたが、ラーメンに決定。事前にリサーチしておいたお店は尾道の中心街から少し外れた「食堂きはら」。

(ザ・大衆食堂。(笑) 福山駅から30分弱。尾道の中心街までは10分もかからない所です。連休で混雑しているであろう中心街を避けて、この雰囲気満点の地元の名店を選びました。)

ラーメンだけでなく炒飯もおススメらしいですが、私は暑さに負けて「冷やしラーメン」を、妻は普通に「ラーメン」を。

(冷やしラーメンは写真のフレーム外。ラーメンは600円ですが、冷やしラーメンは720円。)

私の「冷やしラーメン」が先に来ましたが、見慣れた冷やし中華でした。(笑)

(美味しかったですが、尾道らしさは感じない冷やし中華。お隣は、これも「きはら」名物の「イナリ寿し」。妻と1個ずつシェア。)

妻の「ラーメン」登場。

(美味しそう。絶対こっちでしたね。(笑) 少し食べさせてもらいましたが、めちゃウマでした。「食堂きはら」に来たら「ラーメン」と「イナリ寿し」がおススメです。)

大衆食堂で旅情を感じながらの昼食の後は、「千光寺公園」へ向かいます。車で10分ちょっとという距離。千光寺公園は小高い山にありますので、ロープウェイを使って登ってくる人が多いようです。そのせいか満車が心配だった駐車場にも待ちなしで入れました。

(千光寺をめざして歩き出します。が、真夏の日差しが厳しく、日傘をさしながらの散策です。)

散策プランでは、マップにある通り、千光寺の参拝道(左側)と「文学のこみち」(右側)でぐるっと一周するつもりですが、この酷暑ですので、ヤバくなったら散策を打ち切ってホテルに向かうことにします。

(ネットより拝借。駐車場=スタート地点は、左やや上の「鼓岩」の向こう側「公園駐車場」です。)

歩き出すとさっそく「鼓岩」がありました。

(巨岩です。写真にも豆粒のように写っていますが、巨岩のてっぺんに硬質ゴムのトンカチが置かれています。これで岩を叩くと「ポンポン」と鼓のような音がするので「鼓岩」。やってみましたが、岩の音なのか硬質ゴムゆえの音なのか微妙な感じでした。(笑))

緩やかな下り坂に入ると一気に視界が開け、尾道港の絶景が飛び込んできます。

(風も吹き渡り、ちょっとだけ暑さが緩みます。)

本堂を見上げながら階段を上ります。

(こちらが本堂。)

階段を上りきると、「三重岩」という巨岩が現れます。

(本堂を背に立っています。「三重岩」は「さんじゅういわ」ではなく「みかさねいわ」と読み、3つの巨岩が重なっています。千光寺の建つ「大宝山」は巨岩の名所でもあるそうです。)

それでは本堂でお参りさせていただきます。

(お参り後に順路を進んだ所から振り返っての景色。)

千光寺は正式には「大宝山権現院千光寺」。標高140mの大宝山の中腹にあり、尾道港を一望できる絶景のお寺としても有名です。開基は平安時代初めの大同元年(806)、弘法大師によります。様々な旅先でいつも思いますが、弘法大師の活動範囲の広大さには驚きます。

順路を先に進みます。

(巨岩の間を進みます。ちょっと角度が悪くて見えませんが、左側の巨岩は「梵字岩」。江戸時代、徳川綱吉が将軍の頃、縁のある僧が梵字を刻んだ巨岩です。)

涼しげなイベント「福鈴まつり」開催中。風鈴の風受けの短冊に願いを書いて奉納するようです。

(少しは風が吹いていたような気がしますが、写真を見ると全く短冊が揺れていませんね。(笑))

御朱印をいただきました。

(暑さで判断力がおかしくなっていたのか、駐車場の領収証と並べて写メしてます。(笑))

千光寺からの絶景ポイントのひとつ、「鐘楼」へ。

この鐘楼の鐘は元禄の時代から時を告げてきたそうです。今ではこの地域の除夜の鐘としてテレビ・ラジオで報じられています。

(現在の鐘楼は明治23年(1890)に再建されたもの。)

そして、ここから見る尾道港が絶景です。

(鐘楼、尾道港、ロープウェイの3点同時に写メに収めたいところですが、ロープウェイが思いのほか速く(笑)、この1枚が精一杯。)

鐘楼から本堂へ引き返す途中に「護摩堂」へ続く上り階段があります。本堂や鐘楼よりも更に上にありますので、また違った景色を望むことができます。

(護摩堂には小さな鐘があって、誰でも撞くことができます。(鐘楼の鐘は撞くことができません。))

