加薬飯

日々雑感 ときどき雑記 愚だくさん

【上が長いか下が長いかなんて、どうでもいいんだけど】

2016年12月31日 | 読書・言葉・文字・漢字

わたしの名前には「吉」という漢字が含まれるのだが、吉の上の部分が「士」か「土」かという問題は、常に付きまとってきた。つまり、「つちよし」か「さむらいよし」かということなのだが、結論をいえば、手書きの場合は習慣的に下の棒が長い「土」と書き、活字の場合には、JIS水準に含まれていないので(外字扱い)、下の棒が短い「士」で通してきた。元々そういった事にこだわりはないので、どっちだっていいやというスタンスである。

ただし世の中には、自分の名前(固有名詞)に関して、棒が長いか短いか、点があるかないかなど、つまり「俗字」や「異体字」に、とことんこだわる人も居るようではあるが。
ちなみに「吉」の字は部首でいえば口偏(くちへん)であり、音読みは「きち、きつ」、訓読みは「よし、よい」なのだろうが、上の部分が「士」だろうが「土」だろうが、読み方としては変わりはなく、「立派、賢い、優れている、良い、めでたい、幸い」といった意味の、いいことづくめの漢字なのだ(名前と実態の落差が大き過ぎるが…)。


【こちらが何を手にしているかで、反応がまるで違ってくる】

2016年12月30日 | 生活・飲食・家族・飼犬

ティッシュペーパーやウェットティッシュを手にして、「目ヤニ!」とか「耳掃除っ!」とか言うと、即座に(素直に)傍へやってくるキャバリア犬。犬であっても、目ヤニを拭いてもらったり、耳の中の垢掃除をしてもらったりするのは、気持ちのいいことだと認識しているのだろうか。

ところがこちらがブラシや爪切りを手にしているときは、幾ら呼んでも躊躇する素振りを見せて、なかなか傍へ来ようとしない。痛い思いをさせているつもりはないのだが、毛を梳かされたり爪を切られたりすることに対しては、かなり抵抗感を持っているようなのだ。

ましてやこれが電動バリカン(音がするからなのか)となると更に顕著で、見た瞬間に嫌そうな顔をして、トットコと逃げ出すのである。もちろん嫌がろうとも、とっ捕まえて押さえつけて、有無を言わさずトリミングしてやることになるのだが。特に肉球の間の毛がすぐに伸びてくるので、走るとフローリングで滑るのだ。


【年の瀬恒例、みかんの箱買い】

2016年12月29日 | 生活・飲食・家族・飼犬

蒲郡といえば温泉や競艇場やラグーナテンボスを思い描くが、蒲郡みかんも忘れてはならない。4月~9月は温室みかん、10月~3月は露地みかんと、一年を通して口にすることのできる蒲郡みかんではあるが、わたしの中ではやはり、みかんは冬の果物というイメージが強い。
年の瀬から正月にかけて、みかんを箱単位で買い込んでくるのが、わが家の恒例ともなっている。10 kg入りの箱で買ってきても、一週間から10日で消費してしまう位に、冬といえばみかんばかり食べている。


【送って行ってやろうか?】

2016年12月28日 | 生活・飲食・家族・飼犬

オッ、今日は忘年会か。飲み会なのか。
どこでやるんだ。誰とやるんだ。焼肉か? 居酒屋なのか?
酒飲むんだろ。送って行ってやろうか? 帰りも迎えに行ってやるからさ。


そんなこと言って紛れ込もうとしたってムリ! オヤジはお呼びじゃないんだから。
お酒飲まないし、自分で運転してくからいいっ!


【いちいち風呂の残り湯を汲みに行くなんてまどろっこしい】

2016年12月27日 | 生活・飲食・家族・飼犬

凍てつく冬の朝は、車のフロントガラスが霜で凍り付いてしまい、まるで視界が確保できない。思い起こせば過去の通勤時において、暖機運転の間も惜しんで直ぐに発進したいときなど、慌てて家の中に戻って風呂の残り湯を洗面器に汲んで運び、フロントガラスにぶっ掛けるなんてことを、毎朝繰り返していたものである。

