マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

聖書通読の場・・・『聖書100週間』 そして 祈りの場・・・『神殿』と『教会』・・・『イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。』

2021-03-07 21:48:45 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
3月7日。日曜日。晴れ。

 今日は主の日。

        
             『聖書通読の場:聖書100週間』
   
           待ちに待った3ヶ月ぶりの再会なるのか♡♡

          我が在所の神戸は『緊急事態宣言』の解除。
         国も、オリンピックのある東京も、各道府県も、
          予想のつかないコロナ禍の先行きゆえに
       ひねり出す『対策』が最善であれと、四苦八苦します。


      我らの小さな『集会』も、『緊急休会宣言』解除で良かろうか?
         神父様や仲間たちと協議を重ねた一日でした。

    仲間の生きがいである『聖書100週間』 と 仲間の当座の脅威である『コロナ』。
          "Restart、 or not restart、 that is the question”
    今日もお仲間と心一つにして、『問題解決』に向かえたのは有り難いことでした。
                                感謝!感謝!


そして。

今日は3月7日。四旬節第三主日。

『今日の入祭唱』

  『神は仰せになる。
「わたしが、お前たちを通して聖なるものとされるとき、
   わたしはお前たちをすべての地から集め、お前たちの土地に導き入れる。
わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、
 お前たちはすべての汚れから清められ、お前たちに新しい心と新しい霊を与えられる。』

        エゼキエル書 36章23-26節


『今日の福音 イエスの御言葉』


   『ユダヤ人の過越祭が近づいたので、 イエスはエルサレムヘ上って行かれた。
そして、
神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。
      イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、
        両替人の金をまき散らし、その台を倒し、
 
      『神殿の清め』        エル・グレコ作品

     鳩を売る者たちに言われた。
          「このような物はここから運び出せ。
         わたしの父の家商売の家としてはならない。」


弟子たちは、
     「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」 と書いてあるのを思い出した。

ユダヤ人たちはイエスに、
        「あなたは、こんなことをするからには、
 
       『神殿の清め』     ガロファロ作品

       どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」 と言った。

イエスは答えて言われた。
      「この神殿を壊してみよ。 三日で建て直してみせる。」
   
         『神殿の清め』  レンブラント作品

     それでユダヤ人たちは、
       「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、
           あなたは三日で建て直すのか」
  と言った。

  イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。

        イエスが死者の中から復活されたとき、
      弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、
       聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。


      イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、
  そのなさったしるしを見て、 多くの人がイエスの名を信じた。
   しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。
   それは、 すべての人のことを知っておられ、
 人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。
イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。』
       ヨハネ福音書 2章13-25節


       『祈りに適した場所:神殿』

      どんな宗教においても、『神殿』とは、
   神が人間に自らの現存を示して人間から礼拝を受け、
かつ人間を自らの恵みと命にあずからせる『聖なる場所』と考えられている。

    神の通常の住まいは、言うまでもなく、この世には属していない。
    しかし神殿は、幾分この神の住まいと同一視されるものであり、
 その結果、人間はこの神殿を介して神々の世界との交わりに入っていく。
       『カトリック教会のカテキズム』より


『教会堂』の歴史を振リ返れば・・・

 旧約時代

   まずは。 
           『第一神殿 ソロモンの神殿』
 
        エルサレムの神殿は、『神が人間の中に存在する徴(しるし)』とされた。

   紀元前10世紀中頃。 イスラエル・ユダ連合王国王ソロモンのもと建設され、
                ユダ王国の時代にはヤハウェ神を奉じ、
                   契約の箱が納められた。
  建築の410年6月10日後。
   紀元前587年。バビロン捕囚時。
    
        バビロン王国・ネブカドネザル2世によるエルサレム攻囲戦 で破壊される。 


   次に。

      『第二神殿 ヘロデ神殿』
 
     イスラエル博物館内の『第二神殿の模型』         2018年巡礼時に
   
 紀元前516年~紀元後70年。 
           バビロン捕囚の際に破壊された『ソロモンの第一神殿』に代わって、
                 エルサレムの神殿の丘に建設された。

