20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
毎日更新。児童文学情報・日々の暮らし・超高層からの眺望などニュース満載。

病院選びの大切さ

2024年03月23日 | Weblog
           

地域のことを、何年住んでいても覚えない私は、お買い物で、行列を並んでいたり(八百屋のお姉さん)、カーブスなどで、いろいろな地域の情報収集をします。

以前は、皮膚科は、ネットで調べると、バスに乗って遠くまでいかないとありませんでした。
ある時、湿布で肌荒れができた時に、いったのです。

ところが、カーブスでどなたかに伺ってみたら、なんと近くに皮膚科の名医がいたのです。サプリメントを飲み過ぎて、手のひらが痒くなった時に行ったりしていました。

一番、最悪なのが、近所の病院。
ここにお引越ししてきて、そこしか知らなかったので「風邪?」と思えば、そこへ。
お腹がしくしくするので、腹部エコーを取ってもらいに行ったら
「チョコレート嚢胞です。うちは婦人科がないので、婦人科がある病院にいってください」と。

当時は、ネットはなかったので、厚い電話帳で調べ、婦人科のある大きな病院に行きました。
婦人科の、ベテランの女医さんが、エコーで調べてくださって、
「チョコレート嚢胞なんて、ありませんよ。単なる子宮筋腫です」と。
そしたら途端に、しくしくも消えました。子宮筋腫があるのは、婦人科検診で知っていましたから。(今はもう、消滅しましたが)

そういえば、お引っ越してきて2ヶ月経った時、当時、小6だった娘が熱が出てだるそうなので、近所の、その病院に連れて行きました。
レントゲンを撮って、お年寄りの院長先生が、そのレントゲンの画像を見て
「ここに、細くて白い糸のような3センチくらいのが、微かに写っていますよね。これは肺炎かもしれません」
と、言われ、肺炎という言葉に驚き、すぐに入院になりました。

ところが点滴を打っていただいて、その日の夕方には熱が下がり、食欲も出て、お夕食も全部、好きなものを食べました。

元気になった娘は、昼間は手持ち無沙汰。
そして午後になると、まだ出会って、二ヶ月しか経っていない、地域の小学校の同級生が、ゾロゾロお見舞いに来てくれ、それだけが娘の気分転換でした。

スマホもない時代。娘も午前中は、ベッドで暇を持て余していました。
夜、帰る時は、
「リビングの間接照明のところで、8時になったら、病院のベッドに向かって手を振るわね」
毎日、約束して、手を振りました。お互い、顔などの様子は分かりませんが、見守っているからね、という合図でした。

すっかり元気になって、3日ほどが経ちました。
でも、一向に、退院の話が出てきません。

こんなに元気になったのに、いつ退院させてくれるのかしらと、思って、看護師さんに聞いてみました。

「朝晩、検温してもずっと平熱だし、もうすっかり治っていますものね。先生に聞いてみますね。この個室の差額ベット代、一日5万円ですし」と。
差額ベット代という言葉を、その時、初めて知りました。
その個室代が、3泊しているから、15万円。
なんだかなあと思っていたら、やっと退院許可が出ました。

そうした話は、同じ病院で、私もストレスで軽い十二指腸潰瘍になり、大腸内視鏡、胃カメラをして、十二指腸潰瘍と言っても、一瞬、出血した程度。もうすっかり出血も止まっているし、帰っても大丈夫です。と担当医に言われたのに、

婦長さんが、やってきて、「もう一泊して行きませんか?」
栄養士の方が、「ご飯を召し上がって行きませんか?」と、次々と、病院内に留めておこうとします。

心の中で「旅館じゃないんだから」と思いつつ、「帰ります」と言いました。

数年前、昔のカーブスでご一緒だった方と、骨折後の、腕の拷問リハビリに行っていたクリニックで、ばったりお会いしたら、その方が杖をついて、足を引きずっています。
「どうなさったのですか?」
と伺ったら、
「大腿骨骨折をしたんです。もう半年経ちます」と。

「救急車で、あの病院に運ばれたんです。そしたら、手術の日は週に一回。前日、終わっているから、来週手術と言われ、術後、三ヶ月目には、自分で退院を申し出たら、病院は渋りながら、リハビリはこちらの病院でしています。入院したままで、リハビリもやれる。と、引き止められましたが。あそこに救急車で運ばれた時、もう、人生、おしまいと思いました。あそこは高齢者は、死なないと退院させないという噂の病院なんです」と。

