加薬飯

日々雑感 ときどき雑記 愚だくさん

【立てば芍薬、座れば牡丹】

2009年04月29日 | 未分類
美しさの例えとされるだけあって、奇麗、華麗、豪華などといった形容がぴったりとくる花ではある。

芍薬も牡丹も庭に植えてあるのだが、今年もまた、真紅の牡丹が華麗な花を咲かせてくれた。植栽してから随分年月が経つのに、株そのものはあまり成長しないので、条件が適していないのかと危惧するものの、こうして毎年大輪の花を咲かせてくれるのを見ると、それも杞憂かと安堵する。

これと言った手入れもしていないのに、季節が訪れるときっちりとその存在を華美に知らしめてくれる花々に、心癒される思いである。感謝…。


【カメレオンったって…】

2009年04月28日 | 未分類
わたし「お~い、カメレオン買ってきたぞ~~」
娘   「えーっ、ほんとぅに~?」
わたし「ピンクだぞ~~」
娘   「ぴんくぅー? ほんとぅに~?」
わたし「すっごく、きれいだぞ~~」

家内 「ちょっとーっ、やめてよ~。誰が世話するのぉー」
わたし「水をたっぷり与えとけばいいんだよぉ」
家内 「いやだぁ、気持ち悪いーー」
娘   「お父さん、爬虫類きらいじゃなかったのぉ?」
わたし「……」

いつ、誰が、爬虫類のカメレオンっつったよ。ェッ?
アザレアのカメレオン(品種)だってば。アザレアの !!
見ろよこの艶やかさを。見事な咲きっぷりだろうが。
こんどは、紫陽花のカメレオンでも買ってこよ~。

【貯蓄目標 500 トン】

2009年04月27日 | 未分類
小振りな、ガラス製のブタの貯金箱(貯金豚?)
五百円硬貨だけを貯めていって、一杯(三万円位か?)になったら外食資金にしようと、家族会議で決議したのだ。と言っても出席者はわたしひとりだったが。名付けて500トン(豚)貯金。

しかし、最初に二女が一枚入れたっきり、あとはだ~れも見向きもしない。ひとりわたしのみがチャリチャリと入れているのであるが、これがなかなか貯まらないもんだねぇ。五百円玉ともなれば、ついつい使っちゃうもの。

まあ仮に一杯に貯まったとしてその時は、わたしの事なので急遽目的を覆して、ひとり貯金豚を抱えてパチンコ店めがけてトンズラ決め込むかも知れないなぁ。これがほんとの遁(豚)走だあね。ケッ、ケッ、ケッ、、、


【赤目について考えてみる】

2009年04月23日 | 未分類
あっっ、間違って写真を掲載してしまった。
つまりその、デジカメのストロボを発光させて人物撮影をした際に起こる、赤目現象について書こうとしていたのだった。うっかり「赤目」ではなくて「赤芽」の写真をクリックしてしまったらしい。
しかし、写真を取っ替えるのも面倒なので、このまま文章を取っ替えて進めてしまうことにする。

赤目と言えば赤目四十八滝。三重県名張市赤目町にある赤目四十八滝の「赤目」は地名であり、その昔、一帯には赤芽(赤芽樫)が自生していて、そこから赤芽と呼ばれるようになり、いつしか赤芽→赤目となったのではないか。あるいは赤芽芋(里芋)の産地であり、同じく赤芽→赤目となったのではないか、というのは全くもって私の勝手な推論である。…たぶん違う、いや絶対に違うと思うので、前もって謝っておこう。名張市赤目町の皆さん、いい加減なこと書いてごめん。


【言技(ことわざ)字典 七】

2009年04月22日 | 未分類
 
【今夜の汁ばカマ】
 
カマの部分を捨てるなんて、勿体ないことをしてはいけない。魚なんてものはアラだろうがカマだろうが、料理次第で美味しく頂けるんである。ブリカマだろうが鮭カマだろうが、カマ汁にすればいい。そうそう正月に買った新巻鮭のカマが残ってるんだったら、今夜は鮭のカマ汁にするってのはどう?
(原典:紺屋の白袴)


【一日の長さは変動する】

2009年04月21日 | 未分類
一日は24時間である。子どもも若者も老人も皆一律24時間であることに違いはない。つまり時というものは、どんな人にも皆、平等に与えられている訳である。ただ、使い方だけが個人に委ねられている。

一日の時間を、ゼロに等しい無価値なものにするか、或いは倍の価値あるものにするかは、すべて本人の心掛け次第であろう。使い方によって、短くなったり長くなったりするのが、時というものかも知れない。ちなみに、わたしは極めて時の使い方が下手糞なのである。無為に過ごす時のなんと多いことか…。


【雨後の筍とはならず】

2009年04月19日 | 未分類
日本人は諸外国から、紙(海苔)と木(牛蒡)と竹(筍)を食べる民族と思われている、と言った逸話があるが、わたしは紙も木も竹も好きである。

昨年のこの時期、娘が五十本近い筍を持ち帰ってきた。娘の知人の持ち山に生えている筍を、知人と共に堀りに行ったとのことであるが、大豊作で正に“雨後の筍”状態だった由。

