加薬飯

日々雑感 ときどき雑記 愚だくさん

【硬派には違いない】

2009年09月30日 | 未分類
わたしは生まれながらにしての硬派なのだ。自分で言うんだから間違いない。であるから「本宮ひろ志」の「硬派銀次郎」の愛読者であったりもしたのだ。そこに自分の姿を重ね合わせていたのであるな、つまりは。

背中が痒いときにはどうするのか。掻くに決まっている。でなければいつまでも痒いままでいなければならぬ。それはちと我慢しきれないではないか。

うぁっ背中が痒い。痒いぞ。痒くてたまらん。掻かねば。背中に手を、手、手が、手が届かん。痒いところに手が届か~ん。あぁぁぁ…何という身体の硬さだ。自分の背中が掻けないなんて。上から伸ばしても、下から伸ばしても、手が届かん。こんなに身体が硬くなってしまっているとは。ぅ~ん、硬い、硬いぞーーーーっ。


【人は水でできている】

2009年09月29日 | 未分類
人体の凡そ2/3は水分という。その真偽のほどは知らないが、脂肪成分量は人によって異なるので、厳密な水分量には、個人差があるとしても、5割以上は水分が占めるという事にはなるのだろう。

人体の多くが水分でできているとして、ヴェロニク ヴィエンの言葉で、なるほどと思うものがあるので、以下に引用してみたい。

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 何かに突き当たると、
 水は逆らうことなく流れを変えます。
 行く手を遮るものがないときでも、
 水はさまざまに回り道をします。
 わたしたちの体を構成するいちばん多くの要素が
 水であることを考えるなら、
 わたしたちにも同じ性質が備わっているはずです。
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【言技(ことわざ)字典 三六】

2009年09月28日 | 未分類
 
【聞いて! 極楽見て遅刻!】
 
ねぇねぇ聞いて、昨日の深夜番組に「極楽とんぼ」の加藤が出てて、ついつい夜更かしして見てたもんだから、今朝寝坊しちゃって…。結局電車に乗り遅れちゃって、学校遅刻しちゃった。校門のところで学年主任のマツモトにつかまって、指パッチンくらって、もう、最ィ悪ゥ~。
(原典:聞いて極楽見て地獄)


【い~し~まきまき】

2009年09月27日 | 未分類
水槽に入れるものは何も魚類だけとは限らない。水草を楽しむもよし、海老や貝類を飼ってもいいし、爬虫類を飼育している人も多々ある。

写真はふたつ並んだ石巻貝。言ってみれば、水槽の中のコケ取り職人なのである。石巻貝は、ひっくり返ると、自分では起き上がれなくて死んでしまうので、時々ひっくり返っていないか、監視してやらねばならない。

ただやっかいな事に、なぜか全個体数揃って確認できた試しがない。仮に5個水槽に入れたとすると、必ず1個か2個、どこにいるのか解らない。次に確認するときにも5個は揃っていないが、明らかに前回と違う個体が確認できる、と言った具合なのだ。

こいつらが水槽のガラス面に張り付いている時など、見るからに頑丈そうな二本の歯舌が「明石家さんま」を思い起こさせて、なんとも愛嬌のあるアクアメイトなのである。

【見てござる】

2009年09月26日 | 未分類
信楽焼で有名な信楽町を訪れた際にも、狸の置物などにはいっさい目もくれなかったわたしであるが、なぜか数年前に西尾市の「憩の農園」で見掛けた狸の焼き物の醸し出す雰囲気が、いたく気に入ってしまい、思わず衝動買いしてしまったものである。

以来わが家の庭の片隅に、ずぅっと鎮座し続けている。ときどきふっと目が合うと、なぜか気持ちが和んでしまうのは何故だろう。ひょっとして化かされているのか?


【再び熱く語ってみる】

2009年09月25日 | 未分類
テレビのトーク番組など、出演者によっては、見ていてストレスを覚えることも間々ある。
以前少し触れたテーマではあるが、特に若い女性タレントの「わたし○○○人だから」的発言には、思わず「なぁにが……だから、だ」と呟いてしまう。
「私、朝食たべないから」で済むところを、わざわざ「私、朝食たべない人だから」とした途端に、その人物に対する好感度は、ジェットコースターの如く急降下する。

自身のことを語るのに、わざわざ「人」を介入させる必要などない。「私、料理できない人だから」などとせずとも、「私、料理できないから」で十分である。どうしても入れたいなら、「私、料理できない人間だから」とすべきであろう。「彼は優しい人だから」のように、「人」は他人に対して使用するものである。

仮にわたしが採用担当面接官だとして、応募の女子学生なんかが、
「はい! わたし誰とでも仲良くできる人ですから!」
などと明るくキッパリ答えでもしようものなら、その場で即時、不採用の意思決定をしてしまうことだろう。

