約一年前(ちょうどこの時期)、「琉球八社」への参拝を計画しましたが、結果的に3つのお宮へお参りすることができませんでした。
「いつか機会があれば」と思っていましたが、今回、ありがたいことにお参りすることができました。
「琉球八社」参拝コンプリートの顛末です。
今回の那覇へのフライトは羽田空港から。
6月19日の「移動自粛」解除後初の週末ですが、搭乗口はこの混雑。
ANAは特に座席の空席は作らず、満席の状態。
もっとも、満席でも全員マスクをしていますし、飛行機内の空気は3分に1回入れ替わるそうなので、それは気になりませんが、CAさんがずっと同じ手袋をして業務に当たっていたことは、「う~ん」です。
那覇空港到着後は、「ゆいレール」でホテルの最寄り駅へ。
(「日本最西端の駅」、佐世保駅もそんなキャッチフレーズを使っていますが。(笑))
今年3月からようやく各社の交通系ICカードが使用可となり、現金で切符を買う必要がなくなったので、より便利になりました。
結構この景色が好きです。
(午後6時半頃。沖縄はまだまだ明るいです。)
旭橋駅で降ります。
いつも「ゆいレールの旭橋駅近くで便利だから」という機能的な理由で使っているホテルですが、実は、ここに、戦前の大正3年に開通した、「沖縄県営鉄道」の「転車台」の遺構があることを今回知りました。
平成27年に旭橋の再開発工事を開始したところ、遺構が発見されたそうです。
当時の路線図が説明板に記されています。
(北に走るルートは、ほぼ現在の国道58号線沿いというところでしょうか。)
線路幅は76.2cmとミニサイズで、「軽便鉄道」(けいべんてつどう)、愛称「ケービン鉄道」と言われていたそうです。
「沖縄には鉄道はない」という既成概念を改める史実でした。
さて、翌朝月曜日、曇天です。
(ギリギリ雨は降っていません。)
コロナ感染予防のため各ホテルは工夫を凝らしていますが、こちらのホテルでは、朝食会場を15分刻みの予約制にし(5組のみ)、ブッフェ方式ではなく3種類(和食、洋食、サンドイッチ)からオーダーするスタイル。
(サンドイッチにしました。)
ちなみに、フルーツやサラダもプラコップに個別に入れられていて、それを取ります。
今回の仕事でご一緒する方と合流し、オフィスへ。
沖縄へ赴任する方には必須の三線、代々受け継いでいく一品として今回特注したという三線を見せてもらいました。
(三線の名人も注文するという名工の作。)
三線の下に見えるCDのジャケットに写る方は、比嘉康春氏。
琉球古典音楽野村流保存会師範、国指定組踊技能保持者、沖縄県指定伝統舞踊地謡技能保持者という、とにかくすごい方にして、現在の沖縄県立芸術大学学長(第7代、平成26年より)。
木の板に毛筆で書かれた一節は、「三線の綾音に踊羽乗せて遊び戯れる事の嬉しや」。
午前中の仕事を終えて、この後の仕事まで時間がありましたので、いよいよ、琉球八社のうち、まだお参りしていない3つのお宮をめぐります。
①「末吉宮」。
(別名「社壇」と言うそうです。)
末吉公園内にあることから、参拝ルートはいくつかあるようですが、最短距離でお参りできる、住宅街にある「大名口参道」から進みます。
この現代的とも思える入口を入ってすぐ鳥居がありますが、突然鬱蒼と茂る樹々に包まれます。
急階段を下りて行くと、、、
「斎場御嶽」を思い出す、神聖な雰囲気が漂う場所があります。
ここを過ぎると、次は、城(ぐすく)の石垣を思わせる遺構が出現。
ここをくぐると、拝殿に続く石段が。
拝殿です。
ご利益としては出世や商売繁盛とのことですが、願うのは、やはり今シーズンのよろず安全。
この立ち位置から左にパーンすると、眺望が開けます。
社務所もあります。
今日はどなたもいらっしゃらないようです。
社務所の対面の雑木に渡された紐に絵馬が結ばれていました。
末吉宮、想像を超えたパワースポットでした。
ちなみに、御朱印は、今回お参りする、末吉宮、安里八幡宮、天久宮は、波之上宮でいただくことができます。
ここで昼食です。
昼食は、沖縄そばの名店「しむじょう」。
昔ながらの琉球家屋、石垣、樹齢100年以上の木々が生い茂る庭、素晴らしい雰囲気です。
そう言えば、昨年も「月桃」の花が咲いていましたが、今年も同じ時期、ここに限らず、那覇市内のそこかしこで見かけました。
(葉は食べ物を包むのに使われます。とてもいい香りがします。)
「セットメニュー」を注文しました。
三枚肉そば(中)、日替わり小鉢2品、季節のジューシー、手作りじーまーみ豆腐。
お客さんがひっきりなしに来る名店の味、全品とても美味しかったです。
琉球八社へのお参り再開です。
②「安里八幡宮」。