今年もお声が掛かったとのことで、わたしも一緒にタケノコいや、ノコノコとついて行ったものの、期待に反して今年は大不作とのこと。それでも何とか十本程は確保できた。

竹の旬と書いて筍。年に一度の竹の旬ゆえ、小さなものを2~3本わが家用に残し、あとはご近所に配り歩いた。この“小さな”というのがミソなのだよ。ムフフッ…。


【言技(ことわざ)字典 六】

2009年04月17日 | 未分類
 
【腐ってもうたい】
 
幾らなんでも半年以上も入れっ放しにしておいたら、腐るのはあたりまえである。余分に買い込み過ぎたものとか、とりあえず安売りしてたから衝動買いしちゃったものとか、作った料理の残り分とか。とりあえず冷蔵庫にしまっといて、後日出して使ったり食べたりしようって思うんだろうけど、大方は入れっぱなしで忘れ去られる運命なのである。野菜なんてドロドロに溶けちゃってたりして…。
(原典:腐っても鯛)


【言技(ことわざ)字典 五】

2009年04月16日 | 未分類
 
【果穂は寝てまって…】
 
ふた昔も前のはなしである。夜遅くに娘の果穂に男から電話が掛かってきた。たまたま電話口に出た父親は、取り次ぐべきかどうか一瞬ためらったのち、「果穂は寝てまって…」と嘘をついた。娘に悪い虫でもついたら困るとの親心からである。携帯電話の普及した現代においては、考えられないシチュエーションといえる。
(原典:果報は寝て待て)


【言技(ことわざ)字典 四】

2009年04月15日 | 未分類
 
【石橋を叩いて割ったる!】
 
余程頭に来ることがあったのであろう事は想像に難くない。石橋を叩き割っちゃうくらいだから。やっぱりハンマーとか使うんだろうか。素手で割るとしたら空手家くらいしかいないだろうし。でも、痛いだろうな、手。
(原典:石橋を叩いて渡る)


【経年変化 2】

2009年04月12日 | 未分類
子どもの頃には平気で触れていた蜥蜴が、今では見ただけでおぞましく感じられるようになってしまった。これって……、

子どもの頃には好んで昇っていた(馬鹿と煙は…)高い所も、今ではベランダから下を覗き込む気にもなれない。これって……、

これも経年変化だろうか。肉体的、器官的(機能的)な衰えだけではなく、感覚的なものも退化していくということなんだろうか……。


【手軽に楽しめる観葉植物】

2009年04月11日 | 未分類
なんのこたあない、ネギである。もう春とあって、葱坊主の蕾が膨らみはじめている。

わが家では豪華(?)な陶器製の植木鉢にネギを植えて、観葉植物(?)としてデッキに置いてあるのだ。いざとなったら穫って食べちゃえばいいし…。花(葱坊主)が咲いたら種を穫って蒔いてやれば、再びネギを栽培することもできる。手軽で実用的な観葉植物の楽しみ方と言えないだろうか。

<葱坊主 雨降ればまた さむくなる  大野林火>


【これぞ極めつけ】

2009年04月10日 | 未分類
過去色々種類きらず揚げ紹介してきたが、これぞ極めつけともいうべき商品がこれ。その名もズバリ「きらずの種」。家庭でもって「きらず揚げ」が栽培できちゃうのである。

植木鉢もしくはプランターに土を入れ(できれば培養土が理想)、2 cm 間隔くらいに指先で穴をあけてやり、そこに「きらずの種」を数粒ずつ落とし込む。上から種が隠れるように土をかぶせたら、たっぷりと水遣りをする。日中は陽当りのよい屋外にだしてやり、乾燥したらこまめに水遣りをすると、より成長が促進される。

二週間ほどして双葉がでてきたら、適当に間引いてやると生育がよくなる。二か月程で「きらずの実」が収穫できるので、コーン油やココナッツオイルなどの植物油で、きつね色になるまで空揚げしたものを食すればよい。宿恨性の多年草なので、手入れを怠らなければ、毎年収穫できるようになる。

そうそう、言い忘れたが「きらずの種」には、“秋蒔き”と“春蒔き”の二種類があるので要注意である。


【ジキルとハイド】

2009年04月09日 | 未分類
わが部署に「IWA-SHIMA」と名乗る女性がいる。女優の「岩下志摩」とは勿論何の関係もないし、当然、似ても似つかないが、それなりに可愛らしい女性としておきたい。

何を隠そう実はこの女性、「ジキルとハイド」の如き二重人格者なのである。ある時は非常にしおらしく、たおやかであったかと思うと、ある時は怒髪天を衝くかの如き勢いで猛り狂う。

早い話が、SとMの特質を併せ持つ女性なのであるが、いつどこでどう切り替わるのか予測がつかないだけに、周りは常に戦々恐々としていなくてはならない。

わたしの観察によれば、恐らく「IWA」の要素が主体のときには“M”の気質が色濃く現れ、「SHIMA」の要素が濃い時は“S”の気質が前面に出てくるような気がする。もちろん、Sは“Soft”のS、Mは“Mad”のMである事は、言うまでもない。

それにしても、異なる性格が出現する度に、容貌や身長や体型まで違って見えるから不思議である。


【所詮ドラマなのだ】

2009年04月08日 | 未分類
先週だったか、先々週だったか、先々々週だったか忘れたが、たまたまテレビで「ごくせんスペシャル」を見ていたのだった。別に見たくて見た訳ではなくて、たまたま娘が見ていたから、チラーッと横から見ていただけで、わざわざチャンネル変えて改まって見た訳じゃない。別に仲間由紀恵が好きとかどうとかじゃなくて、まあ、嫌いじゃないけど、ただ、娘が見ていたので一緒に付き合って、…くどいか。

で、まあ、なんというか、つまりその、、、、、

卒業式の壇上でもって教師が、送辞だかなんだか知らんが、自分のクラスの生徒だけに語りかけてどうすんだ。他のクラスの卒業生に対して、相当に失礼ってもんだろが。ええっ!