今では娘が出勤前に風呂の残り湯を洗面器で運んで、フロントガラスにぶっ掛けるなんて、まどろっこしいことをしてたりする。そこで登場するのが解氷スプレーである。
シューッとひと吹きするだけで、霜も氷も即座に融けてワイパーを1、2度動かすだけで綺麗に視界が開ける。もはや冬の早朝の必須アイテムである。それぞれの車に一本づつ常備しておけば、その場でシューシューッと吹き掛けるだけで済む。氷や霜と一緒に手間も氷解するというもんである。




【目薬の効果はないけれど】

2016年12月26日 | 健康・病気・見舞・介護

男性の老化を端的に表す俗語(隠語?)に、「ハメマラ」というのがある。衰えが症状として現れる体の部位を指す言葉であるが、漢字で表せば要するに、「歯・目・魔羅」ということになる。

歯そのものより歯茎の方が衰えて(歯槽膿漏や歯肉炎など)、固いものを噛むのが困難になったり、尿の出が悪かったり回数が増えたりといったことも然ることながら、私の場合何よりも目の衰えが深刻だったりする。
視力低下に加えて、かすみ目や疲れ目、涙目など。ものが見え辛いというのも不便極まりないが、市販の目薬を点したからと言って、さしたる効果が望める訳でもない。
なれど、今では点眼はほぼ習慣と化しており、たとえ気休めであろうとも、目薬は常時手放せない。

問題なのは、かすみ目や疲れ目ばかりじゃない。煙草を吸えば白い目で見られ、たまに馬単を買えば裏目を喰らう憂き目にあい、ズボンを穿く際には太目の腹が邪魔をし、金に糸目をつけないなどは夢のまた夢。弱り目に祟り目、落ち目になろうとも、こうして不真面目に暮らしている。目薬は効かないけれど。


【今はスローラインまでの距離が確保できない】

2016年12月25日 | 雑感・思考・追憶・回想

もともと独身時代に油絵や工作などのアトリエとして使っていた、六畳一間のプレハブではあるが、今ではすっかり物置と化してしまっていて、布団やストーブや扇風機や、あるいは使わない家具や台所用品や衣類、その他諸々のもので溢れ返っていて、床が見えているスペースの方が少ないといった有様になってしまっている。

畳一畳分の大きさは、3尺×6尺(91cm×182cm)なので、六畳間の大きさは9尺×12尺(273cm×364cm)ということになる。本来ならばダーツのプレイスペースが充分確保できる広さなのであるが、モノで埋まっている現状においては、基準であるボードの真下からスローライン(投げる位置)までの244cmという距離が確保できないのである。別に今更ダーツで遊ぶつもりはないんだけどね。


【そろそろ眼鏡を買い替えなくては…】

2016年12月24日 | 健康・病気・見舞・介護

「眼鏡を買い替えなくては」と思いながらも、なかなか踏ん切りがつかず、ズルズルと二年が経過してしまった。さすがに限界だろうと言うところまで来ている。つまり完全に度が合わなくなってしまっているのだ。

もともと左右の視力の差が大きくて、右目に比して左目が極端に悪かったのだが、ここ二年ほどの間に右目の方も一気に視力が低下してしまった。したがって度の合わない眼鏡を掛けていることにより、却って見えづらいと言った事態に陥ってしまっている。来年は運転免許の更新で視力の測定をしなければならないだろうし、ここいらで重い腰を上げて眼鏡店を訪れなければなるまい。抗っても老化は止められないのだ。


【月に2回の古紙回収】

2016年12月23日 | 雑感・思考・追憶・回想

毎月2回、第2と第4金曜日に、地域の新聞販売店が実施する古紙回収がある。ダンボール、新聞(チラシ)、雑誌、書籍、牛乳パックなど、決められた時間までに、家の前の道路に出しておくと、リサイクル業者がトラックで回収していってくれる。よほどの大雪でも降らない限り天候不問で、雨の日でも回収に来てくれる。

それにしても、たとえ二週間に一回とは言え、毎回なんだかんだで出すものがあるんだから、日々の生活の中において、それだけ紙類を消費してると言うことになる訳だ。いくらデジタルだの、電子化だの、ネット社会だのと言ってみたところで、紙媒体がなくなることはないんだろうな。


【なんだ、これは】

2016年12月22日 | 健康・病気・見舞・介護

なんだ、これは。携帯用の熊手か? んな訳ないか。そもそも小さすぎるわ。孫の手でもないわな。痒いところに届きそうもないし、そもそも先っちょが丸くっちゃ掻けないだろ。なんかアマガエルの足の指先の吸盤みたいだな。なに、メタルボールってか。まぁ、それぐらい見りゃ解るけどな。

