「ミュシャ展」 国立新美術館

国立新美術館
「国立新美術館開館10周年 チェコ文化年事業  ミュシャ展」 
3/8~6/5



国立新美術館で開催中の「ミュシャ展」のプレスプレビューに参加してきました。

アルフォンス・ミュシャの畢竟の大作、「スラヴ叙事詩」が、初めて揃って海を渡り、日本へとやって来ました。


「スラヴ叙事詩」展示室風景

ともかく凄まじいスケールでした。最大で縦6メートルに横8メートルにも及びます。全部で20点の連作です。既にパリやアメリカで成功を収めていたミュシャが、50歳で故郷に戻り、おおよそ17年の歳月をかけて完成させました。


「スラヴ叙事詩」展示室風景

モチーフはスラヴ、ないしチェコの神話や民族の歴史です。一大スペクタクルと呼んで差し支えありません。それにしても何故にミュシャはこれほどの超大作を描いたのでしょうか。その一つにチェコとスラヴを取り巻く政治状況がありました。

1900年のパリ万博です。ミュシャはモミュメントの「人類館」を構想。素描で提案します。しかし実現せず、ボスニア・ヘルツェゴビナのパヴィリオンの装飾を請け負いました。

当時のボスニア・ヘルツェゴビナはオーストリア帝国の支配下でした。バルカン半島を取材のために訪れたミュシャは、そこで「外国の支配を受けている人々の苦しみ」(解説より)を目の当たりにします。またチェコでもオーストリア帝国のゲルマン化政策に抵抗する動きが強くなっていました。いわゆる汎スラヴ主義の影響も受けていたようです。

ミュシャはアメリカへと渡り、スラヴ人のコミュニティーである「スラヴ協会」を結成します。またボストンでスメタナ作曲の「わが祖国」のコンサートを聞き、より強くスラヴのアイデンティティを自覚するようになりました。いわばスラヴの「自由と独立」(解説より)を芸術の立場から推し進めようとしたのかもしれません。アメリカの実業家、チャールズ・R・クレインの資金援助を取り付けることに成功します。帰国後、プラハ近郊のズビロフ城にアトリエを構え、「スラヴ叙事詩」の制作に取り掛かりました。


「スラヴ叙事詩『原故郷のスラヴ民族』」 1912年 テンペラ、油彩/カンヴァス

はじめに描いたのが「原故郷のスラヴ民族」です。舞台は3世紀から6世紀。一面の星空の下に二人のスラヴ人が身を屈めています。後方の隊列が他民族です。既にスラヴ人の土地は奪われてしまったのでしょうか。右上に司祭が浮かんでいます。戦争と平和の擬人像に支えられていました。戦争の終わりを願っている姿だそうです。空想と現実が交差します。このファンタスティックな世界も「スラヴ叙事詩」の大きな魅力といえるかもしれません。


「スラヴ叙事詩『ルヤーナ島でのスヴァントヴィート祭』」 1912年 テンペラ、油彩/カンヴァス

2枚目の「ルヤーナ島でのスヴァントヴィート祭」も同様ではないでしょうか。場所はバルト海沿岸のアルコナです。下半分が祭りの描写でした。多くの人々が宴を楽しんでいます。一方で上に表されたのがスヴァントヴィート神です。大地の収穫の神でした。よく見ると鎖で繋がれた虜囚もいます。左上からやってくるのがゲルマンの戦神です。剣を手にしています。スラブの厳しい未来を暗示するための存在でしょう。結果的に1168年、アルコナはデンマーク王の侵攻により占領されてしまいます。神殿も焼かれました。


「スラヴ叙事詩『スラヴ式典礼の導入』」 1912年 テンペラ、油彩/カンヴァス

「スラヴ叙事詩」のうち特に優れているのが最初の3枚とも言われています。3枚目に当たるのが「スラブ典礼の導入」でした。時は9世紀です。スラヴ語典礼の使用を認める勅書が読み上げられています。下部右手で紙を広げるのがローマ教皇の特使です。王が座りながら聞いています。右上に並ぶのがスラブ語典礼を支持したロシアやブルガリアの皇帝です。しかし何よりも際立つのは左手前で話を掲げて立つ青年でした。


「スラヴ叙事詩『スラヴ式典礼の導入』」 1912年 テンペラ、油彩/カンヴァス

青年はスラヴ人の団結の象徴です。強い眼差しを正面に向けています。こうした観客を見やる人物が「スラヴ叙事詩」にはたびたび登場します。ともかく途方ないほど巨大な作品です。はじめはどこを見て良いのか戸惑うほどでした。この視線こそが絵の中に誘い込む一つの装置なのかもしれません。いつしか絵に見られている自分に気がつきました。


「スラヴ叙事詩『ベツレヘム礼拝堂で説教をするヤン・フス師』」 1916年 テンペラ、油彩/カンヴァス

宗教改革の先頭に立ったヤン・フスに関する作品も目立っています。一例が「ベトレヘム礼拝堂で説教をするヤン・フス師」です。フスは15世紀頃、教会の「精神的再生」(解説より)を訴えて活動。しかしカトリック側に破門されます。のちに火刑に処されました。つまり殉教者です。チェコでは国民的英雄として尊ばれました。

左手の壇上で演説するのがフスです。力が入っているのでしょう。左手を胸に当て、身を乗り出しています。多くの人々が聞き入っていました。右下の天蓋の下に座るのは王妃です。フスの崇拝者の一人でした。

「クジーシュキでの集会」や「ヴィートコフ山の戦いの後」、それに「ヴォドニャヌイ市近郊のペトル・ヘルチツキー」なども、フスに続く、フス派、ないしフス戦争を主題としています。ただフス戦争などのチェコの歴史は日本では身近とは言えません。それを補うのが音声ガイドでした。スメタナの音楽とともに全20点の解説が余すことなく付いています。今回は有用です。一度、ガイドなしで見て歩き、二度目はガイド付きで鑑賞するのも良いかもしれません。


「スラヴ叙事詩『ヴィートコフ山の戦いの後』」 1923年 テンペラ、油彩/カンヴァス

ミュシャは自身の理想、平和主義の観点から、直接的な暴力、戦闘場面を描くことを極力避けたそうです。「ヴィートコフ山の戦いの後」でも戦争の後の光景を描きました。フス派による十字軍への勝利です。武器を一箇所に置き、野外で感謝の儀式を行っています。中央に立つのが司祭、少し離れて祈りっているのがフス派の指導者です。名はヤン・ジシュカ。「スラヴ叙事詩」に4度も登場します。よほど思い入れが強かったのかもしれません。


「スラヴ叙事詩『ニコラ・シュビッチ・ズリンスキーによるシゲットの対トルコ防衛』」 1914年 テンペラ、油彩/カンヴァス

スラヴの歴史は侵略と被支配の繰り返しです。最も劇的なのが「ニコラ・シュビッチ・ズリンスキーによるシゲットの対トルコ防衛」でした。時は16世紀。ハンガリーです。構図は上下ではなく左右での展開です。前景の黒い影、つまり煙で分割されています。左がトルコ軍でした。一方の右側では人々が逃げ惑っています。チェコ人の総督の妻が、要塞が包囲された際、火薬庫に火を放ったそうです。城壁の一番上に立つのが妻です。その行為によりトルコ軍の進軍は防がれました。


「スラヴ叙事詩『スラヴ民族の賛歌』」 1926年 テンペラ、油彩/カンヴァス

ラストを飾るのが「スラヴ民族の賛歌」でした。中央で高らかに手を広げる男性は国民国家のシンボルです。既に作品が完成した時はチェコスロヴァキアは独立を果たしていました。さらに神話の時代、フス戦争のほか、歴史上の人物をらせん状に配置しています。また「調和の花輪に平和のハト、幸福の虹」(解説より)を描き加えています。民族の独立、平和を志向したミュシャのメッセージが込められているのでしょうか。類い稀な高揚感、ないし祝典的な雰囲気も感じられました。

ミュシャは「スラヴ叙事詩」の全点をプラハ市に寄贈。うち1点(スラヴ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い)を除く19点がプラハのヴェレトゥルジェニー宮殿で公開されました。しかしながら人々の反応は意外でした。若い世代からは保守的との批判も受けます。さらに常設として公開するための美術館の建設も頓挫。第二次大戦後は故郷の近くの町の城に寄託されました。再びヴェレトゥルジェニー宮殿に戻ったのは何と2012年のことでした。


「四つの花『カーネーション』、『ユリ』、『バラ』、『アイリス』」 1897年 リトグラフ/紙 堺市

さて本展は「ミュシャ展」です。何も「スラブ叙事詩」だけではありません。続くのがアール・ヌーヴォーの作品でした。ミュシャを一躍有名にした「ジスモンダ」のほか、「ハムレット」や「トスカ」の宣伝ポスターが並びます。また得意の花と女性を組み合わせた「四つの花」の連作も美しい。甘美な女性が次々と現れました。


「ハーモニー」 1908年 油彩/カンヴァス 堺市

「スラヴ叙事詩」への展開を予兆させる作品が多いのもポイントです。例えば「ハーモニー」です。「スラヴ叙事詩」の制作直前に描かれました。当初はエルサレムの教会のステンドグラスとして構想されたそうです。結果、実現しなかったため、ニューヨークの劇場の装飾として作られました。


「自力」 1911年 油彩/カンヴァス プラハ市立美術館 ほか

「スラブの連帯」はプラハ市民会館の天井画の下絵です。同館の市長の間の装飾をミュシャが担当。カーテンもデザインしたそうです。また壁画下絵には「民族団結の理念」(解説より)が男性の姿に託されています。その願いが通じたのでしょうか。1918年、市民会館はチェコスロヴァキア共和国の独立宣言の舞台となりました。

ミュシャは新国家の紙幣や切手のデザインも引き受けています。後年は「スラヴ叙事詩」への制作へと関心が移りますが、そのための習作なども何点か出ていました。


「1918-1928:チェコスロヴァキア独立10周年」 1928年 リトグラフ/紙 堺市

「スラヴ叙事詩」以外の作品は計80点です。プラハ市立美術館を除けば、ほぼ国内のコレクションでした。

最後に館内の状況です。プレビューに加え、会期第1週目の土曜日に見て来ました。


「ミュシャ展」会場入口

美術館に到着したのは13時頃でした。入場待機列もありません。ただし場内は盛況でした。


「スラヴ叙事詩」展示室風景(撮影可能エリア)

その時に撮影した写真です。既にSNS等で多くアップされていますが、本展は「撮影可能エリア」のみ写真の撮影が可能です。但し動画、フラッシュ、ないし三脚や自撮り棒の使用は出来ません。


「スラヴ叙事詩」展示室風景(撮影可能エリア)

さすがに「スラヴ叙事詩」が撮れることだけあり、多くの方がスマートフォンやカメラを片手に撮影していました。ただともかく作品が大きい上、展示空間も広いため、思ったほど観覧に不都合はありませんでした。「スラヴ叙事詩」に関しては、「撮影可能エリア」の如何を問わず、近づいても、引きでも、好きなペースで自由に見られました。

ただし「スラヴ叙事詩」以降は、展示室自体が狭いこともあるのか、一部作品の前では列も発生していました。

「ミュシャ展カタログ/求龍堂」

ショップでのレジ待ちもありませんでした。但し混み合うことがあるそうです。カタログは地下のショップでも購入可能です。またAMAZONほか市中の書店でも販売されています。



2時間ほど観覧した後、15時頃に再び外に出ると、六本木駅側のチケットブースが30分待ちとなっていました。現在、同館では草間彌生展も開催中です。そちらにも多くの人が詰めかけていますが、チケットブースは共通です。増設もありません。よって混雑していると思われます。

ただチケットに関しては、コンビニやプレイガイドのほか、オンラインでも購入可能です。事前に手配すれば列に加わる必要は一切ありません。

3月の第3週以降、かなり人出が増しているようです。3月19日の日曜日にはチケットの購入のため40分の待ち時間が発生。入場も規制がかかりました。(最大で20分。)今後も混雑に拍車がかかることも予想されます。

*5/30追記
会期終盤に入り、混雑に拍車がかかっています。土日では最大で入場まで120分の待ち時間が発生。平日でも昼間の時間を中心に60分から90分待ちの行列が生じています。行列は夕方にかけて続きますが、閉館近くになっては段階的に縮小されるようです。待機列は館内から屋外へと続いています。


混雑状況については国立新美術館のアカウント(@NACT_PR)がこまめに情報を発信しています。お出かけの前にチェックしておくのが良さそうです。



今世紀中に再び「スラヴ叙事詩」が日本で見られる機会はあるのでしょうか。まさに一期一会の展覧会と言えそうです。



6月5日まで開催されています。おすすめします。

「国立新美術館開館10周年 チェコ文化年事業  ミュシャ展」@mucha2017) 国立新美術館@NACT_PR
会期:3月8日(水)~6月5日(月)
休館:火曜日。但し5月2日(火)は開館。
時間:10:00~18:00
 *毎週金曜日は20時まで開館。
 *4月29日(土)~5月7日(日)は20時まで開館。
 *入館は閉館の30分前まで。
料金:一般1600(1400)円、大学生1200(1000)円、高校生800(600)円。中学生以下無料。
 * ( )内は20名以上の団体料金。
 *3月18日(土)、19日(日)、20日(月・祝)は高校生無料観覧日。(要学生証)
住所:港区六本木7-22-2
交通:東京メトロ千代田線乃木坂駅出口6より直結。都営大江戸線六本木駅7出口から徒歩4分。東京メトロ日比谷線六本木駅4a出口から徒歩5分。

注)写真は報道内覧会の際に主催者の許可を得て撮影したものです。
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