加薬飯

日々雑感 ときどき雑記 愚だくさん

【早起きで目の保養】

2013年09月30日 | 自然・生物・植物・園芸

昔の人は、早起きは三文の得と言った。その真意はともかくとして、早起きも捨てたもんじゃない。

今朝五時半頃にデッキに出たら、東の空に棚引く雲が真っ赤に染まっていた。何とも神々しい光景である。毎日同じような時間に起きたからと言って、自然の条件が適合しなければ、いつもいつも見られるというものでもない。

カメラのフレームで切り取ってしまうと、その色の深さも壮大さも伝わってこないが、肉眼で空全体を眺めていると、圧倒される程の荘厳な美しさである。ほんの数分のタイミングを逸してしまえば見られないところに価値があるわけで、早起きはしてみるもんである。

【昨日は何故かクドカンの日】

2013年09月29日 | 映画・音楽・芸能・文化
2013年9月28日(土)は、クドカンこと宮藤官九郎の脚本による、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」の最終回。家族揃ってテレビ鑑賞。白状すると実は毎日「あまちゃん」を見てから出社していたのでありました。
そして昼間は先週買ったばかりの、文春文庫版の宮藤官九郎の本「いまなんつった?」を、途中2時間ほど昼寝を挟みながら、最後まで読み終えたのであります。

夜は夜とて、宮藤官九郎 脚本、阿部サダヲ 主演の映画「謝罪の王様」の公開初日ということで、これまた娘にせがまれて、家族揃ってレイトショーへ。途中居眠りしたのは、ほんの 25 分くらいのことで、あとは真面目に鑑賞することができました。
こうして何の変哲もない九月最後の土曜日は、クドカンに始まりクドカンで終わったのであります。ダメ?



【地を這う朝顔】

2013年09月28日 | 自然・生物・植物・園芸
基本的に朝顔は蔓性植物なので、支柱やネットに絡み付いて上に伸びてゆく。だからこそグリーンカーテンに仕立てられたりもするのだが、とつぜん何を血迷ったのか、一本の蔓だけが地面に垂れ下がり、そのまま地を這って伸びていた。

この状態では絡み付くものとて何もないので、果たしてどこまで伸びていくのやらと、敢えて放置して観察している。いい歳こいたオヤジが朝顔の観察日記である。宿題でもないのに。



【よくぞ男に生まれけり】

2013年09月27日 | 雑感・思考・追憶・回想

夕涼み  よくぞ男に  生まれけり

ご存知、江戸期の俳諧師、宝井其角(たからい きかく)の句である。「夕涼み」が夏の季語となっている。
くそ暑い夏の盛りの夕べに、ひとっ風呂浴びて浴衣なんぞを着こなし、縁側でもって浴衣の襟元をはだけて、団扇かなにかで胸元に風を送り込む。おぉ涼しい、女じゃとてもこうはいかねぇよな、な~んて情景が目に浮かぶようではないか。或いは褌一丁で縁台将棋なんぞを指している、といった図かも知れないなぁ。

「もぅ~、またオシッコ飛び散らかしてぇ。 床がベタベタじゃ~ん。 座ってしなさいよぉ」

耳には届くが毎度のことである。こういう時は知らん振りを決め込むに限る。だいたい女子どもじゃあるめぇし、男が座って小便なんぞできるかってんだ。江戸っ子をナメんじゃねぇぞ。 江戸っ子じゃねぇけどな。

たしかに、近頃は勢いはねぇし、放物線なんて表現とは程遠く、ただ力なく下に零(こぼ)れ落ちるだけと言った方が当たってたりもすらぁな。たしかにな。たまに調子が悪いときなんざ、先端の方で二筋に枝分かれしちまったりもすっからよぉ。別にワザとじゃねぇし。ワザとできたら特技じゃねぇか。
だからっておめぇ、いつの時代だろうが、立小便こそが男の本分ってもんじゃねぇか。 よくぞ男に生れけりってなもんよ。てやんでぇ。 …いちおう拭いといたかんな。