「人」と「人間」とを、よくよく見比べてみて欲しい。
自身のことを「人」と表現することは、つまり「間」が抜けているのである。


【漂流願望】

2009年09月24日 | 未分類
宮崎海岸沿いに伯母(故人)の家がある。もちろん九州の宮崎ではなくて、幡豆郡吉良町の宮崎海岸である。その伯母の家から、ちょうど真ん前に梶島(現在は無人島)が見える。
梶島といえば、身入りが良くて肉厚のアサリが有名であるが、事実、梶島で捕れたアサリは、甘くてぷりぷりで、すこぶる美味である。アサリの酒蒸しでもしようものなら、わたしなど特大の土鍋一杯、一人で平らげてしまうほどに旨い。

子どもの頃には毎年夏休みになると、海水浴やら魚釣りに一週間ほど泊りがけで行っていたのだが、その視界には常に梶島があった。
文学少年?だったわたしは、「ロビンソンクルーソー漂流記」や「十五少年漂流記」「家族ロビンソン」などの影響を受けていて、沖に浮かぶ島影を眺めながら、「あぁ、あの島まで漂流して冒険がしてみたい」などと心ときめかせていたのである。…島まではわずか1km余りの距離なのだが。

あれから数十年たった今、くたびれ親父と化したわたしは、相変わらず邪悪な夢想に耽りながらも、プカプカと人生の波間を漂流している。 (続く)


【明日ありと思う心の仇桜】

2009年09月23日 | 未分類
『夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは』と、続く。
(親鸞聖人が九歳の時に詠んだ歌とされている)

明日はどうなるか解らないから、頼みにしてはいけない、と言った意味に解釈されている。簡単に言ってしまえば、今日できることは明日に延ばすなといった事だろうか?

それよりも「……ものかは」でふと、「きもかわ」なる言葉を思い出した。
キモいけど可愛い。キモくて可愛い。「キモカワ~~」らしいのだが、わたしは焼き鳥の「かわきも」の方が好きだ。


【何故か醒めてる自分がいた】

2009年09月22日 | 未分類
ときには気分転換も必要である。気持ちが燻っている時など特に、まるっきり違う方向に意識を向けてやることで、気持ちが切り替えられることもある…かも知れない。

およそ1年振りに電話投票をしてみた。日曜日阪神第10レースのローズステークス。三歳牝馬 18頭による、秋華賞優先出走権を賭けての闘いである。
とは言っても、ここ1年いっさい競馬は見ていないので、知っている馬は一頭もいない。皆目見当もつかない状態ではあるが、しかし、元々わたしの予想スタイルは、馬柱(データ)分析が8割以上を占めるため、とりあえず新聞さえあればこと足りる。

単勝 1.1 倍のダントツ一番人気のレッドデザイアは対抗(○)に留め、10番人気のクーデグレイスを本命(◎)に抜擢した。単穴(▲)は5番人気のブロードストリートとし、他に連下(△)候補として3頭を選び、◎○を2頭軸とした▲△4頭への3連単マルチ流し。24通りになる買目に 100円ずつ、しめて2400円の投資をしてのテレビ観戦である。

結果は、▲を打ったブロードストリートが勝って、○とした一番人気馬レッドデザイアが2着。◎に推したクーデグレイスは何とか3着を確保し、マルチ買いの3連単が的中した。100円が、98,420円の高配当となって口座に払い戻される。

「まだ勘は鈍っていないぞ !! 」などと自惚れる前に、以前のような気持ちの高揚が感じられないのは、やはり人生観の変化によるものだろうか。勝っても負けても無心に競馬を楽しんでいられた頃が、なぜか無性に懐かしい。


【義理と褌(ふんどし)】

2009年09月21日 | 未分類
とうとう叔母も逝ってしまった。先週の土曜日(9月12日)の早朝に亡くなり、翌日曜日が葬儀だった。仕事に影響が出ないようにと、長年会社を取り仕切ってきた叔母らしい逝き方である。冥土でまた、お袋と仲良くやって欲しい。(敬弔)


年を取れば取るほど人は、ことあるごとに「冥土の土産」という言葉を口にするようになる。
解釈が紛らわしいが、「冥土の土産」は冥土で生産・販売されている土産物のことではない。もしそうであれば「メイド イン 冥土」と言うことにでもなるのであろうが。

「冥土の土産」とはすなわち「冥土への土産」である。冥土へ出かける際に持参する土産物であって、それを用意することによって、人は安心して冥土へ旅立つことができるというもの。
老い先短い人ほどいろんな場面で「冥土の土産に」と、あれもこれもとリストアップしたりする。

なぜに冥土への土産が必要なのか。つまりは、どこへ訪れるにも手ぶらで行っては、失礼にあたるという配慮によるものであり、それが世間の義理というものである。高齢者であればあるほど「義理と褌は欠かされぬ」という格言が身に染み込んでいるからに他ならない。


