東洋経済ONLINEに出ていた記事より。
若いころ、10代20代は、
やっぱり、自責で考えてみたほうがいいと思うのですよ。
自責はつらいけどねえ。
自分も、若いころに、自責で考えて次の行動を変えていけたことがいくつかあるから、
そのときの貯金でもって、まだ死なずにすんでいる、ぎりぎり生きている、と思っています。
そろそろ限界かもしれませんが(笑)
くりかえしになりますが、
自分の可能性を広げるために、
自責の視点で考えてみること、行動してみること、
をすすめたい。
https://toyokeizai.net/articles/-/424288
===引用ここから
東大生も納得「ドラゴン桜」本質すぎる受験心得
「他人に責任転嫁する子」に東大合格は困難
西岡 壱誠 : 現役東大生・ドラゴン桜2編集担当
<東大合格にいちばん重要なのは「責任感」>
「お前、こいつらを変えたいとか言ってたな。だがそれは間違いだ。糞みたいな人生を変えられるのは自分しかいない。こいつらが自分で目を覚ますしかないんだよ」
昨夜放送された、日曜劇場『ドラゴン桜』第1話では、桜木建二はそう語りました。誰かに変えてもらうのではなく、自分自身がきちんと変わろうとしないと意味がない。逆に、誰かを変えることなんて不可能で、自分から変わろうとしないといけない……これは、受験とか関係なく、真理なのだと思います。
さて、僕は漫画「ドラゴン桜2」の編集を行うにあたって、4年間で500人以上の東大生を取材しました。名門校から東大に首席で合格した学生にも、地方の人口3000人の村から東大に合格した学生にも話を聞きました。
そのうえで感じたのは、東大に合格するためにいちばん重要なのは「責任感」だということです。東大生はみんな責任感が高いんです。桜木が語ったように、自分の人生を自分で変えようとする意識を持ち、誰かのせいにしない「自責」の心を持っている人がほとんどなんです。
一見、受験とは関係ない、この「責任感」という概念について、今日はみなさんにお話ししたいと思います。
突然ですが、僕は偏差値35だった人間です。周りに東大を目指す人なんていなくて、東大生になんて全然会ったことのない人生でした。そういう環境から東大に合格したときに感じたのは、「東大生はなんでみんなこんなに責任感が強いんだろうか?」ということでした。
例えば、サークルや部活でも、何か問題があったときに「お前のせいだ」ということを言うのではなく、みんな「いや、これは自分も悪かった」と語るんです。
失敗に寛容なのかと言うとまったくそんなことはなく、むしろ失敗には厳しいんです。「なぜ、ここでこうできなかったのか」「もっとこうするべきだったんじゃないか」という批判的な目でいろんな物事を見るのです。
でも、その目を向ける先が、他人ではなく自分なんです。「自分がこうできなかった」「もっと自分がこう動くべきだった」と語り、「え、これ、お前のせいじゃないでしょ?」と思うことでも「いや、自分がもっとこうしていれば……」と自分に厳しいんですよね。
人に優しく、自分に厳しい。自分のできなかったところや失敗を自分の責任で考えようとして、なぜできなかったのかを一生懸命考える。そういう学生が多いんです。
<東大生は「自責思考」が強い>
「自責」と「他責」という言葉があります。何か失敗したときに、「自分の責任だ」と考えるか、「他人の責任だ」と考えるか、ということです。
「責任感がある」と言ったときに多くの人が想起するのは、この「自責」のほうではないでしょうか。何か問題が起こったときに「自分が悪い」と考える人や、物事がうまくいかなかったときに、他人の責任にするのではなく自分の責任で考える人は、責任感ある人ですよね。東大生は、この「自責思考」=「責任感」が強いのです。
「責任感と学力って、結びつかなくない?」
「責任感がない人間の、何が悪いの?」
そう考える人もいるでしょうが、責任感がないと「必死さ」がなくなるんです。責任感が強いと、物事に主体的に取り組めます。何か問題があったときに「自分には関係ない」「あいつが悪い」と考えている人って、何かうまくいかなくても「自分のせいじゃない」と言えてしまうから、必死に何かを取り組んだりできないんです。