コロナ感染が広まり、肺炎の画像が、テレビなどに出てきて、流れます。それをみて、昔の娘の「肺炎」の映像が瞼をよぎります。

小6だった娘は、3センチの細い糸のようなものが、微かに1本、見えるだけでした。
今でも画像をしっかり覚えています。
それを「肺炎かもしれない」と、入院させられ・・・。

でも、よく考えたら、院長先生は「肺炎です!」と断定はしなかったです。
「かもしれない」とおっしゃっただけです。
でも親の気持ちは、肺炎という言葉を聞いただけで、ドキドキして、不安になり・・・。
そして、適切な薬を点滴で入れてくださったおかげで、たちまち治ったのだと思いますが。

私の十二指腸潰瘍の時も、帰ってもいいですと、担当の先生に言われたのに、もう一泊しろ、ご飯も食べて行けと・・・。

ああ、そういう病院だったのか、と、その方の話は、いろいろ合点のいくことばかり。

その病院が、コロナで入院させた患者が多かったようで、国からかなりのお金が降りたようです。5階の本館の隣に、新しく大きな建物が建ちました。ビックな病院になっています。救急車が年中、入ってきています。
もう、なんだかなと・・・。

その病院とは別のクリニックですが、前を通りかかると、いつもクリニックの中は平日でもいっぱい。外で待っている人もいます。

八百屋のお姉さんのところで並んでいる時に、後ろの人に「あそこのクリニックは、すごく評判のいいクリニックなんですか?いつも患者さんで溢れていて、大人気みたいで」と、聞いてみたら、
「あそこは、すぐ注射なんです。なかなか治らないと、またくるようにと、まるで鎖のように繋がれていくクリニックなんですよ。点滴、注射ばかりで」

私は、引越ししたばかりから「すわ病院」、というときに、必ず行っていた、件の病院に懲りて、必死で、他のクリニックを探しました。

そして、いい先生を見つけました。

           

甲状腺嚢胞ができたときも、まだ若かったY先生(上のご著書に、お名前が書いてありますね)は、不安そうな私に、
「良性の嚢胞です。お水を抜けば治ります」と、甲状腺の専門の先生のいる知り合いのクリニックを紹介してくれました。

児文協の仲間たちと、神楽坂にいるとき、突然、倒れて、救急車で、飯田橋の関東逓信病院に運ばれたことがあります。
すごい頭痛のする日でした。
いろいろ調べてくださって「迷走神経反射です。あまり気遣いをし過ぎないようにしてください」と言われ、そのまま、帰りました。

念の為、翌日、そのY先生に、診察していただき、前日の話をしたら
「僕も、逓信病院の先生と、同じ見立てです」と。
その迷走神経反射。ひどい頭痛がなくなるのに従い、あれから一度も起こしたことはありません。

秩父の父からは「60を過ぎたら、頭痛が軽くなる。他の病気の検査をして、心をそっちに向ければいいだけだから、気に病むことはない」と言われました。

そのY先生が、埼玉の三郷団地のクリニックの院長になって、移ってしまいました。

それで、今は院長先生にお世話になっています。院長先生も大好きです。
でも、院長先生もなんと言っても、もうお年。
リタイヤされたら、次にY先生が、また戻ってきてくれないかしらと、微かな期待を持っているところです。

ですから、私は、いい先生を見つけて通っているし、骨折した時は、夜の10時ごろでしたが救急車などは呼ばず、都立病院の救急救命外来に行って、レントゲン、CT検査をして、すぐに手術していただきました。
3週間も入院せずに、退院後は、公園を、腕のリハビリに行くために歩いていました。

これから団塊の世代が高齢化して、病院に通う人が増えます。

そんな時、自らの選択で、「大きく、有名な病院」とかではなく、地域の人たちの評判を聞いたりしながら研究し、患者の立場に立って、診察してくださる病院を選ぶことが、自分の命を守る、大切さにつながっていく時代なのかもしれません。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 寒さ暑さも彼岸まで | トップ | メガネ鉛筆 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事