断捨離の最中ですが、今日、昔の手紙や書類を整理していたときに、もう22,3年くらい前に大手マンションデベロッパーD社の社員のEさんからもらった手紙がでてきました。
「○○ 様
前略 昨日はわざわざモデルルームまでお越しいただき、誠にありがとうございました。
昨日も申し上げましたが私は新入社員でこの7月から営業をはじめたばかりで、○○様が最初にモデルルームにお越しいただいたお客様なので、大変うれしかったです。今日もこの近辺を通ったので、ご挨拶をしようかとも思いましたが、今朝課長がお電話差し上げたようですし、何回も伺うと逆にご迷惑だろうと思いましたので、手紙をしたためている次第です。
さて、マンションの件ですが、特に一番最初のお客様だからこそ申し上げたいのですが、周りの声を気にするのではなく、御自身の気持ちを一番大事にして頂きたいと思います。
うちの課長も売ることが第一ですから(まあ私もそうですが、)スイスに電話してほしいとか、なくなるから、2,3日で決めてほしいとか言うと思いますが、ご両親にも祝福されるマンションを買おうと思われているんでしたら、それを貫いた方がいいと思います。
また、もしうちのマンションが気に入って頂けたら、やはりその気持ちを大切になさった方が良いと思います。
マンションという高額な物件です。だからこそご自身が納得できる形で購入なさるべきです。
(後略)」
Eさんは当時我が家がアパートに住んでいたとき、近くにできたマンションのモデルルームの案内をしに来てくれた若者です。
このマンションは、Eさんが来ずとも元々興味が合った物件でしたが、ちょっと予算オーバーなのでモデルルームに行くかどうか迷っていた物件-Eさんの話を聞いて、モデルルームを見学に。
モデルルームにつくと、Eさんは不在で、彼の上司という人物が現れました。
ところがその上司、若い上、GパンにTシャツ、スニーカーといういで立ちの私たちを一瞥して「客にならないな」という表情をすると、私たちに見学を薦めるでもなく、いきなり用紙を渡して「すべて記入を」というと、その場を離れようとしました。
ところが、私たちが用紙に自己資金額を観たとたん、態度が豹変。揉み手をするように近くによってきて、「用紙の記入は後で結構、まずはモデルルームをご案内します。」
(我が家は共稼ぎだったことと、親の援助もあって、自己資金は若いのに多かった。)。
モデルルーム見学が終わっていきなり契約をせかすこの上司-私たちは「自己資金の一部を負担してくれる親が海外旅行に出かけているので親が帰ってきてから改めて」というと、「早く買わないとすぐ売れるから、ご両親に国際電話を」とまで言い出す。
それを断ってアパートに帰れば、電話をかけてきて、「親の確認はあとでもよいだろう。」としつこい。
結局、この電話に辟易したこともあって、購入の気持ちはほぼしぼんでいたので、Eさんが心配してくれていたような心配は用だったのですが、このEさんの手紙はほっこりしました。
彼とはその後電話でマンション購入の申し込みはしない旨電話をしたときに少し話しましたが、彼は、私たちに嫌な思いをさせたと詫び、私たちが将来(自社の物件でなくとも、)良い住居を見つけることを願っている-自分の仕事は「お客様が満足できる住宅を売ること」-と言ってくれました。
さて、そんなEさんのことを思い出したついでに、彼の名前を今メールで検索してみたところ、彼が(実家であろう)東京目黒の建築会社の社長に就任したということがわかりました。
彼は、就任の挨拶で、
「この度、平成29年4月1日より弊社代表取締役社長を拝命した、Eと申します。
弊社は天保年間より建設を業として当地にて永くお世話になっている工務店です。
多くの方々の支えがあって、弊社もここまで歩むことが出来ました。
お施主様、お取引先の皆様、職人さん、弊社社員など今まで弊社を支えて下さった皆様に、心より御礼申し上げます。
建設業界、住宅業界も東京オリンピック開催や少子化、建物の高耐久化など社会情勢と共に大きな変動期を迎えておりますが、お施主様の想いに寄り添い、技術の研鑽に励み、しっかりとした工事を進めていくことに変わりはありません。
今ある一つ一つの現場に真摯に取り組み、継続的な業務改善を進め、以て建設業を通じて社会に貢献出来るよう、粉骨砕身努力して参る所存です。
今後とも末永いご愛顧と、ご指導ご鞭撻のほど何卒よろしくお願いいたします。」
と書いています。
彼がD社にいたのは家業を継ぐための修行だったと思いますが、江戸時代から続く建設会社に育った彼の場合、修行も一般的なものとは違ったことでしょう。(むしろ、修行先が反面教師的だったりすることもあったでしょう。)
追記:
22,3年前の記憶で、一部記憶違いがあるかもしれませんが、Eさんの誠実さは間違いがないと思います。
私はよく若い人に「初心を忘れずに」という言葉を送りますが、この言葉を送った第一号がEさんでした。