マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

早朝の『愛の宅急便』 そして 『預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。』・・・『イスラエルのほか、この世界のどこにも神はおられないことが分かりました。』

2021-03-08 21:43:01 | 私のこと
3月8日。月曜日。晴れ。

  朝6時半。
すっかり夜が明けてきた。

             『お隣さんの紅梅』
 
           自転車から降りて・・・その美しさをしばし愛でる♡♡

                早朝の『愛の宅急便』
               昨晩に書き終えた手紙3通
  朝7時の『朝一回収』に間に合うように、郵便本局ポストまで投函に行きました 

           頂いても、差し上げても、嬉しい『手紙』
      朝一番の投函で、今日も一日、ルンルン気分です。感謝!感謝!



今日は3月8日。四旬節第三月曜日。

『今日の入祭唱』

   『主の庭を慕って、わたしの魂は消え入りそうです。
    命の神に向かって、わたしの身も心も叫びます。』

          詩編 84章3節


『今日の福音 イエスの御言葉』

    『そのとき、 イエスは、 ナザレの会堂で人々に言われた。

        『ナザレの会堂で教えるイエス』       ヘルブラント・エークハウト作品
                               イエスに対する疑いと拒絶の態度が描かれいるそうです
   「はっきり言っておく。
   預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。

   確かに言っておく。
 エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、
        イスラエルには多くのやもめがいたが、
      エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、
     シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。
 
      『預言者エリヤとサレプタの寡婦』      ヤン・フィクトルス 作品

   また、預言者エリシャの時代に、
       イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、
        シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」
  
              『異邦人・軍司令官ナアマンの癒やし』

これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、
          総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、
      町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。

       
       しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。』
             ルカ福音書 4章24-30節


        今日の『イエスの御言葉』は、
  故郷・ナザレに戻り、『宣教活動』を開始したときの『御言葉』です。
 『預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。』 と。
   

 故郷の皆は、イエスをほめ、 その口から出る恵み深い言葉に驚きました。
  しかし、「この人は、ヨセフの子ではないか」、大工のせがれではないかと言って、
                           ルカ福音書 4章16-30節
イエスがメシアであることに疑問を抱き始め、イエスを信じようとはしませんでした。

 そんな時、
イエス様は、故郷の人々の『メシアのしるしをみたい』との 『心の思い』 を見抜かれ、
         又 その『不信仰』 を見抜かれ、
      『預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ』 と言われて、
           『神の業:癒やし』 を故郷では行いませんでした。
 更に、
       旧約の預言者、エリヤも、エリシャも、イエス様同様に、
       『神の恵み』 を 異邦人に与えたことを話したのです。


旧約聖書をひもとくと・・・

           『エリヤ』 ホセ・デ・リベーラ作品
   
          B.C.870~850年頃活躍
 北イスラエル王国の七番目の王アハブの時代に活躍した預言者

アハブは、北イスラエル王国の中でも最悪の王で、公然と異教の神バアル礼拝を行いました。
  アハブは、ナポトのぶどう畑を、偽証と殺人という不当な手段によって奪い取った。

    それらのことに対する『神の罰』として、
 エリヤはアハブ王に『神の裁き』として干ばつが続くことを『予言』しました。
           アハブはエリアと対決しました。
エリヤは神に命じられてヨルダン川の東にある、郷里ティシュベに近いケリト川のほとりに身を隠しました。
     神がからすに命じて、朝に、夕に食事を運ばせて、エリヤを養いました。

『予言』とおりに・・・
三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こり、ケリテ川の水が涸れると、
  エリヤは神に命じられて、シドンに近い、地中海に面するフェニキヤのサレプタに行き、
    そこに住む異邦人の貧しいやもめに養われました。
    そして、
        このやもめの息子が病気になって死んでしまったとき、
 嘆き悲しむこのやもめのために、エリヤは神に祈って、その息子を生き返らせたのです。
                       以上。 列王記上 17章8~14節

   もう一人の預言者・・・『エリシャ』
  
        エリヤの後継者として、B.C.855~800年頃活躍

     エリシャの時代は、
北イスラエル王国では、アハズヤ、ヨラム、イエフ、ヨアハズ、ヨアシュと国王が変わりました。

    エリシャは、様々な奇蹟を行いました。
その一つは、
異邦人の地:アラム(シリア)の軍司令官ナアマンの皮膚病を、ヨルダン川の水で癒したのです。
                                   列王記下 5章1ー14節

アラム軍の司令官ナアマンは、アラム王に重んじられる勇士でしたが、重い皮膚病を患いました。
    妻の召使いをしていたイスラエル人の少女が、女主人に、
     「サマリアの預言者のところに行けば、その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょう」
      と言ったことから、ナンマンは王にそのことを伝え、王の承諾を得て出かけ、
         エリシャの所まで来たのです。

    エリシャは使いの者をやってこう言わせました。
「ヨルダンの川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります。」
   それを聞いて、ナアマンは、患者の自分を診ることもしないで、
        ヨルダン川で身を洗えという、エリシャの指示に憤慨しました。
 しかし、
   ナアマンを家来たちがいさめたので、預言者の言葉どおりに下って行って、
        『ヨルダン川に七度身を沈めました』
 
        『ヨルダン川に身を沈める人々』 私は足だけ沈めました。 2018年巡礼時の経験です。

     すると、ナアマンの体は完全に元に戻り、清らかになりました。
エリシャは、治療が呪術によるのではなく、『全能の神への信頼』 によることを明らかにしたのです。


       ナアマンは、エリシャの前に来て立った。
『イスラエルのほか、この世界のどこにも神はおられないことが分かりました。』 と言って、
         イスラエルの神への『信仰告白』をしました。

  
      シドンのサレプタのやもめも、 シリアの司令官ナアマンも、
   イスラエルの人々から見れば、ほんとうは救いから漏れていた異邦人です。
イスラエルの人々は自分たちが救われるのは、アブラハムの子孫であり、神に選ばれた選民として当然、
           だと思い込んでいました。

 今日、主イエスは、故郷ナザレの人々も、同じような『思い込み』に生きている、と言われたのです。


  神による『救い』は、民族宗教や国籍に制限されるものではなく、それを超えるものである。
  神の『救いの恵み』は、どんな条件も特権も必要のない、『神の憐れみ』 によるものです。
           ただ信仰によって与えられるものであり、
         『神の救い』は、すべての人のためのものです。

        そのことを、エリヤ、エリシャの例で示したのです。

私たちも、
イエス様が
すべての人に『永遠の命』を与えるために、
『苦難の十字架の道』を歩まれたことを信じて、
神様の『恵み』をいっぱい
いただきたいものですね。


『今日の祈願』

 『聖なる神よ、
   あなたをたたえて捧げるわたしたちの供えものを受け入れ、
       救いの秘跡としてください。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
明日の日も、皆様の一日が穏やかな日でありますように。 お元気で!