そして、視界を独占するこの巨岩が「玉の岩」(周囲50m・高さ15m)です。昔々、この岩の頂に光る如意宝珠(宝玉)があったそうです。夜に海上を照らしていたのでこの地を「玉の浦」と呼ぶようになったという伝説のある巨岩です。今でも玉の岩の頂には直径14cm・深さ17cmの穴があるそうで、光る如意宝珠があった跡だとか。ちなみに、現在掲げられている宝珠も夜には光るそうですが、それは現在のテクノロジーによるものです。(笑)

玉の岩だけでなく、本堂側を向けば、「三重岩」も見ることができます。

(本堂の屋根にもたれかかるような巨岩。おそらく三重岩の❝上2つ❞だと思われます。)

本堂の美しい屋根と尾道港。

(各種ケーブルがちょっと野暮ですが。)

玉の岩と本堂の間に立派な松がありますが、上から見る姿がなかなかに美しかったです。

(姿の美しさもさることながら、艶々の緑の美しさに妻と感嘆。)

千光寺のお参りはここでひと段落。暑さで汗が止まりません。当初の散策プランでは、千光寺の境内のどこかにある「文学のこみち」を登って「千光寺頂上展望台」に行こうと思っていましたが、暑さでヤバそうなので、もと来た道を戻ります。が、戻る途中で展望台への案内板が出てきたので、「せっかくなので行ってみるか。」となりました。

(千光寺山頂展望台「PEAK」。ちょっとアートっぽい。)

暑さでヘロヘロでしたので展望台に上るのをためらっていると、先に上っていた妻から「景色がいいから上って来い。」とのお誘いが。で、行ってみると、風が通って暑い中でも一息つけました。

(短距離走ができそうなまっすぐで長い❝展望通路❞。)

山頂展望台というだけあって、眺望が素晴らしい。

別方向。

もういっちょ別方向。

しばし「PEAK」で絶景を楽しんで展望台の階段を降りると、降りた所にこの石碑が。

(「文学のこみち」。ここから下っていくと千光寺の境内に通じているようです。)

ということで、「文学のこみち」は歩きませんでしたが、ほぼ散策プランを歩き切ったことになりました。駐車場に戻って本日の宿へ向かいますが、ちょっと寄り道を。尾道の中心街の人気の手作りアイスのお店「KARASAWA(からわさ)」に行ってみます。

(「たまごあいす」という手作りアイスを最中生地に挟んだ「アイスモナカ」が人気ナンバーワン、と事前リサーチ済み。)

海沿いの広い道路でしたので、ちょっと停車。私が車に残って妻に買いに行ってもらいました。

(「アイスモナカ」。もうひとつ、「ワッフルコーン」も買って、車中でいただきました。素朴な味で美味しかったです。)

ちょうどいい時間となりました。ここから本日の宿「ベラビスタ スパ&アリーナ尾道」へは20分ちょっとというところです。

 

・・・尾道・鞆の浦2泊旅行②〔「ベラビスタ スパ&アリーナ尾道」編〕へ続く。

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外構・庭のリフォーム〔アプローチ階段編(その1)〕

2023年09月23日 | リフォーム

新シリーズ、「アプローチ階段編」です。カテゴリーを細分化し過ぎて破綻しそうな気もしますが。(笑)

門扉前のスペースを最大化するために、アプローチの今の階段の最後の段(一番上の段)を埋め立てます。ここで問題になるのが、段差(1段の高さ)を変えないこと。つまりは段数を変えないように、途中で1段生み出す必要があります。メインテラスの工事がヤマ場を越えた頃、その工事が始まりました。

(階段と階段前の地面が下地として何となく整えられたような気がします。)

連休明け初日に、その1段が生み出されていました。アプローチの途中の踊り場に新しい1段が出現。

(ちょっと見づらいですが、正方形だった踊り場の対角線上に1段作られました。)

❝新階段❞を上りきって、完成後の門扉前のスペースとなる所に立って見てみました。

(モルタル乾燥中のため踏み板が渡されています。)

翌日、踏み板も取り払われ、❝新階段❞がお披露目されました。

(道路から上ってきても何の違和感もなくバッチリです。)

本日の工事終了後、階段脇に規則正しくブロックが並べられていました。

(このブロックは何になる?)

