加薬飯

日々雑感 ときどき雑記 愚だくさん

【かと言って、大きけりゃいいってもんでもない】

2018年07月29日 | 読書・言葉・文字・漢字

文庫本の文字サイズと言えば、凡そ8~9P(ポイント)前後。Q(級)で言えば12Q(3mm)前後だろうか。視力がどんどん低下している身としては、小さい、見づらい、ぼやける。はっきりと見えないと言ったことに対するストレスは、相当なものがある。

かと言って、文字が大きくなればそれでいいのかと言えば、必ずしもそうとは思わないこだわりがある。文字と言うものは、ただ読めればいいと言うものでもない。本や雑誌や新聞など、紙面に対するバランスを考慮して、マージンや文字サイズ、字送り、行送りなどが割付・レイアウトされるべきで、見た目の美しさも重要な要素なんである。
組版のバランスが悪い本なんて、見ただけで読もうという意欲が失せてしまうのだ。

幼児の絵本じゃあるまいし、文字サイズさえ大きくすれば済むと言う問題じゃないという処に、己のこだわりに対するジレンマがある。
文字が大きければ見やすくはなるだろうが、読みやすさとはまた別の次元の話である。ページ数だってどんどん増えていってしまうだろうしね。

[注]1P ≒ 0.35 mm
   1Q = 0.25 mm


【煙草吸いのお馬鹿あるある】

2018年07月28日 | 雑感・思考・追憶・回想

煙草を吸う人なら、一度くらいは経験したことがあるのではなかろうか。わたしの場合は、一度のみならず、年に数回はある。
わたしは右利きなので煙草も右手で吸う。喫煙スタイルとしては、右手の中指と人差し指の間に煙草を挟んで口に銜える。銜えたまま煙を吸い込み、煙草を口から離したのち、煙を吐き出す。以下、一連の動作の繰り返しである。

ところが偶に、煙草を口から離そうと手を動かしたとき、煙草のフィルター部分が唇にくっ付いてしまっていることがある。当然ながら予測していない事態なので、手の方はいつもの如く素早く動いている。その結果、中指と人差し指は煙草を挟んだ格好のまま煙草の側面をスライドし、火の着いた先端部分に勢いよく辿り着く。もちろん煙草は、唇にくっ付いたままだ。

「アチッ、アチチィーーーーーッ!」

指は離れて行く 煙草は残る 残る煙草が シャクのたね
(注)畠山みどり(知らないか)さんの歌「船は出て行く煙は残る」のパロディです、はい。
【元歌】船は出て行く 煙は残る あ…残る煙が しゃくのたね

かくして二本の指は、軽い火傷を負うこととなる。馬鹿だね、ホントに。




【鼻紋登録はしてないけど】

2018年07月27日 | 雑感・思考・追憶・回想


なぜ犬の鼻は濡れているのか。鼻の近くの分泌腺から出る分泌液もしくは、自分の舌で舐めるからとされているが、そう言えばわが家の犬も、よく鼻の先をペロペロと舐めている。
知らない内に犬が近付いてきて、素肌に鼻面をくっ付けられたりすると、ひんやりと冷たくて、思わずビクッと反応してしまったりする。
でもって、濡れていたらどうなのかと言った点については、濡れていることによって臭いをより嗅ぎ取りやすくするため、ということらしいのだが…。

わたしには今ひとつ解らないことがある。犬の嗅覚は人間の 100万倍とされているが、そもそも100万倍の程度が解らない。臭いの強さを感じる能力が 100万倍なんだろうか。だとしたら色んな臭いが入り混じって、しかも常にそれらの臭いを人間の 100万倍で嗅いでいるとしたら強烈に臭って、さぞかし犬は堪らないだろうにと思うのだが。
それとも臭いの方向や距離を嗅ぎ取る能力が100万倍なんだろうか。はたまた臭いの種類の分別能力が100万倍なんだろうか。それとも全てひっくるめて? やっぱりどうイメージすればいいのか解らない。所詮100万倍の嗅覚なんて言われたって、想像しようがないもの。それに一体、誰がどうやってその数値を導き出したんだ? 10倍や100倍じゃなくて100万倍って!

