喫茶 輪

コーヒーカップの耳

『コーヒーカップの耳』と『触媒のうた』

2017-12-14 13:56:17 | 本・雑誌
フェースブックからの転載。


2年前の今日、鈴木七沖さんがうれしい記事を上げて下さったのでした。
文中の『コーヒーカップの耳』を出したのは2001年。
あれから16年を経た今年、やっと次の本『触媒のうた』を出すことが出来ました。
おそらくこの本がわたしの人生最後の正式出版本となることでしょう。
以下、鈴木七沖さんの2年前のFB

2015年12月14日 ·
【人は人の息づかいを喰いながら生きている】

待ちに待った詩集が出版社から届いた。
封筒を開けると「ウッ…」めっちゃ、かび臭かった。
2001年2月刊行。本の表面は美しいけれど、
きっと湿度の高いところで眠っていたのでしょう。
長いあいだ。日の当たらない場所で。

作家のドリアン助川さんが紹介されていて、
ちょっと勘が働いてすぐ著者の今村欣史さんとつながった。
版元にも連絡をして、送っていただいた1冊。
私の手元に来た以上、すぐにかび臭さは抜けるでしょう。

よく来ましたね。ありがとう。


「一九四五年夏」

夜中にスコップかついで行くんや。
植えてあるサツマイモ掘りに。
袋いっぱいに詰めて
持って帰って開けたら骨が混じっとってなぁ
そこで 空襲で焼け死んだ人を
よぉけ焼いたんや。
その後に芋植えたんや。
そやから骨がコロコロ混じっとってからに。
気持ち悪いから骨は返しに行ったけど
芋はみんなで食うた。
腹減ってたからなあ。
その秋はきれいなコスモスがよぉ咲いてたなあ。
ええ肥料になったんやろなあ。


作者の今村さんは、中学生のとき、父親の病気のために午前中で授業を早退し、家業の米屋を手伝っていたという。高校へと進学するも1か月で退学。家業に専念する。49歳のときに米屋を廃業して、町工場に経理担当として勤める。3年後に退社。喫茶店「輪」の主人として、今でも日々を生きている……。そんな今村さんが、カウンターごしにお客さまが語ってくれた言葉をそっと紡ぎ、「詩」として再生させた。それが『コーヒーカップの耳』である。


「静かな時間」をもつ日常の中で、「詩」に潜んでいる見えない力がもたらす光明ははかりしれない。私にとって、それは何よりも優しくて、力強くて、温かい。人肌にも似た柔らかさを連れてきてくれるように。

今日の日課がすべて終了したあと、無音の部屋で一人きり、この作品を拝読しよう。ときには音読もいいだろう。今村さんが連れてきた無数の人たちの息づかいを喰ってやろう。

贅沢な時間になると今から思う。

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『ア・テンポ』52

2017-12-14 11:12:45 | 
由良佐知子さんから『ア・テンポ』52号をお贈り頂いた。

この表紙絵いいですねえ。
どなたが描かれた?と思ったら、由良さんでした。彼女はいい抽象画を描く人でもあります。

その由良さんの詩。
←クリック



「やわらかいもの」です。
わたしは詩を読み取る力がないものですから、何度も読ませていただいてやっと朧気にわかりました。

彼女はもう一篇「雨恋」という詩を載せておられます。

  怖いほどに朱い空
  誰がみまかったのか
  禍々しい色彩に
  躊躇する新入りの魂
  斑雲の合間よりふりかえる

  空き家の庭を縦断するドクダミ
  照り梅雨も介せず
  着々と増殖中

  薬の薬効は
  消炎 利尿 腫物に
  退屈な日和に臭気のひと嗅ぎ
  茶を好む人も
  そうこうして
  西空は蚊帳のとばりに

  待って
  待って
  どなたさまも
  逝き土産にお持ちになって
  十薬の花束
  雨乞いに効きましょうか

この詩はわたしでも少しはわかります。

次は梅村光明さんの「石のクロニクル」の前半部分。
←クリック。

詩を紹介するときには本来全篇を上げるべきなのですが、お許しを。
腹の底からしぼり出すような力のこもった詩ですね。
梅村さんはわたしより少し下の世代なのでしょう。
1969年とあります。これは70年安保世代ですね。
わたしは16歳のころに60年安保でした。ちょっと中途半端なのです。

あ、それから、由良さんの散文「中勘助の詩と謎」が適格にまとめられていて良かった。
わたしも最近ちょっと中勘助に触れた文章を書いたので余計に。

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