ジジのためいき

田舎の小さな家の日々のできごと。

運転免許証の更新前手続き

2007年05月31日 | Weblog
一時帰国している間に、国内の免許の書き換えをしておかないと失効してしまうので、二人そろって9時半から免許の更新に行く。
宅配便で10時に届くはずだったパスポートが9時に届き、旦那さんが急いで免許センターまで届ける。
無事に免許の更新手続きが完了してほっとする。

一時帰国

2007年05月30日 | Weblog
31日に帰る予定だった二人と一匹が、一日早く帰ってきた。
一人は高速バスで、もう一人は飛行機で。
そのまま運転免許センターへ行き、更新前手続きの確認に行く。

コガネムシと戦う

2007年05月28日 | ガーデニング


バラがやっと咲き始めたのに、観賞する前に虫どもに食べられてしまう。
毎年のことなので、「なんとかせにゃいかん」と思うんだけど、農薬を使いたくないからそのまま放置することになる。
バラ好きの知人たちもいろいろ頭を悩ませている。でも、けっきょくは薬のお世話になるらしい。
うちのバラはまだ数が少ないし、丈も50センチくらいしかないので、もう少し我慢して今年は割り箸で虫たちと戦ってみようと思っている。
花びらや葉っぱをじーっとにらんで、虫がいたらすぐさま捕獲。そして水を張ったバケツにボトン。
果たして、この方法でいつまで耐えられるだろうか。

再び戦火に見舞われたパレスチナ難民

2007年05月27日 | ボランティア
このブログの概要に「このブログには暗い話題はありません」と書いたばかりなのに、数日も経たないうちに概要を書き直さなければならなくなった。
今朝、こんなメールが届いたから。

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再び戦火に見舞われた
パレスチナ難民への緊急支援にご協力ください。

        パレスチナ子どものキャンペーン

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レバノン北部のナハルエルバレド難民キャンプでは、5月20日に
勃発したレバノン軍と「ファタハ・イスラム」という武装グループ
との交戦によって、キャンプの住民の3分の2から半分の人々が着
の身着のままで、近くのバダウィ難民キャンプに避難をしています。

以下にご紹介するそのバダウィからのレポートは、突然の戦火に
襲われた人たちの様子を伝えてくれます。
そして、一刻も早い緊急支援の必要性を訴えています。

--------------<バダウィからのレポート>-------------------

●5月25日
  バダウィには津波のように人が押し寄せている。避難して来た
 人々、老若男女が住民の間に少しでも居場所を探そうと押し合い
 圧し合いしている。
 パレスチナ難民の古くて新しい悲劇が、再び次の世代に引き継が
 れた。被害と痛みから自由なものはいない。
 これは私たちパレスチナ人の文化遺産とも言うべき唯一の相続
 財産なのだろう。
 一息をついて計画を考えたり、将来への展望をたてようとする
 間もなく、わが同胞は家を追われ、破壊、死、欠損・・・祖国を
 持たない私たちの子どもは平和につつましく生きることさえ
 かなわないのだ。

●病院で
  難民キャンプの赤新月社の病院で、13歳のアラは負傷した
 兄の横に座っていた。13歳といえば他の場所ではほんの子ども、
 楽しいことを満喫しているというのに、パレスチナの子どもは
 大人でさえ負いかねる責任を背負わされている。
 砲撃が始まり家に砲弾が当たったときに、アラは食べ物ではなく
 怪我をした兄をどうしようと考えなければならなかった。
 兄を担ぐことは出来ないので、赤新月の救急車まで引きずって
 行ったのだ。

 「幸運にも僕たちは助かったよ。
  でも家は誰が直してくれるのだろう?」

 と無心に言うアラはまるで家族のことを心配する父親のようだった。

  10歳のユセフはベッドに横たわっている。その美しい目は涙で
 いっぱいだった。傷が痛むからではない。父親から怪我をしていた
 母親が息を引き取ったと聞かされたからだ。
 ユセフは父親を硬く抱きしめると、驚いたことには成人のように
 父親を慰めた。

 「お父さん泣いては駄目だよ。神様の思し召しだから。
  人は誰も死ぬ定めにあって、僕たちにはどうにもならないんだ」

●国連の診療所で
  マリアムの場合は少し違っている。
 70歳の彼女は慢性の疾患にかかっていて、薬はとても高価だ。
 家から急いで避難したので、その薬を置いてきてしまった。
 国連の診療所の前で、彼女は助けを乞うていた。みな彼女の病気を
 分かっていたが、薬はそこに無かった。彼女は待つしかない。
 しかし死は待ってくれるのだろうか?老いたマリアムは外に出て、
 人が尊厳と人間性を失わされる日を呪っていた。

  同じ診療所で、ジェナは両手いっぱいの薬を大事そうに抱えてい
 た。彼女の3人の子どもはひどい下痢になっていて、衛生状態の悪
 さから悪性の細菌にかかったのではないかと彼女は心配していた。
 子どもを残して行方のわからない他の家族を探すことなんて出来や
 しない。隣人のファドワもジェナを助けてやることは出来ない。
 ファドワもまた障碍のある親戚を探し回っていたからだ。

●学校で
  学校は「最後の審判」の日のようにたくさんの人々でいっぱい
 だった。わがパレスチナ同胞にとっての審判は常に不公平に出来て
 いるように思える。犠牲者であるにもかかわらず常に代価を支払わ
 なければならず、常に手ひどいレッテルを貼られるのはパレスチナ
 人なのだ。

  10歳のシャディアは、「ファタハ・イスラム」について何も
 知らないし、なぜ軍隊がキャンプを砲撃しているのか理解できない。
 彼女が望んだのは一切れのパンだったが、食料を積んだトラックが
 キャンプに入ったとたんに標的にされ、多くの人々が殺され負傷し
 てからというもの、パンも食料も憎しみの対象になっている。