話は違うが、和牛業界では仔牛が産まれると鼻紋を登録して、個体や血統の管理を行っているということであるが、牛と同じように犬もそれぞれ鼻紋が異なるそうである。つまり人間の指紋と同様に、個体ごとにすべて鼻紋が違うと言うことなのだな。


【あまりの暑さに思考が一切働かない】

2018年07月26日 | 雑感・思考・追憶・回想

プランターに差してある細い支柱にトンボが止まっていた。身じろぎもせずジッと止まったままである。トンボを見ていて、ふっと何かが頭を過ぎった。たしか安曇野といったイメージだったような気がしたのだが、そのあとは何も浮かんでこない。
いったい何を思いついたのだったか、自分でも皆目見当がつかない。あまりの暑さに、思考回路が完全にショートしてしまっているようだ。


【花は咲けども白ゴーヤ 実のひとつだになきぞ悲しき】

2018年07月25日 | 自然・生物・植物・園芸

「後拾遺和歌集」からパクったと、すぐにバレてしまうタイトルだな。「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」っていう例のアレだけど。
これだけ解り易いと逆に潔いではないか!って、なに開き直ってんだか。

今年はプランターの空いたところに、白ゴーヤを一株だけ植えた。家族はゴーヤが好きでみんな食べるけど、わたしはゴーヤは食べないので、別にどっちでもよかったんだけど。もともと気がないので最初の内は親ヅルの摘芯もせずに放っておいた。
それが不味かったのか、ツルがどんどん伸びて葉も繁り、花も一杯付けるようになったのだが、咲けども咲けども雄花ばっかりで、雌花がひとつも咲かないのだ。

この分だと実がひとつも収穫できないんじゃないかと思っていたところ、たったひとつゴーヤの赤ちゃんが認められる雌花が咲いているのを見つけた。実に貴重なひと花である。もっとツルを切り詰めて、子ヅル孫ヅルを伸ばしてやった方がいいのかも。


【犬だって必要に応じて手(前肢)を使ったりもする】

2018年07月24日 | 生活・飲食・家族・飼犬


わが家のキャバリア犬は、とにかく喉を通る大きさのものであれば、何でもかんでも丸呑みしてしまうので、ほとんど噛むという行為をしない。それに比べてもう一頭の雑種犬の方は、豆粒くらいに小さなものでも、必ず噛み砕いてから食べる。それぞれの個性ってやつなんだろうか。

そんなキャバリア犬であっても、棒状の長いガムなどを与えたときには、流石に丸呑みという訳にも行かず、両の前肢で器用に支えて、少しづつ齧ったりはするけど、最終的に喉を通る大きさにまでなれば、後はやっぱり丸呑みである。歯磨きガムを与えたって噛まなきゃ意味ないし。


【全然意識してなかったけど、そう言えばそんな名前の車があったな】

2018年07月23日 | 乗馬・競馬・趣味・道楽

夏の中京開催が終わった。次の開催は12月である。連日の猛暑でとても出掛ける気にはなれず、結局のところ現地には行かずじまいだった。
中京開催最終日の日曜日は、ハンデ重賞の中京記念(GIII)があったのだが、もちろん締め括りとして買わずにいらりょうか。4番人気のリライアブルエースと、6番人気のミエノサクシードを2頭軸にした、3連単マルチ馬券をネット購入しておいて、あとはテレビ観戦と決め込んだ。もちろん冷えた缶ビールと枝豆付きだ。

レースが終わった後でと言うか、外れた後でふと気が付いたことがある。中京記念の正式名称は「トヨタ賞中京記念」だけど、そう言えばトヨタ車にサクシード(succeed)って車がある。
いやいや、まさかトヨタ賞だからサクシードから買ったのか? なんて思われては困る。サイン馬券や出目馬券を論じる輩たちと一緒くたにされるのは心外この上ない。わたしは断じてそんな馬券の買い方などはしないのだ。あくまで馬を主体とした予想しかしないし、そもそもオカルト買いをする輩なんぞは、はっきり言って軽蔑しておるのだ。

それにしても名前はサクシード(成功する)なんだけど、軸にしたのは失敗だったな。

7月22日(中京)トヨタ賞中京記念(GIII )
1着 16 グレーターロンドン(1番人気)
2着 12 ロジクライ    (5番人気)
3着  4 リライアブルエース(4番人気)
3連単 16-12-4  25,980 円(外れ)



【犬のおやつをデコレートする意味?】

2018年07月22日 | 雑感・思考・追憶・回想

そもそも犬に美的価値意識があるのかってことなんだけど。大きさや形はともかくとして、わざわざデコレートしたところで、犬はそれを意識するかって言ったら、してる訳ないよね。
犬にしてみたら、口に入りさえすればいい訳で。別に犬を馬鹿にしてる訳じゃないよ。ただ動物に対する慈しみと愛情を持って接することはあっても、犬は犬であって人間にはなり得ない。

犬は自分が口にする食べ物の、彩りや盛り付けなんて気にしないだろうし、ましてや軽薄な人間みたいに、インスタ映えがどうのこうのなんて騒ぐこともない。しかるに可愛い服を着せたり、飾り立てた食べ物を作ったりするのは、所詮すべて人間目線による、人間様の思い入れ(自己満足)ってことに他ならないのだろう。犬は食えるものか食えないものかを判断するだけである。