(昨年巡った時もここまではたどり着いたのですが、駐車できず、お参りできませんでした。)
住宅街にある安里八幡宮、背景の高層マンションと重なる景色を見ると時代感覚がマヒしそうですが、実は、琉球八社の中で最も古いお宮だそうです。
(お隣が保育園で、印象としては、保育園の敷地内に建っている感じ。もちろん、お宮の方が古いです。)
その成り立ちが他の七社とは少し違うようで(熊野権現信仰ではない)、「琉球時代、尚徳王が、喜界島遠征のため、軍を率いて安里を通りかかった時、鳥が飛び立つのを見て『一矢で飛ぶ鳥を射落としたなら島の平定を叶えさせ給え』と祈願し、王が矢を放つと見事に射落とした。島へ向け出港し、船を進めていると海中に鐘が漂っていて軍船の側から離れなかった。これを見た尚徳王は『鐘を手に入れれば戦勝は間違いない。帰国後は八幡宮を崇め奉る』と誓い、鐘を船に乗せて戦に臨んだ。島を平定し凱旋した尚徳王は八幡大菩薩に感謝し、鳥が落ちた地に誓願通り宮を建立した。」という縁起のようです。
③「天久宮」。
(鳥居をくぐると駐車場。(笑))
何となく鳥居を車でくぐるのがはばかられたので、右脇から駐車場に入ります。
車から降りると、「んっ?お宮へはどこから行くの?」と一瞬戸惑いますが、鳥居の左脇、阿吽のシーサーがいる階段を下りて行きます。
(ここから。)
お宮です。
天久宮では熊野三所権現(熊野牟須美神(くまのむすみのかみ)、伊邪那美尊(いざなみのみこと)、事解之男神(ことさかのをのかみ))をお祀りしています。
集会所のような印象のお宮ですが、先程の階段はまだ下に続いていて、最後まで下ると、祈りの場だと思われる神聖な雰囲気のある自然の巨岩があります。
私の推測ですが、お宮の建物はお祈りの場を囲うように後日作られたものだと思います。
社務所があるので、神職の方がいれば、ここで御朱印をいただけますが、今日はご不在のようです。
こちらでのお参りを最後に、末吉宮、安里八幡宮、天久宮へ無事お参りをすることができました。
昨年お参りした、波之上宮、沖宮、識名宮、普天満宮、金武宮(金武観音寺)と合わせて、「琉球八社」への参拝コンプリートです。
達成感と、根拠レスな「何だかご利益がありそう」という安堵感を体いっぱいに感じました。(笑)
「波之上宮」へ移動し、今日お参りした3つのお宮の御朱印をいただくことに。
昨年ここに来た時は、アジアからのインバウンドと国内の観光客で大混雑していましたが、今日はほとんど人がいません。
人気のない境内、波之上宮の魅力を満喫することができ、ちょっと感激です。
御朱印をいただく前に、波之上宮にもお参りを。
今回、沖縄の方と波之上宮にお参りして確認することができた貴重な情報、狛犬シーサーが、壺屋の名工の「島常賀」(しまじょうが)さんの作であること。
そして、場所は離れて、沖縄のオフィスの敷地にあるシーサーも、同じく島常賀さんの作品。
オフィスのシーサーは、現在なぜか一頭だけで、対のもう一頭の行方がまだ判明していないそうです。
もう数十年も経っているとのことですので、探索は困難を極めているようですが、再びペアになることを心から祈っています。
波之上宮の境内の見事なシーサーも堪能し、御朱印をいただきました。
(波之上宮の御朱印も再びいただきました。ホテルにて撮影。)
今は感染予防のため、御朱印帳への記帳はされておらず、紙での授与となっています。
福岡の単身住まいに帰宅後、昨年のお参りの時に買った波之上宮の御朱印帳に丁寧に貼らせていただきました。
まだ時間がありましたので、昨年12月に「斎場御嶽」を訪れた後、那覇散策で行ってみたかったけど、時間と体力の限界で断念した、壺屋焼の窯元や販売店の連なる通り、「壺屋やちむん通り」へ。
会社関係でお世話になっている窯元「壺屋焼 小橋川清正 陶器工場」さんのお店を訪ねました。
小橋川清正さんは壺屋焼の名工で、2000年の沖縄サミットの晩餐会で、その作品が「位置皿」として使われたそうです。
その皿がこちら。
小橋川清正さんの作品の最大の特徴は「赤」色だそうです。
店内の作品を、許可をいただき、写真を撮らせていただきました。
見ていると赤色の魅力にすっかり心を奪われ、カップ&ソーサーを購入。
(単身住まいにて撮影。)
お皿の模様も魚です。
素晴らしい作品で、大分の竹田の髙木逸夫さんの作品のカップと併用して毎朝コーヒーを飲んでいます。(インスタントコーヒーも一味違って豊かな気持ちでいただけます。)
次は、火災跡も一定の整備がされ、見学することができるようになった「首里城」へ向かいますが、道中、名物の饅頭屋さんに立ち寄ります。
「山城(やまぐすく)まんじゅう」。
(月桃の葉に包まれています。)
