マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

昼と夜の『境目』を求めてドライブ・・・『春分の日』  そして イエスのことで群衆の間に対立が生じた・・・『メシアはガリラヤから出るだろうか。』

2021-03-20 18:12:00 | 日々のこと。 世界のこと。
3月20日。土曜日。春分の日。曇り。


昼と夜の長さが等しくなる日
 といわれる春分の日。

  今日の日没。
  
            昼の終わりの・・・    『午後6時12分』
 
              雨雲のかかる  『明石海峡大橋』  でした。    感動で手が震える


   今日の春分の日 と 秋の秋分の日、 年に2回のみ、 昼と夜の同じ長さの日です。
   そんな特別の日の、 昼の終わりと夜の始まりの『境目』を見たくて、 飛ばしました 

        見るというより、 大自然のサイクルの偉大さを、 感じる時間でした。    
         釣り人も散歩人もいなく・・・
       大自然の、 その美しさ と 神の計らいの偉大さに、 胸が高鳴りました。


          吊り橋は『3911mの世界最長』 愛称は『パール・ブリッジ』 
         今日は、 大自然の中に溶け込む美しい大橋を眺めながら・・・
    これから始まる春から夏の日々を思って、心豊かな時間を過ごすことができました。
                         感謝!感謝!

そして。

今日は3月20日。四旬節第四土曜日。

『今日の入祭唱』

   『死の縄がからみつき、 死の網が仕掛けられている。
    苦難の中から主を呼び求め、神に向かって叫ぶとき、
   わたしの声は神殿に響き、わたしの叫びは御耳に届く。』

         詩編 18章5-7節


『今日の福音 群衆の対立』

   『そのとき、 イエスの言葉を聞いて、 群衆の中には、
 

     「この人は、本当にあの預言者だ」  と言う者や、
       「この人はメシアだ」   と言う者がいたが、

このように言う者もいた。
    「メシアはガリラヤから出るだろうか。
   メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、
         聖書に書いてあるではないか。」



   こうして、イエスのことで群衆の間に対立が生じた。
 その中にはイエスを捕らえようと思う者もいたが、 手をかける者はなかった。

さて、
       祭司長たちやファリサイ派の人々は、
 
   下役たちが戻って来たとき、
     「どうして、あの男を連れて来なかったのか」  と言った。

   下役たちは、 「今まで、あの人のように話した人はいません」 と答えた。
  すると、
ファリサイ派の人々は言った。
       「お前たちまでも惑わされたのか。
 議員やファリサイ派の人々の中に、 あの男を信じた者がいるだろうか。
   だが、 律法を知らないこの群衆は 、呪われている。」


  彼らの中の一人で、以前イエスを訪ねたことのあるニコデモが言った。
「我々の律法によれば、 まず本人から事情を聞き、 何をしたかを確かめたうえでなければ、
    判決を下してはならないことになっているではないか。」

彼らは答えて言った。
    「あなたもガリラヤ出身なのか。 よく調べてみなさい。
     ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる。」


       人々はおのおの家へ帰って行った。』
         ヨハネ福音書 7章40-53節


     救い主・メシアは、
 『ダビデの子孫』として(サムエル記下9ー12&13)、 ダビデの町であった『ベトレへム』から生まれる。
                             と、聖書に書いてあります。
    事実。 
 イエスは、ダビデの子孫として『ダビデから二十八代目』、 ベトレヘムで生まれ、
                          マタイ福音書 1章 
後に ガリラヤの町・ナザレトに住んでいました。 特に、 ガリラヤの町々で、話をなさいました。



    祭司長たちやファリサイ派の人々は、
 イエスがメシアであることは『聖書』と一致しない、 イエスは救い主ではない。 
  ”私たちは聖書の研究者だから”、 聖書の解釈をする権利を持ち、間違いがあるはずない、
                       と、主張しました。

    一般の人々は、
 イエスの話を聞いて・・・
   信じる人もあれば、 信じない人もありました。

そんな中。
      ニコデモは、
  『本人の話しを聞かないで、そのまま裁いてはいけない』 と言いました。
      議員たちは、
  『ガリラヤからメシアが出るはずはない』と、
      イエスは神から送られた者であるとは知らず、ますます怒るのでした。


   『イエスの話』は、こうして、イエスのことで群衆の間に対立が生じたのです。
       イエスがおっしゃった通りです。
     『わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。
       平和ではなく、をもたらすために来たのだ。』

         マタイ福音書10章34~39節

 イエスは、 今までの考え方とは違う面もあり、 剣をもたらす:『逆らいのしるし』となったのです。


私たちも、
イエスが神から遣わされた方であると
信じるためにも、
色々の物事を判断するにも、
まずは、先入観を棄てて、
聖書をよく読み、お人の話をよく聞くこと。
それが大切ですね。 謙虚になりたいものです。
 

『今日の祈願』

   『全能の神よ、
 あなたの働きによってわたしたちを清め、
  み心にかなう者としてください。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日は、宮城で震度5強地震発生。コロナ緊急事態宣言解除。オリンピック海外客断念決定。等々。
今日も、緊張の続く日本列島です。 明日は穏やかな日曜日でありますように。