喫茶 輪

コーヒーカップの耳

香櫨園の大澤壽人

2021-12-25 18:53:54 | 宮崎修二朗翁
今日午前中は学文公民館での「宮水ジュニア・将棋講座」の講師でした。
今年最後の教室、頑張ってきました。
帰宅して昼食を急いで食べて、門真まで車で。
久しぶりの高速道路運転。
やはり歳ですね。時速80キロで走るのが限界。
それ以上出すのは怖いです。
ということで、少々疲れました。

今朝の神戸新聞阪神版。
←二段階クリック。
大澤壽人のことが大きく報じられています。。
前にも書いたと思いますが、この大澤壽人は、昔、宮崎翁と関係がありました。
この写真です。

戦後すぐの香櫨園浜での写真。
回生病院の庭です。
壽人は真ん中右の、少し体を斜めにしている人。
新聞の写真は正装ですが、これはラフな格好です。
宮崎翁(当時は当然ながらお若いです)は右端後ろで一升瓶を捧げている人。
これについての話は拙著『触媒のうた』の36ページに載せてます。
宮崎翁の言葉です。
《その病院のすぐそばの浜辺で、多くの文化人を集めて酒盛りを何度かやりました。(略)小野十三郎、安西冬衛、阪本勝、田村孝之介、富田砕花、大澤壽人、牧嗣人などを集めてね。》
「天才作曲家、壽人」の別の面を宮崎翁は語ってくださいました。
ただし、記事では「壽人」のルビが「ひさと」となっていますが、宮崎翁は「ひさんど」と呼んでおられました。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする