「日本画の教科書 東京編」 山種美術館

山種美術館
「日本画の教科書 東京編ー大観、春草から土牛、魁夷へ」 
2/16~4/16



山種美術館で開催中の「日本画の教科書 東京編」の特別内覧会に参加してきました。

明治以降、近代の日本において、主に東日本、ないし東京を基盤に活動していた日本画家がいました。

いわゆる東京画壇です。例えば橋本雅邦に横山大観。もちろんその門下の画家らも多数存在します。

はじまりは東京美術学校でした。明治22年に開校。岡倉天心が校長を務め、橋本雅邦らの指導の元、横山大観、下村観山、菱田春草らが学びます。その後、天心と門下の画家は東京美術学校を離れ、日本美術院を創設しました。


橋本雅邦「日本武尊像」 明治26年頃 山種美術館

明治前期の院展系の画家は歴史画を多く描いています。一例が橋本雅邦の「日本武尊像」でした。矛を持ち、陽の下で勇ましく立つのが日本武尊です。まさに堂々としていて力強い。雅邦は元々、狩野派に学んでいました。その足跡は背後の松や岩の山水表現に見られるかもしれません。

天心の「空気を描く工夫」に応じたのが大観や春草でした。輪郭線を描かず、絵具をぼかしては、大気や水を表していきます。朦朧体です。しかし当時の画壇にとっては批判の対象でした。いわゆる朦朧派として揶揄されます。


菱田春草「釣帰」 明治34年 山種美術館

菱田春草の「釣帰」はどうでしょうか。ぼかしで雨や霧を表現しています。ちょうど漁夫が仕事を終えて戻る場面です。静けさに満ちています。春草らは批判を受けても朦朧的な作品を作り続けます。そう簡単に自らの信念を曲げることはありません。


渡辺省亭「月に千鳥」 明治〜大正時代 山種美術館

都内での初の回顧展が話題の渡辺省亭も2点出展中です。1つが「月に千鳥」でした。満月の下と千鳥が3羽、空に向かって羽ばたいています。筆が細い。鳥の羽や脚も丁寧に描いています。月の何割かは薄雲に陰っていました。自然の一場面を素早い筆触で切り取っています。


渡辺省亭「葡萄」 明治〜大正時代 山種美術館

より緻密なのが「葡萄」でした。カゴの中には葡萄が守られています。紙に包まれているのでしょうか。ネズミらしき小動物が葡萄を囓ろうとしています。ふさふさとした毛並みです。葉には穴も空き、一部は変色していました。この写実です。よほど観察眼、そして画力に基づくのでしょう。さすが省亭です。見事でした。

さりげない一枚にもエピソードがありました。横山大観の「心神」です。時は昭和27年。晩年の84歳の作品です。雲中に突き出た富士の姿を有り体に捉えています。


横山大観「心神」 昭和27年 山種美術館

大観をして「心神」とは魂、そして富士山を指す言葉でした。さてエピソードとは一体、何でしょうか。山種美術館の創立者である山崎種二との関係です。種二が美術館を開設した契機の一つに、「芸術で文化に貢献せよ。」と大観からの勧めがありました。大観は美術館の創設に際して、種二に本作の購入を許したそうです。いわば山種美術館の創立を踏まえた記念碑的作品とも言えるかもしれません。


小林古径「清姫」 昭和5年 山種美術館

小林古径は院展の第2世代です。「清姫」が8点中4点、まとまって展示されていました。謡曲でも知られる道成寺の伝説などを絵画化した連作です。当初は絵巻の構想でした。古径は本作を愛し、何かあった際には持ち出せるよう、常に手元に置いていたそうです。だからでしょうか。一部に痛みも生じていました。それを今回は完全に修復。以来、初めての公開です。額も新調されました。


速水御舟「昆虫二題」 大正15年 山種美術館

速水御舟も同じく第2世代です。ここは何と言っても「昆虫二題」でした。かの有名な「炎舞」の翌年に制作。左が「粧蛾舞戯」です。蛾が光に集まっています。右が「葉蔭魔手」でした。蜘蛛が巣を構えて獲物を待っています。「粧蛾舞戯」が動でかつ陽、ないし集約的とすれば、「葉蔭魔手」は静であり陰、そして広がりを意識しています。さらに金泥と銀泥、または雲母の表現も異なります。全てを対比的に表現していました。


落合朗風「エバ」 大正8年 山種美術館

出展中、最も目立っていたのが落合朗風の「エバ」でした。時は大正8年。再興第6回院展への出品作です。強い緑に彩られた景色です。南国を思わせます。裸の女性が果実を手にしていました。よく見ると後ろには蛇もいます。言うまでもなく旧約聖書の創世記を題材にしています。