 「私がいま望むのはシャワーを浴びて、汚れた服を変えることよ」

 5人の子どもに1枚のマットレス。ミルクもオムツも足りない。
 国連は動き出しているが大変にのろいと人々は不平を言っている。
 新しい世代も1948年を再体験しているようだ。
 ナハルエルバレドに戻ろうと考えている家族さえいた。
 一口の食料を乞うくらいなら。尊厳の中に死にたいというのである。

 わが同胞はシェルターからシェルターへ逃げ惑う生活に疲れきって
 いる。59年間の逃亡生活と、国連など救援組織へ山のような申請
 書を書き、調査やアンケートの対象として質問攻めにあう生活に
 飽き飽きしている。
 国際社会の署名運動と口先だけのパレスチナ国家建設の約束と、
 多くの圧倒的に多数で決まった決議が決して実現されないことに
 うんざりしているのだ。

久しぶりの雨

2007年05月25日 | Weblog
5時起床 

クルミパン、ヨーグルト、グレープフルーツ、コーヒー。

早明浦ダムの水位が下がって水不足が例年以上に深刻そうなので、今年は花の水やりを必要最小限に留めようと思う。
今までは庭にまんべんなく水を撒いていたけど、一つひとつの花の状態をよく見てから、必要に応じて与えることにした。毎日水をやらなくてもあんがい丈夫に育っているので、今までが過保護だったのかもしれない。
でもさすがに今日の雨で花や樹木が生き返ったように輝いて見える。

午後、西村ジョィへ行く。宿根草のロベリアとリトルチュチュの苗を買う。
それからリネン用のコロンを買い、スタバでひとりお茶。

岩盤浴

2007年05月24日 | 運動
5時50分起床。
ここのところなぜかきっちり5時50分に目が覚める。
規則正しい生活をすると、体調もいい。
昼からジムでボクシングのエクササイズをやる。
それから下へ降りて、プールで30分泳ぐ。
4月にジムの中にオープンした岩盤浴、いっしょに入ろうと誘われていたのでそのつもりで用意していったのに、定員いっぱいで入れなかった。水着の上にTシャツを着なきゃいけないので面倒くさいから別に入れなくてもよかったんだけど。。。

インドの想い出ばなし

2007年05月20日 | 
   

8時30分、ホテルをチェックアウト。
東本願寺へ行く。あいにく改修中だった。
地下街でモーニングを食べて、駅ビルの中を歩く。
だんだん肩が痛くなってきて、荷物をロッカーに預ける。
駅ビルの中が暑いので着替えようとしてホテルにポロシャツを忘れてきたことを思い出し、また引き返す。
歩きすぎて疲れたので、スタバで一休み。
店内を見回すと、外国人の客が大半で、ニンテンドーDSでえいごづけをやろうと思っていたのに、その必要がないくらい英会話が耳に入ってくる。
(ここまで、携帯のメール機能を使って文章入力する)

12時、ホテルグランヴィアのロビーでNさんを待つ。
彼女と初めてあったのは十数年前。
お互いに一人でインドを旅している途中に、食堂で偶然出会ったのがきっかけで今も付き合いが続いている。
あの時、大阪からボンベイ(現在はムンバイ)へ向かう飛行機の中で顔見知りになり、わたしはボンベイで降り、彼女はそのままニューデリーへ向かった。2週間後、ニューデリーの食堂でばったり再会したというわけだ。
あのとき20歳だったNさんは、いまは小学3年生の男児の母。3年前に会ったときは家庭の悩みを抱えて憔悴していたようにみえたけど、今回は元気を取り戻して以前よりずいぶん綺麗になっていた。
彼女がホテルのレストランを予約してくれていたので、ランチを食べながら当時の思い出話に花が咲く。
昼食後、彼女に付き合ってもらって竜安寺へ行く。
時間があったら美山町へも行きたかったんだけど、半日では無理とのこと。次の楽しみにとっておくことにする。
午後4時50分発のバスで京都をあとにする。

京滋YOUの会総会

2007年05月19日 | ボランティア
6時起床。
高速バスのバス停まで旦那さんに送ってもらい、9時10分の京都行きに乗る。
12時10分京都駅に到着。駅前の和食の店「酔心」で豚ヒレカツ定食を注文する。
京都に着いたら総会まで時間があるからお寺を2,3カ所回ろうと思っていたのに、あいにく天気が悪く、強い風が吹いておまけに雨も降ってきて寒かったのでなんとなく億劫になる。駅ビルの中をただあてもなくウロウロ歩き回る。
疲れたので、予約してあった「旅館銀閣」へ行く。
フロントでチェックインは4時だと言われ、また外へ出て歩く。
総会が4時からなので、20分前に京都府国際センターへ行く。

総会の会場に入ると、馴染みの顔ぶれがそろっていたのでほっとする。
京都にくるといつも暖かい気持ちになれるのは、気心の知れた仲間がいてくれるからだと思う。
のち

あなご寿司

2007年05月11日 | 料理


<作り方>
材料
米     3合
あなご   2尾
きくらげ  2枚
絹さや   9枚
卵     1個

ご飯の味つけ
濃口醤油  大さじ3
酢     大さじ4
砂糖    大さじ5
塩     大さじ1/2
1) すし用にご飯を炊く。
2) 開いたあなごをフライパンで焼き、酒をふりかけて5分おいてから細かく切る。
3) きくらげはもどして細く切り、みりん、醤油、各大さじ1で照りつける。
4) ご飯をボウルにとり、味をつけ、あなご、きくらげを混ぜ、電子レンジで2分かけてから混ぜ合わせる。
5) 器に盛って絹さやと錦糸卵をのせる。