そしてそういう必死さがない状態だと、「自分の勉強を自分の責任にしない」という状態になってしまいます。
僕は昔、自分の成績が悪いのは「他人のせい」だと思っていました。「先生の教え方が悪い」とか、「自分は頭が悪いのは、遺伝的なものだ。親がそういうふうに産んでくれなかったんだ」とか、「運が悪かった」とか、そんな思考をして、「自分が悪い」と思うことをやめていました。
本当は、自分の努力が足りなかっただけかもしれない。本当は、自分が勉強していなかったから成績が悪いのかもしれない。
でも、そんなふうに自分の責任にする勇気はなかったんです。自分の責任にすると言うことは、誰のせいにもできないということに他なりません。「できない自分」「自分の弱さ」「自分の実力・努力不足」、そういう弱点に目を向ける勇気がなかったのです。
同じようにきっと僕は、勉強以外のことも自分の責任だと思っていなかったんだと思います。何かうまくいかなくても自分の責任じゃない。だから何かうまくいかないことがあっても、平気な顔をして「俺のせいじゃない」と言って、真面目に取り組まない。こういう思考をしている学生は、東大に合格できません。なぜなら、自分の弱点をずっと放置して、成長する機会を逃し続けてしまうからです。
<弱点に目を向けると自分を成長させられる>
弱点って、本当は目を向けると自分を成長させることができる、最強の道具なんですよね。他人の責任にしているうちは気づけないですが、自責をすることができる人間は、どんどん成長することができるわけです。
ドラゴン桜では、こんなコマがあります。
「弱さを知り、強さに変える」
この言葉が象徴する通り、東大生は自分の弱点を知ろうとすることや失敗から学ぼうとする姿勢が非常に強いです。東大でトップクラスの成績を取った医学部の東大生は、「模試の結果が悪かったら逆に喜んだ」と語っていました。
「模試の結果が悪いってことは、自分が改善するべきポイント・伸びしろがいっぱいあるってことじゃん。逆にいい点数ってことは、自分のできないことがわからなかったってことで、受けた意味があんまりないってことなんだよね」
自分の責任として、自分の弱点と向き合う姿勢があるからこそ、彼は成績がよかったのではないでしょうか。逆に僕は、自分の弱点と向き合わなかったから成績が悪かったんだと思います。
<「先生や親が言うから」では馬力が足りない>
東大生が東大を目指した理由というのは非常に多様です。「社会を変えたい」「弱者を救いたい」というような高尚な目的の人もいれば、「アイドルと結婚したい」「東京に上京したい」とか、人によっては低俗だと感じる理由で目指した人もいます。でも、誰もがみんな、「自分がこうしたい」という考えを持って勉強していたという人たちなんです。
逆に、「自分がこうしたい」がない受験生は、最終的に残念な結果に終わる場合があるといいます。予備校の先生に取材すると、「『先生が言うから』とか『親が言うから』とか、そういうふうに語っている学生は、結局最後の馬力が足りなくて受験に落ちる場合が多い」と言っていました。
そういう「誰かが言うから」と言って受験していた人は、受験に失敗しても「他人の責任」にできてしまうんですよね。自分の責任で受験していないから、最後の最後で必死さが足りなくなってしまう、と言うわけです。いかがでしょうか。
「人生を変えられるのは自分しかいない。こいつらが自分で目を覚ますしかないんだよ」
桜木先生のセリフは、誰かのせいにせず、自分の責任としていろんなことを考える必要がある、ということを象徴しているのではないでしょうか。
もちろん、他人のせいにしたくなることもあると思います。自分のせいだと考えすぎて、辛くなってしまうこともあると思います。でもそういうときでも、「ここで自分の責任だと思えば、自分は成長できるかもしれない」と考えることも必要なのではないでしょうか。