で、なんなんだ、これは。ヘッドスパ? 頭皮をマッサージする? 頭皮のマッサージをするってぇとなにか、頭が良くなるとかの効果があんのか? そんなものはない? だろうな。期待して損した。頭皮の凝りをほぐして髪の健康に役立たせるって、頭皮ってのは凝るもんなのか。ふんっ、あとで内緒で使ってみるか。


【千両・万両の実が色づくと、年末・年始の気配を感じるものの】

2016年12月21日 | 雑感・思考・追憶・回想
さりとて年が変わったからといって、「年年歳歳花相似たり」のごとく、日々同じように暮らしてゆくのみ。
人生においては時として、「変わらないことの有難み」を痛感する瞬間があったりもするものなのだ。





【近頃やたらと首筋が凝る】

2016年12月20日 | 健康・病気・見舞・介護

「そも、凝りとは何ぞや」というくらいに、これまで「凝り」とは無縁だったんだけど、どうも近頃は首筋やら肩やら背中やらに、突っ張ったような違和感を覚える。これがいわゆる「凝り」というやつなのだろうか。
筋肉には収縮したり弛緩したりする働きがあるわけだが、つまり収縮しっ放しで弛緩しない状態が「凝り」だとしたら、その原因はどこにあるのか。思い当たるとすれば、不自然な姿勢での長時間の読書くらいなんだけど。

たまたま「スミルスチック3%」とかいう塗擦薬が置いてあったので、試しに首筋に塗ってみた。「経皮吸収型鎮痛・消炎剤」とあるけど、はたして「凝り」とかにも効くんだろうか。あまり期待はしてないけど。


【店で飲むドリップコーヒーの味と香りを自宅でも楽しむ】

2016年12月19日 | 生活・飲食・家族・飼犬

コーヒーに関しては、詳しいわけでもなければ、拘(こだわ)りがあるわけでもない。それどころか、インスタントコーヒーでも全然構わないほど、そもそもコーヒーには無頓着なのである。
そんなコーヒー音痴のわたしなのだが、それでも「珈琲屋 らんぷ」のコーヒーは美味しいと感じる。

店にはそれこそたまにしか訪れないのだが、その代わりレジ横に置いてあるドリップコーヒーのパックを買って帰ったりする。店でレギュラーコーヒーを頼むと一杯380円だが、ドリップパックなら一杯分110円で、店と同じ味のコーヒーが自宅で飲める。なんとも安上がりではないか。どこで飲もうと、コーヒーはコーヒーだし。


【あと9年もすれば、昭和100年だよ】

2016年12月18日 | 雑感・思考・追憶・回想

うっすらと覚えているのだが、そのむかし、「明治は遠くなりにけり」という言葉が好んで使われた時期がある。ちょっとした流行語の兆しすらあった。ちょうど、明治が100年目(実際の明治は45年までだが)にあたる頃のことだから、昭和40年代のことだっただろうか。
もともとの出典は、中村草田男(なかむらくさたお)が昭和の初期に詠んだ、「降る雪や 明治は遠く なりにけり」という俳句に依るものなのだろう。 <中村草田男は明治から昭和にかけての俳人>

われわれ昭和生まれからすれば、あと9年もすれば昭和100年(実際の昭和は64年まで)ということになる。中村草田男のように人々は、「昭和は遠くなりにけり」と、感慨をもって口にするのだろうか。
昭和の時代は戦争も然ることながら、実に多様な文化の変遷があった時代でもあるが、昭和100年を待たずして既に、「昭和も随分遠くなったものだ」としみじみ感じるのは、年月の経過に対する回顧ではなくて、更なる時代(文化)の変化に対する驚嘆なのかも知れない。


【冬枯れの大葉擬宝珠(オオバギボウシ)】

2016年12月17日 | 自然・生物・植物・園芸

庭に植えてある「ギボウシ類」の葉が枯れて、無惨な姿を晒しているのを見るにつけ、今年もいよいよ本格的な寒さがやってくるなと実感するのである。
どちらかといえば、暑さよりかは寒さの方が苦手である。来年の春まで寒さに縮こまって過ごさねばならないと思うと、気持ちまで縮こまりそうだ。冬生まれであっても冬はあんまり好きじゃない。