【言技(ことわざ)字典 三五】

2009年09月20日 | 未分類
 
【危ない端を渡る】
 
国道とは言っても名ばかりで、谷側は断崖絶壁だというのに、ガードレールも設置されていない。おまけに道幅も狭く、乗用車二台がすれ違うのがやっとである。谷側を走っているこっちとしては、対向車とすれ違う度に、道路の端すれすれに車を寄せねばならず、いくら徐行しているとは言っても、ヒヤヒヤものである。
(原典:危ない橋を渡る)


【言技(ことわざ)字典 三四】

2009年09月19日 | 未分類
 
【茶花も行っとき!】
 
花嫁修業だなんて言って料理教室に通うのはいいけど、本当は美味しいものが食べたいだけなんじゃないの? まあ確かに、料理ができるってことは大事なことだから、やっといて損はないけど。だったらついでにお茶やお花も行っといたら?
(原典:茶腹も一時)


【将来の夢は忍者になること】

2009年09月18日 | 未分類
子どもの頃、将来何になりたいかと問われて、「忍者!」と答えていた時期がある。今でも、一番好きな漫画をひとつだけ挙げろと言われたら、迷わず白土三平の『カムイ外伝』だろう。その『カムイ外伝』が実写版として9月19日に公開される。是非とも観てみたい。

映画「カムイ外伝」の公開を記念して、マルKに「忍のにぎり」という商品が置いてあった。すかさず手に取りレジに向かう。忍びの者は素早くあらねばならぬ。一瞬の躊躇が食いっぱぐれることにもなりかねないのだ。
どうやら期間限定販売のようであるが、巡り会えてよかった。たとえ一度だけであっても食しておかねば、忍びの者として一生の不覚となるところであった。

黒米に黒ごまをかけたおにぎりと、麦飯に辛味噌をつけたおにぎりの2個セット。他に牛蒡とサーモンと鶏肉のおかずが少々ついて335円であるが、値段などどうでもよい。忍びの者は一切の感情を持ってはならぬのだ。
はなから味に期待などない。忍びたる者、粗食に甘んじなければならぬ。美食などして体重が増えでもしたら、素早い動きができぬではござらぬか。

黒米黒ごまにぎりを食してみる。フッ、フフッ、……。次なるは麦飯辛味噌にぎりである。フフフッ、……マ、マズくない !!! ど、どうしたことだ。このピリピリのピリ辛味噌と麦飯とのコラボレーションの見事さは! いかん、いかん。このような美味しい思いをしてはならぬ! 下忍として生きる道を選んだ拙者に、このような贅沢は、スッ、ス敵だっ!

余談になるが、調子にに乗って会社のPCの壁紙を「カムイ外伝」にしてみた。うむ、身が引き締まる思いであるっ。クフッ…。


【花は花でも、えびの花】

2009年09月17日 | 未分類
どうしてバレたのか不思議だ。内緒にしておいた筈なのに。ガブリエルやドミニクらと共に、エリーヌに豪華ディナーをご馳走になったことが、いつの間にかSのM子とMのS子に知られていた。
他のメンバーにも堅く口止めしておいたので、秘密が漏れることは考えづらい。密告者がいるとしか思えない。そう言えばメンバーの一人が、内部告発的なことをブログっていると言う噂を、過去に聞いたことがある。もしや…。

やれズルい、差別だ、エコヒイキだの、腹が出てるの、親父だの、素敵だのと、悪口雑言は留まるところを知らない。嫁と姑の関係にあるS子とM子は、こういう時だけ固く結束したりする。
自分だけビミしい思いをして! 同じ部下でありながら、シドい仕打ちだ、人でなし! と、その時の都合によって部下になったり娘になったり女王様になったりするM子は、なおも詰め寄る。

そのまま放置しておけば最低でも向こう半年間は、チクチクと責め苛(さいな)められるのは目に見えている。純粋で傷つきやすいわたしにはとても耐えられない。き奴らの怒りを鎮めるために、花でも贈ろうか。いや、どこからどう見ても花より団子、色気より食い気と言った連中だ。ここはやはり、餌を与えて黙らせる手か。M子の嫌いなナマモノでも食わせて黙らせるしかない!
最近情報を仕入れたばかりの「食事処 えびの花」へでも連れていってやろうか。もちろん名目は、母となって帰ってきたヒチャエの復帰祝いに決まってる。お主らが主賓になるには、10年早いわ! ふんっ …。


【働く重機】

2009年09月16日 | 未分類
連日、お隣の工事現場の振動が伝わってきて、椅子に座っていると、軽くマッサージ機に掛かっているかのような微震を尻に感ずる。事情を知らなければ、すわっ、地震かと身構えるところである。

それはさて置いても、色んな種類の重機が、エンジン音を響かせて活動している光景は、こども時代の玩具に対する憧れを彷彿させて、見ていて楽しい。作業している当事者たちは、大変なんだろうけど。