加薬飯

日々雑感 ときどき雑記 愚だくさん

【趣味の領域】

2006年10月30日 | 未分類
昨日(日曜日)の昼ごろ、久しぶりに息子が帰ってきた。
しばらくして、姿がみえないなと思っていたら、
夕方6時近くになって、またヌッと現れた。
「どこか行ってたのか?」
「ぅん? ケンケツ」
「…献血?」
「そう、さいきんハマッテるんだ、ケンケツ」
「……」

献血はいいことだと思うけど、ハマってるって…。
趣味か?





【選自悶詩苦】

2006年10月26日 | 未分類
「天地玄黄」にはじまって「焉哉乎也」でおわる、中国の『千字文詩句』。
簡単に言えば、漢字千個(四言×250句)を重複しないように使った詩文(韻文)である。さしずめ、日本のいろは歌に類するようなものだろうか。
もともとは、子供の漢字教育や習字の手本として用いられてきたということであるが、「夫唱婦随」などは、今日の日本でも一般的に使われている。
しかし本家本元の『千字文』は、全部漢字(あたりまえか)で難しくて読めないやら、意味が理解できないやらで、なかなか馴染みにくいものであるから、あっさり降参。。。

そこで自己流の「千字文」を創ってみようかなどと、思いついてしまう馬鹿なわたし。とうぜん漢字を千個使わなくてはいけない。もちろん断じて重複してはならない。さらに意味を成していないといけない、などの条件を満たすとなると、かなり難問ではある。
とりあえず「現代版私説千字文」といったところで、さっそく取り掛かってみる。

   拙者琢磨  真実一郎  率先炊飯  父言実効

  ぼくの名前は琢磨です。じつは親に内緒でホストクラブにつとめてます。
  あっ、琢磨というのは店での名前で、本名は一郎といいます。
  でも一郎って名前、いかにもオーソドックスで、本当はあまり好きじゃ…。
  イチローとかってカタカナになると、途端にイメージ変わったりしますけど、
  あくまでぼくの場合、漢字の一郎だし…。それも月じゃなくておおざとの方。
  そりゃあ、鳩山一郎とか小沢一郎とか偉い人もいますけど…。
  わが家はいまどきめずらしく古風というか、かならず母親が台所に立って、
  きっちりと家庭料理を作るんです。たまにコンビニ弁当なんか食べてると、
  栄養がどうのこうのって、2時間は小言くらっちゃいますから。
  親父がまた頑固一徹で、いまだに家長制度を唱えてるような人ですから。
  父親は一家の“ダイコンばしら”であるからどうのこうのって。 

とまあ、最初の四句・十六文字の中に、これだけの意味が含まれているというところを、きっちりと読み取って頂かなければならない。さて、つぎの句はどう行こうか…。
案中無策… うーん、 互利夢中… とか、、、

あれ? あっ! いけねえ!
いきなり「実」の字が重複しているではないか。実になんといおうか…、
うぅぅ~~ん、、、もう一度初めからやりなおしである。


【色は匂へど Part II 】

2006年10月23日 | 未分類
いろは歌」とは、はやいはなしが「五十音」のようなものなのだが。
今の若い人たちの中には「いろは歌」を知らない人も結構いるらしい。
仮に知っていたとしても、
 いろはにほへと  ちりぬるをわか  よたれそつねな ・・・
と言った覚え方でしか馴染みのない人も多いようである。

わたしが「いろは歌」を覚えたのはたしか、小学校の四、五年のころか。
三つ年上の姉から、雅楽『越天楽』の旋律にあわせて口伝てに教わった。
当時ほとんど、ひらがな主体で生活していた私のことであるゆえ、
正確な意味もなにも解らないまま、ただ口ずさんでいただけなのであるが、
それでも、「いろ」「におえ」「ちり」「ゆめ」といった部分に、
まぎれもなく言の葉を感じていたことだけは、事実である。

おなじように基本音節のくみあわせであっても、
「あいうえお かきくけこ ・・・・・」には、とりたてて意味はないが、
「いろはにほへと ・・・・・」には、意味が含ませてある処が異なる。

   いろはにほへと 【色は匂えど】
   ちりぬるを 【散りぬるを】
   わかよたれそ 【我が世誰ぞ】
   つねならむ 【常ならむ】
   うゐのおくやま 【有為の奥山】
   けふこえて 【今日越えて】
   あさきゆめみし 【浅き夢見し】
   ゑひもせす 【酔ひもせず】

