ジジのためいき

田舎の小さな家の日々のできごと。

退職を決心する

2004年08月27日 | 健康
 例会後、会長に退職を願い出る。
 11月に手術を控えているので、その後のリハビリなどを含めて休職期間が長引き、クラブに迷惑がかかるかもしれないというのが辞職の理由。
 会長から「手術をしたら復帰できるのでは?」と暖かいお言葉をいただく。だがしかし、悲しいかな、私の場合、今度今手術することになっている右脚よりも左脚の方が重症なのだ。
 今回手術したとしても、早晩左脚も手術することになると思う。そうなると、再び入院リハビリで長期休職を余儀なくされる。
 だから、代わりを引き受けてくれる人に、「もう治ったから結構です」とは、いくらなんでも言いにくい。
 素晴らしく条件のいい今の仕事を、泣く泣く手放さなければならないのはつらいけど、手術して自由に歩けるようになったら、また新しい目標に挑戦するチャンスを神様が与えてくれたと解釈して、残りの人生の生き甲斐を見つけようと思う。

平野啓一郎著「高瀬川」

2004年08月25日 | 読書


【高瀬川】
 小説家の大野とファッション雑誌の編集者裕美子の青春ラブストーリー。
 平野氏自身の実体験ではないかと思わせる部分がある。情景描写と心理描写の巧みな表現力、構成力は感嘆すべきものがある。
 内容そのものは、ありふれた青春ラブストーリーかもしれない。だが、その表現力と感性はすばぬけている。天才画家が、抽象画に至る過程において、その初期の段階で具象画を描いていたように、平野氏の前期の仕事として記録に残る作品の一つなのかもしれない。

【氷塊】
 上下2段に別れた二つの物語が同時進行し、最後でつながるという構成にあっと驚かされる。上下を交互に読みながら、最後はどうなるんだろうという期待が膨らむ。

 上段で展開する物語は、幼いとき母に死に別れた少年が、死んだ母親と微かに似た面影のある女性を街角の喫茶店で偶然見かける。毎週決まった時間に顕れる女性に対して次第に思慕を募らせるのだが、それが異性に対する感情なのか、それとも親に対するものか曖昧なのだが、実の母親だと信じようとする少年は、とにかく一目会いたいという思いから、喫茶店の前の自動販売機の横に立ちつくす。
 一方、下段では、婚期を逸しかけた女が妻子ある男と不倫の関係を持つが、ある日、喫茶店を挟む道路の向かい側にある自動販売機の前で、毎週同じ時間に顕れて自分を見つめる少年に気づく。ふと、不倫相手の子供ではないかと疑いを持ち始める。もしそうであるならば、少年を不幸にしてはならないと、男との不倫の関係を清算することを決意する。
 思っていたほど深刻な話の展開にはならなかったけれど、上の段と下の段の進行の仕方のバランスが抜群で、物語の展開はもちろん、字数の計算をしながら文章を書けるという、小憎いほどの技の巧みさに思わず舌をまく。


無事帰国

2004年08月24日 | 
 旅行中、みんなに迷惑をかけたので、留守中のお礼とお詫びの電話を入れる。
 KenとSHOOと姉とYちゃんに電話をかけ終わって、IDUMIちゃんにかけようとしたとき、ちょうど向こうから電話がかかってきた。
 彼女には最近、わたしの脚のこととか、いろいろと心配をかけているので、また今回も心配をかけてしまってたいへん申し訳ないことをしたと思う。
 それなのに、私の健康を気遣ってくれて、また新しいサプリメントなど送ってもらう。多謝。

メコン河クルーズ、そして帰国

2004年08月23日 | 


 早めの朝食を終え、クチの地下トンネルへ行くグループとメコン河クルーズに行くグループが、それぞれオプショナルツアーに出発。
 台湾の企業が出資してできたという新しい道路を通ってメコン河のあるミトーまでバスでドライブ。
 郊外へ出てしばらく走ると、農村地帯ののんびりと穏やかな景色が広がって見える。かつて沼地だった土地が埋め立てられて、新興住宅街に変わろうとしている。
 もう2、3年経ってからベトナムへ来たら、ホーチミンの郊外の様子は今よりもっと大きく変化しているだろう。