いつも売り切れている人気の饅頭だそうですが、偶然にも(ラッキーにも)ちょうど蒸し上がった、出来立てを買うことができました。
沖縄のKJさん曰く、「琉球八社をコンプリートしたので、次は『那覇三大まんじゅう』をコンプリートしてください。」、、、那覇三大まんじゅう、気になります。(笑)
調べてみると、「のまんじゅう」、「山城まんじゅう」、「天妃前(てんぴぬめー)まんじゅう」が三大まんじゅう。
「のまんじゅう」は以前オフィスでいただきましたので、「天妃前まんじゅう」でコンプリートですね。(笑)
「首里城」です。
今回は守礼の門から入城します。
「歓会門」をくぐって「瑞泉門」へと登っていくルートは前回と同じです。
そして、昨年12月に来た時には、この「奉神門」前の広場から先は立入禁止でしたが、現在は一定の整備がされ、再建工事の現場を見学することができます。(入場料発生。)
(真新しい木材で階段とスロープが設置されています。)
正殿前の「御庭」(うなー)。
「大龍柱」は養生され、焦げた所を取り除き再生中のようです。
正殿の装飾で焼け残った部分が見学できるように並べられています。
焼失した正殿跡に発見された謎の遺構も見学できるようになっています。
(1985年の発掘調査の際、埋め戻されていなかった未公開の石組みの地下遺構の露出部だそうです。)
順路に沿って進みます。
こちらも焼失した部分を並べたものです。
雨がパラパラ降っていますが、雨よりも、沖縄の方も辟易するほどの湿気(蒸し暑さ)。
傘をさすと自然とソーシャルディスタンスが保たれるので、たまらずマスクは外します。
ここも初めて登る高台です。
左手の景色を見ると、泡盛を王宮に納めていた「瑞泉」の泡盛蔵があります。
これぞ沖縄という湿気に大汗を流しながら車に戻り、お世話になっているという「瑞泉」さんを訪問。
(雰囲気たっぷりの入口。)
消毒はアルコール度数78度の泡盛!
ニュースで、酒蔵が消毒液として使えるアルコール度数の高いお酒を造っているということは知っていましたが、使うのは初めて。
これが何と、泡盛の香りが立ちます。
お酒好きのTYMさんが何度も消毒していましたが、もはや消毒ではなく、❝掌で一杯やっている❞感じでした。(笑)
限られた時間なのでショートバージョンで、泡盛造りの工程を工場とビデオで見学させていただきました。
「造り手の思いを知って 味ひとしお」。
ありがとうございました!
この後、仕事をしっかりとやって、夜は、感染予防対策をしての少人数での懇親会。
(市内の高台にあるBBQのお店です。)
19時半にしてこの明るさ。
(大型のしっかりとしたタープを張ってあるので、雨天でもOKです。)
道具から食材まで本格的なBBQです。
(鶏丸ごと一羽の次は、大きな肉の塊を焼きます。)
お店の人がサポートに付いてくれますが、ホットドッグのサルサソース作りや、焼けた丸鶏の解体、肉のスライスなどは「みなさんでやってください!」とのこと。
(すみません、食べる専門に徹してしまいました。(笑))
見事に解体された丸鶏。
(激ウマ。)
ホットドッグ、サルサソースがけ。
(激ウマ。)
焼けた肉の塊をカット中。
盛り付けて、ニンニクチップを散らしたら完成!
(激ウマ。)
とにかく料理が本格的。
この他に、ダッチオーブンで作ったスープや蒸し野菜も出てきます。
ドリンクは、オリオンはじめビール各種の小瓶をラッパ飲み。(もちろん、泡盛もあります。)
雨もすっかり上がり、陽も暮れて、タープに吊るした照明を落とすと、ランタンが置かれます。
(ムード満点です。)
BBQ、感染予防対策バッチリ、料理は激ウマ、開放的な景色とランタンの醸し出す雰囲気、素晴らしい趣向でした。
ごちそうさまでした!
この後、ホテルへ。
翌朝は、那覇空港を早朝7時に発つ飛行機で福岡に戻りますので、5時には起床です。
寝過ごすこともなく、無事起床。
(外は真っ暗。)
旭橋駅の始発のゆいレールで那覇空港へ。
早朝の那覇空港、ガラガラのように見えますが、搭乗する便はそこそこ混んでいました。
朝食よりも早くチェックアウトするので、ホテルが簡単な❝朝食BOX❞を用意してくれました。
パン各種とミニトマト、ピクルス、パイナップル、おーいお茶、十分な朝食です。
向かい風で定刻よりも少々遅れるというアナウンスがありましたが、結局ほぼ定刻で福岡空港に到着。
福岡に降り立っての最初の感想は、「爽やかぁ~」。
那覇の湿気を体験したせいか、この後しばらくは、ずっと爽やかさを感じながら過ごしました。
ひょっとして、サウナで「ととのう」とはこんな感覚なのでしょうか。(笑)
琉球八社への参拝のコンプリート。
まさかこんなに早く達成できると望外の喜びです。
沖縄のみなさん、お世話になりました、ありがとうございました!