詳しい解釈はまた別の機会にでも。


【WANTED!】

2006年10月19日 | 未分類
必要不可欠な情報伝達のための掲示物は別にしても、
訓示・名言・ルール・目当て・諸々の注意などなど…。
やたらベタベタと貼り出してある会社に対して、わたしは懐疑的である。
例えば、なんらかの“注意実行”を促す貼り紙があったとする。
貼り紙をするのは、遵守させるべく規範があるからなのだが、
一方で遵守できない人たちがいる、という事実があるからでもある。

仮に目の前にゴミが落ちていたとする。拾う人と拾わない人がいる。
その差、基準は何であるのか。要するに感性の違いなのである。
自ら拾う人は多分、ゴミの落ちてる光景を目にするのが嫌いなのであり、
己の美意識に則った行動なので、人の為ではなく、ましてや善行でもない。
自分の感性を裏切らないため、自分の美意識を守るために拾うのだ。
他方、拾わない人は、もともとそういった基準を持ちあわせていないので、
「ゴミが落ちていたら拾いましょう。」などと貼り紙をしても効果はない。
おそらく、貼り紙すら見ていないのがオチである。
一見、拾っているように見える人でも、その実人に指摘されて渋々とか、
あるいは義務感でやっているというのでは、根は同じであろう。

つまり貼り紙というのは、いわれなくても出来る人には無用のものであり、
いわれても出来ないような人には、何の効力も発揮しない代物なのである。

現在、我が社に貼り紙の類いはない。尤も、別の理由による処が大であるが。
今後も本来の意味での、貼り紙のない会社を目指したいものである。
貼り紙の類いってのは美観も損なうしね。


PS
ルールを守れない人に、守らせる方法がないわけではない。
要は、本意とは別のところで基準の置き換えをすればよいのである。
このことについては、いずれまた別の機会に。



【謹慎中】

2006年10月18日 | 未分類
   ・・・・・・・・・。




















【割れ】

2006年10月16日 | 未分類
わが社の掲示板に貼ってある斡旋用の貼り紙。
何気なく見ていて??? 何か変だなと…。
つまり、1セット4袋で840円ということは、1袋210円だから、
1箱 16袋で3,360円でも1袋210円で、単価はちっとも変わらない。
ふつう数量の多いセットの方は、多少なりとも単価を安くしないか?
というようなことについてではなくて、
『ちょっと割れた物も混ざっているのでお値打ちです』
というくだりについてである。

割れた物が混ざっているのでお値打ち?
ということは、割れたものに価値があるんだよな?
しかしまてよ? そこが解らん。
甘栗の割れたものというのは、商品としてはキズものってことではないのか?
不良品が混ざっててお値打ちなわけないよな?

もう一度じっくりと読み返してみる。
ちょっと割れた物も混ざっている【ので】お値打ち【です】
ので→なので→だから→であるからして、です→なのだ→そうなのだ。
まちがいない。割れた物が混ざっているのでお値打ちだといっているのだ。

いやいやまてまて、そうじゃない。問題は【お値打ち】の意味だ。
価値があります、と捉えていたが、そうではなくて、つまり思うに、
割れたものが混ざっているので、【お値打ち価格】にしてありますよ。
安いんですよ~ってことが言いたいんではなかろうかではあるかいか。
なるほど、そう思えば理解できなくもない。

読んだ瞬間、割れたものに価値があるようにしか捉えられなかったのは、
要するにわたしの読解力が不足もしくはズレてるってことなのか?
結局、1袋210円が安いのか高いのかはわたしにはわからないが、
『割れ』について半日悩んでいて仕事にならなかった、、、社長ゴメン。


【初恋の味 続譚】

2006年10月13日 | 未分類
カルピスが発売されたのは大正八年というから、かれこれ80年以上の歴史を誇る由緒正しき飲み物なのである。
わたしが子どものころにはすでに存在していた訳だが、当時としては贅沢な飲み物であったと思われる。
普段はなかなか口にできず、お中元などで他所様から頂いた時くらいしかお目にかかれない。
庶民には特別な飲み物であり、贈答品としての定番だったのである。

水玉模様の包装紙に包まれたカルピスが、5本も並んで箱に入っているなんぞ、子どもにとっては一大事である。
それでも、主として来客用として使用するため、そうは簡単に飲ませてはもらえなかった。普段は台所の戸棚の奥の方に、母親がこっそりと隠しておいたりするのである。
かすかな罪悪感とともにそれをゴソゴソと漁って、少しずつバレないように(とっくにバレているが)内緒で飲んでは、
ああ、もっと濃いカルピスが飲みたい! と切に願う“餓鬼”なのであった。