 ミトーへ行く前にチェックアウトしているので、後に残ったYさんに荷物を預かってもらっている。荷物をもらいに彼女の部屋へ行く。
 Yさんは見かけと違ってとてもおもしろい人だった。おかげで一週間、存分に楽しませてもらった。
 最後の夕食なので一緒に食べに行こうと誘う。すると彼女、昼間にしっかりチェックしていて、「ホテルから歩いて数分のところにあるモスクの路地裏にカレー屋さんがあるからそこへ行こう」と言う。
 ロビーに降りていくと、みんながなんとなく集まっている。私たちが出かけようとすると、美人の双子ちゃんと、Mさんともう一人の女の子が一緒に付いてきた。
 ぞろぞろと6人でカレー屋さんへ行く。
 マトン、野菜、エビなど、それぞれ好きな物を注文し、ついでにチャイとナンをおばちゃんに頼む。デニッシュみたいに渦巻きになったナンが出てきたのに驚く。
 昔インドへ一ヶ月近く行った時でも、デニッシュみたいなナンは見たことがなかった。所変われば、とはよく言ったものだと思う。
 PM11:30 VN940便にて関空へ。

フエから再びホーチミンへ

2004年08月22日 | 
 今日もまた、午前中は自由行動。
 去年みたいにスケジュールが過密だと、メンバーと行動をともにするのがつらいけど、今回はフリータイムが多いのでとても助かる。
 今度は一人でドンコイ通りを散策。
 杖をついて歩くと、誰かと一緒に歩行を合わせるのが苦痛なので、気楽に歩ける。
 ホテルの前から直角に延びている道路を数十メートルくらい行ったところで、とても感じのいい雑貨の店を発見。
 クッションカバーやサンダル、食器類があか抜けていてとてもお洒落。値段は少し高めだけれど、センスの良さで納得できる。
 どの店も、買わずに出ても店員が「ありがとうございました」と丁寧な日本語で言うのには驚いた。
 日本人の客が多いということなのだろうが、社会主義の国で、こんなサービスを受けたのは初めてだ。
 
 夕食は市内のレストランで海鮮料理。
 途中で帰国する人が何人かいるので、自己紹介を含めて早めの反省会。ここでもドリンクは迷わずビールを注文。くせになったらどうしよう。

「子供の家」&「日本語学校」訪問

2004年08月21日 | 


 午前中「子供の家」を訪問する。
 他の人たちは当番の子ども達とタイロック市場へ昼食の食材を買い出しに行く。私は脚が痛いので、図書室で水本さんと留守番。13,4歳くらいの少年とオセロをする。圧倒的な強さで少年が勝つ。あまりにも私が弱いので彼はつまらなさそうだった。
 市場から帰ってきたメンバーとともに、日本から持ってきた折り紙やらシャボン玉でしばし子ども達と遊ぶ。
 昼食後、二階の部屋で歓迎会が開催される。去年、フエの音楽コンクールで優勝した少年が日本の歌を披露してくれた。彼の透き通った「天使のような歌声」に胸が熱くなる。
午後7時ごろ、日本語学校を訪問。
 フエ市内にある日本語学校はまだ建って日が浅いらしく建物が新しかった。二階はホテルやレストランで働いている学生のための教室で、一階では一般の学生が勉強しているという。
 私は一階の教室に入ってフォン・ホンさんという35歳ぐらいの女性の横に座らせてもらう。彼女はとても面白い人で、日本語の文法の勉強をしている最中に、「この果物を食べれば死にます」という日本語はあっていますか?」と聞いてくる。「間違ってはいないけど、日本語の勉強にふさわしくないと思います」というと、すぐに他の言葉で攻めてきて私を笑わせようとする。
 私と彼女がげらげら笑っていたら、ベトナム事務所長のミンさんが「彼女は、ラームさんの奥さんですよ」と教えてくれた。
 日本語学校からホテルに戻り、夕食はベトナムスタッフを交えてフォンザンホテルで夕食会。
 28人の参加者なのに、ビールの瓶が89本も並んだ。いくら地ビールはアルコール度数が低いとはいえ、今回のツアー参加者は酒豪が多い。アルコールに弱い私もつられて呑んでしまった。

