喫茶 輪

コーヒーカップの耳

クラブ活動

2013-09-09 16:43:25 | 将棋

今学期初めての将棋クラブでした。

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18人います。
今日からリーグ戦の開始です。
途中で負けてばっかりで泣いてしまう子がいました。
「自分には向いてない。次回から辞退します」とパニックに。
子ども時代の谷川名人の話をしたりして、なんとかなだめました。
谷川名人は子どもの時、お兄ちゃんに負けてばかりで悔しくて駒を噛み傷つけてしまったと。そして今、その傷ついた駒が谷川家の家宝になっていると。
誰でも始めは弱いということを。簡単には強くならないものだということを。
簡単に自分の才能を見限ってしまっては親に失礼だと。
さてこの子、次やって来るでしょうか?

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川上のぼるさん

2013-09-09 16:09:17 | 懐かしい話

腹話術の川上のぼるさんがお亡くなりになったと。

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個人的にお付き合いはないが、思い出が。
わたしが子どもの頃、東口公会堂というところで、ラジオの収録だったと思うが、この人の腹話術を見た記憶がある。
子ども心に大変感心したものだった。
後、彼は有名になりテレビでも活躍したのは誰もが知ること。
そして、もっと後に彼は、「川上のぼると大阪ヤロウーズ」というコミックバンドを結成し若い芸人を育てた。
その中の一人に「寺下くん」というのがいて、とぼけた味で人気があった。
その寺下君は、わたしの中学校の後輩だった。浜脇中学校である。
そして、そのお兄ちゃんがわたしと同学年で、番長を張っていた。
単に浜脇中学だけの番長ではない。西宮全市に鳴り響いていた。
一度わたし、校区外でカツアゲに遭ったことがある。その時とっさに「寺下に言うぞ」と言った。
するとその奴らはちょっと驚いた様子で「やめといたるわ」と行ってしまったことがあった。
その番長の寺下君とはわたし親しくはなかったのだが助かったのだった。
そして後に、わたしたちの恩師が市長選挙に立候補したとき、彼も一緒に選挙運動したのだった。
わたしが生涯、一度だけの選挙運動だった。金権候補に負けましたけどね。
その恩師も先年亡くなられたが、学校でケンカがあると、ワイシャツの袖をまくりあげながら仲裁に入る姿を思い出す。ネクタイをなびかせて走ってきて、どんなひどいケンカも一気に終らせておられた。
今日は、一つの死亡記事から色んなことを思い出した。

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