1961年に、総理府経済企画庁から『エンゲル係数』に代わるものとして、『カルピス希釈倍率指数』なるものが発表された。
各家庭における『カルピスの薄め率』によって、生活水準を計ろうとしたのである、、というのは真っ赤なウソであるが…。

当時わが家の薄め率は10倍ほどであったと思われる。他所の家に行った折りに出されるカルピスが、概ね5~6倍であったことを思うと、わが家の生活水準の低さが容易に想像できようというものである。


【初恋の味】

2006年10月10日 | 未分類
初恋の味といえばカルピス
数ある飲み物のなかでも、カルピスは昔から好きな部類に入る。
なんたって、初恋の味であるからして。

コンビニや自販機で売っている、缶入りやペットボトルのものはダメ!
喫茶店などのメニューで注文して出てくるものも、もちろんダメ!!
何といってもカルピスは、原液を自分で希釈して飲むのが正道である。
それもフルーツ系ではなくて、牛乳と乳酸菌のスタンダードタイプ。

パッケージには“5倍に薄めてお飲みください”などと注意書きがあるが、
大きなお世話である。希釈倍率は自分で決める。何のための原液であるか。

そこでわたしは、コップの半分位まで原液を注ぎ、水を足したのちに、
マドラーで掻き混ぜ、一気にゴクゴクゴクッ、と飲み干すのだ。
つまり、目安としては大体、2~3倍の薄め率ということになる。
ちょっと、いや大分濃いめの、“微妙にトロ~ンとした感” がたまらなくいい。

そんなわたしに、わが家の女どもの非難の眼差しが浴びせられる。
「なな、なんだよ。濃くたっていいだろが。もともとオレが買ってきたんだし…」

なんたってカルピスは“はつ濃い”の味だろが、ええっ! 文句あっか?




【二度あることは?】

2006年10月05日 | 未分類
日曜日に鞄を衝動買い(いつもの事であるが)してしまった。
イタリア製牛革のコンパクトなドクターズバッグ・タイプ。
わたしは普段から、持ち歩くような荷物はほとんどないので、
二冊のシステム手帳と筆記具。それに財布とケータイと小物類。
あと通帳と煙草と百円ライターとハンカチが入れば十分である。
見た瞬間に、「あっ、これ丁度いい大きさ!」と思ったのと、
閉店セール(改修のため)とやらで、3割引きだったってこともあって。

鞄には3桁の、ダイヤル式の鍵がついているのであるが……、
購入時に“000”でセットしてあるのを、変更しようとして、
任意の番号でセットしたつもりが、そこに数字を合わせても、
どうしたことかビクとも開かない。どうやら手元が狂ったか何かで、
まるで違う番号でセットされてしまったようなのである。
仕方なく購入した店に電話をすると、とりあえず持ってこいとのこと。
組合せの全てを、ひとつひとつ手で確認していくしかないという。
私の計算(自信はないが)に間違いがなければ、千通りの組合せになる。
一縷の望みを託して持ち込んだところ、4時間後に開いたとの電話。
結局その日はその店へ、3往復したことになる。

昨日の朝。いつもの時間に出社して門扉を開けようとしたところ、
4桁のダイヤル錠の番号を合わせても、いっこうに鍵が開かない。
開錠はわたしの日課となっているので、番号を間違える筈もない…と、
言い切るだけの自信もないので、念のため覚え書きを見てみたところ、
やはり間違ってはいない。違う番号に再設定されてしまっているのだ。
前日の最終退館者が、うっかり操作を誤って再設定してしまったのか?
私の計算(自信はないが)に間違いがなければ、一万通りの組合せになる。
とてもそんな悠長なことは言ってられない。意を決するしかないと、
社屋を建ててくれた建設会社の担当者に電話をして急ぎ来てもらい、
ハンディータイプのグラインダーで焼き切ってもらった。

他にわたしの周辺でダイヤル錠を使っているところはないだろうか。
特に思い当たる節もないので、きっと三度目はないだろう。
あっ?、そういえばあれも確か…………。


【色は匂へど】

2006年10月03日 | 未分類
ここ数日。
朝、玄関のドアを開けて、外に出た瞬間。
あるいは帰宅して車のドアを開けた途端。
馥郁とした香りが鼻をつく。

芳香剤の代名詞ともいえる金木犀。
まだ莟の状態ではあるが、香りだけは十二分に。

春の沈丁花(じんちょうげ)、夏の梔子(くちなし)と並んで、
秋の香りの代表格は、やはり金木犀であろう。

なんとか我が家に残すことが出来た“季節”である。