===引用ここまで
若いころ、10代20代は、
やっぱり、自責で考えてみたほうがいいと思うのですよ。
自責はつらいけどねえ。
自分も、若いころに、自責で考えて次の行動を変えていけたことがいくつかあるから、
そのときの貯金でもって、まだ死なずにすんでいる、ぎりぎり生きている、と思っています。
そろそろ限界かもしれませんが(笑)
くりかえしになりますが、
自分の可能性を広げるために、
自責の視点で考えてみること、行動してみること、
をすすめたい。
https://toyokeizai.net/articles/-/424288
===引用ここから
東大生も納得「ドラゴン桜」本質すぎる受験心得
「他人に責任転嫁する子」に東大合格は困難
西岡 壱誠 : 現役東大生・ドラゴン桜2編集担当
<東大合格にいちばん重要なのは「責任感」>
「お前、こいつらを変えたいとか言ってたな。だがそれは間違いだ。糞みたいな人生を変えられるのは自分しかいない。こいつらが自分で目を覚ますしかないんだよ」
昨夜放送された、日曜劇場『ドラゴン桜』第1話では、桜木建二はそう語りました。誰かに変えてもらうのではなく、自分自身がきちんと変わろうとしないと意味がない。逆に、誰かを変えることなんて不可能で、自分から変わろうとしないといけない……これは、受験とか関係なく、真理なのだと思います。
さて、僕は漫画「ドラゴン桜2」の編集を行うにあたって、4年間で500人以上の東大生を取材しました。名門校から東大に首席で合格した学生にも、地方の人口3000人の村から東大に合格した学生にも話を聞きました。
そのうえで感じたのは、東大に合格するためにいちばん重要なのは「責任感」だということです。東大生はみんな責任感が高いんです。桜木が語ったように、自分の人生を自分で変えようとする意識を持ち、誰かのせいにしない「自責」の心を持っている人がほとんどなんです。
一見、受験とは関係ない、この「責任感」という概念について、今日はみなさんにお話ししたいと思います。
突然ですが、僕は偏差値35だった人間です。周りに東大を目指す人なんていなくて、東大生になんて全然会ったことのない人生でした。そういう環境から東大に合格したときに感じたのは、「東大生はなんでみんなこんなに責任感が強いんだろうか?」ということでした。
例えば、サークルや部活でも、何か問題があったときに「お前のせいだ」ということを言うのではなく、みんな「いや、これは自分も悪かった」と語るんです。
失敗に寛容なのかと言うとまったくそんなことはなく、むしろ失敗には厳しいんです。「なぜ、ここでこうできなかったのか」「もっとこうするべきだったんじゃないか」という批判的な目でいろんな物事を見るのです。
でも、その目を向ける先が、他人ではなく自分なんです。「自分がこうできなかった」「もっと自分がこう動くべきだった」と語り、「え、これ、お前のせいじゃないでしょ?」と思うことでも「いや、自分がもっとこうしていれば……」と自分に厳しいんですよね。
人に優しく、自分に厳しい。自分のできなかったところや失敗を自分の責任で考えようとして、なぜできなかったのかを一生懸命考える。そういう学生が多いんです。
<東大生は「自責思考」が強い>
「自責」と「他責」という言葉があります。何か失敗したときに、「自分の責任だ」と考えるか、「他人の責任だ」と考えるか、ということです。
「責任感がある」と言ったときに多くの人が想起するのは、この「自責」のほうではないでしょうか。何か問題が起こったときに「自分が悪い」と考える人や、物事がうまくいかなかったときに、他人の責任にするのではなく自分の責任で考える人は、責任感ある人ですよね。東大生は、この「自責思考」=「責任感」が強いのです。
「責任感と学力って、結びつかなくない?」
「責任感がない人間の、何が悪いの?」
そう考える人もいるでしょうが、責任感がないと「必死さ」がなくなるんです。責任感が強いと、物事に主体的に取り組めます。何か問題があったときに「自分には関係ない」「あいつが悪い」と考えている人って、何かうまくいかなくても「自分のせいじゃない」と言えてしまうから、必死に何かを取り組んだりできないんです。
