ケン太とのprecious days

3度の不登校を経て、なんとか高校を卒業し、社会人になったケン太。社会での成長&安定を見守る母のブログです。

「人生を楽しむ」ということは、「楽しいことをする」とは限らない。

2021-05-11 23:41:21 | 思うこと
今日はピアノでした。

昨日の夜、練習しているとケン太が・・・

「まだ、その曲やってるの?同じ曲、せいぜい1か月だろう~?」
「1カ月じゃ終わらないよ~3カ月目!
「もう3カ月?じゃあ、明日終わるんだよね?もうその曲、聞き飽きた
「・・・

なにせ、レッスンは月2なんで、
尚且つ、マイペースなもんで、
1曲、平均、3カ月かかっております

ケン太が11歳の頃にケン太と入れ替わりに始めたのですが・・・
ということは、もう10年以上、経っちゃっている?
恐ろしい~今、気付いた~まだ、ペダルもあまり使えないのに

でも、いいの。
2年経っても右手のみという人もいるそうだし
大人のピアノは楽しくレッスンすることが目的と先生、言ってたし

今回の曲は、スローテンポでスラーが多いので、ペダルを使えた方がいいなぁ~と思って、
先生にペダルが出来て完成にしたいとお願いしてきたところ。
一応、最後まで弾けるようになったので、後半はペダルを使って弾く練習をしました。

ということで4か月目に入ります



数年前にですが、占いの先生に占ってもらったところ、

私は「人生を楽しむ」ために生まれたそうな。

「いや~びっくりしました~そういうのもあるんですねぇ~」的なことを言われました。
先生、笑ってましたもん

私、その時はピンときていなかったのですが、同じ先生に占ってもらった友達は「仕事をするために?生まれてきた」と言われたそうで、
「なるほど、普通は具体的な何かなんだろうな」と思いましたね。


私、それまで、友達に「いつも楽しそうだよね」とか、言われたりすることもあり、
つまり能天気ってことなのかなぁ~?と、どこか素直に受け取れなかった時もあったのですが、

「それでいいんだ!」と思えるようになりました。

それ以来「人生を楽しむ」ということを意識しているのですが、
そもそも「人生を楽しむ」って?
簡単なようだけど、意外と奥が深いかも?とも思えてきました。

楽しいことだけをしていればいいように思うけど、
楽しいことばかりチョイスして生きていると、楽しさに麻痺してきて?ありがたみが無くなるというか、
楽しいことを楽しいことと思えなくなってしまうかも?

本来であれば、十分に楽しいことなのに、もっと楽しいことはないのだろうか?と、
キリが無くなるかも?

だから決して「楽しいことをする」ことを追求することでもないんだなと。


そして、私ですが、決して楽しいことばかりあったわけではありません。

離婚、認知症の母の介護、子どもの不登校・・・

まあまあなことを経験しています。

その経験を通して思うこととして・・・

一番の願いは「何も考えなくてもいい穏やかな時間を過ごせること」なんです。

確かにいろんなところに行ったり、友達とランチしたり、
それぞれに楽しいんですが、

それを楽しいと思えるのも、「何も考えなくてもいい穏やかな時間」も持てるからこそと思います。

以前、家にいるのが本当に息苦しくて、外出したら、帰ってくるのが嫌で・・・
そんな時があったからこそ、家で普通に過ごせること。
それだけで十分だし、ありがたい。

何かをしないと「楽しくない」ではなく
何もしなくても「楽しい」

そう感じられることが「人生を楽しく」生きられる・・・ということなんじゃないかなと思えています。





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