ゴーギャンの超大作、「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」を連想しました。確かにフォーヴとも呼びうる色彩感覚でもあります。落合は父がキリスト教徒でした。藤田嗣治とも交流があったそうです。この鮮烈な表現です。目に焼きつくのではないでしょうか。

後半は東京画壇の戦後の展開です。戦争終結後は官展が復活。日展として活動します。山口蓬春や伊東深水をはじめ、東山魁夷や杉山寧、高山辰雄らが作品を発表しました。


東山魁夷「年暮る」 昭和43年 山種美術館

人気の東山魁夷は4点です。まずは「年暮る」と「春静」。川端康成の勧めに応じて、京都の春と冬の景色を描きました。中でも「年暮る」が叙情的です。雪の降りしきる街並みが続いています。見渡す限りの屋根瓦です。ひたすら静寂に包まれています。とはいえ、家屋の窓からは明かりが滲み出ていました。僅かに生活の気配を感じることが出来ます。


左:東山魁夷「緑潤う」 昭和51年 山種美術館
右:東山魁夷「秋彩」 昭和61年 山種美術館


のちに魁夷は、山崎種二のために「緑潤う」と「秋彩」を2点を制作。山種美術館に京都の春夏秋冬の4連作を完成させました。この4点の並び、同館の存在なくては見ることが叶わなかったかもしれません。その意味では貴重な作品とも言えそうです。

院展では安田靫彦、前田青邨のほか、奥村土牛や小倉遊亀らが佳作を次々と生み出します。


安田靫彦「出陣の舞」 昭和45年 山種美術館

桶狭間への出陣の前の信長の強い決意が示されています。安田靫彦の「出陣の舞」です。信長の表情は険しく、所作には緊張感も漂います。小袖や兜の描写にも緩みがありません。


奥村土牛「鳴門」 昭和34年 山種美術館

「鳴門」は私が土牛を好きになった切っ掛けの一枚です。渦を巻くのは鳴門の潮です。水の豊かな質感を引き出すことに成功しています。極めて瑞々しい。薄塗りの絵具を何度も重ねています。まるで絵具が画面から溢れ出るかのようでした。


「日本画の画材」についての資料展示

画材に関する資料展示も見逃せないのではないでしょうか。例えば顔料です。主に6色、それぞれの見本が置かれています。色は上から下へ向かって変化しています。薄くなっているようにも見えます。ただしこれは何も白を混ぜたわけではありません。粒子の粗さが色の濃淡を決定するそうです。また箔や膠に関する紹介もありました。


橋本明治「朝陽桜」 昭和45年 山種美術館

間もなく東京も桜の見頃です。一足先に館内で満開を迎えていたのが橋本明治の「朝陽桜」でした。金地の空間を桜の花びらで埋め尽くしています。本作には元にある作品が一枚あります。橋本が皇居の宮殿の松の間に制作した杉戸絵です。この絵を前にした山崎種二が宮殿に行けない人にも見られるようにと同種の作品の制作を依頼。それによって新たに描かれました。何という心遣いでしょうか。大変に雅やかでした。


左:松岡映丘「春光春衣」 大正6年 山種美術館

みやびといえば、冒頭を飾る松岡映丘の「春光春衣」も同様でした。舞台は古の藤原時代です。桜の花びらが風に舞って散っています。かなり激しい。縦の軸画ながら絵巻を覗くような縦の構図も独特です。琳派の装飾性を伺えなくもありません。


全47件。展示替えはありません。随所に春の息吹を感じながら、明治、大正、昭和へと至る、東京画壇の歴史を辿ることが出来ました。

4月16日まで開催されています。

「開館50周年記念特別展 日本画の教科書 東京編ー大観、春草から土牛、魁夷へ」 山種美術館@yamatanemuseum
会期:2月16日(木)~4月16日(日)
休館:月曜日。(但し3/20は開館、3/21は休館。)
時間:10:00~17:00 *入館は16時半まで。
料金:一般1200(1000)円、大・高生900(800)円、中学生以下無料。
 *( )内は20名以上の団体料金。
 *きもの割引:きもので来館すると団体割引料金を適用。
住所:渋谷区広尾3-12-36
交通:JR恵比寿駅西口・東京メトロ日比谷線恵比寿駅2番出口より徒歩約10分。恵比寿駅前より都バス学06番「日赤医療センター前」行きに乗車、「広尾高校前」下車。渋谷駅東口より都バス学03番「日赤医療センター前」行きに乗車、「東4丁目」下車、徒歩2分。

注)写真は特別内覧会時に主催者の許可を得て撮影したものです。
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