この踊り場を使って1段生み出すアイデア、着工前立会で施工チームのリーダーの職人さんがその場で提案してくれたもの。改めて感謝です。

(アプローチの階段の1段の高さを変えないことで、歳をとって階段の上り下りに気を付けないといけないようになった時の安全性も担保されました。)

ここに貼るタイルは既にガレージに搬入済みです。さすがに毎日工事で上り下りするので、ここのタイル貼りは最後の最後でしょうね。

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外構・庭のリフォーム〔タイル編(その3)〕

2023年09月22日 | リフォーム

タイルを貼った❝裏側❞はモルタルの左官仕上げにしました。

(予算の都合です。(笑) 左官仕事は職人さんの腕の良し悪しが出ますが、9月下旬でもこの暑さ、乾燥によるひび割れなどが出ないか、当分の間、要チェックです。)

プロの仕事なので当然でしょうけど、それにしても見事な仕上がりです。

(コテさばきを見たかったのですが、外出していて見ることができず。)

タイルを貼ればきれいなのは当然ですが、裏側ならこのモルタル仕上げでも十分ですね。

(メインテラスの床などもモルタル仕上げの予定です。)

ガレージ周りの一番広いところの今の塗装はがしにタイル屋さんが苦戦していると先日の記事に書きましたが、ついに手作業では限界を感じたのか、機械による作業が始まりました。これで一気に塗装はがしが進みました。

(手はがしの方がきれいに塗装をはがせるようですが、機械はがしでも新しいタイル貼りに支障がなければOKですね。)

ガレージには仕上げに使う「JOLYPATE」が運び込まれました。

(ずっと「ジョリパッ」だと思っていましたが、「ジョリパッ」でした。(笑))

タイル貼りやジョリパット仕上げは一気に進むかもしれないので、一度作業の様子をライブで見てみたいと思います。

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外構・庭のリフォーム〔パーゴラ編(その3)〕

2023年09月21日 | リフォーム

パーゴラ編というよりも、パーゴラを含む「メインテラス編」です。メインテラスの工事が一日一日進んでいます。

■先週後半の様子。

(メインテラスのスツールの背もたれにもなる壁のブロックが積み上がっていきます。)

❝内側❞を見ると、こうなっています。

(資材のブロックがまだありますので、更に積み上がります。)

❝内側❞にちょっとだけ立ち入って撮ってみました。

(電源コード用のパイプがあちこちに出ています。)

■先週最終日の工事終了後の様子。

(そろそろ積み上がりも終了か。何かすごいことになっています。)

❝外側❞から見た様子。

(高っ。積み上げはこれで終了ですね。メインテラスの❝床❞は家の中のリビングとほぼ同じ高さまでかさ上げされますので、完成後はこの高さでもなじむはず、多分。(笑))

道路側には特注のアイアンのフェンスが建ちますが、端の一画はブロックで壁が建ち上がり、ジョリパッド仕上げとなります。その基礎の上にブロックが積まれ始めました。

(設計図(パース図)が現実のものとなるのは不思議な感覚です。)

■今週初日の工事後の様子。

(ブロックのままだと味気ないですが、ほぼ全容を見せ始めています。これが外構と同じジョリパッド仕上げでどんな印象になるか、楽しみです。)

❝外側❞の側面から見るとこうなっています。

(こちらは背もたれのないスツールとなります。この土面は植栽のエリアとして整備されます。現在デザイナーさんが植栽用の木を買い付けに回ってくれています。)

メインテラスの❝内側❞に積まれていた資材のブロックはなくなり、床面のかさ上げが進んでいました。

(2階でリモートワークをしていると、土を突き固めるような音がずっとしていましたが、この床面のかさ上げの工事でしょうか。)

メインテラスの❝外側❞、道路側の端の一画の壁のブロックがかなり積み上がりました。

(このエリアは門扉の前に立つと真っすぐ視界に入るので、デザイナーさんも植栽計画はじめ景色にこだわったエリアです。)

床面がかさ上げされたメインテラスを❝内側❞から見ると、かなり出来上がりをイメージできる状態になりつつあります。

(❝内側❞に立つと、向こう側のブロックの壁の高さが気になりません。やはり床面のかさ上げが大きいですね。現在の地面から確か60cm上げる計画。)

メインテラスの隣にはパーゴラなど❝屋根❞のない、露天の「セカンドテラス」が設けられます。次はセカンドテラスの工事に取り掛かるような気配。

(資材として積み上げられたブロックはセカンドテラス用か。)

まだガレージに運び込まれていない❝大物❞資材に、特注でオーダーしたアイアンの門扉、アーチ、フェンスなどがあります。まだまだ終わりそうにない工事ですが、工程表上はエンドも見えてくる時期。これからどんな展開を見せるか、楽しみです。

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