              共和政ローマ末期からローマ帝国初期に、
              ユダヤ王国を統治した王・ヘロデは
              エルサレム神殿の大改築をしたのであるが、
             建築の約586年後、ローマ軍によって破壊される。       
              

そして。
新約時代。
 イエスの時代。



            『新しい神殿なるイエス・キリスト』
     

          イエス・キリストは、預言者たちと同じように
        『エルサレムの神殿』に対して深い尊敬を表明しています。
 
    『神殿』は、イエスにとって、 『神の家・祈りの家・父の家』 なのである。
   したがって、神殿が、鳩などの売買の場とされているのを目撃すれば、憤り、
        『預言者的な意味深い動作』をもって証人を追い出して、
            『神殿を清める』のです。
     一方。
      イエスは、この荘厳な『建造物の崩壊』に思いを寄せて、
 「重なった石が一つも残らないまでに、すべては崩れ去るであろう」 マタイ福音書24-2
                 と、『予告』するのです。

今日のイエスは、『この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる』 と言ったことが、
             非難の対象となり、
       『どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか』 と責められるのです。


『イエスの十字架』によって確立された・・・
                 『新しい神殿』
   いまや、神の現存は別のによって表わされる。それは『イエスの体』にほかならない。

    商人を神殿から追い出し、『神殿を三日目に建て直してみせる』 と言ったイエスは、
    イエスが死者の中から復活されたときに・・・弟子たちは『この言葉』を信じたように、
          『新しい神殿・イエスの体』は、
     人の手で造られたものとはちがう、決定的に『新しい神殿』のことであり、
          『神の御言葉』は、
      旧約時代には、『イスラエルの幕屋』を住まいとしたように、
     新約時代には、『イエスの体』を人々の間における住みかとするのである。
         『聖書思想辞典』より
    

   イエスの『予告』通りに
  イエスの死後、約40年後に
 『第二神殿』は破壊されました。

              『嘆きの壁:第二神殿跡地』
 
 破壊された ヘロデ神殿の外壁のうち、現存する部分の前で祈る男性たち。 2018年巡礼時期に
       女性の祈りの場は、男性の祈りの場と壁で隔たれ、男性とは別々でした。         

          神殿は、ユダヤ教で最も神聖な建物であったのです。
        『嘆き』とは、ローマ人による神殿の破壊を嘆き悲しむために、
             又、神殿の再建を祈るために、
         残された城壁に集まるユダヤ人の『心』を表現しているのです。
  
 現在のキリスト教会。
  
            『聖体拝領に並ぶ信徒たち』
 
     『神の家である教会堂』       我が教会

            小教区共同体にとっては、
    『教会堂』が典礼的な祈りの場となっています。
    それは、聖体の内に現存されるキリストを礼拝するための特別な場所でもあります   
       祈りに最適な場所とは、小教区共同体の典型的な祈りの場所であり、
           『聖体拝領』のための特別な場所である、教会堂です。
              『聖書思想辞典』より


 更に。
 イエスはおっしゃいました。
『一人ひとりが、神の神殿であり、
神の霊があなた方の内に住んでいる』と。 
 コリントの信徒への手紙Ⅰ 3章16節  

                『家庭での祈りの家』
 
                                            我が家での『祈りの会』
       信者たちが、信者同士で熱心な祈りをすることができるような
           静寂さを提供することも大切なのです。
            

    イエス様は、神殿を清めるどころか、
     『新しい神殿・神の新しい住まい』 を造るために来られたのです。
        イエスにおいて『新しい礼拝』が始まったのです。




私たちは、
イエスが『ご自分の十字架』によって
『神の愛』を示してくださいましたので、
イエスにおいて神に出会えるのです。
私たちも、
『毎日の生活』を『愛の供えもの』として
神に出会いたいものですね。


『今日の祈願』

  『信じる者を豊かないのちで養ってくださる神よ、
      キリストの体として一つに集められた教会が、
  あなたの愛の目に見えるしるしとなることができますように。』



皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
桜咲く頃・・・新入学、新入社と、若者の元気な門出を応援したいものですね。
コロナ禍の終息の日に向けて、私たちも頑張りましょう。