ベトナム少数民族の村へ

2004年08月20日 | 


 午前10時にフォンザンホテルを出る。
 ベトナム事務所が事前に用意した日用品など、支援物資をバスに積んでカトゥー族の村へ向かう。
 村へ行く途中、小さな橋がかかっていた。私たちが乗っていた大型観光バスの重量に耐えられそうにないので、橋の手前でみんな降りて渡る。
 そこからさらに進むと、頭上から電線が垂れ下がっている。ラームさんがバスから降りて、道端に落ちている木の枝を拾い、注意深く電線を持ち上げてバスを通過させる。
 途中のゲストハウスで昼食を済ませてから、再びバスに乗り込む。ホテルを出てから約1時間半でグルン・グエン県ナムドン村に到着する。
 バスを降りて数分間歩いて村に入る。村の入り口に近づくと、村人たちが正装に身を包み、私たちの到着を歓迎してくれている。
 高床式の集会所に集まると、すぐに宴会が始まった。サトウキビやバナナの葉で包んだ餅米や茹でたタロイモなど、ご馳走が並び、歓迎セレモニーが始まった。
 日本の参加者たちは猛烈な暑さの中、浴衣に着替えて「風の盆」を披露し、そのお返しに、カトゥー族の人たちは民族舞踊を踊って見せてくれた。
 言葉が通じなくても、身振り手振りでお互いの意志は十分通じるらしい。最後まで笑顔の絶えない交流会だった。

ホーチミンからフエへ(2)

2004年08月19日 | 
夕食はそれぞれ自由にすることなっていたのに、誰もホテルから出て行こうとしない。フエの地理に詳しい人がいないので当然だ。
 全員揃って、小山先生オススメの「フォーサイゴン」へブンボーを食べに行くことにする。ブンボーはフエ名物のうどんのこと。米でつくった「ブン」という麺にスープと唐辛子を入れて食べる。 ブンボーの種類は「ブンガー」(鶏肉入り)、「ブンボー」(牛肉入り)がある。 レモンを絞って唐辛子を入れて食べるとさっぱりして美味しい。
 ベトナムのビールはあまり冷えていないので、小山先生はマイビールをクーラーボックスに入れて持参。先生の行きつけの店なのか、ビールを持ち込んでもお店の人は文句を言わなかった。
さすが、フエ市の名誉市民だけのことはある。おしぼりも、店で出るのは香水の匂いがきついので、マイおしぼりを用意している。

ホーチミンからフエへ

2004年08月19日 | 
 今日は半日自由行動の時間があるので、朝食を終えてからドンコイ通りのショッピングセンターへお土産を買いに行く。
 初日に買い物をすると、移動の時に邪魔になるのは分かっているけれど、去年来た時にフエにはあまり気に入ったものがなかったので、今のうちに買っておくことにする。
 ショッピングが終わったら11時が過ぎていた。集合の12時までに昼食を終えなければいけないというのに、ホテルの近くのレストランに入って、それぞれが好きな物を注文したので、リーダーのFさんが時間を気にしてそわそわしている。それなのにせっかくベトナムへ来たのだから、美味しい物を食べなきゃ損とばかりに、みんな時間を気にせずベトナム料理を堪能する。
 午後2時20分、ホーチミンから飛行機でフエへ向かう。
 小山先生とベトナム事務所のラームさんが空港まで出迎えに来ていた。ラームさんが私を覚えていてくれたのがとても嬉しかった。

ホーチミンへ(出発の危機)

2004年08月18日 | 
 4時20分起床。
 関空行きの高速バスのバス停まで送ってくれるはずだった夫が、バス停の手前で急に苦しみだした。下痢をしているらしく、車から降りて道端にしゃがみ込む。
 苦しみ方が異常だったのでただごとではないと判断し、一旦家に引き返す。
 一時間ほど様子を見てみるが、熱もないので、おそらく寝冷えだろうと判断し、タクシーを呼び再びバス停へ向かう。
 予定より一時間遅れて関空に着くと、添乗員のTさんがGカウンターで待っていてくれた。
  夏休み期間なので空港は大勢の人でごったがえしていて、幾重にも降り曲がった行列が、いつ果てるともなく続いている。
 乗り遅れたら、二日前に宅配便で送っておいたスーツケースを受け取って引き返すつもりだったので、私には悲壮感はなかったのだけれど、Tさんは添乗員なのでそうはいかない。絶対乗り遅れてはならないのだ。Tさんが行列の長さを気にしてしきりに腕時計を覗いているのを見て、さすがに心が痛む。
 けっきょく、離陸数分前に飛行機に搭乗できたので、ほっと胸をなで下ろす。
 機内に入ると、ツアーのメンバーが心配してくれていたらしく、暖かい拍手で迎えてくれたのがとても嬉しかった。

 AM11:15 VN941便にて、ホーチミンへ。
 着後、ドンコイ通りのボンセンホテルへバスで移動。ホテルに着いてからすぐ日本へ電話を入れる。夫の元気な声を聞いてほっとする。
 出かける前に私が長男に送ったメールで、長男から次男、次男から姪、姪から姉へと情報が伝わり、姉夫婦が夫を病院へ連れて行ってくれたとのこと。周りの人に迷惑をかけてたいへん申し訳ないことをしてしまった。