【地上の根】

2013年09月26日 | 自然・生物・植物・園芸

いわゆる気根ではなくて、もともと地中にあった根(吸水根)の一部が、年数を経るにつれて地上に露出して盛り上がった状態を指す言葉ってのはあるんだろうかと思って、ちょいとばかり調べてみたんだけれど、これが見当たらない。敢えていえば「地上の根」といった表現が見られるくらいか。
だったらいっそのこと地上根(ちじょうこん)でいいじゃないかと、勝手に地上根と命名してしまおう。

著名な公園や神社仏閣などには、樹齢何百年かと思われるような大木・巨木があったりするが、中には見るからに巨大な瘤のような地上根が、幾条にも別れて盛り上がっている樹もあったりする。
そのような地上根を見ると、歳月の重みを感じると同時に、ある種の安堵感を覚えたりするのは何故だろう。
そう言えば子どもの頃に、近所の神社に楠の巨木があって、その根元には放射状に太い地上根が盛り上がっており、なぜかそこを訪れるのが好きだったことを思い出した。遊び場であると同時に、癒しの場でもあったのかも知れないなぁ。

松、金木犀、槙、木蓮、木斛など、わが家にも植えてから二、三十年経つ樹木もあったりするが、ほんの慰み程度の地上根しか見られない。もともと経時のスパンが違うのだろう。

【車道の真ん中走ってんじゃねぇ!】

2013年09月23日 | 生活・飲食・家族・飼犬

花の写真でも撮ろうとデジカメを手に駐車場をウロウロしながら、ふと道路に出てみたら、向こうの方から自転車に乗った若い娘っ子が、道路の真ん中をこちらに向かって走ってくる。反射的にとりあえずシャッター押しちゃったけど…。

それにしても、なんて乗り方してやがんだ。後ろから車が来たら危ねぇじゃねえか。たまたま車の往来が途絶えてるだけで、結構この道は車の通りが激しいんだからよぉ。携帯とかスマホとか操作しながら乗ってねぇだけ、まだマシかもしんねぇがな。
やがて近付いてきた自転車に乗っている娘っ子の顔を見てみれば、何だ? 家の娘じゃねぇかっ!


【ただいま擬態中】

2013年09月21日 | 自然・生物・植物・園芸

裏庭に雑草が繁茂し、木々の樹姿も乱れて荒れ放題になっているのを見かねて、意を決して手入れをする事にした。朝夕は涼しくなってきたとはいえ、まだまだ日中は暑いので、朝の5時から起き出しての庭仕事と相成った。
脚立に乗って枝葉の剪定をしたり、地に這いつくばって雑草を根こそぎ引っこ抜いたりと、休憩もなしに6時間ほど、ぶっ続けで作業していたら、流石に体力に限界を覚えてきた。

続きはまた日を改めてやることにでもしようと、煙草を咥えながらあちこち歩き回っていたら、ヒイラギナンテンの木に雨蛙が止っているのを見つけた。雨蛙というとどうしても緑色といったイメージが強いが、見事に幹の色を模して擬態していた。
雨蛙は家のあちこちでいつでも見掛けることができる。居る場所によって実に様々な色に同化していたりするが、擬態した雨蛙もまた可愛らしいものである。


【月見る月はこの月の月】

2013年09月20日 | 自然・生物・植物・園芸

昨日(いわゆる旧暦での8月15日)は「中秋の名月」。
夕刻、犬を連れて安藤川の堤を散歩していたらば、東の地平近くの空に、実に大きく見事な満月の昇るのを認めた。これほど見事な月は、普段なかなか見られるもんじゃないとばかりに、しばらく歩を止めてホケーと月を眺めていたのだった。

月でも太陽でもそうだが、例えば朝日や夕日のように、地平に近ければ近いほど、天空にある時と比べて大きく見えるのは、実は科学的見地においては同じ大きさで、錯覚によるものということではある。
しかし、錯覚だろうが何だろうが、目には実際ばかでかく見えている訳であるから、「ぅわあ、大きい月だなぁ~」と素直に感動しておけばいいじゃないかってなもんである。

 月月に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月 (作者不詳)
 