【表現が異なると言うことは、意味合いが違うと言う事に他ならない】

2018年07月21日 | 雑感・思考・追憶・回想

早速乍ら昨日の続きである。昨日のブログでは、イカとタコの生態の違いについて長々と論じてしまったが、その中で計らずも「電気製品」などと言うアナログ、いやアナクロな用語を使ってしまい、更には「電化製品」と言う曖昧模糊とした語句までも、暗に仄めかせてしまった。深く反省している。しかし、その二つの言葉こそが、新たな疑問を呼び起こしてしまったのである。詰まるところ、「電化製品」と「電気製品」とでは、何がどう違うのかと言った疑問である。

ここで突如として、話は60年前に遡る。わたしが小学校の低学年だった頃である。当時の主婦は洗濯板と盥(たらい)を使って洗濯をしていた。ときには洗濯物を抱えて近くの小川まで行って流れる川の水で洗濯をすることもあった。稀に川上からドンブラコと、大きな桃が流れてきたりもしたものだ。そして掃除と言えば勇ましく、頭を手拭いで姉さん被りにし、叩き(はたき)や箒(ほうき)、雑巾と言った必須アイテムを使い、時に応じて箒を逆さまに立て掛けたりもしたのである。冷蔵庫(保冷箱)だってあった。重厚感溢れる木製(内側はブリキ製)の冷蔵庫だ。大抵二段構えの扉になっており、上の段には氷屋で買った大きな氷塊を入れ、下の段に食料品を入れておくと、氷の冷気が下に降りてきて食料品を冷やす仕組みになっていたのだ。

聡明な諸氏にはもうお解かりであろう。電化製品を語るときに注目すべきなのは、「化」と言う文字である。つまり電化製品とは、もともとは電気式じゃなかったものが、電気化された製品と解釈すれば解り易いのではなかろうか。上述の話に当てはめるなら、電気洗濯機、電気掃除機、電気冷蔵庫などが該当する。そして、それらこそが電化製品と言えよう。
対して電気製品は、パソコンや電子レンジのように、初めから電気で使用することを前提として作られた製品ということになる。テレビもまた電気製品であって電化製品ではない。何故ならばテレビは紙芝居を電気化したものではなく、電気ありきで発明された商品だからである。

結論を言えば、電気製品と電化製品と言う二つの用語を、一緒くたにして同じ意味として使用してはならないと言うことである。電と電、つまりの違いなのだが、これを混同したらどうなるか。そう気化してしまうのである。気化と言えば蒸発沸騰。うむ、次なる疑問は…。


【今更ながら蛸(タコ)と烏賊(イカ)】

2018年07月20日 | 雑感・思考・追憶・回想

電気なくしては何も機能しないと言っていい程に、現代社会には電気(電化)製品が溢れ返っている。そこで必要になってくるのが電気を供給する為のコンセントなのだが、壁に組み込まれたコンセントだけでは間に合わずに、あっちの部屋にもこっちの部屋にも、OAタップなどの延長コードを取り付け、複数配線だらけの様相を呈することとなる。
複数配線を海洋生物学的に表現すると、タコ足配線と言うことになる(嘘だけど)。一か所からあちこちに分岐して伸びたコードが、さながらタコの足のようだと言うのが、その名前の由来となっている。つまり見た目のイメージからのネーミングと言う訳だ。

そこで疑問に思われる向きもおられるに違いない。何故タコ足なのかと。イカ足じゃいけないんですかと。足の数から言ったら、タコの八本に対してイカは十本じゃないですかと。イカ足配線の方が、より多くの電気製品が繋げられるイメージじゃないですかと。
否! である。そもそも、そこのところが間違っている。一般的に足の数に関して、タコは八本イカは十本と当然のように思い込んでいる節が見受けられるが、そもそもタコもイカも足は八本なのである。スーパーなどでイカを間近に観察してみるといい。他の足に比べて、ひときわ長い二本の足(のようなもの)を認めることができるに違いない。その二本の足こそは、実は足ではなくて「触腕」と呼ばれる、獲物を捕らえるための「腕」なのだ。

そこのところを踏まえた上で尚且つ、イカ足配線でなくタコ足配線となった経緯(いきさつ)については、もっと確かな理由があるのだ。そしてわたしはその理由を知っている。知ってはいるけど教えない。そうとも。叫びたければ叫べばいい。「この好かんタコっ!」…と。そして己の発した余りにも古臭い言い回しに、「ゲソっ!(下足)」とすればいいのである。
長々と入力していて疲れてしまった。続きはまた明日のブログにでもアップすることにしよう。


