20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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附設研究会

2008年05月26日 | Weblog
 猛烈に忙しかった一週間が終わりました。
 頭痛に悩まされることもなく、どうにか元気に乗り切ることが出来ました。

 昨日は附設研究会でした。
 日本教育会館の会議室が満席になるくらいの盛況ぶりで、たぶん80名近い人たちがお集まり下さったと思います。
 パネラーの高木さんはデーターを交えて出版の実情を。広瀬恒子さんはいまの出版動向は絵本とヤングアダルトに二分化されているというお話を。
 また、ひこ・田中さんからは、いま児童書の「先っぽ」で書いている人は、「いまの子どもたちが考えていることを、言葉化、物語化している」というお話をうかがいました。
 
「児童文学はどこへ向かうのか」
 児童文学の枠組みのゆらぎはは2000年あたりから一気に加速してきたようです。そのきっかけは「ハリーポッター」現象だったそうです。
 いわばそれは「文学と児童文学」の相乗り現象と言えるもののようです。 そんなご発言に続き、広瀬恒子さんはさらに、こう述べられました。
「枠組みは揺らいでいるが、児童文学が児童文学たる所以はなにか。子どもが生きている現実、あるいは現状をどう認識するか。そこがブレているのではないか。そこを明らかにしていく必要があるのでは。その場の独自性を突きつめていく。そのとき、問われるのは、どういう状況なのかを見る目。それはあわせて子どもは変化しているのか、あるいは固有なものなのか、そのあたりとも繋がっていく」
 また、ひこ・田中さんがご自分の創作姿勢に触れながらの、書くことの大変さ、しんどさを語りつつ、「児童文学という概念をもういちど捉えなおす。80年代に「解体する児童文学」、ボーダレスという言葉が広まっていったが、いまは児童文学といったら絵本とヤングアダルトだけといっても過言ではない。中学年、高学年あたりの作品がごっそりぬけてしまっている」などのご意見も述べられ、はっといたしました。
 書く側にとって、「児童文学」とは、がわかりずらくなっている、言葉をかえれば、共通にわかりやすいテーマがなくなりつつある。
 そんなわかりにくさのなか、逆にいうとチャンスは広がっているのではという、ひこ・田中さんの発言も印象に残りました。
 
 総じて申し上げると、現在、実際の社会においても大人と子どものボーダーラインがなくなっている。いままで児童文学は成長物語を踏襲してきた。しかし、その枠組みにはもはや安住できない。いままでの枠組みでは成立しないという覚悟を決める。子どもの物語で括る子どもの物語が、前以上に必要になってきている時代なのではないか。
 そういった、決していまの子どもの本の現状をネガティブに捉えるのではなく、前向きに「今の」子どもを、子ども総体を捉える努力をし続ける手法を模索する必要性を語られた研究会だったような気がします。
 
コメント (5)
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