どうやら、中秋の名月当夜に満月が見られるのは今年が最後で、次は8年後の2021年ということらしい。


【不揃いの葡萄たち】

2013年09月18日 | 自然・生物・植物・園芸

生るに任せて放置しておいた葡萄であるが、実が干からびてしまったり虫食いやらで悲惨な状態になっていた。葉の虫食いたるや酷いもので、木は殆ど裸同然といった有り様である。それでも、最終的に8房ほど収穫することができた。
植えた木は確かデラウェアだった筈なのだが、デラウェアにしては粒が大きいような気がしないでもない。種ありだからだろうか。そのへんのところはよく解らないが、それでも口にいれてみたら確かにデラウェアの味がした。

見た目は不揃いで不細工だし、ジベレリンで種無し処理がしてある訳でもないので、いちいちペッペッと種を吐き出しながら食べたのだけれど、充分に甘いと感じられる熟れ具合であった。
こうなると人間欲が出てくるもので、よしっ、ひとつ来年は種無しや成長促進のためにジベレリン処理をして、袋掛けをしたり葉の消毒をしたりして、本格的にトライしてみようかしらん、などと言った考えが過ぎったりもするけど、いざその時になれば、結局な~んもしないんだろうなぁ、きっと…。



【まだまだ御役御免とはならず】

2013年09月09日 | 生活・飲食・家族・飼犬
家に帰ったら古い扇風機が一台ひっくり返っていた。

「何だ、この扇風機は。夏の間に働き過ぎてストライキでも起こしてるのか?」
「変な音がするので分解したら折れてる所があったので、接着剤でくっつけて乾かしてるところ」
「ふうん。 じゃぁ、まだまだ御役御免じゃなくて、また来年も使えるってことだな」
「大分くたびれてるけどね。誰かと一緒で」
「ふうん。 誰かって誰だ?」



【紫御殿とアメリカンブルー】

2013年09月08日 | 自然・生物・植物・園芸
紫御殿 (ムラサキゴテン) とは何とも大仰な名前であるが、その名のとおり葉は濃い紫で、花は薄紫という、全身紫ずくめの花である。 アメリカンブルーの方はといえば、まあ、そのまんま青い花なのであるが。
どちらも花の大きさは 15 ミリ前後と小さくて、どちらかと言えば控えめで派手さはない。どちらもわたしが植えた訳ではなくて、知らない内に家内が勝手に植えたものらしい。

なぜか家内のヤツは、小さくて目立たなくてひっそりとした花の類いを好む傾向にあるようで、わたしから見たらインパクトに欠けると思われるような地味な花ばかりを買ってきては、内緒であちこちに植えまくるのである。人の好みはそれぞれであるが、だから、控えめで物静かで、地味でひっそりと目立たない、わたしを伴侶に選んだのかも知れないな。

 


【韮の花】

2013年09月07日 | 自然・生物・植物・園芸
八月の中頃から蕾が目立ちはじめたニラの花が、今を盛りと咲いている。ニラはもちろんニラレバ炒めなどの、あのニラである。ニラ玉や、豚肉やもやしと一緒に炒めたり、焼き餃子の具にしても美味しい。
ニラは食材ではあるが、花火のように広がって咲く白く清楚な花は、観賞用としても楽しめる。

万葉集にもニラを詠んだ歌があって、

伎波都久(きはつく)の 岡の茎韮(くくみら)我れ摘めど 籠(こ)にも満たなふ 背なと摘まさね

この、茎韮(くくみら)というのがニラのことである。


【博打と印刷業の共通項】

2013年09月04日 | 読書・言葉・文字・漢字

母方の祖先をほんの三代も遡れば、どうやら博徒(任侠)だったらしいのであるが、博徒(ばくと)すなわち博打(ばくち)を生業とする者である。博徒といえば丁半博打であって、丁半博打とは二つの賽子(サイコロ)を振って丁か半かで勝負する賭博である。
わかりやすく言えば、丁とは二、四、六、八など割り切れる数(偶数)で丁度の丁である。対して半は、三、五、七など割り切れない数(奇数)で、半端の半だと思えば良い。

それと印刷・製本と何の係わりがあるのかと言えば、まあ、何の係わりもないのだけれど。しかし、敢えて共通項を見出すとすれば、それは丁である。
つまり印刷・製本あるいは出版業界においては、紙の裏・表(2頁分)のことを丁と呼ぶ。書籍の編集・組版などで用紙を改めることを改丁といい、製本工程で用紙が欠落することを落丁という。丁合、乱丁なども同じことで、丁に関わる言葉なのである。