【3分と書いてあるなら5分だな】

2018年07月19日 | 生活・飲食・家族・飼犬

最近はどうにも自炊する気になれない。吾ながら物ぐさになったもんだと思う。
自分ひとりで食事せねばならない状況のときは、食べないで済ませることの方が多い。仮に食べたとしてもほとんどが、熱湯を注ぐだけで済ませられる、インスタントのカップ麺類で済ませてしまっている。味気ないけど止むを得ない。なんせ手間隙かけたくないのだから。

カップラーメンやカップ焼きそばなどは、大抵熱湯3分と表示されているが、3分と書いてあるなら、わたしの場合5分待つ。麺類は柔らかめが好きなのだ。ふやける一歩手前というか。
決して歳のせいではない。歯はまだ硬いものを噛む位の、咬合力に耐えられる状態にはある。


【犬もへたばる酷暑かな】

2018年07月18日 | 生活・飲食・家族・飼犬


気象庁では予報用語として2007年以降、一日の最高気温が35 ℃以上の日のことを「猛暑日」と定義している。連日の天気予報では、熱中症とか危険な暑さとか、猛暑とか酷暑と言った言葉を聞かない日はない。暑さのせいでお年寄りや子どもが命を落とすとあっては、由々しき事態だ。

熱暑、厳暑、蒸暑、炎暑、激暑、旱暑、甚暑、極暑、溽暑、猛暑、酷暑、烈暑などなど、暑さを表現する言葉にも色々あるが、如何せん、どんな言葉を使おうとも結局は、頗(すこぶ)る暑いということに尽きる訳で。かと言って自然現象ばかりは「智所能及」と言わざるを得ない。


【いかの缶詰だけは別格】

2018年07月17日 | 生活・飲食・家族・飼犬

ふだん缶詰類を食べることは、ほとんどない。家には一応非常食用にと数種類の缶詰の買い置きがあるにはあるが。ごく稀に、どうにもこうにも腹が減って…、と言ったときに、さんまの蒲焼やいわしの蒲焼の缶詰を開けて食べることもあるけど、基本的に、缶詰類がおかずとして食卓に上ることはない。ところが唯一いかの缶詰だけは、ときどき無性に食べたくなる。なぜか昔からいかの缶詰が好きで、ご飯のおかずでもなく、酒のつまみでもなく、それこそおやつ感覚で食べたくなるのだ。そんな時はわざわざ自分で買いに行く。
買い溜めするって程のこともないけど、2、3個まとめて買ったりはする。これほどいかの缶詰が好きなのは、これいかにって位のもんである。


【名鉄杯専用ファンファーレは、パノラマカーのミュージックホーン】

2018年07月16日 | 乗馬・競馬・趣味・道楽

日曜日の中京競馬メインレースは名鉄杯(3歳以上オープン)。名鉄杯は知る人ぞ知る、名古屋鉄道のパノラマカー(特急車両)のミュージックホーンが、専用ファンファーレになっており、競馬場内には、名鉄7000系パノラマカーも展示されている。

夏競馬はどうも当たる気がしなくて、予想する気力も購入意欲も湧いてこない。それでも観戦料のつもりで、3連複をちょっとだけ買ってみたら当たってた。
そうか、3連単は7万も付けたか。もう少し真剣に予想すれば良かったかな。

7月15日(中京)名鉄杯
1着 16 ラインルーフ   (3番人気)
2着 10 コパノチャーリー (4番人気)
3着 11 ローズプリンスダム(6番人気)
3連複 10-11-16  16,350 円(的中)



【羽化する途中で落下して(させて?)しまったアブラゼミなれど】

2018年07月15日 | 自然・生物・植物・園芸

夕方庭木に水遣りをしているときに、ヤマボウシの葉っぱに何やらぶら下がっているのが目に留まった。ゴミでもくっついてるんだろうかと思いつつ、何気なくホースの水を掛けてやったところ、その何かが落下するのが見て取れた。傍に近付いて覗き込んでみれば、何と幼虫から成虫へと羽化する途中のアブラゼミだった。水圧で葉っぱに引っ掛かっていた脚が外れてしまったのだろう。緑色の羽は、まだ小さく畳まれた状態のままだ。

暫く眺めていてもピクリとも動かない。まさか志半ばで力尽き死んでしまったのかと思いつつ、指でそうっと摘み上げてみると、急に激しく脚を動かし始めた。おお、まだ生きておったかと、近くの草花の葉の上に戻しておいてやった。恐らく畳まれた緑の羽は、このあと徐々にまっ直ぐに伸びていき、やがて濃い茶色に変化していくのだろう。そして夜明けと共に飛び立って行くに違いない。その短い命を全うするために。

ふと、林芙美子の短詩が脳裡をよぎった。「蝉の命は短くて騒がしきことのみ多かりき」と…。
(註)正しくは「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」ですからね。