マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

使徒パウロの出廷…死んだイエスは生きていると、パウロは主張した。

2016-05-13 22:15:50 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

疲れを癒す花


今日・金曜日は聖書三昧の一日。
早朝は聖書クラス予習。午前中は聖書講義。午後は聖書通読会・聖書100週間。

一日の勉強を終えて、聖書で一杯の頭を休めるために、夕方散歩に出た。
花屋の店先に並んだ薔薇の鉢。2鉢買って、夫と一つずつ持ち帰った。
明日は、庭で、花々と戯れる一日を送ろう!


今日は5月13日。復活節第七金曜日。

   『今日の第一朗読』 使徒・パウロの件について言い争いが生まれました。

ローマ帝国がイスラエルを支配していたときの王の一人、アグリッパ王は、
ユダヤ人の王として、ガリラヤ地方を支配していたのですが、
ユダヤ・サマリヤ地方で新しく総督となったフェストゥスにあいさつするために、
カイサリアにやって来た時の話です。 2000年以上前のローマ帝国時代の話です。

アグリッパ王とベルニケが、フェストゥスに敬意を表するためにカイザリヤに来た。
彼らが幾日もそこに長く滞在していたので、
フェストゥスはパウロの件を王に持ち出して言った。


フェストゥスは・・・

来客の二人に、
自分がパウロの件について処理できないことを告白し、相談を持ち掛けます。

ここに、(前総督)フェリクスが囚人として(2年間の牢獄生活)残していった男(使徒・パウロ)がいます。
わたしがエルサレムに行ったときに、
祭司長たちやユダヤ人の長老たちが、この男を訴え出て、
有罪に判決を下すように要求したのです。

告発者たちは立ち上がりましたが、
彼について、わたしが予想していたような罪状は何一つ指摘できませんでした。
パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、
死んでしまったイエスとかいう者のことです。
このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。
                         使徒言行録 25章13-21


フェストゥスは・・・

パウロの件についてよく知らず、
パウロが何か重大な罪を犯していると思っていましたが、
裁判をしてみて、そのようなものは何一つなかったことに気づきました。

彼らの言い争っている点について理解できなかったのです。
それは、フェストゥスには理解できない宗教に関することでした。
戦いの争点は、ローマの法律に関することではなく、神についてのことであることを知ったのです。
この言い争いは裁判の中で行なわれていましたが、本当は『宗教論争』だったのです。


フェストゥスは・・・
ユダヤ教のことについて知らなかったにも関わらず、
死んでしまったイエスという者を、パウロが生きていると主張しているから、ユダヤ人が訴えている。
  そのことを、知ったのです。

人の法律ではなく、神の律法によって解決しなければいけないものだ。とも思ったのです。

ユダヤ人は・・・
『イエスが生きておられる』と言うパウロに、激しく反対したのです。

パウロは・・・
神ご自身を義とする信仰によって生きるパウロは、
自分の義を神に持っていこうとするユダヤ人に迫害されたのです。
裁判のためローマに送られたのち、2年間も牢の中で裁判の行なわれないままに過ごし、

ローマ皇帝ネロのとき、60年代後半に、ローマで殉教します。

 
イエスの生涯も、使徒パウロ同様でした。
というより…
使徒パウロの『宣教活動の生涯』は、イエスのそれと同様でした。


イエスの場合。 

イエスを裏切ったユダの密告で、
一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、
イエスを捕えて縛り、まず、アンナスのところへ連れて行った。ヨハネ福音書 18章1-15

そして。
大祭司はイエスに弟子のことや教えについて尋ねた。

次に。
イエスは総監督邸に連れて行かれます。
そこで、
『ピラトが「どういう罪でこの男を訴えるのか」と言った。』 ヨハネ福音書 18-29

 
パウロの出廷の時と全く同様に、
ピラトは・・・
キリストの件についてよく知らず、キリストが何か重大な罪を犯していると思っていましたが、
裁判をしてみて、そのようなものは何一つなかったことに気づきました。

彼らの言い争っている点について理解できなかったのです。
それは、ピラトには理解できない宗教に関することでした。
戦いの争点は、ローマの法律に関することではなく、神についてのことであることを知ったのです。
この言い争いは裁判の中で行なわれていましたが、本当は『宗教論争』だったのです。

ピラトは、(ユダヤ人たちに向かって)、
「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」と言います。
更に。
もう一度言います。
「あなたたちが引き取って、(律法に従って)十字架につけるがよい。
わたしはこの男に罪を見いだせない。


この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、
「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。』 ヨハネ福音書 18-30~19-30


イエスは・・・
自らをユダヤ人の王であると名乗り、また「神の子」あるいはメシアであると自称した罪により、
ユダヤの裁判にかけられた後、ローマ政府に引き渡され磔刑に処せられます。


イエスに従い、イエスを証しし、人々を司牧するイエスの弟子たちは、
イエスがそうであったように、

人々の理解を得ることが難しく、御苦労を重ねたのです。


そして。
『今日の福音書 イエスの言葉』


『はっきり言っておく。
あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。
しかし、
年をとると、両手をのばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。』
              ヨハネ福音書 21章15-19


キリスト教に限らず、新しいことが世の中に浸透する時は、
理解の不十分ゆえの、迫害が起こります。

先人たちの御苦労の上に、私達の今があります。
私達の今の努力が、次に続く人達のためになることでありますようにと、祈ります。

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日は週の終わりです。 ゆっくりとときめきの時間をお過ごしください。              


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