そしてそういう必死さがない状態だと、「自分の勉強を自分の責任にしない」という状態になってしまいます。
僕は昔、自分の成績が悪いのは「他人のせい」だと思っていました。「先生の教え方が悪い」とか、「自分は頭が悪いのは、遺伝的なものだ。親がそういうふうに産んでくれなかったんだ」とか、「運が悪かった」とか、そんな思考をして、「自分が悪い」と思うことをやめていました。
本当は、自分の努力が足りなかっただけかもしれない。本当は、自分が勉強していなかったから成績が悪いのかもしれない。
でも、そんなふうに自分の責任にする勇気はなかったんです。自分の責任にすると言うことは、誰のせいにもできないということに他なりません。「できない自分」「自分の弱さ」「自分の実力・努力不足」、そういう弱点に目を向ける勇気がなかったのです。
同じようにきっと僕は、勉強以外のことも自分の責任だと思っていなかったんだと思います。何かうまくいかなくても自分の責任じゃない。だから何かうまくいかないことがあっても、平気な顔をして「俺のせいじゃない」と言って、真面目に取り組まない。こういう思考をしている学生は、東大に合格できません。なぜなら、自分の弱点をずっと放置して、成長する機会を逃し続けてしまうからです。
<弱点に目を向けると自分を成長させられる>
弱点って、本当は目を向けると自分を成長させることができる、最強の道具なんですよね。他人の責任にしているうちは気づけないですが、自責をすることができる人間は、どんどん成長することができるわけです。
ドラゴン桜では、こんなコマがあります。
「弱さを知り、強さに変える」
この言葉が象徴する通り、東大生は自分の弱点を知ろうとすることや失敗から学ぼうとする姿勢が非常に強いです。東大でトップクラスの成績を取った医学部の東大生は、「模試の結果が悪かったら逆に喜んだ」と語っていました。
「模試の結果が悪いってことは、自分が改善するべきポイント・伸びしろがいっぱいあるってことじゃん。逆にいい点数ってことは、自分のできないことがわからなかったってことで、受けた意味があんまりないってことなんだよね」
自分の責任として、自分の弱点と向き合う姿勢があるからこそ、彼は成績がよかったのではないでしょうか。逆に僕は、自分の弱点と向き合わなかったから成績が悪かったんだと思います。
<「先生や親が言うから」では馬力が足りない>
東大生が東大を目指した理由というのは非常に多様です。「社会を変えたい」「弱者を救いたい」というような高尚な目的の人もいれば、「アイドルと結婚したい」「東京に上京したい」とか、人によっては低俗だと感じる理由で目指した人もいます。でも、誰もがみんな、「自分がこうしたい」という考えを持って勉強していたという人たちなんです。
逆に、「自分がこうしたい」がない受験生は、最終的に残念な結果に終わる場合があるといいます。予備校の先生に取材すると、「『先生が言うから』とか『親が言うから』とか、そういうふうに語っている学生は、結局最後の馬力が足りなくて受験に落ちる場合が多い」と言っていました。
そういう「誰かが言うから」と言って受験していた人は、受験に失敗しても「他人の責任」にできてしまうんですよね。自分の責任で受験していないから、最後の最後で必死さが足りなくなってしまう、と言うわけです。いかがでしょうか。
「人生を変えられるのは自分しかいない。こいつらが自分で目を覚ますしかないんだよ」
桜木先生のセリフは、誰かのせいにせず、自分の責任としていろんなことを考える必要がある、ということを象徴しているのではないでしょうか。
もちろん、他人のせいにしたくなることもあると思います。自分のせいだと考えすぎて、辛くなってしまうこともあると思います。でもそういうときでも、「ここで自分の責任だと思えば、自分は成長できるかもしれない」と考えることも必要なのではないでしょうか。
===引用ここまで